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1 | 本郷新 札幌市 | Wikipedia |
本郷 新(ほんごう しん 、1905年12月9日 - 1980年2月13日)は、日本の彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。 息子は俳優の本郷淳、義娘(息子の嫁)は柳川慶子。孫は俳優の本郷弦(無名塾所属) | ||
千葉大学出身 出身の千葉大学の出身者 全国の千葉大学の出身者 | ||
2 | 片岡球子 札幌市 | Wikipedia |
片岡 球子(かたおか たまこ、1905年(明治38年)1月5日 - 2008年(平成20年)1月16日)は、昭和・平成時代に活躍した日本画家である。日本芸術院会員・文化功労者・文化勲章受章者。北海道札幌市出身。 | ||
女子美術大学出身 出身の女子美術大学の出身者 全国の女子美術大学の出身者 | ||
3 | 林一郎 | Wikipedia |
林 一郎(はやし いちろう、1905年 - 1996年3月10日)は、日本の工学者。北海道工業大学元学長。富山県高岡市出身。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
4 | 伊藤整 小樽市 | Wikipedia |
伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 - 1969年(昭和44年)11月15日)は、日本の小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家。位階は正五位。勲等は勲三等。本名は伊藤 整(いとう ひとし)。日本芸術院会員。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
5 | 八田尚之 小樽市 | Wikipedia |
八田 尚之(はった なおゆき、1905年12月2日 - 1964年8月25日)は、日本の脚本家。生涯100本近い脚本作品のうち第二次世界大戦前に1作だけ自ら監督し映画化した教育映画がある。女優の宝生あやこは妻。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
6 | 伴素彦 小樽市 | Wikipedia |
伴 素彦(ばん もとひこ、1905年1月1日 - 1998年9月3日)は、1920年代に活躍した元スキージャンプ選手、実業家で、後に全日本スキー連盟の会長を務めた。京都府出身。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
7 | 小林米作 小須戸町 | Wikipedia |
小林 米作(こばやし よねさく、1905年7月15日 - 2005年11月6日)は、記録映画カメラマン、映画プロデューサー。 | ||
8 | 深沢晟雄 | Wikipedia |
深沢 晟雄(ふかさわ まさお、1905年12月11日 - 1965年1月28日)は、岩手県和賀郡沢内村(現・西和賀町)の元村長。豪雪・貧困・多病多死に苦しめられていた同村において、「生命尊重」の思想を基盤とした行政を推進して逆境を克服。多くの村民の命を救った名村長として今なお尊敬されている。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
9 | 加藤楸邨 | Wikipedia |
加藤 楸邨(かとう しゅうそん、1905年(明治38年)5月26日 - 1993年(平成5年)7月3日)は日本の俳人、国文学者。本名は健雄(たけお)。水原秋桜子に師事、はじめ「馬酔木」に拠ったが、苦学する中で同誌の叙情的な作風に飽き足らなくなり、人間の生活や自己の内面に深く根ざした作風を追求、石田波郷、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。戦後は戦災や社会運動への参加などを経て幅の広い作風を展開、また主宰した「寒雷」では伝統派から前衛派まで多様な俳人を育てた。 | ||
10 | 島野武 | Wikipedia |
島野 武(しまの たけし、1905年9月20日 - 1984年11月6日)は、日本の政治家、弁護士。元・仙台市長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
11 | 高山岩男 山形市 | Wikipedia |
高山 岩男(こうやま いわお、1905年(明治38年)4月18日 - 1993年(平成5年)7月7日)は、日本の哲学者。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
12 | 神保光太郎 | Wikipedia |
神保 光太郎(じんぼ こうたろう、1905年11月29日 - 1990年10月24日)は、昭和期の詩人・ドイツ文学者。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
13 | 八百板正 | Wikipedia |
八百板 正(やおいた ただし、1905年4月12日 - 2004年4月23日)は、日本の農民運動家・政治家。元日本社会党衆議院議員・参議院議員。 | ||
14 | 海後勝雄 | Wikipedia |
海後 勝雄(かいご かつお、1905年3月11日 - 1972年11月1日)は、日本の教育学者、埼玉大学名誉教授。茨城県出身。 | ||
筑波大学出身 出身の筑波大学の出身者 全国の筑波大学の出身者 | ||
15 | 大久保康雄 | Wikipedia |
大久保 康雄(おおくぼ やすお、1905年5月1日 - 1987年1月12日)は、日本の英米文学翻訳家。日本における専門翻訳家の草分けである。茨城県生まれ。本名・保雄。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
16 | 郡司次郎正 | Wikipedia |
群司 次郎正(ぐんじ じろうまさ、1905年11月27日 - 1973年1月10日)は、日本の小説家、作詞家である[4]。郡司 次郎正(ぐんじ じろまさ)とも表記する[4]。1931年(昭和6年)に発表された『侍ニッポン』で知られ、同作は多数映画化・リメイクされた。同作の主題歌(作詞西條八十、作曲松平信博)もヒットしたが、同作を除く、自らの「小説主題歌」を作詞した。本名郡司 次郎(ぐんじ じろう)[4]。 | ||
