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このサイトに登録されている「出身で1902年生まれ」の有名人の数:137人
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1 | 加藤進 | Wikipedia |
加藤 進(かとう すすむ、1902年8月10日 - 1993年11月10日)は、日本の昭和期の官僚。正三位勲一等瑞宝章。北海道札幌市出身。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
2 | 西田信一 | Wikipedia |
西田 信一(にしだ しんいち、1902年10月15日 – 2003年4月10日)は、昭和期の政治家(参議院議員3期)。苫小牧町長、北海道開発庁長官・科学技術庁長官を歴任する。1972年勲一等瑞宝章受章。北海道苫小牧市名誉市民(1988年)。 | ||
3 | 久保寺逸彦 雄武町 | Wikipedia |
久保寺 逸彦(くぼでら いつひこ、1902年9月10日 - 1971年11月5日)は、アイヌ文化およびアイヌ語の研究者。金田一京助の薫陶を受け、知里真志保、山田秀三と交友関係を持ち、ユーカラなどの口承文芸や宗教儀礼(儀式参照)の記録に多大な貢献を残した。墓所は多磨霊園。 | ||
國學院大學出身 出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
4 | 菊谷栄 青森市 | Wikipedia |
菊谷 栄(きくや さかえ 1902年11月26日 - 1937年11月9日)は青森県東津軽郡油川村大浜(現在の青森市)出身の画家、喜劇作家。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
5 | 野副鉄男 仙台市 | Wikipedia |
野副 鉄男(のぞえ てつお、1902年5月16日 - 1996年4月4日)は、日本の化学者、理学博士。台北帝国大学教授を経て、戦後、東北大学理学部教授、同大学名誉教授。文化勲章受章者、日本学士院会員、仙台市名誉市民(本籍地は東京都新宿区)。 | ||
東北帝国大学出身 出身の東北帝国大学の出身者 全国の東北帝国大学の出身者 | ||
6 | 平井弥之助 柴田町 | Wikipedia |
平井 弥之助(ひらい やのすけ、1902年(明治35年)5月16日 - 1986年(昭和61年)2月21日)は日本の電力土木技術者、電力事業経営者。昭和時代の電力開発に卓越した見識と強い使命感をもって貢献した。また女川原子力発電所等の建設にあたっては貞観地震、慶長三陸地震による大津波を考慮した適切な技術的助言を与えた。平井彌之助とも書く。 | ||
東北帝国大学出身 出身の東北帝国大学の出身者 全国の東北帝国大学の出身者 | ||
7 | 塩谷信男 | Wikipedia |
塩谷 信男(しおや のぶお、1902年3月24日 - 2008年3月14日)は、日本の医師、心霊研究者。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
8 | 笹原儀三郎 鶴岡市 | Wikipedia |
笹原 儀三郎(ささはら ぎさぶろう、1902年(明治35年) - 1994年(平成6年)9月6日)は、日本の教育者、郷土史家。栄典は、従四位・勲三等旭日中綬章。山形県鶴岡市出身。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
9 | 村上与市 | Wikipedia |
村上 与市(むらかみ よいち、1902年(明治35年) - 2005年(平成17年))は、日本の教育者。藤島町町長、栄典・称号は、勲四等旭日小綬章・藤島町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民) | ||
千葉大学出身 出身の千葉大学の出身者 全国の千葉大学の出身者 | ||
10 | 東野辺薫 | Wikipedia |
東野辺 薫(とうのべ かおる、1902年3月9日 - 1962年6月25日)は、作家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
11 | 吉田英三 | Wikipedia |
吉田 英三(よしだ ひでみ、1902年(明治35年)3月5日 - 1978年(昭和53年)4月24日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は海軍大佐、海将。 | ||
吉田英三出身 出身の吉田英三の出身者 全国の吉田英三の出身者 | ||
12 | 廣川弘禅 玉川村 | Wikipedia |
広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体:廣川 弘禪、1902年(明治35年)3月31日 - 1967年(昭和42年)1月7日)は、日本の政治家、僧侶、教育者。「弘禅」は曹洞宗の僧侶名で、本名は広川 弘(ひろかわ ひろし)。農林大臣、国務大臣行政管理庁長官、日本自由党総務会長を歴任した。正三位勲一等瑞宝章。 | ||
駒澤大学出身 出身の駒澤大学の出身者 全国の駒澤大学の出身者 | ||
13 | 斎藤達雄 江東区 | Wikipedia |
斎藤 達雄(さいとう たつお、1902年6月10日 - 1968年3月2日)は、日本の俳優、映画監督。 | ||
14 | 渡辺温 | Wikipedia |
渡辺 温(わたなべ おん、1902年(明治35年)8月26日 - 1930年(昭和5年)2月10日)は、日本の推理作家・幻想小説家。本名は温(ゆたか)。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
15 | 根本行都 | Wikipedia |
根本 行都(ねもと ゆきさと、1902年 - 没年不明)は、日本の野球選手・監督。東京都出身。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
16 | 吉野秀雄 高崎市 | Wikipedia |
吉野 秀雄(よしの ひでお、1902年(明治35年)7月3日 - 1967年(昭和42年)7月13日)は、近代日本の歌人、書家、文人墨客。号は艸心。多病に苦しみながら独自の詠風で境涯の歌を詠んだ。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
17 | 桑原鶴 | Wikipedia |
桑原 鶴(くわばら つる、1902年12月25日 - 1969年7月28日)は、日本の外交官・文筆家。国体明徴運動の指導者のひとりとして知られる。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
18 | 山口文象 大田区 | Wikipedia |
山口 文象(やまぐち ぶんぞう、男性、1902年1月10日 - 1978年5月19日)は、1930年代から60年代にかけて活躍した、近代日本建築運動のリーダーのひとりであり、モダニズム建築デザインと同時に和風建築の名手であった建築家。 | ||
19 | 滝沢英輔 | Wikipedia |
滝沢 英輔(瀧澤 - 、たきざわ えいすけ、1902年9月6日 - 1965年11月29日)は、日本の映画監督、脚本家である。本名瀧澤 憲( - けん)名義で大正末期に脚本家としてスタート、俳優兼助監督として脚本も手がけ、「英輔」名義で監督となった。第二次世界大戦前の京都にかつて存在した脚本家集団「鳴滝組」に参加、映画史に名を残す。マキノ正博、山中貞雄との共同作業、戦後の女性映画・青春映画でも知られる。 | ||
20 | 小川芳樹 | Wikipedia |
小川 芳樹(おがわ よしき、1902年3月29日 - 1959年3月27日)は、昭和期の冶金学者・金属工学者。東京府(現:東京都)出身。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
21 | 齋藤秀雄 千代田区 | Wikipedia |
齋藤 秀雄(さいとう ひでお、1902年5月23日 - 1974年9月18日)は、東京府出身の日本のチェロ奏者、指揮者、音楽教育者として活躍した音楽家である。 | ||
上智大学出身 出身の上智大学の出身者 全国の上智大学の出身者 | ||
22 | 郡祐一 | Wikipedia |
郡 祐一(こおり ゆういち、1902年(明治35年)3月16日 - 1983年(昭和58年)12月28日)は、日本の政治家、官僚。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
23 | 江川宇礼雄 横浜市 | Wikipedia |
江川 宇礼雄(えがわ うれお、1902年(明治35年)5月7日 - 1970年(昭和45年)5月20日)は、日本の俳優、映画監督、脚本家。本名はウィリー・メラー(後に江川 ウレオ)。愛称は「ウレシュウ」。 | ||
24 | 初瀬乙羽 | Wikipedia |
初瀬 音羽子(はつせ おとわこ、1902年(明治35年)2月7日 - 1993年(平成5年)9月19日)は、宝塚少女歌劇団元月組男役・元月組組長の女優。本名:村田八重。旧姓:東海林。秋田県出身。入団時の芸名は初瀬乙羽子(はつせ・おとわこ)。 この芸名は小倉百人一首の第33番:源俊賴の『憂かりける 人を初瀨の 山颪よ 激しかれとは 祈らぬものを (うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを)』から命名された。 | ||
25 | 伏見朝子 | Wikipedia |
伏見 朝子(ふしみ ときこ、1902年(明治35年)6月20日 - 1971年(昭和46年)4月3日)は、公爵・一条実輝の三女で、伏見宮博恭王第一王子・博義王の妃。 | ||
26 | 斎藤達雄 江東区 | Wikipedia |
斎藤 達雄(さいとう たつお、1902年6月10日 - 1968年3月2日)は、日本の俳優、映画監督。 | ||
27 | 直良信夫 出雲市 | Wikipedia |
直良 信夫(なおら のぶお、1902年1月1日 - 1985年11月2日)は、日本の考古学者、動物考古学者、古生物学者、文学博士。 | ||
28 | 広川弘禅 | Wikipedia |
広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体:廣川 弘禪、1902年(明治35年)3月31日 - 1967年(昭和42年)1月7日)は、日本の政治家、僧侶、教育者。「弘禅」は曹洞宗の僧侶名で、本名は広川 弘(ひろかわ ひろし)。農林大臣、国務大臣行政管理庁長官、日本自由党総務会長を歴任した。正三位勲一等瑞宝章。 | ||
駒澤大学出身 出身の駒澤大学の出身者 全国の駒澤大学の出身者 | ||
29 | 出羽ヶ嶽文治郎 上山市 | Wikipedia |
出羽ヶ嶽 文治郎(でわがたけ ぶんじろう、1902年12月20日 - 1950年6月9日)は、山形県南村山郡(現:山形県上山市)出身の元大相撲力士。本名は斎藤 文次郎(さいとう ぶんじろう)(旧姓:佐藤)。 | ||
30 | 秩父宮雍仁親王 | Wikipedia |
秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう、1902年(明治35年)6月25日 - 1953年(昭和28年)1月4日)は、日本の皇族。大正天皇と貞明皇后(同日の誕生日であった)の第二皇子。昭和天皇の弟宮、今上天皇の叔父にあたる。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
31 | 久邇邦久 | Wikipedia |
久邇 邦久(くに くにひさ、1902年(明治35年)3月10日 - 1935年(昭和10年)3月4日)は、日本の華族、陸軍軍人。陸軍歩兵大尉。侯爵。久邇宮邦彦王の第二王子。香淳皇后の次兄。 | ||
32 | 小笠原章二郎 | Wikipedia |
小笠原 章二郎(おがさわら しょうじろう、1902年7月26日 - 1974年11月10日)は日本の俳優。本名は小笠原 長英(おがさわら ながふさ)。 | ||
33 | 栗原美能留 松本市 | Wikipedia |
栗原 美能留(くりはら みのる、1902年(明治35年)7月31日 - 1997年(平成9年)4月24日)は、日本の内務官僚。官選高知県知事。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
34 | 山上八郎 | Wikipedia |
