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このサイトに登録されている「出身で1915年生まれ」の有名人の数:139人
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1 | 諏訪博 小樽市 | Wikipedia |
諏訪 博(すわ ひろし、1915年6月11日 - 1989年12月9日)は日本の実業家。北海道小樽市出身。TBS社長などを歴任した。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
2 | 安井吉典 | Wikipedia |
安井 吉典(やすい よしのり、1915年(大正4年)10月30日 - 2012年(平成24年)11月6日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
3 | 佐藤功 | Wikipedia |
佐藤 功(さとう いさお、1915年(大正4年)3月29日 - 2006年(平成18年)6月17日)は京都府京都市出身の法学者。専門は憲法。宮沢俊義門下。上智大学名誉教授。文化功労者。主著『日本国憲法概説』(学陽書房刊)は版を重ねている。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
4 | むのたけじ 美郷町 | Wikipedia |
むのたけじ(本名:武野 武治、1915年1月2日 - 2016年8月21日)は、「戦争絶滅」を訴え続けた日本のジャーナリスト。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
5 | 板垣清一郎 | Wikipedia |
板垣 清一郎(いたがき せいいちろう、1915年9月7日 - 1993年10月2日)は山形県の政治家。元山形県知事(在任期間、1973年10月 - 1993年2月)。山形県西村山郡左沢町(現・大江町)出身。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章。 | ||
東京教育大学出身 出身の東京教育大学の出身者 全国の東京教育大学の出身者 | ||
6 | 千葉源蔵 | Wikipedia |
千葉 源蔵(ちば げんぞう、1915年(大正4年)3月25日 - 1988年(昭和63年)9月21日)は、日本の実業家。文藝春秋名誉会長、日本雑誌協会・日本雑誌広告協会・出版健康保険組合各理事長を歴任した。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
7 | 芳賀秀次郎 白鷹町 | Wikipedia |
芳賀 秀次郎(はが ひでじろう、1915年(大正4年)1月1日 - 1993年(平成5年)5月9日)は、日本の教育者。詩人。歌人。 | ||
山形大学出身 出身の山形大学の出身者 全国の山形大学の出身者 | ||
8 | 綿貫惣司 | Wikipedia |
綿貫 惣司(わたぬき そうじ、1915年4月6日 - 没年不明)は、埼玉県出身の元プロ野球選手。 | ||
立教大学(出身 出身の立教大学(の出身者 全国の立教大学(の出身者 | ||
9 | 青木半治 銚子市 | Wikipedia |
青木 半治(あおき はんじ 1915年7月16日 - 2010年5月30日)は日本のスポーツ指導者、日本陸上競技連盟第5代会長。日本体育協会第11代会長。また国際陸上競技連盟とアジア陸上競技連盟でも役員を歴任し、副会長を務めた。後に終身名誉副会長。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
10 | 神田順治 | Wikipedia |
神田 順治(かんだ じゅんじ、1915年 - 2005年8月13日)は、元日本野球規則委員会委員長、東京大学運動会硬式野球部監督、東京大学教養学部教授。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
11 | 小山源喜 | Wikipedia |
小山源喜(こやま げんき、1915年7月8日 - 1991年4月11日)は、日本の男性俳優、声優、演出家。東京府東京市向島(現・東京都墨田区)出身。戦後のラジオドラマ黄金期を代表する声優。 | ||
12 | 殿山泰司 神戸市 | Wikipedia |
殿山 泰司(とのやま たいじ、1915年(大正4年)10月17日 - 1989年(平成元年)4月30日)は、日本の俳優、エッセイスト。 | ||
13 | 水の江滝子 小樽市 | Wikipedia |
水の江 瀧子(みずのえ たきこ、1915年2月20日 - 2009年11月16日)は、日本の女優、映画プロデューサー、タレント。 | ||
14 | 松平永芳 | Wikipedia |
松平永芳(まつだいら ながよし 1915年(大正4年)3月21日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、日本の海軍軍人、陸上自衛官、神官。靖国神社第6代宮司(1978年 - 1992年)時代には、A級戦犯の合祀を実施したことで知られる。 | ||
海軍機関学校出身 出身の海軍機関学校の出身者 全国の海軍機関学校の出身者 | ||
15 | 串田孫一 | Wikipedia |
串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2005年7月8日)は、日本の詩人、哲学者、随筆家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
16 | 戸板康二 | Wikipedia |
戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 1993年1月23日)は日本の演劇・歌舞伎評論家、推理作家、随筆家。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
