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1 | 小林多喜二 大館市 | Wikipedia |
小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日[注釈 1] - 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。 | ||
小樽商科大学出身 出身の小樽商科大学の出身者 全国の小樽商科大学の出身者 | ||
2 | 加藤建夫 旭川市 | Wikipedia |
加藤 建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28日 - 1942年(昭和17年)5月22日)は、日本の陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等功二級。北海道上川郡東旭川村(現:旭川市東旭川町)出身。旭川中学(現:北海道旭川東高等学校)、仙台陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校(専科)卒。 | ||
3 | 山口正城 | Wikipedia |
山口 正城(やまぐち まさき、1903年1月22日 - 1959年12月5日)とは、日本の画家、グラフィックデザイナー、デザイン・図案に関する教育者。千葉大学工学部工業意匠学科教授を勤めた。フォトグラムを含め、抽象的な作品が多い。 | ||
千葉大学出身 出身の千葉大学の出身者 全国の千葉大学の出身者 | ||
4 | 高木恭造 青森市 | Wikipedia |
高木 恭造(たかぎ きょうぞう、1903年10月12日 - 1987年10月23日)は、日本の方言詩人(津軽弁)、医師。 | ||
満州医科大学出身 出身の満州医科大学の出身者 全国の満州医科大学の出身者 | ||
5 | 長谷川才次 青森市 | Wikipedia |
長谷川 才次(はせがわ さいじ、1903年(明治36年)10月1日 - 1978年(昭和53年)3月10日)は、時事通信社の初代代表取締役。時事画報社、内外ニュースの創業者。勲一等瑞宝章受章。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
6 | 北畠八穂 青森市 | Wikipedia |
北畠 八穂(きたばたけ やお 1903年(明治36年)10月5日 - 1982年(昭和57年)3月18日)は青森県出身の作家、児童文学者、詩人。本名、北畠美代。 | ||
7 | 志賀健次郎 | Wikipedia |
志賀 健次郎(しが けんじろう、明治36年(1903年)12月10日 - 平成6年(1994年)9月28日)は、戦後昭和期の政治家。防衛庁長官(第15代)。自民党衆議院議員(9期)。子に元環境庁長官の志賀節、エッセイストの志賀かう子。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
8 | 森嘉兵衛 | Wikipedia |
森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981年4月8日)は、日本の歴史学者、岩手大学名誉教授。経済学博士。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
9 | 大槻文平 | Wikipedia |
大槻 文平(おおつき ぶんぺい、1903年9月27日 - 1992年8月9日)は、宮城県生まれの日本の実業家。三菱鉱業セメント社長、三菱鉱業会長、旧日経連(現経団連)会長を歴任した。宮城県名誉県民。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
10 | 内藤雄 | Wikipedia |
内藤 雄(ないとう たけし、1903年(明治36年)8月17日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人(海兵52期、海大36期卒)。太平洋戦争において艦隊参謀職を歴任した後、海軍乙事件で殉職。殉職による一階級昇進で最終階級は海軍大佐。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
11 | 草野心平 | Wikipedia |
草野心平(くさの しんぺい、1903年(明治36年)5月12日 - 1988年(昭和63年)11月12日)は日本の詩人。福島県石城郡上小川村(現・いわき市小川町)出身。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
12 | 羽田武嗣郎 長和町 | Wikipedia |
羽田 武嗣郎(はた ぶしろう、1903年4月28日 - 1979年8月8日)は、日本の政治家。衆議院議員。元内閣総理大臣・羽田孜の父。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
13 | 武藤清 取手市 | Wikipedia |
武藤 清(むとう きよし、1903年1月29日 - 1989年3月12日)は、日本の建築家、建築構造学者、構造家。千葉工業大学工学部建築学科の創設者。元鹿島建設副社長。兄は医学者の武藤完雄。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
14 | 手塚富雄 | Wikipedia |
手塚 富雄(てづか とみお、1903年11月29日 - 1983年2月12日)は日本のドイツ文学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
15 | 戸叶武 宇都宮市 | Wikipedia |
戸叶 武(とかの たけし、1903年2月11日 – 1982年12月25日)は、日本の政治家。日本社会党選出の参議院議員(4期)。妻は衆議院議員の戸叶里子。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
16 | 印南博吉 | Wikipedia |
印南 博吉(いんなみ ひろきち、1903年4月1日 - 1990年5月9日)は、経済学・保険学者。 | ||
東京商科大学出身 出身の東京商科大学の出身者 全国の東京商科大学の出身者 | ||
17 | 天知俊一 西宮市 | Wikipedia |
天知 俊一(あまち しゅんいち、1903年12月30日 - 1976年3月12日)は、プロ野球監督。兵庫県西宮市出身。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
18 | 毛利菊枝 | Wikipedia |
毛利 菊枝(もうり きくえ、1903年11月3日 - 2001年8月20日)は、日本の女優。本名は森 キク(旧姓:小林)。夫は美術史家の森暢。 | ||
19 | 塩谷太郎 | Wikipedia |
塩谷 太郎(しおや たろう、1903年 - 1996年、正字では鹽谷)は日本の翻訳家。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
20 | 佐久間寿美 | Wikipedia |
佐久間 寿美(さくま すみ、1903年(明治36年)7月14日 - 1982年(昭和57年)2月1日)は、埼玉県川越の馬車旅館として創業された「佐久間旅館」の女将として勤め著名人との親交も多かった。川越の女傑とも呼ばれた。 | ||
21 | 金子丑之助 | Wikipedia |
金子 丑之助(かねこ うしのすけ、1903年(明治36年) - 1983年(昭和58年))は、日本の医学者、解剖学者。日本医科大学名誉教授、埼玉医科大学教授。解剖学の権威として知られた。 | ||
日本医科大学出身 出身の日本医科大学の出身者 全国の日本医科大学の出身者 | ||
