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1 | 山内壮夫 | Wikipedia |
山内 壮夫(やまうち たけお、1907年(明治40年)8月12日 - 1975年(昭和50年)4月11日)は、日本の彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。郷里である北海道をはじめ、日本各地に多くの野外彫刻が設置されている。 | ||
千葉大学出身 出身の千葉大学の出身者 全国の千葉大学の出身者 | ||
2 | 福永操 | Wikipedia |
福永 操(ふくなが みさお、1907年5月8日‐1991年)は、日本の社会運動家、著述家。兵庫県出身。東京女子大学中退。旧姓は波多野、是枝。 | ||
東京女子大学出身 出身の東京女子大学の出身者 全国の東京女子大学の出身者 | ||
3 | 亀井勝一郎 函館市 | Wikipedia |
亀井 勝一郎(かめい かついちろう、1907年(明治40年)2月6日 - 1966年(昭和41年)11月14日)は、昭和期の文芸評論家、日本藝術院会員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
4 | 赤松俊秀 旭川市 | Wikipedia |
赤松 俊秀(あかまつ としひで、1907年4月28日 - 1979年1月24日)は、北海道旭川市出身の日本史学者。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
5 | 淡谷のり子 | Wikipedia |
淡谷 のり子(あわや のりこ、1907年8月12日 - 1999年9月22日)は、青森県青森市出身の女性歌手。 | ||
東京音楽大学出身 出身の東京音楽大学の出身者 全国の東京音楽大学の出身者 | ||
6 | 川端秀子 八戸市 | Wikipedia |
川端 秀子(かわばた ひでこ、1907年(明治40年)2月8日 – 2002年(平成14年)9月7日)は、作家・川端康成の妻。青森県三戸郡八戸町(現・八戸市)出身。旧姓は松林。戸籍名はヒテ。青森県立八戸高等女学校(現・八戸東高等学校)卒業。 | ||
7 | 森荘已池 盛岡市 | Wikipedia |
森 荘已池(もり そういち、1907年5月3日 - 1999年3月13日)は、日本の作家。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
8 | 古沢元 西和賀町 | Wikipedia |
古沢 元(ふるさわ げん、1907年12月11日 - 1946年5月3日) は、日本の小説家。本名は古沢 玉次郎(ふるさわ たまじろう)、別筆名・秦巳 三雄(はた みさお) | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
9 | 小畑達夫 大館市 | Wikipedia |
小畑 達夫(おばた たつお、1907年7月7日 - 1933年12月24日、満26歳没)は、日本の社会運動家である。特高のスパイの容疑をかけられ、査問を受けていた最中に死亡した(日本共産党スパイ査問事件)。 | ||
10 | 根本龍太郎 大仙市 | Wikipedia |
根本 龍太郎(ねもと りゅうたろう、1907年5月25日 - 1990年3月19日)は、昭和期の日本の政治家。自由民主党衆議院議員。秋田県大曲市(現在の大仙市)出身。勲一等旭日大綬章。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
11 | 安住敦 | Wikipedia |
安住 敦(あずみ あつし、1907年7月1日 - 1988年7月8日)は、俳人、随筆家。前号・安住あつし。多くの人から絶大な人気を誇った。そして今もなお愛され続けている。 | ||
12 | 岡本敏明 | Wikipedia |
岡本 敏明(おかもと としあき、明治40年(1907年)3月19日 - 昭和52年(1977年)10月21日)は、昭和時代に活躍した日本の音楽家(作曲家)。 | ||
13 | 服部正一郎 龍ヶ崎市 | Wikipedia |
服部 正一郎(はっとり しょういちろう、1907年11月17日 - 1995年3月20日)は、日本画家、日本芸術院会員。茨城県出身。 | ||
14 | 藤原繁 | Wikipedia |
藤原 繁(ふじわら しげる、1907年(明治40年)10月8日 - 1978年(昭和53年)11月2日)は、東京市小石川生まれの教育者。父・藤原保次郎(岡山県議会議長)、母・ゆきの長男として出生。亜細亜大学の前身である興亜専門学校、また、その前身である国士舘専門学校興亜科創立を首唱。実質的創立者。 | ||
亜細亜大学出身 出身の亜細亜大学の出身者 全国の亜細亜大学の出身者 | ||
15 | 山口薫 | Wikipedia |
山口 薫(やまぐち かおる、1907年8月13日 - 1968年5月19日)は、昭和時代の日本の洋画家。元東京芸術大学教授。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
16 | 東野英治郎 日野町(東野家出身地) | Wikipedia |
東野 英治郎(とうの えいじろう、1907年9月17日 - 1994年9月8日)は日本の俳優、随筆家。戦前期の芸名は本庄 克二。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
17 | 石井桃子 さいたま市 | Wikipedia |
石井 桃子(いしい ももこ、1907年3月10日 - 2008年4月2日)は、日本の児童文学作家・翻訳家。数々の欧米の児童文学の翻訳を手がける一方、絵本や児童文学作品の創作も行い、日本の児童文学普及に貢献した。日本芸術院会員。 | ||
日本女子大学出身 出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
18 | 荒舩清十郎 現秩父市 | Wikipedia |