17 | 七代目尾上梅幸 | Wikipedia |
七代目 尾上 梅幸(しちだいめ おのえ ばいこう、1915年(大正4年)8月31日 - 1995年(平成7年)3月24日)は、歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。本名は寺島 誠三(てらしま せいぞう)。 | ||
18 | 渡辺道子 | Wikipedia |
渡邊 道子(わたなべ みちこ、1915年3月25日 - 2010年1月23日)は、東京出身(47NEWS)の元弁護士。 | ||
19 | 麻生和子 | Wikipedia |
麻生 和子(あそう かずこ、1915年(大正4年)5月13日 - 1996年(平成8年)3月15日)は、随筆家。元総理大臣吉田茂の娘。元総理大臣麻生太郎の母。 | ||
聖心女子学院出身 出身の聖心女子学院の出身者 全国の聖心女子学院の出身者 | ||
20 | 大迫倫子 | Wikipedia |
大迫 倫子(おおさこ りんこ、1915年1月22日 - 2003年10月4日)は、日本の作家。 | ||
21 | 高梨公之 | Wikipedia |
高梨 公之(たかなし まさゆき、1915年(大正4年)3月2日 - 2005年(平成17年)1月14日)は、栃木県出身の法学者、日本大学名誉総長。法学博士。弁護士。紫綬褒章、従三位勲一等瑞宝章。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
22 | 鯨岡兵輔 | Wikipedia |
鯨岡 兵輔(くじらおか ひょうすけ、1915年(大正4年)9月15日 - 2003年(平成15年)4月1日)は、日本の政治家である。福島県石城郡四倉町(現・いわき市)出身。正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
23 | 桑野通子 | Wikipedia |
桑野 通子(くわの みちこ、1915年1月4日 - 1946年4月1日)は、昭和初期の女優。本名は桑野 通(くわの みち)。スラリとした抜群のプロポーションとモダンな美しさで人気を博し、高峰三枝子や三宅邦子・高杉早苗らと共に戦前の若手銀幕スターとして一翼を担った。愛称はミッチー。娘は元女優の桑野みゆき。 | ||
24 | 亀倉雄策 燕市 | Wikipedia |
亀倉 雄策(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 - 1997年5月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。代表作にフジテレビジョンの旧シンボルマーク(8マーク)や日本電信電話(NTT)のマーク(ダイナミックループ)、1964年東京オリンピックのポスター、サンケイアトムズ、ニコンFおよびヤクルトスワローズのユニフォームなどがある。 | ||
25 | 三笠宮崇仁親王 | Wikipedia |
三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう、1915年(大正4年)12月2日 - 2016年(平成28年)10月27日)は、日本の皇族、歴史学者(専攻は古代オリエント史)、陸軍軍人(最終階級は陸軍少佐)。大正天皇と貞明皇后の第四皇男子。昭和天皇の弟、今上天皇の叔父にあたる。御称号は澄宮(すみのみや)。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。勲等は大勲位。称号は東京芸術大学名誉客員教授。お印は若杉(わかすぎ)。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
26 | 北村治禧 | Wikipedia |
北村 治禧(きたむら はるよし、1915年1月1日 - 2001年8月21日)は、日本の彫刻家、日本芸術院会員。長崎県出身。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
27 | 坪内美子 文京区 | Wikipedia |
坪内 美子(つぼうち よしこ、本名:山崎 登美子、1915年6月22日 - 1985年11月3日)は、昭和期の女優。 | ||
28 | 森一也 | Wikipedia |
森 一也(もり かずや、 1915年(大正4)4月8日 - 1998年(平成10)2月1日)は、コロムビア専属の作曲家・音楽評論家。一般には懐メロ解説の第一人者として知られる。愛知県出身。弟にアニメーション評論で知られる映画評論家の森卓也。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
29 | 南美江 | Wikipedia |
南 美江(みなみ よしえ、1915年10月5日 - 2010年8月6日)は、日本の女優。演劇集団 円所属。本名は南波房江(なんば ふさえ)。 | ||
30 | 上野豊 | Wikipedia |
上野 豊(うえの ゆたか 1915年11月9日 - 2016年3月6日)は、日本の実業家。海運・石油輸送大手の上野トランステック、横浜エフエム放送会長。元横浜商工会議所会頭、横浜エフエム放送社長。神奈川県出身。 | ||
31 | 飛鳥田一雄 横浜市 | Wikipedia |
飛鳥田 一雄(あすかた いちを、1915年4月2日 - 1990年10月11日)は、日本の政治家。衆議院議員、横浜市長、日本社会党委員長を歴任した。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
32 | 川合武 | Wikipedia |
川合 武(かわい たけし、1915年9月21日 - 1991年1月15日)は日本の政治家、警察官僚。元衆議院議員(1期)。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
33 | 寺田透 横浜市 | Wikipedia |