22 | 立野信之 市原市 | Wikipedia |
立野 信之(たての のぶゆき、1903年10月17日 -1971年10月25日)は日本の小説家。 | ||
23 | 原弘 飯田市 | Wikipedia |
原 弘(はら ひろむ、1903年6月22日 - 1986年3月26日)は昭和期の日本を代表するグラフィックデザイナーの一人。 | ||
24 | 石垣綾子 | Wikipedia |
石垣 綾子(いしがき あやこ、1903年9月21日 - 1996年11月12日)は、日本の評論家、社会運動家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
25 | 森茉莉 | Wikipedia |
森 茉莉(もり まり、1903年(明治36年)1月7日 - 1987年(昭和62年)6月6日)は、日本の小説家、エッセイスト。翻訳も行っている。 | ||
26 | 磯村英一 | Wikipedia |
磯村 英一(いそむら えいいち、1903年1月10日 - 1997年4月5日)は、日本の都市社会学研究者。 | ||
東洋大学出身 出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 | ||
27 | 加瀬俊一 | Wikipedia |
加瀬 俊一(かせ としかず、1903年(明治36年)1月12日 - 2004年(平成16年)5月21日)は、日本の外交官、外交評論家。第二次世界大戦前後に活躍し、国際連合加盟後初の国連大使や外務省顧問、内閣総理大臣顧問などを歴任した。外交評論家の加瀬英明は息子。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
28 | 横田豊秋 | Wikipedia |
横田 豊秋(よこた とよあき、1903年8月27日 - 1936年8月28日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優である。本名同じ。撮影助手、撮影技師、助監督、監督、脚本家を経て、映画スターになった稀有な人材である。脚本家・俳優としての名は宇留木 浩(うるき ひろし)である。 | ||
29 | 玉井操 | Wikipedia |
玉井 操 (たまい みさお、1903年12月16日 - 1978年12月23日)は、日本の実業家、サッカー選手。玉井商船社長 (2代目)、日本船主協会副会長、日本サッカー協会副会長などを歴任した。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
30 | 香淳皇后 | Wikipedia |
香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年(明治36年)3月6日 - 2000年(平成12年)6月16日)は、昭和天皇の皇后。今上天皇の実母。名は良子(ながこ)、久邇宮家出身で、皇后となる以前の身位は女王。 | ||
31 | 近藤真柄 | Wikipedia |
近藤 真柄(こんどう まがら、別名・筆名: 堺真柄・近藤真柄、旧姓戸籍名: 堺マガラ、最初の結婚改姓戸籍名: 高瀬マガラ、第2の結婚改姓戸籍名: 近藤マガラ、女性、1903年1月30日 - 1983年3月18日)は、社会主義者、婦人運動家、フェミニスト。 | ||
32 | 清川玉枝 | Wikipedia |
清川 玉枝(きよかわ たまえ、1903年5月24日 - 1969年1月21日)は、日本の女優。 | ||
33 | 田中彰治 | Wikipedia |
田中 彰治(たなか しょうじ、1903年6月18日 - 1975年11月28日)は日本の政治家。元衆議院議員(自由民主党・7期)。政界の爆弾男として鳴らし時の政権でさえ無視できないほどの影響力を誇ったが、黒い霧事件で失脚した。 | ||
34 | 入江啓四郎 | Wikipedia |
入江 啓四郎(いりえ けいしろう、1903年4月20日 - 1978年8月13日)は、日本の国際法学者。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
35 | 繪島千歌子 | Wikipedia |
繪島 千歌子(えじま ちかこ、1903年2月8日 - 没年不詳)は、日本の女優である[4][5][6]。新漢字表記絵島 千歌子、本名・旧芸名東 八重子(あずま やえこ)[4][6]。 | ||
36 | 蜂須賀正氏 熱海市 | Wikipedia |
蜂須賀 正氏(はちすか まさうじ、1903年2月15日 - 1953年5月14日)は、日本の鳥類学者、華族(侯爵)、貴族院議員、探検家、飛行家。絶滅鳥ドードー研究の権威として知られた他、沖縄本島と宮古島との間に引かれた生物地理学上の線である蜂須賀線に名をとどめている。 | ||
ケンブリッジ大学モードリン・カレッジ出身 出身のケンブリッジ大学モードリン・カレッジの出身者 全国のケンブリッジ大学モードリン・カレッジの出身者 | ||
37 | 竹内良一 | Wikipedia |
竹内 良一(たけうち りょういち、1903年11月13日 - 1959年1月18日)は、日本の俳優。本名は外松 良一(とまつ りょういち)。旧芸名は竹内 良作(たけうち りょうさく)。実妹は舞台女優の竹内京子。 | ||
38 | 澤蘭子 仙台市 | Wikipedia |
澤 蘭子(さわ らんこ、1903年7月25日 - 2003年1月11日)は、日本の女優である[4][5][6][7][8][9]。新漢字表記沢 蘭子[4][5][6][8]。出生名澤 靜子(さわ しずこ)、松本四良との婚姻時の本名は松本 静子(まつもと しずこ)[7]、死去時の本名は澤 志づ子(さわ しづこ)、旧芸名泉 らん子(いずみ らんこ)、泉 蘭子(いずみ らんこ)[4]、澤 らん子(さわ らんこ)[4][5]。帝国キネマ演芸が製作・配給して大ヒットとなったサイレント映画『籠の鳥』(1924年)のヒロインとして知られる。 | ||
39 | 松田壽男 | Wikipedia |
松田 壽男(まつだ ひさお、1903年11月15日- 1982年3月10日)は、東洋史学者。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
40 | 佐野一彦 | Wikipedia |
佐野 一彦(さの かずひこ、1903年12月19日 - 1997年1月10日)は、日本の哲学者、民俗学者。東京府出身。旧制神戸商業大学(現神戸大学)元教授、愛知県立芸術大学元教授。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
41 | 吉沢一郎 | Wikipedia |
吉沢一郎(よしざわ いちろう、1903年 – 1998年1月22日)は、日本の登山家。一橋大学山岳部出身。1977年、吉沢が総指揮を取った日本登山隊はK2登頂を試みて成功し、これが世界で2番目のK2登頂成功例となった。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
42 | 石垣綾子 | Wikipedia |
石垣 綾子(いしがき あやこ、1903年9月21日 - 1996年11月12日)は、日本の評論家、社会運動家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
43 | 小塚新一郎 | Wikipedia |
小塚 新一郎(こづか しんいちろう、1903年3月12日 - 1977年9月5日)は、日本の哲学者である。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
44 | 岡田時彦 | Wikipedia |
岡田 時彦(おかだ ときひこ、本名・高橋英一、明治36年(1903年)2月18日 - 昭和9年(1934年)1月16日)は、大正・昭和初期の俳優。無声映画時代を代表する二枚目俳優であった。 | ||