17 | 川又克二 水戸市 | Wikipedia |
川又 克二(かわまた かつじ、1905年(明治38年)3月1日 - 1986年(昭和61年)3月29日)は日本の実業家。日産自動車中興の祖として知られる。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
18 | 安藤輝三 | Wikipedia |
安藤 輝三(あんどう てるぞう、1905年(明治38年)2月25日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
19 | 石井陶泊 | Wikipedia |
石井 陶泊(いしい とうはく、1905年 - 1999年)は、鍼灸師。日本経穴委員会専門委員。享年94。 | ||
20 | 福田赳夫 高崎市(旧群馬郡群馬町) | Wikipedia |
福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年(明治38年)1月14日 - 1995年(平成7年)7月5日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
21 | 牛久保海平 | Wikipedia |
牛久保 海平(うしくぼ かいへい、1905年7月26日 - 1999年11月20日)は、日本の実業家。サンデンホールディングス創業者。群馬県出身。高崎商業学校卒業。 | ||
22 | 稲川東一郎 | Wikipedia |
稲川東一郎(いながわ とういちろう、1905年10月25日 - 1967年4月18日)は、福島県生まれの高校野球指導者。旧制桐生中学校(現・群馬県立桐生高等学校)卒。愛称は「桐生のとうちゃん」。 | ||
23 | 岩崎勝平 川越市 | Wikipedia |
岩﨑 勝平(いわさき かつひら、1905年8月15日 - 1964年9月10日)は、日本の洋画家。「孤独と貧困の鬼才」などと呼ばれる。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
24 | 水田三喜男 曽呂村(のちの鴨川市) | Wikipedia |
水田 三喜男(みずた みきお、1905年4月13日 - 1976年12月22日)は、日本の政治家。城西大学創立者。自由民主党政務調査会会長(初代)。大蔵大臣を数度に亘り務め、戦後日本の代表的な財政家である。 | ||
城西国際大学出身 出身の城西国際大学の出身者 全国の城西国際大学の出身者 | ||
25 | 大井次三郎 | Wikipedia |
大井 次三郎(おおい じさぶろう、1905年9月18日 - 1977年2月22日)は、日本の植物学者。牧野富太郎と並んで、日本の植物分類学の基礎を築いた人物である。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
26 | 関谷源兵衛 | Wikipedia |
関谷 源兵衛(せきや げんべい、1905年(明治38年)1月22日 - 1945年(昭和20年)8月2日)は第7 - 9代八王子市長。 | ||
27 | 岡本不二 名古屋市 | Wikipedia |
岡本 不二(おかもと ふじ、1905年7月4日 - 1984年1月4日)は、愛知県名古屋市出身のボクサー。日本ボクシング草創期の強豪。のち不二拳を設立、拳聖ピストン堀口の師としても知られる。 | ||
28 | 知葉友雄 | Wikipedia |
知葉 友雄(ちば ともお、1905年6月2日 - 1974年4月13日)は、昭和初期の日本の元ラグビー選手。戦後は指導者としても活動した。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
29 | 池田忠雄 | Wikipedia |
池田 忠雄(いけだ ただお、1905年2月5日 - 1964年5月12日)は、日本の脚本家。早稲田大学を卒業後、松竹蒲田撮影所に入所し、1929年の『円タク坊ちゃん』でデビュー。小津安二郎、島津保次郎、成瀬巳喜男、斎藤寅次郎、吉村公三郎などに数多くの脚本を提供した。自らが監督した作品もある。 | ||
30 | 玉川一郎 | Wikipedia |
玉川 一郎(たまがわ いちろう、1905年11月5日 - 1978年10月15日)は、日本の作家。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
31 | 岩淵悦太郎 | Wikipedia |
岩淵 悦太郎(いわぶち えつたろう、1905年12月14日 - 1978年5月19日)は、日本の国語学者。 | ||
静岡大学出身 出身の静岡大学の出身者 全国の静岡大学の出身者 | ||
32 | 川又克二 水戸市 | Wikipedia |
川又 克二(かわまた かつじ、1905年(明治38年)3月1日 - 1986年(昭和61年)3月29日)は日本の実業家。日産自動車中興の祖として知られる。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
33 | 岩倉具実 | Wikipedia |
岩倉 具実(いわくら ともざね、1905年2月1日 - 1978年10月18日)は日本の言語学者。同志社大学名誉教授。東京府出身。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
34 | 細川ちか子 | Wikipedia |
細川 ちか子(ほそかわ ちかこ、1905年12月31日 - 1976年3月20日)は、日本の女優である。本名横田 冬(よこた ふゆ)。 | ||
35 | 高松宮宣仁親王 | Wikipedia |
高松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう、1905年(明治38年)1月3日 - 1987年(昭和62年)2月3日)は、日本の皇族。大正天皇と貞明皇后の第三皇子。今上天皇の叔父にあたる。有栖川宮の祭祀を継承。妃は公爵・徳川慶久の次女・喜久子。御称号は光宮(てるのみや)。身位は親王。お印は若梅(わかうめ)。栄典は大勲位功四級。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
36 | 入江相政 港区 | Wikipedia |