寺田 透(てらだ とおる、1915年(大正4年)3月16日 - 1995年(平成7年)12月21日)は、日本の文芸評論家・フランス文学者。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
34 | 小川利雄 | Wikipedia |
小川 利雄(おがわ としお、1915年5月11日 - 没年不明)は、神奈川県出身のプロ野球選手。 | ||
35 | 村山達雄 | Wikipedia |
村山 達雄(むらやま たつお、1915年(大正4年)2月8日 - 2010年(平成22年)5月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
36 | 山内邦臣 | Wikipedia |
山内 邦臣(やまのうち くにおみ、1915年5月28日 - 1998年6月17日 )は、英米文学者。 主としてユージン・オニールを研究。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
37 | 中川平太夫 若狭町 | Wikipedia |
中川 平太夫(なかがわ へいだゆう、1915年3月18日 - 1987年6月14日)は、公選第4代福井県知事(任期は1967年4月23日~1987年4月22日、5期)。福井県遠敷郡野木村(現在の三方上中郡若狭町)出身。若狭町名誉町民(1983年11月3日、当時の遠敷郡上中町より称号贈呈)。息子は福井県議会議員の中川平一。 | ||
38 | 金子健造 南アルプス市 | Wikipedia |
金子 健造(かねこ けんぞう、1915年9月8日 - 1988年7月14日)は、昭和時代日本の歌人。 | ||
39 | 草間俊一 | Wikipedia |
草間 俊一(くさま しゅんいち、1915年(大正4年)6月24日 - 1997年(平成9年)1月15日)は、日本の歴史学者。岩手大学名誉教授。盛岡短期大学元学長。長野県出身。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
40 | 小平邦彦 | Wikipedia |
小平 邦彦(こだいら くにひこ、1915年3月16日 - 1997年7月26日)は、日本の数学者。東京都出身。日本初のフィールズ賞受賞者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
41 | 小島信夫 岐阜市 | Wikipedia |
小島 信夫(こじま のぶお、1915年(大正4年)2月28日 - 2006年(平成18年)10月26日)は、日本の小説家・評論家。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
42 | 江崎惇 | Wikipedia |
江崎 惇(えざき あつし、1915年9月28日 - 1995年1月8日)は日本の小説家。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
43 | 牧野正蔵 | Wikipedia |
牧野 正蔵(まきの しょうぞう、1915年(大正4年)5月15日 - 1987年(昭和62年)2月12日)は、日本の競泳選手。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
44 | 森弘太郎 一宮市 | Wikipedia |
森 弘太郎(もり こうたろう、1915年5月29日 - 1966年9月1日)は、愛知県一宮市出身のプロ野球選手(投手)。 | ||
45 | 美濃部正 | Wikipedia |
美濃部 正(みのべ ただし、旧姓:太田(おおた)、1915年 - 1997年6月12日)は、旧日本海軍軍人、航空自衛官である。愛知県出身。海兵64期。最終階級は海軍において少佐、自衛隊において空将。 | ||
46 | 安藤之制 | Wikipedia |
安藤 之制(あんどう ゆきのり、1915年 - 没年月日不明)は、愛知県出身の元プロ野球選手(内野手)。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
47 | 江口行男 | Wikipedia |
江口 行男(えぐち ゆきお、1915年4月4日 - 没年不明)は、愛知県出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは一塁手、二塁手。 | ||
立命館大学出身 出身の立命館大学の出身者 全国の立命館大学の出身者 | ||
48 | 林清一 | Wikipedia |
林 清一(はやし せいいち、1915年10月31日 - 1990年5月23日)は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。 | ||
立命館大学出身 出身の立命館大学の出身者 全国の立命館大学の出身者 | ||
49 | 江崎真澄 | Wikipedia |
江崎 真澄(えさき ますみ、1915年11月23日 - 1996年12月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(17期)、総務庁長官、自治大臣、防衛庁長官などを歴任した。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
50 | 矢田俊隆 桑名市 | Wikipedia |
矢田 俊隆(やだ としたか、1915年(大正4年)7月23日 - 2000年7月14日)は、日本の歴史学者・政治学者。北海道大学名誉教授。中欧史を研究。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
51 | 伊藤清 北勢町(現・いなべ市) | Wikipedia |
伊藤 清(いとう きよし、1915年9月7日 - 2008年11月10日)は、日本の数学者。確率論における伊藤の補題(伊藤の定理)の考案者として知られる。第一回ガウス賞受賞者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
52 | 小津正次郎 | Wikipedia |