45 | 徳山璉 | Wikipedia |
徳山 璉(とくやま たまき、1903年7月27日 - 1942年1月28日)は、戦前から戦中に活躍した日本の声楽家(バリトン)・流行歌手・俳優。愛称は「徳さん」。似た名前のソプラノ歌手三浦環(みうらたまき)は女性だが、徳山璉は男性である。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
46 | 水島あやめ 南魚沼市 | Wikipedia |
水島 あやめ(みずしま あやめ 1903年7月17日 - 1990年12月31日)は、新潟県六日町(現南魚沼市)出身の著述家。日本初の女流映画脚本家で後に児童文学作家となった。 | ||
日本女子大学出身 出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
47 | 瀧口修造 富山市 | Wikipedia |
瀧口 修造(たきぐち しゅうぞう、1903年(明治36年)12月7日 - 1979年(昭和54年)7月1日)は、近代日本を代表する美術評論家、詩人、画家。戦前・戦後の日本における正統シュルレアリスムの理論的支柱であり、近代詩の詩人とは一線を画す存在。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
48 | 高橋衛 武生市 | Wikipedia |
高橋 衛(たかはし まもる、1903年2月26日 - 1986年4月26日)は、日本の台湾総督府・大蔵官僚、政治家。参議院議員、経済企画庁長官。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
49 | 前嶋信次 | Wikipedia |
前嶋 信次(まえじま しんじ、1903年7月20日 - 1983年6月3日)は、日本のイスラム史、東洋史家、東洋学者。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
50 | 印南高一 飯田市 | Wikipedia |
印南 高一(いんなみ こういち、1903年4月30日 - 2001年12月19日)は、日本の演出家、演劇研究者(大学教授)。印南 喬(いんなみ たかし)の筆名がある。本名の印南高一に、「いんなみ たかいち」のルビを振る著書もある。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
51 | 神谷新一 大桑村 | Wikipedia |
神谷 新一(かみや しんいち、1903年7月 - 1986年11月8日)は、日本の実業家。竹中工務店副社長などを務めた。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
52 | 矢口孝次郎 松本市 | Wikipedia |
矢口 孝次郎(やぐち たかじろう、1903年10月4日 - 1978年11月12日)は、日本の経済学者。関西大学教授、第22代関西大学学長、第4期・6期・7期・8期日本学術会議会員、文部省の学術奨励審議会専門委員等を歴任。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
53 | 野田卯一 岐阜市 | Wikipedia |
野田 卯一(のだ ういち、1903年(明治36年)9月10日 – 1997年(平成9年)1月29日)は、日本の政治家。池田勇人・福田赳夫とともに、「大蔵省の3田」と呼ばれた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
54 | 松尾吾策 | Wikipedia |
松尾 吾策(まつお ごさく、1903年(明治36年)1月6日 - 1988年(昭和63年)6月16日)は、日本の政治家。元岐阜市長。父は元岐阜市長で貴族院議員であった松尾国松。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
55 | 日比野恒次 | Wikipedia |
日比野 恒次(ひびの つねじ、1903年7月11日 - 1989年2月21日)は電通相談役。岐阜県出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
56 | 荒垣秀雄 | Wikipedia |
荒垣 秀雄(あらがき ひでお、1903年7月19日-1989年7月8日)は、昭和期の新聞記者・コラムニスト。岐阜県吉城郡(現在の飛騨市)出身。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
57 | 古池信三 | Wikipedia |
古池 信三(こいけ しんぞう、1903年4月3日 – 1983年10月7日)は、昭和期の日本の政治家・官僚。郵政大臣、KDD(現・KDDI)会長・社長。1974年勲一等旭日大綬章受章。岐阜県高山市名誉市民(1974年)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
58 | 牧田與一郎 | Wikipedia |
牧田 與一郎(まきた よいちろう、1903年1月15日 - 1971年12月7日)は日本の実業家。三菱重工業社長として三菱グループを指導し、三菱自動車工業を設立。「牧田天皇」「横紙破り」「赤鬼のオマキ」と呼ばれた。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
59 | 清水みのる 浜松市 | Wikipedia |
清水 みのる(しみず みのる、本名:清水 實、1903年(明治36年)9月11日 - 1979年(昭和54年)12月10日)は、日本の作詞家。静岡県浜名郡伊佐見村(現在は浜松市西区伊左地町)生まれ。旧制浜松中学(現・浜松北高校)、立教大学英文科卒。 | ||
60 | 長谷川保 | Wikipedia |
長谷川 保(はせがわ たもつ 、1903年9月3日 - 1994年4月29日)は、日本の福祉事業家、教育者、政治家。 | ||
61 | 窪川鶴次郎 菊川市 | Wikipedia |
窪川 鶴次郎(くぼかわ つるじろう、1903年2月25日 - 1974年6月15日)は、日本の文芸評論家。 | ||
62 | 池田潔 | Wikipedia |
池田 潔(いけだ きよし、1903年10月4日 - 1990年3月14日)は、日本のイギリス文学者、評論家、随筆家である。 | ||
静岡県立大学出身 出身の静岡県立大学の出身者 全国の静岡県立大学の出身者 | ||
63 | 香淳皇后 | Wikipedia |
香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年(明治36年)3月6日 - 2000年(平成12年)6月16日)は、昭和天皇の皇后。今上天皇の実母。名は良子(ながこ)、久邇宮家出身で、皇后となる以前の身位は女王。 | ||
64 | 斎藤昇 伊賀市 | Wikipedia |
斎藤 昇(さいとう のぼる、1903年(明治36年)1月28日 - 1972年(昭和47年)9月8日)は、日本の内務官僚、政治家。運輸大臣・厚生大臣・警察庁長官。参議院議長を務めた斎藤十朗は子息。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
65 | 富井清 | Wikipedia |
富井 清(とみい きよし、1903年3月28日 - 1974年5月19日)は、日本の政治家、医師、尺八奏者。1967年から1971年まで京都府京都市長を1期4年務める。医学博士。富井舜山とも号す。 | ||
金沢大学出身 出身の金沢大学の出身者 全国の金沢大学の出身者 | ||
66 | 小津安二郎 江東区 | Wikipedia |