入江 相政(いりえ すけまさ、1905年(明治38年)6月29日 - 1985年(昭和60年)9月29日)は、日本の官僚、歌人・随筆家である。昭和天皇の侍従・侍従長を長く務めた。従二位勲一等旭日大綬章、勲一等瑞宝章、紺綬褒章・賞杯。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
37 | 櫻内乾雄 安来市 | Wikipedia |
櫻内 乾雄(さくらうち きみお、明治38年(1905年)5月8日 - 昭和52年(1977年)4月3日)は日本の実業家。元中国電力会長。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
38 | 荒木巍 | Wikipedia |
荒木 巍(あらき たかし、1905年10月6日 - 1950年6月4日)は、日本の作家。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
39 | ジョン・ムーア・アリソン | Wikipedia |
ジョン・ムーア・アリソン(John Moore Allison, 1905年4月7日 - 1978年10月28日)は、アメリカ合衆国の外交官。駐日大使、駐インドネシア大使、駐チェコスロヴァキア大使を歴任した。 | ||
40 | 渡辺良夫 | Wikipedia |
渡邊 良夫(わたなべ よしお、1905年10月29日 - 1964年11月4日)は、日本の政治家。自由民主党所属衆議院議員。厚生大臣。次男は元自民党衆議院議員の渡辺肇。三男も同じく元自民党衆議院議員の渡辺紘三。 | ||
大阪市立大学出身 出身の大阪市立大学の出身者 全国の大阪市立大学の出身者 | ||
41 | 勝木保次 小松市 | Wikipedia |
勝木 保次(かつき やすじ、1905年11月28日 - 1994年3月6日)は、生理学者、文化勲章受章者。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
42 | 宮本三郎 小松市 | Wikipedia |
宮本 三郎(みやもと さぶろう、1905年5月23日 - 1974年10月13日)は石川県能美郡末佐美村(現・小松市)生まれの洋画家である。 | ||
43 | 加藤楸邨 | Wikipedia |
加藤 楸邨(かとう しゅうそん、1905年(明治38年)5月26日 - 1993年(平成5年)7月3日)は日本の俳人、国文学者。本名は健雄(たけお)。水原秋桜子に師事、はじめ「馬酔木」に拠ったが、苦学する中で同誌の叙情的な作風に飽き足らなくなり、人間の生活や自己の内面に深く根ざした作風を追求、石田波郷、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。戦後は戦災や社会運動への参加などを経て幅の広い作風を展開、また主宰した「寒雷」では伝統派から前衛派まで多様な俳人を育てた。 | ||
44 | 平林たい子 諏訪市 | Wikipedia |
平林 たい子(ひらばやし たいこ、1905年(明治38年)10月3日 - 1972年(昭和47年)2月17日)は、日本の小説家。本名、平林タイ。 | ||
45 | 伊藤千代子 諏訪市 | Wikipedia |
伊藤 千代子(いとう ちよこ、1905年(明治38年)7月21日 - 1929年(昭和4年)9月24日)は、昭和初期の社会運動家。日本共産党員。 | ||
東京女子大学出身 出身の東京女子大学の出身者 全国の東京女子大学の出身者 | ||
46 | 吉川久衛 | Wikipedia |
吉川 久衛(きっかわ きゅうえ、1905年4月10日 - 1978年6月20日)は農業協同組合運動の推進者、衆議院議員。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
47 | 須山計一 飯田市 | Wikipedia |
須山 計一(すやま けいいち、男性、1905年7月17日 - 1975年4月17日)は、漫画家、洋画家、美術評論家、漫画評論家、社会運動家。昭和初期のプロレタリア美術運動に参加。生前、日本における漫画評論の第一人者として知られた。生前は一水会、草炎会および日本美術会会員。別名義は宇野圭。 | ||
48 | 椋鳩十 喬木村 | Wikipedia |
椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 1987年12月27日)は、日本の小説家、児童文学作家、鹿児島県立図書館長。本名は久保田 彦穂(くぼた ひこほ)。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
49 | 小野勝年 辰野町 | Wikipedia |
小野 勝年(おの かつとし、1905年12月1日 - 1988年12月20日)は、日本の歴史家(東洋史・仏教史)。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
50 | 臼井吉見 安曇野市 | Wikipedia |
臼井 吉見(うすい よしみ、1905年6月17日 – 1987年7月12日)は、日本の編集者、評論家、小説家、日本藝術院会員。息子は映像作家の臼井高瀬。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
51 | 松本克平(俳優) | Wikipedia |
松本 克平(まつもと かっぺい、1905年4月25日 - 1995年10月3日)は、日本の俳優、新劇史家、演劇評論家。本名は赤沢 義巳(あかざわ よしみ)。長女は女優の赤沢亜沙子。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
52 | 村山有 シアトル | Wikipedia |
村山 有(むらやま たもつ、1905年12月24日 - 1968年12月31日)は、アメリカ合衆国シアトル生まれの日本のジャーナリスト。早稲田大学講師。ソルトレイク市名誉市民。ボーイスカウト日本連盟理事・相談役。 | ||
ゴールデンゲート・ロー・カレッジ出身 出身のゴールデンゲート・ロー・カレッジの出身者 全国のゴールデンゲート・ロー・カレッジの出身者 | ||
53 | 田宮義雄 静岡市 | Wikipedia |
田宮 義雄(たみや よしお、1905年5月15日 - 1988年11月2日)は、模型メーカータミヤの創業者。 | ||
54 | 富原薫 御殿場市 | Wikipedia |
富原 薫(ふはら かおる 1905年7月3日 - 1975年1月25日)は日本の作詞家、学校教員。『汽車ポッポ』の作詞をはじめ、多くの童謡にたずさわった。 | ||
55 | 小糸のぶ | Wikipedia |
小糸 のぶ(こいと のぶ、1905年9月24日-1995年12月13日)は、日本の小説家。 | ||
56 | 黒田秀俊 | Wikipedia |
黒田 秀俊(くろだ ひでとし、1905年4月15日-1989年6月14日)は、日本のジャーナリスト、社会運動家。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
57 | 杉本健吉 名古屋市 | Wikipedia |
杉本健吉(すぎもと けんきち、1905年9月20日 - 2004年2月10日)は、日本の洋画家、イラストレーター、グラフィックデザイナー。 | ||
58 | 三岸節子 | Wikipedia |
三岸 節子(みぎし せつこ、1905年1月3日 - 1999年4月18日)は洋画家である。新制作協会会員。 | ||
女子美術大学出身 出身の女子美術大学の出身者 全国の女子美術大学の出身者 | ||
59 | 門田芦子 | Wikipedia |
門田 芦子(かどた あしこ、本名:内山仲子、1905年5月15日 - 1974年12月20日)とは元宝塚少女歌劇団(元月組主演男役クラス・元月組・星組組長)の人物である。愛知県名古屋市出身[4]。宝塚歌劇団時代の愛称はチャマさん。 | ||
60 | 伊藤よし子 豊田市 | Wikipedia |
伊藤 よし子(いとう よしこ、1905年12月30日 - 1991年3月24日)は、日本の政治家。日本社会党の衆議院議員(2期)。旧姓は成瀬。 | ||
61 | 井狩彌治郎 | Wikipedia |
井狩 彌治郎(いかり やじろう、1905年3月1日 - 1999年7月19日)は昭和期の実業家。大丸元社長。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
62 | 小泉貞三 | Wikipedia |
小泉貞三(こいずみ ていぞう、1905年2月4日 - 1975年2月9日 )は、経済学者、経営学者、経済学博士。関西学院大学名誉教授・ 元関西学院大学商学部長。 | ||
関西学院大学出身 出身の関西学院大学の出身者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
63 | 築山治三郎 | Wikipedia |
築山治三郎(つきやま じさぶろう、1905年-1989年6月27日)は、東洋史学者。 京都市生まれ。京都府立第二中学校(現京都府立鳥羽高等学校)卒、東京高等師範学校地歴科卒、1934年東京文理科大学東洋史学科卒、群馬県立高崎中学校(現群馬県立高崎高等学校)教諭、神戸市立第一中学校(現神戸市立葺合高等学校)教諭、岩手県師範学校教授、北海道第三師範学校教授、青森師範学校教授、弘前大学助教授、1968年「唐代政治制度の研究」で東京教育大学文学博士。西京大学助教授、1953年京都府立大学教授、69年定年退官、名誉教授、園田学園女子大学教授、京都産業大学教授。 | ||
東京文理科大学出身 出身の東京文理科大学の出身者 全国の東京文理科大学の出身者 | ||
64 | 前尾繁三郎 | Wikipedia |
前尾 繁三郎(まえお しげさぶろう、1905年12月10日 - 1981年7月23日)は、日本の政治家、官僚。宏池会第二代会長。第58代衆議院議長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
65 | 川勝政太郎 京都市 | Wikipedia |
川勝 政太郎(かわかつ まさたろう、1905年(明治38年)5月22日 - 1978年(昭和53年)12月23日)は、日本の考古学者、美術史家。文学博士。専門はサンスクリット、石造美術の研究。京都市生まれ。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
66 | 胡井剛一 | Wikipedia |
胡井 剛一(えびい こういち、1905年1月10日 - 1988年2月22日)は日本の柔道家(講道館9段)。 | ||
67 | 林寛 | Wikipedia |
林 寛(はやし ひろし、1905年1月31日 - 1971年12月22日)は、日本の俳優である。本名稲垣 三郎(いながき さぶろう)。音読みが同一の俳優林幹、極東映画の俳優、林寛(はやし かん)とは別人である。 | ||
68 | 森田忠勇 | Wikipedia |
森田 忠勇(もりた ちゅうゆう、1905年8月10日 - 1975年12月2日)は、兵庫県出身の野球選手・監督・公式記録員。 | ||
関西大学出身 出身の関西大学の出身者 全国の関西大学の出身者 | ||
69 | 秋田實 | Wikipedia |
秋田 實(あきた みのる、1905年7月15日 - 1977年10月27日)は、日本の漫才作家。本名:林 広次(はやし ひろつぐ)。大阪府大阪市玉造出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
70 | 堀尾正雄 | Wikipedia |
堀尾 正雄(ほりお まさお、1905年7月20日 - 1996年12月21日)は、日本の化学者、京都大学名誉教授。専門は高分子化学。工学博士(1934年)。大阪府生まれ。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
71 | 芝本武夫 | Wikipedia |
芝本 武夫(しばもと たけお、1905年4月25日 - 1992年9月30日)は、日本の林学者。 | ||
72 | 野村正二郎 大阪市 | Wikipedia |
野村 正二郎(のむら しょうじろう、旧姓:杉村(すぎむら)、1905年4月4日 - 1975年1月15日)は、大阪府大阪市出身の科学者、大学教授およびサッカー選手。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
73 | 島田正吾 | Wikipedia |
島田 正吾(しまだ しょうご、本名;服部 喜久太郎<はっとり きくたろう>、1905年12月13日 - 2004年11月26日)は、新国劇の俳優。横浜市生まれ。 | ||
