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1 | 岡田三郎 松前町 | Wikipedia |
岡田 三郎(おかだ さぶろう、1890年2月4日 - 1954年4月12日)は北海道出身の日本の小説家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
2 | 尾崎義春 旭川市 | Wikipedia |
尾崎 義春(おざき よしはる、1890年4月20日 - 1973年9月19日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。北海道旭川市出身。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3 | 多田武雄 | Wikipedia |
多田 武雄(ただ たけお、1890年10月7日 - 1953年3月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
4 | 白鳥省吾 栗原市 | Wikipedia |
白鳥 省吾(しろとり せいご、1890年2月27日 - 1973年8月27日)は、日本の詩人・文人。ヒット曲『星影のワルツ』で知られる、詩人で作詞家の白鳥園枝は二女。 | ||
5 | 小林仁 米沢市 | Wikipedia |
小林 仁(こばやし まさみ/まさし、1890年6月18日 - 1977年8月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。山形県米沢市出身。山形県立米沢中学校、海軍兵学校(38期)卒業。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
6 | 諏訪熊太郎 | Wikipedia |
諏訪 熊太郎(すわ くまたろう、1890年(明治23年)5月23日 - 1975年(昭和50年)1月26日)は、日本の宗教家。 | ||
7 | 安井英二 | Wikipedia |
安井 英二(やすい えいじ、1890年9月18日 - 1982年1月9日)は、日本の内務官僚・政治家。岡山県知事・大阪府知事・文部大臣(第1次近衛内閣)・内務大臣兼厚生大臣(第2次近衛内閣)・神祇院総裁・貴族院議員などを歴任する。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
8 | 土屋文明 高崎市(旧群馬郡群馬町) | Wikipedia |
土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) - 1990年(平成2年)12月8日)は、日本の歌人・国文学者。 | ||
日本医科大学出身 出身の日本医科大学の出身者 全国の日本医科大学の出身者 | ||
9 | 星野鉄男 利南村 | Wikipedia |
星野 鉄男(ほしの てつお、正字は星野鐵男、1890年2月10日 - 1931年12月20日)は、日本の医学者。専門は社会衛生学。日本初の性教育本(『性教育に就て』、1927年)を著したことで知られる。内閣書記官長や企画院総裁を務めた大蔵官僚・星野直樹は父方の従兄弟。東大総長を務めた政治学者の南原繁は義弟(妹の夫)。群馬県出身。無教会(無教会主義キリスト教)信徒。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
10 | 猪谷六合雄 | Wikipedia |
猪谷六合雄(いがや くにお、1890年5月5日 - 1986年1月10日)は日本の近代スキーの草分け的存在である。旧制群馬県立館林中学校中退。三人目の妻の定子は日本初の女性ジャンパーでもあった。 | ||
11 | 三宅やす子 | Wikipedia |
三宅 やす子(みやけ やすこ、1890年3月15日 - 1932年1月18日)は、日本の作家、評論家。 | ||
12 | 澤モリノ ニューヨーク | Wikipedia |
澤 モリノ(沢-、さわ もりの、1890年3月19日 - 1933年5月14日)は、日本の舞踏家である。「浅草オペラ」の時代(1917年 - 1923年)に活躍、その後、日本統治時代の朝鮮(現在の朝鮮民主主義人民共和国)で客死した。本名は深澤 千代(ふかさわ ちよ)、旧芸名は澤 美千代(-みちよ)。 | ||
13 | 間宮不二雄 文京区 | Wikipedia |
間宮 不二雄(まみや ふじお、1890年(明治23年)6月26日 - 1970年(昭和45年)10月24日)は、日本の実業家。日本で最初の図書館用具商社を開く。 | ||
14 | 植村環 | Wikipedia |
植村 環(うえむら たまき、1890年8月24日 - 1982年5月26日)は、日本で2番目の女性の牧師で、婦人運動家である。戦後再建された日本キリスト教会の指導者でもある。 | ||
ウェルズリー大学出身 出身の ウェルズリー大学の出身者 全国の ウェルズリー大学の出身者 | ||
15 | 柴田徳次郎 那珂川町 | Wikipedia |
柴田 徳次郎(しばた とくじろう、1890年12月20日 - 1973年1月26日)は、日本の右翼で教育者。国士舘創立者。正四位勲二等、瑞宝章受章。経済学博士。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