小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年12月12日 - 1963年12月12日)は、日本の映画監督・脚本家。「小津調」と称される独特の映像世界で優れた作品を次々に生み出し、世界的にも高い評価を得ている。「小津組」と呼ばれる固定されたスタッフやキャストで映画を作り続けたが、代表作にあげられる『東京物語』をはじめ、女優の原節子と組んだ作品群が特に高く評価されている。先祖に国学を研究した本居宣長がいる。 | ||
67 | 高橋虔 明石市 | Wikipedia |
高橋 虔(たかはし まさし、1903年(明治36年) - 1992年(平成4年)7月30日)は、日本の神学者、聖書学者。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
68 | 竹内愛一 | Wikipedia |
竹内 愛一(たけうち よしかず、1903年 - 1972年)は、京都府出身のプロ野球選手(投手)、監督。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
69 | 本領信治郎 | Wikipedia |
本領 信治郎(ほんりょう しんじろう、1903年10月8日 - 1971年7月24日)は、東京都出身の政治家、教育者。衆議院議員、早稲田大学(以下、早大)教授、早大ラグビー部監督 & 選手。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
70 | 藤井龍心 泉佐野市 | Wikipedia |
藤井 龍心(ふじい りゅうしん、1903年7月21日 - 1998年4月13日)は、日本の仏教学者、僧侶。種智院大学教授。真言宗智山派管長。智積院65世能化。専門は密教学。真言宗清和院住職。義父に、智積院55世能化の高井観海。 | ||
大正大学出身 出身の大正大学の出身者 全国の大正大学の出身者 | ||
71 | 飯田信夫 大阪市 | Wikipedia |
飯田 信夫(いいだのぶお、1903年(明治36年)5月25日‐1991年(平成3年)8月19日)は昭和期の作曲家、指揮者。妻は女優の夏川静江。娘に女優の夏川かほる。 | ||
東京帝国大学出身 出身の 東京帝国大学の出身者 全国の 東京帝国大学の出身者 | ||
72 | 石田英一郎 | Wikipedia |
石田 英一郎(いしだ えいいちろう、1903年6月30日 - 1968年11月9日)は、日本の文化人類学者・民族学者。元男爵。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
73 | 小野十三郎 | Wikipedia |
小野 十三郎(おの とおざぶろう、本名は小野 藤三郎、男性、1903年(明治36年)7月27日 - 1996年(平成8年)10月8日)は日本の詩人。 | ||
東洋大学出身 出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 | ||
74 | 奥村勝蔵 | Wikipedia |
奥村 勝蔵(おくむら かつぞう、1903年8月7日 - 1975年9月26日)は、昭和期の外交官。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
75 | 北村兼子 | Wikipedia |
北村 兼子(きたむら かねこ、1903年11月26日 - 1931年7月26日 )は、大阪生まれのジャーナリスト。女性の権利運動に関心を寄せて執筆をする。日本飛行機学校に入学、パイロットを志すが病いで果たせなかった。 | ||
関西大学出身 出身の関西大学の出身者 全国の関西大学の出身者 | ||
76 | 八田卯一郎 大阪市 | Wikipedia |
八田 卯一郎(はった ういちろう、1903年9月10日 - 1989年4月20日 )は、大阪府大阪市出身の裁判官、サッカー選手。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
77 | 筒井嘉隆 | Wikipedia |
筒井 嘉隆(つつい よしたか、1903年2月19日 - 1989年4月17日は、日本の動物学者で自然保護活動家。血液型はA型。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
78 | 歌川八重子 神戸市 | Wikipedia |
歌川 八重子(うたがわ やえこ、1903年8月22日 - 1943年9月13日)は、日本の女優。本名、深川 政江[5]。 | ||
79 | 小磯良平 神戸市 | Wikipedia |
小磯 良平(こいそ りょうへい、1903年7月25日 - 1988年12月16日)は、日本の昭和期に活躍した洋画家である。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
80 | 金井元彦 | Wikipedia |
金井 元彦(かない もとひこ、1903年11月28日 - 1991年8月6日)は日本の官僚、政治家。青森県(官選1期)および兵庫県(公選2期)の知事、参議院議員(2期)を歴任。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
81 | 藤田信男 | Wikipedia |
藤田 信男(ふじた のぶお、1903年1月9日 - 1991年4月25日)は、大学野球の選手・指導者として活躍した人物である。元法政大学名誉教授。中国・天津市生まれ。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
82 | 芥田武夫 | Wikipedia |
芥田 武夫(あくた たけお、旧姓・氷室 1903年10月20日 - 1987年9月5日)は、兵庫県加東市出身の元野球選手・監督、解説者・評論家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
83 | 阿部知二 勝田郡湯郷村(現・美作市) | Wikipedia |
阿部 知二(あべ ともじ、1903年(明治36年)6月26日 - 1973年(昭和48年)4月23日)は、日本の小説家、英文学者、翻訳家である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
84 | 庵原貢 | Wikipedia |
庵原 貢(いはら みつぐ、1903年(明治36年)10月3日 - 1979年(昭和54年)3月31日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官である。海軍兵学校卒業(第52期)。第3代海上幕僚長。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
85 | 木下保 豊岡市 | Wikipedia |
木下 保(きのした たもつ、1903年10月14日 - 1982年11月11日)は、日本の声楽家(テノール)、指揮者。 | ||
東京音楽学校出身 出身の東京音楽学校の出身者 全国の東京音楽学校の出身者 | ||
86 | 西松龍一 大阪市 | Wikipedia |
西松 龍一(にしまつ りゅういち、1903年〈明治36年〉- 2008年〈平成20年〉6月5日)は、日本の実業家。父親は、実業家の西松喬。配偶者は坂野鉄次郎の養子坂野紀美子。大阪市西区江戸堀生まれ。105歳で死去。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
87 | 天知俊一 西宮市 | Wikipedia |
天知 俊一(あまち しゅんいち、1903年12月30日 - 1976年3月12日)は、プロ野球監督。兵庫県西宮市出身。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