荒舩 清十郎(あらふね せいじゅうろう、1907年(明治40年)3月9日 - 1980年(昭和55年)11月25日)は、日本の政治家。運輸大臣、衆議院副議長、行政管理庁長官等を歴任した。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
19 | 豊田三郎 草加市(旧・南埼玉郡川柳村) | Wikipedia |
豊田 三郎(とよだ さぶろう、1907年(明治40年)2月12日 - 1959年(昭和34年)11月18日)は、日本の小説家。本姓は森村。妻は歌人の森村浅香、作家の森村桂は長女。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
20 | 中橋基明 | Wikipedia |
中橋 基明(なかはし もとあき、明治40年(1907年)9月25日 - 昭和11年(1936年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
21 | 新道繁 坂井市 | Wikipedia |
新道 繁(しんどう しげる、1907年3月25日 - 1981年6月10日)は、洋画家。 | ||
22 | 葛原妙子 | Wikipedia |
葛原 妙子(くずはら たえこ、1907年(明治40年)2月5日 - 1985年(昭和60年)9月2日)は、歌人、潮音社友、日本歌人クラブ会員、女人短歌会会員。現代歌人協会発起人。南日本新聞歌壇選者。現代短歌女流賞選考委員。 | ||
23 | 近藤宮子 広島市 | Wikipedia |
近藤宮子(こんどう みやこ、1907年3月21日 - 1999年4月8日)は広島県広島市国泰寺町(現在の中区国泰寺町)出身の唱歌作詞家。唱歌『チューリップ』、『こいのぼり』作詞者。 | ||
24 | 小尾乕雄 | Wikipedia |
小尾 乕雄(おび とらお、1907年(明治40年)7月29日 - 2003年(平成15年)2月23日)は、主に昭和時代に活動した教育者である。山梨県北巨摩郡長坂町(現北杜市)出身。 | ||
文教大学出身 出身の文教大学の出身者 全国の文教大学の出身者 | ||
25 | 松平頼則 | Wikipedia |
松平 頼則(まつだいら よりつね、1907年5月5日 - 2001年10月25日)は、日本の作曲家、ピアニスト。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
26 | 夏目純一 | Wikipedia |
夏目 純一(なつめ じゅんいち、1907年6月5日 - 1999年2月21日)は、日本のヴァイオリニスト。 | ||
27 | 矢田津世子 五城目町 | Wikipedia |
矢田 津世子(やだ つせこ、本名矢田ツセ、1907年(明治40年)6月19日 - 1944年(昭和19年)3月14日)は、日本の小説家、随筆家。秋田県五城目町出身。はじめモダン派であったが純文学に転進し、1936年に小説『神楽坂』が第3回芥川賞候補に選ばれる。文章力と美貌を兼ね備えた女流作家として人気を集めた。坂口安吾の恋人とされる。大和生命初代社長の矢田不二郎は兄。 | ||
28 | 松原泰道 港区 | Wikipedia |
松原 泰道(まつばら たいどう、1907年11月23日 - 2009年7月29日)は、日本の臨済宗の僧侶。東京都港区の龍源寺住職。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
29 | 朝融王妃知子女王 | Wikipedia |
朝融王妃 知子女王(あさあきらおうひ ともこじょおう、1907年(明治40年)5月18日 - 1947年(昭和22年)6月28日)は、日本の皇族。伏見宮博恭王の第3女子、久邇宮朝融王の妃。香淳皇后の義姉。 | ||
30 | 松浦董子 | Wikipedia |
松浦 董子(まつら しげこ、1907年(明治40年) - 1989年(平成元年)1月28日)は日本の旧華族。父は旧平戸藩第12代藩主松浦詮伯爵の次男で分家の松浦靖(まつら はかる)子爵、陸軍中佐で大正天皇の侍従を務めた人物。母は久我通久侯爵の次女・節子(さだこ)。戦後凋落しながらも自尊心を守り続けたことで知られ、その生き様は死とともにマスコミで大きく取りあげられた。 | ||
31 | 川島芳子 北京市 | Wikipedia |
川島 芳子(かわしま よしこ、1907年5月23日 - 1948年3月25日)は、清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女。 | ||
32 | 犬養孝 | Wikipedia |
犬養 孝(いぬかい たかし.1907年4月1日 - 1998年10月3日)は日本文学者(万葉学者)。大阪大学、甲南女子大学名誉教授。文学博士。文化功労者。高岡市万葉歴史館名誉館長。東京都出身。 | ||
東京帝国大学出身 出身の 東京帝国大学の出身者 全国の 東京帝国大学の出身者 | ||
33 | 吉河光貞 | Wikipedia |
吉河 光貞(よしかわ みつさだ、1907年1月16日 - 1988年4月17日)は、日本の検察官、司法・法務官僚。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
34 | 清水幾太郎 中央区 | Wikipedia |
清水 幾太郎(しみず いくたろう、1907年7月9日 - 1988年8月10日)は、日本の社会学者、評論家。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
35 | 鍋島直泰 | Wikipedia |
鍋島 直泰(なべしま なおやす、1907年(明治40年)10月3日 - 1981年(昭和56年)5月1日)は旧佐賀藩主・鍋島家の13代当主。12代直映の嫡男。母は禎子(黒田長知の娘)。学習院・東京帝国大学を卒業、宮内省式部官を務めた後、1943年(昭和18年)に家督を相続・侯爵を襲爵し貴族院議員となり、貴族院の廃止までその任にあった。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
36 | 安住敦 | Wikipedia |
安住 敦(あずみ あつし、1907年7月1日 - 1988年7月8日)は、俳人、随筆家。前号・安住あつし。多くの人から絶大な人気を誇った。そして今もなお愛され続けている。 | ||