16 | 谷崎精二 | Wikipedia |
谷崎 精二 (たにざき せいじ、1890年12月19日 - 1971年12月14日)は、日本の英文学者、小説家。谷崎潤一郎の弟。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
17 | 東山千栄子 千葉市 | Wikipedia |
東山 千栄子(ひがしやま ちえこ、旧字体:千榮子、1890年9月30日 - 1980年5月8日)は、日本の女優。日本新劇俳優協会初代会長。本名は河野 せん(旧姓は渡辺)。 | ||
18 | 日夏耿之介 | Wikipedia |
日夏 耿之介(ひなつ こうのすけ、1890年(明治23年)2月22日 - 1971年(昭和46年)6月13日)は、日本の詩人、英文学者。本名は樋口國登(ひぐち くにと。通称は圀登)。号は夏黄眠、黄眠道人、黄眠堂主人など30数種類を数える。広範な学識と多岐にわたる文学活動で「学匠詩人」と称される。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
19 | 呉文炳 | Wikipedia |
呉 文炳(くれ ふみあき、1890年(明治23年)5月3日 - 1981年(昭和56年)11月18日)は、日本の経済学者、経済学博士(慶應義塾大学)。日本大学第4代総長、貴族院議員。広島県呉市名誉市民。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
20 | 川村貞四郎 | Wikipedia |
川村 貞四郎(かわむら ていしろう、1890年(明治23年)7月23日 - 1987年(昭和62年)6月18日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選山形県知事、東洋インキ製造 (株) 社長。旧姓・古橋。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
21 | 井上庚二郎 | Wikipedia |
井上 庚二郎(いのうえ こうじろう、1890年(明治23年)8月30日 - 1969年(昭和44年)11月13日)は、日本の外交官。駐ハンガリー公使。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
22 | 上野正雄 | Wikipedia |
上野 正雄(うえの まさお、1890年(明治23年)7月16日 - 1965年(昭和40年)2月16日)は、日本の華族、海軍軍人。爵位は伯爵、最終階級は海軍少将。旧姓は永田。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
23 | 矢代幸雄 | Wikipedia |
矢代 幸雄(やしろ ゆきお、1890年11月5日 - 1975年5月25日)は、日本の美術史家、美術評論家である。音楽家矢代秋雄は長男。ギリシャ美術史研究者平山東子(矢代秋雄長女)は孫。妻の弟が木村健二郎。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
24 | 中村俊久 | Wikipedia |
中村 俊久(なかむら としひさ、1890年2月16日 - 1972年3月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
25 | 原久一郎 阿賀野市(旧・北蒲原郡水原町) | Wikipedia |
原 久一郎(はら ひさいちろう、1890年4月10日 - 1971年10月19日)は、ロシア文学者。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
26 | 田中耕太郎 | Wikipedia |
田中 耕太郎(たなか こうたろう、1890年(明治23年)10月25日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、日本の法学者、法哲学者。東京帝国大学大学法学部長、第1次吉田内閣文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事、日本学士院会員。日本法哲学会初代会長。文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章。大勲位菊花大綬章を没後叙勲、正二位を追贈された。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
27 | 角田覚治 三条市 | Wikipedia |
角田 覚治(かくた かくじ、1890年(明治23年)9月23日-1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。テニアン島で戦死。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
28 | 川原田政太郎 魚津市 | Wikipedia |
川原田 政太郎(かわはらだ まさたろう、1890年8月7日 - 1983年9月6日)は日本の工学者、早稲田大学名誉教授。日本におけるテレビジョン研究において、高柳健次郎と並ぶ第一人者。富山県魚津市生まれ。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
29 | 樋貝詮三 | Wikipedia |
樋貝 詮三(ひがい せんぞう、1890年4月3日 - 1953年1月1日)は、日本の政治家・法学者。第37代衆議院議長。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
30 | 今井邦子 | Wikipedia |
今井 邦子(いまい くにこ、明治23年(1890年)5月31日 - 昭和23年(1948年)7月15日、旧姓山田、本名くにえ)は、徳島市出身の「アララギ」の歌人、小説家。後に短歌誌「明日香」を創刊した。元通産省事務次官の両角良彦は甥にあたる。 | ||
31 | 日夏耿之介 | Wikipedia |
日夏 耿之介(ひなつ こうのすけ、1890年(明治23年)2月22日 - 1971年(昭和46年)6月13日)は、日本の詩人、英文学者。本名は樋口國登(ひぐち くにと。通称は圀登)。号は夏黄眠、黄眠道人、黄眠堂主人など30数種類を数える。広範な学識と多岐にわたる文学活動で「学匠詩人」と称される。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
32 | 田結穣 | Wikipedia |
田結 穣(たゆい みのる、1890年(明治23年)1月20日 - 1977年(昭和52年)6月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
33 | 鷹野つぎ | Wikipedia |
鷹野 つぎ(たかの つぎ、女性、1890年8月15日 - 1943年3月19日)は、静岡県生まれの小説家。浜松市生まれ。旧姓・岸次。1907年浜松高等女学校卒。遠江新聞記者鷹野弥太郎と結婚。夫が名古屋新聞、報知新聞に移り、名古屋、豊橋、沼津、福島と転々。1917年の時事新報入社で東京に定住。平塚らいてうなど『青鞜』とのつきあいがあり、島崎藤村に師事した。 | ||
34 | 中村白葉 神戸市 | Wikipedia |
中村 白葉(なかむら はくよう、1890年11月23日 - 1974年8月12日)は、ロシア文学者。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
35 | 川村貞四郎 | Wikipedia |
川村 貞四郎(かわむら ていしろう、1890年(明治23年)7月23日 - 1987年(昭和62年)6月18日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選山形県知事、東洋インキ製造 (株) 社長。旧姓・古橋。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
36 | 阿部賢一 | Wikipedia |
阿部 賢一(あべ けんいち、1890年(明治23年)8月28日 - 1983年(昭和58年)7月26日)は日本の経済学者、ジャーナリスト。第8代早稲田大学総長。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
37 | 湯浅八郎 | Wikipedia |
湯浅 八郎(ゆあさ はちろう、1890年4月29日 - 1981年8月15日)は日本の昆虫学者・教育者・キリスト者。第10・12・13代同志社総長および初代国際基督教大学学長を歴任した。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
38 | 額田六福 勝央町 | Wikipedia |
額田 六福(ぬかだ ろっぷく、明治23年(1890年)10月2日 - 昭和23年(1948年)12月21日)は、劇作家・大衆小説作家。岡本綺堂の高弟。翻訳家、額田やえ子の父。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
39 | 村瀬直養 宇都宮市 | Wikipedia |
村瀬 直養(むらせ なおかい、1890年10月12日 - 1968年8月8日)は、日本の商工官僚、政治家、実業家。商工次官、貴族院議員、法制局長官、綜合計画局長官。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
40 | 山内得立 | Wikipedia |
山内 得立(やまうち とくりゅう、1890年6月12日 - 1982年9月19日)は、日本の哲学者。文化功労者。京都大学名誉教授、元京都学芸大学学長。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
41 | 岡田資 | Wikipedia |
岡田 資(おかだ たすく、1890年4月14日 - 1949年9月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
42 | 河井寛次郎 安来市 | Wikipedia |
河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8月24日 - 1966年(昭和41年)11月18日)は、日本の陶芸家。陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも作品を残している。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
43 | 仁科芳雄 浅口郡里庄町 | Wikipedia |
仁科 芳雄(にしな よしお、1890年(明治23年)12月6日 - 1951年(昭和26年)1月10日)は、日本の物理学者である。岡山県浅口郡里庄町浜中の出身。日本に量子力学の拠点を作ることに尽くし、宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。日本の現代物理学の父である。 | ||
岡山大学出身 出身の岡山大学の出身者 全国の岡山大学の出身者 | ||
44 | 田中耕太郎 | Wikipedia |
田中 耕太郎(たなか こうたろう、1890年(明治23年)10月25日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、日本の法学者、法哲学者。東京帝国大学大学法学部長、第1次吉田内閣文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事、日本学士院会員。日本法哲学会初代会長。文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章。大勲位菊花大綬章を没後叙勲、正二位を追贈された。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
45 | 宇垣纏 岡山市 | Wikipedia |
宇垣 纏(うがき まとめ、1890年(明治23年)2月15日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。最終階級は海軍中将。陣中日記『戦藻録』が有名。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
46 | 守分十 倉敷市 | Wikipedia |
守分 十(もりわけ ひさし、1890年(明治23年)5月10日 - 1977年(昭和52年)1月22日)は、日本の銀行家。元中国銀行頭取。中国銀行の“中興の祖”とされる。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
47 | 黒田正利 | Wikipedia |
黒田 正利(くろだ まさとし、1890年 - 1973年)は、イタリア文学者。 京都帝国大学英文科卒。1949年「Dante(ダンテ)の詩に関するManifesto(マニフエスト)」で京都大学文学博士。戦後、京都学芸大学教授、龍谷大学教授を務めた。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
48 | 額田六福 勝央町 | Wikipedia |
額田 六福(ぬかだ ろっぷく、明治23年(1890年)10月2日 - 昭和23年(1948年)12月21日)は、劇作家・大衆小説作家。岡本綺堂の高弟。翻訳家、額田やえ子の父。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
49 | 立花芳夫 | Wikipedia |
立花 芳夫(たちばな よしお、1890年(明治23年)2月24日 - 1947年(昭和22年)9月24日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。愛媛県出身。陸軍士官学校卒業(25期)。兵科は歩兵科。功四級。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
50 | 兼崎地橙孫 山口市 | Wikipedia |
兼崎 地橙孫(かねざき ぢとうそん、1890年(明治23年)3月27日 - 1957年(昭和32年)9月3日)は、山口県出身の日本の俳人、書家、弁護士。本名は理蔵。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
51 | 綾部健太郎 | Wikipedia |
綾部 健太郎(あやべ けんたろう、1890年9月6日 - 1972年3月24日)は日本の政治家、第53代衆議院議長(在任期間・1966年12月3日 - 1966年12月27日)。香川県出身(出生地及び選挙区は大分県)。正三位勲一等。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
52 | 東條かつ子 川崎町 | Wikipedia |
東條かつ子(とうじょう かつこ、1890年(明治23年)10月8日 - 1982年(昭和57年)5月29日)は、第40代内閣総理大臣東條英機の妻である。英機との間に7人の子供をもうけた。通称に勝子。 | ||
日本女子大学出身 出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
53 | 田代茂樹 | Wikipedia |
田代 茂樹(たしろ しげき、1890年(明治23年)12月5日 - 1981年(昭和56年)8月8日)は、東洋レーヨン元社長、元会長、元名誉会長、日本化学繊維協会元会長、日本腎臓財団初代会長、福岡県人会第三代会長、明治専門学校第一期生。 | ||
九州工業大学出身 出身の九州工業大学の出身者 全国の九州工業大学の出身者 | ||
54 | 高島野十郎 久留米市 | Wikipedia |
髙島 野十郎(たかしま やじゅうろう、1890年(明治23年)8月6日 - 1975年(昭和50年)9月17日)は、大正 - 昭和の画家。独学で絵の道に入り、透徹した精神性でひたすら写実を追求。終生家族を持たず、画壇とも一切関わらず隠者のような孤高の人生を送った。本名彌壽(やじゅ)、字は光雄。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
55 | 伊藤整一 みやま市 | Wikipedia |
伊藤 整一(いとう せいいち、1890年(明治23年)7月26日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校39期。最終階級は海軍大将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
56 | 横山静雄 | Wikipedia |
横山 静雄(よこやま しずお、1890年12月1日 - 1961年1月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
57 | 松尾造酒蔵 | Wikipedia |
松尾 造酒蔵(まつお みきぞう、1890年3月1日 - 1985年1月20日)は日本の牧師。長年神学校の教授を務め、神学教育に貢献した。日本基督改革派教会の牧師吉岡繁の実父であり、双恵学園(浦和市)の創立者・松尾武の兄。共立女子神学校校長,フェリス女学院理事長,横須賀学院理事長などを歴任。 | ||
明治学院大学出身 出身の明治学院大学の出身者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
58 | 西岡竹次郎 長崎市 | Wikipedia |
西岡 竹次郎(にしおか たけじろう, Takejiro Nishioka, 1890年(明治23年)5月28日 - 1958年(昭和33年)1月14日)は日本の政治家、実業家。西岡伊三次の養子。長崎県知事や戦前から戦後にかけ長崎民友新聞社長を務めた。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
59 | 上塚司 熊本市 | Wikipedia |
上塚 司(うえつか つかさ、1890年(明治23年)5月1日 - 1978年10月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。正五位。 | ||
神戸大学出身 出身の神戸大学の出身者 全国の神戸大学の出身者 | ||
60 | 熊谷一弥 大牟田市 | Wikipedia |
熊谷 一弥(くまがい いちや、1890年(明治23年)9月10日 - 1968年(昭和43年)8月16日)は、福岡県大牟田市出身の男子テニス選手。旧漢字表記では 熊谷 一彌 と書く。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
61 | 稲田昌植 札幌市 | Wikipedia |
稲田 昌植(いなだ まさたね、1890年(明治23年)8月28日 - 1968年(昭和43年)11月28日)は、大正時代から昭和時代の農学者、政治家。稲田家17代当主。男爵。北海道帝国大学初代総長佐藤昌介の子で、稲田家16代当主稲田邦植の養子。妻は有馬頼寧の次女久米。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
62 | 富井周 | Wikipedia |
富井 周(とみい しゅう、1890年(明治23年)8月17日 - 1959年(昭和34年)1月23日)は、日本の外交官。駐カナダ公使、駐アルゼンチン大使。男爵。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
63 | 龍粛 浜松市 | Wikipedia |
龍 粛(りょう すすむ、1890年4月29日 - 1964年2月25日)は、大正・昭和期の歴史学者。専攻は中世史。元東京大学史料編纂所長。萩野由之は舅に当たる。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
64 | 武井守成 | Wikipedia |
武井 守成(たけい もりしげ、1890年(明治23年)10月11日 - 1949年(昭和24年)12月14日)は、日本の作曲家、指揮者。男爵。宮内官僚。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
65 | 松内則三 | Wikipedia |
松内 則三(まつうち のりぞう、1890年7月28日 - 1972年1月31日)は、日本の昭和時代に活動したアナウンサー。日本におけるスポーツ中継の実況アナウンサーの草分け。大相撲、東京六大学野球、職業野球、競馬などのスポーツ中継の実況アナウンスで人気となった。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
66 | 戸塚道太郎 | Wikipedia |
戸塚 道太郎(とづか みちたろう、1890年(明治23年)4月21日 - 1966年(昭和41年)3月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
67 | 寺尾進 | Wikipedia |
寺尾 進(てらお すすむ、1890年(明治23年)8月30日 - 1958年(昭和33年)11月21日)は、日本の商工官僚。実業家。 | ||
68 | 河原春作 | Wikipedia |
河原 春作(かわはら しゅんさく、1890年(明治23年)1月14日 – 1971年(昭和46年)10月11日)は、日本の文部官僚、教育者。 | ||
69 | 木下一雄 | Wikipedia |
木下一雄(きのした かずお、1890年5月27日 - 1989年5月26日)は、日本の教育学者。儒教風道徳教育を是とし、日教組と対立した。 | ||
70 | 亀山直人 | Wikipedia |
亀山 直人(かめやま なおと、1890年5月19日 - 1963年3月28日)は、日本の応用化学者。写真の色素増減や二次電池理論の研究等、日本の電気化学工業の発展に尽力した。 | ||
71 | 崔南善 | Wikipedia |
崔南善(チェ・ナムソン、1890年4月26日 - 1957年10月10日)は朝鮮の詩人、ジャーナリスト、歴史家である。号は六堂(ユクタン)。本貫は東州崔氏。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
72 | 志摩清英 | Wikipedia |
志摩清英(しま きよひで 1890年(明治23年)2月25日 - 1973年(昭和48年)11月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
73 | 千田貞敏 | Wikipedia |
千田 貞敏(せんだ さだとし、1890年7月22日 - 1944年12月25日戦死認定)は、日本海軍の軍人。ビアク島の戦いにて戦死。戦死後、一階級進級し海軍中将。正四位勲二等旭日重光章。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
74 | 多田武雄 | Wikipedia |
多田 武雄(ただ たけお、1890年10月7日 - 1953年3月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
75 | 三木森彦 | Wikipedia |
三木 森彦(みき もりひこ、 1890年(明治23年)5月21日 - 1973年(昭和48年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。東京都目黒区出身。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
76 | 江崎岩吉 | Wikipedia |
江崎 岩吉(えさき いわきち、1890年12月1日 - 1986年1月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍技術中将。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
77 | 櫛淵セン一 | Wikipedia |
櫛淵 鍹一(くしぶち せんいち、1890年(明治23年)12月5日 - 1964年(昭和39年)9月20日)は、日本の陸軍軍人。第34軍司令官・第28師団長・軍馬補充部本部長等を歴任し、階級は陸軍中将功三級に至る。※櫛淵せん一 の「せん」の字は「金偏」に「宣」の字をつけた文字。 | ||
78 | 小酒井不木 | Wikipedia |
小酒井 不木(こさかい ふぼく、本名:小酒井 光次(こさかい みつじ)、1890年(明治23年)10月8日 - 1929年(昭和4年)4月1日)は、日本の医学者、随筆家、翻訳家、推理作家。別名「鳥井零水」。 | ||
79 | 下出義雄 | Wikipedia |
下出 義雄(しもいで よしお、1890年(明治23年)5月12日 - 1958年(昭和33年)1月20日)は、大正から昭和にかけて活動した日本の実業家、教育者、政治家。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
80 | 多田等観 | Wikipedia |
多田 等観(ただ とうかん、1890年(明治23年)7月1日 - 1967年(昭和42年)2月18日)は僧侶、仏教学者。 | ||
81 | 新井淳 本庄市 | Wikipedia |
新井 淳(あらい じゅん、1890年1月10日 - 1943年2月28日)は、日本の俳優である[3]。本名は新井淳一(一説に本名同じ)。新派出身で、現代劇の映画を中心に出演した。 | ||
82 | 安井英二 | Wikipedia |
安井 英二(やすい えいじ、1890年9月18日 - 1982年1月9日)は、日本の内務官僚・政治家。岡山県知事・大阪府知事・文部大臣(第1次近衛内閣)・内務大臣兼厚生大臣(第2次近衛内閣)・神祇院総裁・貴族院議員などを歴任する。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
83 | 加々美武夫 | Wikipedia |
加々美 武夫(かがみ たけお、明治23年(1890年)8月9日 - 昭和11年(1936年)9月18日)は、日本の官吏および政治家である。第8代大阪市長。従五位。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
84 | 豊田豊吉 | Wikipedia |
豊田 豊吉(とよた とよきち、1890年(明治23年)2月13日 - 1943年11月11日)は、日本の政治家。衆議院議員4期、大蔵参与官、東京市助役を歴任した。 | ||
85 | 久保田豊 阿蘇郡(現・阿蘇市一の宮町) | Wikipedia |
久保田 豊(くぼた ゆたか、1890年4月27日 - 1986年9月9日)は、日本の実業家。日窒コンツェルンの野口遵と共に、当時世界最大級の水豊ダムをはじめ、朝鮮北部に大規模なダムを建設した。戦後は建設ンサルタント会社日本工営社長を務めた。 | ||
静岡大学出身 出身の静岡大学の出身者 全国の静岡大学の出身者 | ||
86 | 岡敬純 | Wikipedia |
岡 敬純(おか たかずみ、1890年(明治23年)2月11日 - 1973年(昭和48年)12月4日)は、昭和の海軍軍人、海軍中将、海兵39期、海大21期。 | ||
87 | 星野応韶 | Wikipedia |
星野 応韶(ほしの まさつぐ、1890年(明治23年)10月14日 - 1965年(昭和40年)1月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
88 | 佐竹(近藤)哲雄 | Wikipedia |
佐竹 哲雄(さたけ てつお、1890年 - 不明)は、広島県出身の哲学者。主な専門は現象学。 | ||
89 | 城島高次 | Wikipedia |
城島 高次(じょうじま たかつぐ、1890年(明治23年)6月20日 - 1967年(昭和42年)10月9日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
90 | 田中耕太郎 | Wikipedia |
田中 耕太郎(たなか こうたろう、1890年(明治23年)10月25日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、日本の法学者、法哲学者。東京帝国大学大学法学部長、第1次吉田内閣文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事、日本学士院会員。日本法哲学会初代会長。文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章。大勲位菊花大綬章を没後叙勲、正二位を追贈された。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
91 | 豊島与志雄 福田村 | Wikipedia |
豊島与志雄(とよしま よしお、1890年(明治23年)11月27日 - 1955年(昭和30年)6月18日)は、日本の小説家、翻訳家、仏文学者、児童文学者。法政大学名誉教授。明治大学文学部教授もつとめた。日本芸術院会員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
92 | 東海林俊成 | Wikipedia |
東海林 俊成(しょうじ とししげ/としなり、1890年10月27日 - 1974年12月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
93 | 菊池義郎 | Wikipedia |
菊池 義郎(きくち よしろう、1890年4月10日 – 1990年2月4日)は、日本の政治家、植民政策学者。自由民主党衆議院議員。日本商科大学(廃校)の学長も務めた。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
94 | 岸良一 | Wikipedia |
岸 良一(きし りょういち、1890年(明治23年)5月2日 - 1962年(昭和37年)1月21日)は、日本の農林官僚。参議院議員(緑風会)。 | ||
95 | 鶴田吾郎 | Wikipedia |
鶴田 吾郎(つるた ごろう、1890年7月8日 - 1969年1月6日)は、日本の画家(洋画家)、版画家。日本美術展覧会会員。 | ||
96 | 三宅やす子 | Wikipedia |
三宅 やす子(みやけ やすこ、1890年3月15日 - 1932年1月18日)は、日本の作家、評論家。 | ||
97 | 山川菊栄 | Wikipedia |
山川 菊栄(山川 菊榮、やまかわ きくえ、1890年(明治23年)11月3日 - 1980年(昭和55年)11月2日)は日本の評論家・婦人問題研究家である。 | ||
98 | 稲垣生起 和歌山市 | Wikipedia |
稲垣 生起(いながき あやお、1890年(明治23年)2月20日 - 1942年(昭和17年)9月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 |