88 | 奥田良三 大和郡山市 | Wikipedia |
奥田 良三(おくだ りょうぞう、1903年(明治36年)5月15日 - 1989年(平成元年)12月22日)は、日本の内務官僚、政治家。奈良県知事(1951年~1980年)・官選群馬県知事(1947年)・全国知事会長(1976年~1980年)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
89 | 森本六爾 桜井市 | Wikipedia |
森本 六爾(もりもと ろくじ、1903年3月2日 - 1936年1月22日)は、日本の考古学者。 | ||
90 | 古井喜実 杉並区 | Wikipedia |
古井 喜実(ふるい よしみ、1903年1月4日 - 1995年2月3日)は、日本の内務官僚、政治家。本名は古井 喜實(読み方は同じ)。日中友好議員連盟会長を務めた。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
91 | 岩谷直治 大田市 | Wikipedia |
岩谷 直治(いわたに なおじ、1903年3月7日 - 2005年7月19日)は、日本の実業家。 エネルギー商社、岩谷産業の創業者で名誉会長を務めた。1985年に勲二等瑞宝章を授与された。 | ||
92 | 葉上照澄 | Wikipedia |
葉上 照澄(はがみ しょうちょう、1903年8月15日 - 1989年3月7日)は、天台宗僧侶、大阿闍梨、延暦寺長﨟で初代印度山日本寺竺主および世界連邦日本宗教委員会会長である。また、ローマ教皇パウロ6世と接見し、平和のために働くことを誓い合う。ニューヨーク大聖堂において法話が実現し、宗教を超えた世界平和を訴え、後に世界宗教サミットを実現させた。南海ホークス時代の野村克也の後援会長を務めていた。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
93 | 三木行治 岡山市 | Wikipedia |
三木 行治(みき ゆきはる、1903年5月1日 - 1964年9月21日)は、日本の医師、政治家。岡山県知事。水島臨海工業地帯の誘致など岡山県の発展に貢献したことが認められ、日本人で初めてマグサイサイ賞を受賞した。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
94 | 蜂谷道彦 | Wikipedia |
蜂谷 道彦(はちや みちひこ、1903年 - 1980年4月13日)は、日本の医学者である。彼は1945年の広島市への原子爆弾投下で被爆しながらも、被爆者の治療と原爆症の研究を行った。その様子は『ヒロシマ日記』として各国で出版された。 | ||
岡山大学出身 出身の岡山大学の出身者 全国の岡山大学の出身者 | ||
95 | 高橋等 福山市 | Wikipedia |
高橋 等(たかはし ひとし、1903年3月20日 - 1965年8月10日)は、日本の逓信官僚、政治家。法務大臣。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
96 | 吉谷久雄 尾道市 | Wikipedia |
吉谷 久雄(よしたに ひさお、1903年10月30日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[4][5][6][7][8][9]。本名石井 清一(いしい せいいち)、旧芸名市川 喜有利(いちかわ きうり)。松竹蒲田撮影所が1920年代に推進した「短篇喜劇」の主演俳優として知られる。 | ||
97 | 林芙美子 北九州市 | Wikipedia |
林 芙美子(はやし ふみこ、1903年(明治36年)12月31日 - 1951年(昭和26年)6月28日)は、日本の小説家。物心ついた小学生時代に貧しかった生い立ちからか、底辺の庶民を慈しむように描いた作品に、ことに名作がある。「文壇に登場したころは『貧乏を売り物にする素人小説家』、その次は『たった半年間のパリ滞在を売り物にする成り上がり小説家』、そして、日中戦争から太平洋戦争にかけては『軍国主義を太鼓と笛で囃し立てた政府お抱え小説家』など、いつも批判の的になってきました。しかし、戦後の六年間はちがいました。それは、戦さに打ちのめされた、わたしたち普通の日本人の悲しみを、ただひたすらに書きつづけた六年間でした」と言われるように波瀾万丈だった。 | ||
98 | 吉武恵市 | Wikipedia |
吉武 恵市(よしたけ えいち、1903年2月25日 – 1988年2月3日)は、昭和期の政治家・官僚。労働大臣・厚生大臣・自治大臣。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
99 | 堀江薫雄 | Wikipedia |
堀江薫雄(ほりえ しげお、1903年1月28日 - 2000年8月27日)は日本の実業家、経済学博士。東京銀行頭取をつとめた。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
100 | 中野好夫 | Wikipedia |
中野 好夫(なかの よしお、1903年(明治36年)8月2日 - 1985年(昭和60年)2月20日)は、日本の英文学者、評論家。英米文学翻訳者の泰斗であり、訳文の闊達さでも知られている。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
101 | 都築頼助 美馬市 | Wikipedia |
都築 賴助(つづき よりすけ、1903年8月3日 - 1972年10月28日)は日本の教育者、都築学園グループの創始者。妻は都築貞枝、次男は都築泰壽。 | ||
九州帝国大学出身 出身の九州帝国大学の出身者 全国の九州帝国大学の出身者 | ||
102 | 藤井松太郎 | Wikipedia |
藤井 松太郎(ふじい まつたろう、1903年(明治36年)10月5日 - 1988年(昭和63年)2月4日)は、日本の鉄道技術者。第7代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1973年 - 1976年)。太っ腹の親分肌といわれ、トンネルや橋梁の技術に精通していたことから“トンネル松”と呼ばれていた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
103 | 樋端久利雄 | Wikipedia |
樋端 久利雄(といばた くりお/といばな くりお、1903年(明治36年)8月1日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。海軍甲事件で搭乗機(「一式陸攻」)を撃墜され、戦死。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍大佐。 | ||
104 | 梶和三郎 三豊市 | Wikipedia |
梶 和三郎(かじ わさぶろう、1903年 - 1983年11月6日)は、日本の教育者。元灘高等学校校長。 | ||
筑波大学出身 出身の筑波大学の出身者 全国の筑波大学の出身者 | ||
105 | 田中修 松山市 | Wikipedia |
田中 修(たなか おさむ、1903年 - 1985年)は、日本の画家。 | ||
東京美術学校出身 出身の東京美術学校の出身者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
106 | 冲永荘兵衛 | Wikipedia |
冲永 荘兵衛(おきなが しょうべい、1903年12月8日 - 1981年2月21日)は、日本の政治家、教育者。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
107 | 芝不器男 松野町 | Wikipedia |