37 | 瀬長亀次郎 豊見城市 | Wikipedia |
瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年(明治40年)6月10日 - 2001年(平成13年)10月5日)は、日本の政治家。沖縄の本土復帰前からの同地区非合法日本共産党員、同党公然組織である沖縄人民党幹部。復帰前に、那覇市長(1期)、立法院議員(3期)、沖縄人民党委員長、国政参加選挙で衆議院議員1期。本土復帰後、衆議院議員としては人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長をつとめた。 | ||
38 | 伊集院浩 | Wikipedia |
伊集院 浩(いじゅういん ひろし、1907年6月14日 - 1963年2月20日)は、元毎日新聞社記者、元プロレス解説者、元ラグビー選手(日本代表キャップ2)。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
39 | 村川堅太郎 | Wikipedia |
村川 堅太郎(むらかわ けんたろう、1907年4月13日 - 1991年12月23日)は、西洋史学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
40 | 藤枝静男 藤枝市 | Wikipedia |
藤枝 静男(ふじえだ しずお、1907年12月20日 - 1993年4月16日)は、日本の作家、眼科医。本名勝見次郎。静岡県藤枝出身。 | ||
千葉大学出身 出身の千葉大学の出身者 全国の千葉大学の出身者 | ||
41 | 松平勇雄 | Wikipedia |
松平 勇雄(まつだいら いさお、1907年(明治40年)6月14日 - 2006年(平成18年)4月1日)は、日本の政治家。参議院議員、福島県知事を務めた。初代参議院議長などを務めた松平恒雄は叔父。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
42 | 小船幸次郎 横浜市 | Wikipedia |
小船 幸次郎(こぶね こうじろう、1907年4月4日 - 1982年2月17日)は日本の作曲家、指揮者である。 | ||
サンタ・チェチーリア音楽院出身 出身のサンタ・チェチーリア音楽院の出身者 全国のサンタ・チェチーリア音楽院の出身者 | ||
43 | 服部逸郎 | Wikipedia |
服部 逸郎(はっとり いつろう、1907年12月3日 - 1973年8月5日)は、昭和期の日本の作曲家、作詞家、元アナウンサーである。別名をレイモンド服部、服部レイモンド。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
44 | 笹岡了一 | Wikipedia |
笹岡 了一(ささおか りょういち、1907年8月23日 - 1987年6月8日)は、日本の洋画家。本名は秋元 了一(あきもと りょういち)で、結婚後も旧姓で活動していた。妻は画家・詩人の秋元松子、長女(養女)は画家の秋元由美子。 | ||
45 | 渡辺義雄 三条市 | Wikipedia |
渡辺 義雄(わたなべ よしお、1907年4月21日 - 2000年7月21日)は写真家である。戦前はライカなどの小型写真機を駆使したスナップ写真で著名となった。フリーランスとなってからは、対外宣伝グラフ誌『NIPPON』に参加。また国際文化振興財団や木村伊兵衛らの中央工房に関係した国際報道写真協会で活躍。報道写真家の草分けとなる。戦後には大型カメラを使用する建築写真界の第一人者、そして優れた写真教育者となった。写真家としては日本唯一の文化功労者。三条市名誉市民。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
46 | 折口春洋 羽咋市 | Wikipedia |
折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓:藤井、1907年2月28日 - 1945年3月19日)は、日本の国文学者。 | ||
國學院大學出身 出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
47 | 陣出達朗 小松市 | Wikipedia |
陣出 達朗(じんで たつろう、1907年(明治40年)2月14日 - 1986年4月19日)は、石川県出身の日本の時代小説家。第3代日本作家クラブ会長。 | ||
48 | 山本和夫 小浜市 | Wikipedia |
山本 和夫(やまもと かずお、1907年4月25日 - 1996年5月25日)は、日本の児童文学作家、詩人。 | ||
東洋大学出身 出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 | ||
49 | 赤尾好夫 | Wikipedia |
赤尾 好夫(あかお よしお、1907年3月31日 – 1985年9月11日)は山梨県東八代郡英村(現笛吹市石和町)出身の出版人、放送人である。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
50 | 小林宏治 | Wikipedia |
小林 宏治(こばやし こうじ、1907年2月17日 - 1996年11月30日)は、日本の実業家。元日本電気(NEC)社長、会長。 | ||
信州大学出身 出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
51 | 樫山欽四郎 小諸市 | Wikipedia |
樫山 欽四郎(かしやま きんしろう、1907年5月1日 - 1977年8月7日)は、日本の哲学研究者。ドイツ近世哲学、実存哲学を研究した。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
52 | 川島芳子 北京市 | Wikipedia |
川島 芳子(かわしま よしこ、1907年5月23日 - 1948年3月25日)は、清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女。 | ||