小津 正次郎(おづ しょうじろう、1915年1月29日 - 1997年11月25日)は、三重県出身の実業家。 | ||
香川大学出身 出身の香川大学の出身者 全国の香川大学の出身者 | ||
53 | 森井茂 | Wikipedia |
森井 茂(もりい しげる、1915年4月12日 - 1987年4月11日)は、三重県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 | ||
54 | 小阪三郎 | Wikipedia |
小阪 三郎(こさか さぶろう、1915年11月16日 - 1992年12月5日)は、三重県出身のプロ野球選手(内野手)。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
55 | 林田悠紀夫 | Wikipedia |
林田 悠紀夫(はやしだ ゆきお、1915年(大正4年)11月26日 - 2007年(平成19年)11月11日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員や京都府知事を務めた。綾部市名誉市民。正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
56 | 岡芳包 | Wikipedia |
岡 芳包(おか よしかね、1915年(大正4年) - 1991年(平成3年)9月1日)は、日本の医学者。生理学者。大阪府大阪市出身。大阪府立市岡中学校、浪速高等学校、大阪帝国大学医学部卒業。 | ||
大阪大学出身 出身の大阪大学の出身者 全国の大阪大学の出身者 | ||
57 | 神田貞之助 大阪市 | Wikipedia |
神田 貞之助(かんだ ていのすけ、1915年2月8日 - 1997年4月23日)は、日本の物理学者。神戸大学名誉教授。理学博士。大阪府大阪市出身。 | ||
大阪帝国大学出身 出身の大阪帝国大学の出身者 全国の大阪帝国大学の出身者 | ||
58 | 柿本奨 岸和田市 | Wikipedia |
柿本奨(かきもと つとむ、1915年11月30日 - 2000年5月)は、国文学者。 大阪府岸和田市生まれ。岸和田中学校(現岸和田高等学校)、大阪高等学校卒、1938年京都帝国大学国文科卒。大阪市立岡第二商業学校(現・大阪市立市岡商業高等学校)教諭、熊本師範学校教授、大阪第一師範学校教授、二度応召。戦後、大阪学芸大学助教授、67年校名変更で大阪教育大学教授、大阪大学教養部教授、79年定年退官、名誉教授、追手門学院大学教授。同名誉教授。中古文学が専門。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
59 | 菊矢吉男 | Wikipedia |
菊矢 吉男(きくや よしお、1915年8月31日 - 1990年12月27日)は、大阪府出身のプロ野球選手、高校野球指導者。 | ||
関西大学出身 出身の関西大学の出身者 全国の関西大学の出身者 | ||
60 | 吉岡たすく | Wikipedia |
吉岡 たすく(よしおか たすく、1915年4月24日 - 2000年5月22日)は、大阪府出身の児童文化研究家。テレビの教育相談番組で活動した。本名は吉岡佐(たすく)。 | ||
大阪教育大学出身 出身の大阪教育大学の出身者 全国の大阪教育大学の出身者 | ||
61 | 西村公朝 高槻市 | Wikipedia |
西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月4日 - 2003年(平成15年)12月2日)は、仏師・仏像修理技師・僧侶・東京芸術大学名誉教授。勲三等瑞宝章。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
62 | 室井豊 | Wikipedia |
室井 豊(むろい ゆたか、1915年 - 1965年10月6日)は、大阪府出身のプロ野球選手。主なポジションは捕手。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
63 | 岡本利三 | Wikipedia |
岡本 利三(おかもと としぞう、1915年10月20日 - 2002年5月)は、大阪府出身のプロ野球選手(捕手、外野手)。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
64 | 林敏夫 | Wikipedia |
林 敏夫(はやし としお、1915年5月14日 - 1945年8月13日)は、は、日本の俳優、歌舞伎役者である[4][5][6][7]。本名同じ。第二次世界大戦で戦死した。 | ||
65 | 原静枝 | Wikipedia |
原 静枝(はら しずえ、1915年9月27日 - 1934年1月8日)は、日本の女優である[4][5][6][7]。本名は原田 静枝(はらだ しずえ)[4][5]。サイレント映画の時代、新興キネマの女優であったが、京都駅跨線橋転倒事故に巻き込まれ、満18歳で事故死した[4][5][6][7]。 | ||
66 | 吉川勇次 神戸市 | Wikipedia |
吉川 勇次(よしかわ ゆうじ、1915年1月20日 - 1977年2月6日)は、日本のヤクザ。暴力団三代目山口組若頭補佐、初代吉川組組長。三重県度会郡出身。 | ||
67 | 八尋俊邦 | Wikipedia |
八尋 俊邦(やひろ としくに、1915年2月1日 - 2001年10月27日)は日本の実業家。三井物産の社長や会長を務めたほか、商社出身者として初めて経済団体連合会副会長を務めた。勲一等瑞宝章。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
68 | 浅野勝三郎 | Wikipedia |
浅野 勝三郎 (あさの かつさぶろう、1915年10月1日 - 没年不明)は、阪急軍に在籍したプロ野球選手(投手)。旧名・山田勝三郎。 | ||
69 | 中田武雄 | Wikipedia |
中田 武雄(なかた たけお、1915年(大正4年) - 1943年(昭和18年)7月22日)は、昭和初期の中等学校野球及び大学野球で活躍した野球選手。1933年(昭和8年)の第19回全国中等学校優勝野球大会準決勝において、兵庫県立明石中学校の投手として中京商業学校との延長25回の試合を投げきったことで著名。左投げ左打ち。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
70 | 佐々木良作 養父市 | Wikipedia |
佐々木 良作(ささき りょうさく、1915年(大正4年)1月8日 - 2000年(平成12年)3月9日)は、日本の政治家。雅号は良素。 | ||
信州大学出身 出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
71 | 建内保興 | Wikipedia |
建内 保興(たけうち やすおき、1915年(大正4年)12月20日 - 2011年(平成23年1月7日) )は、日本の石油実業家。日本石油社長及び会長を16年、石油連盟会長を11年務めた。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
72 | 白木一二 | Wikipedia |
白木 一二(しらき かずじ、1915年11月3日 - 1944年?)は、兵庫県出身のプロ野球選手(外野手)。 | ||
73 | 村田知栄子 神戸市 | Wikipedia |
村田 知栄子(むらた ちえこ、1915年2月28日 - 1995年11月)は、日本の女優である。本名は村田 美代子(むらた みよこ)。兵庫県神戸市出身。夫は俳優の見明凡太朗。姉の嘉寿代は「村田扶実子」の芸名で、芸術座や大映で活躍した女優。 | ||
74 | 山内邦臣 | Wikipedia |
山内 邦臣(やまのうち くにおみ、1915年5月28日 - 1998年6月17日 )は、英米文学者。 主としてユージン・オニールを研究。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
75 | 由谷敬吉 | Wikipedia |
由谷 敬吉(ゆたに けいきち、1915年 - 1943年11月26日)は、日本のアマチュア野球選手。東武雄や梶原英夫と並んで、東京大学野球部史上の「名投手三羽烏」と呼ばれる人物の一人。1943年11月26日満州興山で戦死。野球殿堂博物館の「戦没野球人モニュメント」に刻まれている。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
76 | 佐々木常助 | Wikipedia |
佐々木 常助(ささき つねすけ、1915年8月16日 - 没年不明)は、島根県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは外野手。 | ||
77 | 熊谷典文 浜田市 | Wikipedia |
熊谷 典文(くまがい よしふみ、1915年11月30日 - 1999年4月1日)は、日本の実業家。通商産業事務次官、住友金属工業社長・会長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
78 | 藤井勝志 井原市 | Wikipedia |
藤井 勝志(ふじい かつし、1915年4月13日 - 1996年1月25日)は、日本の政治家。井原市名誉市民。労働大臣、大蔵政務次官などを務めた。叙正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
79 | 加藤武徳 笠岡市 | Wikipedia |
加藤 武徳(かとう たけのり、1915年11月21日 - 2000年2月9日)は、日本の政治家。岡山県知事、自治大臣などを歴任した。剣道範士、全日本剣道連盟顧問。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
80 | 前田豊 佐伯郡廿日市町 | Wikipedia |
前田 豊(まえだ ゆたか、1915年9月25日 - 1997年1月11日)は、日本のバレーボール選手(日本代表)、指導者。バレーボール全日本男子監督、バレーボール全日本女子初代監督、日本バレーボール協会副会長、国際バレーボール連盟(FIVB)副会長、アジアバレーボール連盟会長、日本体育協会理事、日本文化出版創業・社長など多くの要職に就き“バレー界の天皇”とも言われた。戦後日本のバレーボールの、国際舞台での活躍と底辺の広がり、両輪の発展に大きな役割を果たしたバレーボール指導者[4][5]、日本のバレーボール育ての親[6]。広島県佐伯郡廿日市町地御前(現廿日市市)出身。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
81 | 二葉あき子 | Wikipedia |
二葉 あき子(ふたば あきこ、1915年2月2日 - 2011年8月16日)は、日本の女性歌手。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
82 | 浜崎忠治 | Wikipedia |
浜崎 忠治(はまざき ただはる、1915年9月28日 - 没年不明)は、広島県呉市出身のプロ野球選手(投手、二塁手、三塁手)。パ・リーグ審判。 | ||
83 | 大島久見 | Wikipedia |
大島 久見(おおしま ひさみ、1915年1月23日 - 2004年2月3日)は、シテ方喜多流の能楽師(職分)。日本能楽会理事。国の重要無形文化財「能楽」の保持者(総合認定)。 | ||
84 | 八尋俊邦 | Wikipedia |
八尋 俊邦(やひろ としくに、1915年2月1日 - 2001年10月27日)は日本の実業家。三井物産の社長や会長を務めたほか、商社出身者として初めて経済団体連合会副会長を務めた。勲一等瑞宝章。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
85 | 大社義規 さぬき市津田町 | Wikipedia |
大社 義規(おおこそ よしのり、1915年2月1日 - 2005年4月27日)は、日本の実業家。日本ハム創業者で元社長。香川県大川郡津田町津田(現・さぬき市)出身。 | ||
香川大学出身 出身の香川大学の出身者 全国の香川大学の出身者 | ||
86 | 遊佐正憲 | Wikipedia |
遊佐 正憲(ゆさ まさのり、1915年1月20日 - 1975年3月8日)は、日本の水泳選手。 | ||
87 | 景浦將 松山市 | Wikipedia |
景浦 將(かげうら まさる、1915年7月20日 - 1945年5月20日)は、愛媛県松山市出身のプロ野球選手(外野手、投手)。 | ||
立教大学出身 出身の立教大学の出身者 全国の立教大学の出身者 | ||
88 | 中村時雄 | Wikipedia |
中村 時雄(なかむら ときお、1915年6月12日 - 2001年3月20日)は、日本の政治家である。衆議院議員、松山市長を歴任した。 | ||
中国農業大学出身 出身の中国農業大学の出身者 全国の中国農業大学の出身者 | ||
89 | 丸山豊 久留米市 | Wikipedia |
丸山 豊(まるやま ゆたか、1915年3月30日 - 1989年8月8日)は日本の医師、詩人。日本の現代詩における代表的詩人の一人。福岡県八女郡広川町出身。福岡県中学明善校在学中より野田宇太郎らと同人誌に参加。第一早稲田高等学院に進学するも中退し、父と同じく医学を志して昭和12年、九州医学専門学校卒業。 | ||
久留米大学出身 出身の久留米大学の出身者 全国の久留米大学の出身者 | ||
90 | 新富卯三郎 | Wikipedia |
新富 卯三郎(しんとみ うさぶろう、1915年2月13日 - 1945年8月1日)は、福岡県出身のプロ野球選手。 | ||
91 | 牛丸義留 多久市 | Wikipedia |
牛丸 義留(うしまる よしと、1915年10月5日 - )は、元厚生官僚。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
92 | 松尾五郎 | Wikipedia |
松尾 五郎(まつお ごろう、1915年10月11日 - 没年不明)は、昭和時代前期に活躍したプロ野球選手。 | ||
93 | 吉田猪佐喜 | Wikipedia |
吉田 猪佐喜(よしだ いさき、1915年7月24日 - 1982年4月10日)は、熊本県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。1950年から1952年までの登録名は吉田 和生(よしだ かずお)。 | ||
94 | 勝野ふじ子 薩摩川内市 | Wikipedia |
勝野 ふじ子(かつの ふじこ、本名:勝野フジノ、1915年 (大正4年) 3月5日 - 1944年 (昭和19年) 3月21日) は、日本の小説家。鹿児島県薩摩郡入来村(現・薩摩川内市)生まれ。入来尋常小学校卒業後、鹿児島県立川内高等女学校に進学。その1年後に転校し、鹿児島県立第二高等女学校卒業。1937年より『九州文学』同人。 | ||
95 | 勝野ふじ子 薩摩川内市 | Wikipedia |
勝野 ふじ子(かつの ふじこ、本名:勝野フジノ、1915年 (大正4年) 3月5日 - 1944年 (昭和19年) 3月21日) は、日本の小説家。鹿児島県薩摩郡入来村(現・薩摩川内市)生まれ。入来尋常小学校卒業後、鹿児島県立川内高等女学校に進学。その1年後に転校し、鹿児島県立第二高等女学校卒業。1937年より『九州文学』同人。 | ||
96 | 湊正雄 | Wikipedia |
湊 正雄(みなと まさお、1915年11月10日 - 1984年4月16日)は、日本の地質学者。北海道大学名誉教授。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
97 | 宮崎吉政 札幌市 | Wikipedia |
宮崎 吉政(みやざき よしまさ、1915年8月8日 - 2006年3月3日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
98 | 東郷文彦 | Wikipedia |
東郷 文彦(とうごう ふみひこ、旧姓:本城、 1915年(大正4年)8月18日 - 1985年(昭和60年)4月9日)は、日本の昭和時代の外交官、官僚。旧姓は本城。外務省事務次官、駐アメリカ大使を務めるなど日本の戦後外交におけるアメリカスクール外交官の重鎮の一人であった。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
99 | 石川馨 | Wikipedia |
石川 馨(いしかわ かおる、1915年7月13日 - 1989年4月16日)は、日本の化学工学者。工学博士。東京大学名誉教授、武蔵工業大学(現東京都市大学)元学長。 | ||
100 | 島田秀夫 | Wikipedia |
島田 秀夫(しまだ ひでお、1915年6月27日 - 2005年11月3日)は、岡山県出身出身の会社役員、サッカー選手、第7代日本サッカー協会会長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
101 | 播磨幸太郎 | Wikipedia |
播磨 幸太郎(はりま こうたろう、1915年 - 1953年7月19日)は、日本のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。兵庫県神戸市出身。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
102 | 野間宏 神戸市 | Wikipedia |
野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 - 1991年(平成3年)1月2日)は日本の小説家、評論家、詩人。長編小説を多く書き、社会全体の構造をとらえる全体小説を志向した。また、最晩年まで社会的な発言を多く行ったことでも知られている。部落外の出身者だが部落解放同盟中央委員となった。そのきっかけは、戦前から水平社とともに運動してきたことのほか、誤りを犯したことがきっかけで解放同盟に洗脳されたことであるといわれる。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