74 | 久山秀雄 | Wikipedia |
久山 秀雄(ひさやま ひでお、1905年(明治38年)1月23日 - 1971年(昭和46年)8月23日)は、日本の警察官僚。陸軍司政官、内務省警保局長。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
75 | 加藤文太郎 美方郡浜坂町(現美方郡新温泉町) | Wikipedia |
加藤 文太郎(かとう ぶんたろう、1905年(明治38年)3月11日 - 1936年(昭和11年)1月5日)は日本の登山家。大正から昭和にかけて活躍した。兵庫県美方郡新温泉町出身。兵庫県立工業学校夜間部卒業。 | ||
76 | 中川信夫 京都市 | Wikipedia |
中川 信夫(なかがわ のぶお、1905年4月18日 - 1984年6月17日)は、日本の映画監督。怪談映画の名手として知られる。 | ||
77 | 南沢十七 仙台市 | Wikipedia |
南沢 十七(みなみざわ じゅうしち(文献によっては「なんざわ としち」となっているものがあるが、これは誤り)、1905年(明治38年)3月10日 - 1982年(昭和57年)9月26日)は日本の探偵小説・科学小説家、翻訳家。ペンネームの「十七」は17歳のときに父親を亡くしたことによる。代表作に『緑人の魔都』などがある。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
78 | 佐賀省三 境港市 | Wikipedia |
佐賀 省三(さが しょうぞう、明治38年(1905年)5月8日 - 没年不明)は日本の俳人、政治家。元境港市議会議員。号榎村。佐賀家の12代目。 | ||
早稲田大学出身 出身の 早稲田大学の出身者 全国の 早稲田大学の出身者 | ||
79 | 小泉清三郎 | Wikipedia |
小泉 清三郎(明治38年(1905年)8月11日 - 没年不明)は、日本の実業家。小泉商店代表社員。 | ||
80 | 神本利男 | Wikipedia |
神本 利男(かもと としお、1905年9月18日 - 1944年9月30日)は、満州国の警察官、日本陸軍のスパイ。北海道十勝国中川郡本別町仙美里出身。「ハリマオ」こと谷豊を説得し、諜報員として引き入れた人物である。 | ||
拓殖大学出身 出身の拓殖大学の出身者 全国の拓殖大学の出身者 | ||
81 | 中山定義 | Wikipedia |
中山 定義(なかやま さだよし、1905年(明治38年)8月16日 - 1995年(平成7年)1月16日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。第4代海上幕僚長。島根県出雲市出身。東京都目黒区在住であった。長男は第10代明治学院長の中山弘正。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
82 | 石川達三 横手市 | Wikipedia |
石川 達三(いしかわ たつぞう、1905年(明治38年)7月2日 - 1985年(昭和60年)1月31日)は、日本の小説家。『蒼氓』により、芥川賞受賞者第一号となった。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
83 | 苅田アサノ 津山市 | Wikipedia |
苅田アサノ(かんだ あさの、本名:堀江アサノ(ほりえアサノ)、1905年6月21日 - 1973年8月5日)は日本の政治家、婦人運動家、著述家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。夫は元日ソ協会副会長の堀江邑一。 | ||
日本女子大学出身 出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
84 | 武内俊子 三原市 | Wikipedia |
武内 俊子(たけうち としこ、1905年9月10日 - 1945年4月7日)は、童謡詩人、童謡作詞家、童話作家。僧侶であり世界探険家の渡辺哲信は叔父にあたる。 | ||
広島県立大学出身 出身の広島県立大学の出身者 全国の広島県立大学の出身者 | ||
85 | 島居辰次郎 | Wikipedia |
島居 辰次郎(しますえ たつじろう、1905年9月12日 - 1997年10月4日)は、日本の逓信官僚。海上保安官、海上保安庁長官。広島県尾道市出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
86 | 奥平英雄 呉市 | Wikipedia |
奥平 英雄(おくだいら ひでお、1905年 -2000年 )は、日本美術史家・日本美術評論家。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
87 | 松島詩子 柳井市 | Wikipedia |
松島 詩子(まつしま うたこ、本名:内海 シマ、1905年5月12日 - 1996年11月19日)は、日本の歌手。山口県玖珂郡日積村(現在の柳井市の一部)出身。夫は戦前期浅草オペラやニットーレコードで歌手として活躍した内海一郎(1898年 - 1972年)。 | ||
88 | 原健策 呉市 | Wikipedia |
原 健策(はら けんさく、1905年4月23日 - 2002年2月7日)は、日本の俳優。広島県呉市出身。本名は松原 義男、1953年までの芸名は原 健作。時代劇を中心に脇役として活躍した。 | ||
89 | 松島詩子 柳井市 | Wikipedia |
松島 詩子(まつしま うたこ、本名:内海 シマ、1905年5月12日 - 1996年11月19日)は、日本の歌手。山口県玖珂郡日積村(現在の柳井市の一部)出身。夫は戦前期浅草オペラやニットーレコードで歌手として活躍した内海一郎(1898年 - 1972年)。 | ||
90 | 渡邊敏夫 | Wikipedia |
渡邊 敏夫(わたなべ としお、1905年6月 - 1998年11月6日)は、日本の天文学者、東京商船大学名誉教授。 京都帝国大学理学部宇宙物理学科卒業。1955年「古代日食から導いたブラウンの太陰要素の改訂」で京都大学理学博士。東京商船大学助教授、教授、1969年定年退官、名誉教授、京都産業大学教授。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