53 | 平野謙 京都市 | Wikipedia |
平野 謙(ひらの けん、男性、1907年(明治40年)10月30日 - 1978年(昭和53年)4月3日)は、日本の文芸評論家である。本名・平野朗(あきら)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
54 | 井上靖 | Wikipedia |
井上 靖(いのうえ やすし、1907年(明治40年)5月6日 - 1991年(平成3年)1月29日)は、日本の小説家。文化功労者、文化勲章受章。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
55 | 井上靖 | Wikipedia |
井上 靖(いのうえ やすし、1907年(明治40年)5月6日 - 1991年(平成3年)1月29日)は、日本の小説家。文化功労者、文化勲章受章。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
56 | 大岡博 静岡市 | Wikipedia |
大岡 博(おおおか ひろし、1907年3月9日 - 1981年10月1日)は、日本の歌人。 | ||
57 | 三鬼陽之助 | Wikipedia |
三鬼 陽之助(みき ようのすけ、1907年8月3日 - 2002年10月5日)は、日本の経済評論家。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
58 | 佐藤昌胤 | Wikipedia |
佐藤 昌胤(さとう しょういん、1907年(明治40年)- 1970年(昭和45年))は画家。伊勢湾台風を題材にした絵画などで知られる。三重県桑名郡長島町(現在の三重県桑名市)出身。長島町町会議員も務めた。 | ||
59 | 長谷川素逝 | Wikipedia |
長谷川 素逝(はせがわ そせい、1907年(明治40年)2月2日 - 1946年(昭和21年)10月10日)は、日本の俳人。本名・直次郎。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
60 | 中井徳次郎 伊賀市 | Wikipedia |
中井 徳次郎(なかい とくじろう、1907年(明治40年)5月29日 - 1991年(平成3年)12月19日)は、三重県出身の政治家。三重県上野市(現在の伊賀市)の市長だった。日本社会党に所属して衆議院議員を6期務めた。長男の中井洽も衆議院議員となった。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
61 | 藤林益三 | Wikipedia |
藤林 益三(ふじばやし えきぞう、1907年(明治40年)8月26日 - 2007年(平成19年)4月24日)は日本の弁護士(第一東京弁護士会所属)。第7代最高裁判所長官。夫人は明治の文豪、巖谷小波の末娘。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
62 | マキノ智子 | Wikipedia |
マキノ 智子(まきの ともこ、1907年1月29日 - 1984年10月20日)は、日本の女優である。「日本映画の父」といわれた牧野省三の四女。父の映画の子役からスタートし、大スタアとなった。本名は加藤 恵美子(かとう えみこ、旧姓:牧野)。芸名はほかにも、マキノ輝子(まきの てるこ)、牧野智子、藤野智子(ふじの ともこ)、牧野輝子、マキノ恵美子(まきの えみこ)、マキノ笑子(まきの えみこ)などがある。 | ||
63 | 真野春美 | Wikipedia |
真野 春美(まの はるみ、1907年1月12日 - 没年不明)は、京都府出身のプロ野球選手(二塁手,遊撃手)、パシフィック・リーグ審判員。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
64 | 中原中也 山口市 | Wikipedia |
中原 中也(なかはら ちゅうや、1907年(明治40年)4月29日 - 1937年(昭和12年)10月22日)は、日本の詩人、歌人、翻訳家。旧姓は柏村。夭折したが350篇以上もの詩を残し、一部は、中也自身が編纂した詩集『山羊の歌』、『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』を出版するなど、フランス人作家の翻訳もしている(他に少量だがアンドレ・ジイドほか)。日本大学予科、中央大学予科などを経て東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部修了。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
65 | 宮本又次 | Wikipedia |
宮本 又次(みやもと またじ、1907年3月5日 - 1991年3月12日)は、日本の歴史学者。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
66 | 広岡知男 | Wikipedia |
広岡 知男(旧字体:廣岡 知男、ひろおか ともお、1907年8月24日 - 2002年1月5日)は、日本のアマチュア野球選手、新聞社経営者。朝日新聞社社長、日本学生野球協会会長、全日本アマチュア野球連盟会長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
67 | 杉村正三郎 | Wikipedia |
杉村 正三郎(すぎむら しょうざぶろう、1907年8月16日 - 2000年7月3日)は、日本の会社役員、サッカー選手。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
68 | 二反長半 | Wikipedia |
二反長 半(にたんおさ なかば、1907年11月20日 - 1977年7月5日)は日本の小説家・児童文学作家。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
69 | 中村一雄 | Wikipedia |
中村 一雄(なかむら かずお、生年不明〈1907年11月3日~1908年11月2日〉 - 1990年11月2日)は、日本の競馬騎手、調教師、競走馬生産者。 | ||