103 | 小平邦彦 | Wikipedia |
小平 邦彦(こだいら くにひこ、1915年3月16日 - 1997年7月26日)は、日本の数学者。東京都出身。日本初のフィールズ賞受賞者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
104 | 山本夏彦 | Wikipedia |
山本 夏彦(やまもと なつひこ、1915年6月15日 - 2002年10月23日)は、日本の随筆家、編集者。東京市下谷根岸出身。 | ||
105 | 松井聰 | Wikipedia |
松井 聰(まつい さとし、1915年3月12日 - 1995年8月1日)は、日本のバスケットボール選手、指導者。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
106 | 塩田剛三 | Wikipedia |
塩田剛三(しおだ ごうぞう、1915年(大正4年)9月9日 - 1994年(平成6年)7月17日)は、東京府四谷区(現・東京都新宿区四谷)出身の武道(合気道)家である。本名・塩田剛(しおだ たけし)。身長154cm、体重46kgと非常に小柄な体格ながら「不世出の達人」と高く評価され、「現代に生きる達人」「生ける伝説」とも謳われた。 | ||
拓殖大学出身 出身の拓殖大学の出身者 全国の拓殖大学の出身者 | ||
107 | 和歌森太郎 | Wikipedia |
和歌森 太郎(わかもり たろう、1915年(大正4年)6月13日 - 1977年(昭和52年)4月7日)は日本の歴史学者、民俗学者。東京教育大学名誉教授。専門は日本の民衆史・修験道史。 | ||
108 | 河村勝 | Wikipedia |
河村 勝(かわむら かつ、1915年(大正4年)10月4日 - 2001年(平成13年)1月30日)は、日本の政治家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
109 | 細郷道一 | Wikipedia |
細郷 道一(さいごう みちかず、1915年11月25日 - 1990年2月15日)は、日本の政治家、内務官僚。神奈川県横浜市長(3期)、自治事務次官を歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
110 | 藤山楢一 | Wikipedia |
藤山 楢一(ふじやま ならいち 1915年9月17日 - 1994年5月5日)は、日本の外交官。駐英国大使。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
111 | 天城勲 | Wikipedia |
天城 勲(あまぎ いさお、1915年(大正4年)5月12日 - 2011年(平成23年)7月22日)は、日本の文部官僚。 | ||
112 | 井上四郎 | Wikipedia |
井上 四郎(いのうえ しろう、1915年 - 2010年7月11日)は、昭和期の日本の銀行員である。日本銀行理事、アジア開発銀行総裁(第2代)などを務めた。東京都出身。父は1932年に、血盟団事件で暗殺された元蔵相の井上準之助、母は華族・吉敷毛利家の毛利重輔の娘・千代子である。 | ||
113 | 塩野宜慶 | Wikipedia |
塩野 宜慶(しおの やすよし、1915年(大正4年) - 2011年(平成23年)1月22日 )は日本の法律家。法務事務次官、東京高等検察庁検事長、最高裁判所判事を歴任。塩野季彦の長男。子に最高検検事、福島地検検事正等を務めた健彦(中大法卒)がいる。 | ||
114 | 前田護郎 | Wikipedia |
前田 護郎(まえだ ごろう、1915年6月17日 - 1980年4月17日)は、新約聖書学者、東京大学名誉教授。 | ||
115 | 由谷敬吉 | Wikipedia |
由谷 敬吉(ゆたに けいきち、1915年 - 1943年11月26日)は、日本のアマチュア野球選手。東武雄や梶原英夫と並んで、東京大学野球部史上の「名投手三羽烏」と呼ばれる人物の一人。1943年11月26日満州興山で戦死。野球殿堂博物館の「戦没野球人モニュメント」に刻まれている。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
116 | 清水たみ子 | Wikipedia |
清水 たみ子(しみず たみこ、1915年3月6日 - )は、日本の児童文学作家、詩人。埼玉県生まれ。東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)卒。北原白秋の指導を受け、「赤い鳥」に児童自由詩や童謡を投稿する。1991年「清水たみ子詩集 かたつむりの詩」で第21回赤い鳥文学賞受賞。日本児童文学者協会、日本童謡協会会員。 | ||
117 | 坪井東 | Wikipedia |
坪井 東(つぼい はじめ、1915年5月1日‐1996年7月5日)は日本の実業家。三井不動産の社長や会長を22年間務め、ツーバイフォー工法の導入や東京ディズニーランド開園事業に携わったほか、不動産協会理事長等の公職も務めた。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
118 | 市原松平 佐倉市 | Wikipedia |
市原 松平(いちはら まつへい、1915年3月30日- 2001年4月11日)は、日本の土木工学者。京都帝国大学(現在の京都大学)工学部卒業。名古屋大学名誉教授。土木学会名誉会員。地盤工学会名誉会員。土圧・間隙水圧の計測方法に関する研究を行い多面土圧計などの計測機器を開発。特に土圧研究の分野で多くの業績を挙げた。勲二等瑞宝章受章。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
119 | 土方武 | Wikipedia |
土方 武(ひじかた たけし、1915年(大正4年)3月18日 - 2008年(平成20年)10月15日)は日本の実業家、元住友化学工業社長・会長。元日本たばこ産業会長。元経済団体連合会副会長。岐阜県岐阜市出身。 | ||
120 | 尾之内由紀夫 | Wikipedia |
尾之内 由紀夫(おのうち ゆきお、1915年8月18日 - 2009年2月12日)は、日本の土木工学者。1967年に建設事務次官を務めた。 | ||
121 | 八尋俊邦 | Wikipedia |
八尋 俊邦(やひろ としくに、1915年2月1日 - 2001年10月27日)は日本の実業家。三井物産の社長や会長を務めたほか、商社出身者として初めて経済団体連合会副会長を務めた。勲一等瑞宝章。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
122 | 高川格 田辺市 | Wikipedia |
二十二世本因坊秀格(にじゅうにせいほんいんぼうしゅうかく)(高川 格 たかがわ かく、1915年9月21日 - 1986年11月26日)は、日本の囲碁棋士。和歌山県出身、光原伊太郎名誉八段門下。本因坊戦9連覇。 | ||
123 | 玉城康四郎 熊本市 | Wikipedia |
玉城 康四郎(たまき こうしろう、1915年7月29日 - 1999年1月14日)は、日本の仏教学者。世界各地の宗教を研究した。 | ||
124 | 石原吉郎 | Wikipedia |
石原 吉郎(いしはら よしろう、1915年(大正4年)11月11日 - 1977年(昭和52年)11月14日)は、日本の詩人。シベリア抑留の経験を文学的テーマに昇華した、戦後詩の代表的詩人である。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
125 | 加藤克巳 | Wikipedia |
加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、歌人。 | ||
國學院大學出身 出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
126 | 佐古一 | Wikipedia |
佐古 一(さこ はじめ、1915年12月15日 - 2010年1月13日)は、広島県出身の実業家。大成建設社長、日本建設業団体連合会会長などを務める。 | ||
127 | 古澤潔夫 | Wikipedia |
古澤 潔夫(ふるさわ いさお、1915年6月25日 - 2001年3月3日)は日本の植物学者である。小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)で働いた。 | ||
128 | 岡部健二 | Wikipedia |
岡部 健二(おかべ けんじ、1915年(大正4年)4月5日 - )は、大日本帝国海軍の軍人、戦闘機搭乗員。 | ||
129 | 梅崎春生 | Wikipedia |
梅崎 春生(うめざき はるお、1915年(大正4年)2月15日 - 1965年(昭和40年)7月19日)は、日本の小説家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
130 | 小野衛 | Wikipedia |
小野 衛(おの まもる、1915年8月18日 - 2001年11月14日)は、日本の邦楽作曲家、演奏家。 | ||
131 | 氏家榮一 | Wikipedia |
氏家 榮一(うじいえ えいいち、1915年(大正4年)12月12日 - 2002年(平成14年)12月6日)は、日本の銀行家。元七十七銀行会長、頭取。 | ||
132 | 尚明 | Wikipedia |
尚 明(しょう あきら、1915年4月5日 - 1991年6月11日)は日本の官僚。元日本住宅公団副総裁。 | ||
133 | 吉野俊彦 | Wikipedia |
吉野 俊彦(よしの としひこ、1915年7月4日 - 2005年8月12日)は、日本銀行理事。父は逓信官僚の吉野圭三。 | ||
134 | 高橋秀俊 | Wikipedia |
高橋 秀俊(たかはし ひでとし、1915年1月15日 - 1985年6月30日)は、物理学者で、日本のコンピュータのパイオニアである。東京府豊多摩郡代々幡村(現・東京都渋谷区代々木)生まれ。心理学者・元良勇次郎の孫。船舶工学者・元良誠三の従兄。 | ||
135 | 神沢浄 | Wikipedia |
神沢 浄(かんざわ きよし、1915年8月25日 - 2007年3月1日)は、日本の政治家。元日本社会党参議院議員、衆議院議員。 | ||
136 | 本橋精一 | Wikipedia |
本橋 精一(もとはし せいいち 1915年 - 1946年1月31日)は、日本の元アマチュア野球選手。東京都出身。 | ||
137 | 丸山豊 久留米市 | Wikipedia |
丸山 豊(まるやま ゆたか、1915年3月30日 - 1989年8月8日)は日本の医師、詩人。日本の現代詩における代表的詩人の一人。福岡県八女郡広川町出身。福岡県中学明善校在学中より野田宇太郎らと同人誌に参加。第一早稲田高等学院に進学するも中退し、父と同じく医学を志して昭和12年、九州医学専門学校卒業。 | ||
久留米大学出身 出身の久留米大学の出身者 全国の久留米大学の出身者 | ||
138 | 鈴木鶴雄 | Wikipedia |
鈴木 鶴雄(すずき つるお、1915年4月1日 - 没年不明)は、和歌山県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、一塁手、外野手。 | ||
関西大学出身 出身の関西大学の出身者 全国の関西大学の出身者 | ||
139 | 大島靖 | Wikipedia |
大島 靖(おおしま やすし、1915年1月30日 - 2010年8月7日)は、日本の政治家、官僚。第14代大阪市長。元労働省労働基準局長。大阪市長を1971年から1987年まで、4期16年務めた。 |