91 | 上山雅輔 長門市 | Wikipedia |
上山 雅輔(かみやま がすけ、本名:上山 正祐(うえやま まさすけ)、1905年(明治38年)2月23日 - 1989年(平成元年)4月11日)は、日本の劇作家・小説家。姉は童謡詩人の金子みすゞ。 | ||
92 | 加藤常太郎 | Wikipedia |
加藤 常太郎(かとう つねたろう、明治38年(1905年)4月30日 – 平成2年(1990年)10月11日)は、日本の実業家、政治家。加藤海運社長、衆議院議員(自由民主党)、労働大臣。 | ||
93 | 大野乾 | Wikipedia |
大野 乾(おおの いぬい、1905年(明治38年)5月11日 - 1964年(昭和39年)11月8日)は、日本の官僚。旧姓 藤村。元香川県副知事。 | ||
東京農工大学出身 出身の東京農工大学の出身者 全国の東京農工大学の出身者 | ||
94 | 田辺弥八 | Wikipedia |
田辺 弥八(たなべ やはち、1905年(明治38年) 8月13日 - 1990年(平成2年)4月29日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争において米空母ヨークタウンを撃沈した「伊一六八」潜水艦長でもある。最終階級は海軍中佐。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
95 | 伊瀬芳吉 観音寺市 | Wikipedia |
伊瀬 芳吉(いせ よしきち、1905年10月8日 - 2000年12月22日)は、日本の実業家。元ダイハツ工業社長。 | ||
大阪大学出身 出身の 大阪大学の出身者 全国の 大阪大学の出身者 | ||
96 | 松田昇 函館市 | Wikipedia |
松田昇(まつだ のぼる、1905年5月18日 - 1982年11月20日)は、日本の高校野球指導者。高知県高等学校野球連盟初代理事長。高知商業高校、明徳高校野球部元監督。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
97 | 山崎小五郎 | Wikipedia |
山崎 小五郎(やまざき こごろう、1905年(明治38年)11月10日 - 1976年(昭和51年)8月2日)は、日本の海上自衛官、旧逓信省と運輸省の官僚。第24代運輸事務次官、初代海上幕僚長、海上保安庁次長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
98 | 鵜崎多一 京都市 | Wikipedia |
鵜崎 多一(うざき たいち、1905年3月4日 - 1971年9月11日)は日本の政治家。福岡県知事(公選)を2期8年務めた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
99 | 高橋貞樹 | Wikipedia |
高橋 貞樹(たかはし さだき、1905年3月8日 - 1935年11月2日)は日本の水平運動家、共産主義者。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
100 | 村社講平 宮崎市 | Wikipedia |
村社 講平(むらこそ こうへい、1905年8月29日 - 1998年7月8日)は陸上競技長距離走の元オリンピック選手。宮崎県宮崎市の出身。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
101 | 志村喬 朝来市 | Wikipedia |
志村 喬(しむら たかし、1905年(明治38年)3月12日 - 1982年(昭和57年)2月11日)は、日本の俳優である。本名は島崎 捷爾(しまざき しょうじ)。実兄の島崎敬夫は横浜ゴム社長を務めた人物。 | ||
関西大学出身 出身の関西大学の出身者 全国の関西大学の出身者 | ||
102 | 川畑愛義 | Wikipedia |
川畑 愛義(かわばた あいよし、1905年5月8日 - 2005年1月23日)は、公衆衛生学・健康学者。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
103 | 稲嶺一郎 本部町 | Wikipedia |
稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1989年6月19日)は、日本の政治家・実業家・軍人。沖縄県国頭郡本部村出身。元沖縄県知事稲嶺惠一の父。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
104 | 高村象平 墨田区 | Wikipedia |
高村 象平(たかむら しょうへい、1905年(明治38年)8月2日 - 1989年(平成元年)5月11日)は、第11代慶應義塾塾長、経済人類学研究者、ハンザ史研究者。中央教育審議会会長、日本学士院会員等を歴任。従三位勲一等瑞宝章。専攻はドイツ中世都市の研究、とくにドイツ・ハンザの研究。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
105 | 波多野完治 | Wikipedia |
波多野 完治(はたの かんじ、1905年2月7日 - 2001年5月23日)は、日本の心理学者。文学博士。ジャン・ピアジェの発達心理学を中心に学び、アンリ・ワロンなどを紹介、また文章心理学、創作心理学、視聴覚教育などに多数の著作がある。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
106 | 佐藤朔 | Wikipedia |
佐藤 朔(さとう さく、1905年(明治38年)11月1日 - 1996年(平成8年)3月25日)は、日本のフランス文学者、第13代慶應義塾塾長、日本芸術院会員。位階勲等は従三位勲一等。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
107 | 佐野碩 | Wikipedia |
佐野 碩(さの せき、1905年1月14日 - 1966年9月29日)は、日本の演出家・作詞家・社会主義運動家。日本では「インターナショナル」の訳詞の作詞者として知られる。後半生はメキシコを拠点とした演劇活動に費やし、メキシコでは「メキシコ演劇の父」と称される。 | ||
108 | 志村喬 朝来市 | Wikipedia |
志村 喬(しむら たかし、1905年(明治38年)3月12日 - 1982年(昭和57年)2月11日)は、日本の俳優である。本名は島崎 捷爾(しまざき しょうじ)。実兄の島崎敬夫は横浜ゴム社長を務めた人物。 | ||
関西大学出身 出身の関西大学の出身者 全国の関西大学の出身者 | ||
109 | 吉原治良 大阪市 | Wikipedia |
吉原 治良(よしはら じろう、1905年1月1日 - 1972年2月10日)は、日本の抽象画家、実業家。吉原製油社長。具体美術協会の創設者。 | ||
関西学院大学出身 出身の関西学院大学の出身者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
110 | 西村直己 | Wikipedia |
西村 直己(にしむら なおみ、1905年10月8日 - 1980年7月28日)は、戦後昭和期の政治家。衆議院議員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
111 | 日高輝 | Wikipedia |
日高 輝(ひだか てる、1905年(明治38年)2月22日 - 1987年(昭和62年)9月25日)は昭和期の日本の経営者。日本興業銀行常務、日産化学工業社長、山一證券社長・会長、国際電信電話会長を務めた。義父は元住友総理事・大蔵大臣の小倉正恒。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
112 | 伊達宗彰 | Wikipedia |
伊達 宗彰(だて むねあき、1905年 - 1969年)は、日本の華族、政治家・実業家。 | ||
113 | 久富武夫 | Wikipedia |
久富 武夫(ひさとみ たけお 1905年7月12日 - 1987年12月3日)は、元安田信託銀行社長。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
114 | 佐藤正彰 | Wikipedia |
佐藤 正彰(さとう まさあき、1905年12月12日 - 1975年11月1日)は、フランス文学者。 | ||
115 | 鈴木竹雄 | Wikipedia |
鈴木 竹雄(すずき たけお、1905年5月23日 - 1995年12月9日)は、日本の商法学者。東京大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
116 | 嵯峨根遼吉 | Wikipedia |
嵯峨根 遼吉(さがね りょうきち、1905年11月27日 - 1969年4月16日)は、日本の物理学者。専門は実験物理学。東京府(現・東京都)出身。 | ||
117 | 南雲道夫 | Wikipedia |
南雲 道夫(なぐも みちお、1905年5月 - 1995年2月6日)は、日本の数学者。理学博士、大阪大学名誉教授。解析学の分野で多くの独創的な業績がある。 | ||
118 | 佐倉潤吾 | Wikipedia |
佐倉 潤吾(さくら じゅんご、1905年 - 1964年12月10日)は、日本の翻訳家。東京府立第一中学校卒、1929年東京商科大学(現一橋大学)卒、東京日日新聞入社。戦後、毎日新聞ニューヨーク支局長、論説委員。定年後は推理小説を多く翻訳した。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
119 | 前川國男 新潟市 | Wikipedia |
前川 國男(まえかわ くにお、1905年5月14日 - 1986年6月26日)は日本の建築家である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
120 | 大河内一男 | Wikipedia |
大河内 一男(おおこうち かずお、1905年1月29日 - 1984年8月9日)は、日本の経済学者。専攻は社会政策。東京大学総長。専修大学学長。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 | ||
121 | 海老原一郎 | Wikipedia |
海老原一郎(えびはら いちろう、1905年8月4日 - 1990年5月7日)は、建築家、日本芸術院会員。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
122 | 楠美省吾 | Wikipedia |
楠美 省吾(くすみ せいご、1905年9月 – 1980年1月13日)は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。 | ||
123 | 明本京静 | Wikipedia |
明本 京静(あけもと きょうせい、1905年3月23日 - 1972年10月17日)は、日本の作詞家、作曲家。本名、明本教成。 | ||
高崎経済大学出身 出身の高崎経済大学の出身者 全国の高崎経済大学の出身者 | ||
124 | 伊賀山正光 | Wikipedia |
伊賀山 正光(いがやま まさみつ、1905年8月25日 - 2001年10月29日)は、日本の映画監督である[3][4][5]。本名・旧名伊賀山 正徳(いがやま まさのり)[3][5]。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
125 | 牧野周一 | Wikipedia |
牧野 周一(まきの しゅういち、1905年2月21日 - 1975年5月3日、本名:宇野主一)は、日本の映画説明者、漫談家。東京演芸協会第2代会長。 | ||
126 | 中島親孝 | Wikipedia |
中島 親孝(なかじま ちかたか、1905年(明治38年)5月28日 - 1992年(平成4年)5月31日)は、日本の海軍軍人。海兵54期。最終階級は海軍中佐。 | ||
127 | 山本勝巳 | Wikipedia |
山本 勝巳(やまもとかつみ、1905年12月9日 - 1991年9月23日)は、日本の建築家。 | ||
128 | 厚田雄春 | Wikipedia |
厚田 雄春(あつた ゆうはる、1905年1月1日 - 1992年12月7日)は、日本の映画カメラマン。小津安二郎組の名カメラマンとして知られる。 | ||
129 | 柳田秀一 | Wikipedia |
柳田 秀一(やなぎた ひでかず、1905年5月 - 1978年4月4日)は、日本の医師、政治家。衆議院議員、舞鶴市長。 | ||
130 | 新村猛 | Wikipedia |
新村 猛(しんむら たけし、1905年(明治38年)8月2日 - 1992年(平成4年)10月31日)は、日本のフランス文学者、言語学者、国語辞書編纂者。名古屋大学名誉教授。元橘女子大学学長。新村出の次男。中国文学者の新村徹は息子にして中井正一の三女の夫。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
131 | 奥田東 福山市 | Wikipedia |
奥田 東(おくだ あずま、1905年(明治38年)8月19日 - 1999年(平成11年)4月28日)は日本の農学者。京都大学総長、日本WHO協会理事長、ユネスコ国内委員などを務めた。 | ||
132 | 井本臺吉 | Wikipedia |
井本 臺吉(台吉)(いもと だいきち、1905年4月3日 - 1995年11月9日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長(在任期間 1967年11月2日 - 1970年3月31日)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
133 | 小野佐世男 | Wikipedia |
小野 佐世男(おの させお、1905年2月6日 - 1954年2月1日)は、日本の漫画家、画家、随筆家、小説家。神奈川県横浜市出身。漫画評論家の小野耕世は長男。 | ||
134 | 岩田巌 | Wikipedia |
岩田 巌(いわた いわお、1905年4月20日 - 1955年3月3日)は、会計学者。元一橋大学商学部教授。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
135 | 三上卓 | Wikipedia |
三上 卓(みかみ たく/たかし、1905年3月22日 - 1971年10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中尉。「青年日本の歌」(昭和維新の歌)の作詞者。 | ||
136 | 織田幹雄 海田町 | Wikipedia |
織田 幹雄(おだ みきお、1905年(明治38年)3月30日 - 1998年(平成10年)12月2日)は、日本の元陸上選手、指導者。広島県安芸郡海田町出身。1928年アムステルダムオリンピック三段跳金メダリスト[3]。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
137 | 浜井信三 広島市 | Wikipedia |
浜井 信三(はまい しんぞう、1905年5月28日 - 1968年2月26日)は、日本の政治家、初代の公選広島市長(在任期間・1947年 - 1955年、1959年 - 1967年。渡辺忠雄市長を1期挟み通算4期市長を務めた)。濱井信三とも(胸像の銘文では濵井)。一貫して核兵器の全面禁止を訴え、広島の父、または原爆市長と称される。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
138 | 原民喜 | Wikipedia |
原 民喜(はら たみき、1905年(明治38年)11月15日 - 1951年(昭和26年)3月13日)は、日本の詩人、小説家。広島で被爆した体験を、詩「原爆小景」や小説「夏の花」等の作品に残した。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
139 | 小葉田淳 | Wikipedia |
小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 2001年8月8日)は、日本の歴史学者(専攻は貨幣史・鉱山史・貿易史)。京都帝国大学名誉教授。日本学士院賞受賞者、学士院会員、文化功労者。 | ||
140 | 馬場菊太郎 | Wikipedia |
馬場 菊太郎(ばば きくたろう、1905年 - 2001年11月30日)は、日本の後鰓類学者。福岡県糸島郡波多江村(現・糸島市波多江)出身。 | ||
141 | 稲嶺一郎 本部町 | Wikipedia |
稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1989年6月19日)は、日本の政治家・実業家・軍人。沖縄県国頭郡本部村出身。元沖縄県知事稲嶺惠一の父。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
142 | 大野實雄 | Wikipedia |
大野 實雄(おおの じつお、1905年9月10日 - 1994年11月26日)は、日本の法学者・裁判官だった人物。商法学者。専門は商法全般。早稲田大学名誉教授。長野県飯田市出身。「大野実雄」とも表記された。 | ||
143 | 石川達三 横手市 | Wikipedia |
石川 達三(いしかわ たつぞう、1905年(明治38年)7月2日 - 1985年(昭和60年)1月31日)は、日本の小説家。『蒼氓』により、芥川賞受賞者第一号となった。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
144 | 村井正誠 大垣市 | Wikipedia |
村井 正誠(むらい まさなり、1905年3月29日 - 1999年2月5日)は、昭和 - 平成時代の洋画家。岐阜県大垣市出身。 | ||
145 | 村瀬幸子 | Wikipedia |
村瀬 幸子(むらせ さちこ、1905年3月21日 - 1993年10月9日)は、日本の女優。東京市本所区(現在の東京都墨田区)出身。本名は北村 さだ(旧姓:松井)。芸名を藤真 みや子としたこともある。夫に演劇家の北村喜八がいる。 | ||
146 | 田淵行男 | Wikipedia |
田淵 行男(たぶち ゆきお、1905年6月4日 - 1989年5月30日)は、山岳写真家。高山蝶研究家。 | ||
147 | 柳瀬良幹 | Wikipedia |
柳瀬 良幹(やなせ よしもと、1905年11月17日 - 1985年2月18日)は、日本の行政法学者。東北大学名誉教授。行政法学から憲法の諸問題を研究する。その理詰めの論述は、ハンス・ケルゼンに通ずる。 法学博士(1952年)。和歌山県生まれ。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |