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1 | 北勝太郎 | Wikipedia |
北 勝太郎(きた かつたろう、1889年(明治22年)9月14日 - 1963年(昭和38年)2月21日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)・参議院議員(1期)。 | ||
2 | 河田槌太郎 | Wikipedia |
河田 槌太郎(かわだ つちたろう、1889年(明治22年)8月20日 - 1964年(昭和39年)2月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
3 | 山田幸五郎 青森市 | Wikipedia |
山田 幸五郎(やまだ こうごろう、1889年9月10日 - 1982年7月23日)は、日本光学界の先駆者、海軍軍人、理学博士。最終階級は海軍技術少将。主に幾何光学中心に、光学機械、光学兵器の開発に寄与した。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
4 | 福士幸次郎 弘前市 | Wikipedia |
福士幸次郎(ふくし こうじろう、1889年11月5日 - 1946年10月11日)は、日本の詩人。 | ||
5 | 相沢三郎 仙台市 | Wikipedia |
相沢 三郎(あいざわ さぶろう、1889年(明治22年)9月6日 - 1936年(昭和11年)7月3日)は、日本の陸軍軍人。皇道派に属した相沢は、真崎甚三郎教育総監更迭に憤激し1935年8月12日に統制派の永田鉄山軍務局長を殺害した(相沢事件)。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
6 | 西村祥治 | Wikipedia |
西村 祥治(にしむら しょうじ、1889年(明治22年)11月30日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。秋田県出身。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
7 | 新関良三 | Wikipedia |
新関 良三(にいぜき りょうぞう、1889年8月4日 - 1979年4月27日)は、ドイツ文学者、演劇研究者、文化功労者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
8 | 伊藤正徳 | Wikipedia |
伊藤 正徳(いとう まさのり、1889年(明治22年)10月18日 - 1962年(昭和37年)4月21日)は日本のジャーナリスト、作家、軍事評論家。海軍部内に精通し、大海軍記者と称された。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
9 | 栗田健男 水戸市 | Wikipedia |
栗田健男(くりた たけお、1889年4月28日 - 1977年12月19日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校38期卒業。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
10 | 渡辺勇次郎 矢板市 | Wikipedia |
渡辺 勇次郎(わたなべ ゆうじろう、男性、1889年11月11日 - 1956年6月28日)は、日本のプロボクサー。栃木県矢板市出身。日本最初の本格的ボクシングジムを創設、ピストン堀口、笹崎僙、荻野貞行、岡本不二など幾多の名選手を育て日本における「ボクシングの父」と呼ばれる。 | ||
11 | 本多まつ江 松本市 | Wikipedia |
本多まつ江(ほんだ まつえ、1889年(明治22年)12月25日 - 1969年(昭和44年)4月26日。教師であり、僧侶夫人、司法保護司、教誨師。晩年『死刑囚の母』と呼ばれた。旧姓は赤羽。 | ||
12 | 熊沢寛道 | Wikipedia |
熊沢 寛道(くまざわ ひろみち、1889年(明治22年)12月18日 - 1966年(昭和41年)6月11日)は日本の皇位僭称者。第二次世界大戦後に正統な皇位継承者を主張した「自称天皇」の代表的存在である。大延天皇、また熊沢天皇(くまざわてんのう)の呼称で知られる。 | ||
13 | 関根要太郎 秩父市 | Wikipedia |
関根要太郎(せきね ようたろう、1889年10月22日 - 1959年6月28日)は、日本の建築家。ユーゲント・シュティールのエッセンスを取り入れたモダンな作風で知られ、晩年、建築家として郷里埼玉県の復興に尽力した。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
14 | 瀬谷啓 | Wikipedia |
瀬谷 啓(せや ひらく、明治22年(1889年)10月3日 - 昭和29年(1954年)5月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
15 | 近藤荒樹 | Wikipedia |
近藤 荒樹 (こんどう あらき、明治22年(1889年)3月6日 - 昭和61年(1986年)6月11日)は日本の実業家、相場師。元近藤商事会長。「丸ビル将軍」、「金融王」などと呼ばれた。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
16 | 木村荘太 | Wikipedia |
木村 荘太(きむら そうた 1889年2月3日 - 1950年4月15日)は東京府出身の作家、翻訳家。本名の読みは「しょうた」。別名に久木今作、木村艸太(そうた)とも。 | ||
17 | 太田耕造 | Wikipedia |
太田 耕造(おおた こうぞう、1889年(明治22年)12月15日 - 1981年(昭和56年)11月26日)は、日本の弁護士・政治家・教育者。亜細亜大学の実質的創立者の一人。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
18 | 安蔵弥輔 | Wikipedia |
安蔵 弥輔(あんぞう やすけ、1889年8月7日 - 1963年1月22日)は、東京電力の初代社長(1951年5月 - 1952年9月)。 他に東京電力会長、東京電力記念科学研究所理事長、日本電気協会会長を務めた。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
19 | 木戸幸一 | Wikipedia |
木戸 幸一(きど こういち、明治22年(1889年)7月18日 - 昭和52年(1977年)4月6日)は、日本の官僚、政治家。侯爵。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
20 | 織田信恒 | Wikipedia |
織田 信恒(おだ のぶつね、1889年〈明治22年〉8月3日 - 1967年〈昭和42年〉5月20日)は、日本の政治家、実業家、漫画原作者。貴族院議員。爵位は子爵。最終階級は陸軍主計少尉。筆名は織田 小星(おだ しょうせい)。漫画『正チャンの冒険』の原案・文を作った。織田信正、織田信昭の父。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
21 | 柳宗悦 | Wikipedia |
柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889年(明治22年)3月21日 - 1961年(昭和36年)5月3日)は、民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。名前はしばしばそうえつと有職読みされ、欧文においてもSoetsuと表記される。 | ||
東京帝國大学出身 出身の東京帝國大学の出身者 全国の東京帝國大学の出身者 | ||
22 | 二荒芳之 | Wikipedia |
二荒 芳之(ふたら よしゆき、1889年3月22日 - 1909年8月18日)は、日本の伯爵、園芸家。旧姓は山本。 | ||
23 | 高木八尺 | Wikipedia |
高木 八尺(たかぎ やさか、1889年12月25日 - 1984年4月28日)は、日本の政治学者、アメリカ研究者、政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
24 | 河上丈太郎 港区 | Wikipedia |
河上 丈太郎(かわかみ じょうたろう、1889年1月3日 - 1965年12月3日)は、日本の政治家。右派社会党委員長、日本社会党委員長を歴任した。息子は衆議院議員・社会党国際局長をつとめた河上民雄。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
25 | 山口三郎 | Wikipedia |
山口 三郎(やまぐち さぶろう、1889年(明治22年)9月27日 - 1934年(昭和9年)2月1日)は、日本の海軍軍人で海軍航空草創期の搭乗員。海軍随一の空爆の名手であったが、神兵隊事件で内乱予備陰謀罪に問われ検挙された。最終階級は海軍中佐。 | ||
26 | 坂本真琴 | Wikipedia |
坂本真琴(さかもとまこと、1889年5月7日 - 1954年7月15日)は、大正から昭和初年にかけて婦人参政権運動を推し進めた婦人運動家。旧姓は高田。高田常三郎と妻みよのクリスチャンの家庭の長女として生れる。本名は「まこ」(正式には変体仮名を用いて「ま」と表記する)。妹の高田敏子は日本の女子・英語教育のパイオニア。 | ||
27 | 青山杉作 | Wikipedia |
青山 杉作(あおやま すぎさく、1889年7月22日 - 1956年12月26日)は、日本の俳優、演出家、映画監督である。本名は青山 達美(あおやま たつみ)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
28 | 新井石龍 五泉市 | Wikipedia |
新井 石龍(あらい せきりゅう、俗名:小島藤七、1889年(明治22年)9月29日 - 1984年(昭和59年)2月16日)は、日本の曹洞宗の僧侶、書家。雲洞庵四十五世住職。号は無著。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
29 | 鈴木敬一 | Wikipedia |
鈴木 敬一(すずき けいいち、1889年7月25日 - 1973年11月29日)は、日本の内務官僚。府県知事、初代住宅金融公庫総裁。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
30 | 川上四郎 長岡市 | Wikipedia |
川上 四郎(かわかみ しろう、1889年11月16日 - 1983年12月30日)は童画画家。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
31 | 猪俣津南雄 | Wikipedia |
猪俣 津南雄(いのまた つなお、明治22年(1889年)4月23日 - 昭和17年(1942年)1月19日)は、日本の経済学者。マルクス経済学労農派の論客の一人。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
32 | 館哲二 高岡市 | Wikipedia |
館 哲二 (たち てつじ、1889年8月18日 - 1968年9月27日)は、日本の内務官僚、政治家。参議院議員(3期)、府県知事。旧姓、木津。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
33 | 佐々木大樹 | Wikipedia |
佐々木 大樹(ささき たいじゅ、1889年12月25日 - 1978年11月8日)は日本の彫刻家。 | ||
東京美術学校出身 出身の東京美術学校の出身者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
34 | 広瀬久忠 甲州市 | Wikipedia |
広瀬 久忠(ひろせ ひさただ、1889年(明治22年)1月22日 - 1974年(昭和49年)5月22日)は日本の官僚、政治家。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
35 | 青木一男 | Wikipedia |
青木 一男(あおき かずお、1889年(明治22年)11月28日 - 1982年(昭和57年)6月25日)は、日本の政治家、官僚。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
36 | 河竹繁俊 飯田市 | Wikipedia |
河竹 繁俊(かわたけ しげとし、1889年6月9日 - 1967年11月15日)は、日本の演劇学者。文学博士。旧姓は市村(いちむら)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
37 | 中原謹司 竜江村 | Wikipedia |
中原 謹司(なかはら きんじ、1889年2月7日 - 1951年3月1日)は日本の政治家。長野県の在郷軍人有志で結成された政治結社信州郷軍同志会の理論的指導者であり、大政翼賛会では中央協力会議部副部長として新体制運動を担った。号は起雲子。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
38 | 棚橋小虎 | Wikipedia |
棚橋 小虎(たなはし ことら、1889年1月14日 - 1973年2月20日)は日本の労働運動家、政治家。新人会などの学生運動、友愛会、労働総同盟などの労働運動にかかわり、日本労農党や社会党などの結成に関与した。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
39 | 鈴木雅次 松本市 | Wikipedia |
鈴木 雅次(すずき まさつぐ、1889年3月6日 - 1987年5月28日)は、日本の土木工学者、内務官僚。元日本大学教授。土木工学・港湾工学の研究に業績を上げる。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
40 | 丸山政男 | Wikipedia |
丸山 政男(まるやま まさお、1889年9月13日 - 1957年11月11日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
41 | 板花義一 安曇野市 | Wikipedia |
板花 義一(いたはな ぎいち、1889年1月29日 - 1961年10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
42 | 江馬修 高山市 | Wikipedia |
江馬 修(えま しゅう、または えま なかし、1889年12月12日 - 1975年1月23日)は、日本の作家。本名の読みは「なかし」で、筆名は「しゅう」とすることが多かったが、一定しない。 | ||
43 | 太田哲三 | Wikipedia |
太田 哲三(おおた てつぞう、1889年5月8日 - 1970年7月4日)は日本の会計学者。一橋大学名誉教授、元中央大学教授、一橋大学商学博士。監査法人太田哲三事務所(後の太田昭和監査法人、現新日本有限責任監査法人)開設者、長浜ゴム工業(現・三菱樹脂)社長。叙従三位勲二等瑞宝章受章。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
44 | 松浦永次郎 掛川市 | Wikipedia |
松浦 永次郎(まつうら えいじろう、1889年(明治22年)3月5日 - 1976年(昭和51年)11月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県小笠郡掛川町(現掛川市)出身。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
45 | 岩下壮一 | Wikipedia |
岩下 壮一(いわした そういち、1889年9月18日 - 1940年12月3日)は、カトリック司祭・哲学者。大正から昭和初期の日本カトリック教会の精神的指導者と言われる。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
46 | 岩槻信治 | Wikipedia |
岩槻 信治(いわつき のぶじ、1889年8月30日 - 1948年5月9日)は、日本の農業技師。20余種に及ぶ稲の品種改良を行い、西三河一帯の農業振興に大きく寄与した。岡崎市名誉市民。 | ||
47 | 河目悌二 刈谷市 | Wikipedia |
河目 悌二(かわめ ていじ、1889年8月6日 - 1958年4月23日)は、大正・昭和期の日本の画家。愛知県碧海郡刈谷町(現在の刈谷市)出身。 | ||
東京藝術大学出身 出身の東京藝術大学の出身者 全国の東京藝術大学の出身者 | ||
48 | 桜井省三 名古屋市 | Wikipedia |
桜井 省三(さくらい しょうぞう、1889年6月27日 - 1985年7月7日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
49 | 塚本三 名古屋市 | Wikipedia |
塚本 三(つかもと ぞう、1889年4月21日 - 1952年8月25日)は、大正期から昭和期の政治家、衆議院議員、公選初の名古屋市長。旧姓、井箟。 | ||
50 | 北野憲造 | Wikipedia |
北野 憲造(きたの けんぞう、1889年(明治22年)8月24日 - 1960年(昭和35年)7月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
51 | 吉阪俊蔵 神戸市 | Wikipedia |
吉阪 俊蔵(よしざか しゅんぞう、1889年9月10日 - 1958年7月14日)は、日本の男性官僚。商工省・内務省で活動した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
52 | 田宮猛雄 | Wikipedia |
田宮 猛雄(たみや たけお、1889年(明治22年)1月31日 - 1963年(昭和38年)7月11日)は日本の医学者、衛生学者。日本医師会会長や日本医学会会長、東京大学医学部教授を務めた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
53 | 山枡儀重 倉吉市 | Wikipedia |
山枡 儀重(やまます のりしげ、1889年(明治22年)4月24日 - 1937年(昭和12年)12月25日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、教育者。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
54 | 和辻哲郎 姫路市 | Wikipedia |
和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。日本倫理学会会員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
55 | 三木露風 たつの市 | Wikipedia |
三木 露風(みき ろふう、1889年(明治22年)6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
56 | 久松真一 | Wikipedia |
久松 真一(ひさまつ しんいち、1889年6月5日 - 1980年2月27日)は、日本の哲学者、仏教学者。旧姓は大野。号は抱石庵。 | ||
天理大学出身 出身の天理大学の出身者 全国の天理大学の出身者 | ||
57 | 井上赳 | Wikipedia |
井上 赳(いのうえ たけし、1889年7月23日 - 1965年7月20日)は、島根県出身の文部官僚。1930年代の国語読本である『小学国語読本』(サクラ読本)の編集の中心となった。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
58 | 内田百間 岡山市 | Wikipedia |
內田 百閒(うちだ ひゃっけん、1889年(明治22年)5月29日 - 1971年(昭和46年)4月20日)は、夏目漱石門下の日本の小説家、随筆家。本名は内田 榮造。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
59 | 三木露風 たつの市 | Wikipedia |
三木 露風(みき ろふう、1889年(明治22年)6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
60 | 国吉康雄 岡山市 | Wikipedia |
国吉 康雄(くによし やすお、1889年9月1日 - 1953年5月14日)は、日本の洋画家。岡山県岡山市中出石町(現・岡山市北区出石町一丁目)出身。 20世紀前半にアメリカ合衆国を拠点に活動した。 | ||
61 | 藤井清水 呉市 | Wikipedia |
藤井 清水(ふじい きよみ、1889年2月17日 - 1944年3月25日)は、日本の作曲家。童謡作曲家、民謡研究家。広島県安芸郡焼山村(現・呉市)出身。生涯に約1900曲も作曲、編曲しながら、あまり世に知られることのなかった人である。のちに、『日本民謡大観』のもととなる民謡の採譜をたくさん行い、民謡の楽譜化に力を尽くして、日本民謡の音楽的研究の推進に多大な貢献をした。 | ||
東京藝術大学出身 出身の東京藝術大学の出身者 全国の東京藝術大学の出身者 | ||
62 | 中村憲吉 | Wikipedia |
中村 憲吉(なかむら けんきち、1889年5月14日 - 1934年5月5日)は、歌人。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
63 | 豊嶋房太郎 | Wikipedia |
豊嶋 房太郎(てしま ふさたろう、1889年1月5日 - 1979年4月9日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
64 | 金沢正夫 | Wikipedia |
金澤 正夫(かなざわ まさお、1889年10月25日 - 1969年6月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
65 | 原菊太郎 徳島市 | Wikipedia |
原 菊太郎(はら きくたろう、1889年11月10日 - 1972年5月7日)は政治家。元徳島県知事。元徳島市長。徳島県徳島市出身。 | ||
66 | 阿部邦一 | Wikipedia |
阿部 邦一(あべ くにいち、1889年12月5日 - 1988年3月14日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。徳島県知事を務めた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
67 | 南原繁 東かがわ市 | Wikipedia |
南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月19日)は、日本の政治学者。東京帝国大学の総長を務めた。東京大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
68 | 広島晃甫 徳島市 | Wikipedia |
広島 晃甫(ひろしま こうほ、本名:広島新太郎、1889年(明治22年)11月23日 - 1951年(昭和26年)12月16日)は、徳島県徳島市出身の日本画家。香川県立工芸学校(現香川県立高松工芸高等学校)、東京美術学校日本画科(現東京藝術大学)卒業。 | ||
東京藝術大学出身 出身の東京藝術大学の出身者 全国の東京藝術大学の出身者 | ||
69 | 高橋雄豺 西条市 | Wikipedia |
高橋 雄豺(たかはし ゆうさい、明治22年(1889年)11月3日 - 昭和54年(1979年)8月26日)は、内務官僚、実業家、ジャーナリスト。香川県知事。安部英・元帝京大学副学長の義父。 | ||
70 | 越智孝平 松山市 | Wikipedia |
越智 孝平(おち こうへい、1889年(明治22年)2月3日 - 1968年(昭和43年)6月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。松山市長。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
71 | 薬師寺志光 宇和島市 | Wikipedia |
薬師寺 志光(やくしじ しこう、1889年(明治22年)-1984年(昭和59年)7月23日)は日本の民法学者。法政大学名誉教授、元愛知大学・國學院大學教授。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
72 | 石橋正二郎 久留米市 | Wikipedia |
石橋 正二郎(いしばし しょうじろう、1889年(明治22年)2月1日 - 1976年(昭和51年)9月11日)は、日本の実業家。 | ||
73 | 石井光次郎 久留米市 | Wikipedia |
石井 光次郎(いしい みつじろう、1889年(明治22年)8月18日 - 1981年(昭和56年)9月20日)は、日本の政治家。衆議院議長(第54代)、副総理、法務大臣、通商産業大臣、行政管理庁長官、北海道開発庁長官、運輸大臣、商工大臣を歴任。久留米市名誉市民。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
74 | 原口忠次郎 | Wikipedia |
原口 忠次郎(はらぐち ちゅうじろう、1889年11月12日 - 1976年3月22日)は官僚、政治家。第12代神戸市長。工学博士、参議院議員。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
75 | 山崎元幹 糸島市 | Wikipedia |
山崎 元幹(やまざき もとき、1889年(明治22年)7月7日 - 1971年(昭和46年)1月24日)は昭和期の実業家。南満洲鉄道株式会社(満鉄)最後の総裁としてその終戦処理をおこなった。 | ||
東京帝国大出身 出身の東京帝国大の出身者 全国の東京帝国大の出身者 | ||
76 | 原清 | Wikipedia |
原 清(はら きよし、1889年5月2日 - 1976年8月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
77 | 穂積真六郎 | Wikipedia |
穂積 真六郎(ほづみ しんろくろう、1889年(明治22年)6月30日 - 1970年(昭和45年)5月23日)は、朝鮮総督府官僚、参議院議員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
78 | 鷹司信輔 | Wikipedia |
鷹司 信輔(たかつかさ のぶすけ、1889年4月29日 - 1959年2月1日)は日本の公爵、貴族院議員、明治神宮宮司、鳥類学者。日本鳥学会会長。「鳥の公爵」と呼ばれた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
79 | 福士幸次郎 弘前市 | Wikipedia |
福士幸次郎(ふくし こうじろう、1889年11月5日 - 1946年10月11日)は、日本の詩人。 | ||
80 | 川西実三 神戸市 | Wikipedia |
川西 實三(かわにし じつぞう、1889年(明治21年)1月2日 - 1978年(昭和53年)3月3日)は、日本赤十字社社長などを務めた内務官僚。労働問題の権威として知られた。息子は英文学者・東京大学名誉教授の川西進。義兄に、三谷隆正と三谷隆信。新渡戸稲造を師と仰いだ。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
81 | 山根徳太郎 大阪市 | Wikipedia |
山根 徳太郎(やまね とくたろう、1889年1月12日 - 1973年7月28日)は、日本の考古学者。文献史料に記載されていたが所在地が不明のままであった難波宮の研究を行い、難波宮の大極殿跡を発掘した。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
82 | 佐藤市郎 | Wikipedia |
佐藤 市郎(さとう いちろう、1889年(明治22年)8月28日 - 1958年(昭和33年)4月14日)は、日本の海軍軍人、歴史家。最終階級は海軍中将。共に内閣総理大臣を務めた岸信介、佐藤栄作兄弟の実兄である。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
83 | 鍋島直縄 | Wikipedia |
鍋島 直縄(なべしま なおただ、1889年5月6日 - 1939年4月29日)は日本の政治家、実業家、華族。 | ||
84 | 抜山平一 | Wikipedia |
抜山 平一(ぬきやま へいいち、1889年9月23日-1965年8月18日)は、東京府東京市出身の電気工学者。 | ||
85 | 後藤格次 | Wikipedia |
後藤 格次 (ごとう かくじ、1889年3月4日 - 1969年11月29日)は、日本の農芸化学者。東京大学農学部教授。日本学士院会員。 | ||
86 | 横山白虹 | Wikipedia |
横山 白虹(よこやま はっこう、1889年(明治22年)11月8日 - 1983年(昭和58年)11月18日)は、俳人、医師。本名は健夫(たけお)。 本籍地は山口県大津郡深川町(現・長門市)。 | ||
87 | 笠原幸雄 | Wikipedia |
笠原 幸雄(かさはら ゆきお、1889年(明治22年)11月6日 - 1988年(昭和63年)1月2日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。ロシア通の参謀として知られていた。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
88 | 久保田万太郎 浅草 | Wikipedia |
久保田 万太郎(くぼた まんたろう、1889年(明治22年)11月7日 - 1963年(昭和38年)5月6日)は、浅草生まれの大正から昭和にかけて活躍した俳人、小説家、劇作家。生粋の江戸っ子として伝統的な江戸言葉を駆使して滅びゆく下町の人情を描いた。俳人としては岡本松浜、松根東洋城に師事、戦後に俳誌「春燈」を主宰し文人俳句の代表作家として知られる。俳句の別号に暮雨、傘雨。別の筆名に千野菊次郎。文化勲章受章者。贈従三位勲一等瑞宝章(没時叙位叙勲)。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
89 | 木下又三郎 | Wikipedia |
木下 又三郎(きのした またさぶろう、1889年11月13日 - 1977年3月8日)は、日本の実業家。 | ||
90 | 永津佐比重 | Wikipedia |
永津 佐比重(ながつ さひしげ、1889年(明治22年)3月1日 - 1979年(昭和54年)9月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
91 | 西村祥治 | Wikipedia |
西村 祥治(にしむら しょうじ、1889年(明治22年)11月30日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。秋田県出身。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
92 | 木村謹治 五城目町 | Wikipedia |
木村 謹治(きむら きんじ、1889年1月2日 - 1948年1月13日)は、日本のドイツ文学・ドイツ語学者、東京帝国大学教授。 | ||
93 | 田辺盛武 | Wikipedia |
田辺 盛武(たなべ もりたけ、1889年2月26日 - 1949年7月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 オランダ領東インド | ||
94 | 大麻唯男 玉名市(出生地は東京都) | Wikipedia |
大麻 唯男(おおあさ ただお、1889年(明治22年)7月7日 – 1957年(昭和32年)2月20日)は、日本の内務官僚、政治家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
95 | 谷正之 上益城郡飯野村(現・益城町) | Wikipedia |
谷 正之(たに まさゆき 1889年2月9日 - 1962年10月16日)は、昭和の外交官、外務大臣。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
96 | 多田勉吉 | Wikipedia |
多田 勉吉(ただ べんきち、1889年(明治22年)9月19日 - 1958年(昭和33年)4月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中将。広島県出身。 | ||
97 | 賀屋興宣 広島市 | Wikipedia |
賀屋 興宣(かや おきのり、1889年(明治22年)1月30日 - 1977年(昭和52年)4月28日)は、日本の大蔵官僚、政治家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
98 | 瀬越憲作 能美村 | Wikipedia |
瀬越 憲作(せごえ けんさく、1889年(明治22年)5月22日 - 1972年(昭和47年)7月27日)は、大正、昭和時代の囲碁棋士。広島県佐伯郡能美村(現広島県江田島市)出身。方円社、日本棋院などに所属、名誉九段。1946年から48年に日本棋院理事長を務めるなど、棋院運営や囲碁普及に大きく貢献した。 | ||
99 | 後藤格次 | Wikipedia |
後藤 格次 (ごとう かくじ、1889年3月4日 - 1969年11月29日)は、日本の農芸化学者。東京大学農学部教授。日本学士院会員。 | ||
100 | 夢野久作 福岡市 | Wikipedia |
夢野 久作(ゆめの きゅうさく、1889年(明治22年)1月4日 - 1936年(昭和11年)3月11日)は、日本の禅僧、陸軍少尉、郵便局長、小説家、詩人、SF作家、探偵小説家、幻想文学作家。他の筆名に海若藍平、香倶土三鳥など。現在では、夢久、夢Qなどと呼ばれることもある。戒名は悟真院吟園泰道居士。禅僧としての名は雲水(うんすい)、法号を萠円と称した。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
101 | 井上成美 | Wikipedia |
井上 成美(いのうえ しげよし/せいび[注釈 1]、1889年(明治22年)12月9日 - 1975年(昭和50年)12月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。海軍大将となった最後の軍人。 | ||
102 | 三神吾朗 | Wikipedia |
三神 吾朗(みかみ ごろう、1889年(明治22年)11月6日 - 1958年(昭和33年)6月24日)は、日本のプロ野球選手。日本にまだプロ野球が存在していない時代に、アメリカのプロ野球チーム「オール・ネイションズ」でプレーした。守備位置は外野手、遊撃手、投手、一塁手。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
103 | 和田操 | Wikipedia |
和田 操(わだ みさお、1889年12月6日 - 1981年11月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
104 | 柴山兼四郎 | Wikipedia |
柴山 兼四郎(しばやま けんしろう、1889年5月1日 - 1956年1月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 |