山上 八郎(やまがみ はちろう、1902年(明治35年)2月5日 - 1980年(昭和55年)4月15日)は、日本の歴史学者、軍事学者。特に日本の甲冑についての研究で名を知られる。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
35 | 冲中重雄 | Wikipedia |
冲中 重雄(おきなか しげお、1902年10月8日 - 1992年4月20日)は、内科学者。石川県金沢市生まれ。東京大学名誉教授、元日本学士院会員。日本学士院恩賜賞受賞、文化勲章及び勲一等瑞宝章受章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
36 | 荒尾興功 | Wikipedia |
荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年3月18日 - 1974年8月22日)は、日本の陸軍軍人、官僚。最終階級は陸軍大佐。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
37 | 鳴山草平 都留市 | Wikipedia |
鳴山 草平(なるやま そうへい、1902年(明治35年)5月30日 - 1972年(昭和47年)3月7日)は、日本の小説家。本名は前田好照。昭和初期に時代小説を数多く手がけるほか、自身の教師体験をもとにしたを「きんぴら先生」シリーズで知られる。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
38 | 山本安英 | Wikipedia |
山本 安英(やまもと やすえ、1902年12月29日 - 1993年10月20日)は、東京・神田出身の新劇女優であり・朗読家である。築地小劇場の創立第一期メンバーでもある。 | ||
39 | 鳥海青児 | Wikipedia |
鳥海 青児(ちょうかい せいじ、1902年3月4日 - 1972年6月11日)は、神奈川県平塚市生まれの洋画家。本名は正夫。茶色を基調とした渋い色調の絵具を多用し、土壁のような絵肌の単純化された構図の作品を数多く制作した。 | ||
関西大学出身 出身の関西大学の出身者 全国の関西大学の出身者 | ||
40 | 加賀山之雄 大野市 | Wikipedia |
加賀山 之雄(かがやま ゆきお、1902年12月30日 - 1970年8月7日)は、日本の鉄道官僚、第2代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1949年-1951年)。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
41 | 金子文六 甲府市 | Wikipedia |
金子 文六(かねこ ぶんろく、1902年-1991年)は、日本の法学者・元裁判官・元外交官。専門は、民事手続法(民事訴訟法・民事執行法・民事保全法)。法学博士(中央大学)。中央大学名誉教授。 | ||
42 | 櫻井和市 | Wikipedia |
桜井 和市(さくらい わいち、1902年(明治35年)7月11日 - 1986年(昭和61年)1月12日)は、日本のドイツ語学者。長野県南佐久郡岸野村(現佐久市)生まれ。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
43 | 吉川清一 松本市 | Wikipedia |
吉川 清一(よしかわ せいいち、1902年10月20日 - 1990年9月20日)は日本の実業家。清水建設元社長。長野県松本市生まれ。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
44 | 島村信政 松本市 | Wikipedia |
島村 信政(しまむら のぶまさ、1902年(明治35年)8月7日 - 1944年(昭和19年)4月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中佐。殉職後は海軍大佐。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
45 | 浦辺粂子 下田市 | Wikipedia |
浦辺 粂子(うらべ くめこ、1902年10月5日 - 1989年10月26日)は日本の女優。本名は木村 くめ。 | ||
46 | 冨澤有爲男 第4回芥川賞受賞大分市 | Wikipedia |
冨澤 有爲男(とみさわ/とみざわ ういお、1902年3月29日 - 1970年1月15日)は作家、画家。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
47 | 永江一夫 | Wikipedia |
永江 一夫(ながえ かずお、1902年(明治35年)2月1日 - 1980年(昭和55年)4月23日)は、日本の政治家。農林大臣(第9代)、民社党副書記長を務めた。岐阜県出身。関西学院高等商業部(現在の関西学院大学)卒業。長男の永江一仁も民社党衆議院議員をつとめた。 | ||
関西学院大学出身 出身の関西学院大学の出身者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
48 | 新庄博 | Wikipedia |
新庄 博(しんじょう ひろし、1902年8月16日 - 1978年11月17日)は、日本の経済学者。 神戸大学経済学部教授、関西学院大学商学部教授。専攻は金融論、国際金融論。神戸高等商業学校卒業後、東京商科大学(現一橋大学)に入り、高垣寅次郎のもとで金融論を専攻。1928年(昭和3年)に卒業し、神戸高等商業学校講師となる。その後、同校の昇格に伴い神戸商業大学助教授、神戸経済大学教授、神戸大学経済学部教授として勤務。門下生には則武保夫元神戸大学教授、千田純一元名古屋大学教授、片山貞雄元滋賀大学教授などがいる。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
49 | 上村松篁 | Wikipedia |
上村 松篁(うえむら しょうこう、1902年(明治35年)-2001年(平成13年))は日本画家。 | ||
京都市立芸術大学出身 出身の京都市立芸術大学の出身者 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
50 | 宇城カ子 神石郡神石町 | Wikipedia |
宇城 カ子(うしろ かね、1902年(明治35年)2月6日 - 2003年(平成15年)12月8日)は、日本の教育者。東筑紫学園、学校法人東筑紫学園創設者。広島県神石郡神石町(現在の神石高原町)生まれ。 | ||
51 | 和達清夫 | Wikipedia |
和達 清夫(わだち きよお、1902年(明治35年)9月8日 - 1995年(平成7年)1月5日)は、愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。地震のエネルギーを現すマグニチュードは、和達の研究がヒントになって作られたものである。また深発地震を発見したことでも知られ、和達-ベニオフ帯に和達の名が今も残っている。子に物理学者・和達三樹がいる。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
52 | 河盛好蔵 | Wikipedia |
河盛 好蔵(かわもり よしぞう、1902年10月4日 - 2000年3月27日)は、日本のフランス文学者・評論家。仏文学者としてはモラリストの著作を日本に紹介した。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
53 | 横溝正史 神戸市 | Wikipedia |
横溝 正史(よこみぞ せいし、1902年(明治35年)5月24日 - 1981年(昭和56年)12月28日)は、日本の小説家、推理作家である。本名は同字で「よこみぞ まさし」。当初は筆名も同じ読みであったが、誤読した作家仲間にヨコセイと渾名されているうちに、セイシをそのまま筆名とした。兵庫県神戸市東川崎(現在の中央区、神戸ハーバーランド界隈)生まれ。 | ||
二松學舍大学出身 出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
54 | 小宮孝 | Wikipedia |
小宮 孝(こみや たかし、1902年-1975年)は、日本の経済学者。関西学院高等商業学部教授、関西学院大学経済学部教授、同学院院長などを歴任した。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
55 | 小宮孝 | Wikipedia |
小宮 孝(こみや たかし、1902年-1975年)は、日本の経済学者。関西学院高等商業学部教授、関西学院大学経済学部教授、同学院院長などを歴任した。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
56 | 新谷寅三郎 | Wikipedia |
新谷 寅三郎(しんたに とらさぶろう、1902年(明治35年)10月30日 – 1984年(昭和59年)12月16日)は、昭和期の政治家・官僚。郵政大臣・運輸大臣。1974年勲一等旭日大綬章受章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
57 | 淵田美津雄 葛城市 | Wikipedia |
淵田 美津雄(ふちだ みつお、1902年(明治35年)12月3日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の海軍軍人、キリスト教伝道者。海軍兵学校52期。最終階級は海軍大佐。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
58 | 矢部貞治 鳥取市 | Wikipedia |
矢部 貞治(やべ ていじ、明治35年(1902年)11月9日 - 昭和42年(1967年)5月7日)は、日本の政治学者、評論家。東京帝国大学法学部教授、拓殖大学総長などを歴任した。従三位勲一等。政治学博士。旧姓横山。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
59 | 生住正信 | Wikipedia |
生住 正信(いけずみ まさのぶ、明治35年(1902年)7月28日 - 昭和41年(1966年))は日本の教育者。 | ||
60 | 山内以九士 | Wikipedia |
山内 以九士(やまのうち いくじ、1902年3月31日 - 1972年6月3日)は、日本の野球公式記録員。日本プロ野球の規則や記録の整理・研究に貢献した人物である。本名・山内 育二。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
61 | 山本栄一郎 松江市 | Wikipedia |
山本 栄一郎(やまもと えいいちろう、1902年(明治35年)3月8日 - 1979年(昭和54年)12月15日)は日本のプロ野球選手。日本初のプロ野球球団である日本運動協会で主将を務め、後に東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)にも入団した。右投げ右打ちで、守備位置は投手を中心に捕手以外のほぼ全て。投法はサイドスローであった。 | ||
62 | 北村隆 | Wikipedia |
北村 隆(きたむら たかし、1902年(明治35年)4月19日 - 1982年(昭和57年)8月4日)は、日本の官僚。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
63 | 小野吉郎 広島市 | Wikipedia |
小野 吉郎(おの きちろう、1902年1月2日 - 2006年4月)は、昭和期の逓信官僚。元郵政事務次官、日本放送協会(NHK)第11代会長。広島県広島市出身。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
64 | 薄田太郎 広島市 | Wikipedia |
薄田 太郎(すすきだ たろう、1902年11月1日 - 1967年4月23日)はNHKの元アナウンサー、郷土史家、大衆芸能評論家。NHK広島局の初代アナウンサーであり、戦前の広島市の大衆文化史を記録した『がんす横丁』の著者として知られる。 | ||
65 | 猪熊弦一郎 高松市 | Wikipedia |
猪熊 弦一郎(いのくま げんいちろう、1902年12月14日 - 1993年5月17日)は、昭和期の洋画家。新制作協会創立会員。 | ||
東京美術学校出身 出身の東京美術学校の出身者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
66 | 前川孫二郎 三豊市 | Wikipedia |
前川 孫二郎(まえかわ まごじろう、1902年2月6日 - 1971年2月2日 )は、日本の医学者。博士(医学)。京都大学名誉教授。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
67 | 渡部喜十郎 | Wikipedia |
渡部 喜十郎(わたなべ きじゅうろう、1902年(明治35年)3月20日 – 2004年(平成16年)10月11日)は、第22代日本弁護士連合会会長。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
68 | 山岡榮 | Wikipedia |
山岡 榮(やまおか さかえ、1902年(明治35年)10月23日 - 1930年(昭和5年)5月9日)は、日本の教員。 | ||
69 | 富澤赤黄男 八幡浜市 | Wikipedia |
富澤 赤黄男(とみざわ かきお、1902年7月14日 - 1962年3月7日)は愛媛県出身の俳人。本名富澤正三(とみざわ しょうぞう)。新興俳句の担い手として、現代詩の一分野としてのモダニズム俳句を追求した。代表句に「蝶墜ちて大音響の結氷期」がある。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
70 | 上林暁 | Wikipedia |
上林 暁(かんばやし あかつき、1902年(明治35年)10月6日 - 1980年(昭和55年)8月28日)は、日本の小説家である。高知県西部の幡多郡出身。本名は、徳廣巌城(とくひろ いわき)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
71 | 鶴田知也 北九州市 | Wikipedia |
鶴田 知也(つるた ともや、1902年2月19日 - 1988年4月1日)は日本の小説家。 | ||
72 | 毛里英於菟 | Wikipedia |
毛里 英於菟(もうり ひでおと、1902年(明治35年)2月16日 - 1947年(昭和22年)2月23日)は、大蔵官僚。革新官僚を代表する一人であり、またそのイデオローグ・政策立案者として活躍した。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
73 | 馬場義続 | Wikipedia |
馬場 義続(ばば よしつぐ、1902年11月3日 - 1977年2月24日)は、日本の検察官。元検事総長。子に馬場義宣(弁護士、学習院大法科大学院教授、元最高検公安部長、法務省保護局長)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
74 | 柴田敬 | Wikipedia |
柴田 敬(しばた けい、1902年9月2日 - 1986年5月22日)は、日本の経済学者。 | ||
山口大学出身 出身の山口大学の出身者 全国の山口大学の出身者 | ||
75 | 福地周夫 | Wikipedia |
福地 周夫(ふくち かねお、1902年(明治35年)6月5日 - 1996年)は、日本の海軍軍人。珊瑚海海戦及び南太平洋海戦に「翔鶴」運用長として参戦し、その被害の局限化に成功した海軍大佐である。戦後は著作家としても活動した。 | ||
76 | 松野賢吾 八代市 | Wikipedia |
松野 賢吾 (まつの けんご、1902年 - 1993年)は、日本の経済学者。松野新次郎の長男。 熊本県八代市生まれ、神奈川県湯河原で逝去。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
77 | 木梨鷹一 臼杵市 | Wikipedia |
木梨 鷹一(きなし たかかず、1902年(明治35年)3月7日 - 1944年(昭和19年)7月26日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。太平洋戦争において日本海軍を代表する潜水艦長のひとり。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
78 | 鹿島俊策 | Wikipedia |
鹿島 俊策(かしま しゅんさく、1902年9月25日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[4][5][6][7]。本名恵良 俊二郎(えら しゅんじろう)、旧芸名鹿島 陽之助(かしま ようのすけ)。一部鹿島 俊作という表記もみられる。 | ||
79 | 入佐俊家 | Wikipedia |
入佐 俊家(いりさ としいえ、1902年(明治35年)4月26日 - 1944年(昭和19年)6月19日)は、日本の海軍軍人(海兵52期卒)。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
80 | 小園安名 南九州市 | Wikipedia |
小園 安名(こぞの やすな、1902年(明治35年)11月1日 - 1960年(昭和35年)11月25日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校第51期卒業。最終階級は海軍大佐剥奪。 | ||
81 | 渡名喜守定 | Wikipedia |
渡名喜 守定(となき しゅてい、1902年2月5日 - 1993年2月1日)は、日本の海軍軍人。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
82 | 山里永吉 | Wikipedia |
山里 永吉(やまざと えいきち 1902年8月18日 - 1989年5月5日)は、沖縄の画家、作家。 沖縄県生まれ。日本美術学校中退。田河水泡、村山知義と交わる。『マヴォ』同人。1927年沖縄に帰り、脚本や新聞小説を執筆。戦後は琉球博物館長、琉球芸能連盟会長。脚本に「首里城明渡し」などがある。 | ||
83 | 高倉新一郎 帯広市 | Wikipedia |
高倉 新一郎(たかくら しんいちろう、1902年11月23日 - 1990年6月7日)は、日本の農業経済学者、歴史学者。北海道大学名誉教授。農業経済学・北海道史・アイヌ文化史を専攻。農学博士(北海道帝国大学、1945年)(学位論文「アイヌ政策史」)。北海道帯広市出身。父は十勝の産業振興に尽くした実業家で、北海道議会議員も務めた高倉安次郎。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
84 | 市原豊太 | Wikipedia |
市原 豊太(市原 豐太、いちはら とよた、1902年6月22日 - 1990年8月14日)は、日本のフランス文学者、随筆家。東京生まれ。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
85 | 菊池正士 | Wikipedia |
菊池 正士(きくち せいし、1902年(明治35年)8月25日 - 1974年(昭和49年)11月12日)は、日本の原子物理学の第一人者として知られた物理学者。元大阪大学教授。日本学士院会員。文化勲章、勲一等瑞宝章受章者。贈正三位(没時叙位)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
86 | 坪井忠二 | Wikipedia |
坪井 忠二(つぼい ちゅうじ、1902年(明治35年)9月9日 - 1982年(昭和57年)11月19日)は日本の男性地球物理学者、随筆家。東京大学名誉教授。理学博士で、寺田寅彦の弟子として知られている。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
87 | 田中美知太郎 新潟市 | Wikipedia |
田中 美知太郎(たなか みちたろう、1902年(明治35年)1月1日 - 1985年(昭和60年)12月18日)は、日本の哲学者、西洋古典学者。京都大学名誉教授。文学博士(1950年)。 | ||
上智大学出身 出身の上智大学の出身者 全国の上智大学の出身者 | ||
88 | 和達清夫 | Wikipedia |
和達 清夫(わだち きよお、1902年(明治35年)9月8日 - 1995年(平成7年)1月5日)は、愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。地震のエネルギーを現すマグニチュードは、和達の研究がヒントになって作られたものである。また深発地震を発見したことでも知られ、和達-ベニオフ帯に和達の名が今も残っている。子に物理学者・和達三樹がいる。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
89 | 奥村竹之助 | Wikipedia |
奥村 竹之助(おくむら たけのすけ、1902 - 1960年4月1日)は、日本の元ラグビー選手。主なポジションはセカンドロー(LO)。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
90 | 山縣勝見 西宮市 | Wikipedia |
山縣 勝見(やまがた かつみ、1902年(明治35年)2月18日 - 1976年(昭和51年)10月29日)は、日本の実業家、政治家。辰馬財閥の大番頭。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
91 | 河上徹太郎 長崎市 | Wikipedia |
河上 徹太郎(かわかみ てつたろう、1902年(明治35年)1月8日 - 1980年(昭和55年)9月22日)は日本の文芸評論家、音楽評論家である。日本芸術院会員、文化功労者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
92 | 五所平之助 千代田区 | Wikipedia |
五所 平之助(ごしょ へいのすけ、1902年1月24日 - 1981年5月1日)は、日本の映画監督、脚本家、俳人。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。本名は五所 平右衛門(ごしょ へいえもん)。俳号は五所亭。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
93 | 岩田誠 | Wikipedia |
岩田 誠(いわた まこと、1902年11月26日 - 1985年2月9日)は最高裁判所判事。東京都出身。 | ||
94 | 正田建次郎 | Wikipedia |
正田 建次郎(しょうだ けんじろう、1902年(明治35年)2月25日 - 1977年(昭和52年)3月20日)は、日本の数学者。専門は代数学。群馬県邑楽郡館林町(現・群馬県館林市)出身。勲一等瑞宝章、文化勲章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
95 | 長澤規矩也 | Wikipedia |
長沢 規矩也(ながさわ きくや、1902年(明治35年)5月14日 - 1980年(昭和55年)11月21日)は、日本の中国文学者、書誌学者。号は静あん。書斎号は学書言志軒。 | ||
96 | 迫水久常 鹿児島市 | Wikipedia |
迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月5日 - 1977年(昭和52年)7月25日)は、日本の大蔵官僚、弁護士、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 いわゆる「玉音放送」を起草した人物の一人として知られる。 内閣書記官長(第51代)、総合計画局長官、貴族院議員、衆議院議員(2期)、参議院議員(4期)、経済企画庁長官(第9・10代)、郵政大臣(第17代)、鹿児島工業短期大学学長(初代)などを歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
97 | 橋井真 | Wikipedia |
橋井 真(はしい まこと、1902年3月18日 - 1977年11月11日)は、日本の商工官僚。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
98 | 千頭暎臣 | Wikipedia |
千頭 暎臣(ちかみ てるおみ、1902年(明治35年)8月11日 - 1983年(昭和58年)2月27日)は、元三菱信託銀行社長、会長。 | ||
99 | 渡辺要 | Wikipedia |
渡辺 要(わたなべ かなめ、1902年1月11日 - 1971年8月21日)は、日本の建築学者。 | ||
100 | 中村栄孝 | Wikipedia |
中村 栄孝(なかむら ひでたか、1902年5月1日-1984年1月4日)は、大正・昭和期の歴史学者。 | ||
101 | 岡義武 | Wikipedia |
岡 義武(おか よしたけ、1902年10月21日 - 1990年10月5日)は、日本の政治学者、東京大学名誉教授。専門は、政治史、日本政治史。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
102 | 山内恭彦 | Wikipedia |
山内 恭彦(やまのうち たかひこ、1902年7月2日 - 1986年10月14日)は、日本の理論物理学者。東京大学名誉教授。理学博士(東京帝国大学、1938年)。神奈川県生まれ。祖父は山内堤雲(六三郎)。 | ||
103 | 小林秀雄 千代田区 | Wikipedia |
小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月11日 - 1983年(昭和58年)3月1日)は、日本の文芸評論家、編集者、作家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
104 | 河上徹太郎 | Wikipedia |
河上 徹太郎(かわかみ てつたろう、1902年(明治35年)1月8日 - 1980年(昭和55年)9月22日)は日本の文芸評論家、音楽評論家である。日本芸術院会員、文化功労者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
105 | 飯島正 | Wikipedia |
飯島 正(いいじま ただし、1902年3月5日 - 1996年1月5日)は、日本の映画評論家・詩人。旧姓:吉田。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
106 | 蔵原惟人 | Wikipedia |
蔵原 惟人(くらはら これひと、1902年(明治35年)1月26日 - 1991年(平成3年)1月25日)は、日本の評論家である。ペンネームは古川荘一郎。駄じゃれが好きという一面もある。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
107 | 山口文象 大田区 | Wikipedia |
山口 文象(やまぐち ぶんぞう、男性、1902年1月10日 - 1978年5月19日)は、1930年代から60年代にかけて活躍した、近代日本建築運動のリーダーのひとりであり、モダニズム建築デザインと同時に和風建築の名手であった建築家。 | ||
108 | 牧野茂 名古屋市 | Wikipedia |
牧野 茂(まきの しげる、1902年(明治35年)8月9日 - 1996年(平成8年)8月30日)は、日本海軍の技術将校。最終階級は海軍技術大佐。愛知県名古屋市出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
109 | 西竹一 | Wikipedia |
西 竹一(にし たけいち、1902年7月12日 - 1945年3月22日)は、日本の陸軍軍人、華族(男爵)。最終階級は陸軍大佐。愛称・通称はバロン西(バロン・ニシ、Baron Nishi)。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
110 | 石丸重治 | Wikipedia |
石丸 重治(いしまる じゅうじ、1902年(明治35年)5月12日 - 1968年(昭和43年)12月12日)は、美術評論家。慶應義塾大学教授(法科)。 | ||
111 | 久邇邦久 | Wikipedia |
久邇 邦久(くに くにひさ、1902年(明治35年)3月10日 - 1935年(昭和10年)3月4日)は、日本の華族、陸軍軍人。陸軍歩兵大尉。侯爵。久邇宮邦彦王の第二王子。香淳皇后の次兄。 | ||
112 | 原圭一郎 | Wikipedia |
原 圭一郎(原 奎一郎、はら けいいちろう、1902年7月20日 - 1983年7月24日)は、日本の伝記作家。本名:貢。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
113 | 臼井荘一 千葉市 | Wikipedia |
臼井 荘一(うすい そういち、1902年(明治35年)7月26日 - 1987年(昭和62年)10月18日)は、日本の政治家、実業家である。千葉興行二代目社長。衆議院議員(8期)。栄典は勲一等瑞宝章、千葉市名誉市民。学位は商学士(早稲田大学)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
114 | 福田一 | Wikipedia |
福田 一(ふくだ はじめ、1902年4月1日 - 1997年9月2日)は、日本の政治家。自民党衆議院議員、第62代衆議院議長(在任期間・1980年7月17日-1983年11月28日)。自民党では大野伴睦→船田中派に属した後に、無派閥。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
115 | 西川寧 | Wikipedia |
西川 寧(にしかわ やすし、1902年(明治35年)1月25日 - 1989年(平成元年)5月16日)は、20世紀を代表する日本の書家、金石学者、中国文学者、文学博士(慶應義塾大学)。字は安叔。号は靖闇。贈正三位(没時叙位)、贈勲一等瑞宝章(没時陞叙)。 | ||
116 | 木倉和一郎 佐倉市 | Wikipedia |
木倉 和一郎(きくら わいちろう、1902年(明治35年) - 1994年(平成6年))は、日本の政治家(衆議院議員)。千葉県弓道連盟初代会長。初代佐倉市長。経済界でも活躍。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
117 | 宇野利雄 佐倉市 | Wikipedia |
宇野 利雄(うの としお、1902年4月8日 - 1998年11月29日)は、日本の数学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
118 | 小堀四郎 | Wikipedia |
小堀 四郎(こぼり しろう、1902年7月20日 - 1998年8月9日)は、日本の油彩画家。愛知県名古屋市中区南呉服町生まれ。小堀遠州の子孫。 | ||
119 | 宮森和夫 三原市 | Wikipedia |
宮森 和夫(みやもり かずお、1902年9月17日 - 1988年1月9日)は、日本の実業家。元丸善石油(現コスモ石油)社長、会長。広島県三原市出身。1971年、藍綬褒章受章。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
120 | 玉井浅一 | Wikipedia |
玉井 浅一(たまい あさいち、1902年12月25日 - 1964年12月10日)は、日本の海軍軍人。海兵52期。最終階級は海軍大佐。 | ||
121 | 今西錦司 | Wikipedia |
今西 錦司(いまにし きんじ、1902年1月6日 - 1992年6月15日)は、日本の生態学者、文化人類学者、登山家。京都大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。日本の霊長類研究の創始者として知られる。理学博士(京都帝国大学、1939年)。京都府出身。 | ||
122 | 田坂具隆 | Wikipedia |
田坂 具隆(たさか ともたか、明治35年(1902年)4月14日 - 昭和49年(1974年)10月17日)は、日本の映画監督。広島県出身。 | ||
123 | 大内義直 | Wikipedia |
大内 義直(おおうち よしなお、明治35年(1902年)6月20日 - 昭和47年(1972年)12月3日)は、広島県の教育者、浄土真宗本願寺派僧侶。広島女子商学園第5代校長を務めた。 | ||
124 | 八幡一郎 | Wikipedia |
八幡一郎(やわた いちろう、1902年4月14日 - 1987年10月26日)は日本の考古学者。 専攻は縄文時代、民具の研究。 | ||
125 | 実松譲 | Wikipedia |
実松 譲(さねまつ ゆずる、1902年(明治35年)11月20日 - 1996年(平成8年)12月20日)は、日本の海軍軍人、著作家。米内光政海相時代の大臣秘書官や、駐米大使館附武官補佐官を務め、太平洋戦争においては情報解析に実績を残す。海軍大佐で終戦を迎え11年半の巣鴨プリズン生活をおくった後は主として海軍関係の書を著し、刊行数は100点近くにおよんだ。 | ||
126 | 杉山茂 | Wikipedia |
杉山 茂(すぎやま しげる、1902年(明治35年)4月28日 - 1982年(昭和57年)1月29日)は、日本の陸軍軍人及び陸上自衛官。陸士36期、陸大45期。第2代陸上幕僚長。戦後、服部卓四郎他からの勧めで東條英機の娘、東條光枝と結婚する。 | ||
127 | 小林正次 府中市他 | Wikipedia |
小林 正次(こばやし まさつぐ、1902年8月16日 - 1975年10月31日)は、日本の技術者、工学博士。元日本電気(NEC)専務取締役。元慶應義塾大学工学部教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
128 | 紙恭輔 広島市 | Wikipedia |
紙 恭輔(かみ きょうすけ、1902年9月3日 - 1981年3月24日)は、日本初の本格的ジャズプレーヤー。作曲家、指揮者。日本のジャズ・軽音楽・映画音楽の草分け[3][4][5]。広島県広島市大手町(現在の同市中区大手町)生まれ[6]。岳父は貴族院議員男爵、日本橋簡易商業夜学校(現在の中央学院大学)初代校長南岩倉具威。 | ||
129 | 中野重治 | Wikipedia |
中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月25日 - 1979年(昭和54年)8月24日)は、日本の小説家、詩人、評論家、政治家。福井県坂井市出身。東京帝国大学文学部独文科卒。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
130 | 皆吉爽雨 | Wikipedia |
皆吉 爽雨(みなよし そうう、1902年2月7日 - 1983年6月29日)は、福井県出身の俳人。本名・大太郎。福井市上宝永町に生まれ、丸岡町、三国町に育つ。福井中学校(現福井県立藤島高等学校)卒業。1919年、住友電気工業に入社。「ホトトギス」に投句し高浜虚子に師事する。1922年、「山茶花」創刊に参加。1936年、「山茶花」選者。1945年に上京、1946年に「雪解」を創刊・主宰。1967年、句集『三露』などの功績より第1回蛇笏賞受賞。1979年、勲四等旭日章受章。俳人協会副会長を務めた。 | ||
131 | 吉田正俊 | Wikipedia |
吉田 正俊(よしだ まさとし、1902年4月30日 - 1993年6月23日)は、歌人、実業家。 | ||
132 | 田中稔男 | Wikipedia |
田中 稔男(たなか としお、1902年2月14日 - 1993年3月29日)は、日本の社会運動家。衆議院議員。 | ||
133 | 安永良徳 | Wikipedia |
安永 良徳(やすなが よしのり、1902年3月5日 - 1970年9月12日)は、昭和時代の彫刻家。福岡県美術協会理事長。 | ||
134 | 田坂定孝 | Wikipedia |
田坂 定孝(たさか さだたか、1902年 - 1990年7月22日)は日本の医学者、内科医。東京帝国大学卒業。新潟大学(新潟医科大学)教授、千葉大学教授、東京大学教授を歴任した。 | ||
135 | 山内清男 | Wikipedia |
山内 清男(やまのうち すがお、1902年1月2日 - 1970年8月29日)は、日本の考古学者。東京大学講師。成城大学教授。文学博士。 | ||
136 | 久保田貫一郎 | Wikipedia |
久保田 貫一郎 (くぼた かんいちろう、1902年3月2日 - 1977年7月14日)は、日本の外交官。外務省参与やカンボジア国最高顧問、駐南ベトナム大使を務めた。 | ||
137 | 筒井竹雄 | Wikipedia |
筒井 竹雄(つつい たけお、1902年(明治35年)5月20日 - 1968年(昭和43年)9月15日)は日本の官僚及び陸上自衛官。第2代陸上幕僚長。 |