70 | 渡瀬譲 | Wikipedia |
渡瀬 譲(わたせ ゆずる、1907年6月29日 - 1978年5月17日)は日本の物理学者。宇宙線研究の草分けとして著名で、大阪市立大学学長を務めた。大阪市北区出身。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
71 | 山下実 神戸市 | Wikipedia |
山下 実(やました みのる、1907年3月20日 - 1995年4月4日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手・監督。抜群の打撃力で鳴らし、高校野球、東京六大学野球、草創期のプロ野球で活躍した。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
72 | 原健三郎 淡路市(旧津名郡浅野村) | Wikipedia |
原 健三郎(はら けんざぶろう、1907年2月6日 - 2004年11月6日)は、日本の政治家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
73 | 三木武夫 阿波市 | Wikipedia |
三木 武夫(みき たけお、1907年(明治40年)3月17日 - 1988年(昭和63年)11月14日)は、徳島県出身の日本の政治家である。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
74 | 中村一雄 | Wikipedia |
中村 一雄(なかむら かずお、生年不明〈1907年11月3日~1908年11月2日〉 - 1990年11月2日)は、日本の競馬騎手、調教師、競走馬生産者。 | ||
75 | 加藤誠之 | Wikipedia |
加藤 誠之(かとう せいし、1907年11月25日-1995年12月13日)は、日本の実業家。トヨタ自動車販売取締役社長、取締役会長、トヨタ自動車相談役、顧問、名古屋商工会議所副会頭、学校法人関西学院理事長などを歴任した。 | ||
関西学院大学出身 出身の関西学院大学の出身者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
76 | 原清 宝塚市 | Wikipedia |
原 清(はら きよし、1907年(明治40年)4月15日 - 1990年(平成2年)10月18日)は、日本の実業家である。朝日放送社長や会長などを歴任した。 | ||
77 | 周藤吉之 | Wikipedia |
周藤 吉之(すとう よしゆき、1907年2月25日 - 1990年1月21日)は、中国史学者、東京大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
78 | 石井榮三 | Wikipedia |
石井 栄三(いしい えいぞう、1907年2月14日 - 1994年1月27日)は、日本の官僚。岡山市今村出身。従三位勲二等旭日重光章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
79 | 吉行あぐり 岡山市 | Wikipedia |
吉行 あぐり(よしゆき あぐり、1907年(明治40年)7月10日 - 2015年(平成27年)1月5日)は、日本の美容師。 本名・吉行 安久利(読み同じ)旧姓:松本、結婚によって吉行、再婚し辻、辻復没後再び吉行姓へ戻る。 | ||
80 | 人見絹枝 岡山市 | Wikipedia |
人見 絹枝(ひとみ きぬえ、1907年(明治40年)1月1日 - 1931年(昭和6年)8月2日)は、岡山県御津郡(現:岡山市南区)出身の陸上競技選手、ジャーナリスト。日本人女性初のオリンピックメダリスト。100m、200m、走幅跳の元世界記録保持者。 | ||
日本女子体育大学出身 出身の日本女子体育大学の出身者 全国の日本女子体育大学の出身者 | ||
81 | 中原中也 山口市 | Wikipedia |
中原 中也(なかはら ちゅうや、1907年(明治40年)4月29日 - 1937年(昭和12年)10月22日)は、日本の詩人、歌人、翻訳家。旧姓は柏村。夭折したが350篇以上もの詩を残し、一部は、中也自身が編纂した詩集『山羊の歌』、『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』を出版するなど、フランス人作家の翻訳もしている(他に少量だがアンドレ・ジイドほか)。日本大学予科、中央大学予科などを経て東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部修了。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
82 | 田上穣治 三島市 | Wikipedia |
田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月12日 - 1991年(平成3年)10月21日 )は日本の法学者。専門は公法学(憲法・比較憲法・行政法)。一橋大学名誉教授。美濃部達吉の弟子。クリスチャン。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
83 | 三木武夫 阿波市 | Wikipedia |
三木 武夫(みき たけお、1907年(明治40年)3月17日 - 1988年(昭和63年)11月14日)は、徳島県出身の日本の政治家である。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
84 | 宮武三郎 高松市 | Wikipedia |
宮武 三郎(みやたけ さぶろう、1907年7月23日 - 1956年12月11日)は、日本のプロ野球選手。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
85 | 金子正則 丸亀市 | Wikipedia |
金子 正則(かねこ まさのり、1907年3月29日 - 1996年10月21日)は、日本の政治家、判事。6期24年の間、香川県知事を務めた。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
