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このサイトに登録されている「内の高校から海軍兵学校」へ進学した有名人の数:194人
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1 | 北海道札幌南高等学校 安東昌喬 | Wikipedia |
安東 昌喬(あんどう まさたか、1880年5月28日 - 1956年4月7日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
5月28日生まれの人  1880年生まれの人  出身の1880年生まれ | ||
2 | 北海道室蘭栄高等学校 国定謙男 | Wikipedia |
国定 謙男(くにさだ かねお、1913年(大正2年)2月10日 - 1945年(昭和20年)8月22日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争の敗戦を受けて、一家四人で自決した海軍少佐である。 | ||
2月10日生まれの人  1913年生まれの人  出身の1913年生まれ | ||
3 | 青森県立鰺ヶ沢高等学校 堀内三郎 | Wikipedia |
堀内 三郎(ほりうち さぶろう、1951年5月16日 - )は、青森県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 | ||
5月16日生まれの人  1951年生まれの人  出身の1951年生まれ | ||
4 | 岩手県立一関第一高等学校 阿部勝雄 | Wikipedia |
阿部 勝雄(あべ かつお、1891年4月18日 - 1948年5月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
4月18日生まれの人  1891年生まれの人  出身の1891年生まれ | ||
5 | 岩手県立盛岡第一高等学校 多田武雄 | Wikipedia |
多田 武雄(ただ たけお、1890年10月7日 - 1953年3月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
10月7日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
6 | 岩手県立盛岡第一高等学校 及川古志郎 古志郡 | Wikipedia |
及川 古志郎(おいかわ こしろう、1883年(明治16年)2月8日 - 1958年(昭和33年)5月9日)は、日本の海軍軍人。新潟県古志郡出身。海兵31期。海軍大学校13期。最終階級は海軍大将。第2次近衛内閣・第3次近衛内閣で海軍大臣。第18代軍令部総長。 | ||
2月8日生まれの人  1883年生まれの人  出身の1883年生まれ | ||
7 | 岩手県立盛岡第一高等学校 米内光政 盛岡市 | Wikipedia |
米内 光政(よない みつまさ、1880年(明治13年)3月2日 - 1948年(昭和23年)4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。第23代連合艦隊司令長官。第39-41、49-52代海軍大臣。第37代内閣総理大臣。 | ||
3月2日生まれの人  1880年生まれの人  出身の1880年生まれ | ||
8 | 岩手県立盛岡第一高等学校 八角三郎 盛岡市 | Wikipedia |
八角 三郎(やすみ さぶろう、1880年(明治13年)12月19日 - 1965年(昭和40年)1月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将、衆議院議員。 | ||
12月19日生まれの人  1880年生まれの人  出身の1880年生まれ | ||
9 | 宮城県角田高等学校 保科善四郎 角田市 | Wikipedia |
保科 善四郎(ほしな ぜんしろう、1891年(明治24年)3月8日 - 1991年(平成3年)12月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将。衆議院議員を4期務めた後、財団法人日本国防協会会長。 | ||
3月8日生まれの人  1891年生まれの人  出身の1891年生まれ | ||
10 | 秋田県立秋田高等学校 西村祥治 | Wikipedia |
西村 祥治(にしむら しょうじ、1889年(明治22年)11月30日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。秋田県出身。 | ||
11月30日生まれの人  1889年生まれの人  出身の1889年生まれ | ||
11 | 秋田県立横手高等学校 西村祥治 | Wikipedia |
西村 祥治(にしむら しょうじ、1889年(明治22年)11月30日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。秋田県出身。 | ||
11月30日生まれの人  1889年生まれの人  出身の1889年生まれ | ||
12 | 山形県立山形東高等学校 内藤雄 | Wikipedia |
内藤 雄(ないとう たけし、1903年(明治36年)8月17日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人(海兵52期、海大36期卒)。太平洋戦争において艦隊参謀職を歴任した後、海軍乙事件で殉職。殉職による一階級昇進で最終階級は海軍大佐。 | ||
8月17日生まれの人  1903年生まれの人  出身の1903年生まれ | ||
13 | 山形県立山形東高等学校 川井巌 山形市 | Wikipedia |
川井 巌(かわい いわお、1896年(明治29年)9月2日 - 1972年(昭和47年)5月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県山形市出身。 | ||
9月2日生まれの人  1896年生まれの人  出身の1896年生まれ | ||
14 | 山形県立米沢興譲館高等学校 松野良寅 | Wikipedia |
松野 良寅(まつの よしとら、1926年(大正15年) - 2012年(平成24年)3月12日)は、日本の英学者。日本英学史学会会長、我妻栄記念館館長。豊田實賞、米沢市功績章を受章。 | ||
1926年生まれの人  出身の1926年生まれ | ||
15 | 山形県立米沢興譲館高等学校 工藤俊作 高畠町 | Wikipedia |
工藤 俊作(くどう しゅんさく、1901年(明治34年)1月7日 – 1979年(昭和54年)1月12日)は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍中佐。1942年3月、駆逐艦「雷」艦長時、スラバヤ沖海戦で撃沈されたイギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた人物として有名である。 | ||
1月7日生まれの人  1901年生まれの人  出身の1901年生まれ | ||
16 | 山形県立米沢興譲館高等学校 小林仁 米沢市 | Wikipedia |
小林 仁(こばやし まさみ/まさし、1890年6月18日 - 1977年8月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。山形県米沢市出身。山形県立米沢中学校、海軍兵学校(38期)卒業。 | ||
6月18日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
17 | 山形県立米沢興譲館高等学校 南雲忠一 米沢市 | Wikipedia |
南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年(明治20年)3月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。海兵36期。最終階級は海軍大将。サイパン島において自決。 | ||
3月25日生まれの人  1887年生まれの人  出身の1887年生まれ | ||
18 | 山形県立米沢興譲館高等学校 片桐英吉 米沢市 | Wikipedia |
片桐 英吉(かたぎり えいきち、1885年9月24日 - 1972年8月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
9月24日生まれの人  1885年生まれの人  出身の1885年生まれ | ||
19 | 山形県立米沢興譲館高等学校 下村正助 米沢市 | Wikipedia |
下村 正助(しもむら しょうすけ、1885年(明治18年)1月9日 - 1953年(昭和28年)7月30日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。山形県米沢市出身。 | ||
1月9日生まれの人  1885年生まれの人  出身の1885年生まれ | ||
20 | 山形県立米沢興譲館高等学校 下村忠助 米沢市 | Wikipedia |
下村 忠助(しもむら ちゅうすけ、1881年〈明治14年〉10月8日 - 1916年〈大正5年〉5月31日)は、日本の海軍軍人。 第一次世界大戦で観戦武官として戦死した海軍中佐である。海大甲種10期首席。正六位勲四等功四級。 | ||
10月8日生まれの人  1881年生まれの人  出身の1881年生まれ | ||
21 | 山形県立米沢興譲館高等学校 今村信次郎 米沢市 | Wikipedia |
今村 信次郎(いまむら のぶじろう、1880年(明治13年)12月4日 - 1969年(昭和44年)9月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
12月4日生まれの人  1880年生まれの人  出身の1880年生まれ | ||
22 | 山形県立米沢興譲館高等学校 千坂智次郎 米沢市 | Wikipedia |
千坂 智次郎(ちさか ちじろう、慶応4年2月15日(1868年3月8日) - 昭和11年(1936年)2月23日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
3月8日生まれの人  1868年生まれの人  出身の1868年生まれ | ||
23 | 山形県立米沢興譲館高等学校 黒井悌次郎 米沢市 | Wikipedia |
黒井 悌次郎(くろい ていじろう、慶応2年5月22日(1866年7月4日) - 昭和12年(1937年)4月29日)は明治から大正期の日本の海軍軍人。海軍大将。山形県出身。なお、江戸時代の米沢藩士・黒井忠寄との関係は不詳。 | ||
7月4日生まれの人  1866年生まれの人  出身の1866年生まれ | ||
24 | 山形県立米沢興譲館高等学校 上泉徳弥 | Wikipedia |
上泉 徳弥(かみいずみ とくや、1865年11月13日(慶応元年9月25日) - 1946年11月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
11月13日生まれの人  1865年生まれの人  出身の1865年生まれ | ||
25 | 山形県立米沢興譲館高等学校 山下源太郎 米沢市 | Wikipedia |
山下 源太郎(やました げんたろう、文久3年7月30日(1863年8月26日) - 昭和6年(1931年)2月18日)は、明治、大正時代の日本海軍軍人、華族。位階・勲等・功級・爵位は、海軍大将・正二位・勲一等・功三級・男爵。日露戦争時の軍令部作戦班長(のちの作戦部長)、連合艦隊司令長官、軍令部長などを歴任した。 | ||
8月26日生まれの人  1863年生まれの人  出身の1863年生まれ | ||
26 | 福島県立安積高等学校 植松練磨 南相馬市 | Wikipedia |
植松 練磨(うえまつ とうま、1883年4月30日 - 1948年8月22日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。 | ||
4月30日生まれの人  1883年生まれの人  出身の1883年生まれ | ||
27 | 福島県立喜多方高等学校 風間万年 | Wikipedia |
風間 万年[* 1](かざま まんねん、生年不明 - 1945年(昭和20年)1月3日または1月4日)は、日本の海軍軍人。神風特別攻撃隊旭日隊の指揮官であり、特攻により戦死したが、その作戦行動については資料によって異同がある。二階級特進により最終階級は海軍少佐。 | ||
年生まれの人  出身の年生まれ | ||
28 | 福島県立磐城高等学校 菊池朝三 | Wikipedia |
菊池 朝三(きくち ともぞう、1896年11月22日 - 1988年1月31日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。茨城県土浦市議会議員。 | ||
11月22日生まれの人  1896年生まれの人  出身の1896年生まれ | ||
29 | 福島県立磐城高等学校 高木武雄 | Wikipedia |
高木 武雄(たかぎ たけお、1892年(明治25年)1月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。福島県石城郡大野村(現・いわき市)出身 。磐城中学校(現福島県立磐城高等学校)卒。海軍兵学校(39期)、海軍大学校(23期)卒業。幼少のころから頭脳明晰で、同期中最年少の少尉任官であった。海軍兵学校同期に伊藤整一、遠藤喜一、阿部弘毅、岡敬純、角田覚治、原忠一などがいる。 | ||
1月25日生まれの人  1892年生まれの人  出身の1892年生まれ | ||
30 | 福島県立相馬高等学校 高橋伊望 | Wikipedia |
高橋 伊望(たかはし いぼう、1888年(明治21年)4月20日 - 1947年(昭和22年)3月18日)は日本の海軍軍人。太平洋戦争において司令長官職を歴任した海軍中将である。 | ||
4月20日生まれの人  1888年生まれの人  出身の1888年生まれ | ||
31 | 学校法人石川高等学校 鹿岡円平 | Wikipedia |
鹿岡 円平(かのおか えんぺい、1901年(明治34年)4月11日 - 1944年(昭和19年)11月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
4月11日生まれの人  1901年生まれの人  出身の1901年生まれ | ||
32 | 福島県立福島高等学校 長澤浩 福島市 | Wikipedia |
長澤 浩(ながさわ こう、1900年(明治33年)12月29日 - 1967年(昭和42年)4月17日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海軍兵学校(第49期)卒。第2代海上幕僚長。 | ||
12月29日生まれの人  1900年生まれの人  出身の1900年生まれ | ||
33 | 茨城県立水戸第一高等学校 栗田健男 水戸市 | Wikipedia |
栗田健男(くりた たけお、1889年4月28日 - 1977年12月19日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校38期卒業。 | ||
4月28日生まれの人  1889年生まれの人  出身の1889年生まれ | ||
34 | 群馬県立沼田高等学校 井上二三雄 | Wikipedia |
井上 二三雄(いのうえ ふみお)、1883年(明治16年)12月25日 - 1919年(大正8年)3月5日)は、日本の海軍軍人。海軍航空草創期の搭乗員の一人で、第一次世界大戦において日本初の航空作戦に参戦し、のちに殉職した。最終階級は海軍中佐。井上日召は弟。 | ||
12月25日生まれの人  1883年生まれの人  出身の1883年生まれ | ||
35 | 群馬県立富岡高等学校 黒沢丈夫 上野村 | Wikipedia |
黒沢 丈夫/黒澤 丈夫(くろさわ たけお、1913年(大正2年)12月23日 - 2011年(平成23年)12月22日)は、日本海軍士官・操縦士。政治家。戦後群馬県多野郡上野村村長を10期連続で務めた。日本航空123便墜落事故の際に事故処理に尽力したことで知られる。称号は上野村名誉村民。 | ||
12月23日生まれの人  1913年生まれの人  出身の1913年生まれ | ||
36 | 群馬県立富岡高等学校 黛治夫 | Wikipedia |
黛 治夫(まゆずみ はるお、1899年10月2日 - 1992年10月29日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
10月2日生まれの人  1899年生まれの人  出身の1899年生まれ | ||
37 | 千葉県立千葉高等学校 大野博 船橋市 | Wikipedia |
大野 博(おおの ひろし、1911年 - 1939年(昭和14年)2月2日)は、日本の海軍軍人、海軍少佐。現在の千葉県船橋市出身で、父 大野善兵衛、母 正子の二男として生まれる。父は製麩業のかたわら、船橋町議などをつとめた。 | ||
1911年生まれの人  出身の1911年生まれ | ||
38 | 千葉県立千葉高等学校 大田実 長柄町 | Wikipedia |
大田 實(おおた みのる、1891年(明治24年)4月7日 - 1945年(昭和20年)6月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。千葉県長生郡長柄町出身。 | ||
4月7日生まれの人  1891年生まれの人  出身の1891年生まれ | ||
39 | 千葉県立長生高等学校 柴勝男 | Wikipedia |
柴 勝男(しば かつお、1901年9月4日 - 1970年1月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍大佐。旧姓・阿部。千葉県出身。 | ||
9月4日生まれの人  1901年生まれの人  出身の1901年生まれ | ||
40 | 千葉県立佐倉高等学校 檜貝襄治 佐倉市 | Wikipedia |
檜貝 嚢治(ひがい じょうじ、1906年(明治39年)11月20日 - 1943年(昭和18年)1月29日)は、日本の海軍軍人。海兵57期。太平洋戦争(大東亜戦争)時における爆撃機の名パイロットで霞空飛行隊長、七〇一空飛行長を歴任。檜貝式爆撃法を生み出し、ガダルカナル島夜間爆撃等を指揮、多大な戦果をもたらした。七〇五空飛行長の三原元一少佐とともに陸攻隊の双璧といわれた。レンネル島沖海戦において被弾後、敵艦へ突撃。戦死による二階級特進で最終階級は海軍大佐。 | ||
11月20日生まれの人  1906年生まれの人  出身の1906年生まれ | ||
41 | 千葉県立佐倉高等学校 兼坂隆 | Wikipedia |
42 | 千葉県立佐倉高等学校 丹治寛雄 | Wikipedia |
43 | 千葉県立佐倉高等学校 山崎嘉吉 | Wikipedia |
44 | 千葉県立佐倉高等学校 湯村文男 | Wikipedia |
45 | 千葉県立佐倉高等学校 林利房 | Wikipedia |
46 | 千葉県立佐倉高等学校 園原雄三 | Wikipedia |
47 | 筑波大学附属高等学校 佐薙毅 | Wikipedia |
佐薙 毅(さなぎ さだむ、1901年(明治34年)8月8日 - 1990年(平成2年)3月14日)は、日本の海軍軍人及び航空自衛官、第2代航空幕僚長。海軍の最終階級は海軍大佐。自衛隊の最終階級は航空幕僚長たる空将。 | ||
8月8日生まれの人  1901年生まれの人  出身の1901年生まれ | ||
48 | 筑波大学附属高等学校 亀井凱夫 | Wikipedia |
亀井 凱夫(かめい よしお、1896年(明治29年)3月21日 - 1944年(昭和19年)8月10日)は、日本の海軍軍人で戦闘機搭乗員。津和野藩主・亀井氏の一族で、戸籍上は亀井貫一郎 の義兄となるが血縁上は実弟。革新官僚の毛里英於菟は義弟。吉良俊一に続き空母への着艦を成功させ、また夜間における空母着艦を成し遂げた。太平洋戦争において航空隊司令として歴戦し戦死。最終階級は海軍少将である。 | ||
3月21日生まれの人  1896年生まれの人  出身の1896年生まれ | ||
49 | 筑波大学附属高等学校 大野竹二 | Wikipedia |
大野 竹二(おおの たけじ、1894年10月1日 - 1976年12月18日)は、日本海軍の軍人。 戦艦「大和」第4代艦長。最終階級は海軍少将。 | ||
10月1日生まれの人  1894年生まれの人  出身の1894年生まれ | ||
50 | 筑波大学附属高等学校 伊集院松治 千代田区 | Wikipedia |
伊集院 松治(いじゅういん まつじ、1893年(明治26年)4月21日 - 1944年(昭和19年)5月24日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍中将。男爵。 | ||
4月21日生まれの人  1893年生まれの人  出身の1893年生まれ | ||
51 | 筑波大学附属高等学校 平田昇 | Wikipedia |
平田 昇(ひらた のぼる、1885年12月1日 - 1958年5月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
12月1日生まれの人  1885年生まれの人  出身の1885年生まれ | ||
52 | 筑波大学附属高等学校 有地十五郎 | Wikipedia |
有地 十五郎(ありち じゅうごろう、1882年10月22日 - 1947年11月8日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
10月22日生まれの人  1882年生まれの人  出身の1882年生まれ | ||
53 | 東京都立日比谷高等学校 兼子正 | Wikipedia |
兼子 正(かねこ ただし 1912年(明治45年)- 1942年(昭和17年)11月14日)は、日本の海軍軍人。空母艦上戦闘機搭乗員として、日中戦争及び太平洋戦争で撃墜王となる。ガダルカナルへの高速輸送船団の上空直衛の戦闘にて戦死。最終階級は海軍少佐。本籍は山形県西村山郡谷地町。 | ||
1912年生まれの人  出身の1912年生まれ | ||
54 | 東京都立日比谷高等学校 鈴木實 三原市 | Wikipedia |
鈴木 實(すずき みのる 1910年(明治43年)4月20日- 2001年(平成13年)10月28日)は、東京麹町生まれの大日本帝国海軍の軍人、実業家。旧海軍時代の最終階級は海軍中佐。本籍は新潟県岩船郡村上本町。 | ||
4月20日生まれの人  1910年生まれの人  出身の1910年生まれ | ||
55 | 東京都立日比谷高等学校 黒井明 | Wikipedia |
黒井 明(くろい あきら、1903年(明治36年)5月27日 - 1933年(昭和8年)3月10日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。水上機機長としての不時着水時の行動で責任感の鑑と称えられた。のちに殉職し最終階級は海軍少佐。 | ||
5月27日生まれの人  1903年生まれの人  出身の1903年生まれ | ||
56 | 東京都立日比谷高等学校 牟田口格郎 | Wikipedia |
牟田口 格郎(むたくち かくろう、1894年1月2日 - 1945年7月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
1月2日生まれの人  1894年生まれの人  出身の1894年生まれ | ||
57 | 東京都立日比谷高等学校 野元為輝 | Wikipedia |
野元 為輝(のもと ためき、1894年(明治27年)8月29日 - 1987年(昭和62年)12月19日)は、日本の海軍軍人。第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に空母・「瑞鶴」艦長として参戦した。最終階級は海軍少将。 | ||
8月29日生まれの人  1894年生まれの人  出身の1894年生まれ | ||
58 | 東京都立日比谷高等学校 小林謙五 | Wikipedia |
小林 謙五(こばやし けんご、1893年3月22日 - 1948年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
3月22日生まれの人  1893年生まれの人  出身の1893年生まれ | ||
59 | 東京都立日比谷高等学校 志摩清英 | Wikipedia |
志摩清英(しま きよひで 1890年(明治23年)2月25日 - 1973年(昭和48年)11月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
2月25日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
60 | 東京都立日比谷高等学校 千田貞敏 | Wikipedia |
千田 貞敏(せんだ さだとし、1890年7月22日 - 1944年12月25日戦死認定)は、日本海軍の軍人。ビアク島の戦いにて戦死。戦死後、一階級進級し海軍中将。正四位勲二等旭日重光章。 | ||
7月22日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
61 | 東京都立日比谷高等学校 多田武雄 | Wikipedia |
多田 武雄(ただ たけお、1890年10月7日 - 1953年3月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
10月7日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
62 | 東京都立日比谷高等学校 三木森彦 | Wikipedia |
三木 森彦(みき もりひこ、 1890年(明治23年)5月21日 - 1973年(昭和48年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。東京都目黒区出身。 | ||
5月21日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
63 | 東京都立日比谷高等学校 桑原虎雄 | Wikipedia |
桑原 虎雄(くわばら とらお、1887年(明治20年)10月26日 - 1975年(昭和50年)6月5日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
10月26日生まれの人  1887年生まれの人  出身の1887年生まれ | ||
64 | 東京都立日比谷高等学校 松田竹太郎 | Wikipedia |
松田 竹太郎(まつだ たけたろう、1887年(明治20年)1月16日 - 1944年(昭和19年)5月8日)は、日本の工学者・海軍軍人。最終階級は、海軍少将。 東京府立工業奨励館・東京商工奨励館館長などを歴任。 | ||
1月16日生まれの人  1887年生まれの人  出身の1887年生まれ | ||
65 | 東京都立日比谷高等学校 有馬寛 | Wikipedia |
有馬 寛(ありま ゆたか、1885年2月14日 - 1951年1月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
2月14日生まれの人  1885年生まれの人  出身の1885年生まれ | ||
66 | 東京都立日比谷高等学校 国府尽平 | Wikipedia |
國府 尽平(こうの じんぺい、1885年(明治18年) - 1956年(昭和31年)4月30日)は、日本の海軍軍人、医師。海軍中佐で予備役となった[注 1]のち、医学博士号を取得した。 | ||
1885年生まれの人  出身の1885年生まれ | ||
67 | 東京都立日比谷高等学校 加藤隆義 | Wikipedia |
加藤 隆義(かとう たかよし、明治16年(1883年)3月20日 - 昭和30年(1955年)2月10日)は、大正から昭和期の日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍大将。子爵。広島県出身で旧姓は船越。同郷の加藤友三郎元帥から養子に迎えられ、以後加藤姓を名乗る。 | ||
3月20日生まれの人  1883年生まれの人  出身の1883年生まれ | ||
68 | 東京都立日比谷高等学校 井上継松 | Wikipedia |
井上 継松(いのうえ つぐまつ、1883年5月 - 1966年12月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
1883年生まれの人  出身の1883年生まれ | ||
69 | 東京都立日比谷高等学校 伊藤安吉 | Wikipedia |
伊藤 安吉(いとう やすきち、1873年(明治6年)5月14日 - 1951年(昭和26年)9月15日)は、日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍造機少将、貴族院男爵議員。 | ||
5月14日生まれの人  1873年生まれの人  出身の1873年生まれ | ||
70 | 東京都立戸山高等学校 野中五郎 | Wikipedia |
野中 五郎(のなか ごろう、1910年(明治43年)11月18日 - 1945年(昭和20年)3月21日)は、日本の海軍軍人。特攻兵器「桜花」を擁する神雷部隊指揮官として九州沖航空戦に参加。最終階級は戦死による二階級特進で海軍大佐。海兵61期卒。 | ||
11月18日生まれの人  1910年生まれの人  出身の1910年生まれ | ||
71 | 東京都立戸山高等学校 鈴木英 | Wikipedia |
鈴木 英(すずき すぐる、1908年(明治41年) 4月1日 - 1985年(昭和60年)9月18日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。太平洋戦争において軍令部作戦課員などを務め、戦後は海上自衛隊に入隊。最終階級は日本海軍では海軍中佐、海自では海将。父は鈴木孝雄陸軍大将で、その次男。妻は岡田啓介首相の娘、喜美子。 | ||
4月1日生まれの人  1908年生まれの人  出身の1908年生まれ | ||
72 | 東京都立戸山高等学校 沖野亦男 | Wikipedia |
沖野 亦男(おきの またお、1898年(明治31年)7月27日 - 1978年(昭和53年)3月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 中国勤務が長く"海軍の長江男"と異名があった中華民国専門家である。第二次世界大戦で片足を失い捕虜となる。戦後は傷痍軍人会の創設、障害者スポーツの振興に尽力した。傷痍軍人会専務理事、世界歴戦者連盟(WVF - World Veterans Federation)理事。 | ||
7月27日生まれの人  1898年生まれの人  出身の1898年生まれ | ||
73 | 東京都立戸山高等学校 伏見宮博義王 | Wikipedia |
博義王(ひろよしおう、1897年(明治30年)12月8日 - 1938年(昭和13年)10月19日)は、明治・大正期の伏見宮家の皇族、海軍軍人。 最終階級は海軍大佐[3]。 伏見宮第25代当主の伏見宮博恭王第1王子[4]。伏見宮の継承はしていないが、伏見宮博義王と通称されることもある[5][6]。 | ||
12月8日生まれの人  1897年生まれの人  出身の1897年生まれ | ||
74 | 東京都立戸山高等学校 横井忠雄 | Wikipedia |
横井 忠雄(よこい ただお、1895年(明治28年)3月6日 - 1965年(昭和40年)9月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。大分県大分市出身。 | ||
3月6日生まれの人  1895年生まれの人  出身の1895年生まれ | ||
75 | 東京都立戸山高等学校 戸塚道太郎 | Wikipedia |
戸塚 道太郎(とづか みちたろう、1890年(明治23年)4月21日 - 1966年(昭和41年)3月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
4月21日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
76 | 東京都立戸山高等学校 佐藤市郎 | Wikipedia |
佐藤 市郎(さとう いちろう、1889年(明治22年)8月28日 - 1958年(昭和33年)4月14日)は、日本の海軍軍人、歴史家。最終階級は海軍中将。共に内閣総理大臣を務めた岸信介、佐藤栄作兄弟の実兄である。 | ||
8月28日生まれの人  1889年生まれの人  出身の1889年生まれ | ||
77 | 東京都立戸山高等学校 白根斐夫 | Wikipedia |
78 | 東京都立新宿高等学校 佐藤和男 | Wikipedia |
佐藤 和男(さとう かずお、1927年 - )は日本の法学者。青山学院大学名誉教授、元植草学園短期大学学長。一橋大学法学博士。国際法専攻。 | ||
1927年生まれの人  出身の1927年生まれ | ||
79 | 暁星高等学校 山本信次郎 藤沢市 | Wikipedia |
山本 信次郎(やまもと しんじろう、1877年(明治10年)12月22日 - 1942年(昭和17年)2月28日)は日本の海軍軍人、カトリック教会信徒。最終階級は海軍少将、正三位勲二等功五級。 | ||
12月22日生まれの人  1877年生まれの人  出身の1877年生まれ | ||
80 | 海城高等学校 小林躋造 広島市 | Wikipedia |
小林 躋造(こばやし せいぞう、1877年(明治10年)10月1日 - 1962年(昭和37年)7月4日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。小磯國昭内閣の国務大臣。広島県広島市出身。 | ||
10月1日生まれの人  1877年生まれの人  出身の1877年生まれ | ||
81 | 成城高等学校 市岡寿 | Wikipedia |
市岡 寿(いちおか ひさし、1893年5月26日 - 1963年2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
5月26日生まれの人  1893年生まれの人  出身の1893年生まれ | ||
82 | 成城高等学校 小沢治三郎 | Wikipedia |
小沢 治三郎(小澤 治三郎, おざわ じさぶろう、1886年(明治19年)10月2日 - 1966年(昭和41年)11月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校37期生。第31代となる最後の連合艦隊司令長官を務めた。 | ||
10月2日生まれの人  1886年生まれの人  出身の1886年生まれ | ||
83 | 東洋大学京北高等学校 高田利種 | Wikipedia |
高田 利種(たかだ としたね、1895年1月15日 - 1987年10月25日)は、日本海軍の軍人、実業家。海兵45期、海大28期。最終階級は海軍少将。戦後は生化学工業株式会社社長。 | ||
1月15日生まれの人  1895年生まれの人  出身の1895年生まれ | ||
84 | 攻玉社高等学校 佐久間勉 | Wikipedia |
佐久間 勉(さくま つとむ、1879年9月13日 - 1910年4月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大尉。 | ||
9月13日生まれの人  1879年生まれの人  出身の1879年生まれ | ||
85 | 攻玉社高等学校 加藤寛治 福井市 | Wikipedia |
加藤 寛治(かとう ひろはる、有職読み:かんじ、1870年10月26日(明治3年10月2日) - 1939年(昭和14年)2月9日)は、明治、大正、昭和期の日本の海軍軍人、海軍大将。福井県福井市出身。元福井藩士、海軍大尉・加藤直方の長男。子息・孝治は陸軍大将・武藤信義の養子。 | ||
10月26日生まれの人  1870年生まれの人  出身の1870年生まれ | ||
86 | 攻玉社高等学校 上泉徳弥 | Wikipedia |
上泉 徳弥(かみいずみ とくや、1865年11月13日(慶応元年9月25日) - 1946年11月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
11月13日生まれの人  1865年生まれの人  出身の1865年生まれ | ||
87 | 東京高等学校 嶋田繁太郎 | Wikipedia |
嶋田 繁太郎(しまだ しげたろう、1883年(明治16年)9月24日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵32期。最終階級は海軍大将。第47代海軍大臣。第17代軍令部総長。A級戦犯として終身刑。 | ||
9月24日生まれの人  1883年生まれの人  出身の1883年生まれ | ||
88 | 学習院高等科 北条浩 | Wikipedia |
北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年(大正12年)7月11日 - 1981年(昭和56年)7月18日)は、日本の参議院議員:1965年(昭和40年) - 1971年(昭和46年)・第4代創価学会会長。前任の池田大作会長が執筆した小説『人間革命』の登場人物「十条潔」のモデルとなる。 | ||
7月11日生まれの人  1923年生まれの人  出身の1923年生まれ | ||
89 | 学習院高等科 高松宮宣仁親王 | Wikipedia |
高松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう、1905年(明治38年)1月3日 - 1987年(昭和62年)2月3日)は、日本の皇族。大正天皇と貞明皇后の第三皇子。今上天皇の叔父にあたる。有栖川宮の祭祀を継承。妃は公爵・徳川慶久の次女・喜久子。御称号は光宮(てるのみや)。身位は親王。お印は若梅(わかうめ)。栄典は大勲位功四級。 | ||
1月3日生まれの人  1905年生まれの人  出身の1905年生まれ | ||
90 | 学習院高等科 久邇宮朝融王 | Wikipedia |
久邇宮朝融王(くにのみや あさあきらおう、1901年(明治34年)2月2日 - 1959年(昭和34年)12月7日)は、日本の皇族、官位は海軍中将大勲位功三級。昭和天皇の義兄。 | ||
2月2日生まれの人  1901年生まれの人  出身の1901年生まれ | ||
91 | 学習院高等科 伏見宮博義王 | Wikipedia |
博義王(ひろよしおう、1897年(明治30年)12月8日 - 1938年(昭和13年)10月19日)は、明治・大正期の伏見宮家の皇族、海軍軍人。 最終階級は海軍大佐。 伏見宮第25代当主の伏見宮博恭王第1王子[4]。伏見宮の継承はしていないが、伏見宮博義王と通称されることもある[5][6]。 | ||
12月8日生まれの人  1897年生まれの人  出身の1897年生まれ | ||
92 | 学習院高等科 醍醐忠重 | Wikipedia |
醍醐 忠重(だいご ただしげ、明治24年(1891年)10月15日 - 昭和22年(1947年)12月6日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員。爵位は侯爵 オランダ領東インド | ||
10月15日生まれの人  1891年生まれの人  出身の1891年生まれ | ||
93 | 学習院高等科 上野正雄 | Wikipedia |
上野 正雄(うえの まさお、1890年(明治23年)7月16日 - 1965年(昭和40年)2月16日)は、日本の華族、海軍軍人。爵位は伯爵、最終階級は海軍少将。旧姓は永田。 | ||
7月16日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
94 | 学習院高等科 住山徳太郎 | Wikipedia |
住山 徳太郎(すみやま とくたろう、1886年(明治19年)5月1日 - 1962年(昭和37年)11月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
5月1日生まれの人  1886年生まれの人  出身の1886年生まれ | ||
95 | 学習院高等科 島津忠重 | Wikipedia |
島津 忠重(しまづ ただしげ、1886年(明治19年)10月20日 - 1968年(昭和43年)4月9日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員。 | ||
10月20日生まれの人  1886年生まれの人  出身の1886年生まれ | ||
96 | 開成高等学校 山口多聞 | Wikipedia |
山口 多聞(やまぐち たもん、1892年(明治25年)8月17日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。ミッドウェー海戦において戦死。最終階級は海軍中将。 | ||
8月17日生まれの人  1892年生まれの人  出身の1892年生まれ | ||
97 | 神奈川県立希望ヶ丘高等学校 中村俊久 | Wikipedia |
中村 俊久(なかむら としひさ、1890年2月16日 - 1972年3月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
2月16日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
98 | 神奈川県立横須賀高等学校 左近允尚敏 | Wikipedia |
左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正15年)2月11日 - 2013年(平成25年)6月30日)は、大日本帝国海軍の軍人、海上自衛官。最終階級は海将。鹿児島県出身。海兵72期。海軍中将左近允尚正の次男。多号作戦で駆逐艦「島風」砲術長として「島風」沈没時(多号作戦)に戦死した海軍大尉左近允正章(まさふみ)は兄にあたる。 | ||
2月11日生まれの人  1925年生まれの人  出身の1925年生まれ | ||
99 | 神奈川県立横須賀高等学校 和智恒蔵 | Wikipedia |
和智 恒蔵(わち つねぞう、旧姓・大野、1900年7月24日 - 1990年2月2日)は、日本の海軍軍人、僧。最終階級は海軍大佐で、硫黄島では海軍警備隊司令を務めた。二男三女の父。僧名は恒阿弥。 | ||
7月24日生まれの人  1900年生まれの人  出身の1900年生まれ | ||
100 | 神奈川県立横須賀高等学校 大橋勝夫 鎌倉市 | Wikipedia |
大橋 勝夫(おおはし かつお、生年不明 - 1945年(昭和20年)7月16日[* 1])は、日本の海軍軍人(海兵53期卒)。太平洋戦争において四艦の潜水艦長を歴任し、交通破壊戦に戦果を挙げた。その一方で漂流していた連合国将兵を攻撃せず、戦後になってこの大橋の行為が明らかとなった。神龍特別攻撃隊を構成した「伊13」潜水艦長として戦死し、一階級昇進により最終階級は海軍大佐。 | ||
年生まれの人  出身の年生まれ | ||
101 | 新潟県立新発田高等学校 小柳冨次 新潟市 | Wikipedia |
小柳 冨次[注釈 1](こやなぎ とみじ、1893年7月16日 - 1978年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
7月16日生まれの人  1893年生まれの人  出身の1893年生まれ | ||
102 | 新潟県立三条高等学校 岩淵三次 三条市 | Wikipedia |
岩淵 三次(いわぶち さんじ、1895年(明治28年)3月2日 - 1945年(昭和20年)2月26日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。最終階級は海軍中将。 | ||
3月2日生まれの人  1895年生まれの人  出身の1895年生まれ | ||
103 | 新潟県立三条高等学校 角田覚治 三条市 | Wikipedia |
角田 覚治(かくた かくじ、1890年(明治23年)9月23日-1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。テニアン島で戦死。 | ||
9月23日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
104 | 新潟県立長岡高等学校 佐藤正四郎 | Wikipedia |
佐藤 正四郎(さとう せいしろう、1886年(明治19年)10月25日 - 1958年(昭和33年)7月7日)は、日本の海軍軍人。二・二六事件において、東京に出動した海軍陸戦隊の指揮官を務めた海軍少将である。 | ||
10月25日生まれの人  1886年生まれの人  出身の1886年生まれ | ||
105 | 新潟県立長岡高等学校 山本五十六 長岡市 | Wikipedia |
山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。 | ||
4月4日生まれの人  1884年生まれの人  出身の1884年生まれ | ||
106 | 石川県立金沢泉丘高等学校 岡田次作 | Wikipedia |
岡田 次作(おかだ じさく、1893年(明治26年)8月13日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
8月13日生まれの人  1893年生まれの人  出身の1893年生まれ | ||
107 | 石川県立金沢泉丘高等学校 草鹿任一 | Wikipedia |
草鹿 任一(くさか じんいち、1888年(明治21年)12月7日 - 1972年(昭和47年)8月24日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。勲等は勲一等。 | ||
12月7日生まれの人  1888年生まれの人  出身の1888年生まれ | ||
108 | 福井県立若狭高等学校 佐久間勉 | Wikipedia |
佐久間 勉(さくま つとむ、1879年9月13日 - 1910年4月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大尉。 | ||
9月13日生まれの人  1879年生まれの人  出身の1879年生まれ | ||
109 | 長野県立野沢北高等学校 細萱戊子郎 佐久市 | Wikipedia |
細萱 戊子郎(ほそがや ぼしろう、1888年(明治21年)6月24日 - 1964年(昭和39年)2月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
6月24日生まれの人  1888年生まれの人  出身の1888年生まれ | ||
110 | 長野県立松本深志高等学校 島村信政 松本市 | Wikipedia |
島村 信政(しまむら のぶまさ、1902年(明治35年)8月7日 - 1944年(昭和19年)4月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中佐。殉職後は海軍大佐。 | ||
8月7日生まれの人  1902年生まれの人  出身の1902年生まれ | ||
111 | 長野県立松本深志高等学校 清水光美 松本市 | Wikipedia |
清水光美(しみず みつみ、1888年(明治21年)3月16日 - 1971年(昭和46年)5月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
3月16日生まれの人  1888年生まれの人  出身の1888年生まれ | ||
112 | 長野県立松本深志高等学校 塩沢幸一 中川村 | Wikipedia |
塩沢 幸一(しおざわ こういち、1883年(明治16年)3月5日 - 1943年(昭和18年)11月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。長野県伊那郡大草村(現上伊那郡中川村)出身。実家は養命酒で有名な養命酒製造で塩沢はその四男。妻すがは代議士・北原阿智之助次女。文芸評論家の中沢臨川は次兄。 | ||
3月5日生まれの人  1883年生まれの人  出身の1883年生まれ | ||
113 | 岐阜県立本巣松陽高等学校 豊田穣 | Wikipedia |
豊田 穣(とよだ じょう、1920年(大正9年)3月14日 - 1994年(平成6年)1月30日)は、日本の小説家・作家、元海軍軍人(最終階級は海軍中尉)。 | ||
3月14日生まれの人  1920年生まれの人  出身の1920年生まれ | ||
114 | 岐阜県立大垣北高等学校 田結穣 | Wikipedia |
田結 穣(たゆい みのる、1890年(明治23年)1月20日 - 1977年(昭和52年)6月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
1月20日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
115 | 静岡県立静岡高等学校 木村昌福 | Wikipedia |
木村 昌福(きむら まさとみ、1891年(明治24年)12月6日 - 1960年(昭和35年)2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県生まれ。 | ||
12月6日生まれの人  1891年生まれの人  出身の1891年生まれ | ||
116 | 静岡県立静岡高等学校 吉田増次郎 | Wikipedia |
吉田 増次郎(よしだ ますじろう、1867年7月29日 (慶応3年6月28日) - 1942年3月14日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
7月29日生まれの人  1867年生まれの人  出身の1867年生まれ | ||
117 | 静岡県立掛川西高等学校 松浦永次郎 掛川市 | Wikipedia |
松浦 永次郎(まつうら えいじろう、1889年(明治22年)3月5日 - 1976年(昭和51年)11月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県小笠郡掛川町(現掛川市)出身。 | ||
3月5日生まれの人  1889年生まれの人  出身の1889年生まれ | ||
118 | 愛知県立明和高等学校 森下信衛 | Wikipedia |
森下 信衛(もりした のぶえ、1895年(明治28年)2月2日 - 1960年(昭和35年)6月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。愛知県出身。正しくは、「衛」ではなく旧字体の「衞」である。。 | ||
2月2日生まれの人  1895年生まれの人  出身の1895年生まれ | ||
119 | 名古屋市立菊里高等学校 小林仁 米沢市 | Wikipedia |
小林 仁(こばやし ひとし、1936年2月14日 - )は、日本のピアニスト。 | ||
2月14日生まれの人  1936年生まれの人  出身の1936年生まれ | ||
120 | 愛知県立岡崎高等学校 嶋崎重和 奈良市 | Wikipedia |
嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月9日 - 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の海軍軍人。空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃で第二次攻撃隊長を務めた。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
9月9日生まれの人  1908年生まれの人  出身の1908年生まれ | ||
121 | 三重県立上野高等学校 嶋崎重和 奈良市 | Wikipedia |
嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月9日 - 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の海軍軍人。空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃で第二次攻撃隊長を務めた。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
9月9日生まれの人  1908年生まれの人  出身の1908年生まれ | ||
122 | 滋賀県立膳所高等学校 上阪香苗 | Wikipedia |
上阪 香苗(こうさか かなえ、1892年(明治25年)10月8日 - 1974年(昭和49年)12月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。滋賀県大津市出身。 | ||
10月8日生まれの人  1892年生まれの人  出身の1892年生まれ | ||
123 | 大阪府立市岡高等学校 奥宮正武 | Wikipedia |
奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年(明治42年)7月27日 - 2007年(平成19年)2月22日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵58期。最終階級は、海軍では海軍中佐、自衛隊では空将。 | ||
7月27日生まれの人  1909年生まれの人  出身の1909年生まれ | ||
124 | 大阪府立天王寺高等学校 仁科関夫 大津市 | Wikipedia |
仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10日 - 1944年(昭和19年)11月20日)は、日本の海軍軍人。海兵71期。太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、人間魚雷「回天」を創案するとともに自らも出撃して戦死した。最終階級は海軍少佐。 | ||
4月10日生まれの人  1923年生まれの人  出身の1923年生まれ | ||
125 | 大阪府立天王寺高等学校 草鹿龍之介 | Wikipedia |
草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年(明治25年)9月25日 - 1971年(昭和46年)11月23日)は、日本の海軍軍人、剣道家。海軍兵学校41期生。海軍大学校21期。最終階級は中将。一刀正伝無刀流第4代宗家。 | ||
9月25日生まれの人  1892年生まれの人  出身の1892年生まれ | ||
126 | 大阪府立天王寺高等学校 近藤信竹 | Wikipedia |
近藤 信竹(こんどう のぶたけ、1886年(明治19年)9月25日 - 1953年(昭和28年)2月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。 | ||
9月25日生まれの人  1886年生まれの人  出身の1886年生まれ | ||
127 | 大阪府立北野高等学校 三和義勇 | Wikipedia |
三和 義勇(みわ よしたけ、1899年(明治32年)4月26日 - 1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。海兵48期。最終階級は海軍少将。テニアン島で戦死。 | ||
4月26日生まれの人  1899年生まれの人  出身の1899年生まれ | ||
128 | 大阪府立北野高等学校 清河純一 | Wikipedia |
清河 純一(きよかわ じゅんいち、1878年1月7日 - 1935年3月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
1月7日生まれの人  1878年生まれの人  出身の1878年生まれ | ||
129 | 兵庫県立神戸高等学校 坂元正一 | Wikipedia |
坂元 正一(さかもと しょういち、1924年(大正13年)1月20日-2006年(平成18年)12月28日)は、日本の産婦人科学者。 | ||
1月20日生まれの人  1924年生まれの人  出身の1924年生まれ | ||
130 | 兵庫県立神戸高等学校 宮崎俊男 | Wikipedia |
宮嵜 俊男(みやざき としお、1899年(明治32年)10月18日 - 1965年(昭和40年)4月7日)は、日本の海軍軍人。米駐在時代に情報活動に従事し、米国官憲に摘発され国外追放処分を受ける。太平洋戦争中、連合艦隊先任参謀に擬せられるが、山本五十六の戦死により実現しなかった。最終階級は海軍大佐。 | ||
10月18日生まれの人  1899年生まれの人  出身の1899年生まれ | ||
131 | 兵庫県立神戸高等学校 小島秀雄 神戸市 | Wikipedia |
小島 秀雄(こじま ひでお、1896年4月5日 - 1982年3月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。3度に及ぶドイツ駐在歴があり、戦後には日独友好にも尽力した。 | ||
4月5日生まれの人  1896年生まれの人  出身の1896年生まれ | ||
132 | 兵庫県立神戸高等学校 奥田喜久司 | Wikipedia |
奥田 喜久司(おくだ きくじ、1894年(明治27年)2月4日 - 1939年(昭和14年)11月4日)は、日本の海軍軍人。少年飛行兵制度を発案することで予科練に至る基礎をつくり、のちに航空隊司令として作戦指揮中に戦死した海軍少将である。 | ||
2月4日生まれの人  1894年生まれの人  出身の1894年生まれ | ||
133 | 兵庫県立神戸高等学校 寺本武治 | Wikipedia |
寺本 武治(てらもと たけじ、1884年2月25日 - 1958年12月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
2月25日生まれの人  1884年生まれの人  出身の1884年生まれ | ||
134 | 兵庫県立龍野高等学校 西田正雄 たつの市 | Wikipedia |
西田 正雄(にしだ まさお、1895年(明治28年)10月26日 - 1974年(昭和49年)3月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
10月26日生まれの人  1895年生まれの人  出身の1895年生まれ | ||
135 | 兵庫県立豊岡高等学校 庵原貢 | Wikipedia |
庵原 貢(いはら みつぐ、1903年(明治36年)10月3日 - 1979年(昭和54年)3月31日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官である。海軍兵学校卒業(第52期)。第3代海上幕僚長。 | ||
10月3日生まれの人  1903年生まれの人  出身の1903年生まれ | ||
136 | 奈良県立畝傍高等学校 淵田美津雄 葛城市 | Wikipedia |
淵田 美津雄(ふちだ みつお、1902年(明治35年)12月3日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の海軍軍人、キリスト教伝道者。海軍兵学校52期。最終階級は海軍大佐。 | ||
12月3日生まれの人  1902年生まれの人  出身の1902年生まれ | ||
137 | 鳥取県立鳥取西高等学校 猪口敏平 鳥取市 | Wikipedia |
猪口 敏平(いのぐち としひら、1896年(明治29年)8月11日 - 1944年(昭和19年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦武蔵最後の艦長として知られる。 | ||
8月11日生まれの人  1896年生まれの人  出身の1896年生まれ | ||
138 | 島根県立松江北高等学校 山田定義 | Wikipedia |
山田 定義(やまだ さだよし、1892年11月26日 - 1971年11月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
11月26日生まれの人  1892年生まれの人  出身の1892年生まれ | ||
139 | 島根県立浜田高等学校 大谷藤之助 | Wikipedia |
大谷 藤之助(おおたに とうのすけ、1906年12月3日 - 1989年2月8日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 | ||
12月3日生まれの人  1906年生まれの人  出身の1906年生まれ | ||
140 | 島根県立大社高等学校 中山定義 | Wikipedia |
中山 定義(なかやま さだよし、1905年(明治38年)8月16日 - 1995年(平成7年)1月16日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。第4代海上幕僚長。島根県出雲市出身。東京都目黒区在住であった。長男は第10代明治学院長の中山弘正。 | ||
8月16日生まれの人  1905年生まれの人  出身の1905年生まれ | ||
141 | 島根県立隠岐水産高等学校 島内桓太 | Wikipedia |
島内 桓太(しまのうち かんた、1871年1月31日(明治3年12月11日) - 1940年9月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
1月31日生まれの人  1871年生まれの人  出身の1871年生まれ | ||
142 | 岡山県立岡山朝日高等学校 宇垣纏 岡山市 | Wikipedia |
宇垣 纏(うがき まとめ、1890年(明治23年)2月15日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。最終階級は海軍中将。陣中日記『戦藻録』が有名。 | ||
2月15日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
143 | 岡山県立岡山朝日高等学校 坂野常善 岡山市 | Wikipedia |
坂野 常善(さかの つねよし、1884年(明治17年)12月1日 - 1971年(昭和46年)9月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
12月1日生まれの人  1884年生まれの人  出身の1884年生まれ | ||
144 | 広島県立福山誠之館高等学校 小林躋造 広島市 | Wikipedia |
小林 躋造(こばやし せいぞう、1877年(明治10年)10月1日 - 1962年(昭和37年)7月4日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。小磯國昭内閣の国務大臣。広島県広島市出身。 | ||
10月1日生まれの人  1877年生まれの人  出身の1877年生まれ | ||
145 | 広島県立呉三津田高等学校 岡田善雄 呉市 | Wikipedia |
岡田 善雄(おかだ よしお、1928年3月10日 - 2008年1月16日)は、細胞生物学者。大阪大学名誉教授。バイオテクノロジーの基本技術である「細胞融合現象」を発見した細胞工学のパイオニア。広島県呉市出身。 | ||
3月10日生まれの人  1928年生まれの人  出身の1928年生まれ | ||
146 | 広島県立日彰館高等学校 妹尾知之 | Wikipedia |
妹尾 知之(せのお ともゆき、明治24年〈1891年〉 - 昭和59年〈1984年〉)は、日本の海軍軍人。海軍中将。海軍兵学校40期生。海軍大学校22期生。 | ||
1891年生まれの人  出身の1891年生まれ | ||
147 | 広島県立府中高等学校 江草隆繁 福山市 | Wikipedia |
江草 隆繁(えぐさ たかしげ、1909年(明治42年)9月4日 - 1944年(昭和19年)6月15日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。五二一空陸上爆撃機搭乗員として参加したあ号作戦で戦死した。最終階級は海軍大佐。 | ||
9月4日生まれの人  1909年生まれの人  出身の1909年生まれ | ||
148 | 山口県立徳山高等学校 飯田房太 周南市 | Wikipedia |
飯田 房太(いいだ ふさた、1913年(大正2年)2月12日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。海兵62期。空母「蒼龍」戦闘機搭乗員として真珠湾攻撃に参加。戦死による二階級特進で最終階級は海軍中佐。 | ||
2月12日生まれの人  1913年生まれの人  出身の1913年生まれ | ||
149 | 山口県立徳山高等学校 山縣正郷 | Wikipedia |
山縣 正郷(やまがた まさくに、有職読み:せいごう、新字体:山県、1891年(明治24年)2月15日 ‐ 1945年(昭和20年)3月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。 | ||
2月15日生まれの人  1891年生まれの人  出身の1891年生まれ | ||
150 | 山口県立山口高等学校 志賀淑雄 | Wikipedia |
志賀 淑雄(しが よしお、1914年(大正3年)- 2005年 (平成17年)11月25日)は、日本の海軍軍人。海兵62期。最終階級は海軍少佐。東京都出身。旧姓は四元。 | ||
1914年生まれの人  出身の1914年生まれ | ||
151 | 山口県立山口高等学校 田中頼三 山口市 | Wikipedia |
田中 頼三(たなか らいぞう、1892年(明治25年)4月27日 - 1969年(昭和44年)7月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
4月27日生まれの人  1892年生まれの人  出身の1892年生まれ | ||
152 | 山口県立山口高等学校 金沢正夫 | Wikipedia |
金澤 正夫(かなざわ まさお、1889年10月25日 - 1969年6月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
10月25日生まれの人  1889年生まれの人  出身の1889年生まれ | ||
153 | 山口県立萩高等学校 阿武天風 萩市 | Wikipedia |
阿武 天風(あぶ てんぷう、1882年(明治15年)9月8日 - 1928年(昭和3年)6月22日)は日本の軍人、小説家、編集者。雑誌『冒険世界』の主筆を務めるなどして、冒険小説を多く発表した。代表作に『太陽は勝てり』など。 | ||
9月8日生まれの人  1882年生まれの人  出身の1882年生まれ | ||
154 | 徳島県立城南高等学校 高橋赫一 | Wikipedia |
高橋 赫一(たかはし かくいち、1906年(明治39年)11月29日 - 1942年(昭和17年)5月8日)は、日本の海軍軍人。海兵56期。珊瑚海海戦に空母「翔鶴」艦上爆撃機搭乗員として参加し、米空母「レキシントン」攻撃後に戦死。最終階級は海軍大佐。 | ||
11月29日生まれの人  1906年生まれの人  出身の1906年生まれ | ||
155 | 徳島県立脇町高等学校 酒巻和男 阿波市 | Wikipedia |
酒巻 和男(さかまき かずお、1918年(大正7年)11月8日 - 1999年(平成11年)11月29日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争劈頭の真珠湾攻撃において特殊潜航艇「甲標的」搭乗員として参加。艇が座礁し、最初の日本人捕虜となる。最終階級は海軍少尉。 | ||
11月8日生まれの人  1918年生まれの人  出身の1918年生まれ | ||
156 | 香川県立観音寺第一高等学校 田辺弥八 | Wikipedia |
田辺 弥八(たなべ やはち、1905年(明治38年) 8月13日 - 1990年(平成2年)4月29日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争において米空母ヨークタウンを撃沈した「伊一六八」潜水艦長でもある。最終階級は海軍中佐。 | ||
8月13日生まれの人  1905年生まれの人  出身の1905年生まれ | ||
157 | 香川県立観音寺第一高等学校 矢野英雄 三豊市 | Wikipedia |
矢野 英雄(やの ひでお、1894年(明治27年)11月1日 - 1944年(昭和19年)7月8日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。サイパンで戦死、特進により最終階級は海軍中将。 | ||
11月1日生まれの人  1894年生まれの人  出身の1894年生まれ | ||
158 | 愛媛県立西条高等学校 関行男 西条市 | Wikipedia |
関 行男(せき ゆきお/つらお[注釈 1]、1921年8月29日 - 1944年10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。レイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」の隊長として特攻し、アメリカ海軍の護衛空母セント・ローを撃沈したことで、死後「敷島隊五軍神」の1人として顕彰された。特攻による二階級特進で最終階級は海軍中佐。 | ||
8月29日生まれの人  1921年生まれの人  出身の1921年生まれ | ||
159 | 愛媛県立松山北高等学校 越智孝平 松山市 | Wikipedia |
越智 孝平(おち こうへい、1889年(明治22年)2月3日 - 1968年(昭和43年)6月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。松山市長。 | ||
2月3日生まれの人  1889年生まれの人  出身の1889年生まれ | ||
160 | 高知県立高知小津高等学校 横山一郎 横須賀市 | Wikipedia |
横山 一郎(よこやま いちろう、1900年(明治33年)3月1日 - 1993年(平成5年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。1945年(昭和20年)9月2日、アメリカ海軍の戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書調印式に出席した人物でもある。 | ||
3月1日生まれの人  1900年生まれの人  出身の1900年生まれ | ||
161 | 高知県立高知小津高等学校 大石保 | Wikipedia |
大石 保(おおいし たもつ、1900年1月28日 - 1946年2月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
1月28日生まれの人  1900年生まれの人  出身の1900年生まれ | ||
162 | 高知県立高知小津高等学校 渋谷清見 | Wikipedia |
渋谷 清見(しぶや きよみ、1895年9月27日 - 1985年2月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
9月27日生まれの人  1895年生まれの人  出身の1895年生まれ | ||
163 | 高知県立高知小津高等学校 山崎重暉 | Wikipedia |
山崎 重暉(やまざき しげあき、1893年1月21日 - 1980年12月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
1月21日生まれの人  1893年生まれの人  出身の1893年生まれ | ||
164 | 高知県立高知小津高等学校 永野修身 | Wikipedia |
永野 修身(ながの おさみ、1880年(明治13年)6月15日 - 1947年(昭和22年)1月5日)は、日本の海軍軍人、教育者。海軍兵学校28期、海軍大学校甲種8期。最終階級および栄典は元帥海軍大将従二位勲一等功五級。第24代連合艦隊司令長官。第38代海軍大臣。第16代軍令部総長。海軍三長官全てを経験した唯一の軍人。A級戦犯の容疑で東京裁判中に巣鴨プリズンにて病死。千葉工業大学の創設者。 | ||
6月15日生まれの人  1880年生まれの人  出身の1880年生まれ | ||
165 | 高知県立高知小津高等学校 大谷幸四郎 | Wikipedia |
大谷 幸四郎(おおたに こうしろう、1872年8月23日(明治5年7月20日) - 1937年6月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
8月23日生まれの人  1872年生まれの人  出身の1872年生まれ | ||
166 | 高知県立高知小津高等学校 島村速雄 | Wikipedia |
島村 速雄(しまむら はやお、安政5年9月20日(1858年10月26日) - 大正12年(1923年)1月8日)は、日本の海軍軍人。元帥海軍大将正二位勲一等功二級男爵。高知県出身。海南学校出身。二男は立花和雄(立花伯爵家を継承)。 | ||
9月20日生まれの人  1858年生まれの人  出身の1858年生まれ | ||
167 | 福岡県立小倉高等学校 板倉光馬 北九州市 | Wikipedia |
板倉光馬(いたくら みつま、1912年(大正元年)11月18日 - 2005年(平成17年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少佐。福岡県小倉市(現、北九州市)出身。 | ||
11月18日生まれの人  1912年生まれの人  出身の1912年生まれ | ||
168 | 福岡県立東筑高等学校 小川陽一郎 | Wikipedia |
小川 陽一郎(おがわ よういちろう、1941年12月11日没)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は中佐。福岡県出身。駆逐艦「早苗」や「如月」の艦長を務め、ウェーク島沖にて1941年12月11日に戦死した。 | ||
12月11日生まれの人  1941年生まれの人  出身の1941年生まれ | ||
169 | 福岡県立東筑高等学校 古野繁實 遠賀町 | Wikipedia |
古野 繁実(ふるの しげみ、1918年(大正7年)5月10日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」艇長として真珠湾攻撃に参加し、戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍少佐。 | ||
5月10日生まれの人  1918年生まれの人  出身の1918年生まれ | ||
170 | 福岡県立東筑高等学校 出光万兵衛 | Wikipedia |
出光 万兵衛(いでみつ まんべえ、1882年11月9日 - 1964年7月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 スポーツキャスターの出光ケイは孫にあたる。 | ||
11月9日生まれの人  1882年生まれの人  出身の1882年生まれ | ||
171 | 福岡県立明善高等学校 松下元 | Wikipedia |
松下 元(まつした はじめ、1884年8月10日 - 1953年12月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校で教育に使われた「五省」の考案者として知られる。 | ||
8月10日生まれの人  1884年生まれの人  出身の1884年生まれ | ||
172 | 福岡県立伝習館高等学校 伊藤整一 みやま市 | Wikipedia |
伊藤 整一(いとう せいいち、1890年(明治23年)7月26日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校39期。最終階級は海軍大将。 | ||
7月26日生まれの人  1890年生まれの人  出身の1890年生まれ | ||
173 | 佐賀県立三養基高等学校 板谷隆一 | Wikipedia |
板谷 隆一(いたや たかいち、1911年(明治44年)8月20日 - 1991年(平成3年)9月1日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海軍兵学校卒業(第60期)。海兵同期に鈴木實、進藤三郎など。第7代海上幕僚長、第5代統合幕僚会議議長。 | ||
8月20日生まれの人  1911年生まれの人  出身の1911年生まれ | ||
174 | 佐賀県立唐津東高等学校 原清 | Wikipedia |
原 清(はら きよし、1889年5月2日 - 1976年8月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
5月2日生まれの人  1889年生まれの人  出身の1889年生まれ | ||
175 | 長崎県立島原高等学校 村田重治 | Wikipedia |
村田 重治(むらた しげはる、1909年(明治42年)4月9日 - 1942年(昭和17年)10月26日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。南太平洋海戦で米空母「ホーネット」攻撃後に戦死した。二階級特進により最終階級は海軍大佐。 | ||
4月9日生まれの人  1909年生まれの人  出身の1909年生まれ | ||
176 | 熊本県立鹿本高等学校 松田千秋 | Wikipedia |
松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月29日 - 1995年(平成7年)11月6日)は、日本の海軍軍人。海兵44期。戦艦「大和」第3代艦長。最終階級は海軍少将。 | ||
9月29日生まれの人  1896年生まれの人  出身の1896年生まれ | ||
177 | 熊本県立八代高等学校 加来止男 八代市 | Wikipedia |
加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。空母「飛龍」艦長をつとめ、ミッドウェー海戦で戦死した。 | ||
11月8日生まれの人  1893年生まれの人  出身の1893年生まれ | ||
178 | 熊本県立八代高等学校 鍋島俊策 宇城市 | Wikipedia |
鍋島 俊策(なべしま しゅんさく、1892年9月10日 - 1948年4月28日)は、日本の海軍軍人。海軍少将。 | ||
9月10日生まれの人  1892年生まれの人  出身の1892年生まれ | ||
179 | 大分県立臼杵高等学校 木梨鷹一 臼杵市 | Wikipedia |
木梨 鷹一(きなし たかかず、1902年(明治35年)3月7日 - 1944年(昭和19年)7月26日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。太平洋戦争において日本海軍を代表する潜水艦長のひとり。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
3月7日生まれの人  1902年生まれの人  出身の1902年生まれ | ||
180 | 大分県立杵築高等学校 豊田副武 | Wikipedia |
豊田 副武(とよだ そえむ、1885年(明治18年)5月22日 - 1957年(昭和32年)9月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第29代・第30代連合艦隊司令長官。最後となる第19代軍令部総長を務めた。 | ||
5月22日生まれの人  1885年生まれの人  出身の1885年生まれ | ||
181 | 大分県立杵築高等学校 堀悌吉 杵築市 | Wikipedia |
堀 悌吉(ほり ていきち、1883年(明治16年)8月16日 - 1959年(昭和34年)5月12日)は日本の海軍軍人。大分県杵築市出身。 | ||
8月16日生まれの人  1883年生まれの人  出身の1883年生まれ | ||
182 | 大分県立宇佐高等学校 豊田隈雄 杵築市 | Wikipedia |
豊田 隈雄(とよだ くまお、1901年(明治34年)12月13日 - 1995年(平成7年)2月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
12月13日生まれの人  1901年生まれの人  出身の1901年生まれ | ||
183 | 大分県立宇佐高等学校 三好輝彦 竹田市 | Wikipedia |
三好 輝彦(みよし てるひこ、1893年(明治26年)11月15日 - 1943年(昭和18年)6月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
11月15日生まれの人  1893年生まれの人  出身の1893年生まれ | ||
184 | 宮崎県立宮崎大宮高等学校 黒木剛一 宮崎市 | Wikipedia |
黒木剛一(くろき ごういち、1894年(明治27年)2月16日 - 1972年(昭和47年)5月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
2月16日生まれの人  1894年生まれの人  出身の1894年生まれ | ||
185 | 宮崎県立宮崎大宮高等学校 小沢治三郎 | Wikipedia |
小沢 治三郎(小澤 治三郎, おざわ じさぶろう、1886年(明治19年)10月2日 - 1966年(昭和41年)11月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校37期生。第31代となる最後の連合艦隊司令長官を務めた。 | ||
10月2日生まれの人  1886年生まれの人  出身の1886年生まれ | ||
186 | 鹿児島県立鶴丸高等学校 山岡大二 | Wikipedia |
山岡 大二(やまおか だいじ、1913年(大正2年)11月6日 - 1991年(平成3年)11月1日)は東京都出身の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は、海軍少佐、海将補。 | ||
11月6日生まれの人  1913年生まれの人  出身の1913年生まれ | ||
187 | 鹿児島県立鶴丸高等学校 有馬正文 日置市 | Wikipedia |
有馬 正文(ありま まさふみ、1895年(明治28)9月25日 - 1944年(昭和19)10月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
9月25日生まれの人  1895年生まれの人  出身の1895年生まれ | ||
188 | 鹿児島県立鶴丸高等学校 野村直邦 日置市 | Wikipedia |
野村 直邦(のむら なおくに、1885年(明治18)5月15日 - 1973年(昭和48)12月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。東條英機内閣の海軍大臣。 | ||
5月15日生まれの人  1885年生まれの人  出身の1885年生まれ | ||
189 | 鹿児島県立甲南高等学校 山本祐二 鹿児島市 | Wikipedia |
山本 祐二(やまもと ゆうじ、1903年(明治36年)1月17日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。戦艦「大和」を旗艦とする第二艦隊の沖縄海上特攻作戦(坊ノ岬沖海戦)で戦死。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少将。 | ||
1月17日生まれの人  1903年生まれの人  出身の1903年生まれ | ||
190 | 鹿児島県立甲南高等学校 加世田哲彦 | Wikipedia |
加世田 哲彦(かせだ てつひこ、1897年(明治30年)11月11日 - 1971年(昭和46年)7月25日)は、日本の海軍軍人。成績優秀な将校であったが、神政龍神会の結成にかかわり、不敬罪に問われ失官となる。最終階級は海軍中佐。 | ||
11月11日生まれの人  1897年生まれの人  出身の1897年生まれ | ||
191 | 鹿児島県立川内高等学校 神重徳 出水市 | Wikipedia |
神 重徳(かみ しげのり、1900年(明治33年)1月23日 - 1945年(昭和20年)9月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。海軍兵学校48期生。 | ||
1月23日生まれの人  1900年生まれの人  出身の1900年生まれ | ||
192 | 沖縄県立首里高等学校 渡名喜守定 | Wikipedia |
渡名喜 守定(となき しゅてい、1902年2月5日 - 1993年2月1日)は、日本の海軍軍人。 | ||
2月5日生まれの人  1902年生まれの人  出身の1902年生まれ | ||
193 | 沖縄県立首里高等学校 漢那憲和 那覇市 | Wikipedia |
漢那 憲和(かんな けんわ、1877年9月6日 - 1950年7月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。海軍兵学校27期卒。 | ||
9月6日生まれの人  1877年生まれの人  出身の1877年生まれ | ||
194 | 沖縄県立那覇高等学校 小渡三郎 朝鮮京城 | Wikipedia |
小渡 三郎(おど さぶろう、1925年12月14日-1988年7月28日)は政治家。衆議院議員(2期)。会派は自由民主党。 | ||
12月14日生まれの人  1925年生まれの人  出身の1925年生まれ |