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北海道札幌西高等学校の出身者
1 | 郡司正勝 札幌市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 1998年4月15日)は日本の歌舞伎研究家、演劇評論家。早稲田大学名誉教授。 | ||
北海道札幌西高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 札幌市の出身者 | ||
7月7日生まれの人  1913年生まれの人 |
北海道札幌南高等学校の出身者
2 | 円城塔 札幌市 東北大学へ進学 | Wikipedia |
円城 塔(えんじょう とう、男性、1972年9月15日 - )は、日本の小説家。本名非公開。ペンネームは、複雑系の研究者である金子邦彦の書いた短編小説「進物史観」に登場する物語生成プログラムの一つ「円城塔李久」に由来する。公式のローマ字表記はEnJoeToh。 | ||
北海道札幌南高等学校から東北大学への進学者 全国の東北大学の出身者 札幌市の出身者 | ||
9月15日生まれの人  1972年生まれの人 | ||
3 | 石井裕 北海道大学へ進学 | Wikipedia |
石井 裕(いしい ひろし、1956年2月4日 - )は、日本のコンピュータ研究者、工学者。東京都生まれ。5歳のときに北海道札幌市に移る。アメリカ合衆国・マサチューセッツ工科大学教授。専門は情報工学。 | ||
北海道札幌南高等学校から北海道大学への進学者 全国の北海道大学の出身者 | ||
2月4日生まれの人  1956年生まれの人 | ||
4 | 金森修 札幌市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
金森 修(かなもり おさむ、1954年(昭和29年)8月4日 - 2016年(平成28年)5月26日)は、日本の哲学研究者、評論家。 | ||
北海道札幌南高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 札幌市の出身者 | ||
8月4日生まれの人  1954年生まれの人 | ||
5 | 澤井繁男 札幌市 東京外国語大学へ進学 | Wikipedia |
澤井 繁男(さわい しげお、1954年1月13日 - )は、日本の作家、イタリアルネサンス文学・文化研究家、関西大学教授。本名は茂夫。 | ||
北海道札幌南高等学校から東京外国語大学への進学者 全国の東京外国語大学の出身者 札幌市の出身者 | ||
1月13日生まれの人  1954年生まれの人 |
北海道札幌東高等学校の出身者
6 | 渡辺信二 札幌市 茨城大学へ進学 | Wikipedia |
渡辺 信二(わたなべ しんじ、1949年11月 - )は、日本のアメリカ文学研究者、詩人、翻訳家。立教大学文学部教授。北海道札幌市出身。北海道札幌東高等学校、東京大学文学部卒業、東京大学大学院博士課程中途退学。専門はアメリカ詩。自らの詩集のほか、アメリカ詩集の翻訳も手がけている。現立教大学文学部長。 | ||
北海道札幌東高等学校から茨城大学への進学者 全国の茨城大学の出身者 札幌市の出身者 | ||
1949年生まれの人 | ||
7 | 保阪正康 同志社大学へ進学 | Wikipedia |
保阪 正康(ほさか まさやす、1939年12月14日 - )は、日本のノンフィクション作家・評論家・日本近現代史研究者。 | ||
北海道札幌東高等学校から同志社大学への進学者 全国の同志社大学の出身者 | ||
12月14日生まれの人  1939年生まれの人 |
北海道小樽潮陵高等学校の出身者
8 | 堀賢一 小樽市 青山学院大学へ進学 | Wikipedia |
堀 賢一(ほり けんいち、1963年 - )は、ワインインスティテュート(本部:サンフランシスコ)の駐日代表で、日本を代表するワイン研究者のひとり。北海道小樽市生まれ。青山学院大学大学院国際政治経済学部修士課程修了。 | ||
北海道小樽潮陵高等学校から青山学院大学への進学者 全国の青山学院大学の出身者 小樽市の出身者 | ||
1963年生まれの人 |
北海道美唄尚栄高等学校の出身者
9 | 奥野正男 札幌市 | Wikipedia |
奥野 正男(おくの まさお、1931年11月15日 - )は、日本の考古学者、古代学者。北海道札幌市生まれ。元宮崎公立大学教授。筑紫古代文化研究所代表。邪馬台国九州説を唱えて多数の著書を著す。 | ||
札幌市の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1931年生まれの人 |
北海道深川西高等学校の出身者
10 | 草原克豪 東京大学へ進学 | Wikipedia |
草原 克豪(くさはら かつひで、1941年 - )は、日本の研究者。元文部官僚。拓殖大学名誉教授。専門は新渡戸稲造研究、文教政策。所属学会は日本高等教育学会。 | ||
北海道深川西高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1941年生まれの人 |
北海道旭川東高等学校の出身者
11 | 近藤典彦 旭川市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
近藤 典彦(こんどう のりひこ、1938年12月 - )は、日本近代文学研究者、元群馬大学教授。 | ||
北海道旭川東高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 旭川市の出身者 | ||
1938年生まれの人 |
北海道旭川北高等学校の出身者
12 | 十川信介 旭川市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
十川 信介(とがわ しんすけ、1936年12月21日 - )は、日本近代文学の研究者。学習院大学名誉教授。 | ||
北海道旭川北高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 旭川市の出身者 | ||
12月21日生まれの人  1936年生まれの人 |
北海道釧路湖陵高等学校の出身者
13 | 久保寺逸彦 雄武町 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
久保寺 逸彦(くぼでら いつひこ、1902年9月10日 - 1971年11月5日)は、アイヌ文化およびアイヌ語の研究者。金田一京助の薫陶を受け、知里真志保、山田秀三と交友関係を持ち、ユーカラなどの口承文芸や宗教儀礼(儀式参照)の記録に多大な貢献を残した。墓所は多磨霊園。 | ||
北海道釧路湖陵高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 雄武町の出身者 | ||
9月10日生まれの人  1902年生まれの人 |
北海道札幌新川高等学校の出身者
14 | 宮崎詞美 札幌大谷大学短期大学部へ進学 | Wikipedia |
宮崎 詞美(みやざき ことみ)は、日本の芸術家、絵本作家・研究者。絵本学会所属。横浜美術大学准教授。博士(美術)。 | ||
北海道札幌新川高等学校から札幌大谷大学短期大学部への進学者 全国の札幌大谷大学短期大学部の出身者 |
札幌光星高等学校の出身者
15 | 菅野博之 札幌市 東京造形大学へ進学 | Wikipedia |
菅野 博之(かんの ひろし、男性、1966年 - )は、日本の漫画家、漫画研究者。北海道札幌市出身。 | ||
札幌光星高等学校から東京造形大学への進学者 全国の東京造形大学の出身者 札幌市の出身者 | ||
1966年生まれの人 |
函館ラ・サール高等学校の出身者
16 | 西村孝司 北海道大学へ進学 | Wikipedia |
西村 孝司(にしむら たかし、1953年(昭和28年)8月9日 - )は日本の免疫学者。元北海道大学教授。免疫学で著名な研究者である。 | ||
函館ラ・サール高等学校から北海道大学への進学者 全国の北海道大学の出身者 | ||
8月9日生まれの人  1953年生まれの人 |
青森県立青森高等学校の出身者
17 | 小野隆祥 京都大学へ進学 | Wikipedia |
小野 隆祥(おの りゅうしょう、1910年(明治43年) - 1986年(昭和61年)は、日本近代文学研究者。太宰治研究家の小野正文の兄。 | ||
青森県立青森高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
1910年生まれの人 | ||
18 | 柴田治三郎 青森市 東北帝国大学へ進学 | Wikipedia |
柴田 治三郎(しばた じさぶろう、1909年2月17日 - 1998年7月27日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、東北大学名誉教授。 | ||
青森県立青森高等学校から東北帝国大学への進学者 全国の東北帝国大学の出身者 青森市の出身者 | ||
2月17日生まれの人  1909年生まれの人 | ||
19 | 柳田泉 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
柳田 泉(やなぎだ いずみ、男性、1894年(明治27年)4月27日 - 1969年(昭和44年)6月7日)は、明治文学研究者、翻訳家。 | ||
青森県立青森高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月27日生まれの人  1894年生まれの人 |
青森県立弘前高等学校の出身者
20 | 三浦雅士 弘前市 | Wikipedia |
三浦 雅士(みうら まさし、1946年12月17日 - )は、日本の編集者、文芸評論家、舞踊研究者。日本芸術院会員。1978-80年は執筆時に今井裕康というペン・ネームを使用した。 | ||
弘前市の出身者 | ||
12月17日生まれの人  1946年生まれの人 | ||
21 | 須藤貢明 | Wikipedia |
須藤 貢明(すどう つぐあき、1939年 - )は、日本の聴覚障害児教育の研究者、東京学芸大学名誉教授である。玉川大学工学部専任講師、東京学芸大学専任講師を経て、1992年に東京学芸大学教授に、2003年に同学名誉教授に就任した。聴覚心理学、言語指導論を研究する。 | ||
1939年生まれの人 |
岩手県立水沢高等学校の出身者
22 | 青沼国夫 奥州市 立教大学へ進学 | Wikipedia |
青沼 国夫(あおぬま くにお、1954年 - )は、日本の日本語教育家。 | ||
岩手県立水沢高等学校から立教大学への進学者 全国の立教大学の出身者 奥州市の出身者 | ||
1954年生まれの人 | ||
23 | 門脇和男 東京理科大学へ進学 | Wikipedia |
門脇 和男(かどわき かずお、1952年 - )は、日本の物理学者、筑波大学大学院教授。特に超伝導の研究で知られている。 | ||
岩手県立水沢高等学校から東京理科大学への進学者 全国の東京理科大学の出身者 | ||
1952年生まれの人 | ||
24 | 佐々木英也 奥州市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
佐々木 英也(ささき ひでや、1932年 - )は日本の西洋美術研究者、東京芸術大学名誉教授。 | ||
岩手県立水沢高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 奥州市の出身者 | ||
1932年生まれの人 |
江南義塾盛岡高等学校の出身者
25 | 佐々木喜善 東洋大学へ進学 | Wikipedia |
佐々木 喜善(ささき きぜん、1886年10月5日 - 1933年9月29日)は、日本の民俗学者、作家、文学者、文学研究者、民話・伝説・習俗・口承文学の収集家、研究家。佐々木は自身について、資料収集者であり学者ではないと述べているが、一般には学者として扱われる。 | ||
江南義塾盛岡高等学校から東洋大学への進学者 全国の東洋大学の出身者 | ||
10月5日生まれの人  1886年生まれの人 |
岩手県立盛岡第一高等学校の出身者
26 | 中村三春 釜石市 東北大学へ進学 | Wikipedia |
中村 三春(なかむら みはる、男性、1958年12月3日 - )は、日本近代文学研究者、北海道大学教授。 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校から東北大学への進学者 全国の東北大学の出身者 釜石市の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1958年生まれの人 | ||
27 | 宮澤清六 花巻市 | Wikipedia |
宮澤 清六(みやざわ せいろく、1904年4月1日 - 2001年6月12日)は、宮沢賢治の実弟。全集の校訂者として賢治研究に貢献した。 | ||
花巻市の出身者 | ||
4月1日生まれの人  1904年生まれの人 |
宮城県仙台第二高等学校の出身者
28 | 加藤久 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
加藤 久(かとう ひさし、1956年4月24日 - )は、日本のサッカー指導者、元サッカー選手、スポーツ研究者(博士(学術))。宮城県宮城郡利府町出身。 | ||
宮城県仙台第二高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月24日生まれの人  1956年生まれの人 | ||
29 | 佐藤一郎 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 一郎(さとう いちろう、1946年8月26日 - )は、日本の男性画家であり、絵画材料学、絵画技術学の研究者である。東京芸術大学教授を2014年退任し、2015年現在は金沢美術工芸大学大学院専任教授である[2]。 | ||
宮城県仙台第二高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
8月26日生まれの人  1946年生まれの人 | ||
30 | 常盤新平 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
常盤 新平(ときわ しんぺい、1931年〈昭和6年〉3月1日 - 2013年〈平成25年〉1月22日)は、日本の作家、翻訳家であり、アメリカ文化研究者である。別名に、大原寿人(おおはらとしひと)。 | ||
宮城県仙台第二高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1931年生まれの人 |
宮城県仙台第三高等学校の出身者
31 | 柳井雅也 法政大学へ進学 | Wikipedia |
柳井 雅也(やない まさや、1958年 - )は、日本の経済地理学研究者、東北学院大学教養学部地域構想学科教授。専門は、立地論、地域経済論。 | ||
宮城県仙台第三高等学校から法政大学への進学者 全国の法政大学の出身者 | ||
1958年生まれの人 |
宮城県白石高等学校の出身者
32 | 塩谷信男 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
塩谷 信男(しおや のぶお、1902年3月24日 - 2008年3月14日)は、日本の医師、心霊研究者。 | ||
宮城県白石高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
3月24日生まれの人  1902年生まれの人 |
秋田県立秋田高等学校の出身者
33 | 荒井献 大仙市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
荒井 献(あらい ささぐ、1930年5月6日 - )は、日本の新約聖書学者でグノーシス主義研究者である。神学博士(ドイツ・エアランゲン=ニュルンベルク大学)、東京大学及び恵泉女学園大学名誉教授。日本学士院会員。 | ||
秋田県立秋田高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 大仙市の出身者 | ||
5月6日生まれの人  1930年生まれの人 | ||
34 | 分銅惇作 | Wikipedia |
分銅 惇作(ふんどう じゅんさく、1924年9月23日 - 2009年1月29日)は、近代日本文学研究者。秋田県南秋田郡五城目町出身。旧制秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)等を経て東京文理科大学卒業、高校教諭、東京教育大学教授、実践女子大学教授、同大学長(1993年)。のち名誉教授。99年秋、勲三等瑞宝章受勲。旺文社大学受験ラジオ講座の講師もされた。 | ||
9月23日生まれの人  1924年生まれの人 |
秋田県立秋田西高等学校の出身者
35 | 門間貴志 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
門間 貴志(もんま たかし、1964年3月17日 - )は、日本の映画研究者、明治学院大学文学部芸術学科教授。 | ||
秋田県立秋田西高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 | ||
3月17日生まれの人  1964年生まれの人 |
山形県立山形東高等学校の出身者
36 | 山内志朗 東京大学へ進学 | Wikipedia |
山内 志朗(やまうち しろう、1957年9月18日 - )は、日本の哲学研究者、慶應義塾大学文学部教授。山形県西村山郡西川町出身。 | ||
山形県立山形東高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月18日生まれの人  1957年生まれの人 | ||
37 | 高橋秀樹 学習院大学へ進学 | Wikipedia |
高橋 秀樹(たかはし ひでき、1955年1月1日 - )は、日本の放送作家、著述家、教育評論家、自閉症研究者、心理学者。日本放送作家協会常務理事、ニュースサイト「メディアゴン」主筆、株式会社クリア代表、日本自閉症スペクトラム学会、日本マス・コミュ二ケーション学会、日本映像学会、日本発達障害支援システム学会、日本社会臨床学会、日本ヘルス・コミュ二ケーション学会、日本認知心理学会、心理学史研究会、放送批評懇談会、日本脚本家連盟、日本行動分析学会、サービス学会。東洋大学講師。妻は元TBSアナウンサーの牧嶋博子、子は弁護士の高橋維新。 | ||
山形県立山形東高等学校から学習院大学への進学者 全国の学習院大学の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1955年生まれの人 | ||
38 | 新関良三 東京大学へ進学 | Wikipedia |
新関 良三(にいぜき りょうぞう、1889年8月4日 - 1979年4月27日)は、ドイツ文学者、演劇研究者、文化功労者。 | ||
山形県立山形東高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
8月4日生まれの人  1889年生まれの人 |
山形県立山形南高等学校の出身者
39 | 芳賀徹 東京大学へ進学 | Wikipedia |
芳賀 徹(はが とおる、1931年5月9日 - )は、日本の文学研究者、比較文学者。国際日本文化研究センター・東京大学名誉教授、京都造形芸術大学名誉学長。 | ||
山形県立山形南高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月9日生まれの人  1931年生まれの人 |
山形県立長井高等学校の出身者
40 | 工藤美知尋 日本大学へ進学 | Wikipedia |
工藤 美知尋(くどう みちひろ、1947年4月29日 - )は日本の戦史研究者、青山IGC学院学院長。 | ||
山形県立長井高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 | ||
4月29日生まれの人  1947年生まれの人 |
酒田南高等学校の出身者
41 | 仲川秀樹 日本大学へ進学 | Wikipedia |
仲川秀樹(なかがわ ひでき、1958年 - )は、山形県酒田市出身、日本の社会学者、日本大学文理学部教授。マス・コミュニケーション論専攻。近年はサブカルチャーの研究者としても知られている。 | ||
酒田南高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 | ||
1958年生まれの人 |
福島県立安積高等学校の出身者
42 | 富田庸 武蔵野音楽大学へ進学 | Wikipedia |
富田 庸(とみた よう、1961年12月17日 - )。日本の男性のバッハ研究者。ベルファストのクイーンズ大学音楽学部(School of Creative Arts)教授(音楽学)。 | ||
福島県立安積高等学校から武蔵野音楽大学への進学者 全国の武蔵野音楽大学の出身者 | ||
12月17日生まれの人  1961年生まれの人 | ||
43 | 鈴木直 いわき市 | Wikipedia |
鈴木 直(すずき ただし、1951年6月25日 - )は、日本の古生物の研究者。元いわき市アンモナイトセンター主任研究員。フタバスズキリュウの発見者として著名。 | ||
いわき市の出身者 | ||
6月25日生まれの人  1951年生まれの人 |
福島県立安積黎明高等学校の出身者
44 | 大野更紗 明治学院大学へ進学 | Wikipedia |
大野 更紗(おおの さらさ、1984年 - )は日本の作家、研究者(社会学)。 | ||
福島県立安積黎明高等学校から明治学院大学への進学者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
1984年生まれの人 |
福島県立福島高等学校の出身者
45 | 富田京一 | Wikipedia |
肉食爬虫類研究所代表、恐竜研究者 |
茨城県立水戸第一高等学校の出身者
46 | 日高昭二 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
日高昭二(ひだか しょうじ、1945年5月15日 - )は、日本近代文学研究者、神奈川大学名誉教授。妻は歌人の日高堯子。 | ||
茨城県立水戸第一高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1945年生まれの人 | ||
47 | 谷口幸男 東京大学へ進学 | Wikipedia |
谷口 幸男(たにぐち ゆきお、1929年7月 - )は、日本の文学者、文学研究者、民俗学者、翻訳家。専門はドイツ文学および北欧文学。 | ||
茨城県立水戸第一高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月1日生まれの人  1929年生まれの人 | ||
48 | 富田正文 水戸市 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
富田 正文(とみた まさふみ、1898年(明治31年)8月20日 - 1993年(平成5年)8月27日)は、は日本の作家・編集者・福澤諭吉研究者。昭和期から平成期の慶應義塾大学職員・名誉博士。第55回日本学士院賞受章。 | ||
茨城県立水戸第一高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 水戸市の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1898年生まれの人 | ||
49 | 石井敬吉 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
石井 敬吉(いしい けいきち、慶応2年11月11日(1866年12月17日) - 昭和7年(1932年)3月10日)は、明治から昭和時代前期の建築家、構造家、建築学者、建築史家。最初の日本建築史研究者として知られる伊東忠太より早く日本建築史の研究を開始する。その後は実際の建築実務に関心を移し、構造と構法に関する研究を進めた。工手学校(現工学院大学)造家学科教員。 | ||
茨城県立水戸第一高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
11月11日生まれの人  1866年生まれの人 |
茨城県立土浦第一高等学校の出身者
50 | 茂在寅男 | Wikipedia |
茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 2013年5月31日)は、日本の工学博士(航海計器学)、作家、水中考古学(海洋考古学)研究者。 | ||
2月10日生まれの人  1914年生まれの人 | ||
51 | 高田保 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
高田 保(たかだ たもつ、1895年3月28日 - 1952年2月20日)は、茨城県出身の劇作家、随筆家。母方の従兄に近世文学研究者の山口剛がいる。 | ||
茨城県立土浦第一高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
3月28日生まれの人  1895年生まれの人 |
栃木県立宇都宮高等学校の出身者
52 | 君島一郎 黒羽町 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
君島 一郎(きみじま いちろう、1887年(明治20年)4月16日 - 1975年(昭和50年)4月25日)は、日本の銀行家、野球研究者。元朝鮮銀行副総裁。 | ||
栃木県立宇都宮高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 黒羽町の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1887年生まれの人 |
栃木県立足利高等学校の出身者
53 | 丸山浩司 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
丸山 浩司(まるやま ひろし、1953年7月12日 - )は、栃木県足利市出身の版画家(木版画)、美術教育の研究者で多摩美術大学教授。多摩美術大学在学中に吹田文明に師事し、木版画を始める。その後、東京芸術大学大学院に進学し野田哲也・中林忠良に師事、更に木版画研究を進める。その後、福島大学にて教員養成の仕事に従事し、教科書編集や鑑賞教育、現代美術研究を通して美術教育研究にも力を注ぐ。 当初は生まれ故郷の足利にて友禅染めの色彩(渡良瀬川の友禅流し)に魅了され鮮やかな色彩による作品を手掛け、単行本の表紙やテレビドラマのセットに利用されるなど、社会的評価が高かったが、現在はモノクロームを基調にした静謐な作品が多い。 現在、多摩美術大学教授、(社)日本版画協会理事、東京藝術大学美術教育研究会運営委員、大学版画学会運営委員 | ||
栃木県立足利高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 | ||
7月12日生まれの人  1953年生まれの人 |
栃木県立大田原高等学校の出身者
54 | 小林惺 東京大学へ進学 | Wikipedia |
小林 惺(こばやし さとし、1932年 - 2008年3月)は、日本のイタリア語学者・イタリア文学研究者。専攻はイタリア語・比較文化。1960年東京外国語大学イタリア語学科卒業。1962年東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻入学、1970年同博士課程単位取得退学。武蔵野音楽大学教授を務め、定年後名誉教授。パーキンソン病に苦しみながら、ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ『山猫』のイタリア語原典から訳書を刊行直後に没した。 | ||
栃木県立大田原高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1932年生まれの人 |
群馬県立高崎高等学校の出身者
55 | 佐藤良明 東京大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 良明(さとう よしあき、1950年10月13日- )は、アメリカ文学/ポピュラー音楽研究者。放送大学教授、東京大学名誉教授。群馬県高崎市出身。兄はグラフィックデザイナーの佐藤晃一。 | ||
群馬県立高崎高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
10月13日生まれの人  1950年生まれの人 | ||
56 | 舛岡富士雄 東北大学へ進学 | Wikipedia |
舛岡 富士雄(ますおか ふじお、1943年5月8日 - )は日本の電子工学研究者。東北大学名誉教授。フラッシュメモリの発明者である。 | ||
群馬県立高崎高等学校から東北大学への進学者 全国の東北大学の出身者 | ||
5月8日生まれの人  1943年生まれの人 |
群馬県立高崎商業高等学校の出身者
57 | 小林太三郎 高崎市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
小林 太三郎(こばやし たさぶろう、1923年(大正12年)11月13日 - 2012年(平成24年)9月20日は、日本の経営学者。欧米やアジアの大学には日本と違って広告学部や広告学科があり、多くの研究者がいるが、広告研究においては日本の第一人者。商学博士、早稲田大学名誉教授(大学院商学研究科、商学部)。広告研究で博士号を取り、大学院で広告研究の講義をし、広告研究のゼミナールを持った日本最初の人物。著書である『広告管理の理論と実際』同文舘(1968)は669ページに及ぶ大著。露出、認知、態度といった消費者行動の段階を明確に定義づけ、学会業界で使用する広告関連用語の標準化に貢献した。また、多くの広告研究者を世に送り出した(亀井昭宏、小林保彦、嶋村和恵、中山勝己、清水公一、松井陽通、石崎徹、小泉眞人)。日本広告学会設立に尽力し、長年会長を務め、日本学術会議会員として活躍した。アメリカ広告学会、アメリカ・マーケティング協会、アメリカ・ダイレクトメール/マーケティング協会(AMA)、アメリカ広告調査財団(ARF)会員。ミシガン州立大学ゴードン・E・ミラクルは友人。IAA世界広告会議が東京で開催された折、司会を務め、慰労のため東宮御所に招かれる。 | ||
群馬県立高崎商業高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
11月13日生まれの人  1923年生まれの人 |
群馬県立高崎工業高等学校の出身者
58 | 黒古一夫 法政大学へ進学 | Wikipedia |
黒古 一夫(くろこ かずお、1945年12月12日 - )は、日本近代文学研究者、文芸評論家、筑波大学名誉教授。 | ||
群馬県立高崎工業高等学校から法政大学への進学者 全国の法政大学の出身者 | ||
12月12日生まれの人  1945年生まれの人 |
群馬県立沼田高等学校の出身者
59 | 池田貴将 沼田市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
池田 貴将(いけだ たかまさ、1983年 - )は、日本の自己啓発作家、メンタルコーチ、リーダーシップ・行動心理学研究者。群馬県沼田市出身。 | ||
群馬県立沼田高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 沼田市の出身者 | ||
1983年生まれの人 |
60 | 津金澤聰廣 桃山学院大学へ進学 | Wikipedia |
津金沢 聡広(津金澤 聰廣、つがねさわ としひろ、1932年11月8日 - )は、日本の社会学者、メディア研究者、関西学院大学名誉教授、関西学院大学博士(社会学)。 | ||
群馬県立沼田高等学校から桃山学院大学への進学者 全国の桃山学院大学の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1932年生まれの人 | ||
61 | 桑原三郎 沼田市 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
桑原 三郎(くわばら さぶろう、1926年12月20日 - 2009年1月21日)は日本の教育者、児童文学者、文学博士。日本児童文芸家協会顧問、慶應義塾福澤研究センター顧問。 | ||
群馬県立沼田高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 沼田市の出身者 | ||
12月20日生まれの人  1926年生まれの人 |
群馬県立館林高等学校の出身者
62 | 大村喜吉 | Wikipedia |
大村 喜吉(おおむら きよし、1916年4月21日 - 2003年2月19日)は、英語教育史の研究者、埼玉大学名誉教授。 | ||
4月21日生まれの人  1916年生まれの人 |
群馬県立藤岡北高等学校の出身者
63 | 清水一憲 平成国際大学へ進学 | Wikipedia |
清水 一憲(しみず かずのり、1977年7月26日 - )は、群馬県藤岡市出身の文人、歌人、NPO研究者(活動家)、会社役員、政策プランナー、まちづくりコンサルタント、イベントプロデューサーである。多数のNPO法人役員を兼職しており、中央省庁や地方自治体の公職にも委嘱されている。 | ||
群馬県立藤岡北高等学校から平成国際大学への進学者 全国の平成国際大学の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1977年生まれの人 |
群馬県立富岡高等学校の出身者
64 | 関口章 群馬大学へ進学 | Wikipedia |
関口章(せきぐち あきら、1952年2月14日 - )は、日本の化学者。専門は有機化学。群馬県出身。理学博士(筑波大学)。 ケイ素 などの高周期有機元素化学分野で有名。 | ||
群馬県立富岡高等学校から群馬大学への進学者 全国の群馬大学の出身者 | ||
2月14日生まれの人  1952年生まれの人 | ||
65 | 土屋博映 甘楽郡下仁田町 筑波大学へ進学 | Wikipedia |
土屋 博映(つちや ひろえい、1949年3月3日 - )は、日本の国文学者。跡見学園女子大学教授。元代々木ゼミナール古文科講師。 | ||
群馬県立富岡高等学校から筑波大学への進学者 全国の筑波大学の出身者 甘楽郡下仁田町の出身者 | ||
3月3日生まれの人  1949年生まれの人 |
埼玉県立浦和高等学校の出身者
66 | 石原守一 京都大学へ進学 | Wikipedia |
石原 守一(いしはら もりかず、1930年6月29日 - 2012年9月18日)は、日本の科学者、歴史情報研究者[3][4]。専門は理論生物学など。統計遺伝学に於いての数少ない理論家[5]。理系文系にまたがる幅広い研究領域を持つ研究者。理学博士・農学博士・工学博士。東京生まれ[6]。1984年6月19日より母方の石原姓を名乗る[6][7]。出生名は志方 守一(しかた もりかず)[6]。 | ||
埼玉県立浦和高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
6月29日生まれの人  1930年生まれの人 | ||
67 | 清水誠 埼玉大学へ進学 | Wikipedia |
清水 誠(しみず まこと)は、日本の理科教育法研究者である。埼玉大学教育学部教授。研究分野は理科教育学、科学教育。埼玉県出身。 | ||
埼玉県立浦和高等学校から埼玉大学への進学者 全国の埼玉大学の出身者 |
埼玉県立熊谷高等学校の出身者
68 | 松本健一 東京大学へ進学 | Wikipedia |
松本 健一(まつもと けんいち、1946年1月22日 - 2014年11月27日)は、日本の評論家、思想家、作家、歴史家、思想史家。麗澤大学経済学部教授。 | ||
埼玉県立熊谷高等学校から 東京大学への進学者 全国の 東京大学の出身者 | ||
1月22日生まれの人  1946年生まれの人 | ||
69 | 小幡喜一 | Wikipedia未登録 |
地学研究者 |
埼玉県立春日部高等学校の出身者
70 | 関口安義 文教大学へ進学 | Wikipedia |
関口 安義(せきぐち やすよし、1935年9月23日 - )は、日本近代文学の研究者。都留文科大学名誉教授。 | ||
埼玉県立春日部高等学校から文教大学への進学者 全国の文教大学の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1935年生まれの人 |
さいたま市立浦和南高等学校の出身者
71 | 三浦昭彦 | Wikipedia未登録 |
研究者・博士(工学)、JPARCセンター研究員 |
千葉県立千葉高等学校の出身者
72 | 兵藤裕己 京都大学へ進学 | Wikipedia |
兵藤 裕己(ひょうどう ひろみ、1950年10月3日 - )は、日本中世文学、芸能研究者、学習院大学教授。 | ||
千葉県立千葉高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1950年生まれの人 | ||
73 | 天沢退二郎 東京大学へ進学 | Wikipedia |
天沢 退二郎(あまざわ たいじろう、1936年7月31日 - )は、日本の詩人、仏文学者、児童文学作家、翻訳家。宮沢賢治研究者。東京大学文学部仏文科卒業。明治学院大学文学部フランス文学科名誉教授。 | ||
千葉県立千葉高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月31日生まれの人  1936年生まれの人 |
千葉県立千葉南高等学校の出身者
74 | 川島隆太 東北大学へ進学 | Wikipedia |
川島 隆太(かわしま りゅうた、1959年5月23日 - )は、千葉県出身の医学者。医学博士(東北大学、1989年)。東北大学加齢医学研究所教授を務めている。 実父・川島勝弘は、放射線医学の研究者で元北里大学教授、元科学技術庁放射線医学総合研究所副所長。 | ||
千葉県立千葉南高等学校から東北大学への進学者 全国の東北大学の出身者 | ||
5月23日生まれの人  1959年生まれの人 |
千葉県立千葉東高等学校の出身者
75 | 志村一隆 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
志村一隆(しむら かずたか、1968年 - )は、日本の研究者。 WOWOW、情報通信総合研究所にて日本国外のメディア・コンテンツ業界の調査研究に従事。 現在はヤフーのエバンジェリスト、メディアコメンテーター、日本独立作家同盟理事、一般社団法人デジタルサイネージコンソーシアム理事。また水墨画家としても活動。 | ||
千葉県立千葉東高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1968年生まれの人 | ||
76 | 須田朗 山形大学へ進学 | Wikipedia |
須田 朗(すだ あきら、1947年 - )は、日本の哲学研究者、中央大学教授。専門は、ドイツ近現代哲学。カント及びマルティン・ハイデッガーの研究を主とする。 | ||
千葉県立千葉東高等学校から山形大学への進学者 全国の山形大学の出身者 | ||
1947年生まれの人 |
千葉県立佐原高等学校の出身者
77 | 仙石学 東京大学へ進学 | Wikipedia |
仙石 学(せんごく まなぶ、1964年 - )は日本の政治学者。北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授。ポーランドを中心とする東欧政治研究を主体とする比較政治研究者。千葉県柏市生まれ。 | ||
千葉県立佐原高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1964年生まれの人 |
千葉県立佐倉高等学校の出身者
78 | 水島一也 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
水島 一也(みずしま かずや、1930年11月12日 - )は、日本の経営学者。保険、リスクマネジメントの研究者。商学博士(神戸大学、1965年)。神戸大学名誉教授。元保険審議会会長。作家で精神科医の加賀乙彦は、名古屋陸軍幼年学校時代の1年先輩。旧東京府(現東京都)生まれ。 | ||
千葉県立佐倉高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
11月12日生まれの人  1930年生まれの人 | ||
79 | 香取秀真 佐倉市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
香取 秀真(かとり ほつま、1874年1月1日 - 1954年1月31日)は日本の鋳金工芸作家、歌人である。学問としての金工史を確立し、研究者としても優れた。日本における美術の工芸家として初の文化勲章を受章。東京美術学校(現在の東京藝術大学)教授、芸術院会員。 帝室博物館(現在の東京国立博物館)技芸員、国宝保存会常務委員、文化財審議会専門委員などを歴任。秀真は雅号で、本名は秀治郎。金工の人間国宝である香取正彦は長男。 | ||
千葉県立佐倉高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 佐倉市の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1874年生まれの人 |
千葉県立東金高等学校の出身者
80 | 篠原聡子 日本女子大学へ進学 | Wikipedia |
篠原 聡子(しのはら さとこ、1958年7月17日 - )は、日本の建築家。建築教育者。建築研究者。日本女子大学家政学部住居学科教授。空間研究所を主宰して作家活動を展開。千葉県東金市生まれ。 | ||
千葉県立東金高等学校から日本女子大学への進学者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
7月17日生まれの人  1958年生まれの人 |
船橋市立船橋高等学校の出身者
81 | 河合美香 筑波大学へ進学 | Wikipedia |
河合 美香(かわい みか、1967年8月 - )は、日本のスポーツ科学研究者。龍谷大学法学部准教授。元長距離陸上競技選手。京都府京都市生まれ。修士(体育学)、博士(スポーツ医学)。 | ||
船橋市立船橋高等学校から筑波大学への進学者 全国の筑波大学の出身者 | ||
1967年生まれの人 |
麗澤高等学校の出身者
82 | 高森明勅 倉敷市 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
高森 明勅(たかもり あきのり、1957年 - )は、日本の評論家、神道学者、歴史家、皇室研究者。 | ||
麗澤高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 倉敷市の出身者 | ||
1957年生まれの人 |
お茶の水女子大学附属高等学校の出身者
83 | 中村桂子 東京大学へ進学 | Wikipedia |
中村 桂子(なかむら けいこ、1936年(昭和11年)1月1日 - )は、生命誌研究者、JT生命誌研究館館長。理学博士(東京大学、1964年)。東京都出身。 (イメージ) 長女は、スウェーデン語講師、翻訳家の中村友子。 | ||
お茶の水女子大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1936年生まれの人 | ||
84 | 青山なを 東京女子大学へ進学 | Wikipedia |
青山 なを(あおやま なお、1900年(明治33年)7月9日 - 1985年(昭和60年)8月1日)は、日本の文学博士で日本女性史の研究者。 | ||
お茶の水女子大学附属高等学校から東京女子大学への進学者 全国の東京女子大学の出身者 | ||
7月9日生まれの人  1900年生まれの人 |
筑波大学附属高等学校の出身者
85 | 宇山智彦 東京大学へ進学 | Wikipedia |
宇山 智彦(うやま ともひこ、1967年11月1日 - )は、日本の中央アジア地域研究者、歴史学者、政治学者。北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月1日生まれの人  1967年生まれの人 | ||
86 | 津上俊哉 新居浜市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
津上 俊哉(つがみ としや、1957年 - )は日本の現代中国研究家・経済評論家・コンサルタントである。専門は中国経済。(有)津上工作室代表を務める。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 新居浜市の出身者 | ||
1957年生まれの人 | ||
87 | 貫名信行 東京大学へ進学 | Wikipedia |
貫名 信行(ぬきな のぶゆき、1951年11月 - )は、理化学研究所脳科学総合研究センター病因遺伝子研究グループのグループディレクター。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1951年生まれの人 | ||
88 | 草原真知子 国際基督教大学へ進学 | Wikipedia |
草原 真知子(くさはら まちこ、1948年 - )はメディアアート研究者。キュレーター。早稲田大学文化構想学部教授。工学博士(東京大学)。 | ||
筑波大学附属高等学校から国際基督教大学への進学者 全国の国際基督教大学の出身者 | ||
1948年生まれの人 | ||
89 | 清水孝雄 千代田区 東京大学へ進学 | Wikipedia |
清水 孝雄(しみず たかお、1947年 - )は、日本の生化学者。元東京大学医学系研究科教授、総長顧問。生化学・分子生物学、特に脂質代謝と脂質メディエーターの研究を専門とする。また、テニスと登山を趣味としている。東京都千代田区出身。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 千代田区の出身者 | ||
1947年生まれの人 | ||
90 | 石弘之 豊島区 東京大学へ進学 | Wikipedia |
石 弘之(いし ひろゆき、1940年5月28日 - )は、日本の環境ジャーナリスト、環境問題研究者。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 豊島区の出身者 | ||
5月28日生まれの人  1940年生まれの人 | ||
91 | 大久保治男 中央大学へ進学 | Wikipedia |
大久保 治男(おおくぼ はるお、1934年 - )は、日本の法学者。井伊氏および彦根藩の研究者でもある。駒澤大学名誉教授。武蔵野学院大学名誉学長。 | ||
筑波大学附属高等学校から中央大学への進学者 全国の中央大学の出身者 | ||
1934年生まれの人 | ||
92 | 芳賀徹 東京大学へ進学 | Wikipedia |
芳賀 徹(はが とおる、1931年5月9日 - )は、日本の文学研究者、比較文学者。国際日本文化研究センター・東京大学名誉教授、京都造形芸術大学名誉学長、静岡県立美術館館長。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月9日生まれの人  1931年生まれの人 | ||
93 | 平川祐弘 北区 東京大学へ進学 | Wikipedia |
平川 祐弘(ひらかわ すけひろ、1931年7月11日 - )は、日本の比較文学研究者、評論家。東京大学名誉教授、国家基本問題研究所理事。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 北区の出身者 | ||
7月11日生まれの人  1931年生まれの人 | ||
94 | 竹田晃 東京大学へ進学 | Wikipedia |
竹田 晃(たけだ あきら、1930年11月26日 - )は、日本の中国文学研究者。東京大学教養学部名誉教授。明海大学名誉教授。六朝の志怪小説、唐代伝奇小説が専門。元東京大学運動会硬式野球部監督。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月26日生まれの人  1930年生まれの人 | ||
95 | 槌田満文 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 2011年5月31日)は、ジャーナリスト、日本近代文学の研究者、武蔵野大学名誉教授。 | ||
筑波大学附属高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1926年生まれの人 | ||
96 | 志賀敏宏 | Wikipedia未登録 |
経営学者、イノベーション・セレンディピティ研究者、元青森公立大学教授、多摩大学教授 |
筑波大学附属駒場高等学校の出身者
97 | 東浩紀 三鷹市 東京工業大学へ進学 | Wikipedia |
東 浩紀(あずま ひろき、1971年(昭和46年)5月9日 - )は、日本の評論家、現代思想研究者。学位は博士(学術)(東京大学・1999年)。ゲンロン代表取締役社長兼編集長。 | ||
筑波大学附属駒場高等学校から東京工業大学への進学者 全国の東京工業大学の出身者 三鷹市の出身者 | ||
5月9日生まれの人  1971年生まれの人 | ||
98 | 廣瀬浩司 東京大学へ進学 | Wikipedia |
廣瀬浩司(ひろせ こうじ、1963年7月‐ )は、日本の哲学研究者、筑波大学教授。フランス哲学専攻。 | ||
筑波大学附属駒場高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1963年生まれの人 | ||
99 | 渡部泰明 東京大学へ進学 | Wikipedia |
渡部 泰明(わたなべ やすあき、1957年2月1日 - )は、日本文学研究者、東京大学教授。専門は和歌文学。博士(文学)(東京大学、1999年)(学位論文「中世和歌の生成」)。東京都生まれ。学生時代は演劇活動をしており、野田秀樹とともに夢の遊眠社の旗揚げに参画した。日本学術会議会員。 | ||
筑波大学附属駒場高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月1日生まれの人  1957年生まれの人 |
100 | 藤原克巳 東京大学へ進学 | Wikipedia |
藤原 克巳(ふじわら かつみ、1953年1月8日 - )は、日本中古文学研究者、東京大学教授。博士(文学)(東京大学、2001年)(学位論文「菅原道真と平安朝漢文学」)論文執筆等では「克己」を用いる。 | ||
筑波大学附属駒場高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月8日生まれの人  1953年生まれの人 | ||
101 | 四方田犬彦 西宮市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
四方田 犬彦(よもた いぬひこ、1953年2月20日 - )は、日本の比較文学者、映画史家。 | ||
筑波大学附属駒場高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月20日生まれの人  1953年生まれの人 | ||
102 | 杉山太郎 東京大学へ進学 | Wikipedia |
杉山 太郎(すぎやま たろう、1952年9月 - 2001年2月5日)は、中国演劇研究者、明星大学教授。日本語教育、中国語教育、中国人口論にも業績がある。 | ||
筑波大学附属駒場高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1952年生まれの人 | ||
103 | 石井洋二郎 東京大学へ進学 | Wikipedia |
石井 洋二郎(いしい ようじろう、1951年7月24日 - )は、日本の文学研究者、フランス文学者、東京大学理事・副学長。 | ||
筑波大学附属駒場高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1951年生まれの人 | ||
104 | 高橋薫 埼玉大学へ進学 | Wikipedia |
高橋 薫(たかはし かおる、1950年 - )は、日本のフランス研究者。中央大学法学部教授。 | ||
筑波大学附属駒場高等学校から埼玉大学への進学者 全国の埼玉大学の出身者 | ||
1950年生まれの人 | ||
105 | 晴山陽一 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
晴山 陽一(はれやま よういち、1950年 - )は、日本の言語学者。英語教育の本の執筆者。 | ||
筑波大学附属駒場高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1950年生まれの人 | ||
106 | 赤松茂 東京大学へ進学 | Wikipedia |
赤松 茂(あかまつ しげる)は日本の工学研究者。法政大学工学部システム制御工学科の教授。 | ||
筑波大学附属駒場高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 |
東京学芸大学附属高等学校の出身者
107 | 河添房江 東京大学へ進学 | Wikipedia |
河添 房江(かわぞえ ふさえ、1953年10月15日 - )は、古代・中古文学研究者。東京学芸大学教育学部教授。一橋大学大学院言語社会研究科連携教授。博士(文学)。源氏物語を主に専攻。1996年より三田村雅子・松井健児と共に雑誌「源氏研究」を編集(2005年、10号で終刊)。父は河添邦太朗 (1922- ) で、工学博士、東大名誉教授。夫・須賀英之は宇都宮共和大学・宇都宮短期大学学長。 | ||
東京学芸大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
10月15日生まれの人  1953年生まれの人 | ||
108 | 野谷文昭 東京外国語大学へ進学 | Wikipedia |
野谷 文昭(のや ふみあき、1948年6月6日 - )は、日本のラテンアメリカ文学研究者、東京大学名誉教授、名古屋外国語大学教授。神奈川県生まれ。 | ||
東京学芸大学附属高等学校から東京外国語大学への進学者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
6月6日生まれの人  1948年生まれの人 |
東京都立日比谷高等学校の出身者
109 | 柴田元幸 | Wikipedia |
柴田 元幸(しばた もとゆき、1954年7月11日 - )は、日本のアメリカ文学研究者、翻訳家。東京大学名誉教授。東京都大田区出身。 | ||
7月11日生まれの人  1954年生まれの人 | ||
110 | 藤井省三 | Wikipedia |
藤井 省三(ふじい しょうぞう、1952年11月15日 - )は、日本の中国文学研究者。東京大学教授、日本学術会議会員。東京都出身。 | ||
11月15日生まれの人  1952年生まれの人 | ||
111 | 内田樹 首都大学東京へ進学 | Wikipedia |
内田 樹(うちだ たつる、1950年9月30日 - )は、日本の哲学研究者、コラムニスト、思想家、倫理学者、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。京都精華大学人文学部客員教授。合気道凱風館館長。 | ||
東京都立日比谷高等学校から首都大学東京への進学者 全国の首都大学東京の出身者 | ||
9月30日生まれの人  1950年生まれの人 | ||
112 | 土田健次郎 | Wikipedia |
土田健次郎(つちだ けんじろう、1949年8月6日 - )は、日本の儒教研究者、中国学者。早稲田大学文学部教授。同大学文学学術院長を経て常任理事(副総長)を歴任。現在は早稲田佐賀学園理事長。 | ||
8月6日生まれの人  1949年生まれの人 | ||
113 | 土田龍太郎 東京大学へ進学 | Wikipedia |
土田 龍太郎(つちだ りゅうたろう、1947年9月29日 - )は、インド文学者、東京大学名誉教授、国家基本問題研究所理事。 | ||
東京都立日比谷高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月29日生まれの人  1947年生まれの人 | ||
114 | 大森正之 埼玉大学へ進学 | Wikipedia |
大森 正之(おおもり まさゆき、1943年1月 - )は、日本の生物学研究者。東京大学名誉教授、元埼玉大学教授。シアノバクテリア(藍藻)を用いた環境応答現象の解析による、砂漠緑化などの地球環境維持への応用を研究を行っている。理学博士(東京大学、1973年)。 | ||
東京都立日比谷高等学校から埼玉大学への進学者 全国の埼玉大学の出身者 | ||
1943年生まれの人 | ||
115 | 今野浩 東京工業大学へ進学 | Wikipedia |
今野 浩(こんの ひろし、1940年(昭和15年) 8月11日 - )は、日本の数理計画法、金融工学の研究者、著述家。Ph.D.(スタンフォード大学、1971年)[15]、工学博士(東京大学、1977年、論文博士)[16]。東京工業大学名誉教授[7]。資産運用の最適化では平均・絶対偏差モデル(MADモデル)を提唱し[17][注釈 1]、線形計画法のアルゴリズムを特許化した通称カーマーカー特許には訴訟で抵抗した[18][19]。週刊誌連載「大学教授の株ゲーム」の共著者であり[9][20]、「工学部の語り部」として[7][21]「工学部ヒラノ教授」シリーズ[22][23][注釈 2] など多くの著書を執筆した。 | ||
東京都立日比谷高等学校から東京工業大学への進学者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
8月11日生まれの人  1940年生まれの人 | ||
116 | 松村外志張 | Wikipedia |
松村 外志張(まつむら としはる、1939年9月6日-)は、日本の生命科学研究者・バイオ技術者。理学博士。東京都生まれ。 | ||
9月6日生まれの人  1939年生まれの人 | ||
117 | 塩野七生 北区 学習院大学へ進学 | Wikipedia |
塩野 七生(しおの ななみ、女性、1937年7月7日 - )は、日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来。 | ||
東京都立日比谷高等学校から学習院大学への進学者 全国の学習院大学の出身者 北区の出身者 | ||
7月7日生まれの人  1937年生まれの人 | ||
118 | 桂敬一 | Wikipedia |
桂 敬一(かつら けいいち、1935年 - )は、日本のマスコミ研究者[3][4]。専攻は社会情報学、マス・メディア産業論、ジャーナリズム論[5]。元日本ジャーナリスト会議代表委員。 | ||
1935年生まれの人 | ||
119 | 宇佐美滋 | Wikipedia |
宇佐美 滋(うさみ しげる、1933年1月2日 - 2013年4月24日)は、日本の国際関係論研究者。 | ||
1月2日生まれの人  1933年生まれの人 |
120 | 篠沢秀夫 東京大学へ進学 | Wikipedia |
篠沢 秀夫(しのざわ ひでお、1933年6月6日 - )は、東京都大田区出身のフランス文学者、学習院大学名誉教授。モーリス・ブランショの翻訳者、研究者としても知られる。 | ||
東京都立日比谷高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
6月6日生まれの人  1933年生まれの人 | ||
121 | 渡邊守章 | Wikipedia |
渡邊 守章(わたなべ もりあき、1933年3月20日 - )は、日本の演出家、フランス文学研究者。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授。 | ||
3月20日生まれの人  1933年生まれの人 | ||
122 | 岩田靖夫 | Wikipedia |
岩田靖夫(いわた やすお、1932年4月25日 - 2015年1月28日)は、日本の哲学研究者、文化功労者。東北大学・ 仙台白百合女子大学名誉教授。古代ギリシャ哲学専攻。 | ||
4月25日生まれの人  1932年生まれの人 | ||
123 | 増田正造 | Wikipedia |
増田 正造(ますだ しょうぞう、1930年1月3日- )は日本の能楽研究者、武蔵野大学名誉教授。 | ||
1月3日生まれの人  1930年生まれの人 | ||
124 | 越智治雄 | Wikipedia |
越智 治雄(おち はるお、1929年10月27日 - 1983年6月24日)は、日本近代文学研究者、元東京大学教養学部教授。 | ||
10月27日生まれの人  1929年生まれの人 | ||
125 | 所雄章 | Wikipedia |
所 雄章(ところ たけふみ、1927年 - 2012年)は、日本の哲学研究者、中央大学名誉教授。デカルト研究が専門。 | ||
1927年生まれの人 | ||
126 | 今道友信 東京大学へ進学 | Wikipedia |
今道 友信(いまみち とものぶ、1922年11月19日 - 2012年10月13日)は、日本の美学者・中世哲学研究者である。東京大学名誉教授、国際形而上学会会長、国際美学会終身委員兼名誉会長、国際エコエティカ学会名誉会長。元哲学美学比較研究国際センター所長。日本美容専門学校校長。日本アスペン研究所特別顧問。離婚歴があり、ギタリストで元BARBEE BOYSのメンバー・いまみちともたか、ピアニストの川口信子は実子。現在の妻、ドイツ人のクリスティネとの間には、ドイツ在住の今道友紀子とニューヨーク市立大学で心理学を助教授として教える、今道友昭がいる。 | ||
東京都立日比谷高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月19日生まれの人  1922年生まれの人 | ||
127 | 水田洋 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
水田 洋(みずた ひろし、1919年9月3日 - )は、日本の思想史家。日本の社会思想史研究の代表的人物で、世界でのアダム・スミス研究推進者の一人。1998年12月日本学士院会員に就任。18世紀スコットランド研究国際学会 (Eighteenth-Century Scottish Studies Society) 生涯業績賞を2001年に受賞[3]。名古屋大学名誉教授、名古屋大学高等研究院アカデミー会員。水田からの寄付金により名古屋大学では「水田賞」を設置し、人文・社会科学(思想史)の若手研究者を表彰している[4][5]。 | ||
東京都立日比谷高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
9月3日生まれの人  1919年生まれの人 | ||
128 | 何初彦 | Wikipedia |
何 初彦(が はつひこ、1911年5月4日 - 1997年7月19日)は、日本の新聞学研究者、東京大学名誉教授[3]。東京大学新聞研究所所長、上智大学教授などを歴任した[3]。 | ||
5月4日生まれの人  1911年生まれの人 | ||
129 | 玉村竹二 | Wikipedia |
玉村 竹二(たまむら たけじ、1911年10月9日 - 2003年11月11日)は、禅宗の研究者、東京大学史料編纂所教授であった。 | ||
10月9日生まれの人  1911年生まれの人 | ||
130 | 打田峻一 | Wikipedia |
打田 峻一(うちだ しゅんいち、1909年 - )は、日本の法学者・弁護士・元国家公務員。専修大学名誉教授。多数の門下生(研究者)を育てる。 | ||
1909年生まれの人 | ||
131 | 岩倉具栄 | Wikipedia |
岩倉 具栄(いわくら ともひで、1904年2月8日 - 1978年11月2日)は、東京府出身の英文学者、貴族院議員。法政大学教授。D・H・ローレンスの研究者。勲等は勲三等。その他の栄典は藍綬褒章。爵位は公爵(華族制度廃止まで)。 | ||
2月8日生まれの人  1904年生まれの人 | ||
132 | 小山富士夫 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
小山 富士夫(こやま ふじお、1900年3月24日 - 1975年10月7日)は、日本の陶磁器研究者・陶芸家で、中国陶磁器研究の大家。 | ||
東京都立日比谷高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
3月24日生まれの人  1900年生まれの人 | ||
133 | 石井常造 陸軍士官学校へ進学 | Wikipedia |
石井 常造(いしい つねぞう、1875年(明治8年)1月2日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人、生気研究者。基隆要塞司令官を務めた陸軍少将で、また生気自強療法を唱え生気の医療への応用を図った。従四位勳三等功四級。 | ||
東京都立日比谷高等学校から陸軍士官学校への進学者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1月2日生まれの人  1875年生まれの人 | ||
134 | 原島圭二 | Wikipedia未登録 |
生物学者、無教会主義研究者 |
東京都立戸山高等学校の出身者
135 | 新川哲雄 学習院大学へ進学 | Wikipedia |
新川 哲雄(しんかわ てつを、1946年 - )は、日本の哲学者、日本思想史学者、日本仏教研究者。学習院大学文学部哲学科名誉教授。東京都世田谷区出身。 | ||
東京都立戸山高等学校から学習院大学への進学者 全国の学習院大学の出身者 | ||
1946年生まれの人 | ||
136 | 栗本慎一郎 | Wikipedia |
栗本 慎一郎(くりもと しんいちろう、1941年(昭和16年)11月23日 - )は、日本の経済人類学研究者、法社会学研究者、評論家、有明教育芸術短期大学学長。国会議員経験者(衆議院2期)。元経済企画庁政務次官。有限会社大学総合研究所理事長。NPO法人世界芸術文化振興協会理事、NPO法人神道国際学会会長、国際スポーツ振興協会理事。健康食品開発者。弁護士登録有資格者。 | ||
11月23日生まれの人  1941年生まれの人 | ||
137 | 木村秀政 | Wikipedia |
木村 秀政(きむら ひでまさ、1904年4月13日 - 1986年10月10日)は、日本の航空機設計者。航空機研究者。工学者。航空工学教育者。東京帝国大学航空研究所(航研)教授、日本航空学会会長等を歴任。戦後は日本大学で後進の育成にあたり、1974年(昭和49年)から日本大学名誉教授。 | ||
4月13日生まれの人  1904年生まれの人 | ||
138 | 多田文男 | Wikipedia |
多田 文男(ただ ふみお、1900年7月3日 - 1978年3月15日)は、日本の地理学者、地形学者。東京大学で長く教鞭を執り、定年退官後は、法政大学、駒澤大学の専任教員を務めた。活断層研究の先駆的研究者のひとりであり、応用地形学分野における河川地形と水害被害に関する研究を主導した。 東京市下谷区(現在の台東区西部)出身。 | ||
7月3日生まれの人  1900年生まれの人 |
東京都立新宿高等学校の出身者
139 | 安藤宏 | Wikipedia |
安藤 宏(あんどう ひろし、1958年5月27日 - )は、近代日本文学研究者、東京大学教授。太宰治が専門。東京都出身。 | ||
5月27日生まれの人  1958年生まれの人 |
140 | 佐野みどり 東京大学へ進学 | Wikipedia |
佐野 みどり(さの みどり、1951年2月17日 - )は、日本美術研究者、学習院大学教授。博士(文学)(東京大学、1997年)(学位論文「風流造形物語-日本美術の構造と様態」)。『源氏物語絵巻』など絵巻物の研究が専門。 | ||
東京都立新宿高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月17日生まれの人  1951年生まれの人 | ||
141 | 西村隆男 埼玉大学へ進学 | Wikipedia |
西村 隆男(にしむら たかお、1951年8月28日 - )は、日本の教育学者。消費者教育の研究者。横浜国立大学教育人間科学部教授。東京都出身。 | ||
東京都立新宿高等学校から埼玉大学への進学者 全国の埼玉大学の出身者 | ||
8月28日生まれの人  1951年生まれの人 | ||
142 | 滝川洋二 東京学芸大学へ進学 | Wikipedia |
滝川 洋二(たきかわ ようじ、1949年 - )は、日本の教育学者、東海大学教育開発研究所教授、理科教育のカリキュラムの研究者。特定非営利活動法人ガリレオ工房理事長、特定非営利活動法人理科カリキュラムを考える会理事長。 | ||
東京都立新宿高等学校から東京学芸大学への進学者 全国の東京学芸大学の出身者 | ||
1949年生まれの人 | ||
143 | 田村貞雄 | Wikipedia |
田村 貞雄(たむら さだお、1937年8月21日- )は、日本の歴史学者、日本史研究者、静岡大学名誉教授。 | ||
8月21日生まれの人  1937年生まれの人 | ||
144 | 由水常雄 | Wikipedia |
由水 常雄(よしみず つねお、1936年8月2日 - )は、日本の歴史研究者、ガラス工芸家。徳島県生まれ。東京都立新宿高等学校を経て早稲田大学大学院博士課程修了。1968年より1970年までチェコ政府招聘留学生としてプラハ大学でガラス工芸史、東西美術交渉史を専攻。 | ||
8月2日生まれの人  1936年生まれの人 | ||
145 | 森本芳樹 | Wikipedia |
森本 芳樹(もりもと よしき、1934年 - 2012年5月29日)は、西洋史学者、九州大学名誉教授。父と母は数学者の森本清吾、治枝。兄は天文学者の森本雅樹。息子はイスラム史の研究者、森本一夫。 | ||
1934年生まれの人 | ||
146 | 堀敏一 | Wikipedia |
堀 敏一(ほり としかず、1924年6月3日- 2007年5月29日)は日本の東洋史学者。明治大学名誉教授、東洋文庫研究員。『世界史の基本法則』の唐代担当、『均田制の研究』など西嶋定生と共に東京学派を代表する研究者として活躍し、退任後は『漢の劉邦-ものがたり漢帝国成立史』など一般向けの著書を多く出した。 | ||
6月3日生まれの人  1924年生まれの人 | ||
147 | 猪野謙二 | Wikipedia |
猪野 謙二(いの けんじ、1913年4月2日 - 1997年9月11日)は、文芸評論家、近代文学研究者。 | ||
4月2日生まれの人  1913年生まれの人 |
東京都立小石川高等学校の出身者
148 | 鶴見俊輔 港区 | Wikipedia |
鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)は、日本の哲学者、評論家、政治運動家、大衆文化研究者。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。 | ||
港区の出身者 | ||
6月25日生まれの人  1922年生まれの人 |
東京都立竹早高等学校の出身者
149 | 高橋紘 | Wikipedia |
高橋 紘(たかはし ひろし、1941年(昭和16年)12月12日 - 2011年9月30日)は、日本のジャーナリスト、皇室研究者。 | ||
12月12日生まれの人  1941年生まれの人 |
東京都立上野高等学校の出身者
150 | 青木正美 | Wikipedia |
青木 正美(あおき まさみ、男性、1933年4月22日 - )は、古書店主、日本近代文学研究者。 | ||
4月22日生まれの人  1933年生まれの人 | ||
151 | 尾形仂 東京文理科大学へ進学 | Wikipedia |
尾形 仂(おがた つとむ、1920年1月28日 - 2009年3月26日)は、日本の国文学者。 | ||
東京都立上野高等学校から東京文理科大学への進学者 全国の東京文理科大学の出身者 | ||
1月28日生まれの人  1920年生まれの人 |
東京都立両国高等学校の出身者
152 | 奈良林祥 東京医科大学へ進学 | Wikipedia |
奈良林 祥(ならばやし やすし、1919年(大正8年)4月22日-2002年(平成14年)9月12日)は、日本の医学者・医学博士。性の研究者。東京生まれ。 | ||
東京都立両国高等学校から東京医科大学への進学者 全国の東京医科大学の出身者 | ||
4月22日生まれの人  1919年生まれの人 | ||
153 | 守随憲治 | Wikipedia |
守随 憲治(しゅずい けんじ、1899年3月10日 - 1983年2月7日)は、近世日本文学研究者、東京大学教養学部・実践女子大学名誉教授。 | ||
3月10日生まれの人  1899年生まれの人 | ||
154 | 野村兼太郎 | Wikipedia |
野村 兼太郎(のむら かねたろう、1896年3月20日 - 1960年6月22日)は、日本の経済学者。経済学博士、経済思想史研究者(江戸時代・経世論)、日本学士院会員。国文学研究資料館設立発起人。他、東洋貨幣協会名誉会員、社会経済史学会を創立し代表理事等を歴任。 | ||
3月20日生まれの人  1896年生まれの人 | ||
155 | 後藤末雄 東京大学へ進学 | Wikipedia |
後藤 末雄(ごとう すえお、1886年10月25日 - 1967年11月10日)は、作家、フランス文学者、比較文学・比較思想史研究者。 | ||
東京都立両国高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
10月25日生まれの人  1886年生まれの人 |
東京都立第三商業高等学校の出身者
156 | 岡野加穂留 中央区 明治大学へ進学 | Wikipedia |
岡野 加穂留(おかの かおる、1929年6月22日 - 2006年6月7日 )は、政治学者、明治大学名誉教授、第11代明治大学学長。専門は、比較政治学、政治制度論、比較憲法学。日本におけるデモクラシー研究の第一人者。研究者仲間に早稲田大学名誉教授の内田満や慶應義塾大学名誉教授の堀江湛らがいる。郵便局ファンの会会長。 | ||
東京都立第三商業高等学校から明治大学への進学者 全国の明治大学の出身者 中央区の出身者 | ||
6月22日生まれの人  1929年生まれの人 | ||
157 | 加島祥造 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
加島 祥造(かじま しょうぞう、1923年1月12日 - 2015年12月25日)は、日本の詩人、アメリカ文学研究者、翻訳家、随筆家、タオイスト、墨彩画家。詩作のみならず、アメリカ文学の翻訳にて名声を得た後、壮年期より漢詩を経て老荘思想に大きな影響を受け、文筆のみならず絵画なども含めた幅広い創作活動や執筆活動を通して、西洋と東洋の双方を見渡す位置からタオイストとしての一貫した姿勢を私生活でも死去するまで徹底した。 | ||
東京都立第三商業高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1月12日生まれの人  1923年生まれの人 |
東京都立駒場高等学校の出身者
158 | 村井紀 立正大学へ進学 | Wikipedia |
村井 紀(むらい おさむ、1945年2月11日 - )は、日本の近代思想の研究者、評論家、前和光大学表現学部教授。 | ||
東京都立駒場高等学校から立正大学への進学者 全国の立正大学の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1945年生まれの人 |
東京都立青山高等学校の出身者
159 | 小鳩くるみ | Wikipedia |
鷲津 名都江(わしづ なつえ、1948年1月20日 - )は、日本のイギリス文学者・児童文学研究者で、目白大学外国語学部及び目白大学大学院言語文化学科教授。童謡歌手・声優として小鳩 くるみ(こばと くるみ)、タレントとしてわしづなつえの名義でも活動していた。作家・永井荷風の大叔父である鷲津蓉裳の曾孫に当たる。 | ||
1月20日生まれの人  1948年生まれの人 |
東京都立武蔵丘高等学校の出身者
160 | 福田アジオ 東京教育大学へ進学 | Wikipedia |
福田 アジオ(ふくた あじお、1941年2月10日 - )は、日本の歴史学者・民俗学者。国立歴史民俗博物館名誉教授、元神奈川大学外国語学部・大学院歴史民俗資料学研究科教授。柳田國男研究者。三重県四日市出身。 | ||
東京都立武蔵丘高等学校から 東京教育大学への進学者 全国の 東京教育大学の出身者 | ||
2月10日生まれの人  1941年生まれの人 | ||
161 | 中西進 東京大学へ進学 | Wikipedia |
中西 進(なかにし すすむ、1929年8月21日 - )は、日本文学者、比較文学者、万葉学者、奈良県立万葉文化館名誉館長、池坊短期大学学長、国際日本文化研究センター・京都市立芸術大学・大阪女子大学各名誉教授、高志の国文学館館長。 | ||
東京都立武蔵丘高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
8月21日生まれの人  1929年生まれの人 |
東京都立西高等学校の出身者
162 | 中川浩一 | Wikipedia |
中川 浩一(なかがわ こういち、1931年7月17日 - 2008年8月19日)は、日本の地理学者、茨城大学名誉教授。専門は交通地理学、産業考古学。夏目漱石や森鴎外の研究者でもある。鉄道ファンとしても知られ、鉄道ピクトリアルの編集委員を務めていた。東京市出身。 | ||
7月17日生まれの人  1931年生まれの人 | ||
163 | 中本正幸 | Wikipedia未登録 |
静岡大学電子工学研究所教授、日本MIT(マサチューセッツ工科大学)会理事、真空ナノテクノロジ-、MEMS研究者 | ||
164 | 田中修 松山市 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
中国研究者、日中産学官交流機構特別研究員、財務省財務総合政策研究所次長、著書『検証 現代中国の経済政策決定』(2008年度アジア・太平洋賞特別賞受賞) | ||
東京都立西高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 松山市の出身者 |
東京都立豊多摩高等学校の出身者
165 | 小松久男 東京教育大学へ進学 | Wikipedia |
小松 久男(こまつ ひさお、1951年2月 - )は、日本の歴史学者、中央アジア史学者、東京大学名誉教授、東京外国語大学大学院総合国際学研究院特任教授。 妻はオスマン帝国史研究者・筑波大学教授の小松香織。東京都出身。 | ||
東京都立豊多摩高等学校から東京教育大学への進学者 全国の東京教育大学の出身者 | ||
1951年生まれの人 |
東京都立北園高等学校の出身者
166 | 菊地昌典 東京大学へ進学 | Wikipedia |
菊地 昌典(きくち まさのり、1930年2月17日 - 1997年5月22日)は、日本のソ連研究者。東京大学名誉教授。 | ||
東京都立北園高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月17日生まれの人  1930年生まれの人 |
東京都立石神井高等学校の出身者
167 | 石川英輔 首都大学東京へ進学 | Wikipedia |
石川 英輔(いしかわ えいすけ、1933年9月30日 - )は、日本の作家、SF作家、江戸文化研究者、写真・印刷技術研究者。 | ||
東京都立石神井高等学校から首都大学東京への進学者 全国の首都大学東京の出身者 | ||
9月30日生まれの人  1933年生まれの人 | ||
168 | 佐々木敬 | Wikipedia未登録 |
東京慈恵会医科大学教授、医学研究者、内科医 |
東京都立八王子東高等学校の出身者
169 | 柳下祥 | Wikipedia未登録 |
研究者、東京大学医学系研究所 疾患生命工学センター構造生理学部門 助教授 |
東京都立立川高等学校の出身者
170 | 清水哲男 京都大学へ進学 | Wikipedia |
清水 哲男(しみず てつお、1938年2月15日 - )は日本の詩人。東京都出身。花火研究者の清水武夫は父、詩人清水昶は弟。 | ||
東京都立立川高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
2月15日生まれの人  1938年生まれの人 |
東京都立小平高等学校の出身者
171 | 青山弘之 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
青山 弘之(あおやま ひろゆき、1968年3月26日 - )は、日本のアラブ地域研究者、政治学者。東京外国語大学大学院総合国際学研究院(国際社会部門・地域研究系)教授、元日本中東学会特任理事(日本中東学会年報編集委員長)。専門は、東アラブ(シリア、レバノン)政治。アラブ民族主義思想。東京都出身。 | ||
東京都立小平高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
3月26日生まれの人  1968年生まれの人 |
東京都立国立高等学校の出身者
172 | 池内恵 東京大学へ進学 | Wikipedia |
池内 恵(いけうち さとし、1973年9月24日 - )は、日本のアラブ研究者、東京大学先端科学技術研究センター准教授。専門は、イスラム政治思想。 | ||
東京都立国立高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1973年生まれの人 | ||
173 | 中野克彦 東京理科大学へ進学 | Wikipedia |
中野 克彦(なかの かつひこ)は、構造工学、鉄筋コンクリート構造の研究者、新潟工科大学工学部准教授(工学博士)。 | ||
東京都立国立高等学校から東京理科大学への進学者 全国の東京理科大学の出身者 |
女子学院高等学校の出身者
174 | 青山千春 東京水産大学へ進学 | Wikipedia |
青山 千春(あおやま ちはる、1955年 - )は、日本の水産学研究者、博士(水産学)。旧姓は横川。東京海洋大学准教授、夫は政治家の青山繁晴、長男は株式会社 独立総合研究所 代表取締役社長の青山大樹。 | ||
女子学院高等学校から東京水産大学への進学者 全国の東京水産大学の出身者 | ||
1955年生まれの人 | ||
175 | 板坂則子 専修大学へ進学 | Wikipedia |
板坂 則子(いたさか のりこ、1952年3月 - )は、近世文学研究者、専修大学文学部教授。 | ||
女子学院高等学校から専修大学への進学者 全国の専修大学の出身者 | ||
1952年生まれの人 |
雙葉高等学校の出身者
176 | 木幡和枝 上智大学へ進学 | Wikipedia |
木幡 和枝(こばた かずえ、1946年 - )は、日本の芸術評論家、翻訳家。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科名誉教授。 | ||
雙葉高等学校から上智大学への進学者 全国の上智大学の出身者 | ||
1946年生まれの人 |
麻布高等学校の出身者
177 | 淺間一 | Wikipedia |
淺間 一(あさま はじめ、1959年(昭和34年) 1月18日 - )は日本のロボット研究者。工学博士(東京大学、1989年)。理化学研究所で保全マニピュレータや自律分散ロボット、全方向移動ロボットの研究開発に従事。2002年から東京大学人工物研究センター教授、2009年から同大学院工学系研究科教授として、サービス工学、災害や事故に対応するロボット技術の研究に取り組んでいる[5][6][7][8][9]。 | ||
1月18日生まれの人  1959年生まれの人 | ||
178 | 渡邊剛 東京医科大学へ進学 | Wikipedia |
渡邊 剛(わたなべ ごう, 1958年 - )は、日本の心臓血管外科医、医学博士。ニューハート・ワタナベ国際病院総長、国際医療福祉大学客員教授、帝京大学客員教授。日本ロボット外科学会理事長、日伯研究者協会副会長、自由が丘クリニック顧問、元金沢大学心肺・総合外科教授。 | ||
麻布高等学校から東京医科大学への進学者 全国の東京医科大学の出身者 | ||
1958年生まれの人 | ||
179 | 成田龍一 | Wikipedia |
成田 龍一(なりた りゅういち、1951年11月20日- )は、日本の歴史学研究者。専門は日本近現代史、都市社会史。 | ||
11月20日生まれの人  1951年生まれの人 |
180 | 古田元夫 | Wikipedia |
古田 元夫(ふるた もとお、1949年10月4日 - )は、日本の歴史学者、ベトナム現代史研究者、東京大学名誉教授・客員教授。学術博士(東京大学、1990年)(学位論文「ベトナム人共産主義者の民族政策史-革命の中のエスニシティ―」)。 | ||
10月4日生まれの人  1949年生まれの人 | ||
181 | 水野忠夫 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
水野 忠夫(みずの ただお、1937年7月13日 - 2009年9月20日)は、日本のロシア文学者、翻訳者。ロシア・アヴァンギャルド研究者として知られた。 | ||
麻布高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
7月13日生まれの人  1937年生まれの人 | ||
182 | 小沢昭一 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長。俳号は小沢 変哲。劇団「しゃぼん玉座」主宰。見世物学会顧問。 | ||
麻布高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月6日生まれの人  1929年生まれの人 | ||
183 | 青山民吉 | Wikipedia |
青山 民吉(あおやま たみきち、1896年 - 1953年11月30日、正字では靑山)は、日本の美術評論家、美学者、工芸研究者、装丁家、書店経営者。麻布中学校、第四高等学校 (旧制)一部法科独法、京都帝国大学文学部美学科卒。東西の美術に精通し、画集の出版等による紹介を行う。柳宗悦らによる民藝運動の同伴者となり、工藝美術の定義に関して啓発活動を行った[3]。また、有島生馬らによる一水會運動にも協力した。装丁家・美術評論家の青山二郎は弟。 | ||
1896年生まれの人 | ||
184 | 久内清孝 | Wikipedia |
久内清孝(ひさうち きよたか、1884年3月 - 1981年4月12日)は日本の植物学者、薬学者である。日本の植物分類学の初期の研究者の一人である。 | ||
1884年生まれの人 |
芝高等学校の出身者
185 | 伊東貴之 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
伊東 貴之(いとう たかゆき、1962年8月 - )は、日本の東洋学者、中国思想史研究者。専攻は中国近世思想史、日中比較文学・思想。国際日本文化研究センター教授・総合研究大学院大学教授。東京都出身。 | ||
芝高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1962年生まれの人 | ||
186 | 磯村英一 東洋大学へ進学 | Wikipedia |
磯村 英一(いそむら えいいち、1903年1月10日 - 1997年4月5日)は、日本の都市社会学研究者。 | ||
芝高等学校から東洋大学への進学者 全国の東洋大学の出身者 | ||
1月10日生まれの人  1903年生まれの人 |
正則高等学校の出身者
187 | 中野三敏 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
中野 三敏(なかの みつとし、1935年(昭和10年)11月24日 - )は、日本の日本文学研究者。江戸から明治期の近世文学を中心に研究。九州大学名誉教授(元文学部長)。 | ||
正則高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
11月24日生まれの人  1935年生まれの人 |
普連土学園高等学校の出身者
188 | 森周子 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
森 周子(もり ちかこ、1975年 - )は日本の社会学者、ドイツ社会政策研究者。高崎経済大学地域政策学部地域づくり学科准教授。博士(社会学)。東京都生まれ。 | ||
普連土学園高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
1975年生まれの人 |
明治学院高等学校の出身者
189 | 山口稔 | Wikipedia未登録 |
研究者、関東学院大学教授 |
桜蔭高等学校の出身者
190 | 佐藤宗子 東京大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 宗子(さとう もとこ、1955年 - )は、比較文学者、児童文学研究者、千葉大学教授。前日本児童文学学会会長。 東京都生まれ。1978年東京大学教養学部フランス科卒、79年同大学院比較文学比較文化修士課程修了。四天王寺国際仏教大学助手。83年東大教養学部助手、84年10月千葉大学教育学部講師、助教授、教授。84年「家なき子の旅」で日本児童文学学会奨励賞受賞。 | ||
桜蔭高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1955年生まれの人 |
京華高等学校の出身者
191 | 杉村隆 東京大学へ進学 | Wikipedia |
杉村 隆(すぎむら たかし、1926年4月20日 - )は、日本の基礎医学研究者。国立がんセンター名誉総長、東邦大学名誉学長。国立がんセンター在職時に東京大学医科学研究所教授を併任。文化勲章受章者。日本学士院院長(第25代)、米国・スウェーデン・オランダ学士院外国会員。山形県鶴岡市および東京都武蔵野市名誉市民。癌医学界の重鎮として長年にわたって活躍している。東京都出身。 | ||
京華高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
4月20日生まれの人  1926年生まれの人 |
東洋大学京北高等学校の出身者
192 | 宇井伯壽 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
宇井 伯寿(うい はくじゅ、旧字体:伯壽、1882年(明治15年)6月1日 - 1963年(昭和38年)7月14日)は、日本の曹洞宗の僧侶、インド哲学研究者、仏教学者、文学博士。日本学士院会員。本名は茂七(しげしち)。 | ||
東洋大学京北高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
6月1日生まれの人  1882年生まれの人 |
獨協高等学校の出身者
193 | 佐々木隆興 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
佐々木 隆興(ささき たかおき、1878年5月5日 - 1966年10月31日)は、日本の医学者。専門は、生化学、内科学、実験腫瘍学。文化勲章受章者。 | ||
獨協高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
5月5日生まれの人  1878年生まれの人 |
日本大学豊山高等学校の出身者
194 | 水口章 法政大学へ進学 | Wikipedia |
水口 章(みずぐち あきら、1954年(昭和29年) - )は、中東研究者、敬愛大学教授。専門は中東と国際関係、対外政策論、国際社会学、国際協力学。ビーエス朝日番組審議会委員。 | ||
日本大学豊山高等学校から法政大学への進学者 全国の法政大学の出身者 | ||
1954年生まれの人 | ||
195 | 山田正 | Wikipedia |
山田 正(やまだ ただし、1951年1月7日 - )は、日本の土木工学、気象学、水文学研究者、中央大学理工学部土木工学科教授。防災や水利など、河川や水に関する諸問題の専門家として、長年にわたり多数の政府委員、審議員、自治体委員等を務めている。 | ||
1月7日生まれの人  1951年生まれの人 |
日本大学第一高等学校の出身者
196 | 畑山博 | Wikipedia |
畑山 博(はたやま ひろし、1935年5月18日 - 2001年9月2日)は、東京府出身の小説家、文学研究者。 | ||
5月18日生まれの人  1935年生まれの人 |
攻玉社高等学校の出身者
197 | 西山敏樹 | Wikipedia |
西山 敏樹(にしやま としき、1976年3月29日 -)は、日本の公共交通の研究者。特に、日本や諸外国のバスの事業や政策に精通する。交通に関する歴史ものの執筆なども多い。 | ||
3月29日生まれの人  1976年生まれの人 |
成城学園高等学校の出身者
198 | 純丘曜彰 東京大学へ進学 | Wikipedia |
純丘 曜彰(すみおか てるあき、Teruaki Georges Sumioka 1962年 - )は、日本の哲学者、メディア文化論・表象文化論研究者(映像文法、映像ビジネス)、小説家、クリエーター。大阪芸術大学芸術学部教授。 | ||
成城学園高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1962年生まれの人 | ||
199 | 石黒敦彦 明治学院大学へ進学 | Wikipedia |
石黒 敦彦(いしぐろ あつひこ、1952年 - )は、日本のサイエンス・アート研究者である。「“来るべき芸術”のためのワークショップ」設立者・代表、「メビウスの卵展」実行委員会・代表、多摩美術大学情報デザイン学科、倉敷芸術科学大学大学院および武蔵野美術大学芸術文化学科非常勤講師を兼任する。 | ||
成城学園高等学校から明治学院大学への進学者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
1952年生まれの人 |
200 | 大岡昇平 成城大学へ進学 | Wikipedia |
大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年(明治42年)3月6日 - 1988年(昭和63年)12月25日)は、日本の小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者。 | ||
成城学園高等学校から成城大学への進学者 全国の成城大学の出身者 | ||
3月6日生まれの人  1909年生まれの人 |
日本学園高等学校の出身者
201 | 甘利俊一 東京大学へ進学 | Wikipedia |
甘利 俊一(あまり しゅんいち、1936年1月3日 - )は、日本の神経科学者、計算論的神経科学研究者。情報幾何学の創始者でもある。 | ||
日本学園高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月3日生まれの人  1936年生まれの人 | ||
202 | 柏原啓一 東京大学へ進学 | Wikipedia |
柏原 啓一(かしわばら けいいち、1935年5月1日 - )は、日本の哲学研究者、東北大学名誉教授。俳人として柏原眠雨。 | ||
日本学園高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月1日生まれの人  1935年生まれの人 | ||
203 | 今井兼次 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
今井 兼次(いまい けんじ、1895年1月11日 - 1987年5月20日)は、日本の建築家。早稲田大学理工学部建築学科卒業。母校の教授を長く勤め、建築作品とともに教育者として研究室から優れた建築家、研究者を多数輩出した。 | ||
日本学園高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1月11日生まれの人  1895年生まれの人 |
青山学院高等部の出身者
204 | 井筒俊彦 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 1993年1月7日)は、文学博士、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者。慶應義塾大学名誉教授。エラノス会議メンバー、日本学士院会員。語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されている。 | ||
青山学院高等部から 慶應義塾大学への進学者 全国の 慶應義塾大学の出身者 | ||
5月4日生まれの人  1914年生まれの人 | ||
205 | 大岡昇平 成城大学へ進学 | Wikipedia |
大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年(明治42年)3月6日 - 1988年(昭和63年)12月25日)は、日本の小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者。 | ||
青山学院高等部から成城大学への進学者 全国の成城大学の出身者 | ||
3月6日生まれの人  1909年生まれの人 |
学習院高等科の出身者
206 | 巽孝之 上智大学へ進学 | Wikipedia |
巽 孝之(たつみ たかゆき、1955年5月15日 - )は、日本のアメリカ文学研究者。慶應義塾大学教授、SF評論家でもある。 | ||
学習院高等科から上智大学への進学者 全国の上智大学の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1955年生まれの人 | ||
207 | 近衛秀麿 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
近衞 秀麿(このえ ひでまろ、1898年11月18日 - 1973年6月2日)は、日本の指揮者・作曲家。元子爵。正三位勲三等。元貴族院議員。異母兄に近衞文麿(政治家・元内閣総理大臣)、実弟に近衞直麿(雅楽研究者)、水谷川忠麿(春日大社宮司)がいる。 | ||
学習院高等科から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
11月18日生まれの人  1898年生まれの人 | ||
208 | 高木八尺 東京大学へ進学 | Wikipedia |
高木 八尺(たかぎ やさか、1889年12月25日 - 1984年4月28日)は、日本の政治学者、アメリカ研究者、政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 | ||
学習院高等科から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
12月25日生まれの人  1889年生まれの人 | ||
209 | 有馬頼寧 東京大学へ進学 | Wikipedia |
有馬 頼寧(ありま よりやす、明治17年(1884年)12月17日 - 昭和32年(1957年)1月9日)は、日本の政治家。農政研究者。農林大臣。日本中央競馬会第2代理事長。プロ野球オーナー。旧筑後国久留米藩主・有馬家の第15代当主。伯爵。 | ||
学習院高等科から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
12月17日生まれの人  1884年生まれの人 |
巣鴨高等学校の出身者
210 | 安藤英治 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
安藤 英治(あんどう ひではる、1921年3月3日 - 1998年12月17日)は、日本の社会学者。成蹊大学名誉教授。マックス・ヴェーバーの研究者であった。東京出身。 | ||
巣鴨高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
3月3日生まれの人  1921年生まれの人 |
開成高等学校の出身者
211 | 落合陽一 筑波大学へ進学 | Wikipedia |
落合 陽一(おちあい よういち、1987年9月16日 - )は、日本の研究者、大学教員、メディアアーティスト、実業家。筑波大学図書館情報メディア系助教 デジタルネイチャー研究室主宰。 | ||
開成高等学校から筑波大学への進学者 全国の筑波大学の出身者 | ||
9月16日生まれの人  1987年生まれの人 | ||
212 | 加藤徹 北区 東京大学へ進学 | Wikipedia |
加藤 徹(かとう とおる、1963年 - )は、東京都生まれの中国文学研究者、小説家、明治大学教授。小説家としてのペンネームは嘉藤 徹。 | ||
開成高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 北区の出身者 | ||
1963年生まれの人 | ||
213 | 鵜飼哲 京都大学へ進学 | Wikipedia |
鵜飼 哲(うかい さとし、男性、1955年 - )は、日本の哲学者。フランス現代思想、特にジャック・デリダの研究で著名。一橋大学大学院言語社会研究科教授。 | ||
開成高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
1955年生まれの人 | ||
214 | 猿谷要 東京大学へ進学 | Wikipedia |
猿谷 要(さるや かなめ、1923年7月19日 - 2011年1月3日)は、日本のアメリカ史研究者。東京女子大学名誉教授。 | ||
開成高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月19日生まれの人  1923年生まれの人 | ||
215 | 高村象平 墨田区 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
高村 象平(たかむら しょうへい、1905年(明治38年)8月2日 - 1989年(平成元年)5月11日)は、第11代慶應義塾塾長、経済人類学研究者、ハンザ史研究者。中央教育審議会会長、日本学士院会員等を歴任。従三位勲一等瑞宝章。専攻はドイツ中世都市の研究、とくにドイツ・ハンザの研究。 | ||
開成高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 墨田区の出身者 | ||
8月2日生まれの人  1905年生まれの人 | ||
216 | 平野義太郎 東京大学へ進学 | Wikipedia |
平野 義太郎(ひらの よしたろう、1897年3月5日 - 1980年2月8日)は、日本のマルクス主義法学者、中国研究者、平和運動家。 | ||
開成高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
3月5日生まれの人  1897年生まれの人 |
武蔵高等学校の出身者
217 | 北川達夫 | Wikipedia |
北川 達夫(きたがわ たつお、1966年 - )は、日本の元外交官、研究者。 東京都生まれ。武蔵中学校・高等学校を経て早稲田大学法学部卒業後、ヘルシンキ大学歴史言語学部・発達教育学部等に留学。その後外務省に入省、91-98年在フィンランド日本国大使館在勤・在エストニア日本国大使館兼勤を経て退官。OECD生徒の学習到達度調査(PISA)2009読解力調査国内専門委員。日本教育大学院大学客員教授。星槎大学客員教授。横浜国立大学大学院工学府PEDプログラム非常勤講師。(公財)文字・活字文化推進機構調査研究委員。 | ||
1966年生まれの人 | ||
218 | 森下竜一 | Wikipedia |
森下 竜一(もりした りゅういち、1962年5月12日-)は、日本の医師、医学研究者、教育者。 | ||
5月12日生まれの人  1962年生まれの人 | ||
219 | 関口智嗣 東京大学へ進学 | Wikipedia |
関口 智嗣(せきぐち さとし、1959年 - )は並列処理研究者。 | ||
武蔵高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1959年生まれの人 |
220 | 原島文雄 首都大学東京へ進学 | Wikipedia |
原島 文雄(はらしま ふみお、1940年2月3日 - )は、電気工学、制御工学、ロボット工学を専門とする日本の教育研究者。東京大学工学博士。東京大学生産技術研究所で所長を務め、東京都立科学技術大学、東京電機大学、首都大学東京では学長を務めた。学会活動では多くの国際会議を主導し、IEEE総務副会長、電気学会会長なども歴任。複数の「Harashima Award」に名を残す。 | ||
武蔵高等学校から首都大学東京への進学者 全国の首都大学東京の出身者 | ||
2月3日生まれの人  1940年生まれの人 | ||
221 | 桜井毅 | Wikipedia |
桜井 毅(さくらい つよし、1931年7月13日 - )は、日本の経済学者・マルクス経済学研究者。武蔵大学名誉教授。経済学博士。「櫻井毅」とも表記することがある。 | ||
7月13日生まれの人  1931年生まれの人 |
早稲田大学高等学院の出身者
222 | 水野葉舟 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
水野 葉舟(みずの ようしゅう、1883年4月9日 - 1947年2月2日)は日本の詩人、歌人、小説家、心霊現象研究者。東京生まれ、本名は盈太郎(みちたろう)。 | ||
早稲田大学高等学院から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月9日生まれの人  1883年生まれの人 |
明治大学付属中野八王子高等学校の出身者
223 | 佐藤健一 秋田市 秋田大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 健一(さとう けんいち、1938年 - )は、日本の数学史研究者。 満州国新京市生まれ。1962年東京理科大学理学部数学科卒業。高校で数学教師をしながら近世寺子屋の数学教育を研究。明治大学付属中野八王子高等学校教頭。東京理科大学非常勤講師、日本数学史学会会長、和算研究所理事長、NPO法人和算を普及する会代表。 | ||
明治大学付属中野八王子高等学校から秋田大学への進学者 全国の秋田大学の出身者 | ||
1938年生まれの人 |
聖徳学園高等学校の出身者
224 | 小林洋 | Wikipedia |
小林 洋(こばやし よう、1981年6月12日 - )は、日本の研究者,ロボット工学者。現在、大阪大学大学院 基礎工学研究科 准教授。穿刺支援ロボット、内視鏡手術支援ロボット、震戦抑制ロボットなどの研究を実施。生体モデリング、医用ロボット、やそれらの制御技術等に関する研究に従事している.科学技術分野の文部科学大臣表彰若手科学者賞等を受賞。 | ||
6月12日生まれの人  1981年生まれの人 |
成蹊高等学校の出身者
225 | 小田宏信 立命館大学へ進学 | Wikipedia |
小田 宏信(おだ ひろのぶ、1966年 - )は、日本の人文地理学、経済地理学研究者、成蹊大学教授。専門は、工業地理学。 | ||
成蹊高等学校から立命館大学への進学者 全国の立命館大学の出身者 | ||
1966年生まれの人 | ||
226 | 増渕興一 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
増渕 興一(ますぶち こういち、1924年 - 2016年 )は、日本の溶接研究者、工学者。アメリカ合衆国・マサチューセッツ工科大学名誉教授。専門は溶接。2016年現在、同大学では唯一の日本人終身待遇名誉教授である。 | ||
成蹊高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
1924年生まれの人 |
明星高等学校(東京)の出身者
227 | 木内裕也 富士見市 上智大学へ進学 | Wikipedia |
木内 裕也(きうち ゆうや、1980年6月23日 - )は、埼玉県富士見市出身のアメリカ研究者、サッカー審判員、同時通訳者、会議通訳者、放送通訳者、翻訳者。現在はミシガン州在住。ミシガン州立大学助教。 | ||
明星高等学校(東京)から上智大学への進学者 全国の上智大学の出身者 | ||
6月23日生まれの人  1980年生まれの人 |
桐朋女子高等学校の出身者
228 | 大隅萬里子 東京都立大学へ進学 | Wikipedia |
大隅 萬里子(おおすみ まりこ)は、日本の生物学者(分子生物学・細胞生物学)。学位は博士。「萬」が常用漢字表に収録されていないため、報道等では大隅 万里子(おおすみ まりこ)と表記される場合もある。 | ||
桐朋女子高等学校から 東京都立大学への進学者 全国の 東京都立大学の出身者 |
中央大学附属高等学校の出身者
229 | 八木橋正雄 東京工芸大学へ進学 | Wikipedia |
八木橋 正雄(やぎはし まさお、1952年1月7日 - )は、日本の言語学者、現代ギリシア語方言学・ギリシア語(現代・中世・コイネー・古代)全般の研究者である。 | ||
中央大学附属高等学校から東京工芸大学への進学者 全国の東京工芸大学の出身者 | ||
1月7日生まれの人  1952年生まれの人 |
明治学院東村山高等学校の出身者
230 | エドウィン・O・ライシャワー | Wikipedia |
エドウィン・オールドファザー・ライシャワー(英語: Edwin Oldfather Reischauer, 1910年10月15日 - 1990年9月1日)は、アメリカ合衆国の東洋史研究者である。ハーバード大学教授。1955年(昭和30年)から1963年(昭和38年)までハーバード燕京研究所所長、1961年(昭和36年)から1966年(昭和41年)まで、駐日アメリカ大使を務めた。大使退任後はハーバード大学日本研究所所長として歴史に限らず日本研究を推し進め、後進の指導にも尽力した。その功績から同研究所は1985年(昭和60年)にライシャワー日本研究所と改称されている。 | ||
10月15日生まれの人  1910年生まれの人 |
桐朋高等学校の出身者
231 | 森田真生 東京大学へ進学 | Wikipedia |
森田 真生(もりた まさお、1985年 - )は数学をテーマとした著作・講演活動などを行う日本の「独立研究者」。京都府在住。 | ||
桐朋高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1985年生まれの人 | ||
232 | 府川充男 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
府川 充男(ふかわ みつお、1951年2月23日 - )は、日本の印刷史研究者、タイポグラファー。『印刷史研究』(印刷史研究会)編輯委員。 | ||
桐朋高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
2月23日生まれの人  1951年生まれの人 | ||
233 | 黒須正明 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
黒須 正明(くろす まさあき、1948年 - )は日本の研究者。ユーザインタフェース、特にユーザ工学やUXを研究している。ユーザビリティ分野やユーザ中心設計分野での第一人者である。JISやISOでのユーザビリティ関連規格の策定に関わり、DTM, sHEM, マイクロシナリオ、概念依存分析、UXグラフ、ERM等の手法開発を行う。1999年にユーザ工学、2007年には人工物発達学(その後人工物進化学)を提唱している。クリエイティブ・ディレクターの黒須美彦は実弟。 | ||
桐朋高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1948年生まれの人 |
神奈川県立鶴見高等学校の出身者
234 | 小山明子 横浜市 | Wikipedia |
小山 明子 (こやま あきこ、1935年(昭和10年)1月27日 - ) は、日本の女優。千葉県生まれで神奈川県横浜市鶴見区育ち。戸籍名は大島 明子 (おおしま あきこ)。旧姓・臼井。夫は映画監督の大島渚。叔父は社会運動史研究者の小山弘健。 | ||
横浜市の出身者 | ||
1月27日生まれの人  1935年生まれの人 |
神奈川県立横浜平沼高等学校の出身者
235 | 佐藤秀明 秋田市 東洋大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 秀明(さとう ひであき)は、日本の機械加工学研究者。東京都市大学工学部機械工学科准教授。博士(工学)/慶應義塾大学。 | ||
神奈川県立横浜平沼高等学校から東洋大学への進学者 全国の東洋大学の出身者 |
神奈川県立光陵高等学校の出身者
236 | 常光康弘 | Wikipedia未登録 |
日本無線先進科学技術工学研究者、博士(工学) |
神奈川県立港北高等学校の出身者
237 | 佐藤一郎 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤一郎(さとう いちろう)は、日本のコンピューターサイエンス研究者。国立情報学研究所副所長・情報社会相関系教授、総合研究大学院大学複合科学研究科情報学専攻教授併任。博士(工学) (計算機科学専攻、慶應義塾大学、1996年)。 | ||
神奈川県立港北高等学校から 慶應義塾大学への進学者 全国の 慶應義塾大学の出身者 | ||
1996年生まれの人 | ||
238 | 中丸宣明 東京大学へ進学 | Wikipedia |
中丸 宣明(なかまる のぶあき、1955年 - )は、日本近代文学研究者。法政大学文学部日本文学科教授。 | ||
神奈川県立港北高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1955年生まれの人 |
神奈川県立新羽高等学校の出身者
239 | 白井暁彦 横浜市 東京工芸大学へ進学 | Wikipedia |
白井 暁彦(しらい あきひこ、1973年3月13日 - )は、フランスに在住していたことがある日本の工学者。神奈川工科大学情報学部情報メディア学科准教授。専門は、メディアアート研究、写真工学。 | ||
神奈川県立新羽高等学校から東京工芸大学への進学者 全国の東京工芸大学の出身者 横浜市の出身者 | ||
3月13日生まれの人  1973年生まれの人 |
神奈川県立希望ヶ丘高等学校の出身者
240 | 矢代幸雄 東京大学へ進学 | Wikipedia |
矢代 幸雄(やしろ ゆきお、1890年11月5日 - 1975年5月25日)は、日本の美術史家、美術評論家である。音楽家矢代秋雄は長男。ギリシャ美術史研究者平山東子(矢代秋雄長女)は孫。妻の弟が木村健二郎。 | ||
神奈川県立希望ヶ丘高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月5日生まれの人  1890年生まれの人 |
横浜市立桜丘高等学校の出身者
241 | 村上春樹 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
村上 春樹(むらかみ はるき、1937年 - )は、日本の国文学者。平将門伝説の研究で知られる。 | ||
横浜市立桜丘高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1937年生まれの人 |
神奈川県立横須賀高等学校の出身者
242 | 牟田口義郎 東京大学へ進学 | Wikipedia |
牟田口 義郎(むたぐち よしろう、1923年5月11日 - 2011年1月22日)は、歴史家・中東地域研究者、元朝日新聞記者。 | ||
神奈川県立横須賀高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月11日生まれの人  1923年生まれの人 |
神奈川県立平塚農業高等学校の出身者
243 | 福井準造 | Wikipedia |
福井 準造(ふくい じゅんぞう、明治4年9月21日(1871年11月3日) - 昭和12年(1937年)12月10日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。 | ||
9月21日生まれの人  1871年生まれの人 |
神奈川県立湘南高等学校の出身者
244 | 三浦瑠麗 | Wikipedia |
三浦 瑠麗(みうら るり、英語:Lully Miura 、1980年(昭和55年)[3]10月3日[4] - )は、日本の国際政治学(国際関係論)研究者[5]。東京大学政策ビジョン研究センター講師[6]。株式会社山猫総合研究所代表。 | ||
10月3日生まれの人  1980年生まれの人 | ||
245 | 伊藤邦武 | Wikipedia |
伊藤 邦武(いとう くにたけ、1949年(昭和24年) - )は、日本の哲学研究者、龍谷大学文学部教授、京都大学名誉教授。分析哲学、アメリカ哲学、パースを主として研究している。 | ||
1949年生まれの人 |
神奈川県立平塚農業高等学校初声分校の出身者
246 | 福井準造 | Wikipedia |
福井 準造(ふくい じゅんぞう、明治4年9月21日(1871年11月3日) - 昭和12年(1937年)12月10日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。 | ||
9月21日生まれの人  1871年生まれの人 |
神奈川県立秦野高等学校の出身者
247 | 福井準造 | Wikipedia |
福井 準造(ふくい じゅんぞう、明治4年9月21日(1871年11月3日) - 昭和12年(1937年)12月10日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。 | ||
9月21日生まれの人  1871年生まれの人 |
神奈川県立厚木高等学校の出身者
248 | 小塚郁也 与野市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
小塚 郁也(こづか いくや、1962年 - )は、日本の国際安全保障研究者。防衛研究所政策研究部主任研究官。専門は、中東地域の国際関係および安全保障。 | ||
神奈川県立厚木高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 与野市の出身者 | ||
1962年生まれの人 | ||
249 | 森川昭 東京大学へ進学 | Wikipedia |
森川 昭(もりかわ あきら、1932年8月29日 - )は、近世日本文学研究者、東京大学文学部名誉教授。 | ||
神奈川県立厚木高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
8月29日生まれの人  1932年生まれの人 |
浅野高等学校の出身者
250 | 矢萩邦彦 横須賀市 | Wikipedia |
矢萩 邦彦(やはぎ くにひこ)は、日本のジャーナリスト、教育者、俳諧師、シンガーソングライター、社会学研究者である。 | ||
横須賀市の出身者 |
聖光学院高等学校(神奈川県)の出身者
251 | 中川裕 東京外国語大学へ進学 | Wikipedia |
中川 裕(なかがわ ひろし、1955年 - )は、日本の言語学者、アイヌ語研究者。 | ||
聖光学院高等学校(神奈川県)から東京外国語大学への進学者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
1955年生まれの人 |
横浜共立学園高等学校の出身者
252 | 大村はま 東京女子大学へ進学 | Wikipedia |
大村 はま(おおむら はま、本名:大村 濱(読み同じ)、(英文 Ohmura Hama)1906年6月2日 - 2005年4月17日)は、日本の国語教育研究家である。西洋中世哲学、ドイツ哲学、キリスト教神学の研究者大村晴雄は実弟。 | ||
横浜共立学園高等学校から東京女子大学への進学者 全国の東京女子大学の出身者 | ||
6月2日生まれの人  1906年生まれの人 |
慶應義塾高等学校の出身者
253 | 竹田恒泰 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
竹田 恒泰(たけだ つねやす、1975年(昭和50年)(誕生日非公開) - )は、日本の法学者(専門は憲法学)、政治評論家、作家、タレント。皇學館大学現代日本社会学部非常勤講師。学位は学士(法学)(慶應義塾大学・1998年)。2013年度(平成25年度)まで慶應義塾大学の非常勤講師(憲法学)であった。 | ||
慶應義塾高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1975年生まれの人 |
桐蔭学園高等学校の出身者
254 | 清水準一 東京大学へ進学 | Wikipedia |
清水 準一(しみず じゅんいち、1973年 - )は日本の看護師、保健師、看護学研究者。首都大学東京大学院人間健康科学研究科看護科学域、健康福祉学部看護学科准教授。 | ||
桐蔭学園高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1973年生まれの人 | ||
255 | 吉原真里 東京大学へ進学 | Wikipedia |
吉原 真里(よしはら まり、1968年 - )は、ハワイ在住のアメリカ文化研究者、ハワイ大学教授。ニューヨーク生まれ、1991年東京大学教養学部卒、1997年ブラウン大学博士号取得、ハワイ大学准教授をへて教授(アメリカ研究学部)。 | ||
桐蔭学園高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1968年生まれの人 |
栄光学園高等学校の出身者
256 | 宮家邦彦 | Wikipedia |
宮家 邦彦(みやけ くにひこ、1953年(昭和28年)10月12日 - )は、日本の元外交官、評論家、研究者。キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、株式会社外交政策研究所代表、立命館大学教育開発推進機構客員教授、中東調査会顧問。 | ||
10月12日生まれの人  1953年生まれの人 |
鎌倉学園高等学校の出身者
257 | 竹腰長生 日本大学へ進学 | Wikipedia未登録 |
北大路魯山人研究者 日本テレビ株式会社 美術デザイン | ||
鎌倉学園高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1900年生まれの人 |
清泉女学院高等学校の出身者
258 | 田中優子 横浜市 法政大学へ進学 | Wikipedia |
田中 優子(たなか ゆうこ、1952年1月30日 - )は、日本の江戸文化研究者、エッセイスト、法政大学総長。 | ||
清泉女学院高等学校から法政大学への進学者 全国の法政大学の出身者 横浜市の出身者 | ||
1月30日生まれの人  1952年生まれの人 |
新潟県立新発田高等学校の出身者
259 | 相馬庸郎 胎内市 東京都立大学へ進学 | Wikipedia |
相馬 庸郎(そうま つねお、1926年8月30日 - )はの日本の日本文学研究者。元神戸大学教授。専門は日本近代文学。 | ||
新潟県立新発田高等学校から東京都立大学への進学者 全国の東京都立大学の出身者 胎内市の出身者 | ||
8月30日生まれの人  1926年生まれの人 |
新潟県立新潟高等学校の出身者
260 | 関谷直也 | Wikipedia |
関谷 直也(せきや なおや、1975年7月27日 - )は、日本の社会心理学者、防災研究者、広報研究者。東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センター特任准教授。弓道五段。 | ||
7月27日生まれの人  1975年生まれの人 | ||
261 | 齊藤元章 長岡市 新潟大学へ進学 | Wikipedia |
齊藤 元章(さいとう もとあき、1968年 - )は、研究開発系シリアルアントレプレナー(連続起業家)、スーパーコンピュータ開発者・次世代の汎用人工知能(AI)の研究者。PEZY Computing 創業者兼最高経営責任者(CEO)・ExaScaler代表取締役会長(創業者)・ウルトラメモリ代表取締役会長(創業者)。医師(放射線科)・医学博士。 | ||
新潟県立新潟高等学校から新潟大学への進学者 全国の新潟大学の出身者 長岡市の出身者 | ||
1968年生まれの人 | ||
262 | 横山安由美 | Wikipedia |
横山 安由美(よこやま あゆみ、1964年 - )は、日本の中世フランス文学研究者、立教大学教授。 | ||
1964年生まれの人 | ||
263 | 大里俊晴 | Wikipedia |
大里 俊晴(おおさと としはる、1958年2月5日 - 2009年11月17日)は日本の現代音楽研究者、横浜国立大学教育人間科学部教授。新潟県出身。 | ||
2月5日生まれの人  1958年生まれの人 | ||
264 | 斎藤美奈子 新潟市 成城大学へ進学 | Wikipedia |
斎藤 美奈子(さいとう みなこ、1956年12月22日 - )は、日本の文芸評論家。新潟県新潟市出身。父は新潟大学名誉教授の物理学者で、宮沢賢治の研究者としても知られる斎藤文一。妹は、韓国語の翻訳家・斎藤真理子(2015年にパク・ミンギュ著『カステラ(朝: 카스텔라)』〈クレイン刊〉の翻訳により第1回日本翻訳大賞受賞)。 | ||
新潟県立新潟高等学校から成城大学への進学者 全国の成城大学の出身者 新潟市の出身者 | ||
12月22日生まれの人  1956年生まれの人 | ||
265 | 五十嵐一 新潟市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
五十嵐 一(いからし ひとし、1947年(昭和22年)6月10日 - 1991年(平成3年)7月11日)は、中東・イスラーム学者。東洋思想の大御所井筒俊彦の愛弟子。比較文学の学者である五十嵐雅子は妻。 | ||
新潟県立新潟高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 新潟市の出身者 | ||
6月10日生まれの人  1947年生まれの人 | ||
266 | 坂井洲二 北海道大学へ進学 | Wikipedia |
坂井洲二(さかい しゅうじ、1930年-) 日本の民俗学者 、ドイツ民俗学研究者、現在関西医科大学名誉教授。 新潟県生まれ、北海道大学卒業、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。1970年頃ドイツへ留学し、民俗学の改革者として知られるヘルマン・バウジンガーの活動に間近に接して、その研究方法を日本へ紹介した。ドイツ民俗学の手法を実地に試みる研究を行っている。 | ||
新潟県立新潟高等学校から北海道大学への進学者 全国の北海道大学の出身者 | ||
1930年生まれの人 | ||
267 | 丸山弘志 東京大学へ進学 | Wikipedia |
丸山 弘志(まるやま ひろし、1924年(大正13年)7月15日 - 2007年(平成19年)10月10日)は、日本の運輸官僚、超電導リニア研究者、鉄道技術者、鉄道工学者、交通工学者、安全工学者、生産工学者、機械工学者、精密工学者、工学博士。元日本国有鉄道鉄道技術研究所所長、元科学技術庁参与、元文部科学省参与、元材料技術研究協会理事、元研友社顧問、元日本規格協会評議員、日本機械学会名誉員、東京理科大学名誉教授。弟の桑名昭治は桑名病院2代目院長。 | ||
新潟県立新潟高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月15日生まれの人  1924年生まれの人 |
新潟県立長岡高等学校の出身者
268 | 山岸真 埼玉大学へ進学 | Wikipedia |
山岸 真(やまぎし まこと、1962年 - )は、SF翻訳家、研究者、アンソロジストである。新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校を経て埼玉大学教養学部卒業。卒論のテーマはマイクル・ビショップ。 | ||
新潟県立長岡高等学校から埼玉大学への進学者 全国の埼玉大学の出身者 | ||
1962年生まれの人 |
新潟県立高田高等学校の出身者
269 | 三浦展 上越市 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
三浦 展(みうら あつし、1958年9月25日 - )は、日本のマーケティング・リサーチャー(著作では「マーケティング・アナリスト」と自称)、消費社会研究家、評論家。マーケティングリサーチやマーケティングプランニング、コンサルティング等の受託業務等を行う株式会社カルチャースタディーズ研究所代表取締役を務める。 | ||
新潟県立高田高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 上越市の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1958年生まれの人 | ||
270 | 菅山謙正 神戸市立外国語大学へ進学 | Wikipedia |
菅山 謙正(すがやま けんせい、1953年 - )は、日本の英語学研究者。英語語法文法学会・JACET、元役員。元英和辞典ジーニアス編さん担当、元神戸市外国語大学・京都府立大学名誉教授。 | ||
新潟県立高田高等学校から神戸市立外国語大学への進学者 全国の神戸市立外国語大学の出身者 | ||
1953年生まれの人 | ||
271 | 丸山繁雄 日本大学へ進学 | Wikipedia |
丸山繁雄(まるやま しげお、1951年 - )は、ジャズヴォーカリストである。新潟県出身、東京都在住。第一線のミュージシャンとして多方面にわたる音楽活動(後述)を行っている。またジャズならびにアフリカ系アメリカ人文化の研究者でもある。博士(芸術学)(日本大学、2011年)。さらに日本大学芸術学部音楽学科、自身主宰の「丸山繁雄ボーカルスクール」で後進の指導にあたっている。 | ||
新潟県立高田高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 | ||
1951年生まれの人 | ||
272 | 松村雅史 大阪大学へ進学 | Wikipedia |
松村 雅史(まつむら まさふみ)は大阪電気通信大学医療福祉工学部教授で医用生体工学分野の研究者である。 | ||
新潟県立高田高等学校から大阪大学への進学者 全国の大阪大学の出身者 |
富山県立富山商業高等学校の出身者
273 | 源氏鶏太 富山市 | Wikipedia |
源氏 鶏太(げんじ けいた、1912年(明治45年)4月19日 - 1985年(昭和60年)9月12日 )は、日本の小説家。富山市出身。旧制富山商業学校(現・富山県立富山商業高等学校)卒。本名、田中富雄。ペンネームの由来は「平家より源氏が好きなこと」と「『鶏』という字が好きで、『鶏太』とすると、昔の武士の名前のようになる」という理由。長男の田中継根はロシア文学研究者で東北大学名誉教授。 | ||
富山市の出身者 | ||
4月19日生まれの人  1912年生まれの人 |
富山県立砺波高等学校の出身者
274 | 柴田崇徳 名古屋大学へ進学 | Wikipedia |
柴田 崇徳 (しばた たかのり、1967年 - )は日本のロボット工学研究者でアザラシ型ロボット「パロ」の開発者。 | ||
富山県立砺波高等学校から名古屋大学への進学者 全国の名古屋大学の出身者 | ||
1967年生まれの人 |
石川県立金沢泉丘高等学校の出身者
275 | 西田谷洋 金沢大学へ進学 | Wikipedia |
西田谷 洋(にしたや ひろし、1966年 - )は、日本近代文学の研究者、富山大学教授。 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校から金沢大学への進学者 全国の金沢大学の出身者 | ||
1966年生まれの人 |
石川県立金沢桜丘高等学校の出身者
276 | 新田義弘 東北大学文学へ進学 | Wikipedia |
新田 義弘(にった よしひろ、1929年1月21日- )は、日本の哲学研究者、東洋大学名誉教授。専攻は現象学、解釈学。 | ||
石川県立金沢桜丘高等学校から東北大学文学への進学者 全国の東北大学文学の出身者 | ||
1月21日生まれの人  1929年生まれの人 |
石川県立金沢辰巳丘高等学校の出身者
277 | 山本淳子 京都大学へ進学 | Wikipedia |
山本 淳子(やまもと じゅんこ、1960年8月27日 - )は、平安朝文学研究者、京都学園大学人間文化学部教授。金沢市生まれ。 | ||
石川県立金沢辰巳丘高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
8月27日生まれの人  1960年生まれの人 |
金沢学院高等学校の出身者
278 | 女子高時代の校歌の作詞者は釈迢空(折口信夫 | Wikipedia未登録 |
日本の民俗学、国文学の研究者) |
金沢大学附属高等学校の出身者
279 | 酒井亨 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
酒井 亨(さかい とおる、1966年2月 - )は日本の台湾研究者(台湾政治)、ジャーナリスト、金沢学院大学経営情報学部准教授、石川県金沢市出身。 | ||
金沢大学附属高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1966年生まれの人 |
280 | 水越伸 桑名市 筑波大学へ進学 | Wikipedia |
水越 伸(みずこし しん、1963年3月6日 - )は日本の社会学者。東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授。放送大学客員教授。 | ||
金沢大学附属高等学校から筑波大学への進学者 全国の筑波大学の出身者 桑名市の出身者 | ||
3月6日生まれの人  1963年生まれの人 | ||
281 | 山本淳子 京都大学へ進学 | Wikipedia |
山本 淳子(やまもと じゅんこ、1960年8月27日 - )は、平安朝文学研究者、京都学園大学人間文化学部教授。金沢市生まれ。 | ||
金沢大学附属高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
8月27日生まれの人  1960年生まれの人 | ||
282 | 津田正夫 京都大学へ進学 | Wikipedia |
津田 正夫(つだ まさお、1943年(昭和18年)8月23日 - )は、日本の社会学者。立命館大学産業社会学部教授。専門は社会学(放送メディアと市民との関わりについて) | ||
金沢大学附属高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
8月23日生まれの人  1943年生まれの人 |
福井県立藤島高等学校の出身者
283 | 俵万智 門真市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
俵 万智(たわら まち、1962年12月31日 - )は、日本の歌人。本名、同じ。結社「心の花」所属。所属事務所は東京コンサーツ。父は希土類磁石の研究者の俵好夫。 | ||
福井県立藤島高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
12月31日生まれの人  1962年生まれの人 |
福井県立若狭高等学校の出身者
284 | 松尾欣枝 奈良女子大学へ進学 | Wikipedia |
松尾 欣枝(まつお さちえ、1940年 - )は、日本の研究者。元奈良女子大学名誉教授。 | ||
福井県立若狭高等学校から奈良女子大学への進学者 全国の奈良女子大学の出身者 | ||
1940年生まれの人 | ||
285 | 稲垣達郎 敦賀市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
稲垣 達郎(いながき たつろう、1901年10月21日 - 1986年8月13日)は、日本近代文学の研究者である。 | ||
福井県立若狭高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 敦賀市の出身者 | ||
10月21日生まれの人  1901年生まれの人 |
福井県立武生高等学校の出身者
286 | 加藤和夫 越前市 福井大学へ進学 | Wikipedia |
加藤 和夫(かとう かずお、1954年 - )は、日本の言語学者、方言研究者。金沢大学教授。 | ||
福井県立武生高等学校から福井大学への進学者 全国の福井大学の出身者 越前市の出身者 | ||
1954年生まれの人 |
山梨県立甲府第一高等学校の出身者
287 | 宮田律 | Wikipedia |
宮田 律(みやた おさむ、1955年(昭和30年)5月5日 - )は、日本のイスラム研究者(現代イスラム地域研究・途上国の国際政治・イラン現代史・イラン現代政治)。学位は歴史学修士(カリフォルニア大学ロサンゼルス校・1985年)。静岡県立大学国際関係学部准教授・大学院国際関係学研究科准教授、一般社団法人現代イスラム研究センター理事長。 | ||
5月5日生まれの人  1955年生まれの人 |
山梨英和高等学校の出身者
288 | 秋山佐和子 山梨市 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )は、歌人、近代日本文学研究者。現代歌人協会理事。日本歌人クラブ中央幹事。 | ||
山梨英和高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 山梨市の出身者 | ||
6月15日生まれの人  1947年生まれの人 |
長野県立長野高等学校の出身者
289 | 大日方純夫 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
大日方 純夫(おびなた すみお、1950年12月17日 - )は、日本の歴史学者。早稲田大学文学学術院教授。専門は日本近代史(政治史・警察史・社会史)。日本、中国、韓国の研究者、教育者が共同で執筆にあたった『未来をひらく歴史―東アジア3国の近現代史』の日本側の編集委員長を務め、2005年に日本ジャーナリスト会議特別賞を受賞した。長野県生まれ。 | ||
長野県立長野高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
12月17日生まれの人  1950年生まれの人 |
長野県立屋代高等学校の出身者
290 | 中村喜和 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
中村 喜和(なかむら よしかず、1933年1月16日 - )は、日本の文学研究者。専門はロシア中世文学、ロシア文化史、日ロ文化交流史。一橋大学名誉教授。金子幸彦門下。 | ||
長野県立屋代高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
1月16日生まれの人  1933年生まれの人 | ||
291 | 瀬在良男 千曲市 日本大学へ進学 | Wikipedia |
瀬在 良男(せざい よしお、1926年(大正15年)2月20日 - 2001年(平成13年)4月15日)は日本の哲学研究者。日本大学第9代総長。 | ||
長野県立屋代高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 千曲市の出身者 | ||
2月20日生まれの人  1926年生まれの人 |
長野県立上田高等学校の出身者
292 | 唐沢隆三 北海道大学へ進学 | Wikipedia |
唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2011年5月6日)は、社会運動研究者・俳人・自由律俳句研究者・作家。「唐沢柳三」の筆名も使用する。石川三四郎に師事する。 | ||
長野県立上田高等学校から北海道大学への進学者 全国の北海道大学の出身者 | ||
5月4日生まれの人  1918年生まれの人 | ||
293 | 樫山欽四郎 小諸市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
樫山 欽四郎(かしやま きんしろう、1907年5月1日 - 1977年8月7日)は、日本の哲学研究者。ドイツ近世哲学、実存哲学を研究した。 | ||
長野県立上田高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 小諸市の出身者 | ||
5月1日生まれの人  1907年生まれの人 |
長野県立野沢南高等学校の出身者
294 | 上原作和 大東文化大学へ進学 | Wikipedia |
上原 作和(うえはら さくかず、1962年11月28日 - )は、日本の日本文学研究者。博士(文学)(名古屋大学、2007年)。 | ||
長野県立野沢南高等学校から大東文化大学への進学者 全国の大東文化大学の出身者 | ||
11月28日生まれの人  1962年生まれの人 |
長野県立岡谷工業高等学校の出身者
295 | 小口泰平 下諏訪町 芝浦工業大学へ進学 | Wikipedia |
小口 泰平(おぐち やすへい、1937年3月5日 - )は、日本の自動車工学者、芝浦工業大学名誉学長。専門は自動車工学、マンマシンシステム。RJC(日本自動車研究者・ジャーナリスト会議)前会長。NPO法人「日本自動車殿堂」会長。工学博士。 | ||
長野県立岡谷工業高等学校から芝浦工業大学への進学者 全国の芝浦工業大学の出身者 下諏訪町の出身者 | ||
3月5日生まれの人  1937年生まれの人 |
長野県立諏訪二葉高等学校の出身者
296 | 中山和子 諏訪市 明治大学へ進学 | Wikipedia |
中山 和子(なかやま かずこ、1931年10月16日 - )は、日本近代文学研究者、明治大学名誉教授。旧姓は永井。 | ||
長野県立諏訪二葉高等学校から明治大学への進学者 全国の明治大学の出身者 諏訪市の出身者 | ||
10月16日生まれの人  1931年生まれの人 |
長野県立飯田高等学校の出身者
297 | 小島麗逸 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
小島 麗逸(こじま れいいつ、1934年1月23日- )は、日本の経済学者、中国研究者。大東文化大学名誉教授。中国の経済建設、日本植民史、アジア経済を研究。アジア経済研究所調査研究部次長を経て、学校法人大東文化学園理事、北京大学光華管理学院客員教授、現代中国学会理事などを務めた。 | ||
長野県立飯田高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
1月23日生まれの人  1934年生まれの人 | ||
298 | 印南高一 飯田市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
印南 高一(いんなみ こういち、1903年4月30日 - 2001年12月19日)は、日本の演出家、演劇研究者(大学教授)。印南 喬(いんなみ たかし)の筆名がある。本名の印南高一に、「いんなみ たかいち」のルビを振る著書もある。 | ||
長野県立飯田高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 飯田市の出身者 | ||
4月30日生まれの人  1903年生まれの人 |
長野県立松本県ヶ丘高等学校の出身者
299 | 山田喜紹 松本市 信州大学へ進学 | Wikipedia |
山田 喜紹(やまだ よしつぐ、1931年 - )は、日本のウイルス学者、エイズ研究者。信州大学医療技術短期大学部名誉教授。医学博士。 | ||
長野県立松本県ヶ丘高等学校から信州大学への進学者 全国の信州大学の出身者 松本市の出身者 | ||
1931年生まれの人 |
長野県立松本深志高等学校の出身者
300 | 北野幸伯 松本市 | Wikipedia |
北野 幸伯(きたの よしのり、1970年 - )は、国際関係の研究者。モスクワ国際関係大学国際関係学部卒業。メールマガジン『RPE(ロシア政治経済ジャーナル)』を発行。ロシア連邦・モスクワ在住の日本人である。 | ||
松本市の出身者 | ||
1970年生まれの人 | ||
301 | 金井清光 松本市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
金井 清光(かない きよみつ、1922年7月28日 - 2009年4月7日)は、日本の国文学者、時衆研究者。鳥取大学名誉教授。 | ||
長野県立松本深志高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 松本市の出身者 | ||
7月28日生まれの人  1922年生まれの人 |
岐阜県立岐阜高等学校の出身者
302 | 今村仁司 京都大学へ進学 | Wikipedia |
今村 仁司(いまむら ひとし、1942年2月26日 - 2007年5月5日)は、日本の現代哲学・思想研究者。おもに1980年代以降、多数の翻訳や著作によって、フランス現代思想を中心に現代思想の諸潮流を日本に紹介した。 | ||
岐阜県立岐阜高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
2月26日生まれの人  1942年生まれの人 | ||
303 | 篠田一士 東京大学へ進学 | Wikipedia |
篠田 一士(しのだ はじめ、1927年(昭和2年)1月23日 - 1989年(平成元年)4月13日)は、日本の文学研究者、文芸評論家、翻訳家である。早稲田大学教授で社会学者の篠田徹は子息である。 | ||
岐阜県立岐阜高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月23日生まれの人  1927年生まれの人 |
岐阜県立大垣北高等学校の出身者
304 | 棚瀬襄爾 東京大学へ進学 | Wikipedia |
棚瀬 襄爾(たなせ じょうじ、1910年2月22日 - 1964年12月10日)は、日本の民族宗教学者・アジア地域研究者。岐阜県出身。 | ||
岐阜県立大垣北高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月22日生まれの人  1910年生まれの人 |
岐阜県立加茂高等学校の出身者
305 | 北川悦吏子 美濃加茂市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
北川 悦吏子(きたがわ えりこ、1961年12月24日 - )は、日本のテレビドラマの脚本家、映画監督、エッセイスト。岐阜県美濃加茂市出身。早稲田大学第一文学部卒業[4]。血液型B型。情報科学の研究者・北川高嗣は実兄[5]。 | ||
岐阜県立加茂高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 美濃加茂市の出身者 | ||
12月24日生まれの人  1961年生まれの人 |
岐阜県立多治見北高等学校の出身者
306 | 高木浩光 名古屋工業大学へ進学 | Wikipedia |
高木 浩光(たかぎ ひろみつ、3月3日[注釈 1] - )は、日本のセキュリティ研究者。博士(工学)(名古屋工業大学)。産業技術総合研究所情報セキュリティ研究センター主任研究員。 | ||
岐阜県立多治見北高等学校から名古屋工業大学への進学者 全国の名古屋工業大学の出身者 | ||
3月3日生まれの人   |
岐阜県立中津高等学校の出身者
307 | 亀井俊介 東京大学へ進学 | Wikipedia |
亀井 俊介(かめい しゅんすけ、1932年8月14日 - )は日本の比較文学者、アメリカ文学者、アメリカ大衆文化研究者、東京大学教養学部名誉教授、岐阜女子大学教授。 | ||
岐阜県立中津高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
8月14日生まれの人  1932年生まれの人 |
静岡県立静岡高等学校の出身者
308 | 長谷川博 京都大学へ進学 | Wikipedia |
長谷川 博(はせがわ ひろし、1948年10月3日 - )は、日本の海鳥研究者。東邦大学理学部動物生態学研究室名誉教授。 | ||
静岡県立静岡高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1948年生まれの人 | ||
309 | 望月喜市 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
望月 喜市(もちづき きいち、1931年4月1日- )は、日本の経済学者、ソ連・ロシア研究者。北海道大学名誉教授、ロシア科学アカデミー極東支部経済研究所名誉教授。NPO法人ロシア極東研理事。 | ||
静岡県立静岡高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
4月1日生まれの人  1931年生まれの人 |
静岡県立清水東高等学校の出身者
310 | 安間繁樹 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
安間 繁樹(やすま しげき、1944年 -)は、日本の動物生態学者。農学博士。世界自然保護連合種保存委員会(IUCN・SSC)ネコ専門家グループ委員。熱帯野鼠対策委員会常任委員。公益法人平岡環境科学研究所監事。日本山岳会会員・自然保護委員会委員。 | ||
静岡県立清水東高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1944年生まれの人 | ||
311 | 和田春樹 静岡市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
和田 春樹 (わだ はるき、1938年(昭和13年)1月13日 - )は、日本の歴史学者、社会科学研究家、市民運動家である。萩原遼によると、もともとの学術上の専攻はロシア史。朝鮮史関連の著作もあるが、朝鮮史研究者からは批判的な見解がある(後述)。東京大学名誉教授。 | ||
静岡県立清水東高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 静岡市の出身者 | ||
1月13日生まれの人  1938年生まれの人 |
静岡県立浜松西高等学校の出身者
312 | 内山勝利 京都大学へ進学 | Wikipedia |
内山 勝利(うちやま かつとし、1942年1月31日 - )は、西洋古典学者、ギリシア哲学研究者、京都大学名誉教授。古代ギリシア哲学専攻。 | ||
静岡県立浜松西高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
1月31日生まれの人  1942年生まれの人 |
静岡県立沼津東高等学校の出身者
313 | 芦川進一 三島市 東京外国語大学へ進学 | Wikipedia |
芦川 進一(あしかわ しんいち、1948年 - )は、ドストエフスキー研究者。 | ||
静岡県立沼津東高等学校から東京外国語大学への進学者 全国の東京外国語大学の出身者 三島市の出身者 | ||
1948年生まれの人 |
静岡県立富士高等学校の出身者
314 | 金指正三 明治大学へ進学 | Wikipedia |
金指 正三(かなさし しょうぞう、1914年(大正3年)6月14日 - 1989年4月24日)は、日本の歴史家。法学博士。法制史、海事慣習制度の研究者。 | ||
静岡県立富士高等学校から明治大学への進学者 全国の明治大学の出身者 | ||
6月14日生まれの人  1914年生まれの人 |
静岡県立掛川西高等学校の出身者
315 | 清水真砂子 静岡大学へ進学 | Wikipedia |
清水 真砂子(しみず まさこ、1941年5月27日 - 、正しくは正字の「眞砂子」表記)は、日本の翻訳家、児童文学研究者。青山学院女子短期大学名誉教授。朝鮮生まれ。 | ||
静岡県立掛川西高等学校から静岡大学への進学者 全国の静岡大学の出身者 | ||
5月27日生まれの人  1941年生まれの人 | ||
316 | 窪川鶴次郎 菊川市 | Wikipedia |
窪川 鶴次郎(くぼかわ つるじろう、1903年2月25日 - 1974年6月15日)は、日本の文芸評論家。 | ||
菊川市の出身者 | ||
2月25日生まれの人  1903年生まれの人 |
静岡県立藤枝東高等学校の出身者
317 | 池谷裕二 東京大学へ進学 | Wikipedia |
池谷 裕二(いけがや ゆうじ、1970年8月16日 - )は、日本の脳研究者、薬剤師。東京大学・大学院薬学系研究科・教授。神経科学および薬理学を専門とし、海馬や大脳皮質の可塑性を研究する。脳科学の知見を紹介する一般向けの著作も書いている。静岡県藤枝市出身[4]。 | ||
静岡県立藤枝東高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
8月16日生まれの人  1970年生まれの人 |
静岡聖光学院高等学校の出身者
318 | 勝呂奏 上智大学へ進学 | Wikipedia |
勝呂 奏(すぐろ すすむ、1955年 - )は、日本の日本近代文学研究者、桜美林大学准教授。 1979年、上智大学文学部卒。1981年、同大学院文学研究科博士前期課程修了。静岡聖光学院教諭などを経て、2008年に桜美林大学リベラルアーツ学群准教授。2008年、日本キリスト教文学会賞受賞。小川国夫、芹沢光治良など近現代キリスト教作家を研究。 | ||
静岡聖光学院高等学校から上智大学への進学者 全国の上智大学の出身者 | ||
1955年生まれの人 |
名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校の出身者
319 | 牧野圭一 豊橋市 | Wikipedia |
牧野 圭一(まきの けいいち、1937年11月1日 - )は、日本の漫画家及び漫画文化の研究者である。 | ||
豊橋市の出身者 | ||
11月1日生まれの人  1937年生まれの人 |
愛知県立旭丘高等学校の出身者
320 | 市之瀬敏勝 | Wikipedia |
市之瀬 敏勝(いちのせ としかつ TOSHIKATSU ICHINOSE、1955年 - )は、日本の研究者。名古屋工業大学大学院教授。 | ||
1955年生まれの人 | ||
321 | 高橋享 | Wikipedia |
高橋 亨(たかはし とおる、1947年7月9日 - )は、日本中古文学研究者。名古屋大学名誉教授。平安朝物語文芸を中心とした文学の諸問題を、おもに表現論的な方法によって研究している。主要なテーマは、源氏物語論、初期物語表現史論、語りとテクスト理論、芸術論と文学。2007年『源氏物語の詩学』で文学博士(東京大学)。 | ||
7月9日生まれの人  1947年生まれの人 | ||
322 | 吉井博明 さいたま市 | Wikipedia |
吉井 博明(よしい ひろあき、1943年(昭和18年) - )は、日本の災害情報論、情報社会論研究者。東京経済大学名誉教授。 | ||
さいたま市の出身者 | ||
1943年生まれの人 | ||
323 | 野口米次郎 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年(明治8年)12月8日 - 1947年(昭和22年)7月13日)は、明治・大正・昭和前期の英詩人、小説家、評論家、俳句研究者。イサム・ノグチの父親。内田魯庵からノーベル文学賞の受賞を待望され、太平洋戦争には協力的であった。 | ||
愛知県立旭丘高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
12月8日生まれの人  1875年生まれの人 |
愛知県立愛知商業高等学校の出身者
324 | 都築忠七 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
都築 忠七 (つづき ちゅうしち、1926年9月18日 - ) は日本の社会思想史研究者。一橋大学名誉教授、オックスフォード大学博士、ケンブリッジ大学博士。 | ||
愛知県立愛知商業高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
9月18日生まれの人  1926年生まれの人 |
愛知県立瑞陵高等学校の出身者
325 | 大沢文夫 池田市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
大沢 文夫(おおさわ ふみお、大澤 文夫、Oosawa, Fumio、1922年12月10日 - )は、日本の生物物理学者。戦後、学問研究では異端とも思える状況の中で、物理学者の立場から生物の研究を開始した。海外の研究に依存しないで日本で独自の研究を展開し、世界的な研究をした。直接の弟子が数百人と多く、弟子以外にも多くの研究者に多大な影響を与えた。日本の生物物理学の創設・開拓・牽引者。名古屋大学名誉教授/大阪大学名誉教授。小谷正雄の直弟子。寺田寅彦の孫弟子。理学博士。作家富士正晴の義弟。 | ||
愛知県立瑞陵高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 池田市の出身者 | ||
12月10日生まれの人  1922年生まれの人 |
名古屋市立菊里高等学校の出身者
326 | 青木継稔 東邦大学へ進学 | Wikipedia |
青木 継稔(あおき つぐとし、1940年 - )は、愛知県出身の医学者。専門は小児科学。第8代東邦大学学長・名誉学長。日本におけるウィルソン病の研究者として知られる。 | ||
名古屋市立菊里高等学校から 東邦大学への進学者 全国の 東邦大学の出身者 | ||
1940年生まれの人 |
愛知県立長久手高等学校の出身者
327 | 柴田俊明 東京造形大学へ進学 | Wikipedia |
柴田俊明(しばた としあき、1967年 - )は、現代日本の洋画家の一人。ロシア・アヴァンギャルドの画家パーヴェル・フィローノフの研究者としても知られる。 | ||
愛知県立長久手高等学校から東京造形大学への進学者 全国の東京造形大学の出身者 | ||
1967年生まれの人 |
愛知県立津島高等学校の出身者
328 | 山中龍夫 横浜国立大学へ進学 | Wikipedia |
山中 龍夫(やまなか たつお、1933年11月13日 - )は、日本の宇宙工学研究者。工学博士。横浜国立大学教授などを歴任した。 | ||
愛知県立津島高等学校から横浜国立大学への進学者 全国の横浜国立大学の出身者 | ||
11月13日生まれの人  1933年生まれの人 |
愛知県立岡崎高等学校の出身者
329 | 鷹部屋福平 岡崎市 九州帝国大学へ進学 | Wikipedia |
鷹部屋 福平(たかべや ふくへい、1893年3月9日 - 1975年4月24日)は、日本の工学者、アイヌ文化研究者。著書には橋梁や構造力学など力学関係のものが多い。北海道帝国大学、九州帝国大学、防衛大学校などで教授を務めた。 | ||
愛知県立岡崎高等学校から九州帝国大学への進学者 全国の九州帝国大学の出身者 岡崎市の出身者 | ||
3月9日生まれの人  1893年生まれの人 |
愛知県立岡崎北高等学校の出身者
330 | 加藤孝男 中京大学へ進学 | Wikipedia |
加藤 孝男(かとう たかお、1960年11月20日 - )は、日本の歌人、身体哲学研究者。東海学園大学教授。歌誌「まひる野」所属。 | ||
愛知県立岡崎北高等学校から中京大学への進学者 全国の中京大学の出身者 | ||
11月20日生まれの人  1960年生まれの人 |
愛知県立豊田西高等学校の出身者
331 | 太田朋子 東京大学へ進学 | Wikipedia |
太田 朋子(おおた ともこ、1933年9月7日 - )は日本の遺伝学者。木村資生による、遺伝子の「分子進化の中立説」(Kimura 1968,1969)発表後、木村資生と共同で中立進化説の基礎固めを行い、その業績によりクラフォード賞を受賞した。愛知県西加茂郡三好町(現・みよし市)生まれ。 | ||
愛知県立豊田西高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月7日生まれの人  1933年生まれの人 |
愛知高等学校の出身者
332 | 宇井伯寿 御津町 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
宇井 伯寿(うい はくじゅ、旧字体:伯壽、1882年(明治15年)6月1日 - 1963年(昭和38年)7月14日)は、日本の曹洞宗の僧侶、インド哲学研究者、仏教学者、文学博士。日本学士院会員。本名は茂七(しげしち)。 | ||
愛知高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
6月1日生まれの人  1882年生まれの人 |
東海高等学校の出身者
333 | 安田文吉 名古屋市 名古屋大学へ進学 | Wikipedia |
安田 文吉(やすだ ぶんきち、1945年 - )は、日本近世文学、近世芸能研究者。南山大学名誉教授、東海学園大学人文学部教授(人文学科)。日本歌謡学会常任理事、日本近世文学会委員、名古屋芸能文化会代表。母は、常磐津文字登和(常磐津節、三味線)。妻は、安田徳子(中世文学、芸能研究、岐阜聖徳学園大学教育学部教授)。 | ||
東海高等学校から名古屋大学への進学者 全国の名古屋大学の出身者 名古屋市の出身者 | ||
1945年生まれの人 | ||
334 | 原田敬一 同志社大学へ進学 | Wikipedia |
原田 敬一(はらだ けいいち、1929年2月11日 - 2012年12月6日)は、日本のアメリカ文学研究者。ヘミングウェイを研究、サリンジャーの研究・翻訳も行なった。日本基督教団の信徒である。 | ||
東海高等学校から同志社大学への進学者 全国の同志社大学の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1929年生まれの人 |
三重県立四日市南高等学校の出身者
335 | 秋山晋吾 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
秋山 晋吾(あきやま しんご、1971年 - )は、日本の歴史学者、ハンガリー史研究者。一橋大学大学院社会学研究科教授。専門は、東欧、中欧の社会史。 | ||
三重県立四日市南高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
1971年生まれの人 |
三重県立津高等学校の出身者
336 | 神崎正英 京都大学へ進学 | Wikipedia |
神崎 正英(かんざき まさひで、1960年 - )は日本のセマンティック・ウェブ技術研究者。三重県生まれ。県立三重県立津高等学校から京都大学文学部卒。大学では現代史を学ぶ。サントリー広報部勤務時代にコロンビア大学に留学しMBAを取得。 | ||
三重県立津高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
1960年生まれの人 | ||
337 | 吉村英夫 津市 | Wikipedia |
吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日本の映画評論家、著作家。三重県津市出身。久居中学校、津高校、早稲田大学教育学部国文科卒業。紅野敏郎ゼミ・卒論「石川啄木」。「早稻田大学映画研究会」に所属、「第三映画」同人。1962年から三重県立長島高校、松阪工業高校(定時制)、津女子高校、津東高校教員を34年間。 以後、三重大学非常勤講師を9年間。愛知淑徳大学文化創造学部非常勤講師および教授を歴任し、2010年3月同大学退職。以後、2015年3月まで同大学非常勤講師。三重映画フェスティバル実行委員会代表(2001年より2015年)。小津安二郎記念碑建立委員会事務局(2014年より)。 | ||
津市の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1940年生まれの人 |
三重県立上野高等学校の出身者
338 | 静永健 | Wikipedia未登録 |
文学研究者。九州大学教授、中唐文学会会長。 |
滋賀県立彦根東高等学校の出身者
339 | 野村実 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
野村 実(野村 實 のむら みのる、1922年(大正11年)4月16日 - 2001年(平成13年)5月18日)は、日本の海軍軍人、軍事史研究者。専門は日本海軍史。 | ||
滋賀県立彦根東高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1922年生まれの人 |
滋賀県立長浜北高等学校の出身者
340 | 菊田幸一 長浜市 中央大学へ進学 | Wikipedia |
菊田 幸一(きくた こういち、1934年12月15日 - )は、日本の法学者、弁護士(登録番号:31228、第二東京弁護士会所属)。専門は刑事法、刑法学、犯罪学(刑事政策)。学位は法学博士(明治大学・1967年)。明治大学名誉教授。監獄人権センター副会長。特定非営利活動法人「犯罪と非行協議会」理事長。毎年、犯罪学(刑事政策)の分野で功績を出した若手の研究者に対して「菊田クリミノロジー賞」を授与している。滋賀県長浜市出身。 | ||
滋賀県立長浜北高等学校から中央大学への進学者 全国の中央大学の出身者 長浜市の出身者 | ||
12月15日生まれの人  1934年生まれの人 |
滋賀県立虎姫高等学校の出身者
341 | 天羽優子 長浜市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
天羽 優子(あもう ゆうこ)は、日本の物理学者。山形大学理学部物質生命化学科准教授。ラマン散乱の研究者。Japan Skeptics会員。疑似科学・疑似科学ビジネス批判でも知られる。と学会会員。「ニセ科学フォーラム」実行委員。 | ||
滋賀県立虎姫高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 長浜市の出身者 |
滋賀県立高島高等学校の出身者
342 | 竹脇出 京都大学へ進学 | Wikipedia |
竹脇出(たけわきいずる、1957年 - )は、日本の工学博士。建築構造学研究者。京都大学大学院工学研究科教授(建築学)。日本建築学会副会長(2013-2015)。国際専門誌Earthquakes and Structures共同編集長(~2014)。スイスの国際専門誌Frontiers in Built Environment編集長。滋賀県出身。 | ||
滋賀県立高島高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
1957年生まれの人 |
京都府立山城高等学校の出身者
343 | 瞳みのる 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
瞳 みのる(ひとみ みのる、本名:人見豊【読みは同じ】、1946年9月22日 - )は、日本のドラマー、中国文学・中国語研究者。グループ・サウンズ:『ザ・タイガース』のメンバーとして活躍。ザ・タイガース解散以後は慶應義塾高等学校教諭として中国語・漢文を担当し、漢文・中国語関連参考書を出版したことでも知られる。近年は作詞、作曲、訳詩、戯曲の原作、脚本、日中近代音楽の交流史の研究などを行なっているが、近年、旧ザ・タイガースのメンバーとの音楽活動を再開したり、自らバンドを組織したり、戯曲の原作やプロデュースによる独自の芸能活動・執筆活動も行って話題となっている。2016年は初めて自らのバンドの北京における公演を行い、成功させている。 | ||
京都府立山城高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
9月22日生まれの人  1946年生まれの人 |
京都府立鴨沂高等学校の出身者
344 | 河田悌一 大阪外国語大学へ進学 | Wikipedia |
河田 悌一(かわた ていいち、1945年5月18日 - )は日本の中国哲学研究者。日本私立学校振興・共済事業団理事長(2010年~)。関西大学教授・学長(第38・39代)。専門は中国思想史、現代中国論。大阪大学博士(文学)。 | ||
京都府立鴨沂高等学校から大阪外国語大学への進学者 全国の大阪外国語大学の出身者 | ||
5月18日生まれの人  1945年生まれの人 | ||
345 | 山崎正和 京都大学へ進学 | Wikipedia |
山崎 正和(やまざき まさかず、1934年〈昭和9年〉3月26日 - )は、日本の劇作家、評論家、演劇研究者。サントリー文化財団副理事長、大阪大学名誉教授、経済産業省参与。文化功労者。日本芸術院会員。 | ||
京都府立鴨沂高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
3月26日生まれの人  1934年生まれの人 |
京都府立洛北高等学校の出身者
346 | 桑原武夫 京都大学へ進学 | Wikipedia |
桑原 武夫(くわばら たけお、1904年(明治37年)5月10日 - 1988年(昭和63年)4月10日)は、日本のフランス文学・文化研究者、評論家。文化勲章受章。人文科学における共同研究の先駆的指導者でもあった。 | ||
京都府立洛北高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
5月10日生まれの人  1904年生まれの人 | ||
347 | 相原信作 | Wikipedia |
相原 信作(あいはら しんさく、1904年9月24日 - 1996年7月6日)は、日本の哲学研究者。 | ||
9月24日生まれの人  1904年生まれの人 |
京都府立桂高等学校の出身者
348 | 須田稔 向日市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
須田 稔(すだ みのる、1931年11月5日 - )は、日本の文学研究者、米文学者。立命館大学名誉教授。専門はアフリカン・アメリカン・スタディーズ研究者。憲法9条メッセージプロジェクト共同代表。非核の政府を求める京都の会常任世話人。京都府生まれ。 | ||
京都府立桂高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 向日市の出身者 | ||
11月5日生まれの人  1931年生まれの人 |
京都府立洛西高等学校の出身者
349 | 羽尻公一郎 京都市 立命館大学へ進学 | Wikipedia |
羽尻 公一郎(はじり こういちろう、 1970年12月26日 - )は、日本の人工知能、認知科学研究者。博士(工学)。立命館大学大学院理工学研究科博士課程単位取得退学。 | ||
京都府立洛西高等学校から立命館大学への進学者 全国の立命館大学の出身者 京都市の出身者 | ||
12月26日生まれの人  1970年生まれの人 |
京都市立紫野高等学校の出身者
350 | 井波律子 京都大学へ進学 | Wikipedia |
井波 律子(いなみ りつこ、1944年2月11日 - )は、日本の中国文学研究者。『三国志』の研究や『三国志演義』の翻訳などで知られる。国際日本文化研究センター名誉教授。紫式部文学賞選考委員。 | ||
京都市立紫野高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1944年生まれの人 | ||
351 | 岩田眞人 | Wikipedia未登録 |
事業家、茸・微生物学研究者、博士(工学)[5]。 |
京都市立日吉ヶ丘高等学校の出身者
352 | 中田雅喜 嵯峨美術短期大学へ進学 | Wikipedia |
中田 雅喜(なかた あき、1954年11月7日 - )は、日本の漫画家、小説家、時代劇映画研究者。京都府京都市出身。女性。夫は漫画家の横山えいじ。 | ||
京都市立日吉ヶ丘高等学校から嵯峨美術短期大学への進学者 全国の嵯峨美術短期大学の出身者 | ||
11月7日生まれの人  1954年生まれの人 |
京都市立西京高等学校・附属中学校の出身者
353 | 須田稔 向日市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
須田 稔(すだ みのる、1931年11月5日 - )は、日本の文学研究者、米文学者。立命館大学名誉教授。専門はアフリカン・アメリカン・スタディーズ研究者。憲法9条メッセージプロジェクト共同代表。非核の政府を求める京都の会常任世話人。京都府生まれ。 | ||
京都市立西京高等学校・附属中学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 向日市の出身者 | ||
11月5日生まれの人  1931年生まれの人 |
洛星高等学校の出身者
354 | 井上章一 京都大学へ進学 | Wikipedia |
井上 章一(いのうえ しょういち、1955年1月13日 - )は、日本の建築史家、風俗史研究者、国際日本文化研究センター教授。 | ||
洛星高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
1月13日生まれの人  1955年生まれの人 |
同志社高等学校の出身者
355 | 永田紅 京都大学へ進学 | Wikipedia |
永田 紅(ながた こう、1975年5月31日 - )は、日本の生化学研究者、歌人。京都大学助教。滋賀県出身。 | ||
同志社高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
5月31日生まれの人  1975年生まれの人 | ||
356 | 河田悌一 大阪外国語大学へ進学 | Wikipedia |
河田 悌一(かわた ていいち、1945年5月18日 - )は日本の中国哲学研究者。日本私立学校振興・共済事業団理事長(2010年~)。関西大学教授・学長(第38・39代)。専門は中国思想史、現代中国論。大阪大学博士(文学)。 | ||
同志社高等学校から大阪外国語大学への進学者 全国の大阪外国語大学の出身者 | ||
5月18日生まれの人  1945年生まれの人 |
大阪教育大学附属高等学校池田校舎の出身者
357 | 山田広昭 京都大学へ進学 | Wikipedia |
山田 広昭(やまだ ひろあき、1956年8月6日- )は日本のフランス文学研究者、東京大学総合文化研究科言語情報科学教授。 | ||
大阪教育大学附属高等学校池田校舎から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
8月6日生まれの人  1956年生まれの人 |
大阪府立清水谷高等学校の出身者
358 | 桝井寿郎 | Wikipedia |
桝井 寿郎(ますい としろう、1934年5月24日 - 2011年6月19日)は、日本文学研究者、作家、梅花短期大学名誉教授。 大阪市に生まれる。1953年清水谷高等学校卒。川端康成の指導を受ける。57年甲南大学経済学部から文学部国文科に転じ、58年卒業。朝日新聞大阪本社嘱託、淀川製鋼所、寿屋代表取締役。87年梅花短大教授、2002年定年退職。 | ||
5月24日生まれの人  1934年生まれの人 | ||
359 | 吉永孝雄 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
吉永 孝雄(よしなが たかお、1910年 - 1992年10月19日)は日本の文楽研究家、教育者。大阪府出身。 | ||
大阪府立清水谷高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
1910年生まれの人 |
360 | 清原和義 | Wikipedia未登録 |
武庫川女子大学元文学部教授、万葉集の研究者、1997年6月没 |
大阪府立高津高等学校の出身者
361 | 森三樹三郎 | Wikipedia |
森 三樹三郎(もり みきさぶろう、1909年8月14日 - 1986年8月29日)は、中国思想研究者。 | ||
8月14日生まれの人  1909年生まれの人 |
大阪府立今宮高等学校の出身者
362 | 高橋和巳 大阪市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
高橋 和巳(たかはし かずみ、1931年8月31日 - 1971年5月3日)は、日本の小説家で中国文学者。夫人は小説家の高橋たか子。中国文学者として、中国古典を現代人に語る事に努める傍ら、現代社会の様々な問題について発言し、全共闘世代の間で多くの読者を得た。左翼的な思想の持ち主ではあったが、三島由紀夫と交流するなどの人間的な幅の広さがあった。自然科学にも関心が深く、特に、相対性理論に関する造詣が深かった。 | ||
大阪府立今宮高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 大阪市の出身者 | ||
8月31日生まれの人  1931年生まれの人 |
大阪府立天王寺高等学校の出身者
363 | 澤昭裕 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
澤 昭裕(さわ あきひろ、1957年10月 - 2016年1月16日)は、日本の元行政官、研究組織マネージャー、政策分析研究者。経済産業省産業技術環境局環境政策課長、資源エネルギー庁資源燃料部政策課長、東京大学先端科学技術研究センター教授等を経て、21世紀政策研究所研究主幹、NPO法人国際環境経済研究所(IEEI、http://ieei.or.jp) 所長、キャノン・グローバル戦略研究所リサーチオーガナイザー、アジア太平洋研究所副所長などを務めた。 | ||
大阪府立天王寺高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
1957年生まれの人 | ||
364 | 広原盛明 ルビン市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
広原 盛明(ひろはら もりあき、1938年8月26日 - )は、日本の都市研究者。専攻は都市政策、住宅・都市計画学。 | ||
大阪府立天王寺高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
8月26日生まれの人  1938年生まれの人 |
大阪府立北野高等学校の出身者
365 | 阿辻哲次 京都大学へ進学 | Wikipedia |
阿辻 哲次(あつじ てつじ、1951年 - )は、日本の中国文学者・言語学者(中国語)、中国文字文化史研究者。 京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員で、2010年の常用漢字追加の選定に携わる。 | ||
大阪府立北野高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
1951年生まれの人 | ||
366 | 早石修 カリフォルニア州 大阪大学へ進学 | Wikipedia |
早石 修(はやいし おさむ、1920年1月8日 - 2015年12月17日)は、日本の医師、医学者。専門は生化学、医化学。京都大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所理事長。医学博士(1949年、大阪大学)。アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ。京都大学医学部医化学教室の主任教授として、多くの研究者を育てたことで知られる。 | ||
大阪府立北野高等学校から大阪大学への進学者 全国の大阪大学の出身者 | ||
1月8日生まれの人  1920年生まれの人 |
大阪府立大手前高等学校の出身者
367 | 佐伯とも子 姫路市 大阪大学へ進学 | Wikipedia |
佐伯 とも子(さいき ともこ、1948年2月6日 -)は、日本の知的財産実務研究者。東京工業大学名誉教授。 | ||
大阪府立大手前高等学校から大阪大学への進学者 全国の大阪大学の出身者 姫路市の出身者 | ||
2月6日生まれの人  1948年生まれの人 | ||
368 | 河田惠昭 京都大学へ進学 | Wikipedia |
河田 恵昭(かわた よしあき、1946年3月4日 - )は、日本の研究者。京都大学名誉教授、関西大学特別任命教授[4]、人と防災未来センター所長[5]。東日本大震災復興構想会議委員。正確な漢字表記は「恵」ではなく「惠」である。工学博士[6]。大阪府出身[7]。 | ||
大阪府立大手前高等学校から 京都大学への進学者 全国の 京都大学の出身者 | ||
3月4日生まれの人  1946年生まれの人 |
大阪府立堺工科高等学校の出身者
369 | 李英和 堺市 関西大学へ進学 | Wikipedia |
李 英和(리 영화、1954年(昭和29年) - )は在日朝鮮人の北朝鮮研究者。2005年(平成17年)4月1日から関西大学経済学部教授。 | ||
大阪府立堺工科高等学校から関西大学への進学者 全国の関西大学の出身者 堺市の出身者 | ||
1954年生まれの人 |
大阪府立岸和田高等学校の出身者
370 | 田川明広 岸和田市 大阪大学へ進学 | Wikipedia |
田川 明広(たがわ あきひろ、1974年 - )は、研究者。大阪府岸和田市出身。大阪府立岸和田高等学校卒業。大阪大学大学院工学研究科修士課程修了。神戸大学大学院博士課程修了。博士(学術)。論文の題は「電磁超音波を用いた配管ヘルスモニタリングセンサの研究」。 O型。 | ||
大阪府立岸和田高等学校から大阪大学への進学者 全国の大阪大学の出身者 岸和田市の出身者 | ||
1974年生まれの人 |
大阪府立和泉高等学校の出身者
371 | 坂本浩隆 | Wikipedia未登録 |
研究者(神経解剖学)、岡山大学准教授 |
大阪府立豊中高等学校の出身者
372 | 水野由多加 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
水野 由多加(みずの ゆたか、1956年 - )は、日本の広告研究者。関西大学社会学部教授。大阪市出身。 | ||
大阪府立豊中高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1956年生まれの人 | ||
373 | 大沢文夫 池田市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
大沢 文夫(おおさわ ふみお、大澤 文夫、Oosawa, Fumio、1922年12月10日 - )は、日本の生物物理学者。戦後、学問研究では異端とも思える状況の中で、物理学者の立場から生物の研究を開始した。海外の研究に依存しないで日本で独自の研究を展開し、世界的な研究をした。直接の弟子が数百人と多く、弟子以外にも多くの研究者に多大な影響を与えた。日本の生物物理学の創設・開拓・牽引者。名古屋大学名誉教授/大阪大学名誉教授。小谷正雄の直弟子。寺田寅彦の孫弟子。理学博士。作家富士正晴の義弟。 | ||
大阪府立豊中高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 池田市の出身者 | ||
12月10日生まれの人  1922年生まれの人 | ||
374 | 妹尾剛光 | Wikipedia未登録 |
関西大学名誉教授、社会思想史研究者 |
大阪府立桜塚高等学校の出身者
375 | 尾崎哲夫 豊中市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
尾崎 哲夫(おざき てつお 1953年 - )は、元大学教授、法律全般研究者、著作家。 | ||
大阪府立桜塚高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 豊中市の出身者 | ||
1953年生まれの人 |
大阪府立三島高等学校の出身者
376 | 寺田努 大阪大学へ進学 | Wikipedia |
寺田 努(てらだ つとむ、1974年5月 - )は、神戸大学大学院工学研究科准教授。博士(工学)。ウェアラブルコンピューティング、ユビキタスコンピューティングの研究者。 | ||
大阪府立三島高等学校から大阪大学への進学者 全国の大阪大学の出身者 | ||
1974年生まれの人 |
大阪府立茨木高等学校の出身者
377 | 大野裕之 京都大学へ進学 | Wikipedia |
大野 裕之(おおの ひろゆき、1974年 - )は、日本の劇作家・脚本家・映画プロデューサー・演出家・作曲家・俳優・映画研究者・振付師。 大阪府生まれ。京都大学卒、京都大学大学院修士課程修了。劇団とっても便利で脚本・演出・作曲。チャールズ・チャップリン研究者としてメディアに多く登場する。 | ||
大阪府立茨木高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
1974年生まれの人 | ||
378 | 池川志郎 東京大学へ進学 | Wikipedia |
池川 志郎(いけがわ しろう、1957年8月25日 - )は日本の医学研究者。専門は医科遺伝学、ゲノム医科学。独立行政法人理化学研究所チームリーダー。骨系統疾患コンソーシウムの中心メンバー。北海道大学、横浜市立大学医学部、香港大学、南京大学、ウェスタン・オーストラリア大学、台北医科大学客員教授。東京大学医科学研究所ゲノム診療部、愛媛大学医学部、広島大学歯学部、京都大学再生医科学研究所非常勤講師。日本人類遺伝学会評議員、東アジア人類遺伝学連合理事、日本骨代謝学会評議員。東京大学ラグビー部のOB。 | ||
大阪府立茨木高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
8月25日生まれの人  1957年生まれの人 | ||
379 | 溝上慎一 神戸大学へ進学 | Wikipedia |
溝上 慎一(みぞかみ しんいち)は日本の心理学者、高等教育研究者。専門は青年心理学(自己・アイデンティティ形成/分権的自己観/現代青年期)、高等教育と高大接続(学習と成長パラダイム/学校から仕事・社会へのトランジション(移行)/アクティブラーニング/キャリア形成)など。 | ||
大阪府立茨木高等学校から神戸大学への進学者 全国の神戸大学の出身者 |
大阪府立寝屋川高等学校の出身者
380 | 入江隆則 京都大学へ進学 | Wikipedia |
入江 隆則(いりえ たかのり、1935年9月19日 - )は、日本の文学研究者・評論家。明治大学名誉教授。専門は英米文学・比較文化論。 | ||
大阪府立寝屋川高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
9月19日生まれの人  1935年生まれの人 |
高槻高等学校の出身者
381 | 登大遊 筑波大学へ進学 | Wikipedia |
登 大遊(のぼり だいゆう、1984年11月17日 - )は、日本の実業者及び研究者、プログラマである。ソフトイーサ株式会社の設立者であり、同社の代表取締役会長を務める。筑波大学大学院システム情報工学研究科に所属。WIDEプロジェクトメンバー。 | ||
高槻高等学校から筑波大学への進学者 全国の筑波大学の出身者 | ||
11月17日生まれの人  1984年生まれの人 | ||
382 | 太田心平 大阪大学へ進学 | Wikipedia |
太田 心平(おおた しんぺい、1975年 - )は、日本の社会文化人類学者、社会文化史家、北東アジア研究者。人間文化研究機構国立民族学博物館准教授、総合研究大学院大学准教授、アメリカ自然史博物館上級研究員。 | ||
高槻高等学校から大阪大学への進学者 全国の大阪大学の出身者 | ||
1975年生まれの人 | ||
383 | 村田泰隆 ニューヨーク大学へ進学 | Wikipedia |
村田 泰隆(むらた やすたか、1947年(昭和22年)5月30日 - )は、村田製作所2代目代表取締役社長。現相談役。蝶の研究者、写真家としても知られる。 | ||
高槻高等学校からニューヨーク大学への進学者 全国のニューヨーク大学の出身者 | ||
5月30日生まれの人  1947年生まれの人 |
清教学園高等学校の出身者
384 | 辻田真佐憲 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
辻田 真佐憲(つじた まさのり、1984年- )は、日本の著述家、軍歌研究者、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科中退。 | ||
清教学園高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1984年生まれの人 |
兵庫県立神戸高等学校の出身者
385 | 松岡享子 神戸市 神戸女学院大学へ進学 | Wikipedia |
松岡 享子(まつおか きょうこ、1935年3月12日 - )は、日本の翻訳家、児童文学研究者。ビバリー・クリアリーの「ゆかいなヘンリーくんシリーズ」(学習研究社)や、マイケル・ボンドの「くまのパディントンシリーズ」(福音館書店)の翻訳で知られる。 | ||
兵庫県立神戸高等学校から神戸女学院大学への進学者 全国の神戸女学院大学の出身者 | ||
3月12日生まれの人  1935年生まれの人 | ||
386 | 高津春繁 神戸市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
高津 春繁(こうづ はるしげ、1908年1月19日 - 1973年5月4日)は、日本の言語学者、比較言語学研究者、古代ギリシア文学研究者。文学博士(東京大学)。東京大学文学部教授、武蔵大学人文学部教授、人文学部長(初代)を歴任。東京大学名誉教授。 | ||
兵庫県立神戸高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月19日生まれの人  1908年生まれの人 |
兵庫県立御影高等学校の出身者
387 | 道谷卓 関西大学へ進学 | Wikipedia |
道谷 卓(みちたに たかし、1964年(昭和39年) - )は日本の法学者・郷土史研究者。専門は刑事法学(刑事訴訟法学)。姫路獨協大学法学部長兼法学部教授。 | ||
兵庫県立御影高等学校から関西大学への進学者 全国の関西大学の出身者 | ||
1964年生まれの人 |
兵庫県立洲本高等学校の出身者
388 | 木曾好能 京都大学へ進学 | Wikipedia |
木曾 好能(きそ よしのぶ、1937年1月10日 - 1994年10月3日)は、日本の哲学研究者、元京都大学教授。 | ||
兵庫県立洲本高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
1月10日生まれの人  1937年生まれの人 | ||
389 | 中村幸彦 京都大学へ進学 | Wikipedia |
中村 幸彦(なかむら ゆきひこ、1911年7月15日 - 1998年5月7日)は、日本の近世文学研究者。 | ||
兵庫県立洲本高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
7月15日生まれの人  1911年生まれの人 | ||
390 | 奥野春雄 | Wikipedia未登録 |
生物学者、元京都工芸繊維大学教授。珪藻研究者 |
兵庫県立津名高等学校の出身者
391 | 生田勝義 大阪大学へ進学 | Wikipedia |
生田 勝義(いくた かつよし、1944年 - )は、日本の刑法学者。立命館大学名誉教授。 博士(法学)(立命館大学、2003年)(学位論文「行為原理と刑事違法論」)。京都の学者・研究者日本共産党後援会事務局長。民主主義科学者協会法律部会監事。九条の会賛同者。安全保障関連法に反対する学者の会賛同者[4]。 | ||
兵庫県立津名高等学校から大阪大学への進学者 全国の大阪大学の出身者 | ||
1944年生まれの人 |
尼崎市立尼崎高等学校の出身者
392 | 佐川眞人 徳島市 神戸大学へ進学 | Wikipedia |
佐川 眞人(さがわ まさと、1943年8月3日 - )は日本の研究者・実業家。ネオジム磁石の発明者として知られている。2016年現在はインターメタリックス株式会社最高技術顧問。大同特殊鋼顧問。眞は真の旧字であるため「佐川真人」と書かれることもある。 徳島県徳島市出身。 | ||
尼崎市立尼崎高等学校から神戸大学への進学者 全国の神戸大学の出身者 徳島市の出身者 | ||
8月3日生まれの人  1943年生まれの人 |
兵庫県立宝塚東高等学校の出身者
393 | 志岐幸子 宝塚市 関西大学へ進学 | Wikipedia |
志岐 幸子(しき ゆきこ、1969年1月15日 - )は、日本の感性工学研究者。関西大学人間健康学部教授。 | ||
兵庫県立宝塚東高等学校から関西大学への進学者 全国の関西大学の出身者 宝塚市の出身者 | ||
1月15日生まれの人  1969年生まれの人 |
兵庫県立川西明峰高等学校の出身者
394 | 武田圭史 防衛大学校へ進学 | Wikipedia |
武田 圭史(たけだ けいじ、1970年 - )は、日本の研究者。慶應義塾大学環境情報学部教授。専門分野は情報セキュリティ(侵入検知、セキュリティアーキテクチャ、ソフトウェアセキュリティ等)、ITマネジメント、情報倫理。 | ||
兵庫県立川西明峰高等学校から 防衛大学校への進学者 全国の 防衛大学校の出身者 | ||
1970年生まれの人 |
兵庫県立西脇高等学校の出身者
395 | 冨原眞弓 上智大学外へ進学 | Wikipedia |
冨原 眞弓(とみはら まゆみ、1954年1月11日 - )は、フランス哲学研究者、スウェーデン文学者、聖心女子大学教授。 | ||
兵庫県立西脇高等学校から上智大学外への進学者 全国の上智大学外の出身者 | ||
1月11日生まれの人  1954年生まれの人 |
兵庫県立赤穂高等学校の出身者
396 | 片山一良 赤穂市 駒澤大学へ進学 | Wikipedia |
片山 一良(かたやま いちろう 1942年 - )は、日本のパーリ仏教研究者。駒澤大学教授、兵庫県赤穂市曹洞宗花岳寺の住職。 | ||
兵庫県立赤穂高等学校から駒澤大学への進学者 全国の駒澤大学の出身者 赤穂市の出身者 | ||
1942年生まれの人 |
関西学院高等部の出身者
397 | 早藤貴範 関西学院大学へ進学 | Wikipedia |
早藤 貴範(はやふじ よしのり、1944年4月16日 - )は、日本の研究者、教育者。ソニー中央研究所計算物性研究部長、材料解析センター長、関西学院大学院理工学研究科教授などを歴任、同大学名誉教授。研究分野は、計算機実験・コンピュータシミュレーション・計算科学・量子材料設計学・半導体材料設計。 | ||
関西学院高等部から関西学院大学への進学者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1944年生まれの人 |
甲陽学院高等学校の出身者
398 | 吉川研一 京都大学へ進学 | Wikipedia |
吉川 研一(よしかわ けんいち、1948年7月25日 - )は、日本の工学者。日本の非線形物理学の実験的研究の第一人者の一人。近年はソフトマター物理学の実験的研究を行っている。同世代の研究者として太田隆夫、小貫明などがいる。京都大学大学院理学研究科教授を経て、2012年4月より、同志社大学生命医科学部教授。甲陽学院高等学校卒業。 | ||
甲陽学院高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
7月25日生まれの人  1948年生まれの人 |
淳心学院高等学校の出身者
399 | 青山繁晴 神戸市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
青山 繁晴(あおやま しげはる、1952年7月25日 - )は、日本の政治家、参議院議員、安全保障および国家政策研究員、作家。前独立総合研究所代表取締役社長、近畿大学経済学部総合経済政策学科客員教授(国際関係論)、東京大学教養学部非常勤講師[注 1]。夫人は水産学研究者・水産学博士で、東京海洋大学准教授、同研究所取締役自然科学部長の青山千春、長男は同研究所社長の青山大樹。現在は東京都在住。 | ||
淳心学院高等学校から 早稲田大学への進学者 全国の 早稲田大学の出身者 | ||
7月25日生まれの人  1952年生まれの人 |
灘高等学校の出身者
400 | 中島健仁 西宮市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
中島 健仁(なかしま けんじ、1955年6月8日 - 2007年7月18日)は、日本の弁護士。近畿大学法科大学院元教授。人工知能研究者である中島秀之の実弟。 | ||
灘高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
6月8日生まれの人  1955年生まれの人 | ||
401 | 林浩平 東京大学へ進学 | Wikipedia |
林浩平(はやし こうへい、1954年12月4日- )は、日本の詩人、文芸評論家、日本文学研究者。和歌山県出身。灘高等学校、東京大学法学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大学卒業後7年間をNHKにディレクターとして勤務する。恵泉女学園大学特任教授。日本近代文学会、昭和文学会、四季派学会に所属。 | ||
灘高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
12月4日生まれの人  1954年生まれの人 | ||
402 | 中島秀之 西宮市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
中島 秀之(なかしま ひでゆき、1952年11月14日 - )は日本の人工知能研究者。公立はこだて未来大学元学長。情報処理学会元副会長、フェロー。人工知能学会フェロー。元日本認知科学会会長。元産業技術総合研究所サイバーアシスト研究センター長。 | ||
灘高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月14日生まれの人  1952年生まれの人 |
六甲学院高等学校の出身者
403 | 山田康之 京都大学へ進学 | Wikipedia |
山田 康之(やまだ やすゆき、1931年10月31日 - )は、日本の農学者。京都大学名誉教授。植物分子細胞生物学の研究者である。 | ||
六甲学院高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
10月31日生まれの人  1931年生まれの人 |
小林聖心女子学院高等学校の出身者
404 | 細木郁代 北九州市 聖心女子大学へ進学 | Wikipedia |
細木 郁代(ほそき いくよ、1941年(昭和16年)5月 - )は、日本の源氏物語研究者。 福岡県北九州市小倉生まれ。福岡学芸大学附属小倉小学校、兵庫県小林聖心女子学院中等部、高等部卒業。1964年聖心女子大学文学部卒業。1971年より計7年間を、ロンドン、デュッセルドルフ、ベオグラードで過ごす。1992年より市民講座(東京都杉並区、神奈川県鎌倉市腰越など)の講師を務める。 | ||
小林聖心女子学院高等学校から聖心女子大学への進学者 全国の聖心女子大学の出身者 北九州市の出身者 | ||
1941年生まれの人 |
奈良県立西の京高等学校の出身者
405 | 森口尚史 東京医科歯科大学へ進学 | Wikipedia |
医科学研究者(知的財産法・医療統計) | ||
奈良県立西の京高等学校から東京医科歯科大学への進学者 全国の東京医科歯科大学の出身者 |
奈良県立五條高等学校の出身者
406 | 逵日出典 | Wikipedia未登録 |
歴史学者。文学博士。岐阜聖徳学園大学教授。山岳寺院史、神仏習合史研究者。 |
天理高等学校の出身者
407 | 正木嘉美 天理大学へ進学 | Wikipedia |
正木 嘉美(まさき よしみ、男性、1962年8月20日 - )は、大阪府忠岡町出身の日本の柔道家、スポーツ科学研究者。天理大学体育学部体育学科教授。 | ||
天理高等学校から天理大学への進学者 全国の天理大学の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1962年生まれの人 |
東大寺学園高等学校の出身者
408 | 川島隆 長岡京市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
川島 隆(かわしま たかし、1976年 - )は、ドイツ文学研究者。京都大学文学部准教授。プロボクサー・医師の川島実は実兄。 | ||
東大寺学園高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 長岡京市の出身者 | ||
1976年生まれの人 | ||
409 | 丹羽仁史 奈良県立医科大学へ進学 | Wikipedia |
丹羽 仁史(にわ ひとし、1964年[要出典] - )は、日本の医学者、医師。大阪府生まれ[要出典]。幹細胞生物学の研究者として知られる。 | ||
東大寺学園高等学校から奈良県立医科大学への進学者 全国の奈良県立医科大学の出身者 | ||
1964年生まれの人 |
奈良学園高等学校の出身者
410 | 鐘ヶ江幸治 筑波大学へ進学 | Wikipedia |
鐘ヶ江 幸治(かねがえ こうじ、1981年10月8日 - )は、日本の陸上競技選手、航空技術者、機械研究者。専門は長距離。 | ||
奈良学園高等学校から筑波大学への進学者 全国の筑波大学の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1981年生まれの人 | ||
411 | 久野潤 生駒市 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
久野潤(くの じゅん 1980年8月1日 - )は日本の戦記作家。戦史・艦内神社研究家。竹田研究財団理事、京都竹田研究会幹事長。 | ||
奈良学園高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
8月1日生まれの人  1980年生まれの人 |
鳥取県立米子西高等学校の出身者
412 | 花房照子 | Wikipedia未登録 |
がん研究者花房秀三郎の妻 |
鳥取県立倉吉東高等学校の出身者
413 | 松本典昭 同志社大学へ進学 | Wikipedia |
松本 典昭(まつもと のりあき、1955年 - )は、日本のイタリア史の研究者。阪南大学教授。博士(文化史学)(同志社大学)。 | ||
鳥取県立倉吉東高等学校から同志社大学への進学者 全国の同志社大学の出身者 | ||
1955年生まれの人 |
岡山県立岡山朝日高等学校の出身者
414 | 山海嘉之 筑波大学へ進学 | Wikipedia |
山海 嘉之(さんかいよしゆき、1958年 - )は、日本の工学者であり、サイバーダイン株式会社の創業者兼CEO、筑波大学教授、筑波大学サイバニクス研究センター長。日本ロボット学会理事、日本栓子検出と治療学会会長などを歴任。グローバルCOEサイバニクス国際教育研究拠点 拠点リーダー、内閣府最先端研究開発支援プログラム「健康長寿社会を支える最先端人支援技術研究プログラム」中心研究者 (サイバニクス研究コア/Center for Cybernics Research 統括)、内閣府 革新的研究開発推進プログラムImPACT プログラム プログラムマネージャ。工学博士(筑波大学、1987年)。 | ||
岡山県立岡山朝日高等学校から筑波大学への進学者 全国の筑波大学の出身者 | ||
1958年生まれの人 | ||
415 | 菅滋正 岡山市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
菅 滋正(すが しげまさ、1945年 - )は、日本の固体物理学の研究者である。大阪大学名誉教授。専門は放射光、高エネルギー分光、光電子分光、ナノ磁性。35年間にわたり日独の国際共同研究を推進した。岡山県岡山市出身。 | ||
岡山県立岡山朝日高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 岡山市の出身者 | ||
1945年生まれの人 |
岡山県立津山高等学校の出身者
416 | 松野弘 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
松野 弘(まつの ひろし、1947年 - )は、日本の環境社会学者、エコロジスト、千葉商科大学教授。専攻は環境思想論/環境社会論、産業思想論/産業社会論等。 | ||
岡山県立津山高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1947年生まれの人 | ||
417 | 川村多実二 津山市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
川村 多実二(かわむら たみじ、1883年5月4日 - 1964年12月16日[† 1])は日本の動物学者。岡山県津山市出身。河川・湖沼をふくむ淡水域の生物学を創始。動物生態学や動物心理学などが研究の中心で、多くの研究者を育成したが、一般には鳥類の研究でより知られている。日本野鳥の会京都支部初代支部長でもあり、京都大学総合博物館や大阪市立自然史博物館には、川村が収集した日本周辺産と北米産の鳥類コレクションなどが所蔵されている。実兄は植物学者(キノコが中心)の川村清一。実弟は生理学者の福田邦三。 | ||
岡山県立津山高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 津山市の出身者 | ||
5月4日生まれの人  1883年生まれの人 | ||
418 | 菊池謙二郎 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
菊池 謙二郎(きくち けんじろう、1867年2月23日(慶応3年1月19日) - 1945年(昭和20年)2月3日)は、日本の教育者、歴史研究者。号は仙湖。正岡子規、秋山真之、夏目漱石らとの交友、藤田東湖を中心とした水戸学の研究で知られ、衆議院議員も務めた。 | ||
岡山県立津山高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
2月23日生まれの人  1867年生まれの人 |
金光学園高等学校の出身者
419 | 田中勝 関西学院大学へ進学 | Wikipedia |
田中 勝(たなか まさる、1941年11月6日 - )は、日本の環境学者。公立鳥取環境大学客員教授、岡山大学名誉教授。通称は『ごみ博士』。廃棄物の研究者として世界的に知られる。 | ||
金光学園高等学校から関西学院大学への進学者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
11月6日生まれの人  1941年生まれの人 |
広島大学附属高等学校の出身者
420 | 瀬川裕司 | Wikipedia |
瀬川 裕司(せがわ ゆうじ、1957年6月 - )は、ドイツ文学者、映画研究者、映画批評家、明治大学教授。 | ||
1957年生まれの人 | ||
421 | 橋川文三 仁保島 | Wikipedia |
橋川 文三(はしかわ ぶんそう/ぶんぞう、1922年1月1日 - 1983年12月17日)は、日本の政治学研究者、政治思想史研究者、評論家。明治大学政治経済学部教授を務めた。名は「ぶんそう」「ぶんぞう」双方の読みがある。 | ||
1月1日生まれの人  1922年生まれの人 | ||
422 | 島田虔次 三次市 京都帝国大学へ進学 | Wikipedia |
島田 虔次(しまだ けんじ、1917年(大正6年)8月12日 - 2000年(平成12年)3月21日)は、日本の東洋史学者、京都大学名誉教授。1997年(平成9年)から日本学士院会員。1940年代から中国近世・近代思想史の研究を続け、その後の日本の中国近世・近代思想史研究を牽引した研究者である。 | ||
広島大学附属高等学校から京都帝国大学への進学者 全国の京都帝国大学の出身者 三次市の出身者 | ||
8月12日生まれの人  1917年生まれの人 |
広島大学附属福山高等学校の出身者
423 | 桑原真夫 北海道大学へ進学 | Wikipedia |
桑原真夫(くわばら まさお、1947年3月- )は、日本の詩人、スペイン・ガリシア文学研究者、翻訳家。本名・中西省三。広島県鞆の浦生まれ。北海道大学経済学部卒。三井銀行に入行後、ブリュッセル、マドリッド、ロンドン等ヨーロッパに約14年駐在。所属:日本イスパニア学会、スペイン史学会、日本観光研究学会、京都セルバンテス懇話会。 | ||
広島大学附属福山高等学校から北海道大学への進学者 全国の北海道大学の出身者 | ||
1947年生まれの人 | ||
424 | 森田稔 瀋陽市 東京外国語大学へ進学 | Wikipedia |
森田 稔(もりた みのる、1935年6月19日 - )は、日本のロシア音楽研究者、宮城教育大学名誉教授。 | ||
広島大学附属福山高等学校から東京外国語大学への進学者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
6月19日生まれの人  1935年生まれの人 | ||
425 | 小西大 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
小西 大(こにし まさる)は、日本の商学研究者。一橋大学教授。 | ||
広島大学附属福山高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 |
広島県立広島国泰寺高等学校の出身者
426 | 岡村俊民 北海道大学へ進学 | Wikipedia |
岡村俊民(おかむら としたみ、1916年(大正5年)- )は、日本の農学者。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。元北海道拓殖短期大学学長。広島県出身。 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校から北海道大学への進学者 全国の北海道大学の出身者 | ||
1916年生まれの人 |
広島県立広島皆実高等学校の出身者
427 | 大久保雅章 東京工業大学へ進学 | Wikipedia |
大久保 雅章(おおくぼ まさあき、1961年 - )は日本におけるプラズマによる環境保全学研究者の1人である。広島県出身。大阪府立大学教授。 | ||
広島県立広島皆実高等学校から東京工業大学への進学者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
1961年生まれの人 |
広島県立尾道北高等学校の出身者
428 | 藤原宰太郎 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
藤原 宰太郎(ふじわら さいたろう、1932年 - )は、日本の小説家、推理作家・研究者。広島県尾道市出身。本名宰(おさむ)。広島県立尾道北高等学校~早稲田大学ロシア文学科卒業。推理研究家として多くの著作を刊行、他にも様々な活躍を続けている。 | ||
広島県立尾道北高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1932年生まれの人 |
広島県立三次高等学校の出身者
429 | 島田虔次 三次市 京都帝国大学へ進学 | Wikipedia |
島田 虔次(しまだ けんじ、1917年(大正6年)8月12日 - 2000年(平成12年)3月21日)は、日本の東洋史学者、京都大学名誉教授。1997年(平成9年)から日本学士院会員。1940年代から中国近世・近代思想史の研究を続け、その後の日本の中国近世・近代思想史研究を牽引した研究者である。 | ||
広島県立三次高等学校から京都帝国大学への進学者 全国の京都帝国大学の出身者 三次市の出身者 | ||
8月12日生まれの人  1917年生まれの人 |
広島学院高等学校の出身者
430 | 青山圭秀 福山市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
青山 圭秀(あおやま まさひで、1959年2月12日 - )は、日本の作家、インド医学(アーユルヴェーダ)研究者。広島県福山市出身。 | ||
広島学院高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 福山市の出身者 | ||
2月12日生まれの人  1959年生まれの人 | ||
431 | 稲賀繁美 東京大学へ進学 | Wikipedia |
稲賀 繁美(いなが しげみ、1957年1月26日 - )は、日本の美術研究者、比較文化学者。男性。国際日本文化研究センター教授・副所長。父は平安文学研究者で広島大学教授だった稲賀敬二。 | ||
広島学院高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月26日生まれの人  1957年生まれの人 |
修道高等学校の出身者
432 | 古米弘明 | Wikipedia |
古米 弘明(ふるまい ひろあき、1956年(昭和31年) - )は、東京大学教授、都市工学、水環境学研究者。 | ||
1956年生まれの人 | ||
433 | 中川純男 | Wikipedia |
中川純男(なかがわ すみお、1948年―2010年4月9日)は、日本の哲学研究者。 | ||
1948年生まれの人 | ||
434 | 米重文樹 | Wikipedia |
米重 文樹(よねしげ ふみき、1942年2月27日 - )は、東京大学名誉教授、スラブ語学・スラブ文学研究者。 | ||
2月27日生まれの人  1942年生まれの人 | ||
435 | 影本浩 | Wikipedia |
影本 浩(かげもと ひろし、生年不明 - )は、東京大学名誉教授。海洋工学、環境学研究者。 |
安田学園安田女子高等学校の出身者
436 | 三戸サツヱ | Wikipedia |
三戸サツヱ(みとさつえ、1914年4月21日 - 2012年4月7日)は教師、研究者。小学校、中学校の教員をしながら、1948年から始まった京都大学の宮崎県串間市幸島(発音は本により、コウシマと、コージマがある)のサルの研究に加勢した。三戸はサル全数の個体識別を行い、戸籍を作り、サルがイモを洗って食べる習慣の発生と伝達など発見し、サル学の発展に貢献した。1970年から1984年にかけて、京都大学霊長類研究所研究員になった。著書の名義では三戸サツエの表記も使われる。 | ||
4月21日生まれの人  1914年生まれの人 |
山口県立柳井高等学校の出身者
437 | 米田雅子 柳井市 お茶の水女子大学へ進学 | Wikipedia |
米田 雅子(よねだ まさこ、1956年3月12日- )は、日本の建設業・農林業・防災・減災・地方再生の研究者。日本学術会議会員、慶應義塾大学理工学部特任教授、元内閣府規制改革会議委員。 | ||
山口県立柳井高等学校からお茶の水女子大学への進学者 全国のお茶の水女子大学の出身者 柳井市の出身者 | ||
3月12日生まれの人  1956年生まれの人 |
山口県立徳山高等学校の出身者
438 | 田中彰 墨田区 法政大学へ進学 | Wikipedia |
田中 彰(たなか あきら、1928年3月20日 - 2011年11月9日)は、日本の歴史学者。北海道大学名誉教授。専門は、日本近代史。 | ||
山口県立徳山高等学校から法政大学への進学者 全国の法政大学の出身者 墨田区の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1928年生まれの人 | ||
439 | 手塚英孝 光市 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
手塚 英孝(てづか ひでたか、1906年12月15日 - 1981年12月1日)は、日本の文学研究者、作家である。 | ||
山口県立徳山高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 光市の出身者 | ||
12月15日生まれの人  1906年生まれの人 |
440 | 田村實造 | Wikipedia |
田村 実造(たむら じつぞう、1904年5月25日 - 1999年2月24日)は、東洋史学者、京都大学名誉教授、元京都女子大学学長。 | ||
5月25日生まれの人  1904年生まれの人 |
山口県立宇部高等学校の出身者
441 | 福江純 宇部市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
福江 純(ふくえ じゅん、1956年2月3日 - )は、日本の天文学者。大阪教育大学教授。専門は相対論的宇宙流体力学。理学博士。山口県宇部市出身。学部生・院生時代は加藤正二に師事した。息子も天文学・宇宙物理学研究者の福江翼。 | ||
山口県立宇部高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 宇部市の出身者 | ||
2月3日生まれの人  1956年生まれの人 | ||
442 | 新家増美 宇部市 大阪教育大学へ進学 | Wikipedia |
新家 増美(しんや ますみ )は、中華人民共和国在住の日本人学者。中国国内の住宅保障、災害リスク管理ソーシャルワーク研究者の第一世代。山口県宇部市生まれ。 | ||
山口県立宇部高等学校から大阪教育大学への進学者 全国の大阪教育大学の出身者 宇部市の出身者 |
山口県立下関西高等学校の出身者
443 | 大庭昭彦 下関市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
大庭 昭彦(おおば あきひこ)は、山口県下関市生まれの日本の研究者(金融工学)。 | ||
山口県立下関西高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 下関市の出身者 |
山口県立豊浦高等学校の出身者
444 | 杉山崇 学習院大学へ進学 | Wikipedia |
杉山 崇(すぎやま たかし、1970年 - )は、日本の心理学研究者、臨床心理士。 | ||
山口県立豊浦高等学校から学習院大学への進学者 全国の学習院大学の出身者 | ||
1970年生まれの人 |
徳島県立城南高等学校の出身者
445 | 井上義夫 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
井上 義夫(いのうえ よしお、1946年9月 - )は、日本の文芸評論家、イギリス文学研究者、一橋大学名誉教授。和辻哲郎文化賞受賞。 | ||
徳島県立城南高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
1946年生まれの人 | ||
446 | 岡芳明 東京大学へ進学 | Wikipedia |
岡 芳明(おか よしあき、1946年(昭和21年) - )は日本の原子力工学を専門とする工学博士である。研究者の育成、原子力エネルギー利用促進の広報活動も担った [4]。通産省原子力発電技術顧問、内閣府原子力安全技術顧問を多年にわたり務め、米国原子力学会(英語版)理事、国際原子力学会協会理事、日本原子力学会会長を歴任した。東京大学名誉教授。内閣府原子力委員会委員長。 | ||
徳島県立城南高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1946年生まれの人 |
香川県立三本松高等学校の出身者
447 | 鈴木清太郎 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
鈴木 清太郎(すずき せいたろう、1886年(明治19年)3月10日 - 1977年(昭和52年)3月3日)は、日本の物理学者。農業気象の研究者。 | ||
香川県立三本松高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
3月10日生まれの人  1886年生まれの人 |
香川県立高松西高等学校の出身者
448 | 吉田誠 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
吉田 誠(よしだ まこと、1964年 - )は、労働問題に関する研究者。立命館大学教授。博士(経営学・明治大学、2008年)。専門は産業・労働社会学。人事労務管理や労使関係、東京大田区の町工場などに関する論文を著している。2007年には全日本自動車産業労働組合(全自)の賃金政策を研究した著書によって、第4回日本労働社会学会奨励賞を受賞した。香川県出身。趣味はキノコ狩りで、キノコ図鑑を常に持ち歩く。また大の日本酒好きである。 | ||
香川県立高松西高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
1964年生まれの人 |
香川県立丸亀高等学校の出身者
449 | 聖真一郎 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
聖 真一郎(ひじり しんいちろう)は、日本のプロフェッショナル翻訳家、通訳者、アマチュア・アスリート、ジャーナリスト、自然科学とりわけ素粒子論と宇宙論の研究者、一般社団法人科学技術翻訳通訳・科学研究国際機構理事長、存命人物。 | ||
香川県立丸亀高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 |
香川県立観音寺第一高等学校の出身者
450 | 山内祥史 観音寺市 関西学院大学へ進学 | Wikipedia |
山内祥史(やまのうち しょうし、1932年6月19日 - 2017年4月3日 )は、日本の近代文学研究者。専門は太宰治の書誌研究。 元神戸女学院大学学長、神戸海星女子学院大学学長。神戸女学院大学・神戸海星女子学院大学名誉教授。 | ||
香川県立観音寺第一高等学校から関西学院大学への進学者 全国の関西学院大学の出身者 観音寺市の出身者 | ||
6月19日生まれの人  1932年生まれの人 |
香川県大手前高等学校の出身者
451 | 倉山満 中央大学へ進学 | Wikipedia |
倉山 満(くらやま みつる、1973年〈昭和48年〉12月18日 - )は、日本の歴史評論家、作家である。 | ||
香川県大手前高等学校から 中央大学への進学者 全国の 中央大学の出身者 | ||
12月18日生まれの人  1973年生まれの人 |
愛媛県立新居浜西高等学校の出身者
452 | 幾島賢治 東京電機大学へ進学 | Wikipedia |
幾島 賢治(いくしま けんじ、1950年 - )は、工学博士、燃料からの水銀除去、水素エネルギー、家庭用燃料電池およびGas to Liquid 燃料の研究者。国際石油交流センター参事、愛媛大学客員教授、今治コミュニティ放送「明日のエコより、今日のエコ」のラジオパーソナリティ。放送作家。愛媛県出身。 | ||
愛媛県立新居浜西高等学校から東京電機大学への進学者 全国の東京電機大学の出身者 | ||
1950年生まれの人 |
愛媛県立今治西高等学校の出身者
453 | 菊川智文 今治市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
菊川 智文(きくがわ ともふみ、1956年 - )は愛媛県今治市出身、イギリス・ロンドン在住の英国政治研究者。 | ||
愛媛県立今治西高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 今治市の出身者 | ||
1956年生まれの人 |
愛媛県立松山東高等学校の出身者
454 | 水谷尚子 日本女子大学へ進学 | Wikipedia |
水谷 尚子(みずたに なおこ、1966年 - )は、日本の中国現代史研究者。中央大学、麗澤大学等非常勤講師。近現代日中関係史・現代中国史を専門とする。 | ||
愛媛県立松山東高等学校から日本女子大学への進学者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
1966年生まれの人 | ||
455 | 久米雅雄 | Wikipedia |
久米雅雄(KUME MASAO、1948年2月7日-)は日本の考古学者・歴史研究者。アジア印章学、東洋文字学、美術工芸、貨幣学、キリシタン考古学などの分野で研究業績を重ねる。大阪府教育委員会文化財保護課主査を経て、現在、大阪芸術大学客員教授(Ph.D. 博士〔文学〕:立命館大学)。公益財団法人名勝依水園・寧楽美術館評議員。錫安印章文化研究所主宰。中国杭州西泠印社名誉社員。 | ||
2月7日生まれの人  1948年生まれの人 | ||
456 | 小川尚義 | Wikipedia |
小川 尚義(おがわ なおよし、明治2年2月9日(1869年3月21日) - 昭和22年(1947年)11月20日)は明治から昭和前期の言語学者、台湾語と台湾諸語研究者、辞書編纂者。台北帝国大学名誉教授。 | ||
2月9日生まれの人  1869年生まれの人 |
愛媛県立川之石高等学校の出身者
457 | 坪内稔典 立命館大学へ進学 | Wikipedia |
坪内 稔典(つぼうち としのり、俳号ではねんてん、1944年4月22日 - )は、日本の俳人。京都教育大学名誉教授。「船団の会」代表。研究者としての専門は日本近代文学で、特に正岡子規に関する著作・論考が多い。 | ||
愛媛県立川之石高等学校から立命館大学への進学者 全国の立命館大学の出身者 | ||
4月22日生まれの人  1944年生まれの人 |
愛光高等学校の出身者
458 | 奥平俊六 東京大学へ進学 | Wikipedia |
奥平 俊六(おくだいら しゅんろく、1953年 - )は、日本美術の研究者、大阪大学教授。日本・東洋美術史専攻。 | ||
愛光高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1953年生まれの人 |
高知県立高知追手前高等学校の出身者
459 | 今道友信 東京大学へ進学 | Wikipedia |
今道 友信(いまみち とものぶ、1922年11月19日 - 2012年10月13日)は、日本の美学者・中世哲学研究者である。東京大学名誉教授、国際形而上学会会長、国際美学会終身委員兼名誉会長、国際エコエティカ学会名誉会長。元哲学美学比較研究国際センター所長。日本美容専門学校校長。日本アスペン研究所特別顧問。離婚歴があり、ギタリストで元BARBEE BOYSのメンバー・いまみちともたか、ピアニストの川口信子は実子。現在の妻、ドイツ人のクリスティネとの間には、ドイツ在住の今道友紀子とニューヨーク市立大学で心理学を助教授として教える、今道友昭がいる。 | ||
高知県立高知追手前高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月19日生まれの人  1922年生まれの人 |
460 | 片山敏彦 東京大学へ進学 | Wikipedia |
片山 敏彦(かたやま としひこ、1898年(明治31年)11月5日 - 1961年(昭和36年)10月11日)は、詩人、文学研究者、ドイツ文学者、フランス文学者。ロマン・ロラン、ヘッセ、リルケ、ハイネ、ゲーテらの翻訳も多く、『著作集』全10巻がある。 | ||
高知県立高知追手前高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月5日生まれの人  1898年生まれの人 | ||
461 | 山本忠興 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
山本 忠興(やまもと ただおき、1881年6月25日 - 1951年4月21日)は、日本の電気工学者、発明家、教育者。 | ||
高知県立高知追手前高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
6月25日生まれの人  1881年生まれの人 |
福岡県立育徳館高等学校の出身者
462 | 水野葉舟 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
水野 葉舟(みずの ようしゅう、1883年4月9日 - 1947年2月2日)は日本の詩人、歌人、小説家、心霊現象研究者。東京生まれ、本名は盈太郎(みちたろう)。 | ||
福岡県立育徳館高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月9日生まれの人  1883年生まれの人 |
福岡県立東筑高等学校の出身者
463 | 桑野幸徳 熊本大学へ進学 | Wikipedia |
桑野 幸徳(くわの ゆきのり、1941年-)は、日本の太陽電池研究者である。三洋電機代表取締役社長を経て、太陽光発電技術研究組合理事長、大阪電気通信大学理事等を兼任。集積型アモルファスシリコン太陽電池を世界で初めて工業化させた。受賞歴および著書多数。 | ||
福岡県立東筑高等学校から熊本大学への進学者 全国の熊本大学の出身者 | ||
1941年生まれの人 |
福岡県立修猷館高等学校の出身者
464 | 佐藤和哉 | Wikipedia |
佐藤 和哉(さとう かずや、1965年 - )はイギリス文化研究者。日本女子大学教授。東京大学教養学部助手、東京外国語大学専任講師を経て現職。東京大学学術修士、オクスフォード大学社会経済史修士(MSc)。東京大学在学中に行方昭夫、山内久明に師事。平野敬一に私淑してマザー・グース研究を始めるが、マザー・グースが編纂され始めた18世紀に関心を抱き、以後18世紀の児童書と民衆文化について研究する。 | ||
1965年生まれの人 | ||
465 | 菅聡子 | Wikipedia |
菅 聡子(かん さとこ、1962年8月 - 2011年5月14日)は、日本近代文学研究者、お茶の水女子大学教授、文芸評論家。 | ||
1962年生まれの人 | ||
466 | 北川源四郎 東京大学へ進学 | Wikipedia |
北川 源四郎(きたがわ げんしろう、1948年5月6日 - )は、日本の数理統計学者。前統計数理研究所長。情報・システム研究機構長。時系列解析の先導的研究者。逐次モンテカルロ法を考案し、1996年に発表。 | ||
福岡県立修猷館高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月6日生まれの人  1948年生まれの人 | ||
467 | 松田博 法政大学へ進学 | Wikipedia |
松田 博(まつだ ひろし、1942年(昭和17年)12月27日 - )は、日本の社会思想史学者、グラムシ研究者、立命館大学名誉教授。専攻、社会思想史、イタリア近代思想史。国際グラムシ学会会員。 | ||
福岡県立修猷館高等学校から法政大学への進学者 全国の法政大学の出身者 | ||
12月27日生まれの人  1942年生まれの人 | ||
468 | 柴垣和夫 | Wikipedia |
柴垣 和夫(しばがき かずお、1934年1月21日 - )は、日本の経済学者・マルクス経済学研究者。東京大学名誉教授、武蔵大学名誉教授。 | ||
1月21日生まれの人  1934年生まれの人 | ||
469 | 白石悌三 福岡市 | Wikipedia |
白石 悌三(しらいし ていぞう、1932年12月20日 - 1999年7月5日)は、近世文学研究者、福岡大学名誉教授。 | ||
福岡市の出身者 | ||
12月20日生まれの人  1932年生まれの人 | ||
470 | 元木健 | Wikipedia |
元木 健(もとき けん、1930年3月31日 - )は、日本の教育学者、同和教育研究者、大阪大学名誉教授。 | ||
3月31日生まれの人  1930年生まれの人 | ||
471 | 重松泰雄 | Wikipedia |
重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年6月19日)は、日本の日本近代文学研究者。 | ||
1月6日生まれの人  1923年生まれの人 | ||
472 | 八波則吉 | Wikipedia |
八波 則吉(やつなみ のりきち、1875年3月1日 - 1953年12月7日)は、日本の日本文学研究者、国語教育学者、作詞家。旧制第四高等学校教授、旧制第五高等学校名誉教授。 | ||
3月1日生まれの人  1875年生まれの人 | ||
473 | 村田勝幸 | Wikipedia未登録 |
アメリカ史研究者北海道大学大学院文学研究科教授 | ||
474 | 水崎博明 | Wikipedia未登録 |
ギリシャ哲学研究者福岡大学名誉教授 | ||
475 | 井浦芳信 | Wikipedia未登録 |
日本近世文学者演劇史研究者東京大学名誉教授昭和女子大学名誉教授 |
福岡県立嘉穂高等学校の出身者
476 | 吉村和真 立命館大学へ進学 | Wikipedia |
吉村和真(よしむら かずま、1971年 - )は、漫画研究者。京都精華大学副学長、マンガ学部教授。日本マンガ学会理事・事務局員。京都国際マンガミュージアム研究員・研究センター長。専攻は思想史・漫画研究。 | ||
福岡県立嘉穂高等学校から立命館大学への進学者 全国の立命館大学の出身者 | ||
1971年生まれの人 | ||
477 | 鳥越信 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
鳥越 信(とりごえ しん、1929年12月4日 - 2013年2月14日)は、日本の児童文学研究者、児童文学者。 | ||
福岡県立嘉穂高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
12月4日生まれの人  1929年生まれの人 |
久留米大学附設高等学校の出身者
478 | 中野三敏 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
中野 三敏(なかの みつとし、1935年(昭和10年)11月24日 - )は、日本の日本文学研究者。江戸から明治期の近世文学を中心に研究。九州大学名誉教授(元文学部長)。 | ||
久留米大学附設高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
11月24日生まれの人  1935年生まれの人 |
佐賀県立武雄高等学校の出身者
479 | 松尾亜紀子 名古屋大学へ進学 | Wikipedia |
松尾 亜紀子(まつお あきこ、1964年 - )は、日本の工学者(博士(工学))。慶應義塾大学教授。専門は、数値流体力学、デトネーション研究。デトネーション研究の世界的な研究者。 | ||
佐賀県立武雄高等学校から名古屋大学への進学者 全国の名古屋大学の出身者 | ||
1964年生まれの人 |
長崎県立長崎西高等学校の出身者
480 | 山口祐弘 東京大学へ進学 | Wikipedia |
山口 祐弘(やまぐち まさひろ、1944年 - )は、日本の哲学研究者。 | ||
長崎県立長崎西高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1944年生まれの人 |
長崎県立佐世保北高等学校の出身者
481 | 岩永勝 京都大学へ進学 | Wikipedia |
岩永 勝(いわなが まさる、1951年(昭和26年8月 - )は、日本の研究者。専門は植物遺伝育種学および国際開発論。独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構作物研究所所長。2002年から2008年まではCIMMYT(国際トウモロコシ・コムギ改良センター、メキシコ・テクスココ)にてアジア人初の所長を務めた。長崎県出身。 | ||
長崎県立佐世保北高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
1951年生まれの人 |
熊本県立熊本高等学校の出身者
482 | 根占献一 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
根占 献一(ねじめ けんいち、1949年 - )は、日本のルネサンス文化史・思想史研究者。 | ||
熊本県立熊本高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1949年生まれの人 | ||
483 | 相田洋 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日本の中国研究者、福岡教育大学名誉教授。 | ||
熊本県立熊本高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
5月16日生まれの人  1941年生まれの人 | ||
484 | 北御門二郎 湯前町 | Wikipedia |
北御門 二郎(きたみかど じろう、1913年2月16日 - 2004年7月17日)は日本のレフ・トルストイ専門の翻訳家・文学研究者、農場経営者、平和主義者。トルストイの平和思想に共鳴し、農業を営みながら彼の作品を翻訳した。良心的兵役拒否をしたことでも知られる。 | ||
湯前町の出身者 | ||
2月16日生まれの人  1913年生まれの人 |
熊本県立熊本農業高等学校の出身者
485 | 松田喜一 下益城郡豊川村(現・宇城市松橋町) | Wikipedia |
松田 喜一(まつだ きいち、1887年(明治20年)12月1日 - 1968年(昭和43年)7月30日)は熊本県出身の日本の農業研究者・教育者・著述家である。農業試験場技師時代に松田式麦作法を考案するなど、革新的な食料増産技術の発展に貢献。 自ら日本初の民間農業実習所を開き48年間に亘り生徒を受け入れ後進育成に献身するなど、明治から昭和にかけて日本の農業発展に貢献した。また、全国各地に赴き講演を開き農業技術・精神の普及に尽くした。実習所で直接教育を受けた生徒は約三千六百名、講演で講習を受けた者は延べ約四万名に及ぶ。その傍ら雑誌『農友』を自ら執筆、50年間に亘り刊行し、その他50冊におよぶ著書も執筆した。『農友』は毎号皇室にも届けられ、昭和天皇の巡幸、各皇族の視察を受けた。藍綬褒章・勲四等瑞宝章受章、従五位。「昭和の農聖」と謳われた。 | ||
下益城郡豊川村(現・宇城市松橋町)の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1887年生まれの人 |
大分県立臼杵高等学校の出身者
486 | 野上豊一郎 臼杵市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
野上豊一郎(のがみ とよいちろう、1883年9月14日 - 1950年2月23日)は、日本の英文学者、能楽研究者。臼川(きゅうせん)と号する。法政大学総長を務め、能研究の発展にも多大な寄与をした。 | ||
大分県立臼杵高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 臼杵市の出身者 | ||
9月14日生まれの人  1883年生まれの人 |
宮崎県立宮崎大宮高等学校の出身者
487 | 松野良一 宇土市 九州大学へ進学 | Wikipedia |
松野 良一(まつの りょういち、1956年 - )は、日本のメディア研究者、ジャーナリスト。専門は、メディア論、ジャーナリズム論。中央大学教授。2013年11月から中央大学総合政策学部 学部長。 | ||
宮崎県立宮崎大宮高等学校から九州大学への進学者 全国の九州大学の出身者 宇土市の出身者 | ||
1956年生まれの人 |
鹿児島県立甲南高等学校の出身者
488 | 岩重慶一 東京海洋大学へ進学 | Wikipedia |
岩重 慶一(いわしげ けいいち、1947年 - )は、日本の社会運動家。NGOのHAB21イルカ研究会を設立し、代表を務める。メコン川イルカ保護と地域振興における海洋政策研究、イルカと人間の心の成長を科学する(イルカセラピー)研究者。東京海洋大学研究者学者、西南学院大学研究者。鹿児島県出身。 | ||
鹿児島県立甲南高等学校から東京海洋大学への進学者 全国の東京海洋大学の出身者 | ||
1947年生まれの人 |
鹿児島県立加治木高等学校の出身者
489 | 上脇博之 霧島市 神戸大学へ進学 | Wikipedia |
上脇 博之(かみわき ひろし、1958年7月25日 - )は、日本の法学者(憲法学・政党国家論・国民代表論・政治資金問題)。学位は博士(法学)(神戸大学・2000年)。神戸学院大学法学部教授。 | ||
鹿児島県立加治木高等学校から神戸大学への進学者 全国の神戸大学の出身者 | ||
7月25日生まれの人  1958年生まれの人 |
鹿児島県立志布志高等学校の出身者
490 | 福田晴夫 | Wikipedia未登録 |
蝶類研究者、元鹿児島県立博物館長、元鹿児島県立志布志高等学校長 |
沖縄県立首里高等学校の出身者
491 | 真境名安興 桃原村 | Wikipedia |
真境名 安興(まじきな あんこう、同治14年4月15日(1875年5月20日) - 1933年(昭和8年)12月28日)は、ジャーナリスト、歴史学者、沖縄学の研究者。伊波普猷、東恩納寛惇とともに、戦前の沖縄学における「御三家」と呼ばれる。著書に「沖縄一千年史」など。。 | ||
桃原村の出身者 | ||
4月15日生まれの人  1875年生まれの人 |
沖縄県立那覇高等学校の出身者
492 | 勝方恵子 早稲田大学文へ進学 | Wikipedia |
勝方 恵子(かつかた けいこ、1947年 - )は、日本の教育者、沖縄学研究者、早稲田大学国際教養学部教授、早稲田大学 琉球・沖縄研究所所長。沖縄県具志川市(現うるま市)生まれ。第24回沖縄文化協会賞(仲原善忠賞)受賞(2002年)。 アメリカ文学の研究から出発し、ジェンダー論研究、エスニシティ論研究、沖縄学研究を行う。 | ||
沖縄県立那覇高等学校から早稲田大学文への進学者 全国の早稲田大学文の出身者 | ||
1947年生まれの人 |