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このサイトに登録されている「出身で1895年生まれ」の有名人の数:103人
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1 | 素木しづ | Wikipedia |
素木 しづ(しらき しづ、1895年3月26日 - 1918年1月27日)は日本の小説家。 | ||
2 | 椎熊三郎 | Wikipedia |
椎熊 三郎(しいくま さぶろう、1895年4月11日 - 1965年7月27日)は、日本の政治家。衆議院議員、衆議院副議長(第39代)、衆議院議院運営委員長(第10代)などを務めた。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
3 | 有末精三 | Wikipedia |
有末 精三(ありすえ せいぞう、1895年(明治28年)5月22日 - 1992年(平成4年)2月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
4 | 阿部豊 東松島市 | Wikipedia |
阿部 豊(あべ ゆたか、明治28年(1895年)2月2日 - 昭和52年(1977年)1月3日)は、ハリウッド無声映画期の俳優、また日本の映画監督。 | ||
5 | 板沢武雄 | Wikipedia |
板沢 武雄(いたざわ たけお、1895年1月5日 - 1962年7月15日)は、日本の歴史学者。元東京帝国大学教授、法政大学教授。日本近世史、日蘭貿易史を専門とする。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
6 | 内ヶ﨑贇五郎 富谷市 | Wikipedia |
内ヶ﨑 贇五郎(うちがさき うんごろう 1895年(明治28年)9月25日 – 1982年(昭和57年)9月22日)は、日本の実業家。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
7 | 八木沼丈夫 | Wikipedia |
八木沼 丈夫(やぎぬま たけお、1895年(明治28年) - 1944年(昭和19年)12月12日)は、日本の陸軍軍属、歌人。日中戦争(支那事変)において日本軍が本格的に宣撫官を導入するきっかけとなった人物。 | ||
8 | 谷萩那華雄 | Wikipedia |
谷萩 那華雄(やはぎ なかお、1895年(明治28年)8月9日 - 1949年(昭和24年)7月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9 | 鈴木九萬 | Wikipedia |
鈴木 九萬(すずき ただかつ、1895年(明治28年)4月27日 - 1987年(昭和62年)4月4日)は、日本の外交官。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
10 | 川上澄生 横浜市 | Wikipedia |
川上 澄生(かわかみ すみお、明治28年(1895年)4月10日 - 昭和47年(1972年)9月1日)は、日本の版画家。神奈川県出身。 | ||
11 | 蝋山政道 | Wikipedia |
蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者、政治家、お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
12 | 阪本牙城 | Wikipedia |
阪本 牙城(さかもと がじょう、1895年12月1日 - 1973年8月8日)は、日本の漫画家、水墨画家。本名・坂本雅城(さかもと まさき)。水墨画家としては阪本雅城を用いる。 | ||
13 | 金子光晴 | Wikipedia |
金子 光晴(かねこ みつはる、1895年(明治28年)12月25日 - 1975年(昭和50年)6月30日)は、愛知県海東郡越治村(現津島市)生まれの詩人。本名は安和。弟に詩人で小説家の大鹿卓がいる。妻も詩人の森三千代、息子に翻訳家の森乾。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
14 | 多忠亮 | Wikipedia |
多 忠亮(おおの ただすけ、1895年(明治28年)5月3日 - 1929年(昭和4年)12月3日)は、大正期のヴァイオリン奏者・作曲家。 | ||
東京藝術大学出身 出身の東京藝術大学の出身者 全国の東京藝術大学の出身者 | ||
15 | 中西悟堂 | Wikipedia |
中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人。文化功労者。天台宗僧侶。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 | ||
駒澤大学出身 出身の駒澤大学の出身者 全国の駒澤大学の出身者 | ||
16 | 高田利種 | Wikipedia |
高田 利種(たかだ としたね、1895年1月15日 - 1987年10月25日)は、日本海軍の軍人、実業家。海兵45期、海大28期。最終階級は海軍少将。戦後は生化学工業株式会社社長。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
17 | 伊藤野枝 福岡市 | Wikipedia |
伊藤 野枝(いとう のえ、1895年1月21日 - 1923年9月16日)は、日本の婦人解放運動家、無政府主義者、作家。戸籍名では、伊藤ノヱ。 | ||
18 | 中西悟堂 | Wikipedia |
中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人。文化功労者。天台宗僧侶。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 | ||
駒澤大学出身 出身の駒澤大学の出身者 全国の駒澤大学の出身者 | ||
19 | 今井兼次 | Wikipedia |
今井 兼次(いまい けんじ、1895年1月11日 - 1987年5月20日)は、日本の建築家。早稲田大学理工学部建築学科卒業。母校の教授を長く勤め、建築作品とともに教育者として研究室から優れた建築家、研究者を多数輩出した。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
20 | 川上澄生 横浜市 | Wikipedia |
川上 澄生(かわかみ すみお、明治28年(1895年)4月10日 - 昭和47年(1972年)9月1日)は、日本の版画家。神奈川県出身。 | ||
21 | 本間精 | Wikipedia |
本間 精(ほんま きよし、1895年8月1日 - 1948年9月1日)は、昭和時代の内務・警察官僚。官選の秋田県知事、岡山県知事、福岡県知事。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
22 | 岩淵三次 三条市 | Wikipedia |
岩淵 三次(いわぶち さんじ、1895年(明治28年)3月2日 - 1945年(昭和20年)2月26日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
23 | 岡田紅陽 | Wikipedia |
岡田 紅陽(おかだ こうよう、1895年8月31日 - 1972年11月22日)は、日本の写真家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
24 | 長嶺喜一 上越市 | Wikipedia |
長嶺 喜一(ながみね きいち、明治28年(1895年)6月2日 - 昭和20年(1945年)11月15日)は、大正、昭和期の日本の陸軍軍人。新潟県頸城郡寺野村東山寺(現在の新潟県上越市板倉区)出身。陸士28期・陸大36期。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
25 | 盛永俊太郎 | Wikipedia |
盛永 俊太郎(もりなが としたろう、1895年9月13日 - 1980年1月25日)は、日本の農学者。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
26 | 佐藤賢了 | Wikipedia |
佐藤 賢了(さとう けんりょう、1895年(明治28年)6月1日 - 1975年(昭和50年)2月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
27 | 平泉澄 | Wikipedia |
平泉 澄(ひらいずみ きよし、 1895年(明治28年)2月15日 - 1984年(昭和59年)2月18日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。国体護持のための歴史を生涯にわたって説き続けたことから、代表的な皇国史観の歴史家といわれており、彼の歴史研究は「平泉史学」と称されている。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
28 | 矢崎美盛 | Wikipedia |
矢崎 美盛(やざき よしもり、1895年8月13日 - 1953年4月7日)は日本の哲学者、美術史家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
29 | 早川元 | Wikipedia |
早川 元(はやかわ はじめ、1895年(明治28年)6月21日 - 1970年(昭和45年)8月4日)は、日本の内務官僚。官選県知事、海軍司政長官。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
30 | 宮坂勝 松本市 | Wikipedia |
宮坂 勝(みやさか まさる、1895年1月1日 - 1953年4月10日)は、明治から昭和にかけての洋画家。 | ||
東京美術学校出身 出身の東京美術学校の出身者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
31 | 八木あき 木曽町 | Wikipedia |
八木 あき(やぎ - 、1895年9月6日-1983年4月30日)は日本の社会運動家。「八木秋子」のペンネームで活動した。 | ||
32 | 堀口捨己 本巣郡席田村(現北方町・本巣市) | Wikipedia |
堀口 捨己(ほりぐち すてみ、1895年1月6日 - 1984年8月18日)は、日本の建築家。ヨーロッパの新しい建築運動に心惹かれ、東大同期生らと従来の様式建築を否定する分離派建築会を結成。後に日本の数寄屋造りの中に美を見出し、伝統文化とモダニズム建築の理念との統合を図った。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
33 | 芹沢銈介 | Wikipedia |
芹沢 銈介(芹澤銈介、せりざわ けいすけ、「けい」は金偏に圭、1895年(明治28年)5月13日 - 1984年(昭和59年)4月5日)は、日本の染色工芸家。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
34 | 河野多麻 浜松市 | Wikipedia |
河野 多麻(こうの たま、1895年10月 - 1985年1月24日)は、日本の国文学者。河野与一の妻。 | ||
35 | 谷川徹三 | Wikipedia |
谷川 徹三(たにかわ てつぞう、1895年(明治28年)5月26日 - 1989年(平成元年)9月27日)は、日本の哲学者。法政大学総長などを務めた。愛知県知多郡常滑町(のち常滑市保示町)生まれ。京都帝国大学哲学科卒業。日本芸術院会員。常滑市名誉市民。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
36 | 森下信衛 | Wikipedia |
森下 信衛(もりした のぶえ、1895年(明治28年)2月2日 - 1960年(昭和35年)6月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。愛知県出身。正しくは、「衛」ではなく旧字体の「衞」である。。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
37 | 宮崎周一 飯田市 | Wikipedia |
宮崎 周一(みやざき しゅういち、1895年(明治28年)2月6日 - 1969年(昭和44年)10月16日)は、昭和期の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵科は歩兵。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
38 | 平田佐矩 | Wikipedia |
平田 佐矩(ひらた すけのり、1895年(明治28年)9月26日 - 1965年(昭和40年)12月6日)は、富田一色平田家の4代目当主。平田紡績の4代目社長。2代目平田佐次郎の3男。三重県四日市市出身の政治家でもあり富洲原町会議員を経て第11代四日市市長となった。実業家(平田紡績社長)に加えて趣味として和歌や短歌を創作する歌人・俳句を創作する俳人などの文芸活動をする文化人でもある。四日市コンビナートを誘致して四日市市(四日市港周辺の臨海部)を重工業化させた功労者である反面、四日市ぜんそくを発生させた四日市公害の責任者でもある。 | ||
立教大学出身 出身の立教大学の出身者 全国の立教大学の出身者 | ||
39 | 小倉遊亀 大津市 | Wikipedia |
小倉 遊亀(おぐら ゆき、1895年3月1日 - 2000年7月23日)は、滋賀県大津市出身の日本画家。本名、ゆき。旧姓、溝上。奈良女子高等師範学校卒。 | ||
奈良女子大学出身 出身の奈良女子大学の出身者 全国の奈良女子大学の出身者 | ||
40 | 山田恵諦 | Wikipedia |
山田 恵諦(やまだ えたい 明治28年(1895年)12月1日 - 平成6年(1994年)2月22日)は、日本の天台宗の僧侶。第253世天台座主を20年つとめ、「比叡山宗教サミット」を開催、また一隅を照らす運動を推進した。行動的だったので「空飛ぶお座主」といわれた。 | ||
41 | 野村光一 | Wikipedia |
野村 光一(のむら こういち、1895年9月23日 - 1988年5月22日)は、日本の音楽評論家。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
42 | 西光万吉 | Wikipedia |
西光 万吉(さいこう まんきち、1895年4月17日 - 1970年3月20日)は、戦前日本の部落解放・社会運動家、政治運動家、著述家。本名は清原 一隆。 | ||
43 | 湯浅十郎 | Wikipedia |
湯浅 十郎(ゆあさ じゅうろう、1895年(明治28年)1月24日 - 1981年(昭和56年)6月26日)は、ブラジル・ホーリネス教団の牧師である。 | ||
44 | 松田恒次 大阪市 | Wikipedia |
松田 恒次(まつだ つねじ、1895年11月24日 - 1970年11月15日)は、大阪府大阪市出身の実業家。 | ||
45 | 松原喜之次 | Wikipedia |
松原 喜之次(まつばら きのじ、1895年2月18日 - 1971年11月13日)は、日本の政治家である。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
46 | 松原喜之次 | Wikipedia |
松原 喜之次(まつばら きのじ、1895年2月18日 - 1971年11月13日)は、日本の政治家である。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
47 | 井沢正 | Wikipedia |
井沢 正(いざわ ただし、1895年7月25日 - 1990年)は、日本の指圧師。 | ||
48 | 野田誠三 | Wikipedia |
野田 誠三(のだ せいぞう、明治28年(1895年)2月11日 - 昭和53年(1978年)3月28日)は、日本の実業家。阪神電気鉄道社長・会長、阪神百貨店社長、阪神不動産社長、阪神タイガースオーナーなどを歴任。阪神甲子園球場の設計者でもある。大阪北ロータリークラブ初代会長。朝日放送元取締役。勲二等瑞宝章受章。1974年野球殿堂入り[4]。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
49 | 西田正雄 たつの市 | Wikipedia |
西田 正雄(にしだ まさお、1895年(明治28年)10月26日 - 1974年(昭和49年)3月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
50 | 西光万吉 | Wikipedia |
西光 万吉(さいこう まんきち、1895年4月17日 - 1970年3月20日)は、戦前日本の部落解放・社会運動家、政治運動家、著述家。本名は清原 一隆。 | ||
51 | 前川喜作 御所市 | Wikipedia |
前川 喜作(まえかわ きさく、1895年 - 1986年)は、日本の実業家。前川製作所創業者。和敬塾創立者。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
52 | 堀口捨巳 本巣市 | Wikipedia |
堀口 捨己(ほりぐち すてみ、1895年1月6日 - 1984年8月18日)は、日本の建築家。ヨーロッパの新しい建築運動に心惹かれ、東大同期生らと従来の様式建築を否定する分離派建築会を結成。後に日本の数寄屋造りの中に美を見出し、伝統文化とモダニズム建築の理念との統合を図った。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
53 | 額田坦 | Wikipedia |
額田 坦(ぬかた ひろし、1895年9月5日 - 1976年9月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
54 | 三宅剛一 浅口市 | Wikipedia |
三宅 剛一(みやけ ごういち、1895年1月1日 - 1982年10月8日)は、日本の哲学者。専攻は臨床哲学・倫理学。歴史学者の三宅正樹は実息。 | ||
岡山大学出身 出身の岡山大学の出身者 全国の岡山大学の出身者 | ||
55 | 岸田正記 | Wikipedia |
岸田 正記(きしだ まさき、1895年(明治28年)12月1日 – 1961年(昭和36年)6月3日)は、日本の実業家、政治家。元衆議院議員。元幾久屋百貨店主。 元衆議院議員岸田文武の父。元広島県知事宮澤弘(元首相宮澤喜一の実弟)の岳父。元科学技術庁長官岩動道行は妻・和子のいとこ。衆議院議員岸田文雄・衆議院議員宮澤洋一などは孫。 | ||
56 | 大木惇夫 広島市 | Wikipedia |
大木 惇夫(おおき あつお、1895年(明治28年)4月18日 - 1977年(昭和52年)7月19日)は日本の詩人・翻訳者・作詞家。本名は軍一(ぐんいち)。1932年までは篤夫(あつお)と名乗っていた。太平洋戦争(大東亜戦争)中の戦争詩で有名だが、児童文学作品他、「国境の町」などの歌謡曲、「大地讃頌」をはじめとした合唱曲、軍歌(戦時歌謡)、社歌、校歌、自治体歌の作詞も多い。1967年紫綬褒章、1972年勲四等旭日小綬章。 | ||
57 | 小林和一 | Wikipedia |
小林 和一(こばやし わいち、1895年11月25日 - 1968年6月1日)は、日本の政治家、地方公務員。第5代福山市長。 | ||
58 | 重政庸徳 | Wikipedia |
重政 庸徳(しげまさ ようとく、1895年1月15日 - 1977年9月28日)は日本の政治家。元参議院副議長。衆議院議員の重政誠之は弟。正三位勲一等。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
59 | 徳永豊 | Wikipedia |
徳永 豊(とくなが ゆたか、1895年5月1日 - 1976年1月4日)は、日本の政治家、弁護士、画家。第7代福山市長(4期)。 | ||
60 | 中安閑一 | Wikipedia |
中安 閑一(なかやす かんいち、1895年〈明治28年〉4月5日 - 1984年〈昭和59年〉1月31日)は、日本の経営者。元宇部興産会長、元経済団体連合会常任理事、元日本経営者団体連盟常任理事、元経済企画庁経済審議会専門委員、元産業機械統制会理事技術部長。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
61 | 菅野和太郎 | Wikipedia |
菅野 和太郎(かんの わたろう、1895年6月20日 - 1976年7月6日)は、日本の政治家。大阪経済大学教授。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
62 | 山本健児 | Wikipedia |
山本 健児(やまもと けんじ、1895年(明治28年)9月20日 - 1975年(昭和50年)9月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
63 | 渋谷清見 | Wikipedia |
渋谷 清見(しぶや きよみ、1895年9月27日 - 1985年2月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
64 | 坂千秋 | Wikipedia |
坂 千秋(さか ちあき、1895年8月28日 - 1959年5月29日)は、日本の内務官僚、政治家。内務次官、県知事、北海道庁長官、貴族院議員。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
65 | 熊谷憲一 | Wikipedia |
熊谷 憲一(くまがい けんいち、1895年10月2日 - 1956年10月9日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、北海道庁長官、衆議院議員。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
66 | 古賀春江 | Wikipedia |
古賀 春江(こが はるえ、1895年6月18日 - 1933年9月10日)は大正から昭和初期に活躍した日本の男性洋画家である。日本の初期のシュルレアリスムの代表的な画家として知られる。本名は亀雄(よしお)。後に僧籍に入り「古賀良昌(りょうしょう)」と改名した。「春江」はあくまでも通称である。 | ||
大正大学出身 出身の大正大学の出身者 全国の大正大学の出身者 | ||
67 | 杉本勝次 | Wikipedia |
杉本 勝次(すぎもと かつじ、1895年11月14日 - 1987年1月2日)は日本の政治家。衆議院議員、福岡県知事などを務めた。 | ||
西南学院大学出身 出身の西南学院大学の出身者 全国の西南学院大学の出身者 | ||
68 | 芳川赳 島原市 | Wikipedia |
芳川 赳(よしかわ たけし、1895年10月20日 - 1951年7月9日)は、美術評論家、作家。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
69 | 有馬正文 日置市 | Wikipedia |
有馬 正文(ありま まさふみ、1895年(明治28)9月25日 - 1944年(昭和19)10月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
70 | 井之口政雄 那覇市 | Wikipedia |
井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期) | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
71 | 当間重剛 那覇市 | Wikipedia |
当間 重剛(とうま じゅうごう、1895年3月25日 - 1971年10月20日)は、戦前の沖縄県及び琉球政府の政治家・裁判官。元那覇市長・琉球政府行政主席(1956年11月11日 - 1959年11月10日)。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
72 | 駒井重次 | Wikipedia |
駒井 重次(こまい じゅうじ、1895年2月23日 - 1973年11月12日 )は、日本の大蔵官僚、政治家、立憲民政党衆議院議員(4期)、税理士、公認会計士。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
73 | 岩崎彦弥太 | Wikipedia |
岩崎 彦弥太(いわさき ひこやた、1895年9月15日 - 1967年9月8日)は、三菱財閥のオーナー・岩崎家の一員で、三菱合資会社元社長・岩崎久弥の長男。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
74 | 鈴木信太郎 | Wikipedia |
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年6月3日 - 1970年3月4日)は、フランス文学者、日本芸術院会員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
75 | 高畠達四郎 | Wikipedia |
高畠 達四郎(たかばたけ たつしろう、1895年10月1日 - 1976年6月26日)は、日本の画家。独立美術協会会員。1952年2月に「暮色」で毎日芸術賞を受賞。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
76 | 箕作秋吉 | Wikipedia |
箕作 秋吉(みつくり しゅうきち、1895年10月21日 - 1971年5月10日)は、日本のクラシック音楽の作曲家である。箕作元八の長男として東京都に生まれた。箕作阮甫の曾孫にあたる。東洋音楽大学教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
77 | 石川欣一 | Wikipedia |
石川 欣一(いしかわ きんいち、1895年(明治28年)3月17日 - 1959年(昭和34年)8月4日)は、ジャーナリスト、随筆家、翻訳家。おもに毎日新聞社に屬した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
78 | きだみのる 奄美市 | Wikipedia |
きだ みのる(本名・山田吉彦、1895年(明治28年)1月11日 - 1975年(昭和50年)7月25日) は、鹿児島県奄美大島出身の小説家、翻訳者。代表作『気違い部落』シリーズは映画化もされた。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
79 | 横井忠雄 | Wikipedia |
横井 忠雄(よこい ただお、1895年(明治28年)3月6日 - 1965年(昭和40年)9月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。大分県大分市出身。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
80 | 蜂谷輝雄 | Wikipedia |
蜂谷 輝雄(はちや てるお 1895年10月4日 - 1979年7月2日)は、日本の外交官。自由インド仮政府初代公使や内閣総理大臣秘書官を務めた。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
81 | 村松正俊 | Wikipedia |
村松 正俊(むらまつ まさとし、1895年4月10日 - 1981年9月20日)は、文明批評家、翻訳家。 | ||
82 | 内田俊一 | Wikipedia |
内田 俊一(うちだ しゅんいち、1895年(明治28年)12月3日 - 1987年(昭和62年)12月19日)は昭和の前期から中期頃にかけて活躍した日本の化学者、工学者。専門は化学工学であり、日本の化学工業の創始者の一人。硝酸合成法の開発で有名。1984年(昭和59年)に文化功労者。相模中央化学研究所理事長、東京工業大学学長などを歴任。 | ||
83 | 郷隆 | Wikipedia |
郷隆(ごう たかし、1895年10月26日 - 1944年4月18日)は、日本の教育者、ボート選手。 | ||
84 | 堀正旗 広島市 | Wikipedia |
堀 正旗(ほり せいき、1895年3月14日 - 1953年4月28日)は、宝塚歌劇団創成期の劇作家、演出家。理事。広島県広島市生まれ。 | ||
85 | 大林末雄 名古屋市 | Wikipedia |
大林 末雄(おおばやし すえお、1895年(明治28年)3月8日 - 1983年(昭和58年)4月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。愛知県宝飯郡上佐脇出身。 | ||
86 | 安藤忍 | Wikipedia |
安藤 忍(あんどう しのぶ、1895年 - 1970年12月8日)は、日本の野球選手・監督。東京都出身。 | ||
87 | 高田保 | Wikipedia |
高田 保(たかだ たもつ、1895年3月28日 - 1952年2月20日)は、茨城県出身の劇作家、随筆家。母方の従兄に近世文学研究者の山口剛がいる。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
88 | 木谷千種 | Wikipedia |
木谷 千種(きたに ちぐさ、1895年(明治28年) - 1947年(昭和22年)1月24日)は、大正時代から昭和時代の日本画家。 | ||
89 | 四手井綱正 | Wikipedia |
四手井 綱正(しでい つなまさ、1895年1月27日 - 1945年8月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
90 | 野田武夫 熊本市 | Wikipedia |
野田 武夫(のだ たけお、1895年2月8日 - 1972年6月7日)は、昭和期の日本の政治家。総理府総務長官・自治大臣。現衆議院議員の野田毅は娘婿。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
91 | 桑原支那吉 | Wikipedia |
桑原 支那吉(くわばら しなきち、1895年(明治28年)10月7日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。広島県出身。 | ||
92 | 田中万吉 | Wikipedia |
田中 万吉(たなか まんきち、1895年4月1日 - 1945年10月15日)は日本の洋画家。 | ||
93 | 増本量 広島市 | Wikipedia |
増本 量(ますもと はかる、1895年(明治28年)1月9日 - 1987年(昭和62年)8月12日)は、日本の金属物理学者。東北大学名誉教授。広島県安芸郡矢賀村(現広島市東区矢賀町)出身。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
94 | 辰巳栄一 | Wikipedia |
辰巳 栄一(たつみ えいいち、1895年(明治28年)1月19日 - 1988年(昭和63年)2月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。公職追放中にもかかわらず、吉田茂とGHQの橋渡しを務めた。そのとき、吉田にウィロビーを引き合わせた。戦後の連合軍占領中にウィロビーの発案で河辺機関が組織された。 | ||
95 | 増本量 広島市 | Wikipedia |
増本 量(ますもと はかる、1895年(明治28年)1月9日 - 1987年(昭和62年)8月12日)は、日本の金属物理学者。東北大学名誉教授。広島県安芸郡矢賀村(現広島市東区矢賀町)出身。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
96 | 奥むめお | Wikipedia |
奥 むめお(おく むめお、本名:奥 梅尾(読み同じ)、1895年10月24日 - 1997年7月7日)は、日本の婦人運動家、政治家。参議院議員を計3期務め、1961年(昭和36年)に勲二等宝冠章を受章、没後に正四位を追賜された。1989年(平成元年)に福井市名誉市民の称号を贈られた[3]。 | ||
日本女子大学出身 出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
97 | 長井満 | Wikipedia |
長井満(ながいみつる、1895年(明治28年)1月16日 - 1978年(昭和53年)12月13日)は、昭和期の大日本帝国海軍軍人。最終階級は従四位勲二等海軍少将。福井県丹生郡殿下村(現福井市風尾町)出身。長井斎藤別当実盛の後裔と伝える浄土真宗勝鬘寺の長井真応住職の四男。長兄に仏教学者長井真琴博士、三兄に真向法の創始者として知られる長井津がいる。弟の長井洗は陸軍中佐。 | ||
98 | 長勇 | Wikipedia |
長 勇(ちょう いさむ、1895年1月19日 - 1945年6月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
99 | 原田義和 | Wikipedia |
原田 義和(はらだ よしかず、1895年8月1日 - 1973年6月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
100 | 中村研一 宗像市 | Wikipedia |
中村 研一(なかむら けんいち、1895年(明治28年)5月14日 - 1967年(昭和42年)8月28日)は、日本の洋画家。日本芸術院会員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
101 | 小倉謙 仙台市 | Wikipedia |
小倉 謙(おぐら ゆずる、1895年6月26日 - 1981年3月18日)は、日本の植物学者。専門分野は植物形態学・植物解剖学。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
102 | 桂重鴻 | Wikipedia |
桂 重鴻(かつら しげひろ、1895年 - 1989年)は、日本の内科医。新潟大学名誉教授。 | ||
103 | 金子光晴 | Wikipedia |
金子 光晴(かねこ みつはる、1895年(明治28年)12月25日 - 1975年(昭和50年)6月30日)は、愛知県海東郡越治村(現津島市)生まれの詩人。本名は安和。弟に詩人で小説家の大鹿卓がいる。妻も詩人の森三千代、息子に翻訳家の森乾。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |