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北海道札幌南高等学校の出身者
 1  村中孝次    旭川市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
村中 孝次(むらなか たかじ[注釈 1]、1903年10月3日 - 1937年8月19日)は、日本の陸軍軍人で皇道派、国家社会主義者。
北海道札幌南高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      旭川市の出身者      
10月3日生まれの人      1903年生まれの人
 2  小原重孝    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
小原 重孝(おばら しげたか、1899年10月24日 - 1971年7月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。小原 重厚と表記する文献も有る。
北海道札幌南高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月24日生まれの人      1899年生まれの人
 3  真田穣一郎    美唄市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
真田 穣一郎(さなだ じょういちろう、1897年(明治30年)11月21日 - 1957年(昭和32年)8月3日)は、日本の陸軍軍人。
北海道札幌南高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      美唄市の出身者      
11月21日生まれの人      1897年生まれの人
 4  工藤良一    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
工藤 良一( くどう りょういち、1896年10月2日 - 1959年1月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
北海道札幌南高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月2日生まれの人      1896年生まれの人
 5  大須賀応    札幌市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
大須賀 応(おおすが ことを、1894年1月25日 - 1945年3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
北海道札幌南高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      札幌市の出身者      
1月25日生まれの人      1894年生まれの人
 6  安東昌喬    海軍兵学校へ進学Wikipedia
安東 昌喬(あんどう まさたか、1880年5月28日 - 1956年4月7日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
北海道札幌南高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
5月28日生まれの人      1880年生まれの人


北海道小樽潮陵高等学校の出身者
 7  久保登喜夫    小樽市Wikipedia
久保 登喜夫(くぼ ときお、1921年 - 1945年4月28日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合選手。大日本帝国海軍軍人。神風特別攻撃隊隊員として戦死した悲劇のジャンプ選手として有名である。
小樽市の出身者      
1921年生まれの人


北海道旭川東高等学校の出身者
 8  加藤建夫    旭川市Wikipedia
加藤 建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28日 - 1942年(昭和17年)5月22日)は、日本の陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等功二級。北海道上川郡東旭川村(現:旭川市東旭川町)出身。旭川中学(現:北海道旭川東高等学校)、仙台陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校(専科)卒。
旭川市の出身者      
9月28日生まれの人      1903年生まれの人
 9  有末次    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
有末 次(ありすえ やどる、1897年2月7日 - 1943年8月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
北海道旭川東高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
2月7日生まれの人      1897年生まれの人
 10  有末精三    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
有末 精三(ありすえ せいぞう、1895年(明治28年)5月22日 - 1992年(平成4年)2月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
北海道旭川東高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
5月22日生まれの人      1895年生まれの人
 11  中永太郎    中永太郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
中 永太郎(なか えいたろう、1893年9月17日 - 1969年4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
北海道旭川東高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      中永太郎の出身者      
9月17日生まれの人      1893年生まれの人
 12  尾崎義春    旭川市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
尾崎 義春(おざき よしはる、1890年4月20日 - 1973年9月19日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。北海道旭川市出身。
北海道旭川東高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      旭川市の出身者      
4月20日生まれの人      1890年生まれの人
 13  河田槌太郎Wikipedia
河田 槌太郎(かわだ つちたろう、1889年(明治22年)8月20日 - 1964年(昭和39年)2月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
8月20日生まれの人      1889年生まれの人


北海道室蘭栄高等学校の出身者
 14  国定謙男    海軍兵学校へ進学Wikipedia
国定 謙男(くにさだ かねお、1913年(大正2年)2月10日 - 1945年(昭和20年)8月22日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争の敗戦を受けて、一家四人で自決した海軍少佐である。
北海道室蘭栄高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
2月10日生まれの人      1913年生まれの人


青森県立青森高等学校の出身者
 15  山田幸五郎    青森市    東京帝国大学へ進学Wikipedia
山田 幸五郎(やまだ こうごろう、1889年9月10日 - 1982年7月23日)は、日本光学界の先駆者、海軍軍人、理学博士。最終階級は海軍技術少将。主に幾何光学中心に、光学機械、光学兵器の開発に寄与した。
青森県立青森高等学校から東京帝国大学への進学者      全国の東京帝国大学の出身者      青森市の出身者      
9月10日生まれの人      1889年生まれの人


青森県立弘前高等学校の出身者
 16  中村良三    弘前市Wikipedia
中村 良三(なかむら りょうぞう、1878年(明治11年)7月26日-1945年(昭和20年)3月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将、位階勲等は正三位 勲一等 功五級。米内内閣の内閣参議。
弘前市の出身者      
7月26日生まれの人      1878年生まれの人


青森県立八戸高等学校の出身者
 17  巻石蔵(軍人、元海軍大尉、秋山時代に活躍した元八戸市Wikipedia未登録
軍人、元海軍大尉、秋山時代に活躍した元八戸市助役[5]


東奥義塾高等学校の出身者
 18  一戸兵衛    弘前市    学習院大学へ進学Wikipedia
一戸 兵衛(いちのへ ひょうえ、安政2年6月20日(1855年8月2日) - 1931年(昭和6年)9月2日)は、日本陸軍の軍人。教育総監、軍事参議官、第1・第4・第17師団長を歴任し、軍を退いてからは学習院院長・明治神宮宮司・帝国在郷軍人会長等の公職に就く。官位は陸軍大将従二位勲一等功二級。
東奥義塾高等学校から学習院大学への進学者      全国の学習院大学の出身者      弘前市の出身者      
8月2日生まれの人      1855年生まれの人


岩手県立一関第一高等学校の出身者
 19  阿部勝雄    海軍兵学校へ進学Wikipedia
阿部 勝雄(あべ かつお、1891年4月18日 - 1948年5月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
岩手県立一関第一高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
4月18日生まれの人      1891年生まれの人


 20  相沢三郎    仙台市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
相沢 三郎(あいざわ さぶろう、1889年(明治22年)9月6日 - 1936年(昭和11年)7月3日)は、日本の陸軍軍人。皇道派に属した相沢は、真崎甚三郎教育総監更迭に憤激し1935年8月12日に統制派の永田鉄山軍務局長を殺害した(相沢事件)。
岩手県立一関第一高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      仙台市の出身者      
9月6日生まれの人      1889年生まれの人


岩手県立遠野高等学校の出身者
 21  小野寺信    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
小野寺 信(おのでら まこと、1897年9月19日 - 1987年8月17日)は、日本の陸軍軍人、翻訳家。最終階級は陸軍少将。
岩手県立遠野高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月19日生まれの人      1897年生まれの人


岩手県立盛岡第一高等学校の出身者
 22  多田武雄    海軍兵学校へ進学Wikipedia
多田 武雄(ただ たけお、1890年10月7日 - 1953年3月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
岩手県立盛岡第一高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月7日生まれの人      1890年生まれの人
 23  板垣征四郎    岩手町    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
板垣 征四郎(いたがき せいしろう、1885年(明治18年)1月21日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は正三位・勲一等・功二級。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。
岩手県立盛岡第一高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      岩手町の出身者      
1月21日生まれの人      1885年生まれの人
 24  及川古志郎    古志郡    海軍兵学校へ進学Wikipedia
及川 古志郎(おいかわ こしろう、1883年(明治16年)2月8日 - 1958年(昭和33年)5月9日)は、日本の海軍軍人。新潟県古志郡出身。海兵31期。海軍大学校13期。最終階級は海軍大将。第2次近衛内閣・第3次近衛内閣で海軍大臣。第18代軍令部総長。
岩手県立盛岡第一高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      古志郡の出身者      
2月8日生まれの人      1883年生まれの人
 25  米内光政    盛岡市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
米内 光政(よない みつまさ、1880年(明治13年)3月2日 - 1948年(昭和23年)4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。第23代連合艦隊司令長官。第39-41、49-52代海軍大臣。第37代内閣総理大臣。
岩手県立盛岡第一高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      盛岡市の出身者      
3月2日生まれの人      1880年生まれの人
 26  八角三郎    盛岡市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
八角 三郎(やすみ さぶろう、1880年(明治13年)12月19日 - 1965年(昭和40年)1月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将、衆議院議員。
岩手県立盛岡第一高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      盛岡市の出身者      
12月19日生まれの人      1880年生まれの人
 27  長澤賢二郎Wikipedia未登録
軍人、陸軍少将、日本航空界の先達


宮城県仙台第二高等学校の出身者
 28  万城目武雄Wikipedia
万城目 武雄(まんじょうめ たけお、1891年1月25日 - 1975年3月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
1月25日生まれの人      1891年生まれの人
 29  東海林俊成Wikipedia
東海林 俊成(しょうじ とししげ/としなり、1890年10月27日 - 1974年12月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
10月27日生まれの人      1890年生まれの人
 30  井上成美Wikipedia
井上 成美(いのうえ しげよし/せいび[注釈 1]、1889年(明治22年)12月9日 - 1975年(昭和50年)12月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。海軍大将となった最後の軍人。
12月9日生まれの人      1889年生まれの人
 31  安藤利吉Wikipedia
安藤 利吉(あんどう りきち、1884年(明治17年)4月3日 - 1946年(昭和21年)4月19日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級。陸軍士官学校16期、陸軍大学校26期(恩賜)。台湾総督(第19代)。
4月3日生まれの人      1884年生まれの人


宮城県角田高等学校の出身者
 32  菅野直    角田市Wikipedia
菅野 直(かんの なおし、1921年(大正10年)9月23日 - 1945年(昭和20年)8月1日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。太平洋戦争における撃墜王。戦死認定による二階級特進で最終階級は海軍中佐。
角田市の出身者      
9月23日生まれの人      1921年生まれの人
 33  保科善四郎    角田市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
保科 善四郎(ほしな ぜんしろう、1891年(明治24年)3月8日 - 1991年(平成3年)12月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将。衆議院議員を4期務めた後、財団法人日本国防協会会長。
宮城県角田高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      角田市の出身者      
3月8日生まれの人      1891年生まれの人


秋田県立秋田高等学校の出身者
 34  西村祥治    海軍兵学校へ進学Wikipedia
西村 祥治(にしむら しょうじ、1889年(明治22年)11月30日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。秋田県出身。
秋田県立秋田高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
11月30日生まれの人      1889年生まれの人
 35  安藤忠一郎Wikipedia
安藤 忠一郎(あんどう ちゅういちろう、1887年(明治20年)11月9日 - 1954年(昭和29年)1月11日)は大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
11月9日生まれの人      1887年生まれの人
 36  後藤英次Wikipedia
後藤 英次(ごとう えいじ、1887年11月5日 - 1967年11月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
11月5日生まれの人      1887年生まれの人
 37  上村清太郎Wikipedia
上村 清太郎(うえむら せいたろう、1883年(明治16年)10月15日 - 1947年(昭和22年)3月11日)は大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
10月15日生まれの人      1883年生まれの人
 38  須田實Wikipedia
須田 實(すだ みのる、1880年(明治13年)10月30日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
10月30日生まれの人      1880年生まれの人
 39  長嶺俊之助Wikipedia
長嶺 俊之助(ながみね しゅんのすけ、1875年(明治8年)1月12日 - 1945年(昭和20年)11月29日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
1月12日生まれの人      1875年生まれの人




秋田県立横手高等学校の出身者
 40  西村祥治    海軍兵学校へ進学Wikipedia
西村 祥治(にしむら しょうじ、1889年(明治22年)11月30日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。秋田県出身。
秋田県立横手高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
11月30日生まれの人      1889年生まれの人


山形県立山形東高等学校の出身者
 41  内藤雄    海軍兵学校へ進学Wikipedia
内藤 雄(ないとう たけし、1903年(明治36年)8月17日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人(海兵52期、海大36期卒)。太平洋戦争において艦隊参謀職を歴任した後、海軍乙事件で殉職。殉職による一階級昇進で最終階級は海軍大佐。
山形県立山形東高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
8月17日生まれの人      1903年生まれの人
 42  川井巌    山形市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
川井 巌(かわい いわお、1896年(明治29年)9月2日 - 1972年(昭和47年)5月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県山形市出身。
山形県立山形東高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      山形市の出身者      
9月2日生まれの人      1896年生まれの人
 43  小磯國昭    宇都宮市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年(明治13年)3月22日 - 1950年(昭和25年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。
山形県立山形東高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      宇都宮市の出身者      
3月22日生まれの人      1880年生まれの人
 44  瀬川章友    新庄市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
瀬川 章友(せがわ のりとも、1879年(明治12年)3月6日 - 1938年(昭和13年)2月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
山形県立山形東高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      新庄市の出身者      
3月6日生まれの人      1879年生まれの人


山形県立新庄北高等学校の出身者
 45  小磯國昭    宇都宮市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年(明治13年)3月22日 - 1950年(昭和25年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。
山形県立新庄北高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      宇都宮市の出身者      
3月22日生まれの人      1880年生まれの人


山形県立米沢興譲館高等学校の出身者
 46  工藤俊作    高畠町    海軍兵学校へ進学Wikipedia
工藤 俊作(くどう しゅんさく、1901年(明治34年)1月7日 – 1979年(昭和54年)1月12日)は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍中佐。1942年3月、駆逐艦「雷」艦長時、スラバヤ沖海戦で撃沈されたイギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた人物として有名である。
山形県立米沢興譲館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      高畠町の出身者      
1月7日生まれの人      1901年生まれの人
 47  近野信雄Wikipedia
近野 信雄(こんの のぶお、1899年7月23日 - 1944年3月13日)は、山形県出身の大日本帝国海軍軍人。海軍兵学校48期卒業。太平洋戦争中に護送船団を指揮するが戦死。最終階級は海軍少将。従四位勳二等。米沢海軍武官会会員。
7月23日生まれの人      1899年生まれの人
 48  山田勇助Wikipedia
山田 勇助(やまだ ゆうすけ、1899年(明治32年)2月22日 - 1942年(昭和17年)11月13日)は、日本の海軍軍人。水雷艇「千鳥」艇長として友鶴事件に際会。太平洋戦争において第六駆逐隊司令として第三次ソロモン海戦で戦死した。最終階級は海軍少将。
2月22日生まれの人      1899年生まれの人
 49  小林仁    米沢市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
小林 仁(こばやし まさみ/まさし、1890年6月18日 - 1977年8月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。山形県米沢市出身。山形県立米沢中学校、海軍兵学校(38期)卒業。
山形県立米沢興譲館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      米沢市の出身者      
6月18日生まれの人      1890年生まれの人
 50  南雲忠一    米沢市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年(明治20年)3月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。海兵36期。最終階級は海軍大将。サイパン島において自決。
山形県立米沢興譲館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      米沢市の出身者      
3月25日生まれの人      1887年生まれの人
 51  片桐英吉    米沢市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
片桐 英吉(かたぎり えいきち、1885年9月24日 - 1972年8月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
山形県立米沢興譲館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      米沢市の出身者      
9月24日生まれの人      1885年生まれの人
 52  下村正助    米沢市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
下村 正助(しもむら しょうすけ、1885年(明治18年)1月9日 - 1953年(昭和28年)7月30日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。山形県米沢市出身。
山形県立米沢興譲館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      米沢市の出身者      
1月9日生まれの人      1885年生まれの人
 53  下村忠助    米沢市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
下村 忠助(しもむら ちゅうすけ、1881年〈明治14年〉10月8日 - 1916年〈大正5年〉5月31日)は、日本の海軍軍人。 第一次世界大戦で観戦武官として戦死した海軍中佐である。海大甲種10期首席。正六位勲四等功四級。
山形県立米沢興譲館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      米沢市の出身者      
10月8日生まれの人      1881年生まれの人
 54  今村信次郎    米沢市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
今村 信次郎(いまむら のぶじろう、1880年(明治13年)12月4日 - 1969年(昭和44年)9月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
山形県立米沢興譲館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      米沢市の出身者      
12月4日生まれの人      1880年生まれの人
 55  千坂智次郎    米沢市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
千坂 智次郎(ちさか ちじろう、慶応4年2月15日(1868年3月8日) - 昭和11年(1936年)2月23日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
山形県立米沢興譲館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      米沢市の出身者      
3月8日生まれの人      1868年生まれの人
 56  黒井悌次郎    米沢市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
黒井 悌次郎(くろい ていじろう、慶応2年5月22日(1866年7月4日) - 昭和12年(1937年)4月29日)は明治から大正期の日本の海軍軍人。海軍大将。山形県出身。なお、江戸時代の米沢藩士・黒井忠寄との関係は不詳。
山形県立米沢興譲館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      米沢市の出身者      
7月4日生まれの人      1866年生まれの人
 57  上泉徳弥    海軍兵学校へ進学Wikipedia
上泉 徳弥(かみいずみ とくや、1865年11月13日(慶応元年9月25日) - 1946年11月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
山形県立米沢興譲館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
11月13日生まれの人      1865年生まれの人
 58  山下源太郎    米沢市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
山下 源太郎(やました げんたろう、文久3年7月30日(1863年8月26日) - 昭和6年(1931年)2月18日)は、明治、大正時代の日本海軍軍人、華族。位階・勲等・功級・爵位は、海軍大将・正二位・勲一等・功三級・男爵。日露戦争時の軍令部作戦班長(のちの作戦部長)、連合艦隊司令長官、軍令部長などを歴任した。
山形県立米沢興譲館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      米沢市の出身者      
8月26日生まれの人      1863年生まれの人


福島県立安積高等学校の出身者
 59  植松練磨    南相馬市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
植松 練磨(うえまつ とうま、1883年4月30日 - 1948年8月22日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。
福島県立安積高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      南相馬市の出身者      
4月30日生まれの人      1883年生まれの人


 60  武川寿輔    福良村    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
武川 壽輔(むがわ じゅすけ、1877年(明治10年)11月15日 - 1939年(昭和14年)2月12日)は、日本の陸軍軍人、教育者。最終階級は陸軍少将、兵庫県立赤穂中学校(現:兵庫県立赤穂高等学校)の初代校長。
福島県立安積高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      福良村の出身者      
11月15日生まれの人      1877年生まれの人


福島県立喜多方高等学校の出身者
 61  高畑辰雄Wikipedia
高畑 辰雄(たかはた たつお、生年不明 - 1943年(昭和18年)4月7日)は、日本の海軍軍人。海兵64期。太平洋戦争において582空艦爆隊長として「い号作戦」に参加。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少佐。
 62  風間万年    海軍兵学校へ進学Wikipedia
風間 万年[* 1](かざま まんねん、生年不明 - 1945年(昭和20年)1月3日または1月4日)は、日本の海軍軍人。神風特別攻撃隊旭日隊の指揮官であり、特攻により戦死したが、その作戦行動については資料によって異同がある。二階級特進により最終階級は海軍少佐。
福島県立喜多方高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      


福島県立磐城高等学校の出身者
 63  吉田英三    吉田英三へ進学Wikipedia
吉田 英三(よしだ ひでみ、1902年(明治35年)3月5日 - 1978年(昭和53年)4月24日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は海軍大佐、海将。
福島県立磐城高等学校から吉田英三への進学者      全国の吉田英三の出身者      
3月5日生まれの人      1902年生まれの人
 64  菊池朝三    海軍兵学校へ進学Wikipedia
菊池 朝三(きくち ともぞう、1896年11月22日 - 1988年1月31日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。茨城県土浦市議会議員。
福島県立磐城高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
11月22日生まれの人      1896年生まれの人
 65  高木武雄    海軍兵学校へ進学Wikipedia
高木 武雄(たかぎ たけお、1892年(明治25年)1月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。福島県石城郡大野村(現・いわき市)出身 。磐城中学校(現福島県立磐城高等学校)卒。海軍兵学校(39期)、海軍大学校(23期)卒業。幼少のころから頭脳明晰で、同期中最年少の少尉任官であった。海軍兵学校同期に伊藤整一、遠藤喜一、阿部弘毅、岡敬純、角田覚治、原忠一などがいる。
福島県立磐城高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1月25日生まれの人      1892年生まれの人


福島県立相馬高等学校の出身者
 66  柴田武雄Wikipedia
柴田 武雄(しばた たけお、1904年(明治37年)2月20日 - 1994年(平成6年)8月11日)は、日本の海軍軍人、宗教家。福島県相馬郡出身。海兵52期。最終階級は海軍大佐。
2月20日生まれの人      1904年生まれの人
 67  高橋伊望    海軍兵学校へ進学Wikipedia
高橋 伊望(たかはし いぼう、1888年(明治21年)4月20日 - 1947年(昭和22年)3月18日)は日本の海軍軍人。太平洋戦争において司令長官職を歴任した海軍中将である。
福島県立相馬高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
4月20日生まれの人      1888年生まれの人


学校法人石川高等学校の出身者
 68  鹿岡円平    海軍兵学校へ進学Wikipedia
鹿岡 円平(かのおか えんぺい、1901年(明治34年)4月11日 - 1944年(昭和19年)11月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
学校法人石川高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
4月11日生まれの人      1901年生まれの人


福島県立福島高等学校の出身者
 69  長澤浩    福島市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
長澤 浩(ながさわ こう、1900年(明治33年)12月29日 - 1967年(昭和42年)4月17日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海軍兵学校(第49期)卒。第2代海上幕僚長。
福島県立福島高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      福島市の出身者      
12月29日生まれの人      1900年生まれの人


茨城県立水戸第一高等学校の出身者
 70  勝山淳Wikipedia
勝山 淳(かつやま じゅん、1924年(大正13年)11月11日 - 1945年(昭和20年)7月24日)は、日本の海軍軍人。海兵73期。太平洋戦争の末期、人間魚雷「回天」で出撃し、米護衛駆逐艦「アンダーヒル」を撃沈した。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少佐。
11月11日生まれの人      1924年生まれの人
 71  井川省    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
井川 省(いがわ せい、1913年4月14日 - 1946年)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。日本の敗戦後にベトナム独立のためにインドシナ戦争に参加して戦没。
茨城県立水戸第一高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
4月14日生まれの人      1913年生まれの人
 72  永井八津次    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
永井 八津次(ながい やつじ、1901年(明治34年)1月20日 - 1970年(昭和45年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
茨城県立水戸第一高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1月20日生まれの人      1901年生まれの人
 73  谷萩那華雄    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
谷萩 那華雄(やはぎ なかお、1895年(明治28年)8月9日 - 1949年(昭和24年)7月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
茨城県立水戸第一高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
8月9日生まれの人      1895年生まれの人
 74  栗田健男    水戸市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
栗田健男(くりた たけお、1889年4月28日 - 1977年12月19日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校38期卒業。
茨城県立水戸第一高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      水戸市の出身者      
4月28日生まれの人      1889年生まれの人


茨城県立土浦第一高等学校の出身者
 75  川並密Wikipedia
川並 密(かわなみ ひそか/みつ、1891年(明治24年)3月22日 - 1978年(昭和53年)11月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
3月22日生まれの人      1891年生まれの人
 76  武井大助    一橋大学へ進学Wikipedia
武井 大助(たけい だいすけ、1887年(明治20年)4月25日 - 1972年(昭和47年)3月30日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍主計中将。昭和産業・安田銀行・文化放送の元社長。1940年勲一等旭日大綬章受章。
茨城県立土浦第一高等学校から一橋大学への進学者      全国の一橋大学の出身者      
4月25日生まれの人      1887年生まれの人
 77  高須四郎Wikipedia
高須 四郎(たかす しろう、1884年10月27日 - 1944年9月2日)は、日本の海軍軍人。海兵35期。最終階級は海軍大将。
10月27日生まれの人      1884年生まれの人


茨城県立下妻第一高等学校の出身者
 78  柴山兼四郎Wikipedia
柴山 兼四郎(しばやま けんしろう、1889年5月1日 - 1956年1月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
5月1日生まれの人      1889年生まれの人


茨城県立太田第一高等学校の出身者
 79  生田目修Wikipedia
生田目 修(なまため おさむ、1924年(大正13年)8月24日 - 1999年(平成11年)6月20日)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官、第16代航空幕僚長。
8月24日生まれの人      1924年生まれの人


 80  沼田徳重    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
沼田 徳重(ぬまた とくしげ、1887年(明治20年)7月17日 - 1939年(昭和14年)8月12日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将正四位勲一等功二級。茨城県出身。
茨城県立太田第一高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
7月17日生まれの人      1887年生まれの人


栃木県立宇都宮高等学校の出身者
 81  廣田和民Wikipedia
廣田 和民(ひろた やすたみ、1922年(大正11年)5月5日 - 2008年(平成20年)5月10日)は、元日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍主計少佐。
5月5日生まれの人      1922年生まれの人
 82  安藤輝三Wikipedia
安藤 輝三(あんどう てるぞう、1905年(明治38年)2月25日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。
2月25日生まれの人      1905年生まれの人
 83  麦倉俊三郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
麦倉 俊三郎(むぎくら しゅんざぶろう、1888年(明治21年)11月1日 - 1969年(昭和44年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
栃木県立宇都宮高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月1日生まれの人      1888年生まれの人
 84  西義一    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
西 義一(にし よしかず、明治11年(1878年)1月1日 - 昭和16年(1941年)4月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級。
栃木県立宇都宮高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1月1日生まれの人      1878年生まれの人


作新学院高等学校の出身者
 85  篠原弘道    宇都宮市Wikipedia
篠原 弘道(しのはら ひろみち/こうどう、1913年(大正2年)8月15日 - 1939年(昭和14年)8月27日)は、大日本帝国陸軍の軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少尉。通り名・異名は「東洋のリヒトホーフェン」。名前の読み方については新聞や書物には全て「ひろみち」と記載されているが、甥の話によれば「こうどう」が正しい読みであるという。
宇都宮市の出身者      
8月15日生まれの人      1913年生まれの人


群馬県立沼田高等学校の出身者
 86  東宮鉄男    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
東宮 鉄男(とうみや かねお、正字は東宮鐵男、1892年(明治24年)8月17日 - 1937年(昭和12年)11月14日)は、日本の陸軍軍人。「満蒙開拓移民の父」とよばれる。
群馬県立沼田高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
8月17日生まれの人      1892年生まれの人
 87  山崎保代    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
山崎 保代(やまさき やすよ、1891年10月17日 - 1943年5月29日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争(大東亜戦争)中に、アッツ島の戦いを指揮し17日間の激しい抗戦の後戦死した。
群馬県立沼田高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月17日生まれの人      1891年生まれの人
 88  井上二三雄    海軍兵学校へ進学Wikipedia
井上 二三雄(いのうえ ふみお)、1883年(明治16年)12月25日 - 1919年(大正8年)3月5日)は、日本の海軍軍人。海軍航空草創期の搭乗員の一人で、第一次世界大戦において日本初の航空作戦に参戦し、のちに殉職した。最終階級は海軍中佐。井上日召は弟。
群馬県立沼田高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
12月25日生まれの人      1883年生まれの人
 89  角田政之助    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
角田 政之助(つのだ まさのすけ、1882年(明治15年)10月18日 - 1974年(昭和49年)1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
群馬県立沼田高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月18日生まれの人      1882年生まれの人


群馬県立館林高等学校の出身者
 90  島田豊作    館林市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
島田 豊作(しまだ とよさく、1912年3月31日 - 1988年7月11日)は、日本の陸軍軍人。士候45期。最終階級は陸軍中佐。群馬県館林市出身。
群馬県立館林高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      館林市の出身者      
3月31日生まれの人      1912年生まれの人


群馬県立渋川高等学校の出身者
 91  小渕岩太郎    陸軍中野学校へ進学Wikipedia
小渕岩太郎(おぶち いわたろう)は、日本の軍人・実業家・政治運動家。元光山社代表取締役会長、日本工業大学後援会会長。群馬県吾妻郡中之条町出身。
群馬県立渋川高等学校から陸軍中野学校への進学者      全国の陸軍中野学校の出身者      


群馬県立富岡高等学校の出身者
 92  黛治夫    海軍兵学校へ進学Wikipedia
黛 治夫(まゆずみ はるお、1899年10月2日 - 1992年10月29日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。
群馬県立富岡高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月2日生まれの人      1899年生まれの人


埼玉県立不動岡高等学校の出身者
 93  三田一也    東京海洋大学へ進学Wikipedia
三田 一也(みた かずや)は日本の元船員、元海軍軍人(予備将校)、元海上保安官。最終階級は、海軍では海軍中佐。海上保安庁では警備救難監(海上保安官の最高位)、海上保安庁次長。戦後、海上自衛隊復活を討議した「Y委員会」の主要メンバー。一貫して再軍備には反対の立場を取った。埼玉県羽生市出身。不動岡中学(後の埼玉県立不動岡高等学校卒業)。
埼玉県立不動岡高等学校から東京海洋大学への進学者      全国の東京海洋大学の出身者      


千葉県立千葉高等学校の出身者
 94  大野博    船橋市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
大野 博(おおの ひろし、1911年 - 1939年(昭和14年)2月2日)は、日本の海軍軍人、海軍少佐。現在の千葉県船橋市出身で、父 大野善兵衛、母 正子の二男として生まれる。父は製麩業のかたわら、船橋町議などをつとめた。
千葉県立千葉高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      船橋市の出身者      
1911年生まれの人
 95  石井四郎    芝山町    京都帝国大学へ進学Wikipedia
石井 四郎(いしい しろう、1892年6月25日 - 1959年10月9日)は、日本の陸軍軍人、軍医。関東軍防疫給水部長、第1軍軍医部長を歴任する。最終階級は陸軍軍医中将。功四級、医学博士。731部隊の創設者として防疫活動や細菌戦の研究・実戦、人体実験を中国で行った。
千葉県立千葉高等学校から京都帝国大学への進学者      全国の京都帝国大学の出身者      芝山町の出身者      
6月25日生まれの人      1892年生まれの人
 96  大田実    長柄町    海軍兵学校へ進学Wikipedia
大田 實(おおた みのる、1891年(明治24年)4月7日 - 1945年(昭和20年)6月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。千葉県長生郡長柄町出身。
千葉県立千葉高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
4月7日生まれの人      1891年生まれの人


千葉県立長生高等学校の出身者
 97  柴勝男    海軍兵学校へ進学Wikipedia
柴 勝男(しば かつお、1901年9月4日 - 1970年1月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍大佐。旧姓・阿部。千葉県出身。
千葉県立長生高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
9月4日生まれの人      1901年生まれの人


千葉県立佐倉高等学校の出身者
 98  塚本素山    佐倉市Wikipedia
塚本 素山(つかもと そざん、1907年(明治40年)9月1日 - 1982年(昭和57年)4月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。千葉県出身。陸軍士官学校卒業。本名は塚本 清。
佐倉市の出身者      
9月1日生まれの人      1907年生まれの人
 99  檜貝襄治    佐倉市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
檜貝 嚢治(ひがい じょうじ、1906年(明治39年)11月20日 - 1943年(昭和18年)1月29日)は、日本の海軍軍人。海兵57期。太平洋戦争(大東亜戦争)時における爆撃機の名パイロットで霞空飛行隊長、七〇一空飛行長を歴任。檜貝式爆撃法を生み出し、ガダルカナル島夜間爆撃等を指揮、多大な戦果をもたらした。七〇五空飛行長の三原元一少佐とともに陸攻隊の双璧といわれた。レンネル島沖海戦において被弾後、敵艦へ突撃。戦死による二階級特進で最終階級は海軍大佐。
千葉県立佐倉高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      佐倉市の出身者      
11月20日生まれの人      1906年生まれの人


 100  赤井春海    佐倉市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
赤井 春海(あかい はるみ、1876年6月12日 - 1954年12月14日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
千葉県立佐倉高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      佐倉市の出身者      
6月12日生まれの人      1876年生まれの人
 101  桜井規矩之左右    佐倉市Wikipedia
桜井 規矩之左右(さくらい きくのぞう、嘉永元年6月6日(1848年7月6日) - 大正元年(1912年)11月27日)は、大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校3期。最終階級は海軍少将。海軍砲術学校長、巡洋艦「比叡」「松島」「千歳」「橋立」の艦長を歴任。
佐倉市の出身者      
6月6日生まれの人      1848年生まれの人
 102  大築尚志    佐倉市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
大築 尚志(おおつき たかゆき、1835年12月24日(天保6年11月5日) - 1900年(明治33年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、陸軍中将。幼名、保太郎(やすたろう)。
千葉県立佐倉高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      佐倉市の出身者      
12月24日生まれの人      1835年生まれの人
 103  吉見精    佐倉市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
吉見 精(よしみ せい、生年不明 - 1901年1月)は、日本の陸軍軍人。旧大日本帝国陸軍鉄道大隊の初代大隊長。旧佐倉藩士。千葉県出身。
千葉県立佐倉高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      佐倉市の出身者      
 104  桜井重寿Wikipedia未登録
軍人・旧大日本帝国陸軍少将・舞鶴要塞司令官
 105  兼坂隆    海軍兵学校へ進学Wikipedia未登録
軍人・旧大日本帝国海軍中将・装甲巡洋艦八雲艦長・大湊要港部司令官
千葉県立佐倉高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
 106  丹治寛雄    海軍兵学校へ進学Wikipedia未登録
軍人・旧大日本帝国海軍少将・防衛巡洋艦吉野艦長・横須賀海兵団長
千葉県立佐倉高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
 107  山崎嘉吉    海軍兵学校へ進学Wikipedia未登録
軍人・旧大日本帝国海軍大佐・隅田艦長
千葉県立佐倉高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
 108  湯村文男    海軍兵学校へ進学Wikipedia未登録
軍人・旧大日本帝国海軍大尉・第二特別陸戦隊第一中隊長
千葉県立佐倉高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
 109  林利房    海軍兵学校へ進学Wikipedia未登録
軍人・旧大日本帝国海軍・駆逐艦「橘」艦長
千葉県立佐倉高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
 110  園原雄三    海軍兵学校へ進学Wikipedia未登録
軍人・旧大日本帝国海軍少佐
千葉県立佐倉高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      


千葉県立成東高等学校の出身者
 111  高品彪    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
高品 彪(たかしな たけし、1891年1月25日 - 1944年7月28日)は、日本の陸軍軍人。陸士25期、陸大34期。最終階級は陸軍中将。
千葉県立成東高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1月25日生まれの人      1891年生まれの人


東海大学付属浦安高等学校の出身者
 112  栗原安秀    松江市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
栗原 安秀(くりはら やすひで、明治41年(1908年)11月17日 - 昭和11年(1936年)7月12日)は、日本の陸軍軍人、国家社会主義者。1936年2月26日に勃発した二・二六事件に参加した。磯部浅一に並ぶ急進派として知られる。最終階級は陸軍歩兵中尉。
東海大学付属浦安高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      松江市の出身者      
11月17日生まれの人      1908年生まれの人
 113  中橋基明    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
中橋 基明(なかはし もとあき、明治40年(1907年)9月25日 - 昭和11年(1936年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。
東海大学付属浦安高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月25日生まれの人      1907年生まれの人


筑波大学附属高等学校の出身者
 114  佐薙毅    海軍兵学校へ進学Wikipedia
佐薙 毅(さなぎ さだむ、1901年(明治34年)8月8日 - 1990年(平成2年)3月14日)は、日本の海軍軍人及び航空自衛官、第2代航空幕僚長。海軍の最終階級は海軍大佐。自衛隊の最終階級は航空幕僚長たる空将。
筑波大学附属高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
8月8日生まれの人      1901年生まれの人
 115  徳川宗敬    文京区    東京大学へ進学Wikipedia
徳川 宗敬(とくがわ むねよし、旧字体:德川 宗敬、1897年(明治30年)5月31日 - 1989年(平成元年)5月1日)は、日本の林学者、陸軍軍人、政治家、教育者、神職。階級は陸軍少尉。位階は従三位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終学歴は東京帝国大学農学部林学科卒業。学位は農学博士(東京帝国大学)。
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者      全国の東京大学の出身者      文京区の出身者      
5月31日生まれの人      1897年生まれの人
 116  亀井凱夫    海軍兵学校へ進学Wikipedia
亀井 凱夫(かめい よしお、1896年(明治29年)3月21日 - 1944年(昭和19年)8月10日)は、日本の海軍軍人で戦闘機搭乗員。津和野藩主・亀井氏の一族で、戸籍上は亀井貫一郎 の義兄となるが血縁上は実弟。革新官僚の毛里英於菟は義弟。吉良俊一に続き空母への着艦を成功させ、また夜間における空母着艦を成し遂げた。太平洋戦争において航空隊司令として歴戦し戦死。最終階級は海軍少将である。
筑波大学附属高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
3月21日生まれの人      1896年生まれの人
 117  大野竹二    海軍兵学校へ進学Wikipedia
大野 竹二(おおの たけじ、1894年10月1日 - 1976年12月18日)は、日本海軍の軍人。 戦艦「大和」第4代艦長。最終階級は海軍少将。
筑波大学附属高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月1日生まれの人      1894年生まれの人
 118  伊集院松治    千代田区    海軍兵学校へ進学Wikipedia
伊集院 松治(いじゅういん まつじ、1893年(明治26年)4月21日 - 1944年(昭和19年)5月24日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍中将。男爵。
筑波大学附属高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      千代田区の出身者      
4月21日生まれの人      1893年生まれの人
 119  徳川圀順    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
徳川 圀順(とくがわ くにゆき、1886年(明治19年)12月13日 - 1969年(昭和44年)11月17日)は、日本の華族、政治家、陸軍軍人。水戸徳川家第13代当主。貴族院議長、日本赤十字社社長を務める。階級は陸軍歩兵少尉、爵位は侯爵、のち公爵。徳川光圀以来編纂を続けていた歴史書『大日本史』を完成させる。字は子行、号は涛山、諡号は明公。
筑波大学附属高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
12月13日生まれの人      1886年生まれの人


 120  平田昇    海軍兵学校へ進学Wikipedia
平田 昇(ひらた のぼる、1885年12月1日 - 1958年5月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
筑波大学附属高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
12月1日生まれの人      1885年生まれの人
 121  永持源次    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
永持 源次(ながもち げんじ、1884年7月23日 - 1978年8月18日)は、日本の陸軍軍人、実業家。陸軍砲工学校長。最終階級は陸軍中将。
筑波大学附属高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
7月23日生まれの人      1884年生まれの人
 122  徳川好敏    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
徳川 好敏(とくがわ よしとし、1884年(明治17年)7月24日 - 1963年(昭和38年)4月17日)は、日本の陸軍軍人、華族。
筑波大学附属高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
7月24日生まれの人      1884年生まれの人
 123  穂積律之助    東京大学へ進学Wikipedia
穂積 律之助(ほずみ りつのすけ、1884年(明治17年)8月13日 – 1959年(昭和34年)2月23日)は、日本の工学者、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍造船少将。
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者      全国の東京大学の出身者      
8月13日生まれの人      1884年生まれの人
 124  有地十五郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
有地 十五郎(ありち じゅうごろう、1882年10月22日 - 1947年11月8日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
筑波大学附属高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月22日生まれの人      1882年生まれの人
 125  立見豊丸    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
立見 豊丸(たつみ とよまる、1880年(明治13年)1月28日 – 1942年(昭和17年)11月2日)は、大日本帝国陸軍軍人。貴族院子爵議員。陸軍政務次官。
筑波大学附属高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1月28日生まれの人      1880年生まれの人
 126  寺内寿一    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
寺内 寿一(てらうち ひさいち、旧字体: 寺內壽一、1879年(明治12年)8月8日 - 1946年(昭和21年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は元帥陸軍大将。勲等は勲一等。爵位は伯爵。山口県出身。
筑波大学附属高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
8月8日生まれの人      1879年生まれの人


東京都立日比谷高等学校の出身者
 127  尾崎中和    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
尾崎 中和(おざき なかかず、1919年8月9日 - 1943年12月27日)は、日本陸軍の軍人。死後、二階級特進し陸軍中佐。殉職の項目も参照。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
8月9日生まれの人      1919年生まれの人
 128  笹井醇一Wikipedia
笹井 醇一(ささい じゅんいち、1918年(大正7年)2月13日 - 1942年(昭和17年)8月26日)は、日本の海軍軍人。海兵67期。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少佐。太平洋戦争におけるエース・パイロット。
2月13日生まれの人      1918年生まれの人
 129  兼子正    海軍兵学校へ進学Wikipedia
兼子 正(かねこ ただし 1912年(明治45年)- 1942年(昭和17年)11月14日)は、日本の海軍軍人。空母艦上戦闘機搭乗員として、日中戦争及び太平洋戦争で撃墜王となる。ガダルカナルへの高速輸送船団の上空直衛の戦闘にて戦死。最終階級は海軍少佐。本籍は山形県西村山郡谷地町。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1912年生まれの人
 130  鈴木實    三原市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
鈴木 實(すずき みのる 1910年(明治43年)4月20日- 2001年(平成13年)10月28日)は、東京麹町生まれの大日本帝国海軍の軍人、実業家。旧海軍時代の最終階級は海軍中佐。本籍は新潟県岩船郡村上本町。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      三原市の出身者      
4月20日生まれの人      1910年生まれの人
 131  有坂秀世Wikipedia
有坂 秀世(ありさか ひでよ、1908年(明治41年)9月5日 - 1952年(昭和27年)3月13日)は、日本の言語学者、日本語学者。日本語の音韻史や音韻論に関して業績を遺した。上代特殊仮名遣に関する有坂の法則で知られる。父は軍人の有坂鉊蔵。
9月5日生まれの人      1908年生まれの人
 132  黒井明    海軍兵学校へ進学Wikipedia
黒井 明(くろい あきら、1903年(明治36年)5月27日 - 1933年(昭和8年)3月10日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。水上機機長としての不時着水時の行動で責任感の鑑と称えられた。のちに殉職し最終階級は海軍少佐。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
5月27日生まれの人      1903年生まれの人
 133  西竹一    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
西 竹一(にし たけいち、1902年7月12日 - 1945年3月22日)は、日本の陸軍軍人、華族(男爵)。最終階級は陸軍大佐。愛称・通称はバロン西(バロン・ニシ、Baron Nishi)。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
7月12日生まれの人      1902年生まれの人
 134  久邇邦久Wikipedia
久邇 邦久(くに くにひさ、1902年(明治35年)3月10日 - 1935年(昭和10年)3月4日)は、日本の華族、陸軍軍人。陸軍歩兵大尉。侯爵。久邇宮邦彦王の第二王子。香淳皇后の次兄。
3月10日生まれの人      1902年生まれの人
 135  牟田口格郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
牟田口 格郎(むたくち かくろう、1894年1月2日 - 1945年7月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1月2日生まれの人      1894年生まれの人
 136  野元為輝    海軍兵学校へ進学Wikipedia
野元 為輝(のもと ためき、1894年(明治27年)8月29日 - 1987年(昭和62年)12月19日)は、日本の海軍軍人。第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に空母・「瑞鶴」艦長として参戦した。最終階級は海軍少将。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
8月29日生まれの人      1894年生まれの人
 137  木下勇    米子市Wikipedia
木下 勇(きのした いさむ、1893年(明治26年)11月4日 - 1945年(昭和20年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。最後の功一級金鵄勲章受章者。
米子市の出身者      
11月4日生まれの人      1893年生まれの人
 138  村田孝生    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
村田 孝生(むらた たかお/たかいき、1893年10月6日 - 1953年4月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月6日生まれの人      1893年生まれの人
 139  小林謙五    海軍兵学校へ進学Wikipedia
小林 謙五(こばやし けんご、1893年3月22日 - 1948年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
3月22日生まれの人      1893年生まれの人


 140  三浦三郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
三浦 三郎(みうら さぶろう、1893年3月26日 - 1974年10月17日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。関東憲兵隊司令官。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月26日生まれの人      1893年生まれの人
 141  酒井康    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
酒井 康(さかい やすし、1892年3月11日 - 1986年8月1日)は、日本の陸軍軍人。第17師団長・留守第56師団長・陸軍兵器本部企画部長等を歴任し、階級は陸軍中将勲一等に至る。東京府出身。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月11日生まれの人      1892年生まれの人
 142  千田貞季    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
千田貞季(せんだ さだすえ 1892年12月16日 - 1945年3月8日)は、大日本帝国陸軍の軍人。栄典は従四位勲二等功四級。士候26期。栗林忠道大将とは同期。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
12月16日生まれの人      1892年生まれの人
 143  須藤栄之助    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
須藤 栄之助(すどう えいのすけ、1891年9月24日 - 1969年1月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月24日生まれの人      1891年生まれの人
 144  田中信男    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
田中 信男(たなか のぶお、1891年(明治24年)10月30日 - 1966年(昭和41年)12月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月30日生まれの人      1891年生まれの人
 145  志摩清英    海軍兵学校へ進学Wikipedia
志摩清英(しま きよひで 1890年(明治23年)2月25日 - 1973年(昭和48年)11月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
2月25日生まれの人      1890年生まれの人
 146  千田貞敏    海軍兵学校へ進学Wikipedia
千田 貞敏(せんだ さだとし、1890年7月22日 - 1944年12月25日戦死認定)は、日本海軍の軍人。ビアク島の戦いにて戦死。戦死後、一階級進級し海軍中将。正四位勲二等旭日重光章。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
7月22日生まれの人      1890年生まれの人
 147  多田武雄    海軍兵学校へ進学Wikipedia
多田 武雄(ただ たけお、1890年10月7日 - 1953年3月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月7日生まれの人      1890年生まれの人
 148  三木森彦    海軍兵学校へ進学Wikipedia
三木 森彦(みき もりひこ、 1890年(明治23年)5月21日 - 1973年(昭和48年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。東京都目黒区出身。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
5月21日生まれの人      1890年生まれの人
 149  笠原幸雄    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
笠原 幸雄(かさはら ゆきお、1889年(明治22年)11月6日 - 1988年(昭和63年)1月2日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。ロシア通の参謀として知られていた。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月6日生まれの人      1889年生まれの人
 150  桑原虎雄    海軍兵学校へ進学Wikipedia
桑原 虎雄(くわばら とらお、1887年(明治20年)10月26日 - 1975年(昭和50年)6月5日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月26日生まれの人      1887年生まれの人
 151  松田竹太郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
松田 竹太郎(まつだ たけたろう、1887年(明治20年)1月16日 - 1944年(昭和19年)5月8日)は、日本の工学者・海軍軍人。最終階級は、海軍少将。 東京府立工業奨励館・東京商工奨励館館長などを歴任。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1月16日生まれの人      1887年生まれの人
 152  長崎守一    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
長崎 守一(ながさき もりいち、1886年(明治19年)9月12日 - 1968年(昭和43年)6月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。士候21期。阿部平輔陸軍中将、冨永信政陸軍大将、石原莞爾陸軍中将とは同期。栄典は従四位勲二等功四級。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月12日生まれの人      1886年生まれの人
 153  有馬寛    海軍兵学校へ進学Wikipedia
有馬 寛(ありま ゆたか、1885年2月14日 - 1951年1月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
2月14日生まれの人      1885年生まれの人
 154  国府尽平    海軍兵学校へ進学Wikipedia
國府 尽平(こうの じんぺい、1885年(明治18年) - 1956年(昭和31年)4月30日)は、日本の海軍軍人、医師。海軍中佐で予備役となった[注 1]のち、医学博士号を取得した。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1885年生まれの人
 155  鹿子木員信Wikipedia
鹿子木 員信(かのこぎ かずのぶ、1884年(明治17年)11月3日 - 1949年(昭和24年)12月23日)は、日本の哲学者、海軍軍人。最終階級は海軍機関中尉。
11月3日生まれの人      1884年生まれの人
 156  加藤隆義    海軍兵学校へ進学Wikipedia
加藤 隆義(かとう たかよし、明治16年(1883年)3月20日 - 昭和30年(1955年)2月10日)は、大正から昭和期の日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍大将。子爵。広島県出身で旧姓は船越。同郷の加藤友三郎元帥から養子に迎えられ、以後加藤姓を名乗る。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
3月20日生まれの人      1883年生まれの人
 157  井上継松    海軍兵学校へ進学Wikipedia
井上 継松(いのうえ つぐまつ、1883年5月 - 1966年12月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1883年生まれの人
 158  宇佐美興屋    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
宇佐美 興屋(うさみ おきいえ、1883年1月27日 - 1970年9月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1月27日生まれの人      1883年生まれの人
 159  山岡重厚    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
山岡 重厚(やまおか しげあつ、1882年(明治15年 )11月17日 - 1954年(昭和29年 )3月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月17日生まれの人      1882年生まれの人


 160  渋谷伊之彦    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
渋谷 伊之彦(しぶや いのひこ、1881年11月14日 - 1935年12月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月14日生まれの人      1881年生まれの人
 161  藤田尚徳Wikipedia
藤田 尚徳(ふじた ひさのり、1880年(明治13年)10月30日 - 1970年(昭和45年)7月23日)は、日本の海軍軍人、神職、侍従長。軍人としての最終階級は海軍大将。
10月30日生まれの人      1880年生まれの人
 162  畑俊六    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
畑 俊六(はた しゅんろく、1879年(明治12年)7月26日 - 1962年(昭和37年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は従二位勲一等功一級。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
7月26日生まれの人      1879年生まれの人
 163  平賀譲Wikipedia
平賀 譲(ひらが ゆずる、1878年(明治11年)3月8日 - 1943年(昭和18年)2月17日)は、日本の海軍軍人、工学者、華族。海軍技術中将従三位男爵、東京帝大総長、工学博士。東京府(現・東京都)生まれ、本籍地は広島県広島市。父は芸州藩士から維新政府に仕えた主計官。兄・徳太郎は海軍軍人。
3月8日生まれの人      1878年生まれの人
 164  本城嘉守    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
本城 嘉守(ほんじょう よしもり、1877年(明治10年) - 1960年(昭和35年))は、日本の陸軍軍人、政治家。初代徳山市長(現・周南市)。父に本城宣馬。徳山七士の一人本城清は祖父にあたる。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1877年生まれの人
 165  木原清    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
木原 清(きはら きよし、1876年(明治9年)4月25日 - 1940年(昭和15年)9月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
4月25日生まれの人      1876年生まれの人
 166  阿部信行    金沢市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
阿部 信行(あべ のぶゆき、1875年(明治8年)11月24日 - 1953年(昭和28年)9月7日)は、日本の陸軍軍人、政治家。 陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期(恩賜)、陸軍大将。位階は正二位。勲等は勲一等。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月24日生まれの人      1875年生まれの人
 167  石井常造    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
石井 常造(いしい つねぞう、1875年(明治8年)1月2日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人、生気研究者。基隆要塞司令官を務めた陸軍少将で、また生気自強療法を唱え生気の医療への応用を図った。従四位勳三等功四級。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1月2日生まれの人      1875年生まれの人
 168  南次郎    豊後高田市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
南 次郎(みなみ じろう、1874年(明治7年)8月10日 - 1955年(昭和30年)12月5日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正二位勲一等功四級。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      豊後高田市の出身者      
8月10日生まれの人      1874年生まれの人
 169  伊藤安吉    海軍兵学校へ進学Wikipedia
伊藤 安吉(いとう やすきち、1873年(明治6年)5月14日 - 1951年(昭和26年)9月15日)は、日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍造機少将、貴族院男爵議員。
東京都立日比谷高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
5月14日生まれの人      1873年生まれの人
 170  磯村年    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
磯村 年(いそむら とし、明治5年9月(1872年10月頃) - 1961年(昭和36年)9月12日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1872年生まれの人
 171  安満欽一    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
安満 欽一(やすみつ きんいち、1871年4月2日(明治4年2月13日) - 1960年10月24日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
4月2日生まれの人      1871年生まれの人
 172  千田嘉平    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
千田 嘉平(せんだ かへい、1871年10月12日(明治4年8月28日)- 1943年(昭和18年)2月18日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。陸軍少将、貴族院男爵議員。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月12日生まれの人      1871年生まれの人
 173  阿南惟晟    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
阿南 惟晟(あなみ これあきら)は日本の軍人。太平洋戦争末期の陸軍大臣・阿南惟幾の次男。1941年東京府立第一中学校を卒業した後に[要出典]陸軍士官学校に入学。同校の56期卒業生。
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      


東京都立戸山高等学校の出身者
 174  岡村正Wikipedia
岡村 正(おかむら ただし、1938年7月26日 - )は、日本の経営者・財界人。東芝相談役、日本商工会議所名誉会頭、NPO法人日本防災士機構評議員などを務めている。父は元陸軍大佐で孫子研究家の岡村誠之 (陸軍軍人)。兄は元警視庁副総監の岡村健。
7月26日生まれの人      1938年生まれの人
 175  村上兵衛    浜田市Wikipedia
村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12月6日 - 2003年(平成15年)1月6日)は日本の陸軍軍人、評論家、作家。本名は宏城(ひろき)。兄は武藤電機創業者の村上稔夫。
浜田市の出身者      
12月6日生まれの人      1923年生まれの人
 176  西尾常三郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
西尾 常三郎(にしお つねさぶろう、大正5年(1916年)7月2日 - 昭和19年(1944年)11月13日)は、大日本帝国陸軍軍人。陸軍少佐だったが特別攻撃隊に志願、富嶽隊隊長として特攻、戦死。二階級特進により大佐となる。正七位、勲三等、功二級。
東京都立戸山高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
7月2日生まれの人      1916年生まれの人
 177  林八郎Wikipedia
林 八郎(はやし はちろう、1914年(大正3年)9月5日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人、皇道派。最終階級は陸軍少尉。二・二六事件で反乱部隊の首相官邸襲撃指揮官。
9月5日生まれの人      1914年生まれの人
 178  緒方景俊    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
緒方 景俊(おがた かげとし、1913年(大正2年)9月1日 - 1982年(昭和57年)12月26日)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官、第8代航空幕僚長。
東京都立戸山高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月1日生まれの人      1913年生まれの人
 179  城野宏Wikipedia
城野 宏(じょうの ひろし、1913年8月31日 - 1985年12月21日)は、敗戦後中国共産党と戦い禁固刑を受けた陸軍軍人で、のち評論家。
8月31日生まれの人      1913年生まれの人


 180  野中五郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
野中 五郎(のなか ごろう、1910年(明治43年)11月18日 - 1945年(昭和20年)3月21日)は、日本の海軍軍人。特攻兵器「桜花」を擁する神雷部隊指揮官として九州沖航空戦に参加。最終階級は戦死による二階級特進で海軍大佐。海兵61期卒。
東京都立戸山高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
11月18日生まれの人      1910年生まれの人
 181  鈴木英    海軍兵学校へ進学Wikipedia
鈴木 英(すずき すぐる、1908年(明治41年) 4月1日 - 1985年(昭和60年)9月18日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。太平洋戦争において軍令部作戦課員などを務め、戦後は海上自衛隊に入隊。最終階級は日本海軍では海軍中佐、海自では海将。父は鈴木孝雄陸軍大将で、その次男。妻は岡田啓介首相の娘、喜美子。
東京都立戸山高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
4月1日生まれの人      1908年生まれの人
 182  松田武    東京大学へ進学Wikipedia
松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 - 1988年(昭和63年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、旧軍需省官僚、実業家である。第4代航空幕僚長。
東京都立戸山高等学校から東京大学への進学者      全国の東京大学の出身者      
8月3日生まれの人      1906年生まれの人
 183  野中四郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
野中 四郎(のなか しろう、1903年(明治36年)10月27日 - 1936年(昭和11年)2月29日)は、日本の陸軍軍人。
東京都立戸山高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月27日生まれの人      1903年生まれの人
 184  松村知勝    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
松村 知勝(まつむら ともかつ、1899年(明治32年)10月13日 - 1979年(昭和54年)5月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
東京都立戸山高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月13日生まれの人      1899年生まれの人
 185  沖野亦男    海軍兵学校へ進学Wikipedia
沖野 亦男(おきの またお、1898年(明治31年)7月27日 - 1978年(昭和53年)3月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 中国勤務が長く"海軍の長江男"と異名があった中華民国専門家である。第二次世界大戦で片足を失い捕虜となる。戦後は傷痍軍人会の創設、障害者スポーツの振興に尽力した。傷痍軍人会専務理事、世界歴戦者連盟(WVF - World Veterans Federation)理事。
東京都立戸山高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
7月27日生まれの人      1898年生まれの人
 186  伏見宮博義王    海軍兵学校へ進学Wikipedia
博義王(ひろよしおう、1897年(明治30年)12月8日 - 1938年(昭和13年)10月19日)は、明治・大正期の伏見宮家の皇族、海軍軍人。 最終階級は海軍大佐[3]。 伏見宮第25代当主の伏見宮博恭王第1王子[4]。伏見宮の継承はしていないが、伏見宮博義王と通称されることもある[5][6]。
東京都立戸山高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
12月8日生まれの人      1897年生まれの人
 187  横井忠雄    海軍兵学校へ進学Wikipedia
横井 忠雄(よこい ただお、1895年(明治28年)3月6日 - 1965年(昭和40年)9月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。大分県大分市出身。
東京都立戸山高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
3月6日生まれの人      1895年生まれの人
 188  本郷義夫    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
本郷 義夫(ほんごう よしお、1892年3月20日 - 1962年6月28日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。
東京都立戸山高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月20日生まれの人      1892年生まれの人
 189  戸塚道太郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
戸塚 道太郎(とづか みちたろう、1890年(明治23年)4月21日 - 1966年(昭和41年)3月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
東京都立戸山高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
4月21日生まれの人      1890年生まれの人
 190  佐藤市郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
佐藤 市郎(さとう いちろう、1889年(明治22年)8月28日 - 1958年(昭和33年)4月14日)は、日本の海軍軍人、歴史家。最終階級は海軍中将。共に内閣総理大臣を務めた岸信介、佐藤栄作兄弟の実兄である。
東京都立戸山高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
8月28日生まれの人      1889年生まれの人
 191  吉本貞一    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
吉本 貞一(よしもと ていいち、1887年3月23日 - 1945年9月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
東京都立戸山高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月23日生まれの人      1887年生まれの人
 192  大島浩    恵那市Wikipedia
大島 浩(おおしま ひろし、1886年(明治19年)4月19日 - 1975年(昭和50年)6月6日)は、日本の昭和期の陸軍軍人である。最終階級は陸軍中将。
恵那市の出身者      
4月19日生まれの人      1886年生まれの人
 193  渡久雄    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
渡 久雄(わたり ひさお、1885年(明治18年)10月7日 - 1939年(昭和14年)1月2日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
東京都立戸山高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月7日生まれの人      1885年生まれの人
 194  東條英機    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。現在の百科事典や教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い[注 3]。軍人および政治家として関東軍参謀長(第10代)、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第50-52代)、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第64代)、外務大臣(第66代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第25代)、軍需大臣(初代)などを歴任した。
東京都立戸山高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
7月30日生まれの人      1884年生まれの人
 195  安藤三郎Wikipedia
安藤 三郎(あんどう さぶろう、1883年12月24日 - 1963年8月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
12月24日生まれの人      1883年生まれの人
 196  谷寿夫    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
谷 寿夫(たに ひさお、1882年(明治15年)12月23日 - 1947年(昭和22年)4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
東京都立戸山高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
12月23日生まれの人      1882年生まれの人
 197  石原忍Wikipedia
石原 忍(いしはら しのぶ、1879年9月25日 - 1963年1月3日)は、日本の医学者、眼科医、陸軍軍人(最終階級は軍医少将)。東京帝国大学教授。東京府生まれ。石原式色覚異常検査表視力検査表の考案者。視力、色覚、屈折異常など、機能検査表の研究をはじめ、先天性全色盲の発見、この分野の先駆者となった。最初の色神検査表は1929年の第13回国際眼科学会で国際的に認定された。
9月25日生まれの人      1879年生まれの人
 198  小野寺長治郎Wikipedia
小野寺 長治郎(おのでら ちょうじろう、1875年(明治8年)3月24日 - 1939年(昭和14年)2月7日)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍主計中将。貴族院議員。
3月24日生まれの人      1875年生まれの人


東京都立新宿高等学校の出身者
 199  志位正二Wikipedia
志位 正二(しい まさつぐ、1920年1月1日 - 1973年3月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。
1月1日生まれの人      1920年生まれの人


 200  津野田知重Wikipedia
津野田 知重(つのだ ともしげ、1917年(大正6年)2月1日 - 1987年7月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は歩兵少佐。熊本県出身。
2月1日生まれの人      1917年生まれの人
 201  池田俊彦Wikipedia
池田 俊彦(いけだ としひこ、1914年12月24日 - 2002年3月1日)は、昭和期の陸軍軍人。最終階級は陸軍少尉。二・二六事件に参加して首相官邸を襲撃した8人の将校の中でただ一人無期禁固の判決を受けて、唯一死刑を免れた人物として知られる。
12月24日生まれの人      1914年生まれの人
 202  小林友一Wikipedia
小林 友一(こばやし ゆういち、1914年10月12日 - 1984年3月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。
10月12日生まれの人      1914年生まれの人
 203  ジョンジュルジャブWikipedia
ジョンジュルジャブ(漢字:正珠爾扎布、1906年 - 1967年11月)は、満州国軍の軍人。モンゴル人。満蒙独立運動で戦死したバボージャブの三男で、日本で教育を受けたのち軍人となる。1945年8月のソ連参戦後、ハイラル市郊外で叛乱を起こし日系軍官を多数殺害した。最終階級は陸軍少将。日本名は“川島成信”、“田中正”。ジョンジュルジャップとも。
1906年生まれの人


東京都立両国高等学校の出身者
 204  大西新蔵Wikipedia
大西 新蔵(おおにし しんぞう、1892年(明治25年)7月17日 - 1988年(昭和63年)1月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
7月17日生まれの人      1892年生まれの人
 205  江崎岩吉    東京大学へ進学Wikipedia
江崎 岩吉(えさき いわきち、1890年12月1日 - 1986年1月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍技術中将。
東京都立両国高等学校から東京大学への進学者      全国の東京大学の出身者      
12月1日生まれの人      1890年生まれの人
 206  櫛淵セン一Wikipedia
櫛淵 鍹一(くしぶち せんいち、1890年(明治23年)12月5日 - 1964年(昭和39年)9月20日)は、日本の陸軍軍人。第34軍司令官・第28師団長・軍馬補充部本部長等を歴任し、階級は陸軍中将功三級に至る。※櫛淵せん一 の「せん」の字は「金偏」に「宣」の字をつけた文字。
12月5日生まれの人      1890年生まれの人


東京都立小山台高等学校の出身者
 207  冨士信夫Wikipedia
冨士 信夫(ふじ のぶお、1917年8月 - 2005年1月24日)は、日本の歴史家、海軍軍人。東京裁判(極東国際軍事裁判)研究家。
1917年生まれの人


暁星高等学校の出身者
 208  来栖良    横浜国立大学へ進学Wikipedia
来栖 良(くるす りょう、1919年1月8日 - 1945年2月17日)は、日本の陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍技術少佐。
暁星高等学校から横浜国立大学への進学者      全国の横浜国立大学の出身者      
1月8日生まれの人      1919年生まれの人
 209  松平永芳    海軍機関学校へ進学Wikipedia
松平永芳(まつだいら ながよし 1915年(大正4年)3月21日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、日本の海軍軍人、陸上自衛官、神官。靖国神社第6代宮司(1978年 - 1992年)時代には、A級戦犯の合祀を実施したことで知られる。
暁星高等学校から海軍機関学校への進学者      全国の海軍機関学校の出身者      
3月21日生まれの人      1915年生まれの人
 210  山本信次郎    藤沢市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
山本 信次郎(やまもと しんじろう、1877年(明治10年)12月22日 - 1942年(昭和17年)2月28日)は日本の海軍軍人、カトリック教会信徒。最終階級は海軍少将、正三位勲二等功五級。
暁星高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      藤沢市の出身者      
12月22日生まれの人      1877年生まれの人


麻布高等学校の出身者
 211  松野頼三    山鹿市    慶應義塾大学へ進学Wikipedia
松野 頼三(まつの らいぞう、1917年(大正6年)2月12日 - 2006年(平成18年)5月10日)は、日本の政治家。軍人時代の最終階級は海軍主計少佐。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。総理府総務長官、労働大臣、防衛庁長官、農林大臣を歴任した。長男に松野頼久(政治家)、孫娘に松野未佳(2016年ミス日本グランプリ)がいる。
麻布高等学校から慶應義塾大学への進学者      全国の慶應義塾大学の出身者      山鹿市の出身者      
2月12日生まれの人      1917年生まれの人
 212  中島親孝Wikipedia
中島 親孝(なかじま ちかたか、1905年(明治38年)5月28日 - 1992年(平成4年)5月31日)は、日本の海軍軍人。海兵54期。最終階級は海軍中佐。
5月28日生まれの人      1905年生まれの人
 213  福地誠夫Wikipedia
福地 誠夫(ふくち のぶお、1904年(明治37年)2月14日 - 2007年(平成19年)7月26日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は日本海軍では海軍大佐、海上自衛隊では海将。退官後は記念艦「三笠」艦長を務めた。
2月14日生まれの人      1904年生まれの人
 214  井桁敬治Wikipedia
井桁 敬治(いげた けいじ、1894年7月13日 - 1944年7月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
7月13日生まれの人      1894年生まれの人
 215  小須田勝造Wikipedia
小須田 勝造(こすだ かつぞう、1886年2月20日 - 1977年12月26日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍中将。
2月20日生まれの人      1886年生まれの人
 216  畑英太郎    慶應義塾大学へ進学Wikipedia
畑 英太郎(はた えいたろう、1872年8月28日(明治5年7月25日) - 1930年5月31日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。
麻布高等学校から慶應義塾大学への進学者      全国の慶應義塾大学の出身者      
8月28日生まれの人      1872年生まれの人
 217  丹生誠忠 Wikipedia未登録
日本陸軍軍人、陸軍中尉、二・二六事件で決起昭和2年卒


海城高等学校の出身者
 218  黒島亀人     呉市Wikipedia
黒島 亀人(くろしま かめと、1893年(明治26年)10月10日 - 1965年(昭和40年)10月20日)は、日本の海軍軍人。海兵44期卒業。最終階級は海軍少将。
呉市の出身者      
10月10日生まれの人      1893年生まれの人
 219  和田秀穂Wikipedia
和田 秀穂(わだ ひでほ、1886年1月2日 - 1972年4月3日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
1月2日生まれの人      1886年生まれの人


 220  百武源吾Wikipedia
百武 源吾(ひゃくたけ げんご、1882年(明治15年)1月28日 - 1976年(昭和51年)1月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第7代九州帝国大学総長。佐賀県出身。兄・三郎と源吾は海軍兵学校を首席卒業し、ともに海軍大将となった日本海軍史上唯一の兄弟である。
1月28日生まれの人      1882年生まれの人
 221  中島今朝吾Wikipedia
中島 今朝吾(なかしま けさご、1881年6月15日 - 1945年10月28日)は、日本の陸軍軍人。第16師団師団長、第4軍司令官、階級は陸軍中将。
6月15日生まれの人      1881年生まれの人
 222  左近司政三Wikipedia
左近司 政三(さこんじ せいぞう、1879年(明治12年)6月27日 - 1969年(昭和44年)8月30日)は、日本の海軍軍人。政治家。最終階級は海軍中将。第3次近衛文麿内閣の商工大臣。鈴木貫太郎内閣の国務大臣。
6月27日生まれの人      1879年生まれの人
 223  野村吉三郎    早稲田大学へ進学Wikipedia
野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1877年(明治10年)12月16日 - 1964年(昭和39年)5月8日)は、昭和初期に活躍した日本の海軍軍人、外交官、政治家。和歌山県和歌山市出身。位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級。
海城高等学校から早稲田大学への進学者      全国の早稲田大学の出身者      
12月16日生まれの人      1877年生まれの人
 224  小林躋造    広島市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
小林 躋造(こばやし せいぞう、1877年(明治10年)10月1日 - 1962年(昭和37年)7月4日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。小磯國昭内閣の国務大臣。広島県広島市出身。
海城高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      広島市の出身者      
10月1日生まれの人      1877年生まれの人
 225  四竈孝輔Wikipedia
四竈 孝輔(しかま こうすけ、1876年10月26日 - 1937年12月12日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。宮城県仙台市出身。
10月26日生まれの人      1876年生まれの人


成城高等学校の出身者
 226  市岡寿    海軍兵学校へ進学Wikipedia
市岡 寿(いちおか ひさし、1893年5月26日 - 1963年2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
成城高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
5月26日生まれの人      1893年生まれの人
 227  瀬谷啓    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
瀬谷 啓(せや ひらく、明治22年(1889年)10月3日 - 昭和29年(1954年)5月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月3日生まれの人      1889年生まれの人
 228  矢野機    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
矢野 機(やの はかる、1887年3月27日 - 1992年2月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月27日生まれの人      1887年生まれの人
 229  塚田攻    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
塚田 攻(つかだ おさむ、1886年7月14日 - 1942年12月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
7月14日生まれの人      1886年生まれの人
 230  小沢治三郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
小沢 治三郎(小澤 治三郎, おざわ じさぶろう、1886年(明治19年)10月2日 - 1966年(昭和41年)11月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校37期生。第31代となる最後の連合艦隊司令長官を務めた。
成城高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月2日生まれの人      1886年生まれの人
 231  蓮沼蕃    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
蓮沼 蕃(はすぬま しげる、1883年3月26日 - 1954年2月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、勲等は勲一等功二級。石川県出身。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月26日生まれの人      1883年生まれの人
 232  山田乙三    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
山田 乙三(やまだ おとぞう、1881年(明治14年)11月6日 - 1965年(昭和40年)7月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月6日生まれの人      1881年生まれの人
 233  乃木保典    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
乃木 保典(のぎ やすすけ、1881年(明治14年)12月16日 - 1904年(明治37年)11月30日)は、明治期の日本の陸軍軍人で陸軍大将・乃木希典、静子夫妻の次男。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
12月16日生まれの人      1881年生まれの人
 234  竹垣純信Wikipedia
竹垣 純信(たけがき すみのぶ/じゅんしん、1881年(明治14年)2月 - 1917年(大正6年)6月11日)は、日本の海軍軍人。 第一次世界大戦で第11駆逐隊機関長を務め、地中海で戦死した機関中佐である。
1881年生まれの人
 235  寺内寿一    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
寺内 寿一(てらうち ひさいち、旧字体: 寺內壽一、1879年(明治12年)8月8日 - 1946年(昭和21年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は元帥陸軍大将。勲等は勲一等。爵位は伯爵。山口県出身。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
8月8日生まれの人      1879年生まれの人
 236  秦真次    皇學館大学へ進学Wikipedia
秦 真次(はた しんじ、1879年4月6日 - 1950年2月24日)は、日本の陸軍軍人、神職。最終階級は陸軍中将。
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4月6日生まれの人      1879年生まれの人
 237  乃木勝典Wikipedia
乃木 勝典(のぎ かつすけ、1879年(明治12年)8月28日 - 1904年(明治37年)5月27日))は、明治時代の陸軍軍人で、乃木希典・静子夫妻の長男。戦死時の階級は陸軍歩兵少尉。戦死による一階級特進により、最終階級は陸軍歩兵中尉。
8月28日生まれの人      1879年生まれの人
 238  松井石根    名古屋市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
松井 石根(まつい いわね、明治11年(1878年)7月27日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。荒尾精の信奉者として、「日中提携」「アジア保全」の運動に生涯をかけたが、ポツダム宣言受諾後、「南京事件」の責任を問われて極東国際軍事裁判(東京裁判)にて死刑判決(B級戦犯)を受け、処刑された。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      名古屋市の出身者      
7月27日生まれの人      1878年生まれの人
 239  厚東篤太郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
厚東 篤太郎(こうとう とくたろう、1878年7月22日 - 1958年9月18日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
7月22日生まれの人      1878年生まれの人


 240  林仙之    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
林 仙之(はやし なりゆき、1877年1月5日 - 1944年5月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1月5日生まれの人      1877年生まれの人
 241  松木直亮    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
松木 直亮(まつき なおすけ、1876年11月5日 - 1940年5月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月5日生まれの人      1876年生まれの人
 242  緒方勝一    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
緒方 勝一(おがた しょういち、1875年1月25日 - 1960年12月28日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1月25日生まれの人      1875年生まれの人
 243  福田彦助    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
福田 彦助(ふくだ ひこすけ、1875年11月5日 - 1959年7月30日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月5日生まれの人      1875年生まれの人
 244  町野武馬Wikipedia
町野 武馬(まちの たけま、1875年(明治8年)11月16日 - 1968年(昭和43年)1月10日)は、日本の陸軍軍人、政治家。張作霖の顧問を務め、最終階級は陸軍大佐。衆議院議員。戦後再建された大日本武徳会会長。
11月16日生まれの人      1875年生まれの人
 245  南次郎    豊後高田市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
南 次郎(みなみ じろう、1874年(明治7年)8月10日 - 1955年(昭和30年)12月5日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正二位勲一等功四級。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      豊後高田市の出身者      
8月10日生まれの人      1874年生まれの人
 246  久邇宮邦彦王    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年(明治6年)7月23日 - 1929年(昭和4年)1月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人。階級及び位階勲等は軍事参議官、陸軍大将、大勲位、功四級。贈元帥、贈大勲位菊花章頸飾。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
7月23日生まれの人      1873年生まれの人
 247  金谷範三    豊後高田市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
金谷 範三(かなや はんぞう、1873年4月24日 - 1933年6月6日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      豊後高田市の出身者      
4月24日生まれの人      1873年生まれの人
 248  菱刈隆    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
菱刈 隆(ひしかり たか、1871年12月27日(明治4年11月16日) - 1952年(昭和27年)7月31日)は、日本陸軍の軍人、外交官。最終階級は陸軍大将。栄典は勲一等功五級。幼名、幸吉。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
12月27日生まれの人      1871年生まれの人
 249  国司伍七    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
国司 伍七(くにし ごしち、1870年6月24日(明治3年5月26日) - 1939年10月25日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
6月24日生まれの人      1870年生まれの人
 250  鈴木孝雄    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
鈴木 孝雄(すずき たかお、明治2年10月29日(1869年12月2日) - 1964年(昭和39年)1月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は勲一等功三級。砲兵監・第14師団長・陸軍技術本部長・軍事参議官を歴任。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月29日生まれの人      1869年生まれの人
 251  宇垣一成    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
宇垣 一成(うがき かずしげ、慶応4年6月21日(1868年8月9日) - 昭和31年(1956年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
6月21日生まれの人      1868年生まれの人
 252  蔡鍔    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
蔡 鍔(さい がく)は、清末民初の軍人。中華民国の初代雲南都督。袁世凱による帝制実施を阻止するため、護国戦争を発動したことでも知られる。原名は艮寅、字は松坡。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
 253  胡景翼Wikipedia
胡 景翼(こ けいよく)は、清末民初の軍人・革命家。中国同盟会に属した革命派人士。中華民国が成立した後は、北京政府、直隷派、国民軍の軍人となった。一時は靖国軍として南方政府(護法軍政府)に属したこともある。字は励生、笠僧、立生。号は中山。
 254  許崇智    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
許 崇智(きょ すうち)は清末民初の軍人・政治家。主に初期の中国国民党における有力な軍指揮官であった。字は汝為。祖父と父は福建省で通判をつとめ、一族の許応騤は、清末の閩浙総督である。親族には、堂兄(父方の従兄)で軍人・政治家の許崇灝、堂弟(父方の従弟)で国立中山大学校長などをつとめた教育者の許崇清などがいる。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
 255  藍天蔚    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
藍 天蔚(らん てんい)は清末民初の軍人。北洋系に属し、同時に革命派の士官として知られる。字は秀豪。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
 256  盧金山    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
盧 金山(ろ きんざん)は清末民初の軍人。北洋系の軍人で、後に北京政府、直隷派に属した。字は貢庭。
成城高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      


早稲田高等学校の出身者
 257  和田操Wikipedia
和田 操(わだ みさお、1889年12月6日 - 1981年11月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
12月6日生まれの人      1889年生まれの人
 258  岡村寧次Wikipedia
岡村 寧次(おかむら やすじ、1884年(明治17年)5月15日 - 1966年(昭和41年)9月2日)は、日本の陸軍軍人。支那派遣軍総司令官、北支那方面軍司令官、第11軍司令官等を歴任し、官位は陸軍大将勲一等功一級に昇る。父は江戸幕府に仕えた岡村寧永。元妻の星野理枝と死別した後、貴族院議員・加藤宇兵衛の娘と再婚する。陸軍三羽烏の一人。
5月15日生まれの人      1884年生まれの人


京華高等学校の出身者
 259  赤松貞雄    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
赤松 貞雄(あかまつ さだお、明治33年(1900年)5月21日 - 昭和57年(1982年)8月16日)は、日本の陸軍軍人。東條英機大将の、陸相秘書官・首相秘書官として知られる。階級は陸軍大佐。小松崎力雄陸軍少将は兄。
京華高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
5月21日生まれの人      1900年生まれの人


 260  那須弓雄    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
那須 弓雄(なす ゆみお、1892年6月27日 - 1942年10月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
京華高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
6月27日生まれの人      1892年生まれの人
 261  安江仙弘    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
安江 仙弘(やすえ のりひろ、1888年1月12日 - 1950年8月14日)は、日本陸軍の軍人、最終階級は陸軍大佐。
京華高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1月12日生まれの人      1888年生まれの人


東洋大学京北高等学校の出身者
 262  高田利種    海軍兵学校へ進学Wikipedia
高田 利種(たかだ としたね、1895年1月15日 - 1987年10月25日)は、日本海軍の軍人、実業家。海兵45期、海大28期。最終階級は海軍少将。戦後は生化学工業株式会社社長。
東洋大学京北高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1月15日生まれの人      1895年生まれの人
 263  鈴木貞一    芝山町    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
鈴木 貞一(すずき ていいち、1888年(明治21年)12月16日 - 1989年(平成元年)7月15日)は、日本の軍人、陸軍中将。千葉県出身。通称「背広を着た軍人」。「三奸四愚」と呼ばれた東條英機側近三奸の一人とされる。
東洋大学京北高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      芝山町の出身者      
12月16日生まれの人      1888年生まれの人


攻玉社高等学校の出身者
 264  石川信吾Wikipedia
石川 信吾(いしかわ しんご、1894年(明治27年)1月1日 - 1964年(昭和39年)12月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。通称不規弾。
1月1日生まれの人      1894年生まれの人
 265  岡敬純Wikipedia
岡 敬純(おか たかずみ、1890年(明治23年)2月11日 - 1973年(昭和48年)12月4日)は、昭和の海軍軍人、海軍中将、海兵39期、海大21期。
2月11日生まれの人      1890年生まれの人
 266  高橋三吉Wikipedia
高橋 三吉(たかはし さんきち、明治15年(1882年)8月24日 - 昭和41年(1966年)6月15日)は、大正から昭和期の日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。
8月24日生まれの人      1882年生まれの人
 267  金子養三Wikipedia
金子 養三(かねこ ようぞう、1882年(明治15年)6月11日 - 1941年(昭和16年)12月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。日本海軍の最初期の搭乗員で、また搭乗員経験者として最初の将官となった。日本海軍飛行機の元祖、また海鷲育ての親ともいわれる人物である。
6月11日生まれの人      1882年生まれの人
 268  藤田尚徳Wikipedia
藤田 尚徳(ふじた ひさのり、1880年(明治13年)10月30日 - 1970年(昭和45年)7月23日)は、日本の海軍軍人、神職、侍従長。軍人としての最終階級は海軍大将。
10月30日生まれの人      1880年生まれの人
 269  佐久間勉    海軍兵学校へ進学Wikipedia
佐久間 勉(さくま つとむ、1879年9月13日 - 1910年4月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大尉。
攻玉社高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
9月13日生まれの人      1879年生まれの人
 270  山本英輔Wikipedia
山本英輔(やまもと えいすけ、1876年(明治9年)5月15日 - 1962年(昭和37年)7月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。鹿児島県出身。山本権兵衛元内閣総理大臣の甥(権兵衛の兄吉蔵の息子)にあたり、「封じ袴の大将」と呼ばれた。
5月15日生まれの人      1876年生まれの人
 271  大角岑生    稲沢市Wikipedia
大角 岑生(おおすみ みねお、明治9年(1876年)5月1日 - 昭和16年(1941年)2月5日)は、大正から昭和にかけての日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍大将。男爵。愛知県出身で本籍は高知県。
稲沢市の出身者      
5月1日生まれの人      1876年生まれの人
 272  百武三郎Wikipedia
百武 三郎(ひゃくたけ さぶろう、1872年6月3日(明治5年4月28日) - 1963年(昭和38年)10月30日)は、日本の海軍軍人、海軍大将、侍従長。二人の弟、百武源吾は海軍大将、百武晴吉は陸軍中将。三郎・源吾は海軍史上唯一組の海軍大将兄弟である。
6月3日生まれの人      1872年生まれの人
 273  竹下勇Wikipedia
竹下 勇(たけした いさむ、1870年1月5日(明治2年12月4日) - 1946年(昭和21年)7月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。鹿児島県出身。
1月5日生まれの人      1870年生まれの人
 274  加藤寛治    福井市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
加藤 寛治(かとう ひろはる、有職読み:かんじ、1870年10月26日(明治3年10月2日) - 1939年(昭和14年)2月9日)は、明治、大正、昭和期の日本の海軍軍人、海軍大将。福井県福井市出身。元福井藩士、海軍大尉・加藤直方の長男。子息・孝治は陸軍大将・武藤信義の養子。
攻玉社高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      福井市の出身者      
10月26日生まれの人      1870年生まれの人
 275  安保清種Wikipedia
安保 清種(あぼ きよかず、明治3年10月15日(1870年11月8日) - 昭和23年(1948年)6月8日)は、明治期から昭和期にかけての日本海軍軍人。海軍大将。
10月15日生まれの人      1870年生まれの人
 276  鈴木貫太郎    野田市Wikipedia
鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日(慶応3年12月24日) - 1948年(昭和23年)4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級・栄典は海軍大将従一位勲一等功三級男爵。
野田市の出身者      
1月18日生まれの人      1868年生まれの人
 277  松村龍雄Wikipedia
松村 龍雄(まつむら たつお、1868年2月25日(慶応4年2月3日) - 1932年7月18日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
2月25日生まれの人      1868年生まれの人
 278  広瀬武夫    竹田市Wikipedia
広瀬 武夫(ひろせ たけお、旧字体: 廣瀨武夫、1868年7月16日(慶応4年5月27日) - 1904年(明治37年)3月27日)は、日本の海軍軍人。
竹田市の出身者      
7月16日生まれの人      1868年生まれの人
 279  財部彪    都城市Wikipedia
財部 彪(たからべ たけし、慶応3年4月7日(1867年5月10日) - 昭和24年(1949年)1月13日)は、日本の軍人、政治家。宮崎県都城市出身。階級は海軍大将。
都城市の出身者      
4月7日生まれの人      1867年生まれの人


 280  山屋他人Wikipedia
山屋 他人(やまや たにん、慶応2年3月4日(1866年)4月18日 - 昭和15年(1940年)9月10日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。皇太子徳仁親王妃雅子は曾孫にあたる。
3月4日生まれの人      1866年生まれの人
 281  栃内曽次郎Wikipedia
栃内 曽次郎(とちない そうじろう、慶応2年6月8日(1866年7月19日) - 昭和7年(1932年)7月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。晩年には貴族院議員を務めた。
6月8日生まれの人      1866年生まれの人
 282  野間口兼雄Wikipedia
野間口 兼雄(のまぐち かねお、慶応2年2月14日(1866年3月30日) - 昭和18年(1943年)12月24日)は、日本の海軍軍人、海軍大将。
2月14日生まれの人      1866年生まれの人
 283  江頭安太郎Wikipedia
江頭 安太郎(えがしら やすたろう、1865年3月9日(元治2年2月12日) - 1913年(大正2年)1月23日)は日本の海軍軍人。海軍中将従四位勲二等功三級。皇太子徳仁親王妃雅子は曾孫にあたる。
3月9日生まれの人      1865年生まれの人
 284  上泉徳弥    海軍兵学校へ進学Wikipedia
上泉 徳弥(かみいずみ とくや、1865年11月13日(慶応元年9月25日) - 1946年11月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
攻玉社高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
11月13日生まれの人      1865年生まれの人
 285  川島令次郎Wikipedia
川島 令次郎(かわしま れいじろう、1864年10月14日(元治元年9月14日) - 1947年(昭和22年)11月22日)は、日本海軍の軍人。海軍中将正三位勲一等功三級。宮中顧問官。
10月14日生まれの人      1864年生まれの人
 286  堀内文次郎Wikipedia
堀内 文次郎(ほりうち ぶんじろう、文久3年9月17日(1863年10月29日) - 1942年(昭和17年)3月14日)は、日本の陸軍軍人。陸士旧7期。栄典は従四位勲二等功二級。最終階級は陸軍中将。
9月17日生まれの人      1863年生まれの人
 287  村上格一Wikipedia
村上 格一(むらかみ かくいち、文久2年11月1日(1862年12月21日) - 昭和2年(1927年)11月15日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。清浦内閣の海軍大臣。佐賀県出身。幼名は袈裟之助(けさのすけ)。養子に海軍少将・村上暢之助。また実娘は海軍少将・横井忠雄と結婚している。
11月1日生まれの人      1862年生まれの人
 288  伊集院五郎    鹿児島市Wikipedia
伊集院 五郎(いじゅういん ごろう、嘉永5年9月28日(1852年11月9日) - 大正10年(1921年)1月13日)は、日本の海軍軍人。元帥海軍大将正二位勲一等功一級男爵。
鹿児島市の出身者      
9月28日生まれの人      1852年生まれの人
 289  上村彦之丞    鹿児島市Wikipedia
上村 彦之丞(かみむら ひこのじょう、嘉永2年5月1日(1849年6月20日) - 大正5年(1916年)8月8日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。従二位勲一等功一級男爵。あだ名は「船乗り将軍」。
鹿児島市の出身者      
5月1日生まれの人      1849年生まれの人


東京高等学校の出身者
 290  嶋田繁太郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
嶋田 繁太郎(しまだ しげたろう、1883年(明治16年)9月24日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵32期。最終階級は海軍大将。第47代海軍大臣。第17代軍令部総長。A級戦犯として終身刑。
東京高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
9月24日生まれの人      1883年生まれの人


日本学園高等学校の出身者
 291  磯田三郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
磯田 三郎(いそだ さぶろう、1892年2月28日 - 1979年10月26日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
日本学園高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
2月28日生まれの人      1892年生まれの人
 292  荒木貞夫    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
荒木 貞夫(あらき さだお、1877年(明治10年)5月26日 - 1966年(昭和41年)11月2日)は、日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。
日本学園高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
5月26日生まれの人      1877年生まれの人


青山学院高等部の出身者
 293  坂井三郎    佐賀市Wikipedia
坂井 三郎(さかい さぶろう、1916年(大正5年)8月26日 - 2000年(平成12年)9月22日)は、日本の海軍軍人。ポツダム進級により最終階級は海軍中尉。太平洋戦争におけるエース・パイロット。著書『大空のサムライ』で有名。
佐賀市の出身者      
8月26日生まれの人      1916年生まれの人


学習院高等科の出身者
 294  三笠宮崇仁親王    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう、1915年(大正4年)12月2日 - 2016年(平成28年)10月27日)は、日本の皇族、歴史学者(専攻は古代オリエント史)、陸軍軍人(最終階級は陸軍少佐)。大正天皇と貞明皇后の第四皇男子。昭和天皇の弟、今上天皇の叔父にあたる。御称号は澄宮(すみのみや)。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。勲等は大勲位。称号は東京芸術大学名誉客員教授。お印は若杉(わかすぎ)。
学習院高等科から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
12月2日生まれの人      1915年生まれの人
 295  徳川慶光    東京大学へ進学Wikipedia
德川 慶光(とくがわ よしみつ、1913年(大正2年)2月6日 - 1993年(平成5年)2月6日)は、日本の官僚、政治家、陸軍軍人。江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫。爵位は公爵。通称は有職読みの「けいこう」。新字体で徳川 慶光とも表記される。
学習院高等科から東京大学への進学者      全国の東京大学の出身者      
2月6日生まれの人      1913年生まれの人
 296  竹田恒徳    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
竹田 恒徳(たけだ つねよし、1909年(明治42年)3月4日 - 1992年(平成4年)5月11日)は、日本の旧皇族(竹田宮第2代)、陸軍軍人。1947年(昭和22年)10月に皇籍離脱し、竹田恒徳と名乗る。皇籍離脱前は竹田宮恒徳王(たけだのみや つねよしおう)。陸軍少将竹田宮恒久王の第1王子で、母は明治天皇の第6皇女常宮昌子内親王、昭和天皇の従弟にあたる。最終階級は陸軍中佐。勲等は大勲位。
学習院高等科から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月4日生まれの人      1909年生まれの人
 297  南郷茂章Wikipedia
南郷 茂章(なんごう もちふみ、1906年(明治39年)7月1日 - 1938年(昭和13年)7月18日)は、日本の海軍軍人。海兵55期。支那事変(日中戦争)における撃墜王。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少佐。
7月1日生まれの人      1906年生まれの人
 298  久邇邦久Wikipedia
久邇 邦久(くに くにひさ、1902年(明治35年)3月10日 - 1935年(昭和10年)3月4日)は、日本の華族、陸軍軍人。陸軍歩兵大尉。侯爵。久邇宮邦彦王の第二王子。香淳皇后の次兄。
3月10日生まれの人      1902年生まれの人
 299  伏見宮博義王    海軍兵学校へ進学Wikipedia
博義王(ひろよしおう、1897年(明治30年)12月8日 - 1938年(昭和13年)10月19日)は、明治・大正期の伏見宮家の皇族、海軍軍人。 最終階級は海軍大佐。 伏見宮第25代当主の伏見宮博恭王第1王子[4]。伏見宮の継承はしていないが、伏見宮博義王と通称されることもある[5][6]。
学習院高等科から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
12月8日生まれの人      1897年生まれの人


 300  醍醐忠重    海軍兵学校へ進学Wikipedia
醍醐 忠重(だいご ただしげ、明治24年(1891年)10月15日 - 昭和22年(1947年)12月6日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員。爵位は侯爵 オランダ領東インド
学習院高等科から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月15日生まれの人      1891年生まれの人
 301  上野正雄    海軍兵学校へ進学Wikipedia
上野 正雄(うえの まさお、1890年(明治23年)7月16日 - 1965年(昭和40年)2月16日)は、日本の華族、海軍軍人。爵位は伯爵、最終階級は海軍少将。旧姓は永田。
学習院高等科から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
7月16日生まれの人      1890年生まれの人
 302  小松輝久    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
小松 輝久(こまつ てるひさ、1888年(明治21年)8月12日 - 1970年(昭和45年)11月5日)は、北白川宮家出身の華族、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。皇族時代は(北白川宮)輝久王(てるひさおう)という。従二位勲一等侯爵。墓所は東京都文京区にある護国寺。
学習院高等科から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
8月12日生まれの人      1888年生まれの人
 303  朝香宮鳩彦王    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887年(明治20年)10月20日 - 1981年(昭和56年)4月12日)は日本の皇族、陸軍軍人。久邇宮朝彦親王の第8王子で、朝香宮初代当主。1947年(昭和22年)10月14日に皇族の身分を離れ、朝香鳩彦と名乗る。
学習院高等科から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月20日生まれの人      1887年生まれの人
 304  東久邇宮稔彦王    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、1887年(明治20年)12月3日 - 1990年(平成2年)1月20日)は、日本の皇族(旧皇族)、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)を名乗った。世界連邦建設同盟(現世界連邦運動協会)名誉会長、第2代会長。
学習院高等科から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
12月3日生まれの人      1887年生まれの人
 305  住山徳太郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
住山 徳太郎(すみやま とくたろう、1886年(明治19年)5月1日 - 1962年(昭和37年)11月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
学習院高等科から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
5月1日生まれの人      1886年生まれの人
 306  島津忠重    海軍兵学校へ進学Wikipedia
島津 忠重(しまづ ただしげ、1886年(明治19年)10月20日 - 1968年(昭和43年)4月9日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員。
学習院高等科から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月20日生まれの人      1886年生まれの人
 307  竹田宮恒久王    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
竹田宮恒久王(たけだのみや つねひさおう、1882年(明治15年)9月22日 - 1919年(大正8年)4月23日)は日本の皇族・陸軍軍人。
学習院高等科から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月22日生まれの人      1882年生まれの人
 308  梨本宮守正王    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
梨本宮守正王(なしもとのみや もりまさおう、1874年(明治7年)3月9日 - 1951年(昭和26年)1月1日)は、日本の皇族、陸軍軍人。官位は元帥陸軍大将。栄典は大勲位功四級。大韓帝国最後の皇太子である李王垠の岳父。
学習院高等科から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月9日生まれの人      1874年生まれの人
 309  久邇宮邦彦王    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年(明治6年)7月23日 - 1929年(昭和4年)1月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人。階級及び位階勲等は軍事参議官、陸軍大将、大勲位、功四級。贈元帥、贈大勲位菊花章頸飾。
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7月23日生まれの人      1873年生まれの人


巣鴨高等学校の出身者
 310  蝦名賢造    東京帝国大学へ進学Wikipedia
蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22日 - 2009年(平成21年)1月3日)は日本の海軍軍人、経済学者、伝記作家。経済学博士。専門は財政学。青森県東津軽郡小湊町出身。
巣鴨高等学校から東京帝国大学への進学者      全国の東京帝国大学の出身者      
1月22日生まれの人      1918年生まれの人


開成高等学校の出身者
 311  山口多聞    海軍兵学校へ進学Wikipedia
山口 多聞(やまぐち たもん、1892年(明治25年)8月17日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。ミッドウェー海戦において戦死。最終階級は海軍中将。
開成高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
8月17日生まれの人      1892年生まれの人


武蔵高等学校の出身者
 312  近藤道生Wikipedia
近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 2010年6月30日)は、日本の海軍軍人・大蔵官僚、後に博報堂代表取締役。趣味、特技は茶の湯、読書、ゴルフ。号は平心庵宗道。
2月2日生まれの人      1920年生まれの人


早稲田大学高等学院の出身者
 313  稲嶺一郎    本部町    早稲田大学へ進学Wikipedia
稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1989年6月19日)は、日本の政治家・実業家・軍人。沖縄県国頭郡本部村出身。元沖縄県知事稲嶺惠一の父。
早稲田大学高等学院から早稲田大学への進学者      全国の早稲田大学の出身者      
9月23日生まれの人      1905年生まれの人


日本大学第三高等学校の出身者
 314  本田耕一    法政大学へ進学Wikipedia
本田 耕一(ほんだ こういち 1923年 - 1945年5月14日)は、日本の元アマチュア野球選手、大日本帝国海軍軍人。兵庫県出身。
日本大学第三高等学校から法政大学への進学者      全国の法政大学の出身者      
1923年生まれの人


神奈川県立希望ヶ丘高等学校の出身者
 315  藤田雄蔵    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
藤田 雄蔵(ふじた ゆうぞう、1898年(明治31年)2月19日 - 1939年(昭和14年)2月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐。
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2月19日生まれの人      1898年生まれの人
 316  中村俊久    海軍兵学校へ進学Wikipedia
中村 俊久(なかむら としひさ、1890年2月16日 - 1972年3月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
神奈川県立希望ヶ丘高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
2月16日生まれの人      1890年生まれの人
 317  山口三郎Wikipedia
山口 三郎(やまぐち さぶろう、1889年(明治22年)9月27日 - 1934年(昭和9年)2月1日)は、日本の海軍軍人で海軍航空草創期の搭乗員。海軍随一の空爆の名手であったが、神兵隊事件で内乱予備陰謀罪に問われ検挙された。最終階級は海軍中佐。
9月27日生まれの人      1889年生まれの人


神奈川県立横須賀高等学校の出身者
 318  左近允尚敏    海軍兵学校へ進学Wikipedia
左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正15年)2月11日 - 2013年(平成25年)6月30日)は、大日本帝国海軍の軍人、海上自衛官。最終階級は海将。鹿児島県出身。海兵72期。海軍中将左近允尚正の次男。多号作戦で駆逐艦「島風」砲術長として「島風」沈没時(多号作戦)に戦死した海軍大尉左近允正章(まさふみ)は兄にあたる。
神奈川県立横須賀高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
2月11日生まれの人      1925年生まれの人
 319  横山保Wikipedia
横山 保(よこやま たもつ、1909年(明治42年)8月11日 - 1981年(昭和56年)3月)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵59期。最終階級は海軍で中佐、空自で空将補。
8月11日生まれの人      1909年生まれの人


 320  荒尾興功    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年3月18日 - 1974年8月22日)は、日本の陸軍軍人、官僚。最終階級は陸軍大佐。
神奈川県立横須賀高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月18日生まれの人      1902年生まれの人
 321  和智恒蔵    海軍兵学校へ進学Wikipedia
和智 恒蔵(わち つねぞう、旧姓・大野、1900年7月24日 - 1990年2月2日)は、日本の海軍軍人、僧。最終階級は海軍大佐で、硫黄島では海軍警備隊司令を務めた。二男三女の父。僧名は恒阿弥。
神奈川県立横須賀高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
7月24日生まれの人      1900年生まれの人
 322  大橋勝夫    鎌倉市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
大橋 勝夫(おおはし かつお、生年不明 - 1945年(昭和20年)7月16日[* 1])は、日本の海軍軍人(海兵53期卒)。太平洋戦争において四艦の潜水艦長を歴任し、交通破壊戦に戦果を挙げた。その一方で漂流していた連合国将兵を攻撃せず、戦後になってこの大橋の行為が明らかとなった。神龍特別攻撃隊を構成した「伊13」潜水艦長として戦死し、一階級昇進により最終階級は海軍大佐。
神奈川県立横須賀高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      鎌倉市の出身者      


新潟県立新発田高等学校の出身者
 323  小柳冨次    新潟市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
小柳 冨次[注釈 1](こやなぎ とみじ、1893年7月16日 - 1978年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
新潟県立新発田高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      新潟市の出身者      
7月16日生まれの人      1893年生まれの人
 324  松下芳男    新発田市Wikipedia
松下 芳男(まつした よしお、明治25年(1892年)5月4日 - 昭和58年(1983年)4月9日)は、日本陸軍の軍人(陸軍中尉)・軍事評論家・軍事史家。「明治軍制史論」で法学博士(東京大学)。新潟県新発田町(新発田市)出身。
新発田市の出身者      
5月4日生まれの人      1892年生まれの人
 325  今村均    仙台市Wikipedia
今村 均(いまむら ひとし、1886年6月28日 - 1968年10月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。宮城県仙台市出身。
仙台市の出身者      
6月28日生まれの人      1886年生まれの人


新潟県立新潟高等学校の出身者
 326  伊藤精司    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
伊藤 精司(いとう せいじ、1882年(明治15年)3月1日 - 1964年(昭和39年)6月22日)は、日本陸軍の軍人。階級は陸軍少将。武道の称号は大日本武徳会銃剣術範士、剣道教士。流派は直心影流。
新潟県立新潟高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月1日生まれの人      1882年生まれの人
 327  建川美次    新潟市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
建川 美次(たてかわ よしつぐ、1880年(明治13年)10月3日 - 1945年(昭和20年)9月9日)は、日本の陸軍軍人、外交官。最終階級は陸軍中将。栄典は勲一等功四級。
新潟県立新潟高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      新潟市の出身者      
10月3日生まれの人      1880年生まれの人


新潟県立三条高等学校の出身者
 328  岩淵三次    三条市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
岩淵 三次(いわぶち さんじ、1895年(明治28年)3月2日 - 1945年(昭和20年)2月26日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。最終階級は海軍中将。
新潟県立三条高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      三条市の出身者      
3月2日生まれの人      1895年生まれの人
 329  角田覚治    三条市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
角田 覚治(かくた かくじ、1890年(明治23年)9月23日-1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。テニアン島で戦死。
新潟県立三条高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      三条市の出身者      
9月23日生まれの人      1890年生まれの人


新潟県立長岡高等学校の出身者
 330  佐藤正四郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
佐藤 正四郎(さとう せいしろう、1886年(明治19年)10月25日 - 1958年(昭和33年)7月7日)は、日本の海軍軍人。二・二六事件において、東京に出動した海軍陸戦隊の指揮官を務めた海軍少将である。
新潟県立長岡高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月25日生まれの人      1886年生まれの人
 331  山本五十六    長岡市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。
新潟県立長岡高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      長岡市の出身者      
4月4日生まれの人      1884年生まれの人
 332  竹垣純信Wikipedia
竹垣 純信(たけがき すみのぶ/じゅんしん、1881年(明治14年)2月 - 1917年(大正6年)6月11日)は、日本の海軍軍人。 第一次世界大戦で第11駆逐隊機関長を務め、地中海で戦死した機関中佐である。
1881年生まれの人
 333  小林順一郎Wikipedia
小林 順一郎(こばやし じゅんいちろう、1880年1月3日 - 1963年11月20日)は、日本の陸軍砲兵大佐、実業家、右翼の黒幕、右翼団体三六倶楽部主宰者、大政翼賛会総務。戦後A級戦犯として逮捕された。新潟県長岡市出身。
1月3日生まれの人      1880年生まれの人


新潟県立長岡工業高等学校の出身者
 334  宮川三郎    小千谷市Wikipedia
宮川 三郎(みやがわ さぶろう、1925年6月5日 - 1945年6月6日)は、大日本帝国陸軍軍人。
小千谷市の出身者      
6月5日生まれの人      1925年生まれの人


新潟県立有恒高等学校の出身者
 335  長嶺喜一    上越市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
長嶺 喜一(ながみね きいち、明治28年(1895年)6月2日 - 昭和20年(1945年)11月15日)は、大正、昭和期の日本の陸軍軍人。新潟県頸城郡寺野村東山寺(現在の新潟県上越市板倉区)出身。陸士28期・陸大36期。最終階級は陸軍中将。
新潟県立有恒高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      上越市の出身者      
6月2日生まれの人      1895年生まれの人


新潟県立佐渡高等学校の出身者
 336  本間雅晴    佐渡市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
本間 雅晴(ほんま まさはる、1887年(明治20年)11月27日 - 1946年(昭和21年)4月3日)は、日本の陸軍軍人。陸士19期、陸大27期(優等)。最終階級は陸軍中将。栄典は従三位勲一等。
新潟県立佐渡高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      佐渡市の出身者      
11月27日生まれの人      1887年生まれの人


富山県立魚津高等学校の出身者
 337  住栄作    魚津市    東京大学へ進学Wikipedia
住 栄作(すみ えいさく、1920年5月20日 - 1986年12月20日)は、日本の内務官僚、海軍軍人(海軍主計大尉)、政治家(元衆議院議員)。
富山県立魚津高等学校から東京大学への進学者      全国の東京大学の出身者      魚津市の出身者      
5月20日生まれの人      1920年生まれの人


富山県立富山高等学校の出身者
 338  安井藤治    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
安井 藤治(やすい とうじ、1885年10月11日 - 1970年7月8日)は、明治-昭和の陸軍軍人、政治家。従三位勲一等。陸軍中将まで昇った後、鈴木貫太郎内閣の国務大臣(無任所)を務めた。
富山県立富山高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月11日生まれの人      1885年生まれの人
 339  高松春治    慶應義塾大学へ進学Wikipedia
高松 梅治(たかまつうめじ、うめはる、明治15年1882年12月〜)とは、日本の軍人、学者、発明家である。無限軌道を発明したことで知られる。
富山県立富山高等学校から慶應義塾大学への進学者      全国の慶應義塾大学の出身者      
1882年生まれの人




富山県立砺波高等学校の出身者
 340  瀬島龍三    小矢部市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。
富山県立砺波高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      小矢部市の出身者      
12月9日生まれの人      1911年生まれの人


石川県立金沢泉丘高等学校の出身者
 341  浦茂    金沢市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
浦 茂(うら しげる、1909年2月11日 - 2001年11月18日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、実業家である。航空自衛隊では第5代航空幕僚長を務めた。最終階級は中佐(旧陸軍)、航空幕僚長たる空将(空自)。
石川県立金沢泉丘高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      金沢市の出身者      
2月11日生まれの人      1909年生まれの人
 342  佐藤賢了    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
佐藤 賢了(さとう けんりょう、1895年(明治28年)6月1日 - 1975年(昭和50年)2月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
石川県立金沢泉丘高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
6月1日生まれの人      1895年生まれの人
 343  岡田次作    海軍兵学校へ進学Wikipedia
岡田 次作(おかだ じさく、1893年(明治26年)8月13日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
石川県立金沢泉丘高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
8月13日生まれの人      1893年生まれの人
 344  草鹿任一    海軍兵学校へ進学Wikipedia
草鹿 任一(くさか じんいち、1888年(明治21年)12月7日 - 1972年(昭和47年)8月24日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。勲等は勲一等。
石川県立金沢泉丘高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
12月7日生まれの人      1888年生まれの人
 345  下村定    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
下村 定(しもむら さだむ、1887年(明治20年)9月23日 - 1968年(昭和43年)3月25日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。
石川県立金沢泉丘高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月23日生まれの人      1887年生まれの人
 346  中村孝太郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
中村 孝太郎(なかむら こうたろう、1881年8月28日‐1947年8月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。林内閣の陸軍大臣。石川県出身。
石川県立金沢泉丘高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
8月28日生まれの人      1881年生まれの人


福井県立藤島高等学校の出身者
 347  長井満Wikipedia
長井満(ながいみつる、1895年(明治28年)1月16日 - 1978年(昭和53年)12月13日)は、昭和期の大日本帝国海軍軍人。最終階級は従四位勲二等海軍少将。福井県丹生郡殿下村(現福井市風尾町)出身。長井斎藤別当実盛の後裔と伝える浄土真宗勝鬘寺の長井真応住職の四男。長兄に仏教学者長井真琴博士、三兄に真向法の創始者として知られる長井津がいる。弟の長井洗は陸軍中佐。
1月16日生まれの人      1895年生まれの人
 348  長谷川清Wikipedia
長谷川 清(はせがわ きよし、1883年(明治16年)5月7日 - 1970年(昭和45年)9月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は正三位 勲一等 功一級 海軍大将。福井県足羽郡社村(現・福井市)出身。
5月7日生まれの人      1883年生まれの人
 349  松尾伝蔵Wikipedia
松尾 伝蔵(まつお でんぞう、明治5年8月16日(1872年9月18日) - 昭和11年(1936年)2月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。
8月16日生まれの人      1872年生まれの人
 350  岡田啓介Wikipedia
岡田 啓介(おかだ けいすけ、1868年2月14日(慶応4年旧暦1月21日[注釈 1]) - 1952年(昭和27年)10月17日)は、日本の軍人、政治家。最終階級は海軍大将。栄典は勲一等功三級。
2月14日生まれの人      1868年生まれの人


福井県立若狭高等学校の出身者
 351  佐久間勉    海軍兵学校へ進学Wikipedia
佐久間 勉(さくま つとむ、1879年9月13日 - 1910年4月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大尉。
福井県立若狭高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
9月13日生まれの人      1879年生まれの人


山梨県立甲府第一高等学校の出身者
 352  堀内一雄    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
堀内 一雄(ほりうち かずお、1893年9月 - 1985年12月11日)は、日本の実業家、政治家、陸軍軍人。衆議院議員(5期)。父は堀内良平、息子は堀内光雄。最終階級は歩兵少佐、満州国陸軍少将。
山梨県立甲府第一高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1893年生まれの人
 353  塚原二四三    南アルプス市Wikipedia
塚原 二四三 (つかはら にしぞう、1887年(明治20年)4月3日 - 1966年(昭和41年)3月6日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。
南アルプス市の出身者      
4月3日生まれの人      1887年生まれの人
 354  今村均    仙台市Wikipedia
今村 均(いまむら ひとし、1886年6月28日 - 1968年10月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。宮城県仙台市出身。
仙台市の出身者      
6月28日生まれの人      1886年生まれの人


山梨県立日川高等学校の出身者
 355  山崎保代    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
山崎 保代(やまさき やすよ、1891年10月17日 - 1943年5月29日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争(大東亜戦争)中に、アッツ島の戦いを指揮し17日間の激しい抗戦の後戦死した。
山梨県立日川高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月17日生まれの人      1891年生まれの人
 356  水上源蔵    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
水上 源蔵(みなかみ / みずかみ げんぞう、1888年(明治21年)9月26日 - 1944年(昭和19年)8月4日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
山梨県立日川高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月26日生まれの人      1888年生まれの人


長野県立長野高等学校の出身者
 357  原田要    長野市Wikipedia
原田 要(はらだ かなめ、1916年(大正5年)8月11日 - 2016年(平成28年)5月3日)は、日本の海軍軍人、戦闘機操縦者、最終階級は海軍中尉。
長野市の出身者      
8月11日生まれの人      1916年生まれの人
 358  今井武夫    長野市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
今井 武夫(いまい たけお、1898年2月23日 - 1982年6月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
長野県立長野高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      長野市の出身者      
2月23日生まれの人      1898年生まれの人
 359  金子繁治    燕市Wikipedia
金子 繁治(かねこ しげじ、1894年(明治27年)4月20日 - 1981年(昭和56年)2月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
燕市の出身者      
4月20日生まれの人      1894年生まれの人


 360  栗林忠道    長野市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
栗林 忠道(くりばやし ただみち、1891年〈明治24年〉7月7日 ‐ 1945年〈昭和20年〉3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。位階勲等は従四位勲一等(旭日大綬章)。長野県埴科郡西条村(現:長野市松代町)出身。
長野県立長野高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      長野市の出身者      
7月7日生まれの人      1891年生まれの人


長野県立上田高等学校の出身者
 361  田中弥    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
田中 弥(たなか わたる、1900年10月13日 - 1936年10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。
長野県立上田高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月13日生まれの人      1900年生まれの人


長野県立小諸商業高等学校の出身者
 362  渡辺静Wikipedia
渡辺 静(わたなべ しずか、1923年4月15日 - 1945年6月6日)は、プロ野球選手(投手)、大日本帝国陸軍軍人。
4月15日生まれの人      1923年生まれの人


長野県立野沢北高等学校の出身者
 363  細萱戊子郎    佐久市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
細萱 戊子郎(ほそがや ぼしろう、1888年(明治21年)6月24日 - 1964年(昭和39年)2月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
長野県立野沢北高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      佐久市の出身者      
6月24日生まれの人      1888年生まれの人


長野県立飯田高等学校の出身者
 364  中原謹司    竜江村    早稲田大学へ進学Wikipedia
中原 謹司(なかはら きんじ、1889年2月7日 - 1951年3月1日)は日本の政治家。長野県の在郷軍人有志で結成された政治結社信州郷軍同志会の理論的指導者であり、大政翼賛会では中央協力会議部副部長として新体制運動を担った。号は起雲子。
長野県立飯田高等学校から早稲田大学への進学者      全国の早稲田大学の出身者      竜江村の出身者      
2月7日生まれの人      1889年生まれの人


長野県立松本深志高等学校の出身者
 365  上原良司    慶應義塾大学へ進学Wikipedia
上原 良司(うえはら りょうじ、1922年9月27日 - 1945年5月11日)は、大日本帝国陸軍軍人。 陸軍特別攻撃隊第56振武隊員。
長野県立松本深志高等学校から慶應義塾大学への進学者      全国の慶應義塾大学の出身者      
9月27日生まれの人      1922年生まれの人
 366  小岩井光夫    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
小岩井 光夫(こいわい みつお、1910年(明治43年)5月22日 - 1959年(昭和34年)2月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少佐。
長野県立松本深志高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
5月22日生まれの人      1910年生まれの人
 367  島村信政    松本市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
島村 信政(しまむら のぶまさ、1902年(明治35年)8月7日 - 1944年(昭和19年)4月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中佐。殉職後は海軍大佐。
長野県立松本深志高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      松本市の出身者      
8月7日生まれの人      1902年生まれの人
 368  柳田元三    塩尻市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
柳田 元三(やなぎた げんぞう、1893年1月3日 - 1952年10月7日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。
長野県立松本深志高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      塩尻市の出身者      
1月3日生まれの人      1893年生まれの人
 369  細見惟雄    松本市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
細見 惟雄(ほそみ これお、1892年(明治25年)4月9日 - 1963年(昭和38年)8月10日)は、日本陸軍の軍人。陸士25期。最終階級は陸軍中将。
長野県立松本深志高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      松本市の出身者      
4月9日生まれの人      1892年生まれの人
 370  丸山政男    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
丸山 政男(まるやま まさお、1889年9月13日 - 1957年11月11日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
長野県立松本深志高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月13日生まれの人      1889年生まれの人
 371  板花義一    安曇野市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
板花 義一(いたはな ぎいち、1889年1月29日 - 1961年10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
長野県立松本深志高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      安曇野市の出身者      
1月29日生まれの人      1889年生まれの人
 372  清水光美    松本市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
清水光美(しみず みつみ、1888年(明治21年)3月16日 - 1971年(昭和46年)5月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
長野県立松本深志高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      松本市の出身者      
3月16日生まれの人      1888年生まれの人
 373  塩沢幸一    中川村    海軍兵学校へ進学Wikipedia
塩沢 幸一(しおざわ こういち、1883年(明治16年)3月5日 - 1943年(昭和18年)11月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。長野県伊那郡大草村(現上伊那郡中川村)出身。実家は養命酒で有名な養命酒製造で塩沢はその四男。妻すがは代議士・北原阿智之助次女。文芸評論家の中沢臨川は次兄。
長野県立松本深志高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      中川村の出身者      
3月5日生まれの人      1883年生まれの人
 374  斎藤瀏    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年4月16日 - 1953年7月5日)は、日本の陸軍軍人、歌人。最終階級は陸軍少将。長女の斎藤史は同じく歌人。
長野県立松本深志高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
4月16日生まれの人      1879年生まれの人


長野県立大町岳陽高等学校の出身者
 375  平林盛人    安曇野市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
平林 盛人(ひらばやし もりと、1887年11月10日 - 1969年5月21日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。
長野県立大町岳陽高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      安曇野市の出身者      
11月10日生まれの人      1887年生まれの人


岐阜県立岐阜高等学校の出身者
 376  宮崎繁三郎    岐阜市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
宮崎 繁三郎(みやざき しげさぶろう、明治25年(1892年)1月4日 - 昭和40年(1965年)8月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
岐阜県立岐阜高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      岐阜市の出身者      
1月4日生まれの人      1892年生まれの人


岐阜県立本巣松陽高等学校の出身者
 377  豊田穣    海軍兵学校へ進学Wikipedia
豊田 穣(とよだ じょう、1920年(大正9年)3月14日 - 1994年(平成6年)1月30日)は、日本の小説家・作家、元海軍軍人(最終階級は海軍中尉)。
岐阜県立本巣松陽高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
3月14日生まれの人      1920年生まれの人


岐阜県立大垣北高等学校の出身者
 378  井田正孝    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
井田 正孝(いだ まさたか、1912年10月5日 - 2004年2月6日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍中佐。後に旧姓・岩田に復した。
岐阜県立大垣北高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月5日生まれの人      1912年生まれの人
 379  田結穣    海軍兵学校へ進学Wikipedia
田結 穣(たゆい みのる、1890年(明治23年)1月20日 - 1977年(昭和52年)6月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
岐阜県立大垣北高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1月20日生まれの人      1890年生まれの人




静岡県立静岡高等学校の出身者
 380  木村昌福    海軍兵学校へ進学Wikipedia
木村 昌福(きむら まさとみ、1891年(明治24年)12月6日 - 1960年(昭和35年)2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県生まれ。
静岡県立静岡高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
12月6日生まれの人      1891年生まれの人
 381  吉田増次郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
吉田 増次郎(よしだ ますじろう、1867年7月29日 (慶応3年6月28日) - 1942年3月14日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
静岡県立静岡高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
7月29日生まれの人      1867年生まれの人


静岡県立沼津東高等学校の出身者
 382  和田稔    東京帝国大学へ進学Wikipedia
和田 稔(わだ みのる、1922年1月13日 - 1945年7月25日)は、福岡県小倉出身の日本海軍軍人。最終階級は海軍少尉。
静岡県立沼津東高等学校から東京帝国大学への進学者      全国の東京帝国大学の出身者      
1月13日生まれの人      1922年生まれの人


静岡県立掛川西高等学校の出身者
 383  松浦永次郎    掛川市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
松浦 永次郎(まつうら えいじろう、1889年(明治22年)3月5日 - 1976年(昭和51年)11月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県小笠郡掛川町(現掛川市)出身。
静岡県立掛川西高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      掛川市の出身者      
3月5日生まれの人      1889年生まれの人


愛知県立旭丘高等学校の出身者
 384  横井俊之Wikipedia
横井 俊之(よこい としゆき、1897年3月11日 - 1969年12月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
3月11日生まれの人      1897年生まれの人
 385  大林末雄    名古屋市Wikipedia
大林 末雄(おおばやし すえお、1895年(明治28年)3月8日 - 1983年(昭和58年)4月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。愛知県宝飯郡上佐脇出身。
名古屋市の出身者      
3月8日生まれの人      1895年生まれの人
 386  三輪茂義Wikipedia
三輪 茂義(みわ しげよし、1892年5月15日 - 1959年2月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
5月15日生まれの人      1892年生まれの人
 387  永津佐比重Wikipedia
永津 佐比重(ながつ さひしげ、1889年(明治22年)3月1日 - 1979年(昭和54年)9月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
3月1日生まれの人      1889年生まれの人
 388  岩松義雄Wikipedia
岩松 義雄(いわまつ よしお、1886年5月3日 - 1958年4月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
5月3日生まれの人      1886年生まれの人
 389  日比野正治Wikipedia
日比野 正治(ひびの まさはる、1885年(明治18年)2月2日 - 1947年(昭和22年)3月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
2月2日生まれの人      1885年生まれの人
 390  鷲津鈆平Wikipedia
鷲津 鈆平(わしづ しょうへい、1885年1月20日 - 1970年2月20日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
1月20日生まれの人      1885年生まれの人
 391  荻洲立兵Wikipedia
荻洲 立兵(おぎす りっぺい、1884年1月24日 - 1949年12月22日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
1月24日生まれの人      1884年生まれの人
 392  大角岑生    稲沢市Wikipedia
大角 岑生(おおすみ みねお、明治9年(1876年)5月1日 - 昭和16年(1941年)2月5日)は、大正から昭和にかけての日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍大将。男爵。愛知県出身で本籍は高知県。
稲沢市の出身者      
5月1日生まれの人      1876年生まれの人
 393  伊藤乙次郎Wikipedia
伊藤 乙次郎(いとう おとじろう、1866年12月2日(慶応2年10月26日) - 1941年3月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
12月2日生まれの人      1866年生まれの人
 394  八代六郎    犬山市Wikipedia
八代 六郎(やしろ ろくろう、安政7年1月3日(1860年1月25日)- 昭和5年(1930年)6月30日)は明治~大正期の日本海軍軍人。政治家。海軍大将。男爵。愛知県犬山市出身。兄は衆議院議員の松山義根。
犬山市の出身者      
1月25日生まれの人      1860年生まれの人


愛知県立明和高等学校の出身者
 395  堀栄三    五條市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
堀 栄三(ほり えいぞう、1913年(大正2年)10月16日 - 1995年(平成7年)6月5日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。
愛知県立明和高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      五條市の出身者      
10月16日生まれの人      1913年生まれの人
 396  森下信衛    海軍兵学校へ進学Wikipedia
森下 信衛(もりした のぶえ、1895年(明治28年)2月2日 - 1960年(昭和35年)6月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。愛知県出身。正しくは、「衛」ではなく旧字体の「衞」である。。
愛知県立明和高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
2月2日生まれの人      1895年生まれの人
 397  飯沼守    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
飯沼 守(いいぬま まもる、1888年11月25日 - 1978年3月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
愛知県立明和高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月25日生まれの人      1888年生まれの人


愛知県立岡崎高等学校の出身者
 398  嶋崎重和    奈良市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月9日 - 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の海軍軍人。空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃で第二次攻撃隊長を務めた。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。
愛知県立岡崎高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      奈良市の出身者      
9月9日生まれの人      1908年生まれの人
 399  酒井鎬次    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
酒井 鎬次(さかい こうじ、明治18年(1885年)11月4日 - 昭和48年(1973年)3月2日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。鎬次を「たかつぐ」と読む文献もあり、注意を要する。
愛知県立岡崎高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月4日生まれの人      1885年生まれの人




愛知県立刈谷高等学校の出身者
 400  美濃部正Wikipedia
美濃部 正(みのべ ただし、旧姓:太田(おおた)、1915年 - 1997年6月12日)は、旧日本海軍軍人、航空自衛官である。愛知県出身。海兵64期。最終階級は海軍において少佐、自衛隊において空将。
1915年生まれの人


愛知県立時習館高等学校の出身者
 401  宮崎周一    飯田市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
宮崎 周一(みやざき しゅういち、1895年(明治28年)2月6日 - 1969年(昭和44年)10月16日)は、昭和期の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵科は歩兵。
愛知県立時習館高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      飯田市の出身者      
2月6日生まれの人      1895年生まれの人
 402  桜井省三    名古屋市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
桜井 省三(さくらい しょうぞう、1889年6月27日 - 1985年7月7日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
愛知県立時習館高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      名古屋市の出身者      
6月27日生まれの人      1889年生まれの人


三重県立四日市高等学校の出身者
 403  水谷一生    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
水谷 一生(みずたに かずお、1899年(明治32年)4月22日 - 1949年(昭和24年)11月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。
三重県立四日市高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
4月22日生まれの人      1899年生まれの人


三重県立四日市商業高等学校の出身者
 404  平田佐貞Wikipedia
平田 佐貞(ひらた すけさだ、1909年(明治42年)5月 - 1938年(昭和13年)10月)は、日本の俳人・彫刻家・陸軍軍人。
1909年生まれの人


三重県立津高等学校の出身者
 405  甘粕正彦    仙台市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
甘粕 正彦(あまかす まさひこ、1891年(明治24年)1月26日 - 1945年(昭和20年)8月20日)は、日本の陸軍軍人。陸軍憲兵大尉時代に甘粕事件を起こしたことで有名(無政府主義者大杉栄らの殺害)。短期の服役後、日本を離れて満州に渡り、関東軍の特務工作を行い、満州国建設に一役買う。満洲映画協会理事長を務め、終戦直後、服毒自殺した。
三重県立津高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      仙台市の出身者      
1月26日生まれの人      1891年生まれの人
 406  西久保豊一郎Wikipedia
西久保 豊一郎(にしくぼ とよいちろう、明治2年12月6日(1870年1月7日) - 明治38年(1905年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍歩兵少佐。栄典は正六位勲四等功四級。
12月6日生まれの人      1870年生まれの人


三重県立上野高等学校の出身者
 407  嶋崎重和    奈良市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月9日 - 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の海軍軍人。空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃で第二次攻撃隊長を務めた。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。
三重県立上野高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      奈良市の出身者      
9月9日生まれの人      1908年生まれの人
 408  磯矢伍郎Wikipedia未登録
陸軍軍人。中将、陸軍参謀本部第3部長、マレー軍政監。


滋賀県立膳所高等学校の出身者
 409  上阪香苗    海軍兵学校へ進学Wikipedia
上阪 香苗(こうさか かなえ、1892年(明治25年)10月8日 - 1974年(昭和49年)12月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。滋賀県大津市出身。
滋賀県立膳所高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月8日生まれの人      1892年生まれの人
 410  山内正文    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
山内 正文(やまうち まさふみ、1891年10月8日 - 1944年8月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・秋山。
滋賀県立膳所高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月8日生まれの人      1891年生まれの人


滋賀県立彦根東高等学校の出身者
 411  野村実    慶應義塾大学へ進学Wikipedia
野村 実(野村 實 のむら みのる、1922年(大正11年)4月16日 - 2001年(平成13年)5月18日)は、日本の海軍軍人、軍事史研究者。専門は日本海軍史。
滋賀県立彦根東高等学校から慶應義塾大学への進学者      全国の慶應義塾大学の出身者      
4月16日生まれの人      1922年生まれの人
 412  北野憲造    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
北野 憲造(きたの けんぞう、1889年(明治22年)8月24日 - 1960年(昭和35年)7月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
滋賀県立彦根東高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
8月24日生まれの人      1889年生まれの人


京都府立洛北高等学校の出身者
 413  久邇宮徳彦王Wikipedia
梨本 徳彦(なしもと のりひこ、1922年(大正11年)11月19日 - 2007年(平成19年)2月7日)は、日本の海軍軍人、皇族、華族。位階は従四位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終階級は海軍大尉。お印は鳳凰。
11月19日生まれの人      1922年生まれの人
 414  永末英一    東京大学へ進学Wikipedia
永末 英一(ながすえ えいいち、 1918年1月2日 - 1994年7月10日)は、大日本帝国海軍の軍人(短期現役士官)。日本の政治家。民社党委員長、衆議院議員(通算10期)、社会主義インターナショナル副議長。
京都府立洛北高等学校から東京大学への進学者      全国の東京大学の出身者      
1月2日生まれの人      1918年生まれの人
 415  四手井綱正Wikipedia
四手井 綱正(しでい つなまさ、1895年1月27日 - 1945年8月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
1月27日生まれの人      1895年生まれの人
 416  森友一Wikipedia
森 友一(もり ともかず/もり ともいち、1893年(明治26年)2月28日 - 1959年(昭和34年)1月23日)は、日本海軍の軍人。操艦の名手といわれ、太平洋戦争において重巡洋艦・「羽黒」艦長として歴戦。のち第一水雷戦隊司令官を務めた海軍少将である。
2月28日生まれの人      1893年生まれの人
 417  前田正実Wikipedia
前田 正実(まえだ まさみ、1892年11月10日 - 1953年7月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
11月10日生まれの人      1892年生まれの人
 418  小畑敏四郎Wikipedia
小畑 敏四郎(おばた としろう、1885年(明治18年)2月19日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は日本の陸軍軍人で陸軍中将。栄典は、正四位・勲一等(昭和20年8月19日時点)。高知県出身。
2月19日生まれの人      1885年生まれの人
 419  中村亀三郎Wikipedia
中村 亀三郎(なかむら かめざぶろう、1884年1月28日 - 1944年11月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
1月28日生まれの人      1884年生まれの人


 420  橋本虎之助Wikipedia
橋本 虎之助(はしもと とらのすけ、1883年(明治16年)6月6日 - 1952年(昭和27年)1月26日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。愛知県出身。
6月6日生まれの人      1883年生まれの人
 421  山内静夫Wikipedia
山内 静夫(やまのうち しずお、1876年(明治9年)8月3日 – 1961年(昭和36年)6月6日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。満洲電信電話株式会社総裁。旧名は岱亮。
8月3日生まれの人      1876年生まれの人
 422  久邇宮邦彦王    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年(明治6年)7月23日 - 1929年(昭和4年)1月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人。階級及び位階勲等は軍事参議官、陸軍大将、大勲位、功四級。贈元帥、贈大勲位菊花章頸飾。
京都府立洛北高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
7月23日生まれの人      1873年生まれの人


京都府立園部高等学校の出身者
 423  畑中健二    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
畑中 健二(はたなか けんじ、1912年3月28日(明治45年) - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。
京都府立園部高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月28日生まれの人      1912年生まれの人


大阪府立市岡高等学校の出身者
 424  奥宮正武    海軍兵学校へ進学Wikipedia
奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年(明治42年)7月27日 - 2007年(平成19年)2月22日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵58期。最終階級は、海軍では海軍中佐、自衛隊では空将。
大阪府立市岡高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
7月27日生まれの人      1909年生まれの人
 425  影佐禎昭    福山市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
影佐 禎昭(かげさ さだあき、明治26年(1893年)3月7日 - 昭和23年(1948年)9月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
大阪府立市岡高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      福山市の出身者      
3月7日生まれの人      1893年生まれの人


大阪府立今宮高等学校の出身者
 426  石井卓雄    福山市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
石井 卓雄(いしい たくお、1919年12月3日 - 1950年5月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。日本の敗戦後にベトナム独立のためにベトナム独立戦争に参加して戦没。グエン・ソン将軍の軍政顧問。クァンガイ軍政学校教官。トゥイホア陸軍中学教官。ベトナム独立戦争時には、「花谷」「チャン・チ・ズン(陳志勇)」「トン」を名乗った。
大阪府立今宮高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      福山市の出身者      
12月3日生まれの人      1919年生まれの人


大阪府立天王寺高等学校の出身者
 427  仁科関夫    大津市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10日 - 1944年(昭和19年)11月20日)は、日本の海軍軍人。海兵71期。太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、人間魚雷「回天」を創案するとともに自らも出撃して戦死した。最終階級は海軍少佐。
大阪府立天王寺高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      大津市の出身者      
4月10日生まれの人      1923年生まれの人
 428  草鹿龍之介    海軍兵学校へ進学Wikipedia
草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年(明治25年)9月25日 - 1971年(昭和46年)11月23日)は、日本の海軍軍人、剣道家。海軍兵学校41期生。海軍大学校21期。最終階級は中将。一刀正伝無刀流第4代宗家。
大阪府立天王寺高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
9月25日生まれの人      1892年生まれの人
 429  近藤信竹    海軍兵学校へ進学Wikipedia
近藤 信竹(こんどう のぶたけ、1886年(明治19年)9月25日 - 1953年(昭和28年)2月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。
大阪府立天王寺高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
9月25日生まれの人      1886年生まれの人
 430  豊田貞次郎    東京外国語大学へ進学Wikipedia
豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8月7日 - 1961年(昭和36年)11月21日)は、日本の海軍軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。海兵33期首席。和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。従二位勲一等。
大阪府立天王寺高等学校から東京外国語大学への進学者      全国の東京外国語大学の出身者      
8月7日生まれの人      1885年生まれの人


大阪府立北野高等学校の出身者
 431  三和義勇    海軍兵学校へ進学Wikipedia
三和 義勇(みわ よしたけ、1899年(明治32年)4月26日 - 1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。海兵48期。最終階級は海軍少将。テニアン島で戦死。
大阪府立北野高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
4月26日生まれの人      1899年生まれの人
 432  清河純一    海軍兵学校へ進学Wikipedia
清河 純一(きよかわ じゅんいち、1878年1月7日 - 1935年3月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
大阪府立北野高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1月7日生まれの人      1878年生まれの人
 433  植田謙吉    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
植田 謙吉(うえだ けんきち、1875年(明治8年)3月8日 - 1962年(昭和37年)9月11日)は、日本の陸軍軍人。陸士10期、陸大21期。陸軍大将正三位勲一等功三級。
大阪府立北野高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月8日生まれの人      1875年生まれの人


大阪府立茨木高等学校の出身者
 434  小畑信良    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
小畑 信良(おばた のぶよし、1897年(明治30年)3月29日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。兄に小畑英良。
大阪府立茨木高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月29日生まれの人      1897年生まれの人


大阪府立富田林高等学校の出身者
 435  林弥一郎    藤井寺市Wikipedia
林 弥一郎(はやし やいちろう、1911年9月2日 - 1999年8月14日)は、大日本帝国陸軍の軍人、最終階級は陸軍少佐。日中友好会会長。中国人民解放軍空軍の父。大阪府出身。
藤井寺市の出身者      
9月2日生まれの人      1911年生まれの人


大阪高等学校の出身者
 436  水木しげる    境港市    武蔵野美術大学へ進学Wikipedia
水木 しげる(みずき しげる、男性、1922年[注 1]3月8日 - 2015年11月30日)は、日本の漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は武良 茂(むら しげる)。
大阪高等学校から武蔵野美術大学への進学者      全国の武蔵野美術大学の出身者      境港市の出身者      
3月8日生まれの人      1922年生まれの人


兵庫県立神戸高等学校の出身者
 437  宮崎俊男    海軍兵学校へ進学Wikipedia
宮嵜 俊男(みやざき としお、1899年(明治32年)10月18日 - 1965年(昭和40年)4月7日)は、日本の海軍軍人。米駐在時代に情報活動に従事し、米国官憲に摘発され国外追放処分を受ける。太平洋戦争中、連合艦隊先任参謀に擬せられるが、山本五十六の戦死により実現しなかった。最終階級は海軍大佐。
兵庫県立神戸高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月18日生まれの人      1899年生まれの人
 438  四方諒二    神戸市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
四方 諒二(しかた りょうじ、明治29年(1896年)4月28日 - 昭和52年(1977年)12月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
兵庫県立神戸高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      神戸市の出身者      
4月28日生まれの人      1896年生まれの人
 439  小島秀雄    神戸市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
小島 秀雄(こじま ひでお、1896年4月5日 - 1982年3月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。3度に及ぶドイツ駐在歴があり、戦後には日独友好にも尽力した。
兵庫県立神戸高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
4月5日生まれの人      1896年生まれの人


 440  奥田喜久司    海軍兵学校へ進学Wikipedia
奥田 喜久司(おくだ きくじ、1894年(明治27年)2月4日 - 1939年(昭和14年)11月4日)は、日本の海軍軍人。少年飛行兵制度を発案することで予科練に至る基礎をつくり、のちに航空隊司令として作戦指揮中に戦死した海軍少将である。
兵庫県立神戸高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
2月4日生まれの人      1894年生まれの人
 441  酒井隆     東広島市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
酒井 隆(さかい たかし、1887年10月18日 - 1946年9月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争勃発時に第23軍司令官として香港を攻略した。
兵庫県立神戸高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者       東広島市の出身者      
10月18日生まれの人      1887年生まれの人
 442  寺本武治    海軍兵学校へ進学Wikipedia
寺本 武治(てらもと たけじ、1884年2月25日 - 1958年12月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
兵庫県立神戸高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
2月25日生まれの人      1884年生まれの人


兵庫県立洲本高等学校の出身者
 443  儀我誠也    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
儀我 誠也(ぎが せいや、1888年11月11日 - 1938年1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
兵庫県立洲本高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月11日生まれの人      1888年生まれの人


兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者
 444  笠井智一Wikipedia
笠井 智一(かさい ともかず、1926年(大正15年)3月8日 - )は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍上等飛行兵曹。太平洋戦争におけるエース・パイロット。
3月8日生まれの人      1926年生まれの人
 445  樋口季一郎    南あわじ市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
樋口 季一郎(ひぐち きいちろう、1888年8月20日 - 1970年10月11日)は、日本の陸軍軍人。兵庫県淡路島出身。最終階級は陸軍中将。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団師団長等を歴任し、最終役職は第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      南あわじ市の出身者      
8月20日生まれの人      1888年生まれの人
 446  磯谷廉介    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
磯谷 廉介(いそがい れんすけ、1886年9月3日 - 1967年6月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争期に日本占領下の香港で総督を務めた。
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月3日生まれの人      1886年生まれの人
 447  河本大作    佐用町    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
河本 大作(こうもと だいさく、1883年(明治16年)1月24日 - 1955年(昭和30年)8月25日)は、昭和初期に活動した日本の陸軍軍人。張作霖爆殺事件の首謀者として知られる。
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      佐用町の出身者      
1月24日生まれの人      1883年生まれの人
 448  安藤紀三郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
安藤 紀三郎(あんどう きさぶろう、1879年2月11日 - 1954年5月10日)は、日本の政治家、陸軍軍人。
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
2月11日生まれの人      1879年生まれの人
 449  本庄繁    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
本庄 繁(ほんじょう しげる、1876年(明治9年)5月10日 - 1945年(昭和20年)11月20日)は、日本の陸軍軍人。第10師団長・関東軍司令官・侍従武官長を歴任し階級は陸軍大将正三位勲一等功一級男爵に至る。軍を退いてからは軍事保護院総裁や枢密顧問官を務める。長男一雄は陸軍主計中佐。娘は山口一太郎陸軍大尉に嫁ぐ。本庄は書を心得、剣華と号す。渾名は「たくわん石」。
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
5月10日生まれの人      1876年生まれの人
 450  本郷房太郎    篠山市Wikipedia
本郷 房太郎(ほんごう ふさたろう、万延元年1月24日(1860年2月15日) - 昭和6年(1931年)3月20日)は、日本の陸軍軍人。軍事参議官・青島守備軍司令官や第1・第17師団長を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功三級。軍を退いてからは久邇宮宮務監督や大日本武徳会長を務める。
篠山市の出身者      
1月24日生まれの人      1860年生まれの人


兵庫県立龍野高等学校の出身者
 451  西田正雄    たつの市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
西田 正雄(にしだ まさお、1895年(明治28年)10月26日 - 1974年(昭和49年)3月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。
兵庫県立龍野高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      たつの市の出身者      
10月26日生まれの人      1895年生まれの人
 452  島津信夫Wikipedia
島津 信夫(しまづ のぶお、1893年(明治26年)1月3日 - 1990年(平成2年))は大正から昭和期の海軍軍人。正五位勲三等。最終階級は海軍大佐。
1月3日生まれの人      1893年生まれの人
 453  田中静壱    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
田中 静壱(たなか しずいち、1887年(明治20年)10月1日 - 1945年(昭和20年)8月24日)は、日本の陸軍軍人。官位は陸軍大将、従三位、勲一等瑞宝章、功三級金鵄勲章。
兵庫県立龍野高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月1日生まれの人      1887年生まれの人
 454  藤江恵輔    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
藤江 恵輔(ふじえ けいすけ、1885年(明治18年)11月8日 - 1969年(昭和44年)2月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
兵庫県立龍野高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月8日生まれの人      1885年生まれの人


兵庫県立豊岡高等学校の出身者
 455  庵原貢    海軍兵学校へ進学Wikipedia
庵原 貢(いはら みつぐ、1903年(明治36年)10月3日 - 1979年(昭和54年)3月31日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官である。海軍兵学校卒業(第52期)。第3代海上幕僚長。
兵庫県立豊岡高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月3日生まれの人      1903年生まれの人


奈良県立畝傍高等学校の出身者
 456  吉田之久    京都大学へ進学Wikipedia
吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 2003年3月24日)は、日本の元軍人、政治家。海兵74期。最終階級は少尉。戦後衆議院議員(通算7期)、参議院議員(連続2期)。奈良県磯城郡田原本町出身。
奈良県立畝傍高等学校から京都大学への進学者      全国の京都大学の出身者      
12月4日生まれの人      1926年生まれの人
 457  淵田美津雄    葛城市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
淵田 美津雄(ふちだ みつお、1902年(明治35年)12月3日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の海軍軍人、キリスト教伝道者。海軍兵学校52期。最終階級は海軍大佐。
奈良県立畝傍高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      葛城市の出身者      
12月3日生まれの人      1902年生まれの人


和歌山県立海南高等学校の出身者
 458  小野田寛郎    海南市Wikipedia
小野田 寛郎(おのだ ひろお、大正11年(1922年)3月19日 - 平成26年(2014年)1月16日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。
海南市の出身者      
3月19日生まれの人      1922年生まれの人


和歌山県立桐蔭高等学校の出身者
 459  西浦進Wikipedia
西浦 進(にしうら すすむ、1901年(明治34年)12月4日 - 1970年(昭和45年)11月5日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大佐。陸軍士官学校34期(秩父宮を除き3番、恩賜)、陸軍大学校42期(首席)。陸軍士官学校同期の服部卓四郎および堀場一雄と並び「34期三羽烏」と称された[1]。主に陸軍省軍務局に属して軍政に従事、太平洋戦争開戦前後には東條英機首相兼陸軍大臣の大臣秘書官を務めた。戦後は太平洋戦争史の調査研究に注力し、防衛庁防衛研修所戦史室の初代室長として『戦史叢書』の編纂を進めた。
12月4日生まれの人      1901年生まれの人


 460  榎本隆一郎Wikipedia
榎本 隆一郎(えのもと りゅういちろう、1894年2月8日 - 1987年2月7日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍中将。
2月8日生まれの人      1894年生まれの人
 461  林義秀Wikipedia
林 義秀(はやし よしひで、1891年8月25日 - 1978年2月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
8月25日生まれの人      1891年生まれの人
 462  稲垣生起    和歌山市Wikipedia
稲垣 生起(いながき あやお、1890年(明治23年)2月20日 - 1942年(昭和17年)9月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
和歌山市の出身者      
2月20日生まれの人      1890年生まれの人
 463  寺島健    田辺市Wikipedia
寺島 健(てらじま けん、1882年(明治15年)9月23日 - 1972年(昭和47年)10月30日)は、日本の海軍軍人、政治家。海軍中将で予備役となったのち、東條内閣で逓信大臣、鉄道大臣を務めた。
田辺市の出身者      
9月23日生まれの人      1882年生まれの人
 464  野村吉三郎    和歌山市Wikipedia
野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1877年(明治10年)12月16日 - 1964年(昭和39年)5月8日)は、昭和初期に活躍した日本の海軍軍人、外交官、政治家。海兵26期次席。位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級。
和歌山市の出身者      
12月16日生まれの人      1877年生まれの人


和歌山県立日高高等学校の出身者
 465  椎崎二郎Wikipedia
椎崎 二郎(しいざき じろう、1911年9月20日 - 1945年8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐。
9月20日生まれの人      1911年生まれの人


鳥取県立鳥取西高等学校の出身者
 466  猪口敏平    鳥取市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
猪口 敏平(いのぐち としひら、1896年(明治29年)8月11日 - 1944年(昭和19年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦武蔵最後の艦長として知られる。
鳥取県立鳥取西高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      鳥取市の出身者      
8月11日生まれの人      1896年生まれの人
 467  岡田資    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
岡田 資(おかだ たすく、1890年4月14日 - 1949年9月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
鳥取県立鳥取西高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
4月14日生まれの人      1890年生まれの人
 468  西尾寿造    鳥取市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
西尾 寿造(にしお としぞう、明治14年(1881年)10月31日 − 昭和35年(1960年)10月26日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功一級。初代支那派遣軍総司令官。
鳥取県立鳥取西高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      鳥取市の出身者      
10月31日生まれの人      1881年生まれの人


島根県立松江北高等学校の出身者
 469  田中隆吉    安来市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
田中 隆吉(たなか りゅうきち、1893年(明治26年)7月9日 - 1972年(昭和47年)6月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
島根県立松江北高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      安来市の出身者      
7月9日生まれの人      1893年生まれの人
 470  山田定義    海軍兵学校へ進学Wikipedia
山田 定義(やまだ さだよし、1892年11月26日 - 1971年11月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
島根県立松江北高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
11月26日生まれの人      1892年生まれの人


島根県立大社高等学校の出身者
 471  中山定義    海軍兵学校へ進学Wikipedia
中山 定義(なかやま さだよし、1905年(明治38年)8月16日 - 1995年(平成7年)1月16日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。第4代海上幕僚長。島根県出雲市出身。東京都目黒区在住であった。長男は第10代明治学院長の中山弘正。
島根県立大社高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
8月16日生まれの人      1905年生まれの人


島根県立隠岐水産高等学校の出身者
 472  島内桓太    海軍兵学校へ進学Wikipedia
島内 桓太(しまのうち かんた、1871年1月31日(明治3年12月11日) - 1940年9月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。
島根県立隠岐水産高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1月31日生まれの人      1871年生まれの人


岡山県立岡山朝日高等学校の出身者
 473  額田坦    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
額田 坦(ぬかた ひろし、1895年9月5日 - 1976年9月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
岡山県立岡山朝日高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月5日生まれの人      1895年生まれの人
 474  宇垣纏    岡山市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
宇垣 纏(うがき まとめ、1890年(明治23年)2月15日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。最終階級は海軍中将。陣中日記『戦藻録』が有名。
岡山県立岡山朝日高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      岡山市の出身者      
2月15日生まれの人      1890年生まれの人
 475  坂野常善    岡山市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
坂野 常善(さかの つねよし、1884年(明治17年)12月1日 - 1971年(昭和46年)9月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
岡山県立岡山朝日高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      岡山市の出身者      
12月1日生まれの人      1884年生まれの人
 476  谷寿夫    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
谷 寿夫(たに ひさお、1882年(明治15年)12月23日 - 1947年(昭和22年)4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
岡山県立岡山朝日高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
12月23日生まれの人      1882年生まれの人


岡山県立津山高等学校の出身者
 477  花谷正    津山市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
花谷 正(はなや ただし、1894年(明治27年)1月5日 - 1957年(昭和32年)8月28日)は、日本の陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
岡山県立津山高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      津山市の出身者      
1月5日生まれの人      1894年生まれの人


金光学園高等学校の出身者
 478  立花芳夫    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
立花 芳夫(たちばな よしお、1890年(明治23年)2月24日 - 1947年(昭和22年)9月24日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。愛媛県出身。陸軍士官学校卒業(25期)。兵科は歩兵科。功四級。
金光学園高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
2月24日生まれの人      1890年生まれの人


広島県立広島国泰寺高等学校の出身者
 479  進藤三郎    呉市Wikipedia
進藤 三郎(しんどう さぶろう、1911年(明治44年)8月28日 - 2000年(平成12年)2月2日)は、神奈川県横須賀市出身の日本海軍軍人。海兵60期。
呉市の出身者      
8月28日生まれの人      1911年生まれの人


 480  カール・ヨネダWikipedia
カール・ゴーゾー・ヨネダ(Karl Gozo Yoneda、日本名:米田 剛三(よねだ ごうぞう)、1906年7月15日 - 1999年)は、アメリカ合衆国の労働運動家、ジャーナリスト、軍人。国際港湾倉庫労働組合設立の際は、主導的な役割を果たした。
1906年生まれの人
 481  源田実    太田町Wikipedia
源田 実(げんだ みのる、源田 實、1904年(明治37年)8月16日 - 1989年(平成元年)8月15日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官、政治家。海軍では海兵52期を卒業し、最終階級は大佐。戦闘機パイロット、航空参謀を歴任し、第三四三海軍航空隊司令として終戦を迎えた。自衛隊では初代航空総隊司令、第3代航空幕僚長を務め、ブルーインパルスを創設した。航空自衛隊の育ての親。政治家としては参議院議員を4期24年務めた。赤十字飛行隊の初代飛行隊長を務める。
太田町の出身者      
8月16日生まれの人      1904年生まれの人
 482  杉山茂Wikipedia
杉山 茂(すぎやま しげる、1902年(明治35年)4月28日 - 1982年(昭和57年)1月29日)は、日本の陸軍軍人及び陸上自衛官。陸士36期、陸大45期。第2代陸上幕僚長。戦後、服部卓四郎他からの勧めで東條英機の娘、東條光枝と結婚する。
4月28日生まれの人      1902年生まれの人
 483  岩畔豪雄    倉橋島Wikipedia
岩畔 豪雄(いわくろ ひでお、1897年10月10日 - 1970年11月22日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍少将。後方勤務要員養成所(陸軍中野学校)設立者、京都産業大学設立者の一人で元理事。
倉橋島の出身者      
10月10日生まれの人      1897年生まれの人
 484  西原一策Wikipedia
西原 一策(にしはら いっさく、1893年4月18日 - 1945年1月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。1940年の北部仏印進駐時の「西原・マルタン協定」の当事者として知られる。
4月18日生まれの人      1893年生まれの人
 485  小川貫爾Wikipedia
小川 貫爾(おがわ かんじ、1893年(明治26年)9月10日 - 1973年(昭和48年)1月23日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。広島県広島市中区出身。
9月10日生まれの人      1893年生まれの人
 486  三川軍一Wikipedia
三川 軍一(みかわ ぐんいち、1888年8月29日 - 1981年2月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
8月29日生まれの人      1888年生まれの人
 487  木村兵太郎Wikipedia
木村 兵太郎(きむら へいたろう、明治21年(1888年)9月28日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、日本の昭和期の陸軍軍人。太平洋戦争(大東亜戦争)後、A級戦犯として逮捕、極東国際軍事裁判にて死刑の判決を受け、絞首刑に処された。最終階級は陸軍大将。
9月28日生まれの人      1888年生まれの人
 488  佐々木到一Wikipedia
佐々木 到一(ささき とういち、1886年1月27日 - 1955年5月30日)は、日本の陸軍の軍人。陸士18期、陸大29期。最終階級は陸軍中将。陸軍きっての中国通で、蒋介石以下国民党領袖のほとんどと親しく、国民党の革命にも理解をよく理解を示した。人民服(中山装)の考案、デザインを行った事でも有名。
1月27日生まれの人      1886年生まれの人
 489  桑木崇明Wikipedia
桑木 崇明(くわき たかあきら、1885年10月22日 - 1945年12月6日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
10月22日生まれの人      1885年生まれの人
 490  末次信正Wikipedia
末次 信正(すえつぐ のぶまさ、1880年(明治13年)6月30日[注 1] - 1944年(昭和19年)12月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将、従二位・勲一等。第1次近衛内閣の内務大臣。坊の岬沖海戦で戦死した末次信義海軍中佐は長男。
6月30日生まれの人      1880年生まれの人


広島県立福山誠之館高等学校の出身者
 491  小林躋造    広島市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
小林 躋造(こばやし せいぞう、1877年(明治10年)10月1日 - 1962年(昭和37年)7月4日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。小磯國昭内閣の国務大臣。広島県広島市出身。
広島県立福山誠之館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      広島市の出身者      
10月1日生まれの人      1877年生まれの人
 492  木村茂    福山市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
木村 茂(きむら しげる、明治6年(1873年)2月11日 - 1972年8月25日)は、日本の陸軍軍人。歩兵将校の後主計に転じ、陸軍被服本廠長・第1師団経理部長・陸軍経理学校長を歴任する。階級は陸軍主計総監。
広島県立福山誠之館高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      福山市の出身者      
2月11日生まれの人      1873年生まれの人
 493  藤井包総    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
藤井 包總(ふじい かねすけ、1850年2月25日(嘉永3年1月14日) - 1925年(大正14年)12月5日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍中将。貴族院男爵議員。
広島県立福山誠之館高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
2月25日生まれの人      1850年生まれの人


広島県立呉三津田高等学校の出身者
 494  栗栖弘臣     呉市    東京大学へ進学Wikipedia
栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年(大正9年)2月27日 - 2004年(平成16年)7月19日)は、日本の内務省官僚、海軍軍人及び陸上自衛官。第12代陸上幕僚長、第10代統合幕僚会議議長。
広島県立呉三津田高等学校から東京大学への進学者      全国の東京大学の出身者       呉市の出身者      
2月27日生まれの人      1920年生まれの人


広島県立日彰館高等学校の出身者
 495  妹尾知之    海軍兵学校へ進学Wikipedia
妹尾 知之(せのお ともゆき、明治24年〈1891年〉 - 昭和59年〈1984年〉)は、日本の海軍軍人。海軍中将。海軍兵学校40期生。海軍大学校22期生。
広島県立日彰館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1891年生まれの人
 496  山口二三Wikipedia未登録
陸軍軍人、陸軍少佐、航空幕僚監部防衛部長


広島県立府中高等学校の出身者
 497  江草隆繁    福山市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
江草 隆繁(えぐさ たかしげ、1909年(明治42年)9月4日 - 1944年(昭和19年)6月15日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。五二一空陸上爆撃機搭乗員として参加したあ号作戦で戦死した。最終階級は海軍大佐。
広島県立府中高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      福山市の出身者      
9月4日生まれの人      1909年生まれの人


広島県立忠海高等学校の出身者
 498  後勝    三原市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
後 勝(うしろ まさる、1914年 - )は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。
広島県立忠海高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      三原市の出身者      
1914年生まれの人
 499  新見政一    広島市    海軍砲術学校へ進学Wikipedia
新見 政一(にいみ まさいち、1887年(明治20年)2月4日 - 1993年(平成5年)4月2日)は、日本の海軍軍人、戦史研究家。最終階級は海軍中将。
広島県立忠海高等学校から海軍砲術学校への進学者      全国の海軍砲術学校の出身者      広島市の出身者      
2月4日生まれの人      1887年生まれの人




山陽高等学校の出身者
 500  ハリー・K・フクハラWikipedia
ハリー・カツジ・フクハラ(Harry Katsuji Fukuhara、日本名:福原 克治(ふくはら かつじ)、1920年1月1日 - 2015年4月8日)は、元アメリカ陸軍情報部所属の軍人。最終階級は大佐。
1月1日生まれの人      1920年生まれの人


修道高等学校の出身者
 501  河石達吾    大柿村    慶應義塾大学へ進学Wikipedia
河石 達吾(かわいし たつご、1911年(明治44年)12月10日 - 1945年(昭和20年)3月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人、最終階級は陸軍大尉。水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック100m自由形銀メダリスト。慶應義塾大学法学部出身。
修道高等学校から慶應義塾大学への進学者      全国の慶應義塾大学の出身者      大柿村の出身者      
12月10日生まれの人      1911年生まれの人
 502  永井貞三Wikipedia
永井 貞三(ながい さだぞう、1901年3月 - 1944年10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は少将[3]。広島県出身。
1901年生まれの人
 503  扇一登Wikipedia
扇 一登(おうぎ かずと、1901年(明治34年)5月24日 - 2004年(平成16年)1月11日)は、日本の海軍軍人。最終階級は大佐。海兵51期、海大32期。広島県旧世羅郡三川村出身。
5月24日生まれの人      1901年生まれの人
 504  杉本五郎    広島市Wikipedia
杉本 五郎(すぎもと ごろう、明治33年(1900年)5月25日 - 昭和12年(1937年)9月14日)は、日本の陸軍軍人。遺言本『大義』が大ベストセラーとなり、当時の思想に影響を与えた。
広島市の出身者      
5月25日生まれの人      1900年生まれの人
 505  桑原支那吉Wikipedia
桑原 支那吉(くわばら しなきち、1895年(明治28年)10月7日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。広島県出身。
10月7日生まれの人      1895年生まれの人
 506  伊藤良秋Wikipedia
伊藤 良秋(いとう よしあき、1893年(明治26年) - 1972年(昭和47年)7月30日)は、日本の海軍軍人。最終階級は少将。広島県出身。
1893年生まれの人
 507  三戸寿Wikipedia
三戸 寿(みと ひさし・三戸 壽、1891年11月9日 - 1967年5月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将、海軍省廃止時の海軍次官。潜水艦の権威者であった。
11月9日生まれの人      1891年生まれの人
 508  星野応韶Wikipedia
星野 応韶(ほしの まさつぐ、1890年(明治23年)10月14日 - 1965年(昭和40年)1月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
10月14日生まれの人      1890年生まれの人
 509  多田勉吉Wikipedia
多田 勉吉(ただ べんきち、1889年(明治22年)9月19日 - 1958年(昭和33年)4月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中将。広島県出身。
9月19日生まれの人      1889年生まれの人
 510  国崎登Wikipedia
国崎 登(くにさき のぼる、1886年(明治19年)8月20日 - 1960年(昭和35年)11月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
8月20日生まれの人      1886年生まれの人
 511  金子養三Wikipedia
金子 養三(かねこ ようぞう、1882年(明治15年)6月11日 - 1941年(昭和16年)12月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。日本海軍の最初期の搭乗員で、また搭乗員経験者として最初の将官となった。日本海軍飛行機の元祖、また海鷲育ての親ともいわれる人物である。
6月11日生まれの人      1882年生まれの人
 512  重村義一Wikipedia
重村 義一(しげむら ぎいち、1875年(明治8年)2月14日 - 1938年(昭和13年)3月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍機関少将。広島県出身。
2月14日生まれの人      1875年生まれの人
 513  池田岩三郎Wikipedia
池田 岩三郎(いけだ いわさぶろう、1874年(明治7年)8月23日 - 1937年(昭和12年)2月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。広島県出身。
8月23日生まれの人      1874年生まれの人
 514  橋本又吉郎Wikipedia
橋本 又吉郎(はしもと またきちろう、1866年1月31日(慶応元年12月15日) - 1928年(昭和3年)6月3日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。現在の広島県出身。
1月31日生まれの人      1866年生まれの人
 515  加藤友三郎    広島市Wikipedia
加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、1861年4月1日(文久元年2月22日) - 1923年(大正12年)8月24日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将、没後 元帥海軍大将。日露戦争で連合艦隊参謀長(日本海海戦時、第一艦隊参謀長兼任)、ワシントン会議で日本首席全権委員を務める。海軍大臣(第20-24代)、内閣総理大臣(第21代)を歴任し、山梨軍縮やシベリア出兵撤兵を成し遂げた。位階は正二位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。
広島市の出身者      
4月1日生まれの人      1861年生まれの人
 516  香川富太郎Wikipedia
香川 富太郎(かがわ とみたろう、1853年9月25日(嘉永6年8月23日) - 1937年(昭和12年)12月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。安芸国(現・広島県)出身。
9月25日生まれの人      1853年生まれの人
 517  村上敬次郎Wikipedia
村上 敬次郎(むらかみ けいじろう、嘉永6年9月4日(1853年10月6日) - 昭和4年(1929年)2月15日)は、安芸国(現広島県)出身の官僚、大日本帝国海軍軍人。貴族院議員、男爵、勲一等旭日大綬章。
9月4日生まれの人      1853年生まれの人
 518  佐藤正Wikipedia
佐藤 正(さとう ただし、嘉永2年6月1日(1849年7月20日) - 大正9年(1920年)4月27日)は、明治時代の陸軍軍人。階級は陸軍少将、位階は従二位功四級。広島県広島市出身。広島県平民。歩兵第18連隊長、第3代広島市長、宮中顧問官等を歴任する。
6月1日生まれの人      1849年生まれの人
 519  小鷹狩元凱Wikipedia
小鷹狩 元凱(こたかり もとよし)は明治時代の軍人、政治家、郷土史家。号は預園、後に弘洲。旧広島藩士。維新後陸軍に出仕して徴兵事務に携わり、大尉まで進むも、薩長による藩閥に反発して立憲改進党に入党し、自由民権運動に携わった。帝国議会開設後、度々衆議院議員総選挙に出馬するも苦戦し、一期務めたのみで引退、晩年は芸備協会での育英事業に専念し、また広島の藩政時代等についての事跡を書き残した。




崇徳学園の出身者
 520  進藤三郎    呉市Wikipedia
進藤 三郎(しんどう さぶろう、1911年(明治44年)8月28日 - 2000年(平成12年)2月2日)は、神奈川県横須賀市出身の日本海軍軍人。海兵60期。
呉市の出身者      
8月28日生まれの人      1911年生まれの人
 521  岡部直三郎     広島市Wikipedia
岡部 直三郎(おかべ なおざぶろう、1887年9月30日 - 1946年11月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。北支那方面軍総司令官、第3方面軍司令官、第6方面軍司令官。
広島市の出身者      
9月30日生まれの人      1887年生まれの人


広島県新庄学園の出身者
 522  上田定(Wikipedia未登録
海軍軍人、真珠湾攻撃の際、特殊潜航艇に乗組み他の8人と共に戦死。9軍神と讃えられた。〈旧制新庄中学校〉


山口県立徳山高等学校の出身者
 523  飯田房太    周南市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
飯田 房太(いいだ ふさた、1913年(大正2年)2月12日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。海兵62期。空母「蒼龍」戦闘機搭乗員として真珠湾攻撃に参加。戦死による二階級特進で最終階級は海軍中佐。
山口県立徳山高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      周南市の出身者      
2月12日生まれの人      1913年生まれの人
 524  山縣正郷    海軍兵学校へ進学Wikipedia
山縣 正郷(やまがた まさくに、有職読み:せいごう、新字体:山県、1891年(明治24年)2月15日 ‐ 1945年(昭和20年)3月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。
山口県立徳山高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
2月15日生まれの人      1891年生まれの人


山口県立防府高等学校の出身者
 525  豊嶋房太郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
豊嶋 房太郎(てしま ふさたろう、1889年1月5日 - 1979年4月9日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
山口県立防府高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1月5日生まれの人      1889年生まれの人


山口県立山口高等学校の出身者
 526  志賀淑雄    海軍兵学校へ進学Wikipedia
志賀 淑雄(しが よしお、1914年(大正3年)- 2005年 (平成17年)11月25日)は、日本の海軍軍人。海兵62期。最終階級は海軍少佐。東京都出身。旧姓は四元。
山口県立山口高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1914年生まれの人
 527  田中頼三    山口市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
田中 頼三(たなか らいぞう、1892年(明治25年)4月27日 - 1969年(昭和44年)7月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
山口県立山口高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      山口市の出身者      
4月27日生まれの人      1892年生まれの人
 528  金沢正夫    海軍兵学校へ進学Wikipedia
金澤 正夫(かなざわ まさお、1889年10月25日 - 1969年6月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
山口県立山口高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月25日生まれの人      1889年生まれの人


山口県立萩高等学校の出身者
 529  阿武天風    萩市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
阿武 天風(あぶ てんぷう、1882年(明治15年)9月8日 - 1928年(昭和3年)6月22日)は日本の軍人、小説家、編集者。雑誌『冒険世界』の主筆を務めるなどして、冒険小説を多く発表した。代表作に『太陽は勝てり』など。
山口県立萩高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      萩市の出身者      
9月8日生まれの人      1882年生まれの人


徳島県立城南高等学校の出身者
 530  高橋赫一    海軍兵学校へ進学Wikipedia
高橋 赫一(たかはし かくいち、1906年(明治39年)11月29日 - 1942年(昭和17年)5月8日)は、日本の海軍軍人。海兵56期。珊瑚海海戦に空母「翔鶴」艦上爆撃機搭乗員として参加し、米空母「レキシントン」攻撃後に戦死。最終階級は海軍大佐。
徳島県立城南高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
11月29日生まれの人      1906年生まれの人
 531  阿南惟幾    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
阿南 惟幾(あなみ これちか)は、1887年(明治20年)2月21日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級。
徳島県立城南高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
2月21日生まれの人      1887年生まれの人


徳島県立脇町高等学校の出身者
 532  酒巻和男    阿波市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
酒巻 和男(さかまき かずお、1918年(大正7年)11月8日 - 1999年(平成11年)11月29日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争劈頭の真珠湾攻撃において特殊潜航艇「甲標的」搭乗員として参加。艇が座礁し、最初の日本人捕虜となる。最終階級は海軍少尉。
徳島県立脇町高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      阿波市の出身者      
11月8日生まれの人      1918年生まれの人


徳島県立池田高等学校の出身者
 533  檜與平Wikipedia
檜 與平(ひのき よへい、1920年 - 1991年、桧 与平)は、日本の陸軍軍人。戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少佐。徳島県出身。
1920年生まれの人


香川県立三本松高等学校の出身者
 534  樋端久利雄Wikipedia
樋端 久利雄(といばた くりお/といばな くりお、1903年(明治36年)8月1日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。海軍甲事件で搭乗機(「一式陸攻」)を撃墜され、戦死。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍大佐。
8月1日生まれの人      1903年生まれの人


香川県立丸亀高等学校の出身者
 535  宮崎勇    東京大学へ進学Wikipedia
宮崎 勇(みやざき いさむ、宮﨑 勇、1919年(大正8年)10月5日 - 2012年(平成24年)4月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少尉。太平洋戦争における撃墜王。
香川県立丸亀高等学校から東京大学への進学者      全国の東京大学の出身者      
10月5日生まれの人      1919年生まれの人
 536  原田熊吉    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
原田 熊吉(はらだ くまきち、1888年8月8日 - 1947年5月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。香川県生まれ、大阪府出身。陸士22期、陸大28期。
香川県立丸亀高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
8月8日生まれの人      1888年生まれの人


香川県立観音寺第一高等学校の出身者
 537  田辺弥八    海軍兵学校へ進学Wikipedia
田辺 弥八(たなべ やはち、1905年(明治38年) 8月13日 - 1990年(平成2年)4月29日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争において米空母ヨークタウンを撃沈した「伊一六八」潜水艦長でもある。最終階級は海軍中佐。
香川県立観音寺第一高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
8月13日生まれの人      1905年生まれの人
 538  矢野英雄    三豊市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
矢野 英雄(やの ひでお、1894年(明治27年)11月1日 - 1944年(昭和19年)7月8日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。サイパンで戦死、特進により最終階級は海軍中将。
香川県立観音寺第一高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      三豊市の出身者      
11月1日生まれの人      1894年生まれの人
 539  片桐茂    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
片桐 茂(かたぎり しげる、1892年(明治25年)3月18日 - 1944年(昭和19年)4月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
香川県立観音寺第一高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
3月18日生まれの人      1892年生まれの人


 540  秋山門造Wikipedia
秋山 門造(あきやま もんぞう、1891年(明治24年)12月30日 - 1944年(昭和19年)2月2日)は、日本の海軍軍人。海兵42期。太平洋戦争におけるクェゼリンの戦いで司令官として戦死した。死後特進により最終階級は海軍中将。
12月30日生まれの人      1891年生まれの人
 541  斎藤弥平太    三豊市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
斎藤 弥平太(さいとう やへいた、1885年(明治18年)9月28日 - 没年不詳(1953年(昭和28年)9月28日、戦時死亡宣告))は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
香川県立観音寺第一高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      三豊市の出身者      
9月28日生まれの人      1885年生まれの人


愛媛県立西条高等学校の出身者
 542  関行男    西条市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
関 行男(せき ゆきお/つらお[注釈 1]、1921年8月29日 - 1944年10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。レイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」の隊長として特攻し、アメリカ海軍の護衛空母セント・ローを撃沈したことで、死後「敷島隊五軍神」の1人として顕彰された。特攻による二階級特進で最終階級は海軍中佐。
愛媛県立西条高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      西条市の出身者      
8月29日生まれの人      1921年生まれの人
 543  田坂専一    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
田坂 専一(たさか せんいち、1892年11月8日 - 1979年12月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
愛媛県立西条高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
11月8日生まれの人      1892年生まれの人


愛媛県立今治西高等学校の出身者
 544  渡辺正夫    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
渡辺 正夫(わたなべ まさお、1888年10月10日 - 1950年10月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
愛媛県立今治西高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
10月10日生まれの人      1888年生まれの人


愛媛県立松山東高等学校の出身者
 545  吉川猛夫Wikipedia
吉川 猛夫(よしかわ たけお、1912年(明治45年)3月7日 - 1993年(平成5年)2月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少尉。
3月7日生まれの人      1912年生まれの人
 546  玉井浅一Wikipedia
玉井 浅一(たまい あさいち、1902年12月25日 - 1964年12月10日)は、日本の海軍軍人。海兵52期。最終階級は海軍大佐。
12月25日生まれの人      1902年生まれの人
 547  山本親雄Wikipedia
山本 親雄(やまもと ちかお、1896年(明治29年)10月13日 - 1980年(昭和55年)11月4日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
10月13日生まれの人      1896年生まれの人
 548  矢野志加三Wikipedia
矢野 志加三(やの しかぞう、1893年(明治26年)8月5日 - 1966年(昭和41年)1月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
8月5日生まれの人      1893年生まれの人
 549  佗美浩Wikipedia
佗美 浩(たくみ ひろし、1891年5月2日 - 1970年12月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。太平洋戦争開戦直後のコタバル上陸作戦を指揮した。
5月2日生まれの人      1891年生まれの人
 550  田辺盛武Wikipedia
田辺 盛武(たなべ もりたけ、1889年2月26日 - 1949年7月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 オランダ領東インド
2月26日生まれの人      1889年生まれの人
 551  安達東三郎Wikipedia
安達 東三郎(あだち とうさぶろう、1887年(明治20年) - 1915年(大正4年)3月6日)は、日本の海軍軍人で海軍航空草創期の搭乗員。試験飛行中に搭乗機が墜落し他の乗員二人とともに殉職したが、安達らの殉職は海軍搭乗員の日本国内における殉職としては最初の事例となった[注 1]。最終階級は海軍大尉。
1887年生まれの人
 552  籾山重幸Wikipedia
籾山 重幸(もみやま しげゆき、1881年9月11日 - 1957年11月26日)は、日本海軍の軍人。 最終階級は海軍大佐。
9月11日生まれの人      1881年生まれの人
 553  相原四郎Wikipedia
相原 四郎(あいばら しろう[注 1]、1879年(明治12年)10月2日 - 1911年(明治44年)1月8日)は、日本の海軍軍人。 日本海軍の最初の搭乗員であり、また日本初の航空事故犠牲者とする見解もある。相原は仏海軍士官ル・プリウール、田中舘愛橘と協力して日本で最初のグライダー製作および飛行の成功に貢献し自らも搭乗した。この成功は日本における航空工学に則った機体飛行の最初の事例であった[3]。最終階級は海軍大尉。
10月2日生まれの人      1879年生まれの人
 554  櫻井忠温Wikipedia
櫻井 忠温(さくらい ただよし、1879年(明治12年)6月11日 - 1965年(昭和40年)9月17日)は、日本陸軍軍人、作家。最終階級は陸軍少将。翻訳家、教育者の櫻井鴎村は実兄。木村駿吉の娘婿で海軍中将の櫻井忠武は実弟。
6月11日生まれの人      1879年生まれの人
 555  重岡信治郎Wikipedia
重岡 信治郎(しげおか のぶじろう 1879年(明治12年)5月10日 - 1971年(昭和46年)1月16日)は、日本の海軍軍人。井出謙治らに続き、潜水艦の拡充に尽力した海軍中将である。 なお"重岡信次郎"とする資料もある。
5月10日生まれの人      1879年生まれの人
 556  川島義之Wikipedia
川島 義之(かわしま よしゆき、明治11年(1878年)5月25日 - 昭和20年(1945年)9月8日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。愛媛県生まれ。
5月25日生まれの人      1878年生まれの人
 557  水野廣徳Wikipedia
水野 広徳(みずの ひろのり、旧字体: 水野 廣德、明治8年(1875年)5月24日 - 昭和20年(1945年)10月18日)は、日本海軍の軍人・軍事評論家。最終階級は海軍大佐。父は旧松山藩能方の水野光之で末子。
5月24日生まれの人      1875年生まれの人
 558  櫻井鴎村Wikipedia
櫻井 鴎村(さくらい おうそん、1872年7月31日(明治5年6月26日) - 1929年(昭和4年)2月27日)は日本の翻訳家、児童文学者、教育者、実業家である。本名は彦一郎(ひこいちろう)。津田梅子とともに女子英学塾(今の津田塾大学)を設立して幹事となる。北樺太石油会社(英: Northern Karafuto Oil Consession)の取締役を勤める。日本陸軍軍人の櫻井忠温は弟である。
7月31日生まれの人      1872年生まれの人
 559  勝田主計    東京大学へ進学Wikipedia
勝田 主計(しょうだ かずえ、明治2年旧暦9月15日(1869年10月19日)- 昭和23年(1948年)10月10日)は日本の大蔵官僚、政治家。同郷の俳人・正岡子規や海軍軍人・秋山真之の友人だった。
愛媛県立松山東高等学校から東京大学への進学者      全国の東京大学の出身者      
10月19日生まれの人      1869年生まれの人


 560  白川義則Wikipedia
白川 義則(しらかわ よしのり、1869年1月24日(明治元年12月12日) - 1932年(昭和7年)5月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、栄典は勲一等功二級男爵。
1月24日生まれの人      1869年生まれの人
 561  山路一善Wikipedia
山路 一善(やまじ かずよし、明治2年3月13日(1869年4月24日)- 1963年(昭和38年)3月13日)は、明治から大正の大日本帝国海軍の海軍中将。兄に愛媛県師範学校長の山路一遊と、日本興業銀行副総裁の佃一予。夫人「すえ」は山本権兵衛の次女(財部彪夫人の実妹)。日本海軍での航空兵力の導入、整備に尽力し、「海軍航空の生みの親」と呼ばれる。
3月13日生まれの人      1869年生まれの人
 562  秋山真之Wikipedia
秋山 真之(あきやま さねゆき、旧字体: 秋山 眞之、慶応4年3月20日(1868年4月12日) - 大正7年(1918年)2月4日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。位階勲等功級は従四位勲二等功三級。勲二等旭日重光章、功三級金鵄勲章を授与された。幼名は淳五郎(じゅんごろう)。
3月20日生まれの人      1868年生まれの人
 563  浅岡満俊    慶應義塾大学へ進学Wikipedia
浅岡 満俊(あさおか みつとし、1861年12月28日(文久元年11月27日) - 1936年(昭和11年)8月26日)は、日本の海軍軍人。海軍造船中将。
愛媛県立松山東高等学校から慶應義塾大学への進学者      全国の慶應義塾大学の出身者      
12月28日生まれの人      1861年生まれの人
 564  秋山好古    大阪教育大学へ進学Wikipedia
秋山 好古(あきやま よしふる、安政6年1月7日(1859年2月9日)- 昭和5年(1930年)11月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級及び位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。幼名は信三郎。
愛媛県立松山東高等学校から大阪教育大学への進学者      全国の大阪教育大学の出身者      
1月7日生まれの人      1859年生まれの人


愛媛県立松山北高等学校の出身者
 565  越智孝平    松山市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
越智 孝平(おち こうへい、1889年(明治22年)2月3日 - 1968年(昭和43年)6月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。松山市長。
愛媛県立松山北高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      松山市の出身者      
2月3日生まれの人      1889年生まれの人


高知県立高知小津高等学校の出身者
 566  横山一郎    横須賀市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
横山 一郎(よこやま いちろう、1900年(明治33年)3月1日 - 1993年(平成5年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。1945年(昭和20年)9月2日、アメリカ海軍の戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書調印式に出席した人物でもある。
高知県立高知小津高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      横須賀市の出身者      
3月1日生まれの人      1900年生まれの人
 567  大石保    海軍兵学校へ進学Wikipedia
大石 保(おおいし たもつ、1900年1月28日 - 1946年2月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
高知県立高知小津高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1月28日生まれの人      1900年生まれの人
 568  土居明夫    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
土居 明夫(どい あきお、1896年(明治29年)6月30日 - 1976年(昭和51年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
高知県立高知小津高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
6月30日生まれの人      1896年生まれの人
 569  山本健児    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
山本 健児(やまもと けんじ、1895年(明治28年)9月20日 - 1975年(昭和50年)9月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
高知県立高知小津高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月20日生まれの人      1895年生まれの人
 570  渋谷清見    海軍兵学校へ進学Wikipedia
渋谷 清見(しぶや きよみ、1895年9月27日 - 1985年2月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
高知県立高知小津高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
9月27日生まれの人      1895年生まれの人
 571  久野村桃代    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
久野村 桃代(くのむら とうだい、1893年12月22日 - 1979年11月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
高知県立高知小津高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
12月22日生まれの人      1893年生まれの人
 572  山崎重暉    海軍兵学校へ進学Wikipedia
山崎 重暉(やまざき しげあき、1893年1月21日 - 1980年12月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
高知県立高知小津高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
1月21日生まれの人      1893年生まれの人
 573  沢田茂    高知市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
沢田 茂(さわだ しげる、1887年(明治20年)3月29日 - 1980年(昭和55年)12月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
高知県立高知小津高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      高知市の出身者      
3月29日生まれの人      1887年生まれの人
 574  山下奉文    大豊町    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、位階勲等は従三位勲一等功三級。高知県長岡郡大杉村(現大豊町)出身。
高知県立高知小津高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      大豊町の出身者      
11月8日生まれの人      1885年生まれの人
 575  永野修身    海軍兵学校へ進学Wikipedia
永野 修身(ながの おさみ、1880年(明治13年)6月15日 - 1947年(昭和22年)1月5日)は、日本の海軍軍人、教育者。海軍兵学校28期、海軍大学校甲種8期。最終階級および栄典は元帥海軍大将従二位勲一等功五級。第24代連合艦隊司令長官。第38代海軍大臣。第16代軍令部総長。海軍三長官全てを経験した唯一の軍人。A級戦犯の容疑で東京裁判中に巣鴨プリズンにて病死。千葉工業大学の創設者。
高知県立高知小津高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
6月15日生まれの人      1880年生まれの人
 576  大谷幸四郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
大谷 幸四郎(おおたに こうしろう、1872年8月23日(明治5年7月20日) - 1937年6月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
高知県立高知小津高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
8月23日生まれの人      1872年生まれの人
 577  島村速雄    海軍兵学校卒へ進学Wikipedia
島村 速雄(しまむら はやお、安政5年9月20日(1858年10月26日) - 大正12年(1923年)1月8日)は、日本の海軍軍人。元帥海軍大将正二位勲一等功二級男爵。高知県出身。海南学校出身。二男は立花和雄(立花伯爵家を継承)。
高知県立高知小津高等学校から海軍兵学校卒への進学者      全国の海軍兵学校卒の出身者      
9月20日生まれの人      1858年生まれの人


福岡県立育徳館高等学校の出身者
 578  杉山元    北九州市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
杉山 元 (すぎやま げん/はじめ、1880年(明治13年)1月1日 - 1945年(昭和20年)9月12日)は、大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣、教育総監、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。
福岡県立育徳館高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      北九州市の出身者      
1月1日生まれの人      1880年生まれの人
 579  小川又次Wikipedia
小川 又次(おがわ またじ、嘉永元年7月24日(1848年8月22日) - 明治42年(1909年)10月20日)は、明治時代の陸軍軍人。陸軍大将正二位勲一等功二級子爵。幼名・助太郎。
7月24日生まれの人      1848年生まれの人


 580  奥保鞏Wikipedia
奥 保鞏(おく やすかた、弘化3年11月19日(1847年1月5日) - 昭和5年(1930年)7月19日)は、明治の陸軍軍人。官位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵。
11月19日生まれの人      1847年生まれの人
 581  小沢武雄Wikipedia
小沢 武雄(おざわ たけお、1844年12月19日(天保15年11月10日) - 1926年1月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。幼名・直之丞。
12月19日生まれの人      1844年生まれの人


福岡県立小倉高等学校の出身者
 582  板倉光馬    北九州市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
板倉光馬(いたくら みつま、1912年(大正元年)11月18日 - 2005年(平成17年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少佐。福岡県小倉市(現、北九州市)出身。
福岡県立小倉高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      北九州市の出身者      
11月18日生まれの人      1912年生まれの人


福岡県立戸畑高等学校の出身者
 583  山田良市Wikipedia
山田 良市(やまだ りょういち、1923年(大正12年)9月3日 - 2013年(平成25年)2月27日)は、日本の海軍軍人及び航空自衛官、第15代航空幕僚長である。海軍兵学校第71期卒。海軍での最終階級は海軍大尉。航空自衛隊での最終階級は航空幕僚長たる空将。
9月3日生まれの人      1923年生まれの人


福岡県立東筑高等学校の出身者
 584  小川陽一郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
小川 陽一郎(おがわ よういちろう、1941年12月11日没)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は中佐。福岡県出身。駆逐艦「早苗」や「如月」の艦長を務め、ウェーク島沖にて1941年12月11日に戦死した。
福岡県立東筑高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
12月11日生まれの人      1941年生まれの人
 585  古野繁實    遠賀町    海軍兵学校へ進学Wikipedia
古野 繁実(ふるの しげみ、1918年(大正7年)5月10日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」艇長として真珠湾攻撃に参加し、戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍少佐。
福岡県立東筑高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      遠賀町の出身者      
5月10日生まれの人      1918年生まれの人
 586  三原朝雄    遠賀郡遠賀町    明治大学へ進学Wikipedia
三原 朝雄(みはら あさお、1909年(明治42年)8月20日 - 2001年(平成13年)3月7日)は、日本の政治家。衆議院議員、また文部大臣、防衛庁長官、総理府総務長官を歴任した。勲一等旭日大綬章(1986年)。北九州市議会議員の三原征彦は長男、衆議院議員の三原朝彦は次男にあたる。陸軍軍人の山縣初男は岳父である。
福岡県立東筑高等学校から明治大学への進学者      全国の明治大学の出身者      遠賀郡遠賀町の出身者      
8月20日生まれの人      1909年生まれの人
 587  松井太久郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
松井 太久郎(まつい たくろう、1887年12月3日 - 1969年6月10日)は、日本陸軍の軍人。陸士22期、陸大29期。最終階級は陸軍中将。
福岡県立東筑高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
12月3日生まれの人      1887年生まれの人
 588  出光万兵衛    海軍兵学校へ進学Wikipedia
出光 万兵衛(いでみつ まんべえ、1882年11月9日 - 1964年7月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 スポーツキャスターの出光ケイは孫にあたる。
福岡県立東筑高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
11月9日生まれの人      1882年生まれの人


福岡県立修猷館高等学校の出身者
 589  竹田五郎Wikipedia
竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 - )は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、軍事評論家。最終階級は陸軍では陸軍大尉、航空自衛隊では統合幕僚会議議長たる空将。第14代航空幕僚長、第12代統合幕僚会議議長。
1921年生まれの人
 590  岡部健二Wikipedia
岡部 健二(おかべ けんじ、1915年(大正4年)4月5日 - )は、大日本帝国海軍の軍人、戦闘機搭乗員。
4月5日生まれの人      1915年生まれの人
 591  大蔵栄一Wikipedia
大蔵 栄一(おおくら えいいち、1903年9月11日 - 1979年1月29日)は、日本の陸軍軍人。二・二六事件当時の革新派青年将校の中心的人物。
9月11日生まれの人      1903年生まれの人
 592  古森善五郎Wikipedia
古森 善五郎(こもり ぜんごろう、1901年 - 1959年)は、日本の外科学者、ドイツ陸軍の軍人(軍医)。
1901年生まれの人
 593  桜井徳太郎    東京教育大学へ進学Wikipedia
桜井 徳太郎(さくらい とくたろう、1897年6月21日 - 1980年12月28日)は、日本の陸軍軍人、僧侶。最終階級は陸軍少将。法名、全覚。
福岡県立修猷館高等学校から東京教育大学への進学者      全国の東京教育大学の出身者      
6月21日生まれの人      1897年生まれの人
 594  長勇Wikipedia
長 勇(ちょう いさむ、1895年1月19日 - 1945年6月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
1月19日生まれの人      1895年生まれの人
 595  原田義和Wikipedia
原田 義和(はらだ よしかず、1895年8月1日 - 1973年6月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
8月1日生まれの人      1895年生まれの人
 596  原口初太郎Wikipedia
原口 初太郎(はらぐち はつたろう、明治9年(1876年)1月29日 - 昭和24年(1949年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。衆議院議員、貴族院議員。
1月29日生まれの人      1876年生まれの人
 597  香椎秀一Wikipedia
香椎 秀一(かしい しゅういち、1874年2月23日 - 1962年4月13日)は、大正~昭和期の日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍中将香椎浩平の兄。
2月23日生まれの人      1874年生まれの人
 598  明石元二郎    福岡市    二松學舍大学へ進学Wikipedia
明石 元二郎(あかし もとじろう、元治元年8月1日(1864年9月1日) - 大正8年(1919年)10月26日)は明治・大正期の日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級男爵。第7代台湾総督。福岡藩出身。夫人は国子、後妻に黒田信子(黒田一葦の娘)。
福岡県立修猷館高等学校から二松學舍大学への進学者      全国の二松學舍大学の出身者      
8月1日生まれの人      1864年生まれの人


福岡県立明善高等学校の出身者
 599  諫山春樹    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
諫山 春樹(いさやま はるき、1894年2月11日 - 1990年6月12日)は、日本の陸軍軍人。福岡県出身。陸軍中将。第17代台湾軍参謀長、その後第10方面軍参謀長。1945年10月25日、国民政府代表との降服式典に台湾総督安藤利吉とともに台湾総督府(日本)代表として出席し、任を終える。
福岡県立明善高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
2月11日生まれの人      1894年生まれの人


 600  松下元    海軍兵学校へ進学Wikipedia
松下 元(まつした はじめ、1884年8月10日 - 1953年12月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校で教育に使われた「五省」の考案者として知られる。
福岡県立明善高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
8月10日生まれの人      1884年生まれの人


福岡県立伝習館高等学校の出身者
 601  伊藤整一    みやま市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
伊藤 整一(いとう せいいち、1890年(明治23年)7月26日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校39期。最終階級は海軍大将。
福岡県立伝習館高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      みやま市の出身者      
7月26日生まれの人      1890年生まれの人
 602  横山静雄    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
横山 静雄(よこやま しずお、1890年12月1日 - 1961年1月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
福岡県立伝習館高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
12月1日生まれの人      1890年生まれの人
 603  黒田重徳    陸軍士官学校卒へ進学Wikipedia
黒田 重徳(くろだ しげのり、1887年10月25日 - 1964年4月30日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸軍中将。
福岡県立伝習館高等学校から陸軍士官学校卒への進学者      全国の陸軍士官学校卒の出身者      
10月25日生まれの人      1887年生まれの人


福岡県立三池高等学校の出身者
 604  中島正Wikipedia
中島 正(なかじま ただし、1910年(明治43年)6月25日 - 1996年(平成8年)8月22日)は日本の海軍軍人、航空自衛官である。海軍では海兵58期卒業、最終階級は中佐。空自での最終階級は空将補。
6月25日生まれの人      1910年生まれの人


佐賀県立三養基高等学校の出身者
 605  広尾彰Wikipedia
広尾 彰(ひろお あきら、1920年(大正9年)1月 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」艇長として真珠湾攻撃に参加し、戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍大尉。
1920年生まれの人
 606  松永市郎Wikipedia
松永市郎(まつなが いちろう、1919年(大正8年)2月18日 - 2005年(平成17年)3月31日)は、日本の軍人。元海軍大尉。作家。
2月18日生まれの人      1919年生まれの人
 607  板谷隆一    海軍兵学校へ進学Wikipedia
板谷 隆一(いたや たかいち、1911年(明治44年)8月20日 - 1991年(平成3年)9月1日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海軍兵学校卒業(第60期)。海兵同期に鈴木實、進藤三郎など。第7代海上幕僚長、第5代統合幕僚会議議長。
佐賀県立三養基高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
8月20日生まれの人      1911年生まれの人
 608  板谷茂Wikipedia
板谷茂(いたや しげる 1909年(明治42年)7月10日 - 1944年(昭和19年)7月24日)は、日本の海軍軍人。海兵57期。最終階級は海軍中佐。
7月10日生まれの人      1909年生まれの人


佐賀県立佐賀西高等学校の出身者
 609  野中国男Wikipedia未登録
野中 国男(のなか くにお、1913年(大正2年)5月15日 - 1947年(昭和22年)4月28日)は、日本の陸軍軍人である。最終階級は陸軍少佐。正六位。インパール作戦に参謀として従軍、終戦後の復員前に不可解な自決を遂げた。
5月15日生まれの人      1913年生まれの人
 610  石井利雄Wikipedia未登録
石井 利雄(いしい としお、1912年(明治45年)4月10日 - 2001年(平成13年)1月12日)は、日本の造船技師(専門は舶用内燃機関、造船の生産技術・品質管理などの生産管理全般)、海軍軍人(予備将校)、実業家である。最終階級は海軍中尉。従七位。とくに、戦時急造された海防艦の専門家であり、戦時中、御蔵型など40隻の海防艦を竣工させた。戦後は、南極観測船の建造にも関わった。ブロック工法(ブロック建造方式)による艦船建造の先駆者の一人。
4月10日生まれの人      1912年生まれの人
 611  三上卓Wikipedia未登録
三上 卓(みかみ たく/たかし、1905年3月22日 - 1971年10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中尉。「青年日本の歌」(昭和維新の歌)の作詞者。
3月22日生まれの人      1905年生まれの人
 612  藤井斉Wikipedia未登録
藤井 斉(ふじい ひとし、1904年〈明治37年〉8月3日 - 1932年〈昭和7年〉2月5日)は、日本の海軍軍人。海兵53期卒。五・一五事件を起こした海軍青年士官の指導者で革命児と称された人物であり、また、日本海軍搭乗員最初の戦死者の一人である。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少佐。
8月3日生まれの人      1904年生まれの人
 613  実松譲Wikipedia未登録
実松 譲(さねまつ ゆずる、1902年(明治35年)11月20日 - 1996年(平成8年)12月20日)は、日本の海軍軍人、著作家。米内光政海相時代の大臣秘書官や、駐米大使館附武官補佐官を務め、太平洋戦争においては情報解析に実績を残す。海軍大佐で終戦を迎え11年半の巣鴨プリズン生活をおくった後は主として海軍関係の書を著し、刊行数は100点近くにおよんだ。
11月20日生まれの人      1902年生まれの人
 614  西久保豊成Wikipedia未登録
西久保 豊成(にしくぼ とよなり、明治33年(1900年)7月8日 - 昭和2年(1927年)12月4日)は、日本の官吏、陸軍軍人。陸軍歩兵少尉となるが病の為依願退職し内務省に勤める。官位は陸軍歩兵少尉従七位。
7月8日生まれの人      1900年生まれの人
 615  辰巳栄一Wikipedia未登録
辰巳 栄一(たつみ えいいち、1895年(明治28年)1月19日 - 1988年(昭和63年)2月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。公職追放中にもかかわらず、吉田茂とGHQの橋渡しを務めた。そのとき、吉田にウィロビーを引き合わせた。戦後の連合軍占領中にウィロビーの発案で河辺機関が組織された。
1月19日生まれの人      1895年生まれの人
 616  高柳儀八Wikipedia未登録
高柳 儀八(たかやなぎ のりはち、または たかやなぎ ぎはち、1891年(明治24年)4月17日 - 1973年(昭和48年)12月29日)は、日本の海軍軍人。戦艦「大和」第2代艦長。最終階級は海軍中将。
4月17日生まれの人      1891年生まれの人
 617  城島高次Wikipedia未登録
城島 高次(じょうじま たかつぐ、1890年(明治23年)6月20日 - 1967年(昭和42年)10月9日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。
6月20日生まれの人      1890年生まれの人
 618  牟田口廉也Wikipedia未登録
牟田口 廉也(むたぐち れんや、1888年(明治21年)10月7日 - 1966年(昭和41年)8月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は中将。盧溝橋事件や、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時のマレー作戦や同戦争中のインパール作戦において部隊を指揮した。
10月7日生まれの人      1888年生まれの人
 619  吉田善吾Wikipedia未登録
吉田 善吾(よしだ ぜんご、明治18年(1885年)2月14日 - 昭和41年(1966年)11月14日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。海軍大臣、連合艦隊司令長官を歴任した。
2月14日生まれの人      1885年生まれの人


 620  古賀峯一Wikipedia未登録
古賀 峯一(こが みねいち、1885年(明治18年)9月25日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人。第28代連合艦隊司令長官。海軍乙事件にて殉職。最終階級は、殉職による特旨で元帥海軍大将。
9月25日生まれの人      1885年生まれの人
 621  真崎勝次Wikipedia未登録
眞崎 勝次(まさき かつじ、1884年12月22日 - 1966年10月15日)は、日本海軍の軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。
12月22日生まれの人      1884年生まれの人
 622  百武源吾Wikipedia未登録
百武 源吾(ひゃくたけ げんご、1882年(明治15年)1月28日 - 1976年(昭和51年)1月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第7代九州帝国大学総長。佐賀県出身。兄・三郎と源吾は海軍兵学校を首席卒業し、ともに海軍大将となった日本海軍史上唯一の兄弟である。
1月28日生まれの人      1882年生まれの人
 623  真崎甚三郎Wikipedia未登録
眞崎 甚三郎(まさき じんざぶろう、1876年(明治9年)11月27日 - 1956年(昭和31年)8月31日)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期。最終階級は陸軍大将。栄典は正三位勲三等功四級。
11月27日生まれの人      1876年生まれの人
 624  百武三郎Wikipedia未登録
百武 三郎(ひゃくたけ さぶろう、1872年6月3日(明治5年4月28日) - 1963年(昭和38年)10月30日)は、日本の海軍軍人、海軍大将、侍従長。二人の弟、百武源吾は海軍大将、百武晴吉は陸軍中将。三郎・源吾は海軍史上唯一組の海軍大将兄弟である。
6月3日生まれの人      1872年生まれの人
 625  安保清種Wikipedia未登録
安保 清種(あぼ きよかず、明治3年10月15日(1870年11月8日) - 昭和23年(1948年)6月8日)は、明治期から昭和期にかけての日本海軍軍人。海軍大将。
10月15日生まれの人      1870年生まれの人
 626  江頭安太郎Wikipedia未登録
江頭 安太郎(えがしら やすたろう、1865年3月9日(元治2年2月12日) - 1913年(大正2年)1月23日)は日本の海軍軍人。海軍中将従四位勲二等功三級。皇太子徳仁親王妃雅子は曾孫にあたる。
3月9日生まれの人      1865年生まれの人
 627  大島駿Wikipedia未登録
陸軍軍人、毒ガス兵器の開発者、旧佐賀中在籍
 628  橋本正勝Wikipedia未登録
陸軍軍人、第二総軍参謀作戦主任、東北方面総監(1968-)


佐賀県立小城高等学校の出身者
 629  吉田宗雄Wikipedia
吉田 宗雄(よしだ むねお、1912年(大正元年)10月10日 - 1944年(昭和19年)12月30日)は、大日本帝国海軍の軍人。
10月10日生まれの人      1912年生まれの人
 630  福地周夫Wikipedia
福地 周夫(ふくち かねお、1902年(明治35年)6月5日 - 1996年)は、日本の海軍軍人。珊瑚海海戦及び南太平洋海戦に「翔鶴」運用長として参戦し、その被害の局限化に成功した海軍大佐である。戦後は著作家としても活動した。
6月5日生まれの人      1902年生まれの人


佐賀県立唐津東高等学校の出身者
 631  青木大吉    唐津市    海軍経理学校へ進学Wikipedia
青木 大吉(あおき だいきち、1896年7月2日 - 1994年1月12日)は、日本の公認会計士、税理士。大日本帝国海軍の軍人(最終階級は主計大佐)で、第二次世界大戦後は民間の会計士となり、東京虎ノ門、福岡(「第一公認会計士事務所」)、佐世保に事務所を開く。等松農夫蔵と現在のデロイト トウシュ トーマツの日本のもととなる監査法人事務所を創立した。日本の原価計算の祖と呼ばれる。
佐賀県立唐津東高等学校から海軍経理学校への進学者      全国の海軍経理学校の出身者      唐津市の出身者      
7月2日生まれの人      1896年生まれの人
 632  市丸利之助Wikipedia
市丸 利之助(いちまる りのすけ、1891年(明治24年)9月20日 - 1945年(昭和20年)3月26日)は、日本の海軍軍人である。最終階級は海軍中将(戦死による特進)。佐賀県東松浦郡久里村(現在の唐津市)出身。
9月20日生まれの人      1891年生まれの人
 633  原清    海軍兵学校へ進学Wikipedia
原 清(はら きよし、1889年5月2日 - 1976年8月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
佐賀県立唐津東高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
5月2日生まれの人      1889年生まれの人


佐賀県立佐賀商業高等学校の出身者
 634  石丸進一    佐賀市    日本大学へ進学Wikipedia
石丸 進一(いしまる しんいち、1922年7月24日 - 1945年5月11日)は、プロ野球選手(投手・内野手)、大日本帝国海軍軍人。
佐賀県立佐賀商業高等学校から日本大学への進学者      全国の日本大学の出身者      佐賀市の出身者      
7月24日生まれの人      1922年生まれの人


長崎県立大村高等学校の出身者
 635  福田雅太郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
福田 雅太郎(ふくだ まさたろう、1866年7月7日(慶応2年5月25日) - 1932年6月1日)は、日本陸軍の軍人。陸士旧9期、陸大9期。栄典は従三位勲一等功三級、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・コマンダー(KCMG)[要出典]。最終階級は陸軍大将。
長崎県立大村高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
7月7日生まれの人      1866年生まれの人


長崎県立島原高等学校の出身者
 636  村田重治    海軍兵学校へ進学Wikipedia
村田 重治(むらた しげはる、1909年(明治42年)4月9日 - 1942年(昭和17年)10月26日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。南太平洋海戦で米空母「ホーネット」攻撃後に戦死した。二階級特進により最終階級は海軍大佐。
長崎県立島原高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
4月9日生まれの人      1909年生まれの人


熊本県立熊本高等学校の出身者
 637  城英一郎Wikipedia
城 英一郎(じょう えいいちろう、1899年(明治32年)4月1日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵47期。最終階級は海軍少将。
4月1日生まれの人      1899年生まれの人
 638  片倉衷Wikipedia
片倉 衷(かたくら ただし、1898年(明治31年)5月18日 - 1991年(平成3年)7月23日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍少将。戦後は大平商事会長。
5月18日生まれの人      1898年生まれの人
 639  大森仙太郎    熊本市Wikipedia
大森 仙太郎(おおもり せんたろう、1892年10月3日 - 1974年12月24日)は、熊本県出身の日本海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍特攻部長を務めた。
熊本市の出身者      
10月3日生まれの人      1892年生まれの人


 640  野田謙吾Wikipedia
野田 謙吾(のだ けんご、1891年(明治24年)4月22日 - 1961年(昭和36年)11月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
4月22日生まれの人      1891年生まれの人
 641  上月良夫Wikipedia
上月 良夫(こうづき よしお、1886年11月7日 - 1971年4月3日)は、日本の陸軍軍人、陸軍中将。熊本県出身。陸士21期、陸大29期。
11月7日生まれの人      1886年生まれの人
 642  安田銕之助 Wikipedia未登録
陸軍軍人、神兵隊事件参加将校
 643  岡嶋清熊Wikipedia
岡嶋 清熊(おかじま きよくま)は熊本県出身の海軍軍人、海上自衛官。海将補。海軍兵学校(第63期)卒。最終階級は、海軍少佐、海将補。


熊本県立鹿本高等学校の出身者
 644  松尾敬宇    山鹿市Wikipedia
松尾 敬宇(まつお けいう / よしたか、1917年(大正6年)7月21日 - 1942年(昭和17年)5月31日)は、日本の海軍軍人。海兵66期。太平洋戦争におけるシドニー湾攻撃で特殊潜航艇「甲標的」艇長として戦死。二階級特進により最終階級は海軍中佐。
山鹿市の出身者      
7月21日生まれの人      1917年生まれの人
 645  立花止Wikipedia
立花 止(たちばな いたる、1903年(明治36年)3月29日 - 1954年(昭和29年)6月7日)は、日本の海軍軍人。米国駐在時代に情報活動に従事しFBIに逮捕され国外追放処分を受ける(立花事件)。最後の連合艦隊参謀の一人である。最終階級は海軍大佐。
3月29日生まれの人      1903年生まれの人
 646  松田千秋    海軍兵学校へ進学Wikipedia
松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月29日 - 1995年(平成7年)11月6日)は、日本の海軍軍人。海兵44期。戦艦「大和」第3代艦長。最終階級は海軍少将。
熊本県立鹿本高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
9月29日生まれの人      1896年生まれの人


熊本県立八代高等学校の出身者
 647  加来止男    八代市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。空母「飛龍」艦長をつとめ、ミッドウェー海戦で戦死した。
熊本県立八代高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      八代市の出身者      
11月8日生まれの人      1893年生まれの人
 648  鍋島俊策    宇城市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
鍋島 俊策(なべしま しゅんさく、1892年9月10日 - 1948年4月28日)は、日本の海軍軍人。海軍少将。
熊本県立八代高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      宇城市の出身者      
9月10日生まれの人      1892年生まれの人


熊本県立天草高等学校の出身者
 649  園田直    天草島    大阪歯科大学へ進学Wikipedia
園田 直(そのだ すなお、1913年(大正2年)12月11日 - 1984年(昭和59年)4月2日)は、日本の政治家、陸軍軍人。挺進第1連隊第2中隊長等を務める。階級は陸軍大尉。戦後一町田村助役・同村長・を経て衆議院議員に当選、内閣官房長官・外務大臣・厚生大臣等を歴任。熊本県天草島出身。弟の幹男は陸軍少佐。後妻・よし子との間に生まれた長男の博之は内閣官房副長官・自由民主党衆議院議員。また後々妻・天光光との間に生まれた次男の直飛人は自身の議員秘書にしている。
熊本県立天草高等学校から大阪歯科大学への進学者      全国の大阪歯科大学の出身者      天草島の出身者      
12月11日生まれの人      1913年生まれの人


熊本県立御船高等学校の出身者
 650  西住小次郎    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
西住 小次郎(にしずみ こじろう、1914年〈大正3年〉1月13日 - 1938年〈昭和13年〉5月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸士46期。最終階級は陸軍歩兵大尉。勲五等功四級。熊本県上益城郡甲佐町仁田子出身。
熊本県立御船高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
1月13日生まれの人      1914年生まれの人


大分県立大分上野丘高等学校の出身者
 651  永野茂門Wikipedia
永野 茂門(ながの しげと、1922年(大正11年)6月28日 - 2010年(平成22年)1月4日)は、日本の陸軍軍人及び陸上自衛官。退官後は参議院議員(2期)を務めた。栄典は従三位勲二等旭日重光章。
6月28日生まれの人      1922年生まれの人
 652  友永丈市    別府市、ミッドウェー海戦第一次攻撃隊隊長Wikipedia
友永 丈市(ともなが じょういち、1911年(明治44年)1月9日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。海兵59期。ミッドウェー海戦に空母「飛龍」艦上攻撃機搭乗員として参加し、ミッドウェー島攻撃隊長を務め、その後の米空母「ヨークタウン」攻撃時に戦死。最終階級は海軍中佐。
別府市、ミッドウェー海戦第一次攻撃隊隊長の出身者      
1月9日生まれの人      1911年生まれの人


大分県立大分舞鶴高等学校の出身者
 653  安永航一郎    九州大学へ進学Wikipedia
安永 航一郎(やすなが こういちろう、1962年1月13日 - )は、日本の漫画家。パロディや下ネタを扱った作品を多く手掛ける。また、同人サークル「沖縄体液軍人会」(おきなわたいえきぐんじんかい)を主宰しており、同人活動においては、自身の作風をより強めた形でアニメやゲーム作品などの二次創作物を発行している。
大分県立大分舞鶴高等学校から九州大学への進学者      全国の九州大学の出身者      
1月13日生まれの人      1962年生まれの人


大分県立臼杵高等学校の出身者
 654  木梨鷹一    臼杵市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
木梨 鷹一(きなし たかかず、1902年(明治35年)3月7日 - 1944年(昭和19年)7月26日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。太平洋戦争において日本海軍を代表する潜水艦長のひとり。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。
大分県立臼杵高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      臼杵市の出身者      
3月7日生まれの人      1902年生まれの人


大分県立杵築高等学校の出身者
 655  豊田副武    海軍兵学校へ進学Wikipedia
豊田 副武(とよだ そえむ、1885年(明治18年)5月22日 - 1957年(昭和32年)9月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第29代・第30代連合艦隊司令長官。最後となる第19代軍令部総長を務めた。
大分県立杵築高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
5月22日生まれの人      1885年生まれの人
 656  堀悌吉    杵築市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
堀 悌吉(ほり ていきち、1883年(明治16年)8月16日 - 1959年(昭和34年)5月12日)は日本の海軍軍人。大分県杵築市出身。
大分県立杵築高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      杵築市の出身者      
8月16日生まれの人      1883年生まれの人


大分県立宇佐高等学校の出身者
 657  草地貞吾    宇佐市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
草地 貞吾(くさち ていご、1904年5月28日 - 2001年11月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。
大分県立宇佐高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      宇佐市の出身者      
5月28日生まれの人      1904年生まれの人
 658  豊田隈雄    杵築市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
豊田 隈雄(とよだ くまお、1901年(明治34年)12月13日 - 1995年(平成7年)2月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。
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12月13日生まれの人      1901年生まれの人
 659  三好輝彦    竹田市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
三好 輝彦(みよし てるひこ、1893年(明治26年)11月15日 - 1943年(昭和18年)6月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
大分県立宇佐高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      竹田市の出身者      
11月15日生まれの人      1893年生まれの人




宮崎県立宮崎大宮高等学校の出身者
 660  黒木剛一    宮崎市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
黒木剛一(くろき ごういち、1894年(明治27年)2月16日 - 1972年(昭和47年)5月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
宮崎県立宮崎大宮高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      宮崎市の出身者      
2月16日生まれの人      1894年生まれの人
 661  小沢治三郎    海軍兵学校へ進学Wikipedia
小沢 治三郎(小澤 治三郎, おざわ じさぶろう、1886年(明治19年)10月2日 - 1966年(昭和41年)11月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校37期生。第31代となる最後の連合艦隊司令長官を務めた。
宮崎県立宮崎大宮高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
10月2日生まれの人      1886年生まれの人


鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者
 662  山岡大二    海軍兵学校へ進学Wikipedia
山岡 大二(やまおか だいじ、1913年(大正2年)11月6日 - 1991年(平成3年)11月1日)は東京都出身の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は、海軍少佐、海将補。
鹿児島県立鶴丸高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
11月6日生まれの人      1913年生まれの人
 663  野田毅    錦江町    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
野田 毅(のだ つよし、1912年 - 1948年1月28日)は、日本の陸軍軍人。敗戦時の階級は陸軍少佐。南京攻略戦の際に実施されたとされる「百人斬り競争」実行の容疑者として逮捕・処刑された。
鹿児島県立鶴丸高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      錦江町の出身者      
1912年生まれの人
 664  有馬正文    日置市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
有馬 正文(ありま まさふみ、1895年(明治28)9月25日 - 1944年(昭和19)10月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
鹿児島県立鶴丸高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      日置市の出身者      
9月25日生まれの人      1895年生まれの人
 665  牧野四郎    日置市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
牧野 四郎(まきの しろう、1893年4月18日 - 1945年8月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
鹿児島県立鶴丸高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      日置市の出身者      
4月18日生まれの人      1893年生まれの人
 666  牛島満    鹿児島市    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
牛島 満(うしじま みつる、1887年(明治20年)7月31日 - 1945年(昭和20年)6月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将(中将から、戦死により即日大将に親任される)。鹿児島県鹿児島市出身。
鹿児島県立鶴丸高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      鹿児島市の出身者      
7月31日生まれの人      1887年生まれの人
 667  野村直邦    日置市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
野村 直邦(のむら なおくに、1885年(明治18)5月15日 - 1973年(昭和48)12月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。東條英機内閣の海軍大臣。
鹿児島県立鶴丸高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      日置市の出身者      
5月15日生まれの人      1885年生まれの人


鹿児島県立甲南高等学校の出身者
 668  橋口寛Wikipedia
橋口 寛(はしぐち ひろし、1924年(大正13年)7月15日 - 1945年(昭和20年)8月18日)は、日本の海軍軍人。海兵72期。太平洋戦争の末期、人間魚雷「回天」の搭乗員となるが出撃する機会を得ず、終戦後自決した。最終階級は海軍大尉。
7月15日生まれの人      1924年生まれの人
 669  横山正治    鹿児島市、真珠湾攻撃における九軍神の一人Wikipedia
横山 正治(よこやま まさはる、1919年(大正8年)11月8日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争劈頭の真珠湾攻撃において特殊潜航艇「甲標的」搭乗員として戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍少佐。岩田豊雄(獅子文六)の小説「海軍」及びこれを原作とした映画「海軍」の主人公・谷真人のモデル。
鹿児島市、真珠湾攻撃における九軍神の一人の出身者      
11月8日生まれの人      1919年生まれの人
 670  千早猛彦Wikipedia
千早 猛彦(ちはやたけひこ、1913年(大正2年)9月26日 - 1944年(昭和19年)6月11日)は、日本の海軍軍人。最終階級は、戦死による後二階級特進で海軍大佐。
9月26日生まれの人      1913年生まれの人
 671  山本祐二    鹿児島市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
山本 祐二(やまもと ゆうじ、1903年(明治36年)1月17日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。戦艦「大和」を旗艦とする第二艦隊の沖縄海上特攻作戦(坊ノ岬沖海戦)で戦死。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少将。
鹿児島県立甲南高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      鹿児島市の出身者      
1月17日生まれの人      1903年生まれの人
 672  入佐俊家Wikipedia
入佐 俊家(いりさ としいえ、1902年(明治35年)4月26日 - 1944年(昭和19年)6月19日)は、日本の海軍軍人(海兵52期卒)。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。
4月26日生まれの人      1902年生まれの人
 673  内野信二Wikipedia
内野 信二(うちの しんじ、1900年(明治33年)8月6日 - 没年不明)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争中に第二次遣独潜水艦作戦を完遂した伊号第八潜水艦長である。最終階級は海軍大佐。
8月6日生まれの人      1900年生まれの人
 674  加世田哲彦    海軍兵学校へ進学Wikipedia
加世田 哲彦(かせだ てつひこ、1897年(明治30年)11月11日 - 1971年(昭和46年)7月25日)は、日本の海軍軍人。成績優秀な将校であったが、神政龍神会の結成にかかわり、不敬罪に問われ失官となる。最終階級は海軍中佐。
鹿児島県立甲南高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
11月11日生まれの人      1897年生まれの人


鹿児島県立川辺高等学校の出身者
 675  小園安名    南九州市Wikipedia
小園 安名(こぞの やすな、1902年(明治35年)11月1日 - 1960年(昭和35年)11月25日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校第51期卒業。最終階級は海軍大佐剥奪。
南九州市の出身者      
11月1日生まれの人      1902年生まれの人


鹿児島県立川内高等学校の出身者
 676  神重徳    出水市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
神 重徳(かみ しげのり、1900年(明治33年)1月23日 - 1945年(昭和20年)9月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。海軍兵学校48期生。
鹿児島県立川内高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      出水市の出身者      
1月23日生まれの人      1900年生まれの人


鹿児島県立出水高等学校の出身者
 677  山下耕作    京都大学へ進学Wikipedia
山下 耕作(やました こうさく、1930年1月10日 - 1998年12月6日)は、日本の映画監督。時代劇・任侠映画を中心に、テレビ時代劇も演出してきた。鹿児島県阿久根市出身。鹿児島県出水高等学校・京都大学法学部卒業。愛称は同姓の軍人・山下奉文に因んで「将軍」。両者に姻戚関係はない。長男は映画監督の山下耕一郎、次男はテレビドラマの監督でテレビ映画制作会社「京都組」代表取締役の山下智彦。
鹿児島県立出水高等学校から京都大学への進学者      全国の京都大学の出身者      
1月10日生まれの人      1930年生まれの人


鹿児島県立加治木高等学校の出身者
 678  伊丹明    カリフォルニア州オークランド    東文化大学へ進学Wikipedia
伊丹 明(いたみ あきら、1911年 - 1950年12月26日)は、日系アメリカ人二世のアメリカ陸軍軍人。アメリカ名はデイヴィッド・アキラ・イタミ(David Akira Itami)で、デイブ(Dave)とも呼ばれていた。
鹿児島県立加治木高等学校から東文化大学への進学者      全国の東文化大学の出身者      カリフォルニア州オークランドの出身者      
1911年生まれの人


沖縄県立首里高等学校の出身者
 679  当山全信Wikipedia
当山 全信(とうやま ぜんしん、1910年(明治43年) - 1945年(昭和20年)1月23日)は、日本の海軍軍人。「伊48」潜水艦長として「回天」作戦中、米駆逐艦に乗艦を撃沈され戦死した。最終階級は海軍中佐。
1910年生まれの人


 680  親泊朝省    陸軍士官学校へ進学Wikipedia
親泊 朝省(おやどまり ちょうせい、1903年(明治36年)9月18日 - 1945年(昭和20年)9月3日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大佐。沖縄県出身。大本営陸軍部報道部部長、内閣情報局情報官。
沖縄県立首里高等学校から陸軍士官学校への進学者      全国の陸軍士官学校の出身者      
9月18日生まれの人      1903年生まれの人
 681  渡名喜守定    海軍兵学校へ進学Wikipedia
渡名喜 守定(となき しゅてい、1902年2月5日 - 1993年2月1日)は、日本の海軍軍人。
沖縄県立首里高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      
2月5日生まれの人      1902年生まれの人
 682  漢那憲和    那覇市    海軍兵学校へ進学Wikipedia
漢那 憲和(かんな けんわ、1877年9月6日 - 1950年7月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。海軍兵学校27期卒。
沖縄県立首里高等学校から海軍兵学校への進学者      全国の海軍兵学校の出身者      那覇市の出身者      
9月6日生まれの人      1877年生まれの人


沖縄県立那覇高等学校の出身者
 683  稲嶺一郎    本部町    早稲田大学へ進学Wikipedia
稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1989年6月19日)は、日本の政治家・実業家・軍人。沖縄県国頭郡本部村出身。元沖縄県知事稲嶺惠一の父。
沖縄県立那覇高等学校から早稲田大学への進学者      全国の早稲田大学の出身者      
9月23日生まれの人      1905年生まれの人


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