86 | 塩田末平 三豊市 | Wikipedia |
塩田 末平 (しおた すえひら、1907年2月10日 - )は、日本の検察官、弁護士。元広島地方検察庁検事正。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
87 | 塩見俊二 戸波村 | Wikipedia |
塩見 俊二(しおみ しゅんじ、1907年(明治40年)5月17日 - 1980年(昭和55年)11月22日)は、日本の政治家。参議院議員(通算当選4回)。自治大臣、厚生大臣を歴任。土佐市名誉市民。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
88 | 火野葦平 北九州市 | Wikipedia |
火野 葦平(ひの あしへい、1907年(明治40年)1月25日 - 1960年(昭和35年)1月24日)は、昭和戦前・戦後期の小説家。本名玉井 勝則。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
89 | 諸谷義武 苓北町 | Wikipedia |
諸谷義武(もろたに よしたけ、1907年1月17日 - 2002年4月16日)は、日本の政治家。元長崎市長(在任1967年 - 1979年)。 | ||
90 | 黒木博 宮崎市 | Wikipedia |
黒木 博(くろき ひろし、1907年2月10日 - 2001年12月24日)は、日本の政治家。宮崎県知事。宮崎県宮崎市出身。宮崎県立高鍋農学校(現・宮崎県立高鍋農業高等学校)、宇都宮高等農林学校(現・宇都宮大学)卒。 | ||
宇都宮大学出身 出身の宇都宮大学の出身者 全国の宇都宮大学の出身者 | ||
91 | 仲宗根政善 今帰仁村 | Wikipedia |
仲宗根政善(なかそね せいぜん、1907年4月26日-1995年2月14日)は、日本の教育者、言語学者、琉球大学名誉教授。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
92 | 平良良松 那覇市 | Wikipedia |
平良 良松(たいら りょうしょう、1907年11月12日 - 1990年3月19日)は、日本の政治家。沖縄県那覇市長(4期)などを務めた。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
93 | 池宮城秀意 | Wikipedia |
池宮城 秀意(いけみやぐしく(いけみやぐすく) しゅうい、1907年1月7日-1989年5月24日)は、日本のジャーナリスト、元琉球新報社社長。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
94 | 瀬長亀次郎 豊見城市 | Wikipedia |
瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年(明治40年)6月10日 - 2001年(平成13年)10月5日)は、日本の政治家。沖縄の本土復帰前からの同地区非合法日本共産党員、同党公然組織である沖縄人民党幹部。復帰前に、那覇市長(1期)、立法院議員(3期)、沖縄人民党委員長、国政参加選挙で衆議院議員1期。本土復帰後、衆議院議員としては人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長をつとめた。 | ||
95 | 佐々保雄 札幌市 | Wikipedia |
佐々 保雄(ささ やすお、1907年3月22日 - 2003年5月16日)は、日本の地質学者、登山家。北海道大学名誉教授で日韓トンネル研究会名誉会長も務めた。北海道札幌市出身。父は函館高等水産学校校長を務めた佐々茂雄。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
96 | 下田武三 | Wikipedia |
下田 武三(しもだ たけそう、1907年4月3日 - 1995年1月22日)は、日本の外交官。外務事務次官、駐米大使、最高裁判所判事、日本野球機構コミッショナー。東京府出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
97 | 金素雲 | Wikipedia |
金 素雲(きん そうん、キム ソウン、1907年1月5日 - 1981年11月2日)は、韓国釜山出身の詩人。本名は金 教煥、筆名は鉄 甚平(てつ・じんぺい)。号は巣雲、三誤堂。詩人・作家の北原綴は息子。歌手の沢知恵は孫。 | ||
98 | 津村秀夫 神戸市 | Wikipedia |
津村 秀夫(つむら ひでお、1907年8月15日 - 1985年8月12日)は、日本の映画評論家。弟は詩人の津村信夫、息子は俳優の津村鷹志。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
99 | 若林竹雄 | Wikipedia |
若林 竹雄(わかばやし たけお、1907年8月29日 - 1937年8月7日)は、兵庫県出身のサッカー選手。ポジションはFW(ウイング)。1930年に日本代表初のハットトリック達成選手となった。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
100 | 福島慎太郎 | Wikipedia |
福島 慎太郎(ふくしま しんたろう、1907年1月15日 - 1987年4月2日)は、日本の外交官、内閣官房次長。 | ||
101 | 河野一之 忠海町 | Wikipedia |
河野 一之(こうの かずゆき、1907年8月2日 - 2006年6月20日)は、日本の大蔵官僚、実業家。元大蔵事務次官。元太陽銀行頭取、太陽神戸銀行会長、三井住友銀行名誉顧問。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
102 | 林敬三 | Wikipedia |
林 敬三(はやし けいぞう、1907年(明治40年)1月8日 - 1991年(平成3年)11月12日)は、日本の内務官僚、陸上自衛官。東京帝国大学卒業(法学部卒)。初代統合幕僚会議議長。第11代日本赤十字社社長。陸軍中将林弥三吉の息子である。正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
103 | 佐々木直 | Wikipedia |
佐々木 直(ささき ただし、1907年5月19日 - 1988年7月7日)は山口県出身の第22代日本銀行総裁。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
104 | 山本高行 | Wikipedia |
山本高行(やまもと たかゆき 1907年2月28日 - 1961年5月17日)は、日本の官僚。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
105 | 長谷川周重 | Wikipedia |
長谷川周重(はせがわ のりしげ、 1907年8月8日 - 1998年1月3日)は、日本の実業家。元住友化学会長・社長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
106 | 渡辺文蔵 | Wikipedia |
渡辺 文蔵(わたなべ ぶんぞう、1907年5月20日 - 2002年11月4日)は日本の実業家。味の素社長を1973年から8年務めた。敬虔なクリスチャンとしても知られ東京女子大学理事長などを務めた。食品産業功労賞。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
107 | 正田満三郎 | Wikipedia |
正田 満三郎(しょうだ まんさぶろう 1907年 - 没年不明)は、日本の裁判官、法学者。 | ||
108 | 松尾聡 | Wikipedia |
松尾 聰(まつお さとし、1907年〈明治40年〉9月28日 - 1997年〈平成9年〉2月5日)は、日本文学者。学習院大学名誉教授。文学博士(東京大学)。専攻は平安時代文学。 | ||
109 | 藤木邦彦 熊本市 | Wikipedia |
藤木 邦彦(ふじき くにひこ、1907年5月3日- 1993年5月6日)は、日本の日本史学者。 | ||
110 | 石井良助 | Wikipedia |
石井 良助(いしい りょうすけ、1907年(明治40年)12月14日 - 1993年(平成5年)1月12日)は、日本の法制史学者。勲二等旭日重光章、文化功労者、文化勲章。贈従三位 勲一等瑞宝章(没時陞叙)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
111 | 雨宮綾夫 | Wikipedia |
雨宮 綾夫(あめみや あやお、1907年8月25日 - 1977年6月9日)は日本の物理学者。東京大学教授。 | ||
112 | 谷一郎 | Wikipedia |
谷 一郎(たに いちろう、1907年5月20日 - 1990年5月28日)は、日本の流体力学者。 | ||
113 | 高見順 | Wikipedia |
高見 順(たかみ じゅん、本名・高間芳雄、1907年1月30日 - 1965年8月17日)は、日本の小説家、詩人。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
114 | 杉本良吉 | Wikipedia |
杉本 良吉(すぎもと りょうきち、1907年2月9日 - 1939年10月20日)は、日本の演出家。本名は吉田好正。女優の岡田嘉子とソ連に亡命し、スパイ容疑で銃殺刑に処せられた。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
115 | 川本信正 | Wikipedia |
川本 信正(かわもと のぶまさ、1907年9月22日 - 1996年6月17日)は、日本のスポーツジャーナリスト、新聞記者、スポーツ評論家。オリンピックを初めて「五輪」と表記したことで知られる。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
116 | 楢原健三 | Wikipedia |
楢原 健三(ならはら けんぞう、1907年6月30日 - 1999年8月14日)は、洋画家、日本芸術院会員。 | ||
117 | 塚本素山 佐倉市 | Wikipedia |
塚本 素山(つかもと そざん、1907年(明治40年)9月1日 - 1982年(昭和57年)4月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。千葉県出身。陸軍士官学校卒業。本名は塚本 清。 | ||
118 | 始関伊平 市原市 | Wikipedia |
始関 伊平(しせき いへい、1907年4月7日 - 1991年11月26日)は、昭和期の商工官僚・政治家・弁護士。建設大臣などを歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
119 | 菅野儀作 八幡町 | Wikipedia |
菅野 儀作(すげの ぎさく、1907年6月-1981年1月25日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。千葉県議会議長。千葉県議会議員(5期)。位階は正四位。勲等は勲二等。 | ||
120 | 乾豊彦 名古屋市 | Wikipedia |
乾豊彦(いぬい とよひこ、1907年1月28日 - 1993年9月20日)は実業家。乾家5代目当主、元乾汽船会長。元広野ゴルフ倶楽部理事長、関西ゴルフ連盟理事長、日本ゴルフ協会(JGA)名誉会長。旧姓は高橋。 | ||
121 | 井沼清七 | Wikipedia |
井沼 清七(いぬま せいしち、1907年 - 1973年10月1日)は、日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。青森県出身。 | ||
122 | 深井史郎 秋田市 | Wikipedia |
深井 史郎(ふかい しろう、1907年4月4日 - 1959年7月2日)は、日本のクラシック音楽の作曲家。 | ||
123 | 伊藤勝三 秋田市 | Wikipedia |
伊藤 勝三(いとう かつぞう、1907年5月14日 - 1982年2月10日)は、秋田県出身のプロ野球選手(捕手、一塁手)、監督。 | ||
124 | 猪野俊平 | Wikipedia |
猪野 俊平(いの しゅんぺい、1907年(明治40年) - 1981年(昭和56年)7月4日)は、日本の植物形態学者。 愛媛県生まれ。松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)、松山高等学校卒、東京帝国大学理学部生物学科卒。1946年「ネジモクの胚発生について」で東北帝国大学理学博士。北海道帝国大学理学部講師、岡山大学助教授、教授。1970年定年退官、名誉教授。 | ||
125 | 安井郁 | Wikipedia |
安井 郁(やすい かおる、1907年4月25日 - 1980年3月2日)は、日本の国際法学者。平和運動家である。法政大学名誉教授、国際法学会幹事長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
126 | 山下実 神戸市 | Wikipedia |
山下 実(やました みのる、1907年3月20日 - 1995年4月4日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手・監督。抜群の打撃力で鳴らし、高校野球、東京六大学野球、草創期のプロ野球で活躍した。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
127 | 川嶋紀子 | Wikipedia |
川嶋 紀子(かわしま いとこ、1907年 - 2002年12月10日)は、文仁親王妃紀子の祖母。悠仁親王の曾祖母に当たる。 | ||
128 | 稲葉秀三 | Wikipedia |
稲葉 秀三(いなば ひでぞう、1907年4月9日 - 1996年4月17日)は、日本の官僚、実業家。 | ||
129 | 湯川秀樹 京都育ち | Wikipedia |
湯川 秀樹(ゆかわ ひでき、1907年(明治40年)1月23日 - 1981年(昭和56年)9月8日)は、日本の理論物理学者。 京都府京都市出身。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
130 | 大塚久雄 京都市 | Wikipedia |
大塚 久雄(おおつか ひさお、1907年5月3日 - 1996年7月9日)は、日本の経済史学者。専攻は英国経済史で、西洋諸国における近代資本主義、近代市民社会の研究で知られ、マックス・ウェーバーの社会学とカール・マルクスの唯物史観論の方法を用いて構築した大塚史学は国際的評価を受けた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
131 | 高師康 さいたま市 | Wikipedia |
高師 康(たかもろ こう、1907年11月9日 ‐ 1995年3月26日)は、日本のサッカー選手、サッカー指導者、新聞記者。埼玉県北足立郡浦和町(後のさいたま市浦和区)出身。選手時代のポジションはフォワード、ハーフバック。高師康夫とも表記される[3]。 | ||
132 | 永田寛 | Wikipedia |
永田 寛(ながた ひろし、1907年(明治40年) - 不明)は、日本のホッケー選手。第10回ロサンゼルスオリンピック銀メダリスト。 | ||
133 | 小早川元治 | Wikipedia |
小早川 元治(こばやかわ もとはる、明治40年(1907年)6月27日 - 没年不詳)は、日本の自動車技術者。男爵小早川家の元当主。位階は正五位。旧名は毛利元治。 | ||
134 | 中野四郎 碧南市 | Wikipedia |
中野 四郎(なかの しろう、1907年1月25日 - 1985年10月21日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算13期)、国土庁長官、碧南市長などを歴任した。 | ||
135 | 田部文一郎 広島市 | Wikipedia |
田部 文一郎(たなべ ぶんいちろう、1907年(明治40年)9月5日 - 2002年(平成14年)2月7日)は、日本の実業家。 元三菱商事社長・会長、元日本商工会議所副会頭。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
136 | 手島志郎 台湾 | Wikipedia |
手島 志郎(てしま しろう、1907年2月26日 - 1982年11月6日)は、日本のサッカー選手およびサッカー指導者。 | ||
137 | 伊藤研之 | Wikipedia |
伊藤 研之(いとう けんし、1907年4月6日 - 1978年9月17日)は、日本の洋画家。二科会福岡支部長。福岡文化連盟初代理事長。 | ||
138 | 愛知揆一 | Wikipedia |
愛知 揆一(あいち きいち、1907年10月10日 - 1973年11月23日)は、日本の政治家である。初め参議院議員、後に衆議院議員に転じ、外務大臣や大蔵大臣などを歴任。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
139 | 山本和夫 小浜市 | Wikipedia |
山本 和夫(やまもと かずお、1907年4月25日 - 1996年5月25日)は、日本の児童文学作家、詩人。 | ||
東洋大学出身 出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 | ||
140 | 池宮城秀意 | Wikipedia |
池宮城 秀意(いけみやぐしく(いけみやぐすく) しゅうい、1907年1月7日-1989年5月24日)は、日本のジャーナリスト、元琉球新報社社長。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
141 | 火野葦平 北九州市 | Wikipedia |
火野 葦平(ひの あしへい、1907年(明治40年)1月25日 - 1960年(昭和35年)1月24日)は、昭和戦前・戦後期の小説家。本名玉井 勝則。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |