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1 | 阿部美樹志 | Wikipedia |
阿部 美樹志(あべ みきし、1883年5月4日 - 1965年2月20日)は、日本の建築家および土木技術者。大正から昭和時代にかけて活躍した。日本最初の鉄筋コンクリート高架鉄道の設計者。通称コンクリート博士。日本の鉄筋コンクリート工学の開祖。Pf.D。また、阪急阪神東宝グループの建物、RC造の多くの構造物、建築物をつくり続けた。勲二等瑞宝章受章。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
2 | 三船久蔵 久慈市 | Wikipedia |
三船 久蔵(みふね きゅうぞう、1883年(明治16年)4月21日 - 1965年(昭和40年)1月27日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道十段。大日本武徳会柔道範士。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
3 | 及川古志郎 古志郡 | Wikipedia |
及川 古志郎(おいかわ こしろう、1883年(明治16年)2月8日 - 1958年(昭和33年)5月9日)は、日本の海軍軍人。新潟県古志郡出身。海兵31期。海軍大学校13期。最終階級は海軍大将。第2次近衛内閣・第3次近衛内閣で海軍大臣。第18代軍令部総長。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
4 | 弓館小鰐 | Wikipedia |
弓館 小鰐(ゆだて しょうがく、1883年(明治16年)9月28日 - 1958年(昭和33年)8月2日)は日本の新聞記者、随筆家。毎日新聞で記者として活動した他、『西遊記』などの翻訳でも活動した。本名は芳夫(よしお)。本名での活動も多い。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
5 | 植松練磨 南相馬市 | Wikipedia |
植松 練磨(うえまつ とうま、1883年4月30日 - 1948年8月22日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
6 | 井上二三雄 | Wikipedia |
井上 二三雄(いのうえ ふみお)、1883年(明治16年)12月25日 - 1919年(大正8年)3月5日)は、日本の海軍軍人。海軍航空草創期の搭乗員の一人で、第一次世界大戦において日本初の航空作戦に参戦し、のちに殉職した。最終階級は海軍中佐。井上日召は弟。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
7 | 岩永裕吉 | Wikipedia |
岩永 裕吉(いわなが ゆうきち 、1883年(明治16年)9月13日 - 1939年(昭和14年)9月2日)は、日本の通信事業経営者。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
8 | 福原信三 | Wikipedia |
福原 信三(ふくはら しんぞう、1883年(明治16年) - 1948年(昭和23年))は日本の実業家、写真家。資生堂の創業者・福原有信の息子であり、株式会社資生堂の初代社長である。また、弟に写真家の福原路草がいる。 | ||
千葉大学出身 出身の千葉大学の出身者 全国の千葉大学の出身者 | ||
9 | 蓮沼蕃 | Wikipedia |
蓮沼 蕃(はすぬま しげる、1883年3月26日 - 1954年2月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、勲等は勲一等功二級。石川県出身。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10 | 鈴木為次郎 刈谷市 | Wikipedia |
鈴木為次郎(すずき ためじろう、1883年(明治16年)5月24日 - 1960年(昭和35年)11月20日)は、囲碁の棋士。愛知県生まれ、巌崎健造門下、方円社、裨聖会、棋正社、日本棋院に所属、名誉九段。読みが深く粘り強い棋風で、長考派としても知られる。「旭将軍」の異名をとった。妻は鈴木秀子四段。 | ||
11 | 岡田八千代 広島市 | Wikipedia |
岡田 八千代(おかだ やちよ、1883年(明治16年)12月3日 - 1962年(昭和37年)2月10日)は、明治 - 昭和期の小説家、劇作家、劇評家。芹影(きんえい)、芹影女、伊達虫子などの筆名を用いた。 | ||
12 | 三井甲之 | Wikipedia |
三井甲之(みつい こうし、1883年(明治16年)10月16日 - 1953年(昭和28年)4月3日)は、日本の文学者、歌人、右翼思想家。本名は甲之助。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
13 | 阿部次郎 松山町 | Wikipedia |
阿部 次郎(あべ じろう、1883年(明治16年)8月27日 - 1959年(昭和34年)10月20日)は、哲学者、美学者、作家。仙台市名誉市民。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
14 | 嶋田繁太郎 | Wikipedia |
嶋田 繁太郎(しまだ しげたろう、1883年(明治16年)9月24日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵32期。最終階級は海軍大将。第47代海軍大臣。第17代軍令部総長。A級戦犯として終身刑。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
15 | 南波杢三郎 | Wikipedia |
南波 杢三郎(なんば もくさぶろう 1883年1月4日 - 1967年12月17日)は、日本の検察官。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
16 | 赤星鉄馬 | Wikipedia |
赤星 鐡馬(あかぼし てつま、1883年(明治16年)1月11日 - 1951年(昭和26年)11月9日)は、日本の実業家である。泰昌銀行頭取。 | ||
17 | 小村欣一 | Wikipedia |
小村 欣一(こむら きんいち、1883年(明治16年)5月13日 - 1930年(昭和5年)12月29日)は、大正・昭和初期の外交官、貴族院議員、華族(侯爵)。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
18 | 菅礼之助 湯沢市 | Wikipedia |
菅 礼之助(すが れいのすけ、1883年11月25日 - 1971年2月18日)は、日本の実業家、俳人。秋田県生まれ。旧制秋田中学、日本中学(現:日本学園)、東京高等商業学校(現:一橋大学)出身。古河鉱業(現古河機械金属)を経て、石炭庁長官、同和鉱業(現DOWAホールディングス)会長、昭和鉱業(現昭和KDE)会長、東京電力会長、経済団体連合会(現日本経済団体連合会)評議会議長等を務めた。1970年勲一等瑞宝章、1971年従三位勲一等。第九代、十代、十三代如水会理事長。初代日本相撲協会運営審議会会長。俳人としては裸馬と号し、俳誌「同人」を主宰した。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
19 | 志賀直哉 石巻市 | Wikipedia |
志賀 直哉(しが なおや、1883年(明治16年)2月20日 - 1971年(昭和46年)10月21日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の小説家。白樺派を代表する小説家のひとりで、その後の多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に『暗夜行路』『和解』『小僧の神様』『城の崎にて』など。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
20 | 堀田正昭 | Wikipedia |
堀田 正昭(ほった まさあき、1883年(明治16年)7月1日 - 1960年(昭和35年)7月25日)は、日本の外交官。駐チェコスロバキア公使、駐スイス公使、駐イタリア大使。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
21 | 前田夕暮 秦野市 | Wikipedia |
前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。 | ||
二松學舍大学出身 出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
22 | 前田夕暮 秦野市 | Wikipedia |
前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。 | ||
二松學舍大学出身 出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
23 | 前田夕暮 秦野市 | Wikipedia |
前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。 | ||
二松學舍大学出身 出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
24 | 伊藤誠哉 | Wikipedia |
伊藤 誠哉(いとう せいや、1883年8月7日 - 1962年3月28日)は、植物病理学者、元北海道大学総長。新潟県生まれ。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
25 | 小柳篤二 新潟市 | Wikipedia |
小柳 篤二(おやなぎ とくじ、1883年(明治16年)8月1日 - 1985年(昭和60年)12月23日)は、日本のドイツ語学者、ドイツ語教師。元東京高等学校独語主任教授、日出学園名誉学園長。 | ||
東京外国語学校出身 出身の東京外国語学校の出身者 全国の東京外国語学校の出身者 | ||
26 | 相馬御風 糸魚川市 | Wikipedia |
相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)は日本の詩人・歌人・評論家。本名は昌治(しょうじ)。新潟県糸魚川市出身。早稲田大学文学部哲学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
27 | 北一輝 | Wikipedia |
北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件を引き起こした皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議にかけられ、死刑判決を受け刑死した。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
28 | 細野長良 | Wikipedia |
細野 長良(ほその ながよし、1883年(明治16年)1月7日 - 1950年(昭和25年)1月1日)は、日本の裁判官。最後の大審院院長を務めた。 | ||
京都帝国大学出身 出身の 京都帝国大学の出身者 全国の 京都帝国大学の出身者 | ||
29 | 松村謙三 南砺市(旧福光町) | Wikipedia |
松村 謙三(まつむら けんぞう、1883年(明治16年)1月24日 - 1971年(昭和46年)8月21日)は、戦前昭和から戦後昭和にかけて活躍した日本の政党政治家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
30 | 羽溪了諦 | Wikipedia |
羽溪 了諦(はたに りょうたい、1883年8月17日 - 1974年8月13日)は日本の仏教学者、浄土真宗の僧侶。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
31 | 桜井弥一郎 佐久市 | Wikipedia |
桜井 弥一郎(さくらい やいちろう、旧字体:櫻井 彌一郎、1883年12月2日 - 1958年5月17日)は、長野県出身の野球選手。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
32 | 松島肇 伊那市 | Wikipedia |
松島 肇(まつしま はじめ、1883年2月20日 - 1961年4月15日)は、日本の外交官。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
33 | 西村真琴 松本市 | Wikipedia |
西村 真琴(にしむら まこと、1883年(明治16年)3月26日 - 1956年(昭和31年)1月4日)は、日本の生物学者。元・北海道帝国大学教授。マリモの研究や、人間型ロボット「學天則」の制作などで知られるほか、保育事業にも貢献した。次男は俳優西村晃。 | ||
広島大学出身 出身の広島大学の出身者 全国の広島大学の出身者 | ||
34 | 榛葉太生 松川村 | Wikipedia |
榛葉 太生(しんは ふとお、1883年 - 1962年)は、日本の医師。「安曇節」の初代家元。号は出原処士。 | ||
35 | 塩沢幸一 中川村 | Wikipedia |
塩沢 幸一(しおざわ こういち、1883年(明治16年)3月5日 - 1943年(昭和18年)11月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。長野県伊那郡大草村(現上伊那郡中川村)出身。実家は養命酒で有名な養命酒製造で塩沢はその四男。妻すがは代議士・北原阿智之助次女。文芸評論家の中沢臨川は次兄。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
36 | 加藤鐐五郎 瀬戸市 | Wikipedia |
加藤 鐐五郎(かとう りょうごろう、1883年3月11日 - 1970年12月20日)は、日本の政党政治家。衆議院議長(第48代)、法務大臣(第4代)。 | ||
名古屋大学出身 出身の名古屋大学の出身者 全国の名古屋大学の出身者 | ||
37 | 河本大作 佐用町 | Wikipedia |
河本 大作(こうもと だいさく、1883年(明治16年)1月24日 - 1955年(昭和30年)8月25日)は、昭和初期に活動した日本の陸軍軍人。張作霖爆殺事件の首謀者として知られる。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
38 | 米原章三 鳥取市 | Wikipedia |
米原 章三(よねはら しょうぞう、明治16年(1883年)11月16日 - 昭和42年(1967年)10月19日)は日本の実業家、政治家。鳥取県多額納税者。鳥取県会議員、貴族院議員。鳥取市名誉市民。旧姓藤縄。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
39 | 足立正 境港市 | Wikipedia |
足立 正(あだち ただし、明治16年(1883年)2月28日 - 昭和48年(1973年)3月29日)は日本の実業家、財界人である。号立堂。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。日本商工会議所名誉会頭。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
40 | 清水比庵 上房郡高梁町(現・高梁市) | Wikipedia |
清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日 - 1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の歌人、書家、画家、政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。晩年は「今良寛」と呼ばれた。 | ||
岡山大学出身 出身の岡山大学の出身者 全国の岡山大学の出身者 | ||
41 | 川村多実二 津山市 | Wikipedia |
川村 多実二(かわむら たみじ、1883年5月4日 - 1964年12月16日[† 1])は日本の動物学者。岡山県津山市出身。河川・湖沼をふくむ淡水域の生物学を創始。動物生態学や動物心理学などが研究の中心で、多くの研究者を育成したが、一般には鳥類の研究でより知られている。日本野鳥の会京都支部初代支部長でもあり、京都大学総合博物館や大阪市立自然史博物館には、川村が収集した日本周辺産と北米産の鳥類コレクションなどが所蔵されている。実兄は植物学者(キノコが中心)の川村清一。実弟は生理学者の福田邦三。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
42 | 万代順四郎 | Wikipedia |
万代 順四郎(まんだい じゅんしろう、1883年6月25日 - 1959年3月28日)は明治から昭和期の銀行家である。全国銀行協会連合会元会長、三井銀行元会長、帝国銀行元頭取・会長を歴任した。 | ||
青山学院大学出身 出身の青山学院大学の出身者 全国の青山学院大学の出身者 | ||
43 | 河内源一郎 福山市 | Wikipedia |
河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年4月30日 - 1948年3月31日)は、日本の官僚、科学者、実業家。 「河内菌」の発見により焼酎の品質を飛躍的に向上させた近代焼酎の父。広島県深津郡吉津村(現・福山市吉津町)生まれ。 | ||
44 | 丸山鶴吉 福山市 | Wikipedia |
丸山 鶴吉(まるやま つるきち、1883年9月27日 - 1956年6月3日)は、内務・警察官僚、政治家、教育者。警視総監、宮城県知事、武蔵野美術学校校長。広島県沼隈郡松永村(現・福山市松永町)生まれ。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
45 | 上原轍三郎 山県郡南方村 | Wikipedia |
上原 轍三郎(うえはら てつさぶろう、1883年8月25日 - 1972年2月27日)は、日本の農業経済学者、教育者。専門は拓殖学(植民学)、開発政策、北海道開拓史を研究。また、学校法人北海学園理事長・北海学園大学初代学長・北海学園大学短期大学部初代学長を務めた。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
46 | 河田嗣郎 | Wikipedia |
河田 嗣郎(かわた しろう、1883年(明治16年)4月22日 - 1942年(昭和17年)5月21日)は、日本の経済学者。京都帝国大学経済学部教授を経て大阪商科大学(現・大阪市立大学)初代学長。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
47 | 磯井如真 高松市 | Wikipedia |
磯井如真(いそい じょしん、1883年(明治16年)3月19日 - 1964年(昭和39年)8月23日)は、日本の漆芸家。本名は雪衛(ゆきえ)、あらため雪枝。 | ||
48 | 菅源三郎 菊間町 | Wikipedia |
菅源三郎(かん げんざぶろう、1883年(明治16年)2月24日 - 1942年(昭和17年)5月20日)は、日本の航海士、船長。 | ||
東京商船学校出身 出身の東京商船学校の出身者 全国の東京商船学校の出身者 | ||
49 | 岩村通世 | Wikipedia |
岩村 通世(いわむら みちよ、明治16年(1883年)8月21日 - 昭和40年(1965年)3月13日)は、太平洋戦争開戦時の日本の司法大臣である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
50 | 水野葉舟 | Wikipedia |
水野 葉舟(みずの ようしゅう、1883年4月9日 - 1947年2月2日)は日本の詩人、歌人、小説家、心霊現象研究者。東京生まれ、本名は盈太郎(みちたろう)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
51 | 下位春吉 | Wikipedia |
下位 春吉(しもい はるきち、1883年10月20日 - 1954年12月1日)は、教育者、詩人、童話口演家。詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオやベニート・ムッソリーニと親交があり、イタリアのファシズム運動を日本に紹介した。 | ||
京外国語大学出身 出身の京外国語大学の出身者 全国の京外国語大学の出身者 | ||
52 | 内藤濯 熊本市 | Wikipedia |
内藤 濯(ないとう あろう、1883年7月7日 - 1977年9月19日)は、フランス文学者、評論家、翻訳家、エッセイスト。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
53 | 横尾龍 小城市 | Wikipedia |
横尾 龍(よこお しげみ、男性、1883年(明治16年)7月21日 – 1957年(昭和32年)1月7日)は、日本の実業家、政治家。通商産業大臣。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
54 | 野上豊一郎 臼杵市 | Wikipedia |
野上豊一郎(のがみ とよいちろう、1883年9月14日 - 1950年2月23日)は、日本の英文学者、能楽研究者。臼川(きゅうせん)と号する。法政大学総長を務め、能研究の発展にも多大な寄与をした。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
55 | 堀悌吉 杵築市 | Wikipedia |
堀 悌吉(ほり ていきち、1883年(明治16年)8月16日 - 1959年(昭和34年)5月12日)は日本の海軍軍人。大分県杵築市出身。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
56 | 鳩山一郎 新宿区 | Wikipedia |
鳩山 一郎(はとやま いちろう、1883年(明治16年)1月1日 - 1959年(昭和34年)3月7日)は、日本の政治家、弁護士。第52・53・54代内閣総理大臣。位階勲等は正二位大勲位。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
57 | 穂積重遠 | Wikipedia |
穂積 重遠(ほづみ しげとお、1883年4月11日 - 1951年7月29日)は、東京府出身の法学者。専門は民法。東京帝国大学教授・法学部長、最高裁判所判事を歴任し、「日本家族法の父」といわれる。東宮大夫兼東宮侍従長。男爵。勲一等旭日大綬章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
58 | 神保格 | Wikipedia |
神保 格(じんぼう かく、1883年(明治16年)4月18日 - 1965年(昭和40年)12月6日)は、日本の言語学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
59 | 岡田信一郎 | Wikipedia |
岡田 信一郎(おかだ しんいちろう、1883年(明治16年)11月20日 - 1932年(昭和7年)4月4日)は、大正・昭和初期に活躍した建築家である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
60 | 種田虎雄 | Wikipedia |
種田 虎雄(おいた とらお、1883年(明治17年)4月15日~1948年(昭和23年)9月5日)は、日本の官僚、実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の初代社長を務めた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
61 | 吹田順助 | Wikipedia |
吹田 順助(すいた じゅんすけ、1883年12月24日 - 1963年7月20日)は、ドイツ文学者、随筆家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
62 | 内藤濯 熊本市 | Wikipedia |
内藤 濯(ないとう あろう、1883年7月7日 - 1977年9月19日)は、フランス文学者、評論家、翻訳家、エッセイスト。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
63 | 松宮寒骨 | Wikipedia |
松宮 寒骨(まつみや かんこつ、1883年(明治16年)- 1968年(昭和43年)は、石川県出身の日本の俳人。広告研究家。本名および広告学では松宮三郎名義。 | ||
64 | 白根竹介 | Wikipedia |
白根 竹介(しらね たけすけ、1883年(明治16年)5月25日 - 1957年(昭和32年)3月5日)は、日本の内務官僚。 | ||
65 | 村上恭一 鳥取市 | Wikipedia |
村上 恭一(むらかみ きょういち、1883年(明治16年)8月31日 - 1953年(昭和28年))は、日本の官僚。枢密院書記官長、貴族院議員等を歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
66 | 安藤三郎 | Wikipedia |
安藤 三郎(あんどう さぶろう、1883年12月24日 - 1963年8月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
67 | 河田烈 | Wikipedia |
河田 烈(かわだ いさお、1883年(明治16年)9月24日 - 1963年(昭和38年)9月27日)は、日本の大蔵官僚、大蔵大臣。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
68 | 朝倉希一 | Wikipedia |
朝倉 希一(あさくら きいち 1883年3月12日 - 1978年4月20日)は、明治から昭和期の機械工学者、鉄道技術者。 | ||
69 | 中島董一郎 西尾市 | Wikipedia |
中島 董一郎(なかしま とういちろう、1883年8月22日 - 1973年12月19日)は、愛知県西尾市出身の実業家。キユーピー創業者。 | ||
東京海洋大学出身 出身の東京海洋大学の出身者 全国の東京海洋大学の出身者 | ||
70 | 中野並助 | Wikipedia |
中野 並助(なかの なみすけ、1883年(明治16年) - 1955年(昭和30年)5月23日)は、日本の検察官。日本の検事総長。弁護士。群馬県南甘楽郡神川村(現神流町)出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
71 | 武田久吉 | Wikipedia |
武田 久吉(たけだ ひさよし、1883年3月2日 - 1972年6月7日)は、日本の植物学者、登山家。 | ||
72 | 宇佐美興屋 | Wikipedia |
宇佐美 興屋(うさみ おきいえ、1883年1月27日 - 1970年9月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
73 | 加藤隆義 | Wikipedia |
加藤 隆義(かとう たかよし、明治16年(1883年)3月20日 - 昭和30年(1955年)2月10日)は、大正から昭和期の日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍大将。子爵。広島県出身で旧姓は船越。同郷の加藤友三郎元帥から養子に迎えられ、以後加藤姓を名乗る。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
74 | 井上継松 | Wikipedia |
井上 継松(いのうえ つぐまつ、1883年5月 - 1966年12月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
75 | 菊池秋雄 | Wikipedia |
菊池 秋雄(きくち あきお、1883年1月28日 - 1951年)は、青森県出身の園芸学者。京都大学名誉教授。専門は果樹園芸学。 | ||
76 | 秋田雨雀 黒石市 | Wikipedia |
秋田 雨雀(あきた うじゃく、1883年(明治16年)1月30日 - 1962年(昭和37年)5月12日)は、日本の劇作家・詩人・童話作家・小説家である。本名は徳三(とくぞう)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
77 | 上村清太郎 | Wikipedia |
上村 清太郎(うえむら せいたろう、1883年(明治16年)10月15日 - 1947年(昭和22年)3月11日)は大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
78 | 岩本素白 | Wikipedia |
岩本 素白(いわもと そはく 、1883年8月17日 - 1961年10月2日)は、国文学者、随筆家。本名は堅一(けんいち)。東京府麻布に生まれる、父竹次郎は旧丸亀藩士で海軍勤務であった。 | ||
79 | 安倍能成 | Wikipedia |
安倍 能成(あべ よししげ、1883年(明治16年)12月23日 - 1966年(昭和41年)6月7日)は、日本の哲学者、教育者、政治家。法政大学教授、京城帝国大学教授、第一高等学校校長、貴族院勅選議員、文部大臣を歴任。貴族院帝国憲法改正案特別委員会委員長。学習院院長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
80 | 鈴木善太郎 | Wikipedia |
鈴木 善太郎(すずき ぜんたろう、1883年1月19日 - 1950年5月19日)は、日本の小説家、劇作家、翻訳家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
81 | 佐々木邦 | Wikipedia |
佐々木 邦(ささき くに、1883年(明治16年)5月4日 - 1964年(昭和39年)9月22日) は日本の作家、英文学者。弟・順三は立教大学総長。 | ||
明治学院大学出身 出身の明治学院大学の出身者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
82 | 中沢良夫 | Wikipedia |
中澤 良夫(なかざわ よしお、1883年9月19日 - 1966年8月28日)は、東京都出身の野球選手、応用化学者、日本高等学校野球連盟会長。 | ||
83 | 橋本虎之助 | Wikipedia |
橋本 虎之助(はしもと とらのすけ、1883年(明治16年)6月6日 - 1952年(昭和27年)1月26日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。愛知県出身。 | ||
84 | 小畑惟清 | Wikipedia |
小畑 惟清(おばた いせい、1883年6月2日 - 1962年7月23日)は、日本の医学者、産婦人科医。元日本医師会会長、日本産科婦人科学会会長。熊本県出身。 | ||
85 | 松村武雄 | Wikipedia |
松村 武雄(まつむら たけお、1883年(明治16年)8月23日 - 1969年(昭和44年)9月25日)は、日本の神話学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
86 | 永田二郎 | Wikipedia |
永田 二郎(ながた じろう、1883年 - 1971年)は、埼玉県出身の洋画家。浦和画家。 | ||
87 | 重松俊章 | Wikipedia |
重松 俊章(しげまつ しゅんしょう、1883年11月18日 - 1961年10月6日)は、日本の東洋学者であり、真言宗豊山派の僧である。 | ||
88 | 高田保馬 | Wikipedia |
高田 保馬(たかた やすま、1883年(明治16年)12月27日 - 1972年(昭和47年)2月2日)は日本の経済学者、社会学者。文学博士。歌人。文化功労者。京都大学名誉教授。大阪大学名誉教授。 | ||
89 | 横山英太郎 | Wikipedia |
横山 英太郎(よこやま えいたろう、1883年(明治16年)7月 - 1966年(昭和41年)6月13日)は、日本の工学者(専攻は電気工学、電気通信)。 | ||
90 | 長谷川清 | Wikipedia |
長谷川 清(はせがわ きよし、1883年(明治16年)5月7日 - 1970年(昭和45年)9月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は正三位 勲一等 功一級 海軍大将。福井県足羽郡社村(現・福井市)出身。 | ||
91 | 藤井甚太郎 | Wikipedia |
藤井 甚太郎(ふじい じんたろう、1883年3月25日 - 1958年7月9日)は、大正・昭和期の日本史学者。法政大学文学部名誉教授。明治維新史の実証主義的研究の先駆者として活躍した。 | ||
92 | 富田勇太郎 | Wikipedia |
富田 勇太郎(とみた ゆうたろう、1883年8月12日 - 1946年2月24日)は、日本の官僚、銀行家。大蔵省理財局長、満州興業銀行初代総裁。 | ||
93 | 和田三造 朝来市 | Wikipedia |
和田 三造(わだ さんぞう、1883年(明治16年)3月3日 - 1967年(昭和42年)8月22日)は、明治・大正・昭和期の日本の洋画家、版画家。帝国美術院会員。1953年(昭和28年)、大映映画『地獄門』で、色彩デザイン及び衣裳デザインを担当し、この作品で、1954年(昭和29年)の第27回アカデミー賞で衣裳デザイン賞を受賞。 | ||
94 | 三船久蔵 久慈市 | Wikipedia |
三船 久蔵(みふね きゅうぞう、1883年(明治16年)4月21日 - 1965年(昭和40年)1月27日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道十段。大日本武徳会柔道範士。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
95 | 三井甲之 | Wikipedia |
三井甲之(みつい こうし、1883年(明治16年)10月16日 - 1953年(昭和28年)4月3日)は、日本の文学者、歌人、右翼思想家。本名は甲之助。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
96 | 弓館小鰐 | Wikipedia |
弓館 小鰐(ゆだて しょうがく、1883年(明治16年)9月28日 - 1958年(昭和33年)8月2日)は日本の新聞記者、随筆家。毎日新聞で記者として活動した他、『西遊記』などの翻訳でも活動した。本名は芳夫(よしお)。本名での活動も多い。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
97 | 水野葉舟 | Wikipedia |
水野 葉舟(みずの ようしゅう、1883年4月9日 - 1947年2月2日)は日本の詩人、歌人、小説家、心霊現象研究者。東京生まれ、本名は盈太郎(みちたろう)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
98 | 植芝盛平 | Wikipedia |
植芝 盛平(うえしば もりへい、1883年(明治16年)12月14日 - 1969年(昭和44年)4月26日)は、日本の武道家(合気道家)。合気道の創始者。合気道界では「開祖」(かいそ)と敬称される。 |