芝 不器男(しば ふきお、1903年(明治36年)4月18日 - 1930年(昭和5年)2月24日)は、愛媛県出身の俳人。「天の川」の代表作家として活躍、「ホトトギス」でも四S以降の新人として注目されたが、句歴四年、26歳で夭折した。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
108 | 増原惠吉 宇和島市 | Wikipedia |
増原 惠吉(ますはら けいきち、1903年(明治36年)1月13日 - 1985年(昭和60年)10月11日)は、日本の内務・防衛官僚、政治家。香川県知事、参議院議員(自民党)、行政管理庁長官、北海道開発庁長官、防衛庁長官を歴任した。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
109 | 有光次郎 | Wikipedia |
有光 次郎(ありみつ じろう、1903年12月15日 - 1995年2月22日)は日本の元官僚(文部事務次官)、教育者である。1974年に勲一等瑞宝章を受章。1989年に名誉都民を受賞。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
110 | 西内雅 | Wikipedia |
西内 雅(にしうち ただし、1903年 - 1993年)は日本の歴史学者。 | ||
広島大学出身 出身の広島大学の出身者 全国の広島大学の出身者 | ||
111 | 吉田秀雄 北九州市 | Wikipedia |
吉田 秀雄(よしだ ひでお、1903年11月9日 - 1963年1月27日)は、日本の実業家。電通の経営者で、「鬼十則」を作るなど広告の鬼と呼ばれていた。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
112 | 永田清 久留米市 | Wikipedia |
永田 清(ながた きよし、1903年(明治36年)1月27日 - 昭和32年(1957年)11月3日)は、日本の経済学者、のち実業家。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
113 | 立花止 | Wikipedia |
立花 止(たちばな いたる、1903年(明治36年)3月29日 - 1954年(昭和29年)6月7日)は、日本の海軍軍人。米国駐在時代に情報活動に従事しFBIに逮捕され国外追放処分を受ける(立花事件)。最後の連合艦隊参謀の一人である。最終階級は海軍大佐。 | ||
114 | 林房雄 | Wikipedia |
林 房雄(はやし ふさお、1903年(明治36年)5月30日 - 1975年(昭和50年)10月9日)は、日本の小説家、文芸評論家。大分県大分市出身。本名は後藤寿夫(ごとう としお)。戦後の一時期の筆名は白井明。戦後は中間小説の分野で活動し、『息子の青春』、『妻の青春』などを出版し舞台上演され流行作家となった。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
115 | 山本祐二 鹿児島市 | Wikipedia |
山本 祐二(やまもと ゆうじ、1903年(明治36年)1月17日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。戦艦「大和」を旗艦とする第二艦隊の沖縄海上特攻作戦(坊ノ岬沖海戦)で戦死。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
116 | 安里積千代 座間味村 | Wikipedia |
安里 積千代(あさと つみちよ、1903年8月22日 - 1986年9月30日)は、八重山群島政府及び琉球政府の政治家。元衆議院議員(沖縄社会大衆党→民社党)。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
117 | 親泊朝省 | Wikipedia |
親泊 朝省(おやどまり ちょうせい、1903年(明治36年)9月18日 - 1945年(昭和20年)9月3日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大佐。沖縄県出身。大本営陸軍部報道部部長、内閣情報局情報官。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
118 | 山之口貘 那覇市 | Wikipedia |
山之口 貘(やまのくち ばく、1903年(明治36年)9月11日 - 1963年(昭和38年)7月19日)は、沖縄県那覇区(那覇市)東町大門前出身の詩人である。本名は、山口 重三郎(やまぐち じゅうさぶろう)。薩摩国(移住当時、後大隅国)口之島から、琉球王国へ移住した帰化人の子孫。197編の詩を書き4冊の詩集を出した。 | ||
119 | 西田信春 新十津川村 | Wikipedia |
西田 信春(にしだ のぶはる、1903年1月12日 - 1933年2月11日)は、日本の戦前の社会運動家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
120 | 村中孝次 旭川市 | Wikipedia |
村中 孝次(むらなか たかじ[注釈 1]、1903年10月3日 - 1937年8月19日)は、日本の陸軍軍人で皇道派、国家社会主義者。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
121 | 三岸好太郎 札幌市 | Wikipedia |
三岸 好太郎(みぎし こうたろう、1903年4月18日 - 1934年7月1日)は、日本の洋画家である。戦前のモダニズムを代表する洋画家の1人。同じ洋画家の三岸節子(旧姓・吉田)は妻。作家の子母沢寛は三岸の異父兄にあたる。 | ||
122 | 奥田良三 | Wikipedia |
奥田 良三(おくだ りょうぞう、1903年6月12日 - 1993年1月27日)は、日本のテノール歌手。 | ||
ベルリン音楽大学出身 出身のベルリン音楽大学の出身者 全国のベルリン音楽大学の出身者 | ||
123 | 下村三郎 | Wikipedia |
下村 三郎(しもむら かずお、1903年1月2日 - 1980年8月4日)は日本の裁判官。弁護士。最高裁判所判事。東京都出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
124 | 正田英三郎 館林市 | Wikipedia |
正田 英三郎(しょうだ ひでさぶろう、1903年9月21日 - 1999年6月18日)は日本の実業家。群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
125 | 岸本英夫 | Wikipedia |
岸本 英夫(きしもと ひでお、1903年6月27日 - 1964年1月25日)は、日本の宗教学者。東京大学図書館の館長、東京大学教授などを歴任。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
126 | 芳賀檀 | Wikipedia |
芳賀 檀(はが まゆみ、1903年7月6日 - 1991年8月15日)は、日本の評論家、ドイツ文学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
127 | 諸井三郎 | Wikipedia |
諸井 三郎(もろい さぶろう、1903年8月7日 - 1977年3月24日)は、日本の作曲家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
128 | 中島健蔵 千代田区 | Wikipedia |
中島 健蔵(なかじま けんぞう、1903年(明治36年)2月21日 - 1979年(昭和54年)6月11日)は、フランス文学者、文芸評論家。ヴァレリーやボードレールなどを翻訳紹介する一方、当時まだ無名だった宮澤賢治の作品に光を当て、戦後はいわゆる進歩的知識人の一人として反戦平和運動に貢献すると共に、日本文芸家協会の再建や著作権保護、日中の文化交流に尽力した。中国切手の世界的なコレクターとしても有名である。 | ||
信州大学出身 出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
129 | 今日出海 函館市 | Wikipedia |
今 日出海(こん ひでみ、1903年(明治36年)11月6日 - 1984年(昭和59年)7月30日)は日本の小説家、評論家、舞台演出家。初代文化庁長官を務めた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
130 | 湯川正夫 | Wikipedia |
湯川 正夫(ゆかわ まさお、1903年12月24日 - 1969年10月5日)は、昭和時代の製鉄技術者で、後に八幡製鐵副社長を務めた。また、日本ラグビーフットボール協会(以下、日本ラグビー協会)第4代会長も歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
131 | 正木千冬 | Wikipedia |
正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月10日 - 1982年(昭和57年)4月6日)は、日本の経済学者、官僚、ジャーナリスト、政治家(鎌倉市長)。 | ||
132 | 石田英一郎 | Wikipedia |
石田 英一郎(いしだ えいいちろう、1903年6月30日 - 1968年11月9日)は、日本の文化人類学者・民族学者。元男爵。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
133 | 神西清 | Wikipedia |
神西 清(じんざい きよし、1903年11月15日 - 1957年3月11日)は、日本のロシア文学者、翻訳家、小説家、文芸評論家。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
134 | 竹山道雄 | Wikipedia |
竹山 道雄(たけやま みちお、1903年7月17日 - 1984年6月15日)は、日本の評論家、ドイツ文学者、小説家。日本芸術院会員。第一高等学校教授、東京大学教養学部教授などを歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
135 | 川喜多長政 | Wikipedia |
川喜多 長政(かわきた ながまさ、1903年4月30日 - 1981年5月24日)は、映画製作者、輸入業者。国際的映画人として、とくにアジアでは絶大な信用を有した。妻で長政以上の国際的知名度を持つ「日本映画の母」かしこ、娘の和子(伊丹十三の最初の妻)とともに「川喜多家の三人」として記憶される。 | ||
136 | 野中四郎 | Wikipedia |
野中 四郎(のなか しろう、1903年(明治36年)10月27日 - 1936年(昭和11年)2月29日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
137 | 曾禰益 | Wikipedia |
曾禰 益(新字体:曽祢 益、そね えき、1903年12月5日 - 1980年4月25日)は、日本の官僚・政治家。正三位勲一等。妻は東急グループの創業者である五島慶太の長女・春子である。 | ||
138 | 加瀬俊一 | Wikipedia |
加瀬 俊一(かせ としかず、1903年(明治36年)1月12日 - 2004年(平成16年)5月21日)は、日本の外交官、外交評論家。第二次世界大戦前後に活躍し、国際連合加盟後初の国連大使や外務省顧問、内閣総理大臣顧問などを歴任した。外交評論家の加瀬英明は息子。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
139 | 鈴木松雄 | Wikipedia |
鈴木 松雄(すずき まつお、1903年(明治36年) - 1978年(昭和53年)9月6日)は、日本の実業家、工学者。東京工業大学電気工学科教授。工学博士(東京帝国大学)。昭和電線電䌫(現・昭和電線ホールディングス)社長・会長・相談役やCQ出版社長、多摩電気工業(現・KOA (企業))社長などを歴任した。 | ||
140 | 畑良一 | Wikipedia |
畑良一(はた りょういち 1903年 - 1969年9月27日)は、野崎産業(現 JFE商事)元会長。 | ||
141 | 柳川真文 | Wikipedia |
柳川 真文(やながわ まふみ 1903年3月21日 - 1985年12月6日)は、日本の検察官。大阪高等検察庁検事長、法務総裁官房長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
142 | 田中於菟弥 | Wikipedia |
田中 於菟弥(田中 於兎弥、たなか おとや、1903年9月24日 - 1989年7月12日)は、インド文学者。 | ||
143 | 藤岡由夫 | Wikipedia |
藤岡 由夫(ふじおか よしお、1903年3月6日 - 1976年3月13日)は、日本の物理学者。 | ||
144 | 佐藤昌 | Wikipedia |
佐藤 昌(さとう あきら、1903年10月2日 - 2003年7月19日)は、日本の造園家。都市計画家。官庁造園技師として日本国内や戦前の満州で多くの公園緑地計画と都市の計画設計に携わる。ほか都市計画研究所主宰、音楽評論の分野でも活躍。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
145 | 岩崎昶 | Wikipedia |
岩崎 昶(いわさき あきら、1903年11月18日 - 1981年9月16日)は映画評論家で映画製作者。啓蒙的批評家の一人であり左翼陣営の戦闘的映画人と目される。スポーツマンで良き家庭人であったという。 | ||
146 | 黒井明 | Wikipedia |
黒井 明(くろい あきら、1903年(明治36年)5月27日 - 1933年(昭和8年)3月10日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。水上機機長としての不時着水時の行動で責任感の鑑と称えられた。のちに殉職し最終階級は海軍少佐。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
147 | 土川元夫 | Wikipedia |
土川 元夫(つちかわ もとお、明治36年(1903年)6月20日 - 昭和49年(1974年)1月27日)は日本の実業家。 | ||
148 | 平田小六 | Wikipedia |
平田 小六(ひらた ころく、1903年11月1日 - 1976年5月18日)は、日本の作家。 | ||
149 | 菊池栄一 | Wikipedia |
菊池 栄一(きくち えいいち、1903年8月17日 - 1986年8月25日)は、日本のドイツ文学者。東大名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
150 | 宇佐美毅 | Wikipedia |
宇佐美 毅(うさみ たけし、1903年(明治36年)12月9日 - 1991年(平成3年)1月19日)は、日本の官僚。第2代宮内庁長官。従二位勲一等旭日大綬章。 | ||
東京学芸大学出身 出身の東京学芸大学の出身者 全国の東京学芸大学の出身者 | ||
151 | 池田潔 | Wikipedia |
池田 潔(いけだ きよし、1903年10月4日 - 1990年3月14日)は、日本のイギリス文学者、評論家、随筆家である。 | ||
静岡県立大学出身 出身の静岡県立大学の出身者 全国の静岡県立大学の出身者 | ||
152 | 色川幸太郎 | Wikipedia |
色川 幸太郎(いろかわ こうたろう、1903年1月30日 - 1993年8月5日)は日本の弁護士、最高裁判所裁判官。 | ||
153 | 佐伯勇 西条市 | Wikipedia |
佐伯 勇(さえき いさむ、1903年〈明治36年〉3月25日 - 1989年〈平成元年〉10月5日)は実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長、会長、名誉会長で、近鉄グループの総帥。プロ野球・近鉄バファローズのオーナーでもあった。アメリカの大陸横断鉄道の2階建てドームカーを参考にした、世界で初めての2階建電車による特急車のビスタカーの生みの親でもある。 | ||
154 | 伊勢野重任 | Wikipedia |
伊勢野 重任(いせの しげたか、1903年(明治36年)11月11日 - 1982年(昭和57年)4月7日)は、日本の脚本家である[3][4][5][6][7][8]。名の読みは「しげとう」とも[9]。映画で2度リメイクされたオリジナル脚本『國士無双』の作者として知られる[7]。 | ||
155 | 重松鶴之助 | Wikipedia |
重松 鶴之助(しげまつ つるのすけ、1903年 - 1938年11月30日)は、日本の画家で、左翼運動家。愛媛県松山市生まれ。 | ||
156 | 佐伯勇 西条市 | Wikipedia |
佐伯 勇(さえき いさむ、1903年〈明治36年〉3月25日 - 1989年〈平成元年〉10月5日)は実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長、会長、名誉会長で、近鉄グループの総帥。プロ野球・近鉄バファローズのオーナーでもあった。アメリカの大陸横断鉄道の2階建てドームカーを参考にした、世界で初めての2階建電車による特急車のビスタカーの生みの親でもある。 | ||
157 | 西堀栄三郎 | Wikipedia |
西堀 栄三郎(にしぼり えいざぶろう、1903年(明治36年)1月28日 - 1989年(平成元年)4月13日)は、日本の登山家、無機化学者、技術者。従四位。 | ||
158 | 大久保武雄 熊本市 | Wikipedia |
大久保 武雄(おおくぼ たけお、1903年11月24日 - 1996年10月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。俳人でもあり、俳号は大久保橙青(おおくぼ とうせい)と言う。勲一等瑞宝章。 | ||
東京帝国大学出身 出身の 東京帝国大学の出身者 全国の 東京帝国大学の出身者 | ||
159 | 石山健二郎 | Wikipedia |
石山 健二郎(いしやま けんじろう、本名;石山 繁一、1903年10月10日 - 1976年5月10日)は、日本の俳優。広島県広島市生まれ。息子は石山輝夫。旧制私立修道中学校卒業。 | ||
160 | 松尾静麿 | Wikipedia |
松尾 靜麿(まつお しずま、1903年2月17日 - 1972年12月31日)は、元運輸省航空庁長官および元日本航空社長・会長。佐賀県杵島郡若木村(後の武雄市)出身。連合国軍最高司令官総司令部によって航空事業が壊滅的な打撃を受けた中、民間航空の再建に取り組んだことから戦後日本航空業界の父と言われる。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
161 | 三上章 | Wikipedia |
三上 章(みかみ あきら、1903年1月26日 - 1971年9月16日)は、日本の言語学者。 | ||
162 | 深田久弥 加賀市 | Wikipedia |
深田 久弥(深田 久彌、ふかた きゅうや、1903年3月11日 - 1971年3月21日)は、石川県大聖寺町(現在の加賀市)生まれの小説家(随筆家)及び登山家である。 | ||
163 | 石田和外 | Wikipedia |
石田 和外(いしだ かずと、明治36年(1903年)5月20日 - 昭和54年(1979年)5月9日)は、日本の裁判官(第5代最高裁判所長官)、剣道家(第2代全日本剣道連盟会長、一刀正伝無刀流第5代宗家)。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
164 | 葛西泰二郎 | Wikipedia |
葛西 泰二郎(かさい たいじろう、1903年4月17日 - 1974年2月9日)は、日本の機械工学者。工学博士。ラグビー日本代表監督 | ||
165 | 辛島驍 | Wikipedia |
辛島 驍(からしま たけし、1903年 - 1967年4月27日)は、中国文学者、東大文学博士。 | ||
166 | 清澤又四郎 | Wikipedia |
清澤 又四郎(きよさわ またしろう、1903年1月20日 - 2001年7月4日)は、日本の眼科医。日本医師会副会長、福岡県医師会会長。 | ||
167 | 大蔵栄一 | Wikipedia |
大蔵 栄一(おおくら えいいち、1903年9月11日 - 1979年1月29日)は、日本の陸軍軍人。二・二六事件当時の革新派青年将校の中心的人物。 | ||
168 | 中村能三 | Wikipedia |
中村 能三(なかむら よしみ、1903年9月30日 - 1981年3月5日)は、日本の翻訳家(英米文学)。福岡県生まれ。日本における初期の職業翻訳家の一人。 | ||
169 | 水上達三 | Wikipedia |
水上 達三(みずかみ たつぞう、1903年10月15日 - 1989年6月16日)は、日本の実業家。1977年勲一等瑞宝章。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
170 | 齊藤金作 | Wikipedia |
齊藤 金作(さいとう きんさく、1903年2月6日 - 1969年11月25日)は、日本の刑法学者。従四位勲三等旭日中綬章。埼玉県出身。 | ||
171 | サトウハチロー 新宿区 | Wikipedia |
サトウ ハチロー(1903年(明治36年)5月23日 - 1973年(昭和48年)11月13日)は、日本の詩人、童謡作詞家、作家。本名は佐藤 八郎(さとう はちろう)。多くの別名を用いており、陸奥速男、山野三郎、玉川映二、星野貞志、清水操六、清水士郎、清水洋一郎、並木せんざ、江川真夫、熱田房夫、倉仲佳人、倉仲房雄、などがある。旧制早稲田中学校(現早稲田中学校・高等学校)中退。作家の佐藤愛子は異母妹にあたる。 | ||
172 | 古川緑波 | Wikipedia |
古川 ロッパ(ふるかわ ろっぱ 、古川 緑波とも、1903年(明治36年)8月13日 - 1961年(昭和36年) 1月16日)は、1930年代の日本の代表的コメディアン。編集者、エッセイストとしても活動した。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
173 | 中野好夫 | Wikipedia |
中野 好夫(なかの よしお、1903年(明治36年)8月2日 - 1985年(昭和60年)2月20日)は、日本の英文学者、評論家。英米文学翻訳者の泰斗であり、訳文の闊達さでも知られている。 | ||
174 | 江戸英雄 つくば市 | Wikipedia |
江戸 英雄(えど ひでお、1903年7月17日 - 1997年11月13日)は、日本の実業家。三井不動産の復興に尽力し、社長、会長職、初代不動産協会理事長を務めた。また、東京ディズニーランド、筑波研究学園都市の建設にも力を注いだ。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |