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このサイトに登録されている出身高校別有名人の「画家」という職業の有名人の数:1,312人
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北海道札幌西高等学校の出身者
1 | 松平修文 北見市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 - )は、画家、美術評論家、歌人。歌人の王紅花は妻。 | ||
北海道札幌西高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 北見市の出身者 | ||
12月21日生まれの人  1945年生まれの人 | ||
2 | 坂本直行 北海道大学へ進学 | Wikipedia |
坂本 直行(さかもと なおゆき、1906年(明治39年)7月26日 - 1982年(昭和57年)5月2日)は北海道出身の画家。北海道開拓民。郷士坂本家八代目当主。「直行」を有職読みした「ちょっこう」で知られる。 | ||
北海道札幌西高等学校から北海道大学への進学者 全国の北海道大学の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1906年生まれの人 |
北海道札幌南高等学校の出身者
3 | 三岸好太郎 札幌市 | Wikipedia |
三岸 好太郎(みぎし こうたろう、1903年4月18日 - 1934年7月1日)は、日本の洋画家である。戦前のモダニズムを代表する洋画家の1人。同じ洋画家の三岸節子(旧姓・吉田)は妻。作家の子母沢寛は三岸の異父兄にあたる。 | ||
札幌市の出身者 | ||
4月18日生まれの人  1903年生まれの人 | ||
4 | 平沢貞通 小樽市 | Wikipedia |
平沢 貞通(ひらさわ さだみち、1892年(明治25年)2月18日 - 1987年(昭和62年)5月10日)は、日本のテンペラ画家。北海道小樽市出身(東京府生まれ)。雅号は大暲(たいしょう)、後に光彩(こうさい)。 | ||
小樽市の出身者 | ||
2月18日生まれの人  1892年生まれの人 | ||
5 | 長谷川昇 会津若松市 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
長谷川 昇(はせがわ のぼる、1886年5月11日 - 1973年8月26日)は、日本の洋画家、日本芸術院会員。 | ||
北海道札幌南高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 会津若松市の出身者 | ||
5月11日生まれの人  1886年生まれの人 |
北海道札幌北高等学校の出身者
6 | 福井爽人 旭川市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
福井 爽人 (ふくい さわと、1937年9月20日 - )は、北海道旭川市生まれ、小樽市育ちの日本画家。 | ||
北海道札幌北高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 旭川市の出身者 | ||
9月20日生まれの人  1937年生まれの人 | ||
7 | 片岡球子 札幌市 女子美術大学へ進学 | Wikipedia |
片岡 球子(かたおか たまこ、1905年(明治38年)1月5日 - 2008年(平成20年)1月16日)は、昭和・平成時代に活躍した日本画家である。日本芸術院会員・文化功労者・文化勲章受章者。北海道札幌市出身。 | ||
北海道札幌北高等学校から女子美術大学への進学者 全国の女子美術大学の出身者 札幌市の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1905年生まれの人 | ||
8 | 小川マリ | Wikipedia |
小川 マリ(おがわ まり、1901年10月13日 - 2006年5月8日)は、日本の洋画家。本名、三雲 マリ。三雲祥之助は夫にあたる。 兄は北海道開発局二代目局長を務めた小川譲二。父は北海道で最初の百貨店である五番館を設立した小川二郎。 | ||
10月13日生まれの人  1901年生まれの人 |
北海道札幌工業高等学校の出身者
9 | 菊地日出男 北海学園大学へ進学 | Wikipedia |
菊地 日出男(きくち ひでお、1934年 - )は、北海道を中心に活動する写真家、画家、実業家。北海道江別市出身。 | ||
北海道札幌工業高等学校から北海学園大学への進学者 全国の北海学園大学の出身者 | ||
1934年生まれの人 |
北海道札幌東高等学校の出身者
10 | 花田和治 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
花田 和治(はなだ かずはる、1946年 - )は、日本の抽象画家。北海道出身。北海道札幌東高等学校、東京芸術大学油画科卒業、同大学院修了。明快な色彩とシンプルな構図を特徴とした作品で知られる。元ノルディック複合五輪金メダリストで現参議院議員荻原健司の岳父。 | ||
北海道札幌東高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
1946年生まれの人 | ||
11 | 豊島輝彦 北海道教育大学へ進学 | Wikipedia |
豊島 輝彦(とよしま てるひこ、1938年 - 2014年12月4日)は、日本の洋画家。北海道小樽市出身。北海道学芸大学(現北海道教育大学)特設美術課程卒業。元札幌大谷大学短期大学部教授。元北海道美術協会事務局長。日本美術家連盟会員。風景画を中心とした写実絵画で知られる。 | ||
北海道札幌東高等学校から北海道教育大学への進学者 全国の北海道教育大学の出身者 | ||
1938年生まれの人 | ||
12 | 木村多伎子 | Wikipedia |
木村 多伎子(きむら たきこ、1927年-)は、日本の版画家。北海道旭川市生まれ。国画会会員、北海道美術協会会員、北海道版画協会会員。 | ||
1927年生まれの人 |
北海道小樽潮陵高等学校の出身者
13 | 平沢貞通 小樽市 | Wikipedia |
平沢 貞通(ひらさわ さだみち、1892年(明治25年)2月18日 - 1987年(昭和62年)5月10日)は、日本のテンペラ画家。北海道小樽市出身(東京府生まれ)。雅号は大暲(たいしょう)、後に光彩(こうさい)。 | ||
小樽市の出身者 | ||
2月18日生まれの人  1892年生まれの人 |
北海道倶知安高等学校の出身者
14 | 西村計雄 共和町 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
西村 計雄(にしむら けいゆう、1909年6月29日 - 2000年12月4日)は日本の画家。共和町名誉町民、紺綬褒章受章。 | ||
北海道倶知安高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 共和町の出身者 | ||
6月29日生まれの人  1909年生まれの人 |
北海道旭川東高等学校の出身者
15 | 山口正城 千葉大学へ進学 | Wikipedia |
山口 正城(やまぐち まさき、1903年1月22日 - 1959年12月5日)とは、日本の画家、グラフィックデザイナー、デザイン・図案に関する教育者。千葉大学工学部工業意匠学科教授を勤めた。フォトグラムを含め、抽象的な作品が多い。 | ||
北海道旭川東高等学校から千葉大学への進学者 全国の千葉大学の出身者 | ||
1月22日生まれの人  1903年生まれの人 | ||
16 | 加藤顕清 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
加藤 顕清(かとう けんせい、1894年12月19日 - 1966年11月11日)は岐阜県出身[注釈 1]の彫刻家、洋画家。本名、鬼頭太。 | ||
北海道旭川東高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
12月19日生まれの人  1894年生まれの人 |
北海道旭川西高等学校の出身者
17 | 丸木俊 秩父別町 女子美術大学へ進学 | Wikipedia |
丸木 俊(まるき とし、1912年2月11日 - 2000年1月13日)は洋画家である。 | ||
北海道旭川西高等学校から女子美術大学への進学者 全国の女子美術大学の出身者 秩父別町の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1912年生まれの人 |
北海道旭川農業高等学校の出身者
18 | 武田範芳 旭川市 | Wikipedia |
武田 範芳(たけだ のりよし、1913年4月28日 - 1989年7月29日)は、北海道旭川市出身の洋画家。色の魔術師と呼ばれた国際的な画家である。エーゲ海をはじめて描いた作家でもあり、1960年代より国際展に出品し多くの国際賞を獲得した。フランス美術家連盟会員。ル・サロンフランス政府展 金 銀 銅 受賞。長男は俳優の武田光太郎。 | ||
旭川市の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1913年生まれの人 |
北海道美深高等学校の出身者
19 | おおた慶文 | Wikipedia |
おおた 慶文(おおた けいぶん、本名・太田 慶文(おおた よしふみ)、1951年11月10日 - )は、日本の画家・イラストレーター。北海道羽幌町出身。北海道美深高等学校卒業。 | ||
11月10日生まれの人  1951年生まれの人 |
北海道北見北斗高等学校の出身者
20 | 長谷川知子 札幌市 | Wikipedia |
長谷川 知子(はせがわ ともこ、女性、1947年 - )は日本の画家・絵本作家。北海道北見市出身。北海道北見北斗高等学校‐武蔵野美術短期大学デザイン科卒業。 | ||
札幌市の出身者 | ||
1947年生まれの人 |
北海道北見柏陽高等学校の出身者
21 | 松岡義和 訓子府町 日本大学へ進学 | Wikipedia |
松岡 義和(まつおか よしかず、1943年 – )は、日本の劇作家。画家。教育者。市立名寄短期大学元学長。北海道常呂郡訓子府町出身。 | ||
北海道北見柏陽高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 訓子府町の出身者 | ||
1943年生まれの人 |
北海道本別高等学校の出身者
22 | 多賀新 | Wikipedia |
多賀 新(たが しん、1946年12月14日 - )は、日本の銅版画家。北海道出身。北海道本別高等学校卒業。 | ||
12月14日生まれの人  1946年生まれの人 |
北海道札幌藻岩高等学校の出身者
23 | 渡邊晃一 夕張市 筑波大学へ進学 | Wikipedia |
渡邊 晃一(わたなべ こういち、1967年 - )は、絵画・現代美術(インスタレーション)を中心に活動する日本の画家、美術家。 福島大学人間発達文化学類教授。福島大学藝術による地域創造研究所所長。 | ||
北海道札幌藻岩高等学校から筑波大学への進学者 全国の筑波大学の出身者 夕張市の出身者 | ||
1967年生まれの人 |
青森県立青森高等学校の出身者
24 | 小館善四郎 青森市 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
小館 善四郎(こだて ぜんしろう 1914年(大正3年)11月29日 - 2003年(平成14年)10月8日)は青森県出身の洋画家。梶井基次郎の作品「檸檬」に因んで檸檬をモチーフにした静物画が多く、「レモンの画家」と呼ばれる。 | ||
青森県立青森高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 青森市の出身者 | ||
11月29日生まれの人  1914年生まれの人 | ||
25 | 菊谷栄 青森市 日本大学へ進学 | Wikipedia |
菊谷 栄(きくや さかえ 1902年11月26日 - 1937年11月9日)は青森県東津軽郡油川村大浜(現在の青森市)出身の画家、喜劇作家。 | ||
青森県立青森高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 青森市の出身者 | ||
11月26日生まれの人  1902年生まれの人 |
青森県立弘前高等学校の出身者
26 | 小林剛 小山市 ルーアン美術学校へ進学 | Wikipedia |
小林 剛(こばやし ごう、1976年8月23日 - )は、栃木県小山市出身の画家、現代美術家。 | ||
青森県立弘前高等学校からルーアン美術学校への進学者 全国のルーアン美術学校の出身者 小山市の出身者 | ||
8月23日生まれの人  1976年生まれの人 | ||
27 | 奈良美智 弘前市 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
奈良 美智(なら よしとも、1959年12月5日 - )は、日本の画家・彫刻家。世界的に評価されている美術作家で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やロサンゼルス現代美術館に作品が所蔵されるなど日本の現代美術の第二世代を代表するひとり。 特徴的なこちらを見返す人物をモチーフにしたドローイングやアクリル絵具による絵画で知られる[4]。 | ||
青森県立弘前高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 弘前市の出身者 | ||
12月5日生まれの人  1959年生まれの人 |
青森県立弘前中央高等学校の出身者
28 | 佐野ぬい 弘前市 女子美術大学へ進学 | Wikipedia |
佐野 ぬい(さの ぬい、旧姓:佐々木、1932年11月16日 - )は、日本の洋画家。女子美術大学名誉教授(第16代学長)。日本美術家連盟洋画部理事、新制作協会会員。 | ||
青森県立弘前中央高等学校から女子美術大学への進学者 全国の女子美術大学の出身者 弘前市の出身者 | ||
11月16日生まれの人  1932年生まれの人 | ||
29 | 奈良岡朋子 女子美術大学へ進学 | Wikipedia |
奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年12月1日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。劇団民藝の法人取締役および劇団共同代表を務める。父は洋画家の奈良岡正夫。 | ||
青森県立弘前中央高等学校から女子美術大学への進学者 全国の女子美術大学の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1929年生まれの人 |
青森県立八戸北高等学校の出身者
30 | 類家心平 八戸市 | Wikipedia |
類家 心平(るいけ しんぺい、1976年4月27日 - )は、日本のジャズミュージシャン、トランペット奏者、作曲家。青森県八戸市出身。青森県立八戸北高等学校卒。父は版画家の類家謙次郎。 | ||
八戸市の出身者 | ||
4月27日生まれの人  1976年生まれの人 |
岩手県立岩谷堂高等学校の出身者
31 | 佐藤晨 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 晨(さとう しん、1935年 - )は、昭和期の日本画家。東京都荒川区日暮里に生まれる。 | ||
岩手県立岩谷堂高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 | ||
1935年生まれの人 |
岩手県立福岡高等学校の出身者
32 | 福田繁雄 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
福田 繁雄(ふくだ しげお、1932年2月4日 - 2009年1月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。単純化された形態とトリックアートを融合させたシニカルなデザインが特徴。「日本のエッシャー」とも称される。画家の福田美蘭は娘。 | ||
岩手県立福岡高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
2月4日生まれの人  1932年生まれの人 |
盛岡市立高等学校の出身者
33 | 村田林藏 大迫町 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
村田 林藏(むらた りんぞう、1954年10月25日 - )は、日本画家。日本美術院特待。師・平山郁夫。主に、親子牛・羊などの家畜や古都の風景、日本の自然の四季などのモチーフを得意とする。 | ||
盛岡市立高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 大迫町の出身者 | ||
10月25日生まれの人  1954年生まれの人 |
岩手県立盛岡第一高等学校の出身者
34 | 松本竣介 渋谷区 太平洋美術学校へ進学 | Wikipedia |
松本 竣介(まつもと しゅんすけ、1912年4月19日 - 1948年6月8日)は、日本の洋画家。 太平洋戦争が始まる8ヶ月前の1941年(昭和16年)4月、軍部による美術への干渉に抗議して、美術雑誌「みづゑ」437号に「生きてゐる画家」という文章を発表したことはよく知られている。都会の風景やそこに生きる人びとを、理知的な画風で描いた日本の画家である。 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校から太平洋美術学校への進学者 全国の太平洋美術学校の出身者 渋谷区の出身者 | ||
4月19日生まれの人  1912年生まれの人 | ||
35 | 舟越保武 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
舟越 保武(ふなこし やすたけ、1912年12月7日 - 2002年2月5日)は佐藤忠良と共に戦後日本を代表する彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。東京藝術大学名誉教授。文化学院出身で画家の妻道子との間に子供6人。次男の舟越桂や三男の舟越直木も彫刻家として活躍。 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
12月7日生まれの人  1912年生まれの人 |
宮城県仙台第二高等学校の出身者
36 | 佐藤一郎 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 一郎(さとう いちろう、1946年8月26日 - )は、日本の男性画家であり、絵画材料学、絵画技術学の研究者である。東京芸術大学教授を2014年退任し、2015年現在は金沢美術工芸大学大学院専任教授である[2]。 | ||
宮城県仙台第二高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
8月26日生まれの人  1946年生まれの人 |
宮城県佐沼高等学校の出身者
37 | サトル・サトウ 登米市 パリ国立美術学校へ進学 | Wikipedia |
サトル・サトウ(佐藤 達、さとうさとる、1945年11月14日 - )は、フランスを拠点に活動する画家、造形作家。宮城県登米市出身。宮城県佐沼高等学校卒。 | ||
宮城県佐沼高等学校からパリ国立美術学校への進学者 全国のパリ国立美術学校の出身者 登米市の出身者 | ||
11月14日生まれの人  1945年生まれの人 |
宮城県築館高等学校の出身者
38 | 能島和明 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
能島 和明(のうじま かずあき、1944年1月30日 - )は、日本の画家。東京都出身。 | ||
宮城県築館高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 | ||
1月30日生まれの人  1944年生まれの人 | ||
39 | 佐藤敬 大分郡 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
佐藤 敬(さとう けい、1906年(明治39年)10月28日 - 1978年(昭和53年)5月8日)は、日本の洋画家。新制作協会の創立メンバー。妻は声楽家の佐藤美子。 | ||
宮城県築館高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
10月28日生まれの人  1906年生まれの人 |
仙台市立仙台工業高等学校の出身者
40 | 新国誠一 東北学院大学へ進学 | Wikipedia |
新国 誠一(にいくに せいいち、1925年12月7日 - 1977年8月23日)は、日本の詩人、画家。旧字体で新國誠一とも表記され、新国自身は晩年旧字体での表記にこだわっていたとされる。1960年代の国際的な前衛詩運動であるコンクリート・ポエトリーの運動に関わり、象形詩や視覚詩、音声詩などの実験的な作品を制作した。世界的には重要な詩人の一人として位置づけられており、日本やドイツの教科書などにも作品が掲載されている。 | ||
仙台市立仙台工業高等学校から東北学院大学への進学者 全国の東北学院大学の出身者 | ||
12月7日生まれの人  1925年生まれの人 |
東北学院高等学校の出身者
41 | 大竹康市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
大竹 康市(おおたけ こういち、1938年5月2日 - 1983年11月20日)は、日本の建築家。都市計画家。象設計集団創設者の一人で中心的存在。宮城県仙台市生まれ。 | ||
東北学院高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
5月2日生まれの人  1938年生まれの人 | ||
42 | 鍋島紀雄 東北学院大学へ進学 | Wikipedia |
鍋島 紀雄(なべしま ただお、1897年5月26日 - 1968年2月19日)は、日本画家。 | ||
東北学院高等学校から東北学院大学への進学者 全国の東北学院大学の出身者 | ||
5月26日生まれの人  1897年生まれの人 |
秋田県立秋田高等学校の出身者
43 | 小場恒吉 | Wikipedia |
小場恒吉(おば つねきち、1878年(明治11年)1月25日 - 1958年(昭和33年)5月29日)は日本の紋様学者、美術史家、画家。 | ||
1月25日生まれの人  1878年生まれの人 |
秋田県立横手高等学校の出身者
44 | 佐々木宗一郎 | Wikipedia |
佐々木 宗一郎(ささき そういちろう、1910年 - 1997年)は秋田県横手市出身の洋画家。 | ||
1910年生まれの人 | ||
45 | 小西正太郎 美郷町 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
小西 正太郎(こにし しょうたろう、1876年 - 1956年4月26日)は、日本の洋画家。秋田県出身。 | ||
秋田県立横手高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 美郷町の出身者 | ||
1876年生まれの人 | ||
46 | 佐々木久実 美郷町 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
佐々木 久実(ささき くみ)は秋田県仙北郡美郷町(旧六郷町)出身の日本画家。秋田県立横手高等学校・多摩美術大学絵画科卒業。 | ||
秋田県立横手高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 美郷町の出身者 |
秋田県立能代工業高等学校の出身者
47 | 友川かずき 三種町 | Wikipedia |
友川 カズキ(ともかわ かずき、1950年2月16日 - )は、日本の歌手、競輪評論家、画家である。本名:及位 典司(のぞき てんじ)。2004年に「友川かずき」から現在の表記へと改めている。 | ||
三種町の出身者 | ||
2月16日生まれの人  1950年生まれの人 |
秋田県立本荘高等学校の出身者
48 | 池田修三 象潟町 | Wikipedia |
池田 修三(いけだ しゅうぞう、1922年4月30日 - 2004年11月10日)は、秋田県象潟町(現在のにかほ市象潟)生まれの版画家。 | ||
象潟町の出身者 | ||
4月30日生まれの人  1922年生まれの人 |
秋田県立角館高等学校の出身者
49 | 男鹿和雄 大仙市 | Wikipedia |
男鹿 和雄(おが かずお、1952年2月29日 - )は、アニメーション美術監督・挿絵画家。宮崎駿、高畑勲、川尻善昭らの作品を支えてきた日本を代表する美術監督である。 | ||
大仙市の出身者 | ||
2月29日生まれの人  1952年生まれの人 |
秋田県立六郷高等学校の出身者
50 | 藤井勉 | Wikipedia |
藤井 勉(ふじい つとむ、1948年5月-)は、日本の洋画家。秋田県出身。 | ||
1948年生まれの人 |
山形県立酒田東高等学校の出身者
51 | 佐藤真生 酒田市 東京学芸大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 真生(さとう まさお、1963年(昭和38年) - )は、山形県酒田市生まれの画家。 | ||
山形県立酒田東高等学校から東京学芸大学への進学者 全国の東京学芸大学の出身者 酒田市の出身者 | ||
1963年生まれの人 |
山形県立鶴岡北高等学校の出身者
52 | 伊藤喜久井 鶴岡市 女子美術大学へ進学 | Wikipedia |
伊藤 喜久井(いとう きくい、1911年(明治44年)11月15日 - 2002年(平成14年)6月8日)は、日本画家。山形県鶴岡市七日町出身。 | ||
山形県立鶴岡北高等学校から女子美術大学への進学者 全国の女子美術大学の出身者 鶴岡市の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1911年生まれの人 |
福島県立橘高等学校の出身者
53 | 高村智恵子 日本女子大学へ進学 | Wikipedia |
高村 智恵子(たかむら ちえこ、1886年(明治19年)5月20日 - 1938年(昭和13年)10月5日、旧姓:長沼)は、日本の洋画家、紙絵作家。夫は彫刻家・詩人の高村光太郎。夫の光太郎が彼女の死後に出版した詩集『智恵子抄』でも知られる。 | ||
福島県立橘高等学校から日本女子大学への進学者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
5月20日生まれの人  1886年生まれの人 |
福島県立安積高等学校の出身者
54 | 岩谷徹 (版画家) 郡山市 東京海洋大学へ進学 | Wikipedia |
岩谷 徹(いわや とおる) (1936年-)は、日本の版画家。銅版画の一種であるメゾチント・カラーメゾチント技法作家。 | ||
福島県立安積高等学校から東京海洋大学への進学者 全国の東京海洋大学の出身者 郡山市の出身者 | ||
1936年生まれの人 |
福島県立田村高等学校の出身者
55 | 鎌田正蔵 松江市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
鎌田 正蔵(かまた まさぞう、1913年 - 1999年)は、日本の洋画家、シュールレアリズム(超現実主義)運動画家。 | ||
福島県立田村高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 松江市の出身者 | ||
1913年生まれの人 |
福島県立白河高等学校の出身者
56 | 古市徹雄 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
古市徹雄(ふるいち てつお、1948年8月11日 - )は日本の建築家、都市計画家。 | ||
福島県立白河高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
8月11日生まれの人  1948年生まれの人 |
福島県立磐城高等学校の出身者
57 | 若松光一郎 いわき市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
若松 光一郎(わかまつ こういちろう、本名みついちろう、1914年8月8日 - 1995年11月7日)は、日本の洋画家。コラージュの世界的第一人者である。 | ||
福島県立磐城高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 いわき市の出身者 | ||
8月8日生まれの人  1914年生まれの人 |
福島県立福島高等学校の出身者
58 | 舘井啓明 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
舘井 啓明(たてい よしあき、1937年 - 1995年 )は韓国京城府(現・ソウル特別市)出身の画家。新作家美術会、赤光社、福島青美会、会員 | ||
福島県立福島高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 | ||
1937年生まれの人 | ||
59 | 大高正人 東京大学へ進学 | Wikipedia |
大高 正人(おおたか まさと、1923年9月8日 - 2010年8月20日)は日本の建築家、都市計画家。福島県三春町出身。 | ||
福島県立福島高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月8日生まれの人  1923年生まれの人 |
60 | 吉井忠 | Wikipedia |
吉井 忠(よしい ただし、1908年7月25日 - 1999年8月5日)は、日本の洋画家。 | ||
7月25日生まれの人  1908年生まれの人 |
茨城県立水戸第一高等学校の出身者
61 | 下河辺淳 東京大学へ進学 | Wikipedia |
下河辺 淳(しもこうべ あつし、1923年9月30日 - 2016年8月13日)は、日本の都市計画家、建設官僚。国土事務次官を歴任。工学博士。日本上流文化圏研究所理事長。 | ||
茨城県立水戸第一高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月30日生まれの人  1923年生まれの人 | ||
62 | 渡辺啓助 九州大学へ進学 | Wikipedia |
渡辺 啓助(わたなべ けいすけ、1901年(明治34年)1月10日(1900年末?) - 2002年(平成14年)1月19日)は、日本の推理作家。本名は渡辺圭介。渡辺伊太郎・渡辺ツネの次男で、画家の渡辺東は娘、推理作家の渡辺温は実弟である。秋田県秋田市生まれ。 | ||
茨城県立水戸第一高等学校から九州大学への進学者 全国の九州大学の出身者 | ||
1月10日生まれの人  1901年生まれの人 | ||
63 | 辻永 広島市 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
辻 永(つじ ひさし、1884年2月20日 - 1974年7月23日)は、洋画家。広島県広島市生まれ、茨城県水戸市育ち。 | ||
茨城県立水戸第一高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 広島市の出身者 | ||
2月20日生まれの人  1884年生まれの人 |
茨城県立土浦第一高等学校の出身者
64 | 鶴岡義雄 | Wikipedia |
鶴岡 義雄(つるおか よしお、1917年4月13日 - 2007年10月27日)は、洋画家、日本芸術院会員。 | ||
4月13日生まれの人  1917年生まれの人 | ||
65 | 永瀬義郎 | Wikipedia |
永瀬 義郎(ながせ よしろう、1891年1月5日 - 1978年3月8日)は、日本の版画家、画家。茨城県出身。大正初期の時代から昭和にかけて旺盛なる創作活動を続け、版画や油絵により、自分の信ずる「美の世界」を表現するために、様々な手法を試み社会に問い続けた。また、著書「版画を作る人へ」はその後の版画家たちへ影響を与えた。 | ||
1月5日生まれの人  1891年生まれの人 |
茨城県立石岡第一高等学校の出身者
66 | 滝平二郎 | Wikipedia |
滝平 二郎(たきだいら じろう、1921年4月1日 - 2009年5月16日)は日本の版画家・きりえ作家である。日本美術会委員、日本児童出版美術家連盟会員、日本きりえ協会代表委員。 | ||
4月1日生まれの人  1921年生まれの人 |
茨城県立竜ヶ崎第一高等学校の出身者
67 | 服部正一郎 龍ヶ崎市 | Wikipedia |
服部 正一郎(はっとり しょういちろう、1907年11月17日 - 1995年3月20日)は、日本画家、日本芸術院会員。茨城県出身。 | ||
龍ヶ崎市の出身者 | ||
11月17日生まれの人  1907年生まれの人 |
茨城県立太田第一高等学校の出身者
68 | 加倉井和夫 横浜市 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
加倉井 和夫(かくらい かずお、1919年9月11日 - 1995年9月24日)は、日本画家。日本芸術院会員。俳人・建築家の加倉井秋を(加倉井昭夫)は兄。 | ||
茨城県立太田第一高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 横浜市の出身者 | ||
9月11日生まれの人  1919年生まれの人 |
栃木県立宇都宮高等学校の出身者
69 | 川上澄生 横浜市 | Wikipedia |
川上 澄生(かわかみ すみお、明治28年(1895年)4月10日 - 昭和47年(1972年)9月1日)は、日本の版画家。神奈川県出身。 | ||
横浜市の出身者 | ||
4月10日生まれの人  1895年生まれの人 |
栃木県立足利高等学校の出身者
70 | 丸山浩司 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
丸山 浩司(まるやま ひろし、1953年7月12日 - )は、栃木県足利市出身の版画家(木版画)、美術教育の研究者で多摩美術大学教授。多摩美術大学在学中に吹田文明に師事し、木版画を始める。その後、東京芸術大学大学院に進学し野田哲也・中林忠良に師事、更に木版画研究を進める。その後、福島大学にて教員養成の仕事に従事し、教科書編集や鑑賞教育、現代美術研究を通して美術教育研究にも力を注ぐ。 当初は生まれ故郷の足利にて友禅染めの色彩(渡良瀬川の友禅流し)に魅了され鮮やかな色彩による作品を手掛け、単行本の表紙やテレビドラマのセットに利用されるなど、社会的評価が高かったが、現在はモノクロームを基調にした静謐な作品が多い。 現在、多摩美術大学教授、(社)日本版画協会理事、東京藝術大学美術教育研究会運営委員、大学版画学会運営委員 | ||
栃木県立足利高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 | ||
7月12日生まれの人  1953年生まれの人 |
栃木県立大田原高等学校の出身者
71 | 小山田二郎 | Wikipedia |
小山田 二郎(おやまだ じろう、1914年(大正3年) - 1991年(平成3年)7月26日)は、日本の画家。世相を皮肉的に風刺する油彩画や水彩画を多く描き、特に油彩ではペインティングナイフでキャンバスを傷つけるほど大胆な手法で描くことで知られる。曽祖父に黒羽藩士小山田廣徳(弁助)、遠縁に日本画家小堀鞆音がいる。 | ||
1914年生まれの人 |
栃木県立那須高等学校の出身者
72 | 松本哲男 佐野市 宇都宮大学へ進学 | Wikipedia |
松本 哲男(まつもと てつお、1943年(昭和18年)7月29日 - 2012年(平成24年)11月15日)は日本画家、教育者。栃木県佐野市生まれ。日本美術院理事。 | ||
栃木県立那須高等学校から宇都宮大学への進学者 全国の宇都宮大学の出身者 佐野市の出身者 | ||
7月29日生まれの人  1943年生まれの人 |
作新学院高等学校の出身者
73 | 小林剛 小山市 ルーアン美術学校へ進学 | Wikipedia |
小林 剛(こばやし ごう、1976年8月23日 - )は、栃木県小山市出身の画家、現代美術家。 | ||
作新学院高等学校からルーアン美術学校への進学者 全国のルーアン美術学校の出身者 小山市の出身者 | ||
8月23日生まれの人  1976年生まれの人 |
群馬県立高崎高等学校の出身者
74 | 山口薫 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
山口 薫(やまぐち かおる、1907年8月13日 - 1968年5月19日)は、昭和時代の日本の洋画家。元東京芸術大学教授。 | ||
群馬県立高崎高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
8月13日生まれの人  1907年生まれの人 |
群馬県立桐生高等学校の出身者
75 | 山口晃 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
山口 晃(やまぐち あきら、1969年8月2日 - )は、日本の画家、現代美術家。 | ||
群馬県立桐生高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
8月2日生まれの人  1969年生まれの人 | ||
76 | 星野富弘 みどり市 群馬大学へ進学 | Wikipedia |
星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - )は、日本の詩人・画家。現在も詩画や随筆の創作を続けており、また国内外で「花の詩画展」が開かれている。 | ||
群馬県立桐生高等学校から群馬大学への進学者 全国の群馬大学の出身者 みどり市の出身者 | ||
4月24日生まれの人  1946年生まれの人 |
群馬県立富岡高等学校の出身者
77 | 福沢一郎 富岡市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
福沢 一郎(ふくざわ いちろう、1898年(明治31年)1月18日 - 1992年(平成4年)10月16日)は、日本の洋画家。 | ||
群馬県立富岡高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 富岡市の出身者 | ||
1月18日生まれの人  1898年生まれの人 |
群馬県立中之条高等学校の出身者
78 | トーマス永井 | Wikipedia |
トーマス永井(とーます ながい、1886年 - 1966年)は洋画家。魔術的リアリズムの担い手として独自の作風を確立。しかし太平洋戦争の混乱によりその業績は長らく埋もれたままになっていた。忘れられた洋画家として近年評価が急速に高まってきている。本名は永井富三(ながい とみぞう) | ||
1886年生まれの人 |
埼玉県立浦和高等学校の出身者
79 | 内藤五琅 | Wikipedia |
内藤 五琅(ないとう ごろう、1948年 - )は、日本の日本画家。東京都出身、さいたま市浦和区在住。日本美術院特待。浦和画家。 | ||
1948年生まれの人 |
80 | 小川游 | Wikipedia |
小川游(おがわ ゆう、1932年 - )は、満州国出身の洋画家。浦和画家のひとり。一水会代表。さいたま市美術家協会会長。 | ||
1932年生まれの人 | ||
81 | 小松崎邦雄 | Wikipedia |
小松崎 邦雄(こまつざき くにお、1931年9月2日 - 1992年12月28日)は、東京都出身の画家。浦和画家のひとり。 | ||
9月2日生まれの人  1931年生まれの人 | ||
82 | 川村親光 | Wikipedia |
川村 親光(かわむら ちかみつ、1928年 - )は、埼玉県出身の画家。第4代埼玉県美術家協会会長。一水会特別会員。 | ||
1928年生まれの人 | ||
83 | 斎藤三郎 熊谷市 東京理科大学へ進学 | Wikipedia |
斎藤三郎(さいとう さぶろう、1917年5月10日 - 1996年3月17日)は日本の洋画家。浦和画家。 | ||
埼玉県立浦和高等学校から東京理科大学への進学者 全国の東京理科大学の出身者 熊谷市の出身者 | ||
5月10日生まれの人  1917年生まれの人 | ||
84 | 渡辺武夫 | Wikipedia |
渡辺 武夫(わたなべ たけお、1916年7月2日 - 2003年9月11日)は、埼玉県出身の洋画家。日本芸術院会員。浦和画家の一人。瑞宝章受章者。 | ||
7月2日生まれの人  1916年生まれの人 | ||
85 | 金子徳衛 | Wikipedia |
金子 徳衛(かねこ とくえ、1914年-1998年)は、埼玉県出身の洋画家。浦和画家の一人。 | ||
1914年生まれの人 | ||
86 | 高田誠 江東区 法政大学へ進学 | Wikipedia |
高田 誠(たかだ まこと、1913年9月24日 - 1992年10月24日)は、埼玉県出身の洋画家、文化功労者。瑞宝章受章者。浦和画家の代表格として知られる。 | ||
埼玉県立浦和高等学校から法政大学への進学者 全国の法政大学の出身者 江東区の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1913年生まれの人 | ||
87 | 田中保 岩槻市 | Wikipedia |
田中 保(たなか やすし、1886年5月13日 - 1941年4月24日)は、日本の美術家。埼玉県南埼玉郡岩槻町(現・さいたま市)出身。浦和画家の一人で、海外で活躍したエコール・ド・パリの画家で、パリの画壇でサロンを中心に豊満で官能的な裸婦像を発表し、「裸婦のタナカ」として賞賛を浴びた。日本に一度も帰国することなく第二次世界大戦中のパリにおいて客死したため、その生涯はほとんど知られていなかったが、次第にその業績が知られるところになり、近年評価と関心が高まってきている。 | ||
岩槻市の出身者 | ||
5月13日生まれの人  1886年生まれの人 | ||
88 | 永田二郎 | Wikipedia |
永田 二郎(ながた じろう、1883年 - 1971年)は、埼玉県出身の洋画家。浦和画家。 | ||
1883年生まれの人 |
埼玉県立蕨高等学校の出身者
89 | 蜷川有紀 横浜市 | Wikipedia |
蜷川 有紀(にながわ ゆき、1960年8月18日 - )は、日本の女優、画家、映像作家。2008年度情報文化学会・芸術大賞受賞。(財)全国税理士共栄会文化財団評議員、芸術活動分野選考委員、 InnovativeTechnologies特別賞選考委員(経済産業省)等として多くの文化活動にも貢献している。 | ||
横浜市の出身者 | ||
8月18日生まれの人  1960年生まれの人 |
埼玉県立南稜高等学校の出身者
90 | 沼田識史 日本大学へ進学 | Wikipedia |
沼田 識史(ぬまた さとし、1966年9月25日 - )は日本の現代美術家、画家。東京都北区西ヶ原出身。 | ||
埼玉県立南稜高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1966年生まれの人 |
埼玉県立川越高等学校の出身者
91 | 岩崎勝平 川越市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
岩﨑 勝平(いわさき かつひら、1905年8月15日 - 1964年9月10日)は、日本の洋画家。「孤独と貧困の鬼才」などと呼ばれる。 | ||
埼玉県立川越高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 川越市の出身者 | ||
8月15日生まれの人  1905年生まれの人 |
埼玉県立熊谷高等学校の出身者
92 | 須田剋太 | Wikipedia |
須田 剋太(すだ こくた、1906年5月1日 - 1990年7月14日 )は、日本の洋画家。埼玉県生。浦和画家。 | ||
5月1日生まれの人  1906年生まれの人 |
埼玉県立不動岡高等学校の出身者
93 | 斎藤与里 加須市 | Wikipedia |
斎藤 与里(さいとう より、1885年(明治18年)9月7日-1959年(昭和34年)5月3日)は、大正・昭和期の洋画家、美術評論家。 | ||
加須市の出身者 | ||
9月7日生まれの人  1885年生まれの人 |
埼玉県立春日部高等学校の出身者
94 | 後藤純男 野田市 | Wikipedia |
後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 2016年10月18日)は、日本画の画家。 | ||
野田市の出身者 | ||
1月21日生まれの人  1930年生まれの人 |
川越市立川越高等学校の出身者
95 | 相原求一朗 川越市 | Wikipedia |
相原 求一朗(あいはら きゅういちろう、1918年12月3日 - 1999年2月5日)は、日本の洋画家。埼玉県川越町(現・川越市)生まれ。冬の北海道の詩情を描く洋画家の第一人者と言われた。新制作協会会員。 | ||
川越市の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1918年生まれの人 |
慶應義塾志木高等学校の出身者
96 | エム・ナマエ 千代田区 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
エム ナマエ(本名:生江雅則(なまえ・まさのり)、男性、1948年9月1日 - )は、日本の画家、児童文学作家。 | ||
慶應義塾志木高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 千代田区の出身者 | ||
9月1日生まれの人  1948年生まれの人 |
自由の森学園高等学校の出身者
97 | 北村治 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
北村 治(きたむら おさむ)は、日本のイラストレーター、芸術家、画家。横浜美術大学教授。東京イラストレーターズソサエティ会員。 | ||
自由の森学園高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 |
早稲田大学本庄高等学院の出身者
98 | 饗庭伸 | Wikipedia |
饗庭 伸(あいば しん、1971年3月31日 - )は、日本の工学者・都市計画家。学位は博士(工学)(早稲田大学・2003年)。首都大学東京教授。兵庫県西宮市出身。 | ||
3月31日生まれの人  1971年生まれの人 |
千葉県立千葉高等学校の出身者
99 | 野口久光 宇都宮市 東京藝術大学へ進学 | Wikipedia |
野口 久光(のぐち ひさみつ、1909年8月9日 - 1994年6月13日)は、日本の映画、ジャズ、ミュージカル評論家。画家、グラフィックデザイナー。生涯に1000点を超える映画ポスターを描いたと言われる。 | ||
千葉県立千葉高等学校から東京藝術大学への進学者 全国の東京藝術大学の出身者 宇都宮市の出身者 | ||
8月9日生まれの人  1909年生まれの人 |
千葉県立千葉東高等学校の出身者
100 | 志村一隆 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
志村一隆(しむら かずたか、1968年 - )は、日本の研究者。 WOWOW、情報通信総合研究所にて日本国外のメディア・コンテンツ業界の調査研究に従事。 現在はヤフーのエバンジェリスト、メディアコメンテーター、日本独立作家同盟理事、一般社団法人デジタルサイネージコンソーシアム理事。また水墨画家としても活動。 | ||
千葉県立千葉東高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1968年生まれの人 |
千葉県立佐原高等学校の出身者
101 | 小堀進 潮来市 | Wikipedia |
小堀 進(こぼり すすむ、1904年1月22日 - 1975年3月16日)は、茨城県出身の水彩画家である。水彩連盟の設立メンバー。水彩画家として初めて日本芸術院会員となる。潮来市名誉市民。 | ||
潮来市の出身者 | ||
1月22日生まれの人  1904年生まれの人 |
千葉県立長生高等学校の出身者
102 | 山本文彦 筑波大学へ進学 | Wikipedia |
山本文彦(やまもと ふみひこ、1937年2月16日 - )は、日本の洋画家、筑波大学名誉教授、日本藝術院会員、美術団体の一般社団法人二紀会常任理事。 | ||
千葉県立長生高等学校から筑波大学への進学者 全国の筑波大学の出身者 | ||
2月16日生まれの人  1937年生まれの人 |
千葉県立佐倉高等学校の出身者
103 | 生田宏司 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
生田宏司(いくた こうじ、1953年 - )は、日本のメゾチント技法による銅版画家。元東北芸術工科大学講師。現在、カリフォルニア州版画家協会員。 | ||
千葉県立佐倉高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 | ||
1953年生まれの人 | ||
104 | 牛玖健治 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
牛玖 健治(うしく けんじ、1922年 - 2012年)は、日本の版画家、洋画家。千葉県出身。 | ||
千葉県立佐倉高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
1922年生まれの人 | ||
105 | 櫻井慶治 佐倉市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
櫻井慶治(さくらい けいじ、1919年 - )は、日本を代表する洋画家。 | ||
千葉県立佐倉高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 佐倉市の出身者 | ||
1919年生まれの人 | ||
106 | 永倉江村人 佐倉市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
永倉 江村人(ながくら こうそんじん、1881年(明治14年) - 1951年(昭和26年))は、日本の画家。京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学医学部、現在の九州大学医学部)解剖教室標本描画嘱託。本名は永倉茂。初号は江村。 | ||
千葉県立佐倉高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 佐倉市の出身者 | ||
1881年生まれの人 | ||
107 | 浅井忠 佐倉市 | Wikipedia |
浅井 忠(あさい ちゅう、1856年7月22日(安政3年6月21日) - 1907年(明治40年)12月16日)は、明治期の洋画家。教育者としても貢献した。 | ||
佐倉市の出身者 | ||
7月22日生まれの人  1856年生まれの人 |
千葉県立東葛飾高等学校の出身者
108 | 鈴木厚 東京造形大学へ進学 | Wikipedia |
鈴木 厚(すずき あつし、1959年(昭和34年)- )は、千葉県出身の陶芸家、彫刻家、画家。 | ||
千葉県立東葛飾高等学校から東京造形大学への進学者 全国の東京造形大学の出身者 | ||
1959年生まれの人 | ||
109 | 早川義孝 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年 - 2012年7月25日 )は、日本の画家。東京都出身。新槐樹社名誉会長。 | ||
千葉県立東葛飾高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 | ||
1936年生まれの人 |
千葉県立京葉高等学校の出身者
110 | 荒木淳一 千葉市 愛知大学へ進学 | Wikipedia |
荒木 淳一(あらき じゅんいち、1955年 - )は、日本の洋画家。千葉県千葉市出身。愛知大学文学部フランス文学科卒業。 2001年 『二人の尼僧』(M30) 2008年 『フィレンツェ』(72.7×145.5cm) 2010年 『サンマルタン運河の朝』(33.4×65.2cm) | ||
千葉県立京葉高等学校から愛知大学への進学者 全国の愛知大学の出身者 千葉市の出身者 | ||
1955年生まれの人 |
日本大学習志野高等学校の出身者
111 | 増山麗奈 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
増山 麗奈(ますやま れな、1976年12月25日 - )は、日本の画家・パフォーマー・作家・芸術家・ジャーナリスト・市民活動家・映画監督。超左翼マガジン「ロスジェネ」編集委員。反戦アート集団「桃色ゲリラ」主宰。環境アート展「エコ@アジアニズム」キュレーター。千葉県出身。兵庫県神戸市北区在住。1989年千葉大学教育学部附属小学校卒業、1992年千葉大学教育学部附属中学校卒業、1995年日大習志野高校卒業、2002年東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻中退。増山は「ちんどん屋の玉三郎」の吉野繁[4]と結婚したが離婚し[5]、その後戦場・環境ジャーナリストの志葉玲(本名:金井玲[6])と再婚し[7]、現在に至っている。 | ||
日本大学習志野高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
12月25日生まれの人  1976年生まれの人 |
成田高等学校の出身者
112 | 戸村一作 | Wikipedia |
戸村 一作(とむら いっさく、1909年5月29日 - 1979年11月2日)は、市民運動・農民運動(三里塚(成田)空港反対運動)活動家。三里塚芝山連合空港反対同盟委員長。画家・彫刻家。 | ||
5月29日生まれの人  1909年生まれの人 |
筑波大学附属高等学校の出身者
113 | 越澤明 東京大学へ進学 | Wikipedia |
越澤 明(こしざわ あきら、1952年 - )は、工学者、都市計画家、工学博士。北海道大学名誉教授。一般財団法人住宅保証支援機構理事長、一般財団法人住宅生産振興財団顧問。国土交通省の社会資本整備審議会で、住宅宅地分科会、都市計画・歴史的風土分科会、歴史的風土部会の会長を歴任した。人文・社会科学分野でも評価される著書・業績が多い。全国の地方自治体で都市政策・まちづくりの指導助言をしてきた。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1952年生まれの人 | ||
114 | 若井康彦 佐倉市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
若井 康彦(わかい やすひこ、1946年3月1日 - )は、日本の政治家、都市計画家。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 佐倉市の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1946年生まれの人 | ||
115 | 山田真巳 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
山田 真巳(やまだ まさみ、1938年2月22日 - )は、日本の日本画家。東京都出身。本名同じ。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
2月22日生まれの人  1938年生まれの人 | ||
116 | 岡田新一 水戸市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
岡田新一(おかだ しんいち、1928年1月9日 - 2014年10月27日)は、日本の建築家、都市計画家。日本芸術院会員。茨城県水戸市生まれ。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 水戸市の出身者 | ||
1月9日生まれの人  1928年生まれの人 | ||
117 | 高山英華 杉並区 東京大学へ進学 | Wikipedia |
高山 英華(たかやま えいか 1910年4月20日 - 1999年7月23日)は日本の都市計画家、建築家。東京大学工学部名誉教授。近代都市計画学の創始者。建築系の都市計画学者で、また都市工学の先駆者として都市再開発から広く地域開発、都市防災の推進等を通しまちづくり事業に貢献し、都市計画分野に大きな足跡を残す。工学博士。東京出身。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 杉並区の出身者 | ||
4月20日生まれの人  1910年生まれの人 | ||
118 | 高畠達四郎 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
高畠 達四郎(たかばたけ たつしろう、1895年10月1日 - 1976年6月26日)は、日本の画家。独立美術協会会員。1952年2月に「暮色」で毎日芸術賞を受賞。 | ||
筑波大学附属高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
10月1日生まれの人  1895年生まれの人 | ||
119 | 岸田劉生 | Wikipedia |
岸田 劉生(きしだ りゅうせい、男性、1891年6月23日 - 1929年12月20日)は、大正~昭和初期の洋画家。父親はジャーナリストの岸田吟香。 | ||
6月23日生まれの人  1891年生まれの人 |
120 | 藤田嗣治 新宿区 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
藤田 嗣治(ふじた つぐはる、1886年11月27日 - 1968年1月29日)は日本生まれの画家・彫刻家。戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びたエコール・ド・パリの代表的な画家である。フランスに帰化後の洗礼名はレオナール・フジタ(Léonard Foujita)。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 新宿区の出身者 | ||
11月27日生まれの人  1886年生まれの人 |
東京都立日比谷高等学校の出身者
121 | 佐藤滋 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 滋(さとう しげる、1949年 - )は、日本の都市計画家。地域プランナー。早稲田大学理工学術院教授、早稲田大学都市・地域研究所所長を兼務。工学博士。千葉県出身。 | ||
東京都立日比谷高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1949年生まれの人 | ||
122 | 東野光生 | Wikipedia |
東野 光生(とうの こうせい、1946年5月21日 - )は、日本の水墨画家、小説家。 | ||
5月21日生まれの人  1946年生まれの人 | ||
123 | 岡田又三郎 | Wikipedia |
岡田 又三郎(おかだ またさぶろう、1914年8月2日 - 1984年3月2日)は、昭和期の洋画家。東京都出身。荒削りの大胆な技法で背景の省略された処理の巧みさと、伝統的な写実性を兼ね備えた風格ある画風が特徴。浦和画家の寺内萬治郎に師事。 | ||
8月2日生まれの人  1914年生まれの人 | ||
124 | 岩倉具方 | Wikipedia |
岩倉 具方(いわくら ともかた、1908年1月17日 - 1937年10月14日)は洋画家。公爵岩倉具張の三男。母方の祖父は西郷従道。 | ||
1月17日生まれの人  1908年生まれの人 | ||
125 | 松田文雄 | Wikipedia |
松田 文雄(まつだ ふみお、1908年3月9日 - 1971年7月9日)は、日本の洋画家。一水会会員。 | ||
3月9日生まれの人  1908年生まれの人 | ||
126 | 楢原健三 | Wikipedia |
楢原 健三(ならはら けんぞう、1907年6月30日 - 1999年8月14日)は、洋画家、日本芸術院会員。 | ||
6月30日生まれの人  1907年生まれの人 | ||
127 | 刑部人 栃木市 | Wikipedia |
刑部 人(おさかべ じん 1906年5月5日 - 1978年3月8日)は、日本の洋画家。 | ||
栃木市の出身者 | ||
5月5日生まれの人  1906年生まれの人 | ||
128 | 佐藤昌 東京大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 昌(さとう あきら、1903年10月2日 - 2003年7月19日)は、日本の造園家。都市計画家。官庁造園技師として日本国内や戦前の満州で多くの公園緑地計画と都市の計画設計に携わる。ほか都市計画研究所主宰、音楽評論の分野でも活躍。 | ||
東京都立日比谷高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
10月2日生まれの人  1903年生まれの人 | ||
129 | 富永太郎 | Wikipedia |
富永 太郎(とみなが たろう、1901年(明治34年)5月4日 - 1925年(大正14年)11月12日)は、日本の詩人、画家、翻訳家である。 | ||
5月4日生まれの人  1901年生まれの人 | ||
130 | 高野三三男 | Wikipedia |
高野 三三男(こうの みさお、1900年3月30日 - 1979年8月15日)は、東京府東京市深川区(現・江東区)出身のフランスと日本で活躍したアール・デコ様式の画家。 | ||
3月30日生まれの人  1900年生まれの人 | ||
131 | 阿部金剛 | Wikipedia |
阿部 金剛(あべ こんごう、1900年6月26日 - 1968年11月20日)は、日本の洋画家。 | ||
6月26日生まれの人  1900年生まれの人 | ||
132 | 野坂相如 東京大学へ進学 | Wikipedia |
野坂 相如(のさか すけゆき、明治32年(1899年)1月19日 - 昭和53年(1978年))は、日本の土木技術者、都市計画家。内務官僚として都市計画事業に手腕を揮い、戦後には新潟県副知事を務めた。息子は直木賞作家の野坂昭如。孫は作家、エッセイストの野坂麻央、女優の愛耀子(共に元宝塚歌劇団娘役)、株式会社ジャパンダイニングリンク(英語表記:Japan Dining Link Co., ltd.)代表取締役の野坂龍。 | ||
東京都立日比谷高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月19日生まれの人  1899年生まれの人 | ||
133 | 川端龍子 和歌山市 | Wikipedia |
川端 龍子(かわばた りゅうし、1885年(明治18年)6月6日 - 1966年(昭和41年)4月10日)は、戦前の日本画家、俳人。弟(異母弟)は「ホトトギス」の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も「ホトトギス」同人であった。本名は昇太郎。 | ||
和歌山市の出身者 | ||
6月6日生まれの人  1885年生まれの人 | ||
134 | 池田宏 日本大学へ進学 | Wikipedia |
池田 宏(いけだ ひろし、1881年(明治14年)7月30日 - 1939年(昭和14年)1月7日)は、日本の内務官僚、都市計画家。都市計画法(旧法)の制定に携わり、内務省にあって「切れ者」という異名をとった。関東大震災後の東京市助役、京都府と神奈川県の知事(官選)も務めた。 | ||
東京都立日比谷高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 | ||
7月30日生まれの人  1881年生まれの人 | ||
135 | 横山大観 水戸市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
横山 大観(よこやま たいかん、正字体:大觀、1868年11月2日(明治元年9月18日) - 1958年(昭和33年)2月26日)は、日本の美術家、日本画家。常陸国水戸(現在の茨城県水戸市下市)出身。 | ||
東京都立日比谷高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 水戸市の出身者 | ||
11月2日生まれの人  1868年生まれの人 |
東京都立三田高等学校の出身者
136 | いわさきちひろ | Wikipedia |
いわさき ちひろ(本名:松本知弘(まつもと ちひろ、旧姓岩崎)1918年12月15日 - 1974年8月8日、女性)は、子供の水彩画に代表される日本の画家・絵本作家である。福井県武生市(現在の越前市)生まれ。左利き。 常に「子どもの幸せと平和」をテーマとした。 | ||
12月15日生まれの人  1918年生まれの人 |
東京都立新宿高等学校の出身者
137 | 小林剛 小山市 ルーアン美術学校へ進学 | Wikipedia |
小林 剛(こばやし ごう、1976年8月23日 - )は、栃木県小山市出身の画家、現代美術家。 | ||
東京都立新宿高等学校からルーアン美術学校への進学者 全国のルーアン美術学校の出身者 小山市の出身者 | ||
8月23日生まれの人  1976年生まれの人 | ||
138 | 梅沢忠雄 | Wikipedia |
梅澤忠雄(うめざわ ただお、1943年 - )は、日本の都市計画家。工学博士。元東京大学大学院工学系研究科教授。東京都出身。 | ||
1943年生まれの人 | ||
139 | 渡辺定夫 工学院大学へ進学 | Wikipedia |
渡辺 定夫(わたなべ さだお、1932年 - )は、日本の都市計画家。教育者。東京大学名誉教授。日本でアーバンデザインの指導及び実践、人材育成を担った人物。工学博士。東京生まれ。 | ||
東京都立新宿高等学校から工学院大学への進学者 全国の工学院大学の出身者 | ||
1932年生まれの人 |
140 | 松尾敏男 | Wikipedia |
松尾 敏男(まつお としお、1926年3月9日 - 2016年8月4日)は、日本画家、日本芸術院会員、日本美術院理事長。 | ||
3月9日生まれの人  1926年生まれの人 |
東京都立工芸高等学校の出身者
141 | 新道繁 坂井市 | Wikipedia |
新道 繁(しんどう しげる、1907年3月25日 - 1981年6月10日)は、洋画家。 | ||
坂井市の出身者 | ||
3月25日生まれの人  1907年生まれの人 | ||
142 | 山本丘人 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
山本 丘人(やまもと きゅうじん、1900年(明治33年)4月15日 - 1986年(昭和61年)2月10日)は、日本画家。文化勲章受章者。本名は山本 正義(やまもと まさよし)。 | ||
東京都立工芸高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
4月15日生まれの人  1900年生まれの人 |
東京都立白鴎高等学校の出身者
143 | 奈良岡朋子 女子美術大学へ進学 | Wikipedia |
奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年12月1日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。劇団民藝の法人取締役および劇団共同代表を務める。父は洋画家の奈良岡正夫。 | ||
東京都立白鴎高等学校から女子美術大学への進学者 全国の女子美術大学の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1929年生まれの人 |
東京都立両国高等学校の出身者
144 | 杉山寧 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
杉山 寧(すぎやま やすし、1909年10月20日 - 1993年10月20日)は、日本画家、日本芸術院会員、文化勲章受章者。 | ||
東京都立両国高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
10月20日生まれの人  1909年生まれの人 | ||
145 | 山本丘人 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
山本 丘人(やまもと きゅうじん、1900年(明治33年)4月15日 - 1986年(昭和61年)2月10日)は、日本画家。文化勲章受章者。本名は山本 正義(やまもと まさよし)。 | ||
東京都立両国高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
4月15日生まれの人  1900年生まれの人 | ||
146 | 川端龍子 和歌山市 | Wikipedia |
川端 龍子(かわばた りゅうし、1885年(明治18年)6月6日 - 1966年(昭和41年)4月10日)は、戦前の日本画家、俳人。弟(異母弟)は「ホトトギス」の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も「ホトトギス」同人であった。本名は昇太郎。 | ||
和歌山市の出身者 | ||
6月6日生まれの人  1885年生まれの人 |
東京都立第三商業高等学校の出身者
147 | 加島祥造 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
加島 祥造(かじま しょうぞう、1923年1月12日 - 2015年12月25日)は、日本の詩人、アメリカ文学研究者、翻訳家、随筆家、タオイスト、墨彩画家。詩作のみならず、アメリカ文学の翻訳にて名声を得た後、壮年期より漢詩を経て老荘思想に大きな影響を受け、文筆のみならず絵画なども含めた幅広い創作活動や執筆活動を通して、西洋と東洋の双方を見渡す位置からタオイストとしての一貫した姿勢を私生活でも死去するまで徹底した。 | ||
東京都立第三商業高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1月12日生まれの人  1923年生まれの人 |
東京都立美原高等学校の出身者
148 | 原田敏廣 酒田市 関東学院大学へ進学 | Wikipedia |
原田 敏廣(はらだ としひろ、原田 敏広、1967年12月5日 - )は日本の画家。古生物・古代史・神話を三本柱として「現実に観ることの出来ない世界を精密に描く」ことを目標としている。 表現方法は鉛筆・水彩・油彩を用いる。創作以外にも人物画・静物画・風景画等も描く。 山形県酒田市で生誕。東京都大田区で育ち東京都立大森東高校(現:東京都立美原高等学校)を経て関東学院大学卒業。 絵は「アトリエルネッサンス」を主催する北山良文に師事。 | ||
東京都立美原高等学校から関東学院大学への進学者 全国の関東学院大学の出身者 酒田市の出身者 | ||
12月5日生まれの人  1967年生まれの人 |
東京都立武蔵丘高等学校の出身者
149 | 垂井ひろし 東京造形大学へ進学 | Wikipedia |
垂井 ひろし(たるい ひろし、1961年-)は、日本のイラストレーター、画家。東京都出身。 | ||
東京都立武蔵丘高等学校から東京造形大学への進学者 全国の東京造形大学の出身者 | ||
1961年生まれの人 |
東京都立鷺宮高等学校の出身者
150 | 濱田万葉 | Wikipedia |
濱田 万葉(はまだ まは、1974年9月18日 - )は、日本の女優。所属事務所はホリプロ。東京都出身。身長164cm、血液型はB型。趣味はゴルフ。父は洋画家の濱田ヨシ(1934年12月10日 - )、兄の濱田塁はプロゴルファー。 | ||
9月18日生まれの人  1974年生まれの人 |
東京都立西高等学校の出身者
151 | 玉村豊男 東京大学へ進学 | Wikipedia |
玉村 豊男(たまむら とよお、1945年10月8日 - )は、日本のエッセイスト、画家。 | ||
東京都立西高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1945年生まれの人 | ||
152 | 山脇百合子 上智大学へ進学 | Wikipedia |
山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1941年12月3日 - )は日本の絵本作家、挿絵画家。結婚前の姓は大村。 | ||
東京都立西高等学校から上智大学への進学者 全国の上智大学の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1941年生まれの人 |
東京都立豊多摩高等学校の出身者
153 | 北見葉胡 武蔵野美術短期大学へ進学 | Wikipedia |
北見葉胡(きたみ ようこ)は、日本の画家、絵本作家、イラストレーター。神奈川県生まれ。武蔵野美術短期大学卒業。2004年、大分国際絵本原画展優秀賞受賞。2005年、ボローニャ国際絵本原画展入選。 | ||
東京都立豊多摩高等学校から武蔵野美術短期大学への進学者 全国の武蔵野美術短期大学の出身者 | ||
2004年生まれの人 | ||
154 | 鳥居元宏 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
鳥居 元宏(とりい もとひろ、1935年8月6日 - )は、映画監督・脚本家である。筆名は飛鳥ひろし。日本画家九代目鳥居清光は実妹。 | ||
東京都立豊多摩高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
8月6日生まれの人  1935年生まれの人 |
東京都立豊島高等学校の出身者
155 | 丹阿弥谷津子 | Wikipedia |
丹阿弥 谷津子(たんあみ やつこ、1924年6月25日 - )は、日本の女優。東京市本所区両国(現・東京都墨田区両国)出身。本名:金子 谷津子。身長156cm、血液型はO型。村上事務所所属。父は日本画家の丹阿弥岩吉、妹はメゾチント作家の丹阿弥丹波子。夫は金子信雄。 | ||
6月25日生まれの人  1924年生まれの人 |
東京都立竹台高等学校の出身者
156 | 片岡鶴太郎 荒川区 | Wikipedia |
片岡 鶴太郎(かたおか つるたろう、1954年12月21日 - )は、日本の俳優、お笑いタレント、歌手、画家、プロボクサー。本名は荻野 繁雄(おぎの しげお)。愛称は「鶴ちゃん」。太田プロダクション所属。絵を描くときのみ左利き。弟は太田プロダクション社員(バラエティマネージメント1部部長)の荻野良乙(よしお)。 | ||
荒川区の出身者 | ||
12月21日生まれの人  1954年生まれの人 |
東京都立板橋高等学校の出身者
157 | 工藤静香 羽村市 | Wikipedia |
工藤 静香(くどう しずか、1970年4月14日 - )は、日本の歌手、女優、タレント、宝飾デザイナー、画家。本名、木村 静香(きむら しずか、旧姓:工藤)。夫は元SMAPの木村拓哉。 | ||
羽村市の出身者 | ||
4月14日生まれの人  1970年生まれの人 |
東京都立南多摩中等教育学校の出身者
158 | 大窪勇壱 八王子市 | Wikipedia未登録 |
現代アーティスト(画家、写真家)。ファッションブランドとコラボレーション。美術館、博物館にも作品収蔵。書物、世界芸術家辞典などにも掲載されている人物。 | ||
八王子市の出身者 | ||
2月17日生まれの人  1968年生まれの人 |
東京都立日野高等学校の出身者
159 | 小沢剛 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
小沢 剛(おざわ つよし、1965年 - )は日本の画家、現代美術家。アーティスト・グループ『昭和40年会』のメンバー。 | ||
東京都立日野高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
1965年生まれの人 |
東京都立大島高等学校の出身者
160 | 中出那智子 | Wikipedia |
中出 那智子(なかで なちこ 1931年- )は、日本の画家。主に油絵。東京都伊豆七島最北の島、伊豆大島大島町波浮港の出身。 | ||
1931年生まれの人 |
暁星高等学校の出身者
161 | 釘町彰 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
釘町 彰(くぎまち あきら、1968年10月31日 - )は日本画家、美術家。フランス、パリに在住、制作活動を行う。揉み紙を施した和紙に、天然岩絵の具により、ランドスケープ、光、海などを描く。 | ||
暁星高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 | ||
10月31日生まれの人  1968年生まれの人 | ||
162 | 長谷川路可 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
長谷川 路可(はせがわ ろか、1897年7月9日 - 1967年7月3日)は、大正・昭和にかけて国内外で活躍した日本画家・フレスコ画家。カトリック美術家としてキリスト教黎明期のキリシタンを題材にした宗教画制作に取り組むとともに、日本のフレスコ・モザイク壁画のパイオニアとして旧国立競技場などの公共施設に多くの作品を制作する。また、文化服装学院をはじめ、いくつかの教育機関で服飾史を講じた。本名は龍三。 | ||
暁星高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
7月9日生まれの人  1897年生まれの人 |
女子学院高等学校の出身者
163 | 池田蕉園 | Wikipedia |
池田 蕉園(いけだ しょうえん、1886年(明治19年)5月13日 - 1917年(大正6年)12月1日)は、明治から大正にかけての女性浮世絵師、日本画家。本名池田(旧姓榊原)百合子(あるいは由理子)。夫も日本画家の池田輝方。 | ||
5月13日生まれの人  1886年生まれの人 |
麻布高等学校の出身者
164 | 岡鹿之助 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
岡 鹿之助(おか しかのすけ、1898年(明治31年)7月2日 - 1978年(昭和53年)4月28日)は、昭和時代に活躍した洋画家。東京府麻布区出身。文化勲章受章者。 | ||
麻布高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
7月2日生まれの人  1898年生まれの人 | ||
165 | 長谷川潔 | Wikipedia |
長谷川 潔(はせがわ きよし、1891年(明治24年)12月9日 - 1980年(昭和55年)12月13日)は大正・昭和期に活躍した日本の版画家。 | ||
12月9日生まれの人  1891年生まれの人 |
芝高等学校の出身者
166 | 吉田善彦 | Wikipedia |
吉田 善彦(よしだ よしひこ、1912年(大正元年)10月21日 - 2001年(平成13年)11月29日)は、東京都出身の日本の日本画家、教育者。本名誠二郎。 | ||
10月21日生まれの人  1912年生まれの人 | ||
167 | 田中一村 栃木市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
田中一村(たなか いっそん、1908年7月22日 - 1977年9月11日)は、日本画家である。奄美大島の自然を愛し、その植物や鳥を鋭い観察と画力で力強くも繊細な花鳥画に描いた。本名は田中孝。 | ||
芝高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 栃木市の出身者 | ||
7月22日生まれの人  1908年生まれの人 |
高輪高等学校の出身者
168 | 加藤まさを 立教大学へ進学 | Wikipedia |
加藤 まさを(かとう まさを、1897年4月10日 - 1977年11月1日)は、日本の画家。本名は正男。静岡県藤枝市出身。立教大学英文科中退。 | ||
高輪高等学校から立教大学への進学者 全国の立教大学の出身者 | ||
4月10日生まれの人  1897年生まれの人 | ||
169 | 山口蓬春 松前町 | Wikipedia |
山口 蓬春(やまぐち ほうしゅん、1893年10月15日 - 1971年5月31日)は、日本画家。北海道松前郡松城町(現・松前町)生まれ。本名、三郎。 | ||
松前町の出身者 | ||
10月15日生まれの人  1893年生まれの人 |
東京女子学園高等学校の出身者
170 | 深水藤子 | Wikipedia |
深水 藤子(ふかみず ふじこ、1916年4月10日 - 2011年12月18日)は、日本の映画女優である。画家の伊東深水が同芸名の名づけ親で、本名は安田 富士子(やすだ ふじこ、旧姓)。戦前の日活京都の時代劇スター女優であり、戦後は沈黙したが、林海象監督の手によりふたたびスクリーンに登場した。 | ||
4月10日生まれの人  1916年生まれの人 |
東洋英和女学院高等部の出身者
171 | 神津はづき ニューヨーク大学へ進学 | Wikipedia |
神津 はづき(こうづ はづき、1962年8月31日 - )は、東京都出身の日本の女優である。俳優の杉本哲太は夫、女優の中村メイコは母、作曲家の神津善行は父、作家の中村正常は祖父、作家でエッセイストの神津カンナは姉、画家の神津善之介は弟にあたる。 | ||
東洋英和女学院高等部からニューヨーク大学への進学者 全国のニューヨーク大学の出身者 | ||
8月31日生まれの人  1962年生まれの人 | ||
172 | 世良臣絵 | Wikipedia |
世良美術館(せらびじゅつかん)は、昭和を代表する洋画家・小磯良平に師事した女流画家世良臣絵が開設した美術館。 |
明治学院高等学校の出身者
173 | 和田英作 垂水市 明治学院大学へ進学 | Wikipedia |
和田 英作(わだ えいさく、1874年12月23日 - 1959年1月3日)は、鹿児島県出身の洋画家・教育者。東京美術学校校長(1932年-1936年)。文化勲章受章者、文化功労者。父は和田秀豊、弟は和田秀穂。 | ||
明治学院高等学校から明治学院大学への進学者 全国の明治学院大学の出身者 垂水市の出身者 | ||
12月23日生まれの人  1874年生まれの人 |
山脇学園高等学校の出身者
174 | 北林谷栄 | Wikipedia |
北林 谷榮(きたばやし たにえ、1911年5月21日 - 2010年4月27日)は、日本の女優・声優。 本名・安藤 令子/蓮以子(あんどう れいこ)[4][5]。長男は画家の河原朝生。 | ||
5月21日生まれの人  1911年生まれの人 |
成城高等学校の出身者
175 | 清水登之 栃木市 | Wikipedia |
清水 登之(しみず とし、1887年(明治20年)1月1日 - 1945年(昭和20年)12月7日)は、栃木県出身の画家。 | ||
栃木市の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1887年生まれの人 |
早稲田高等学校の出身者
176 | 鈴木信吾 立教大学へ進学 | Wikipedia |
鈴木 信吾(すずき しんご、1944年5月19日 - 1993年7月4日)は日本の画家・版画家。古い銅版画の技法の一つであるスティプル・エングレーヴィングを復活させた。 | ||
早稲田高等学校から立教大学への進学者 全国の立教大学の出身者 | ||
5月19日生まれの人  1944年生まれの人 | ||
177 | 服部満彦 | Wikipedia |
芳野満彦(よしの みつひこ、1931年(昭和6年) - 2012年(平成24年)2月5日)は、登山家・RCC IIの創立同人・画家。東京都荒川区日暮里生まれ。アルムクラブ所属。 | ||
1931年生まれの人 | ||
178 | 内田巌 | Wikipedia |
内田 巌(うちだ いわお、1900年2月15日 - 1953年7月17日)は洋画家。評論家内田魯庵の長男。 | ||
2月15日生まれの人  1900年生まれの人 | ||
179 | 曽宮一念 | Wikipedia |
曾宮 一念(そみや いちねん、1893年9月9日 - 1994年12月21日)は、日本の洋画家、随筆家。 | ||
9月9日生まれの人  1893年生まれの人 |
180 | 鶴田吾郎 | Wikipedia |
鶴田 吾郎(つるた ごろう、1890年7月8日 - 1969年1月6日)は、日本の画家(洋画家)、版画家。日本美術展覧会会員。 | ||
7月8日生まれの人  1890年生まれの人 | ||
181 | 中村彝 水戸市 | Wikipedia |
中村 彝(なかむら つね、1887年7月3日 - 1924年12月24日)は、大正期にかけての洋画家である。 | ||
水戸市の出身者 | ||
7月3日生まれの人  1887年生まれの人 | ||
182 | 萬鐵五郎 | Wikipedia |
萬 鉄五郎(よろず てつごろう、萬 鐵五郎、1885年11月17日 - 1927年5月1日)は大正~昭和初期の画家。 | ||
11月17日生まれの人  1885年生まれの人 |
郁文館高等学校の出身者
183 | 松岡映丘 | Wikipedia |
松岡 映丘(まつおか えいきゅう、1881年7月9日 - 1938年3月2日)は、大正・昭和初期にかけ活動した日本画家。本名は輝夫。 | ||
7月9日生まれの人  1881年生まれの人 |
京華高等学校の出身者
184 | 浜口陽三 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
浜口 陽三(はまぐち ようぞう、1909年4月5日 - 2000年12月25日)は、和歌山県有田郡広村(現・有田郡広川町)出身の版画家。銅版画の一種であるメゾチントを復興し、カラーメゾチント技法の開拓者となった。葉巻の愛好家。同じく版画家の南桂子は妻。 | ||
京華高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
4月5日生まれの人  1909年生まれの人 | ||
185 | 木村荘八 | Wikipedia |
木村 荘八(きむら しょうはち、1893年(明治26年)8月21日 - 1958年(昭和33年)11月18日)は、日本の洋画家、随筆家、版画家。 | ||
8月21日生まれの人  1893年生まれの人 | ||
186 | 清水良雄 文京区 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
清水良雄(しみずよしお、1891年8月4日 - 1954年1月29日)は洋画家、童画家。 | ||
京華高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 文京区の出身者 | ||
8月4日生まれの人  1891年生まれの人 | ||
187 | 前田青邨 中津川市 | Wikipedia |
前田 青邨(まえだ せいそん、1885年1月27日 - 1977年10月27日)は、岐阜県中津川市出身の日本画家。妻は荻江節の5代目荻江露友。 | ||
中津川市の出身者 | ||
1月27日生まれの人  1885年生まれの人 |
駒込高等学校の出身者
188 | 有元利夫 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
有元 利夫(ありもと としお、1946年9月23日 - 1985年2月24日)は、日本の画家。妻は日本画家、陶芸家の有元容子。 | ||
駒込高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1946年生まれの人 |
獨協高等学校の出身者
189 | 恩地孝四郎 | Wikipedia |
恩地 孝四郎(おんち こうしろう、1891年(明治24年)7月2日 - 1955年(昭和30年)6月3日)は、東京府南豊島郡淀橋町出身の版画家・装幀家・写真家・詩人。長女は児童文学翻訳家の恩地三保子。 | ||
7月2日生まれの人  1891年生まれの人 |
日本大学豊山高等学校の出身者
190 | 後藤純男 野田市 | Wikipedia |
後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 2016年10月18日)は、日本画の画家。 | ||
野田市の出身者 | ||
1月21日生まれの人  1930年生まれの人 | ||
191 | 城米彦造 | Wikipedia |
城米彦造(じょうまいひこぞう 1904年5月4日 - 2006年5月8日)は、日本の昭和時代に活動した画家、路上詩人。第二次大戦後の10年間、国鉄の有楽町駅前にて自作の詩集を手売りしていたことで知られる。 | ||
5月4日生まれの人  1904年生まれの人 |
安田学園高等学校の出身者
192 | 牧野邦夫 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
牧野 邦夫(まきの くにお、1925年5月27日 - 1986年10月1日)は、東京都渋谷区幡ヶ谷生まれの画家。 | ||
安田学園高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
5月27日生まれの人  1925年生まれの人 |
攻玉社高等学校の出身者
193 | 谷川晃一 | Wikipedia |
谷川 晃一(たにがわ こういち、1938年2月16日 - )は、画家・エッセイスト・美術評論家・絵本作家。妻も画家・エッセイストの宮迫千鶴。1988年より伊豆高原在住で、伊豆高原アートフェスティバル運営委員長。 | ||
2月16日生まれの人  1938年生まれの人 |
香蘭女学校高等科の出身者
194 | 上橋菜穂子 立教大学へ進学 | Wikipedia |
上橋 菜穂子(うえはし なほこ、1962年7月15日 - )は、東京都生まれの児童文学作家、ファンタジー作家、SF作家、文化人類学者。日本児童文学者協会会員。父は洋画家の上橋薫。 | ||
香蘭女学校高等科から立教大学への進学者 全国の立教大学の出身者 | ||
7月15日生まれの人  1962年生まれの人 |
日本音楽高等学校の出身者
195 | 工藤静香 羽村市 | Wikipedia |
工藤 静香(くどう しずか、1970年4月14日 - )は、日本の歌手、女優、タレント、宝飾デザイナー、画家。本名、木村 静香(きむら しずか、旧姓:工藤)。夫は元SMAPの木村拓哉。 | ||
羽村市の出身者 | ||
4月14日生まれの人  1970年生まれの人 |
成城学園高等学校の出身者
196 | 福王寺一彦 | Wikipedia |
福王寺 一彦(ふくおうじ かずひこ、1955年4月3日 - )は、日本の画家。日本藝術院会員。 | ||
4月3日生まれの人  1955年生まれの人 |
田園調布雙葉高等学校の出身者
197 | 岡田裕子 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
岡田 裕子(おかだ ひろこ、1970年 - )は、日本の画家、現代美術家。 | ||
田園調布雙葉高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 | ||
1970年生まれの人 |
日本学園高等学校の出身者
198 | 佐藤圀夫 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 圀夫(さとう くにお、1922年8月16日 - 2006年1月24日)は、日本画家、日本芸術院会員。 | ||
日本学園高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
8月16日生まれの人  1922年生まれの人 | ||
199 | 中西利雄 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
中西 利雄(なかにし としお、男性、1900年12月19日 - 1948年10月6日)は、大正~昭和の洋画家。 | ||
日本学園高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
12月19日生まれの人  1900年生まれの人 |
200 | 鈴木千久馬 | Wikipedia |
鈴木 千久馬(すずき ちくま、1894年7月23日 - 1980年9月7日)は、洋画家、日本芸術院会員。 | ||
7月23日生まれの人  1894年生まれの人 | ||
201 | 鏑木清方 | Wikipedia |
鏑木 清方(かぶらき きよかた、1878年(明治11年)8月31日 - 1972年(昭和47年)3月2日)は、明治~昭和期の浮世絵師、日本画家。なお、姓は「かぶらぎ」でなく「かぶらき」と読むのが正しい。 | ||
8月31日生まれの人  1878年生まれの人 | ||
202 | 埴原正直 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
埴原 正直(はにはら まさなお、1876年(明治9年)8月25日 - 1934年(昭和9年)12月20日)は、日本の外交官。外務次官、駐アメリカ大使、ワシントン会議全権委員。洋画家の埴原久和代は妹。 | ||
日本学園高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
8月25日生まれの人  1876年生まれの人 | ||
203 | 菱田春草 飯田市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
菱田 春草(ひしだ しゅんそう、1874年(明治7年)9月21日 - 1911年(明治44年)9月16日)は、明治期の日本画家。横山大観、下村観山とともに岡倉天心(覚三)の門下で、明治期の日本画の革新に貢献した。本名は三男治(みおじ)。明治以降の日本画家としては一番重要文化財が多く指定されており、最も人気の日本画家の一人。 | ||
日本学園高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 飯田市の出身者 | ||
9月21日生まれの人  1874年生まれの人 | ||
204 | 西郷孤月 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
西郷 孤月(さいごう こげつ、明治6年(1873年)9月23日 - 大正元年(1912年)8月31日)は、明治期の日本画家、美術教育者である。本名は規(めぐる)。日本美術院の創設者のひとり。 | ||
日本学園高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1873年生まれの人 | ||
205 | 横山大観 水戸市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
横山 大観(よこやま たいかん、正字体:大觀、1868年11月2日(明治元年9月18日) - 1958年(昭和33年)2月26日)は、日本の美術家、日本画家。常陸国水戸(現在の茨城県水戸市下市)出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術院会員。第1回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈された。茨城県名誉県民。東京都台東区名誉区民。本名、横山 秀麿(よこやま ひでまろ)。 | ||
日本学園高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 水戸市の出身者 | ||
11月2日生まれの人  1868年生まれの人 |
青山学院高等部の出身者
206 | Rie fu ロンドン芸術大学へ進学 | Wikipedia |
Rie fu(リエ フゥ、1985年1月11日 - )は、日本のシンガーソングライター、画家。本名:舩越里恵(ふなこし りえ)。東京都出身。青山学院高等部を経てロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ卒業。gr8! records・ソニー・ミュージックエンタテインメント所属。 | ||
青山学院高等部からロンドン芸術大学への進学者 全国のロンドン芸術大学の出身者 | ||
1月11日生まれの人  1985年生まれの人 | ||
207 | 脇田和 青山学院大学へ進学 | Wikipedia |
脇田 和(わきた かず、男性、1908年(明治41年)6月7日 - 2005年(平成17年)11月27日)は昭和期に活躍した日本の洋画家。新制作協会創立会員。童話的で温かな印象を受ける作風が特徴。実子は洋画家の脇田愛二郎。 | ||
青山学院高等部から青山学院大学への進学者 全国の青山学院大学の出身者 | ||
6月7日生まれの人  1908年生まれの人 | ||
208 | 東郷青児 鹿児島市 | Wikipedia |
東郷 青児(とうごう せいじ、1897年(明治30年)4月28日 - 1978年(昭和53年)4月25日)は日本の洋画家。本名は東郷 鉄春。夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡した。派手なパフォーマンスで二科展の宣伝に尽力し、「二科会のドン」と呼ばれた。 1916年 パラソルさせる女 第1回昭和洋画奨励賞 1928年 日本芸術院賞 1957年 日活映画『誘惑』 | ||
鹿児島市の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1897年生まれの人 | ||
209 | 川上澄生 横浜市 | Wikipedia |
川上 澄生(かわかみ すみお、明治28年(1895年)4月10日 - 昭和47年(1972年)9月1日)は、日本の版画家。神奈川県出身。 | ||
横浜市の出身者 | ||
4月10日生まれの人  1895年生まれの人 |
渋谷教育学園渋谷高等学校の出身者
210 | 内田すずめ | Wikipedia |
内田 すずめ(うちだ すずめ)は日本の画家。東京を中心に展示活動している。 |
女子美術大学付属高等学校の出身者
211 | 福士朋子 女子美術大学へ進学 | Wikipedia |
福士 朋子(ふくし ともこ、1967年 - )は、日本の洋画家。女子美術大学教授。 | ||
女子美術大学付属高等学校から女子美術大学への進学者 全国の女子美術大学の出身者 | ||
1967年生まれの人 | ||
212 | 継岡リツ 女子美術大学へ進学 | Wikipedia |
継岡 リツ(つぎおか -、 (旧姓:丸橋) 1939年 - )は、日本の洋画家。 | ||
女子美術大学付属高等学校から女子美術大学への進学者 全国の女子美術大学の出身者 | ||
1939年生まれの人 |
日本大学第二高等学校の出身者
213 | 萩原英雄 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
萩原 英雄(はぎわら ひでお、1913年〈大正2年〉2月22日 - 2007年〈平成19年〉11月4日)は日本の画家。油彩画、現代木版画などを描く。 | ||
日本大学第二高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
2月22日生まれの人  1913年生まれの人 |
学習院高等科の出身者
214 | 舟崎克彦 学習院大学へ進学 | Wikipedia |
舟崎 克彦(ふなざき よしひこ、1945年2月2日 - 2015年10月15日)は、日本の作家、詩人、作詞家、挿絵画家、劇画原作者。森窓一郎名義での作品もあり、著書は300冊以上にのぼる。影響を受けた文学者として、谷崎潤一郎、金子光晴、西東三鬼の3人を挙げている。柔道三段。2015年3月まで白百合女子大学教授として文章表現と創作の授業を講じる。 | ||
学習院高等科から学習院大学への進学者 全国の学習院大学の出身者 | ||
2月2日生まれの人  1945年生まれの人 | ||
215 | 武者小路実篤 千代田区 東京大学へ進学 | Wikipedia |
武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、1885年(明治18年)5月12日 - 1976年(昭和51年)4月9日)は、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。 | ||
学習院高等科から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 千代田区の出身者 | ||
5月12日生まれの人  1885年生まれの人 |
川村高等学校の出身者
216 | 雪村いづみ 目黒区 | Wikipedia |
雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月20日 - )は、日本の歌手、女優、画家。一般社団法人日本歌手協会相談役。本名は朝比奈 知子(あさひな ともこ)。愛称は本名から「トン子」「トンちゃん」。 | ||
目黒区の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1937年生まれの人 |
巣鴨高等学校の出身者
217 | 浦田正夫 山鹿市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
浦田 正夫(うらた まさお、1910年5月1日 - 1997年11月30日)は、日本画家、日本芸術院会員。 | ||
巣鴨高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 山鹿市の出身者 | ||
5月1日生まれの人  1910年生まれの人 |
立教池袋高等学校の出身者
218 | 中原洲一 | Wikipedia |
中原 洲一(なかはら しゅういち、1944年2月28日 - 2004年3月)は東京都出身の画家。 | ||
2月28日生まれの人  1944年生まれの人 |
順天高等学校の出身者
219 | 赤羽末吉 | Wikipedia |
赤羽 末吉(あかば すえきち 、1910年5月3日 - 1990年6月8日 )は、日本の舞台美術作家、絵本画家、絵本作家。 | ||
5月3日生まれの人  1910年生まれの人 |
聖学院高等学校の出身者
220 | 金子國義 蕨市 日本大学へ進学 | Wikipedia |
金子 國義(かねこ くによし、1936年7月23日 - 2015年3月16日)は、日本の画家。 | ||
聖学院高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1936年生まれの人 |
開成高等学校の出身者
221 | 逢坂剛 文京区 中央大学へ進学 | Wikipedia |
逢坂 剛(おうさか ごう、1943年11月1日 - )は、日本の小説家、推理作家。東京都文京区生まれ。本名は中 浩正(なか ひろまさ)。父は挿絵画家の中一弥。 | ||
開成高等学校から中央大学への進学者 全国の中央大学の出身者 文京区の出身者 | ||
11月1日生まれの人  1943年生まれの人 | ||
222 | 村山知義 千代田区 東京大学へ進学 | Wikipedia |
村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。日本演出者協会初代理事長。 | ||
開成高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 千代田区の出身者 | ||
1月18日生まれの人  1901年生まれの人 | ||
223 | 小穴隆一 函館市 | Wikipedia |
小穴 隆一(おあな りゅういち、1894年11月28日 - 1966年4月24日)は、日本の洋画家、随筆家、俳人。俳号は一游亭。 | ||
函館市の出身者 | ||
11月28日生まれの人  1894年生まれの人 | ||
224 | 辻潤 | Wikipedia |
辻 潤(つじ じゅん、1884年10月4日 - 1944年11月24日?)は、日本の翻訳家、思想家である。日本におけるダダイスムの中心的人物の一人とされる。画家、詩人の辻まことは長男である。 | ||
10月4日生まれの人  1884年生まれの人 |
武蔵高等学校の出身者
225 | 今井俊満 | Wikipedia |
今井 俊満(いまい としみつ、1928年5月6日 - 2002年3月3日)は、日本の洋画家。アンフォルメルの画家として、日本とパリを拠点に活動した。今井アレクサンドル、今井龍満(りゅうま)も画家。 | ||
5月6日生まれの人  1928年生まれの人 |
早稲田大学高等学院の出身者
226 | 難波田史男 | Wikipedia |
難波田 史男(なんばた ふみお、1941年4月27日 - 1974年1月29日)は、日本の洋画家。東京都世田谷区経堂出身。絵画作品のほか、没後に出版された日記集(「終着駅は宇宙ステーション」、結果的に唯一の自叙伝になった)もある。 | ||
4月27日生まれの人  1941年生まれの人 | ||
227 | 戸井昌造 | Wikipedia |
戸井 昌造(とい しょうぞう、1923年(大正12年)4月16日 - 2000年(平成12年)4月17日)は、日本の画家、民俗研究家、作家。兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。息子は作家の戸井十月。 | ||
4月16日生まれの人  1923年生まれの人 |
成蹊高等学校の出身者
228 | 伊藤滋 同志社大学へ進学 | Wikipedia |
伊藤 滋(いとう しげる、1931年8月20日 - )は、都市計画家。早稲田大学特命教授、慶應義塾大学大学院客員教授、東京大学名誉教授。学位は工学博士(東京大学)。伊藤滋都市計画事務所主宰。一般財団法人日本地域開発センター理事長、NPO法人日本都市計画家協会会長、アジア防災センター・センター長、内閣官房都市再生戦略チーム座長、国土審議会、都市計画中央審議会委員を歴任。2030年の東京都心市街地像研究会座長。さいたま新都心計画チーフプロデューサー。環長崎港地域アーバンデザイン専門家会議座長。専門は、都市防災論、国土及び都市計画。 | ||
成蹊高等学校から同志社大学への進学者 全国の同志社大学の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1931年生まれの人 | ||
229 | 高山英華 杉並区 東京大学へ進学 | Wikipedia |
高山 英華(たかやま えいか 1910年4月20日 - 1999年7月23日)は日本の都市計画家、建築家。東京大学工学部名誉教授。近代都市計画学の創始者。建築系の都市計画学者で、また都市工学の先駆者として都市再開発から広く地域開発、都市防災の推進等を通しまちづくり事業に貢献し、都市計画分野に大きな足跡を残す。工学博士。東京出身。 | ||
成蹊高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 杉並区の出身者 | ||
4月20日生まれの人  1910年生まれの人 |
桐朋女子高等学校の出身者
230 | 城戸真亜子 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
城戸 真亜子(きど まあこ、1961年8月28日 - )は、日本の洋画家であり、タレントである。本名、吉田 真亜子(よしだ まあこ)旧姓、城戸。中部国際空港株式会社顧問、テレビ東京番組審議会委員、中日本高速道路CSR懇談会委員。 | ||
桐朋女子高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 | ||
8月28日生まれの人  1961年生まれの人 |
日本大学第三高等学校の出身者
231 | 茂田井武 | Wikipedia |
茂田井 武(もたい たけし、1908年9月29日 - 1956年11月2日)は、昭和時代に活躍した日本の童画家。 | ||
9月29日生まれの人  1908年生まれの人 |
早稲田実業学校の出身者
232 | 林武 | Wikipedia |
林 武(はやし たけし、1896年(明治29年)12月10日 - 1975年(昭和50年)6月23日)は、東京都出身の日本の洋画家。本名は武臣(たけおみ)といった。大正末期から洋画家として活動を始め戦後には原色を多用し絵具を盛り上げた手法で女性や花、風景などを描き人気を得た。晩年には国語問題審議会の会長も務めている。なお、孫に元衆議院議員の林潤がいる。 | ||
12月10日生まれの人  1896年生まれの人 | ||
233 | 竹久夢二 瀬戸内市 | Wikipedia |
竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、1884年(明治17年)9月16日 - 1934年(昭和9年)9月1日)は、日本の画家・詩人。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。 | ||
瀬戸内市の出身者 | ||
9月16日生まれの人  1884年生まれの人 |
神奈川県立神奈川工業高等学校の出身者
234 | 熊田五郎 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
熊田 五郎(くまだ ごろう、1911年(明治44年)7月21日 - 2009年(平成21年)8月13日)は、日本のグラフィックデザイナー、絵本画家、挿絵画家、童画家。絵本画家としては、熊田 千佳慕(くまだ ちかぼ)というペンネームを用いている。 | ||
神奈川県立神奈川工業高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
7月21日生まれの人  1911年生まれの人 |
神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校の出身者
235 | 北沢猛 塩尻市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
北沢 猛(きたざわ たける、1953年6月24日 - 2009年12月22日)は、日本の都市計画家、アーバンデザイナー。東京大学大学院新領域創成科学研究科および東京大学大学院工学系研究科教授。工学博士。 | ||
神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 塩尻市の出身者 | ||
6月24日生まれの人  1953年生まれの人 |
神奈川県立港北高等学校の出身者
236 | 伊東明日香 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
伊東 明日香(いとう あすか、1978年 - )は、日本の現代美術家、画家。 | ||
神奈川県立港北高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
1978年生まれの人 | ||
237 | 岩佐なを 杉並区 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
岩佐なを(いわさ なを、男性、1954年6月18日 - )は日本の詩人、画家(主に、版画、ドローイング)。本名・直人。 | ||
神奈川県立港北高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 杉並区の出身者 | ||
6月18日生まれの人  1954年生まれの人 |
神奈川県立上矢部高等学校の出身者
238 | 淺井裕介 | Wikipedia |
淺井 裕介(あさい ゆうすけ、1981年3月3日 - )は、日本の画家、アーティスト。 | ||
3月3日生まれの人  1981年生まれの人 |
神奈川県立旭高等学校の出身者
239 | 池田努 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
池田 努(いけだ つとむ、1978年12月17日 - )は石原プロモーションに所属する日本の俳優である。神奈川県出生。神奈川県立旭高等学校卒業、多摩美術大学中退。ニューヨークで開催された芸術祭にて、自身の絵画作品が展示されるなど画家としての一面も持つ。 | ||
神奈川県立旭高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 | ||
12月17日生まれの人  1978年生まれの人 |
神奈川県立希望ヶ丘高等学校の出身者
240 | 國領經郎 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
國領 經郎(こくりょう つねろう、1919年10月12日 - 1999年3月13日)は、洋画家、日本芸術院会員。 | ||
神奈川県立希望ヶ丘高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
10月12日生まれの人  1919年生まれの人 |
神奈川県立川崎高等学校の出身者
241 | 西岡文彦 | Wikipedia |
西岡 文彦(にしおか ふみひこ、1952年 - )は、日本の版画家、多摩美術大学教授。 1971年、神奈川県立川崎高等学校卒業。版画家森義利に師事。1977年、日本版画協会展新人賞。1978年、国展新人賞受賞。雑誌「遊」(工作舎)の装画を機に、出版分野でも活動。著書も多い。1996年、多摩美術大学講師。2003年、造形表現学部デザイン学科助教授、2007年、准教授、2009年、教授。 | ||
1952年生まれの人 |
神奈川県立麻溝台高等学校の出身者
242 | こ〜ちゃ | Wikipedia |
こ〜ちゃ(9月26日- 男性)はゲームクリエイター(グラフィッカー、原画家)である。有限会社アレスのアダルトゲームブランドういんどみる/ういんどみるOasis所属。神奈川県出身。 | ||
9月26日生まれの人   |
神奈川県立横須賀高等学校の出身者
243 | 島田章三 横須賀市 東京藝術大学へ進学 | Wikipedia |
島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2016年11月26日)は、日本の洋画家、版画家、日本藝術院会員、愛知県立芸術大学名誉教授。兄は歌人の島田修二。 | ||
神奈川県立横須賀高等学校から東京藝術大学への進学者 全国の東京藝術大学の出身者 横須賀市の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1933年生まれの人 | ||
244 | 島田修二 横須賀市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19日 - 平成17年(2004年)9月12日)は、日本の歌人。宮中歌会始選者も務めた。洋画家で文化功労者の島田章三は実弟。 | ||
神奈川県立横須賀高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 横須賀市の出身者 | ||
8月19日生まれの人  1928年生まれの人 |
慶應義塾高等学校の出身者
245 | 石原延啓 逗子市 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
石原 延啓(いしはら のぶひろ、1966年8月22日 - )は、日本の画家・美術家。 | ||
慶應義塾高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
8月22日生まれの人  1966年生まれの人 | ||
246 | 千住博 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
千住 博(せんじゅ ひろし、1958年1月7日 - )は、日本画家。東京都生まれ。 | ||
慶應義塾高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
1月7日生まれの人  1958年生まれの人 | ||
247 | 石坂浩二 大田区 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年(昭和16年)6月20日 - )は、日本の俳優・タレント・司会者・画家・作家・翻訳家・作詞家・ナレーターである。2015年10月からプロダクション尾木に所属。本名、武藤 兵吉(むとう へいきち)。愛称は兵ちゃん。 | ||
慶應義塾高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 大田区の出身者 | ||
6月20日生まれの人  1941年生まれの人 | ||
248 | 加山雄三 横浜市 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年4月11日 - )は、日本の俳優、シンガーソングライター、タレント、ギタリスト、ウクレレ奏者、ピアニスト、画家。本名は池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは若大将。作曲家としてのペンネームは弾 厚作(だん こうさく)。血液型A型。 小桜葉子(母) 池端亮子(妹) 池端信宏(長男) 山下徹大(次男) 梓真悠子(長女) | ||
慶應義塾高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 横浜市の出身者 | ||
4月11日生まれの人  1937年生まれの人 |
森村学園高等部の出身者
249 | 出田節子 上智大学へ進学 | Wikipedia |
出田 節子(いでた せつこ、1942年 - )は、画家でシュルレアリスムの巨匠であるバルテュスの夫人。本人も画家である。出田節子は日本名で、現在の本名は、セツコ・クロソフスカ=ド=ローラ(Setsuko Klossowska de Rola)である。 | ||
森村学園高等部から上智大学への進学者 全国の上智大学の出身者 | ||
1942年生まれの人 | ||
250 | イサム・ノグチ ロサンゼルス | Wikipedia |
イサム・ノグチ(Isamu Noguchi、日本名:野口 勇、1904年11月17日 - 1988年12月30日)は、アメリカ合衆国ロサンゼルス生まれの彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家・作庭家、舞台芸術家。日系アメリカ人である。 | ||
11月17日生まれの人  1904年生まれの人 |
日本女子大学附属高等学校の出身者
251 | 河内桃子 台東区 | Wikipedia |
河内 桃子(こうち ももこ、本名:久松 桃子、旧姓:大河内、1932年3月7日 - 1998年11月5日)は、日本の女優。日本女子大学附属高等学校卒業。東京府東京市(現在の東京都台東区谷中)出身。血液型はO型。俳優座所属。女優としては久我美子と並ぶ名家出身で、祖父は理研グループ総帥で子爵であった大河内正敏、父は正敏の次男で画家であった大河内信敬。夫は今治松平家末裔でテレビプロデューサーの久松定隆。 | ||
台東区の出身者 | ||
3月7日生まれの人  1932年生まれの人 |
鎌倉学園高等学校の出身者
252 | 福井良宏 | Wikipedia未登録 |
日本画家。御茶ノ水美術学院卒 | ||
1月1日生まれの人  1900年生まれの人 | ||
253 | 福井良佑 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia未登録 |
画家。東京芸術大学大学院修了 | ||
鎌倉学園高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1900年生まれの人 | ||
254 | 藪野豊昭 | Wikipedia未登録 |
画家 | ||
1月1日生まれの人  1900年生まれの人 | ||
255 | 岩坂義樹 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia未登録 |
画家 渋谷美術研究所所長 鎌倉学園美術教師 | ||
鎌倉学園高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1900年生まれの人 |
藤嶺学園藤沢高等学校の出身者
256 | 鳥海青児 関西大学へ進学 | Wikipedia |
鳥海 青児(ちょうかい せいじ、1902年3月4日 - 1972年6月11日)は、神奈川県平塚市生まれの洋画家。本名は正夫。茶色を基調とした渋い色調の絵具を多用し、土壁のような絵肌の単純化された構図の作品を数多く制作した。 | ||
藤嶺学園藤沢高等学校から関西大学への進学者 全国の関西大学の出身者 | ||
3月4日生まれの人  1902年生まれの人 |
逗子開成高等学校の出身者
257 | 鈴木竹柏 | Wikipedia |
鈴木 竹柏(すずき ちくはく、1918年12月4日 - )は、日本画家、日本芸術院会員。神奈川県生まれ。 | ||
12月4日生まれの人  1918年生まれの人 |
新潟県立新潟高等学校の出身者
258 | 笹岡了一 | Wikipedia |
笹岡 了一(ささおか りょういち、1907年8月23日 - 1987年6月8日)は、日本の洋画家。本名は秋元 了一(あきもと りょういち)で、結婚後も旧姓で活動していた。妻は画家・詩人の秋元松子、長女(養女)は画家の秋元由美子。 | ||
8月23日生まれの人  1907年生まれの人 |
新潟県立三条高等学校の出身者
259 | 岩田正巳 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
岩田 正巳(いわた まさみ、1893年(明治28年)8月11日 - 1988年(昭和63年)3月9日)は、日本画家、日本芸術院会員。 | ||
新潟県立三条高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
8月11日生まれの人  1893年生まれの人 |
新潟県立長岡高等学校の出身者
260 | 川上四郎 長岡市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
川上 四郎(かわかみ しろう、1889年11月16日 - 1983年12月30日)は童画画家。 | ||
新潟県立長岡高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 長岡市の出身者 | ||
11月16日生まれの人  1889年生まれの人 |
新潟県立六日町高等学校の出身者
261 | 飛鳥部勝則 新潟大学へ進学 | Wikipedia |
飛鳥部 勝則 (あすかべ かつのり、本名:阿部 勝則(あべ かつのり)、1964年10月18日 - )は、日本の小説家、推理作家、洋画家。新潟県南魚沼郡塩沢町生まれ。 | ||
新潟県立六日町高等学校から新潟大学への進学者 全国の新潟大学の出身者 | ||
10月18日生まれの人  1964年生まれの人 |
新潟明訓高等学校の出身者
262 | 新井満 新潟市 上智大学へ進学 | Wikipedia |
新井 満(あらい まん、1946年5月7日 - )は、日本の男性著作家、作詞作曲家、歌手、写真家、環境映像プロデューサー、絵本画家。新潟県新潟市生まれ、北海道亀田郡七飯町在住。本名:滿(みつる)。 | ||
新潟明訓高等学校から上智大学への進学者 全国の上智大学の出身者 新潟市の出身者 | ||
5月7日生まれの人  1946年生まれの人 |
富山県立富山高等学校の出身者
263 | 瀧口修造 富山市 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
瀧口 修造(たきぐち しゅうぞう、1903年(明治36年)12月7日 - 1979年(昭和54年)7月1日)は、近代日本を代表する美術評論家、詩人、画家。戦前・戦後の日本における正統シュルレアリスムの理論的支柱であり、近代詩の詩人とは一線を画す存在。 | ||
富山県立富山高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 富山市の出身者 | ||
12月7日生まれの人  1903年生まれの人 |
富山県立高岡西高等学校の出身者
264 | 南桂子 高岡市 | Wikipedia |
南 桂子(みなみ けいこ、Keiko Minami、1911年2月12日 - 2004年12月1日)は、富山県射水郡出身の版画家(銅版画)。夫は版画家の浜口陽三。本名は浜口 桂子(はまぐち けいこ)。 | ||
高岡市の出身者 | ||
2月12日生まれの人  1911年生まれの人 |
富山県立高岡工芸高等学校の出身者
265 | 佐竹美保 | Wikipedia |
佐竹美保(さたけ みほ、1957年3月3日 - )は、富山県出身の画家。 | ||
3月3日生まれの人  1957年生まれの人 | ||
266 | 藤森兼明 砺波市(旧庄川町) 金沢美術工芸大学へ進学 | Wikipedia |
藤森 兼明(ふじもり かねあき、1935年 - )は、日本の洋画家。富山県砺波市出身。 日展評議員、光風会理事、金沢美術工芸大学非常勤講師、日本芸術院会員。 | ||
富山県立高岡工芸高等学校から金沢美術工芸大学への進学者 全国の金沢美術工芸大学の出身者 | ||
1935年生まれの人 | ||
267 | 郷倉千靱 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
郷倉 千靱(ごうくら せんじん、1892年3月3日 - 1975年10月25日)は、日本画家、日本芸術院会員。 | ||
富山県立高岡工芸高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
3月3日生まれの人  1892年生まれの人 |
石川県立小松高等学校の出身者
268 | 宮本三郎 小松市 | Wikipedia |
宮本 三郎(みやもと さぶろう、1905年5月23日 - 1974年10月13日)は石川県能美郡末佐美村(現・小松市)生まれの洋画家である。 | ||
小松市の出身者 | ||
5月23日生まれの人  1905年生まれの人 |
石川県立金沢錦丘高等学校の出身者
269 | 村田省蔵 金沢市 | Wikipedia |
村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月15日 - )は、日本の洋画家。石川県金沢市出身。 | ||
金沢市の出身者 | ||
6月15日生まれの人  1929年生まれの人 |
石川県立内灘高等学校の出身者
270 | 画家 | Wikipedia |
画家(がか)は、絵画を制作する者の総称である。日本画や洋画など、画風や画材・作成スタイルなどによって、様々なタイプの画家が存在する。画家たちで形成されるコミュニティー(社会)を画壇(がだん)という。 |
金沢高等学校の出身者
271 | 塗師祥一郎 金沢美術工芸大学へ進学 | Wikipedia |
塗師 祥一郎(ぬし しょういちろう、1932年4月24日 - 2016年9月21日)は、日本の洋画家(浦和画家)。2010年から日洋会理事長。石川県小松市生まれ[4]。 | ||
金沢高等学校から金沢美術工芸大学への進学者 全国の金沢美術工芸大学の出身者 | ||
4月24日生まれの人  1932年生まれの人 |
金沢大学附属高等学校の出身者
272 | 廣津里香 東京大学へ進学 | Wikipedia |
廣津 里香(ひろつ りか、1938年 - 1967年12月12日 )は、日本の画家、詩人。 | ||
金沢大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1938年生まれの人 |
福井県立藤島高等学校の出身者
273 | 堀田清治 | Wikipedia |
堀田 清治(ほった せいじ、1899年(明治32年)12月6日 - 1984年(昭和59年)2月17日)は、日本の洋画家。福井県福井市出身。福井県立福井中学(現・福井県立藤島高等学校)卒業。日本の洋画壇を代表するフォーブ(野獣派)の巨匠。日展文部大臣賞ほか受賞歴多数。日洋展委員・動く美術館運営委員もつとめ、積極的な美術活動を展開し多くの俊秀を育てた。芸術院会員に推挙されながらも終始一貫して断り続ける信念の人でもあった。 | ||
12月6日生まれの人  1899年生まれの人 | ||
274 | 島田墨仙 | Wikipedia |
島田 墨仙(しまだ ぼくせん、1867年11月4日(慶応3年10月9日) - 1943年(昭和18年)7月9日)は、明治から昭和初期に活躍した日本画家。橋本雅邦の弟子で、歴史画、特に歴史人物画に優品を残した。 | ||
11月4日生まれの人  1867年生まれの人 |
山梨県立甲府第一高等学校の出身者
275 | 望月春江 | Wikipedia |
望月 春江(もちづき しゅんこう、1893年(明治26年)11月13日 - 1979年(昭和54年)2月13日)は、日本の画家。本名は尚(ひさし)。 | ||
11月13日生まれの人  1893年生まれの人 | ||
276 | 埴原正直 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
埴原 正直(はにはら まさなお、1876年(明治9年)8月25日 - 1934年(昭和9年)12月20日)は、日本の外交官。外務次官、駐アメリカ大使、ワシントン会議全権委員。洋画家の埴原久和代は妹。 | ||
山梨県立甲府第一高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
8月25日生まれの人  1876年生まれの人 |
長野県立長野高等学校の出身者
277 | 池田満寿夫 満州 | Wikipedia |
池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年2月23日 - 1997年3月8日)は、画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動、多才がゆえに“池田芸術”は高い知名度のわりに現在でもなかなか正当に評価されていない。独創性を重視し、一つの表現手段にこだわらず、変身を繰り返したからである。 | ||
満州の出身者 | ||
2月23日生まれの人  1934年生まれの人 |
長野県立長野西高等学校の出身者
278 | 山田真美 明治学院大学へ進学 | Wikipedia |
山田 真美(やまだ まみ、1960年2月27日 - )は日本の作家。本名同じ。血液型はA型。夫は日本画家の山田真巳。愛犬はシーズーのブースケとクースケ、狆のパンダ。 | ||
長野県立長野西高等学校から明治学院大学への進学者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
2月27日生まれの人  1960年生まれの人 |
長野県立上田高等学校の出身者
279 | 清水正教 皇學館大学へ進学 | Wikipedia |
清水 正教(しみず まさのり、1940年7月 - )は、日本の画家(油画)。皇學館大学名誉教授。 | ||
長野県立上田高等学校から皇學館大学への進学者 全国の皇學館大学の出身者 | ||
1940年生まれの人 |
280 | 小山敬三 小諸市 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
小山 敬三(こやま けいぞう、1897年(明治30年)8月11日 - 1987年(昭和62年)2月7日)は、昭和期の洋画家。 | ||
長野県立上田高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 小諸市の出身者 | ||
8月11日生まれの人  1897年生まれの人 |
長野県立野沢北高等学校の出身者
281 | 山本文彦 筑波大学へ進学 | Wikipedia |
山本文彦(やまもと ふみひこ、1937年2月16日 - )は、日本の洋画家、筑波大学名誉教授、日本藝術院会員、美術団体の一般社団法人二紀会常任理事。 | ||
長野県立野沢北高等学校から筑波大学への進学者 全国の筑波大学の出身者 | ||
2月16日生まれの人  1937年生まれの人 |
長野県立岡谷東高等学校の出身者
282 | 宮原麗子 岡谷市 女子美術大学へ進学 | Wikipedia |
宮原 麗子(みやはら れいこ、1930年(昭和5年) - 、旧姓高橋)は、長野県岡谷市出身で神奈川県川崎市に在住する洋画家である。 | ||
長野県立岡谷東高等学校から女子美術大学への進学者 全国の女子美術大学の出身者 岡谷市の出身者 | ||
1930年生まれの人 | ||
283 | 野村千春 岡谷市 | Wikipedia |
野村 千春(のむら ちはる、1908年(明治41年)4月6日 - 2000年(平成12年)2月12日)は、長野県岡谷市出身の洋画家である。夫は児童文学者、歌人の巽聖歌。結婚後、東京都日野市に居住し、創作活動を行なった。 | ||
岡谷市の出身者 | ||
4月6日生まれの人  1908年生まれの人 |
長野県立諏訪実業高等学校の出身者
284 | 原田泰治 諏訪市 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長野県諏訪市出身の画家・グラフィックデザイナー。シンガーソングライターのさだまさしと親交が深く、原田の絵を題材にしたさだの楽曲もある。 | ||
長野県立諏訪実業高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 諏訪市の出身者 | ||
4月29日生まれの人  1940年生まれの人 |
長野県立諏訪二葉高等学校の出身者
285 | 辰野登恵子 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
辰野 登恵子(たつの とえこ、1950年1月13日 - 2014年9月29日)は、日本の画家、版画家。多摩美術大学教授。 | ||
長野県立諏訪二葉高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
1月13日生まれの人  1950年生まれの人 |
長野県立飯田高等学校の出身者
286 | 熊谷元一 阿智村 | Wikipedia |
熊谷元一(くまがい もといち、1909年7月12日 - 2010年11月6日)は、日本の写真家、童画家。 | ||
阿智村の出身者 | ||
7月12日生まれの人  1909年生まれの人 |
長野県立松本県ヶ丘高等学校の出身者
287 | 宮澤利昭 安曇野市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
宮澤 利昭 (みやざわ りしょう、1938年5月28日 - )は、日本の画家、イラストレーター、テレビ美術家。長野県安曇野市出身。 | ||
長野県立松本県ヶ丘高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 安曇野市の出身者 | ||
5月28日生まれの人  1938年生まれの人 |
長野県立松本深志高等学校の出身者
288 | 加々美豊 安曇野市 | Wikipedia |
加々美 豊(かがみ ゆたか、1928年(昭和3年) - )は、長野県安曇野市(旧東筑摩郡明科町)出身の画家で信州現代抽象画会代表。 | ||
安曇野市の出身者 | ||
1928年生まれの人 | ||
289 | 宮坂勝 松本市 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
宮坂 勝(みやさか まさる、1895年1月1日 - 1953年4月10日)は、明治から昭和にかけての洋画家。 | ||
長野県立松本深志高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 松本市の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1895年生まれの人 | ||
290 | 郷原古統 塩尻市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
郷原 古統(ごうばら ことう、1887年8月8日 - 1965年4月6日)は日本統治時代の台湾で活躍した日本の画家、美術教育者。本名は郷原藤一郎。 | ||
長野県立松本深志高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 塩尻市の出身者 | ||
8月8日生まれの人  1887年生まれの人 | ||
291 | 増田正宗 松本市 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
増田 正宗(ますだ せいそう、1885年 - 1966年)は、明治から昭和にかけての日本画家、本名は久太郎。実業家の増田通二の父。 | ||
長野県立松本深志高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 松本市の出身者 | ||
1885年生まれの人 | ||
292 | 一條成美 松本市 | Wikipedia |
一條 成美(いちじょう せいび/なるみ、男性、1877年9月25日 - 1911年3月16日)は、明治時代の日本の画家。 | ||
松本市の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1877年生まれの人 | ||
293 | 西原比呂志 松本市 | Wikipedia |
西原 比呂志(にしはら ひろし)は、日本の画家、イラストレーター。 | ||
松本市の出身者 |
岐阜県立大垣北高等学校の出身者
294 | 守屋多々志 大垣市 | Wikipedia |
守屋 多々志(もりや ただし、1912年(大正元年)8月10日 - 2003年(平成15年)12月22日)は、岐阜県大垣市出身の日本画家。本名は正(ただし)。 | ||
大垣市の出身者 | ||
8月10日生まれの人  1912年生まれの人 |
岐阜県立大垣南高等学校の出身者
295 | 土屋礼一 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
土屋 礼一(つちや れいいち、1946年2月28日 - )は、日本画家。本名:土屋禮一(つちや れいいち)。日本藝術院会員、日展常務理事、金沢美術工芸大学名誉教授・客員教授。 | ||
岐阜県立大垣南高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1946年生まれの人 |
静岡県立静岡高等学校の出身者
296 | 曽根幸一 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
曽根 幸一(そね こういち、1936年12月7日 - )は日本の都市計画家。建築家。アーバンデザイナー。曽根幸一環境設計研究所所長。芝浦工業大学システム工学部環境システム学科名誉教授。静岡県出身。息子は国際的なアーティストの曽根裕。 | ||
静岡県立静岡高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
12月7日生まれの人  1936年生まれの人 | ||
297 | 桜井誠 | Wikipedia |
桜井誠(さくらい まこと、1912年 - 1983年5月11日)は、主に絵本や児童書などの挿絵の執筆で活動した日本の挿絵画家。静岡県静岡市出身。 | ||
1912年生まれの人 |
静岡県立静岡商業高等学校の出身者
298 | 北川民次 | Wikipedia |
北川 民次(きたがわ たみじ、1894年1月17日 - 1989年4月26日)は、静岡県榛原郡五和村牛尾(現:島田市牛尾)出身の洋画家。二科会会長(1978年)。アメリカ合衆国とメキシコに計22年間滞在し、高まりを見せていたメキシコ壁画運動などのメキシコ絵画(英語版)の影響を受けて力強い作風の作品を残した。児童美術の教育者としても活動した。 | ||
1月17日生まれの人  1894年生まれの人 |
静岡県立清水東高等学校の出身者
299 | 望月照彦 日本大学へ進学 | Wikipedia |
望月 照彦(もちづき てるひこ、1943年8月15日 - )は、日本の都市計画家、多摩大学名誉教授・大学院客員教授。 | ||
静岡県立清水東高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 | ||
8月15日生まれの人  1943年生まれの人 |
静岡県立浜松北高等学校の出身者
300 | 青島三郎 静岡大学へ進学 | Wikipedia |
青島 三郎(あおしま さぶろう、1937年-2001年)は、日本の油彩画家。青島左門は息子。 | ||
静岡県立浜松北高等学校から静岡大学への進学者 全国の静岡大学の出身者 | ||
1937年生まれの人 |
静岡県立浜松西高等学校の出身者
301 | 斉木しげる 浜松市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
斉木 しげる(さいき しげる、1949年11月18日 - )は、日本の俳優、タレント。本名、斎藤 滋樹(さいとう しげき)。静岡県浜松市天竜区出身。芝居ユニットシティボーイズ(大竹まこと・斉木しげる・きたろう)の一人。実兄はイラストレーター・画家の斎藤雅緒。 | ||
静岡県立浜松西高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 浜松市の出身者 | ||
11月18日生まれの人  1949年生まれの人 | ||
302 | 中村宏 浜松市 日本大学へ進学 | Wikipedia |
中村 宏(なかむら ひろし、1932年9月20日 - )は、日本の画家。日本大学藝術学部美術学科卒業。東京造形大学客員教授。児童文学の挿絵を担当する際は「中村ヒロシ」の表記も使用する。静岡県浜松市出身。 | ||
静岡県立浜松西高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 浜松市の出身者 | ||
9月20日生まれの人  1932年生まれの人 |
静岡県立三島南高等学校の出身者
303 | 村上豊 | Wikipedia |
村上 豊(むらかみ ゆたか、1936年6月14日‐)は静岡県出身の画家。 | ||
6月14日生まれの人  1936年生まれの人 |
静岡県立焼津中央高等学校の出身者
304 | 石田徹也 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
石田 徹也(いしだ てつや、1973年(昭和48年)6月16日 - 2005年(平成17年)5月23日)は日本の画家。 | ||
静岡県立焼津中央高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 | ||
6月16日生まれの人  1973年生まれの人 |
静岡県立袋井高等学校の出身者
305 | 松井冬子 森町 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
松井 冬子(まつい ふゆこ、1974年1月20日 - )は、静岡県出身の日本画家。 | ||
静岡県立袋井高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 森町の出身者 | ||
1月20日生まれの人  1974年生まれの人 |
浜松市立高等学校の出身者
306 | 柳澤紀子 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月30日 - )は、日本の版画家、美術家、学者。武蔵野美術大学造形学部教授。 | ||
浜松市立高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
5月30日生まれの人  1940年生まれの人 |
愛知県立旭丘高等学校の出身者
307 | 田村能里子 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は、愛知県出身の洋画家、壁画家。 | ||
愛知県立旭丘高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 | ||
3月15日生まれの人  1944年生まれの人 | ||
308 | 平松礼二 愛知大学へ進学 | Wikipedia |
平松 礼二(ひらまつ れいじ、1941年9月3日 - )は、日本画家。本名、平松邦夫。 | ||
愛知県立旭丘高等学校から愛知大学への進学者 全国の愛知大学の出身者 | ||
9月3日生まれの人  1941年生まれの人 | ||
309 | 和田義彦 海山町(現・紀北町) 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本の画家。 | ||
愛知県立旭丘高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 海山町(現・紀北町)の出身者 | ||
4月3日生まれの人  1940年生まれの人 | ||
310 | 小堀四郎 | Wikipedia |
小堀 四郎(こぼり しろう、1902年7月20日 - 1998年8月9日)は、日本の油彩画家。愛知県名古屋市中区南呉服町生まれ。小堀遠州の子孫。 | ||
7月20日生まれの人  1902年生まれの人 | ||
311 | 伊藤廉 明治大学へ進学 | Wikipedia |
伊藤 廉(いとう れん、1898年(明治31年)10月7日 - 1983年(昭和58年)1月24日)は、日本の洋画家。 | ||
愛知県立旭丘高等学校から明治大学への進学者 全国の明治大学の出身者 | ||
10月7日生まれの人  1898年生まれの人 | ||
312 | 野田高梧 函館市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
野田 高梧(のだ こうご、1893年11月19日 - 1968年9月23日)は、日本の脚本家。次兄は日本画家の野田九甫、娘は脚本家の立原りゅう、その夫は同じく脚本家の山内久。また、幕末の漢学者・野田笛浦は祖父にあたる。 | ||
愛知県立旭丘高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 函館市の出身者 | ||
11月19日生まれの人  1893年生まれの人 |
愛知県立愛知工業高等学校の出身者
313 | 杉本健吉 名古屋市 | Wikipedia |
杉本健吉(すぎもと けんきち、1905年9月20日 - 2004年2月10日)は、日本の洋画家、イラストレーター、グラフィックデザイナー。 | ||
名古屋市の出身者 | ||
9月20日生まれの人  1905年生まれの人 |
愛知県立惟信高等学校の出身者
314 | 梶田達二 名古屋市 | Wikipedia |
梶田 達二(かじた たつじ、1936年5月24日 - 2011年10月8日)は、日本の画家、イラストレータ。ボックスアートを得意とした。愛知県名古屋市港区出身。理科美術協会、ミロの会会員。 | ||
名古屋市の出身者 | ||
5月24日生まれの人  1936年生まれの人 |
愛知県立長久手高等学校の出身者
315 | 柴田俊明 東京造形大学へ進学 | Wikipedia |
柴田俊明(しばた としあき、1967年 - )は、現代日本の洋画家の一人。ロシア・アヴァンギャルドの画家パーヴェル・フィローノフの研究者としても知られる。 | ||
愛知県立長久手高等学校から東京造形大学への進学者 全国の東京造形大学の出身者 | ||
1967年生まれの人 |
愛知県立津島高等学校の出身者
316 | 荻須高徳 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
荻須 高徳(おぎす たかのり、1901年11月30日 - 1986年10月14日)は、大正・昭和期の洋画家。愛知県稲沢市生まれ。小磯良平は東京美術学校(現・東京藝術大学)の同期生。新制作協会会員。 | ||
愛知県立津島高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
11月30日生まれの人  1901年生まれの人 |
愛知県立岡崎高等学校の出身者
317 | 杉山新樹 岡崎市 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
杉山 新樹(すぎやま しんじゅ、1898年4月23日 - 1974年2月16日)は、日本の画家、愛知学芸大学(現・愛知教育大学)教授。教育者として西三河美術界に功績を残した。 | ||
愛知県立岡崎高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 岡崎市の出身者 | ||
4月23日生まれの人  1898年生まれの人 | ||
318 | 河目悌二 刈谷市 東京藝術大学へ進学 | Wikipedia |
河目 悌二(かわめ ていじ、1889年8月6日 - 1958年4月23日)は、大正・昭和期の日本の画家。愛知県碧海郡刈谷町(現在の刈谷市)出身。 | ||
愛知県立岡崎高等学校から東京藝術大学への進学者 全国の東京藝術大学の出身者 刈谷市の出身者 | ||
8月6日生まれの人  1889年生まれの人 |
愛知県立岡崎北高等学校の出身者
319 | 瀬川康男 岡崎市 | Wikipedia |
瀬川 康男(せがわ やすお、1932年4月5日 - 2010年2月18日)は、日本の画家、版画家、絵本作家。愛知県岡崎市出身。本姓は鈴木。 | ||
岡崎市の出身者 | ||
4月5日生まれの人  1932年生まれの人 |
愛知県立刈谷高等学校の出身者
320 | 天白松嵐 岡崎市 立命館大学へ進学 | Wikipedia |
天白 松嵐(てんぱく しょうらん 1955年2月12日 - )は、愛知県碧海郡六ツ美村(現岡崎市)出身の染織家・画家。染織図案にヒエログリフを用いた作品を制作。 | ||
愛知県立刈谷高等学校から 立命館大学への進学者 全国の 立命館大学の出身者 岡崎市の出身者 | ||
2月12日生まれの人  1955年生まれの人 |
愛知県立西尾高等学校の出身者
321 | 斎藤吾朗 西尾市 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
斎藤 吾朗(さいとう ごろう、1947年 - )は、愛知県西尾市出身の画家である。自らが赤絵と呼ぶ鮮やかな赤色を基調とした絵で、三河の風景や身近な題材を描く。独立美術協会会員。 | ||
愛知県立西尾高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 西尾市の出身者 | ||
1947年生まれの人 | ||
322 | 名倉弘雄 愛知教育大学へ進学 | Wikipedia |
名倉弘雄(なぐらひろお、1945年 - )は、洋画から日本画に転向した日本画家。浄土宗西山深草派の不退院第27世の住職でもある。能を主題にした作品を描いている。 | ||
愛知県立西尾高等学校から愛知教育大学への進学者 全国の愛知教育大学の出身者 | ||
1945年生まれの人 |
愛知県立豊橋東高等学校の出身者
323 | 松井守男 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
松井 守男(まつい もりお、1942年7月25日 - )は、愛知県豊橋市出身でフランスコルシカ島在住の洋画家。日本人。 | ||
愛知県立豊橋東高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 | ||
7月25日生まれの人  1942年生まれの人 |
愛知淑徳高等学校の出身者
324 | 三岸節子 女子美術大学へ進学 | Wikipedia |
三岸 節子(みぎし せつこ、1905年1月3日 - 1999年4月18日)は洋画家である。新制作協会会員。 | ||
愛知淑徳高等学校から女子美術大学への進学者 全国の女子美術大学の出身者 | ||
1月3日生まれの人  1905年生まれの人 |
椙山女学園高等学校の出身者
325 | 阿川泰子 | Wikipedia |
阿川 泰子(あがわ やすこ、本名:佐藤 康子、1951年10月16日 - )は、神奈川県鎌倉市出身のジャズシンガー、元女優。旧芸名:麻里 とも恵、麻理 ともえ、佐藤 康子。現在、オフィス・ダァグに所属。血液型A型。父親は鎌倉在住の洋画家。趣味・特技は絵画・イラスト・エッセイ。椙山女学園高等学校卒業。「シュガー・ボイス」、「ネクタイ族のアイドル」「オジサマ族のアイドル」などと称された。身長158cm、46kg。 | ||
10月16日生まれの人  1951年生まれの人 |
東海高等学校の出身者
326 | 冨澤有爲男 第4回芥川賞受賞大分市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
冨澤 有爲男(とみさわ/とみざわ ういお、1902年3月29日 - 1970年1月15日)は作家、画家。 | ||
東海高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
3月29日生まれの人  1902年生まれの人 |
名古屋高等学校の出身者
327 | 藪野健 名古屋市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
藪野 健(やぶの けん、1943年9月1日 - )は、日本の洋画家、日本藝術院会員、二紀会副理事長。早稲田大学栄誉フェロー、名誉教授、維持員。広島大学名誉博士。府中市美術館館長。 | ||
名古屋高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 名古屋市の出身者 | ||
9月1日生まれの人  1943年生まれの人 | ||
328 | 牧野義雄 豊田市 | Wikipedia |
牧野 義雄(まきの よしお、1870年1月26日(明治2年12月25日) - 1956年(昭和31年)10月18日)は、愛知県西加茂郡挙母村(現:豊田市)出身で、主にイギリスで活動した画家、随筆家である。 | ||
豊田市の出身者 | ||
1月26日生まれの人  1870年生まれの人 |
三重県立津高等学校の出身者
329 | イケムラレイコ 大阪外国語大学へ進学 | Wikipedia |
イケムラレイコ(池村玲子、Leiko Ikemura 、1951年8月22日 - )は、日本の画家、彫刻家である。現在はドイツ・ケルン在住。 | ||
三重県立津高等学校から大阪外国語大学への進学者 全国の大阪外国語大学の出身者 | ||
8月22日生まれの人  1951年生まれの人 | ||
330 | 加藤佳子 津市 | Wikipedia |
加藤 佳子(かとう よしこ 1943年-) は、三重県津市在住の日本画家 。 | ||
津市の出身者 | ||
1943年生まれの人 | ||
331 | 佐藤昌胤 | Wikipedia |
佐藤 昌胤(さとう しょういん、1907年(明治40年)- 1970年(昭和45年))は画家。伊勢湾台風を題材にした絵画などで知られる。三重県桑名郡長島町(現在の三重県桑名市)出身。長島町町会議員も務めた。 | ||
1907年生まれの人 |
三重県立津西高等学校の出身者
332 | 中村麻美 津田塾大学へ進学 | Wikipedia |
中村 麻美(なかむら まみ)は、三重県津市出身の日本画家、絵本画家、挿画家。NHKの大河ドラマにもなった新聞連載小説『天地人』の挿画で有名である。 | ||
三重県立津西高等学校から津田塾大学への進学者 全国の津田塾大学の出身者 |
三重県立伊賀白鳳高等学校の出身者
333 | 元永定正 | Wikipedia |
元永 定正(もとなが さだまさ、1922年11月26日 - 2011年10月3日)は、日本の画家、絵本作家。 | ||
11月26日生まれの人  1922年生まれの人 |
三重県立宇治山田高等学校の出身者
334 | 岩田準一 鳥羽市 | Wikipedia |
岩田準一(いわた じゅんいち、明治33年(1900年)-昭和20年(1945年))は、日本の画家・風俗研究家。 | ||
鳥羽市の出身者 | ||
1900年生まれの人 |
滋賀県立大津高等学校の出身者
335 | 小倉遊亀 大津市 奈良女子大学へ進学 | Wikipedia |
小倉 遊亀(おぐら ゆき、1895年3月1日 - 2000年7月23日)は、滋賀県大津市出身の日本画家。本名、ゆき。旧姓、溝上。奈良女子高等師範学校卒。 | ||
滋賀県立大津高等学校から奈良女子大学への進学者 全国の奈良女子大学の出身者 大津市の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1895年生まれの人 |
滋賀県立彦根東高等学校の出身者
336 | みやま零 福井大学へ進学 | Wikipedia |
みやま零(みやまぜろ、Miyama-Zero、3月20日 - )は、日本のイラストレーターおよび原画家。大阪市在住[5]。「まやせろみ」名義で美少女ゲームのシナリオライターとしても活動している。 | ||
滋賀県立彦根東高等学校から福井大学への進学者 全国の福井大学の出身者 | ||
3月20日生まれの人   |
滋賀県立米原高等学校の出身者
337 | ヒロ・ヤマガタ 米原市 | Wikipedia |
ヒロ・ヤマガタ/HIRO YAMAGATA(1948年5月30日 - )は、画家・美術家である。滋賀県米原市出身。アメリカ在住。本名山形 博導(やまがた ひろみち)。 | ||
米原市の出身者 | ||
5月30日生まれの人  1948年生まれの人 |
京都府立洛北高等学校の出身者
338 | 服部二柳 | Wikipedia |
服部 二柳(はっとり にりゅう、本名:辰雄、1904年(明治37年)3月10日 - 1968年(昭和43年)1月1日)は、日本の南画家。服部双柳子、服部双柳、二柳散人とも。奇人の南画家として知られる。 | ||
3月10日生まれの人  1904年生まれの人 | ||
339 | 村山槐多 | Wikipedia |
村山 槐多(むらやま かいた、1896年9月15日 - 1919年2月20日)は、日本の洋画家、詩人。 | ||
9月15日生まれの人  1896年生まれの人 |
京都府立鳥羽高等学校の出身者
340 | 梅原龍三郎 京都市 | Wikipedia |
梅原 龍三郎(うめはら りゅうざぶろう、1888年(明治21年)3月9日 - 1986年(昭和61年)1月16日)は、日本の洋画家。京都府京都市下京区生まれ。1914年(大正3年)までは梅原 良三郎(うめはら りょうざぶろう)を名乗った。 | ||
京都市の出身者 | ||
3月9日生まれの人  1888年生まれの人 |
京都府立桃山高等学校の出身者
341 | 山村美紗 京都市 京都府立大学へ進学 | Wikipedia |
山村 美紗(やまむら みさ、1934年8月25日 - 1996年9月5日)は、日本の小説家、推理作家。父・木村常信は京都大学名誉教授で、1926年京都帝国大学大学院法学研究科に進学後、朝鮮総督府京城法学専門学校長に任じられ終戦まで朝鮮に在住したため、山村も日本統治下の朝鮮・京城(現在のソウル)で生まれ育った[要出典]。弟は政治学者の木村汎、長女は女優の山村紅葉、次女は山村真冬。夫の巍(たかし)は東山高校の元教師で、退職後画家に転身した[4][5](作品は亡妻の肖像画が主)。山村美紗は4人姉弟の長女であり、他に妹が2人いる[要出典]。 | ||
京都府立桃山高等学校から京都府立大学への進学者 全国の京都府立大学の出身者 京都市の出身者 | ||
8月25日生まれの人  1934年生まれの人 |
京都府立福知山高等学校の出身者
342 | 伴田良輔 上智大学へ進学 | Wikipedia |
伴田 良輔(はんだ りょうすけ、1954年11月17日)は、日本の作家、版画家、翻訳家。 | ||
京都府立福知山高等学校から上智大学への進学者 全国の上智大学の出身者 | ||
11月17日生まれの人  1954年生まれの人 |
京都市立銅駝美術工芸高等学校の出身者
343 | 加山又造 京都市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
加山 又造(かやま またぞう、1927年9月24日 - 2004年4月6日)は、日本画家、版画家である。 | ||
京都市立銅駝美術工芸高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 京都市の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1927年生まれの人 | ||
344 | 上村松篁 京都市立芸術大学へ進学 | Wikipedia |
上村 松篁(うえむら しょうこう、1902年(明治35年)-2001年(平成13年))は日本画家。 | ||
京都市立銅駝美術工芸高等学校から京都市立芸術大学への進学者 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
1902年生まれの人 | ||
345 | 堂本印象 京都市立芸術大学へ進学 | Wikipedia |
堂本 印象(どうもと いんしょう、1891年12月25日 - 1975年9月5日)は京都市生れの日本画家。帝室技芸員。日本芸術院会員。本名:堂本三之助。 | ||
京都市立銅駝美術工芸高等学校から京都市立芸術大学への進学者 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
12月25日生まれの人  1891年生まれの人 | ||
346 | 西山翠嶂 京都市立芸術大学へ進学 | Wikipedia |
西山 翠嶂(にしやま すいしょう、1879年(明治12年)4月2日 - 1958年(昭和33年)3月30日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本画家。本名は卯三郎(うさぶろう)。京都府生まれ。 | ||
京都市立銅駝美術工芸高等学校から京都市立芸術大学への進学者 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
4月2日生まれの人  1879年生まれの人 |
同志社高等学校の出身者
347 | 清水正教 皇學館大学へ進学 | Wikipedia |
清水 正教(しみず まさのり、1940年7月 - )は、日本の画家(油画)。皇學館大学名誉教授。 | ||
同志社高等学校から皇學館大学への進学者 全国の皇學館大学の出身者 | ||
1940年生まれの人 | ||
348 | 北脇昇 | Wikipedia |
北脇昇(きたわき のぼる、1901年6月4日 - 1951年12月18日)は、日本のシュルレアリスムの画家。 | ||
6月4日生まれの人  1901年生まれの人 |
大阪府立市岡高等学校の出身者
349 | 小出楢重 大阪市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
小出 楢重(こいで ならしげ、1887年(明治20年)10月13日 - 1931年(昭和6年)2月13日)は、大正から昭和初期の洋画家。 | ||
大阪府立市岡高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 大阪市の出身者 | ||
10月13日生まれの人  1887年生まれの人 |
大阪府立清水谷高等学校の出身者
350 | 木谷千種 | Wikipedia |
木谷 千種(きたに ちぐさ、1895年(明治28年) - 1947年(昭和22年)1月24日)は、大正時代から昭和時代の日本画家。 | ||
1895年生まれの人 |
大阪府立夕陽丘高等学校の出身者
351 | 小田実 大阪市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
小田 実(おだ まこと、男性、1932年(昭和7年)6月2日 - 2007年(平成19年)7月30日)は、日本の作家・政治運動家。体験記『何でも見てやろう』で一躍有名になった。日本に多い私小説を批判し、全体小説を目指した。九条の会の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵。 | ||
大阪府立夕陽丘高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 大阪市の出身者 | ||
6月2日生まれの人  1932年生まれの人 |
大阪府立今宮高等学校の出身者
352 | 金山康喜 大阪市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
金山 康喜(かなやま やすき、1926年4月26日-1959年6月16日)は、日本の洋画家である。 | ||
大阪府立今宮高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 大阪市の出身者 | ||
4月26日生まれの人  1926年生まれの人 | ||
353 | 伊原宇三郎 徳島市 | Wikipedia |
伊原 宇三郎(いはら うさぶろう、1894年10月26日 - 1976年1月5日)は、日本の美術家。徳島県徳島市出身。国内外で活躍した洋画家。古典主義風の重量感のある裸婦像など,数多くの人物画を制作した。またパブロ・ピカソに傾倒し、著書を著して日本にピカソブームを巻き起こした。 | ||
徳島市の出身者 | ||
10月26日生まれの人  1894年生まれの人 |
大阪府立天王寺高等学校の出身者
354 | 宇佐美圭司 吹田市 | Wikipedia |
宇佐美 圭司(うさみ けいじ、1940年1月29日 - 2012年10月19日)は日本の画家。大阪府吹田市生まれ。武蔵野美術大学教授、京都市立芸術大学教授などを歴任。 | ||
吹田市の出身者 | ||
1月29日生まれの人  1940年生まれの人 | ||
355 | 小田実 大阪市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
小田 実(おだ まこと、男性、1932年(昭和7年)6月2日 - 2007年(平成19年)7月30日)は、日本の作家・政治運動家。体験記『何でも見てやろう』で一躍有名になった。日本に多い私小説を批判し、全体小説を目指した。九条の会の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵。 | ||
大阪府立天王寺高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 大阪市の出身者 | ||
6月2日生まれの人  1932年生まれの人 | ||
356 | 吉原英雄 因島市 京都市立芸術大学へ進学 | Wikipedia |
吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日 - 2007年(平成19年)1月13日)は、現代日本を代表する画家、版画家。広島県因島市出身。大阪府立天王寺高等学校卒業。京都市立芸術大学教授の後、同大学名誉教授。2007年に膵臓癌のため死去。 | ||
大阪府立天王寺高等学校から京都市立芸術大学への進学者 全国の京都市立芸術大学の出身者 因島市の出身者 | ||
1月3日生まれの人  1931年生まれの人 | ||
357 | 保田春彦 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
保田 春彦(やすだ はるひこ、1930年2月21日 - )は、日本の彫刻家・画家。武蔵野美術大学名誉教授。 | ||
大阪府立天王寺高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
2月21日生まれの人  1930年生まれの人 |
大阪市立工芸高等学校の出身者
358 | 後藤仁 (日本画家、アジアの美人画。後藤純男門下)松戸市在住 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
後藤 仁(ごとう じん、1968年 - )は、平成時代の日本画家・絵本画家。日本の伝統技法を活かした描法により、アジアや日本各地に取材した美人画を中心に、風景画、花鳥画等を手がける。また、日本画の技術を用いて高級壁紙の金唐革紙や、絵本の原画等の制作を行う。師系は後藤純男。学校法人桑沢学園 東京造形大学・絵本講師。日本児童出版美術家連盟会員・理事、絵本学会会員、日本中国文化交流協会会員。 | ||
大阪市立工芸高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
1968年生まれの人 | ||
359 | 磯江毅 | Wikipedia |
磯江 毅(いそえ つよし、1954年 - 2007年9月23日)は、大阪府出身の日本の画家。徹底した写実表現で知られる。 | ||
1954年生まれの人 |
360 | 若一光司 豊中市 | Wikipedia |
若一 光司(わかいち こうじ、1950年10月16日 - )は、日本の作家・画家、テレビのコメンテーター。大阪府豊中市出身。大阪市立工芸高等学校美術科卒業。 | ||
豊中市の出身者 | ||
10月16日生まれの人  1950年生まれの人 | ||
361 | 泉茂 | Wikipedia |
泉 茂(いずみ しげる、1922年1月13日 - 1995年5月11日)は、日本の洋画家及び版画家。 | ||
1月13日生まれの人  1922年生まれの人 | ||
362 | 稗田一穂 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
稗田 一穂(ひえだ かずほ、1920年8月23日 - )は、日本画家、文化功労者。 | ||
大阪市立工芸高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
8月23日生まれの人  1920年生まれの人 |
大阪府立北野高等学校の出身者
363 | 吉原治良 大阪市 関西学院大学へ進学 | Wikipedia |
吉原 治良(よしはら じろう、1905年1月1日 - 1972年2月10日)は、日本の抽象画家、実業家。吉原製油社長。具体美術協会の創設者。 | ||
大阪府立北野高等学校から関西学院大学への進学者 全国の関西学院大学の出身者 大阪市の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1905年生まれの人 | ||
364 | 佐伯祐三 大阪市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
佐伯 祐三(さえき ゆうぞう、1898年4月28日 - 1928年8月16日)は、大正~昭和初期の洋画家である。大阪府大阪市出身。 | ||
大阪府立北野高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 大阪市の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1898年生まれの人 | ||
365 | 熊谷直彦 | Wikipedia |
熊谷 直彦(くまがい なおひこ、文政11年12月14日(1829年1月19日) - 大正2年(1913年)3月8日)は、日本の江戸時代末期から大正時代にかけての日本画家、芸州藩士。父は賀茂[要曖昧さ回避]の神職・山本季金。幼名を藤太郎と言った。 | ||
1月19日生まれの人  1829年生まれの人 |
大阪府立豊中高等学校の出身者
366 | 西山卯三 大阪市 京都帝国大学へ進学 | Wikipedia |
西山 夘三(にしやま うぞう、1911年3月1日 - 1994年4月2日)は日本の建築学者、建築家。都市計画家。住宅問題を科学的に研究する基礎を築いた。 | ||
大阪府立豊中高等学校から京都帝国大学への進学者 全国の京都帝国大学の出身者 大阪市の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1911年生まれの人 |
大阪府立八尾高等学校の出身者
367 | 佳山隆生 守口市 関西大学へ進学 | Wikipedia |
佳山 隆生(かやま りゅうせい、1963年5月31日 - )は、日本のペン画家・水彩画家、ネームポエム作家、ラジオパーソナリティ。大阪府守口市出身。血液型はAB型。 | ||
大阪府立八尾高等学校から関西大学への進学者 全国の関西大学の出身者 守口市の出身者 | ||
5月31日生まれの人  1963年生まれの人 |
大阪府立長野北高等学校の出身者
368 | 長谷川義史 | Wikipedia |
長谷川 義史(はせがわ よしふみ、1961年2月25日 - )は、日本の画家、イラストレーター、絵本作家。 | ||
2月25日生まれの人  1961年生まれの人 |
大阪府立生野高等学校の出身者
369 | 成瀬政博 大阪外国語大学へ進学 | Wikipedia |
成瀬 政博(なるせ まさひろ、1947年 - )は、日本の画家、イラストレーター、エッセイスト。大阪府出身。 | ||
大阪府立生野高等学校から大阪外国語大学への進学者 全国の大阪外国語大学の出身者 | ||
1947年生まれの人 |
大阪府立りんくう翔南高等学校の出身者
370 | こうぶんこうぞう 阪南市 | Wikipedia |
こうぶんこうぞう(こうぶんこうぞう、1971年7月12日 - )は、大阪府阪南市出身の美術家・画家。本名は、公文晃蔵(読み同じ)。当初は主に子どもそのものをモチーフにした作品を中心に発表していたが、2009年より現代社会が抱える様々な問題を独自の視点で表現。2003年に、関西のローカルニュース番組の特集企画でトランスジェンダー(性同一性障害)である事をカミングアウトした。 | ||
阪南市の出身者 | ||
7月12日生まれの人  1971年生まれの人 |
上宮高等学校の出身者
371 | 奥正孝 近畿大学へ進学 | Wikipedia |
奥 正孝(おく まさたか、1955年7月27日 - )は、日本の元テレビ番組ディレクターで、現在は都市計画家で観光の研究家。 | ||
上宮高等学校から近畿大学への進学者 全国の近畿大学の出身者 | ||
7月27日生まれの人  1955年生まれの人 |
浪速高等学校の出身者
372 | 武本比登志 大阪芸術大学へ進学 | Wikipedia |
武本 比登志(たけもと ひとし、1946年 - )は、日本の画家(油彩画家)。大阪府大阪市出身。ポルトガルの風景を、独特の赤を多用し、独自の画風を確立、パリ画壇でも高く評価されている。 | ||
浪速高等学校から大阪芸術大学への進学者 全国の大阪芸術大学の出身者 | ||
1946年生まれの人 |
大阪商業大学堺高等学校の出身者
373 | ジミー大西 八尾市 | Wikipedia |
ジミー大西(ジミーおおにし、1964年1月1日 - )は、日本のお笑いタレント、画家である。本名は大西 秀明(おおにし ひであき)、名前の由来は豊臣秀吉が元日に産まれたことから「秀」と明けましておめでとうの「明」を組み合わせたもの。 | ||
八尾市の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1964年生まれの人 |
大阪聖母女学院高等学校の出身者
374 | 山本容子 | Wikipedia |
山本 容子(やまもと ようこ、1952年4月7日 - )は、日本の銅版画家。 | ||
4月7日生まれの人  1952年生まれの人 |
兵庫県立神戸高等学校の出身者
375 | 竹久夢二 瀬戸内市 | Wikipedia |
竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、1884年(明治17年)9月16日 - 1934年(昭和9年)9月1日)は、日本の画家・詩人。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。 | ||
瀬戸内市の出身者 | ||
9月16日生まれの人  1884年生まれの人 |
兵庫県立御影高等学校の出身者
376 | あいはら友子 神戸市 関西学院大学へ進学 | Wikipedia |
あいはら 友子(あいはら ともこ、1954年7月14日 - )は、日本の女優、株式研究家、画家。日本テクニカルアナリスト協会公認テクニカルアナリスト。高野山真言宗僧籍・高野山宝亀福寿会理事。本名、高木(旧姓・原) かよ子。 | ||
兵庫県立御影高等学校から関西学院大学への進学者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
7月14日生まれの人  1954年生まれの人 |
兵庫県立芦屋高等学校の出身者
377 | 水谷頴介 世田谷区 | Wikipedia |
水谷 穎介(みずたに えいすけ、1935年 - 1993年)東京都世田谷生まれ、神戸育ちの建築家、都市計画家。一級建築士、技術士 (建設部門)(都市及び地方計画)などの資格の他、工学博士を晩年授与している。 | ||
世田谷区の出身者 | ||
1935年生まれの人 |
兵庫県立兵庫高等学校の出身者
378 | 東山魁夷 神戸市(神奈川県横浜市生まれ) 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
東山 魁夷(ひがしやま かいい、1908年(明治41年)7月8日 - 1999年(平成11年)5月6日)は、日本の画家、著述家。昭和を代表する日本画家の一人といわれる。文化勲章受章者。千葉県市川市名誉市民。本名は東山 新吉(ひがしやま しんきち)。 | ||
兵庫県立兵庫高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
7月8日生まれの人  1908年生まれの人 | ||
379 | 小磯良平 神戸市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
小磯 良平(こいそ りょうへい、1903年7月25日 - 1988年12月16日)は、日本の昭和期に活躍した洋画家である。 | ||
兵庫県立兵庫高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
7月25日生まれの人  1903年生まれの人 |
380 | 川西英 神戸市 | Wikipedia |
川西 英(かわにし ひで、Hide Kawanishi、1894年7月9日 - 1965年2月20日) は日本の版画家、画家。本名は川西英雄。 | ||
7月9日生まれの人  1894年生まれの人 |
兵庫県立神戸商業高等学校の出身者
381 | 川西英 神戸市 | Wikipedia |
川西 英(かわにし ひで、Hide Kawanishi、1894年7月9日 - 1965年2月20日) は日本の版画家、画家。本名は川西英雄。 | ||
7月9日生まれの人  1894年生まれの人 |
兵庫県立洲本高等学校の出身者
382 | 直原玉青 赤磐郡山方村(旧吉井町、現・赤磐市) | Wikipedia |
直原 玉青(じきはら ぎょくせい、1904年8月1日 - 2005年9月30日)は、日本の画家、禅僧、俳人。 | ||
赤磐郡山方村(旧吉井町、現・赤磐市)の出身者 | ||
8月1日生まれの人  1904年生まれの人 |
兵庫県立尼崎高等学校の出身者
383 | 白髪一雄 京都市立芸術大学へ進学 | Wikipedia |
白髪 一雄(しらが かずお、1924年8月12日 - 2008年4月8日)は、日本の抽象画家。 | ||
兵庫県立尼崎高等学校から京都市立芸術大学への進学者 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
8月12日生まれの人  1924年生まれの人 |
兵庫県立鳴尾高等学校の出身者
384 | 半田晴久 西宮市 同志社大学へ進学 | Wikipedia |
深見 東州(ふかみ とうしゅう、本名:半田 晴久(はんだ はるひさ)1951年3月18日 - )は日本の芸術家[10]、福祉活動家[11]、実業家[12][13]、宗教家[13]、フィランソロピスト(慈善活動家)[14]、評論家[11]。歌手[15]、オペラ歌手[10][14]、画家[10][14]、書家[10][14]、能楽師[14]、詩人[10][14]、作曲家[14]などとして、幅広い活動をしている[16][11]。 | ||
兵庫県立鳴尾高等学校から 同志社大学への進学者 全国の 同志社大学の出身者 西宮市の出身者 | ||
3月18日生まれの人  1951年生まれの人 |
兵庫県立西脇高等学校の出身者
385 | 横尾忠則 西脇市 | Wikipedia |
横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は、日本の美術家、グラフィックデザイナー。兵庫県西脇市生まれ。西脇市名誉市民。 実弟の成瀬政博も画家でイラストレーターで、1997年より「週刊新潮」の表紙絵を担当。長女の横尾美美も美術家。 | ||
西脇市の出身者 | ||
6月27日生まれの人  1936年生まれの人 |
甲陽学院高等学校の出身者
386 | 永田禎彌 尼崎市 | Wikipedia |
永田 禎彌(ながた よしひろ、1916年4月24日 - 2008年6月24日)は、洋画家。兵庫県尼崎市出身。兵庫県三木市にて死去。 | ||
尼崎市の出身者 | ||
4月24日生まれの人  1916年生まれの人 | ||
387 | 九里正 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
九里 正(くのり ただし、1913年 - 1944年)は、日本の元アマチュア野球選手。父は日本の洋画家・九里四郎。祖父に海軍主計大監・貴族院議員の南郷茂光。伯父に海軍少将・南郷次郎、南郷三郎がいる。 | ||
甲陽学院高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1913年生まれの人 |
小林聖心女子学院高等学校の出身者
388 | 山崎つる子 | Wikipedia |
山崎 つる子(やまざき つるこ、1925年 - )は、日本の画家。 | ||
1925年生まれの人 |
奈良県立奈良高等学校の出身者
389 | 絹谷幸二 奈良市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年1月24日 - )は、日本の洋画家。日本芸術院会員、独立美術協会会員、東京芸術大学名誉教授、大阪芸術大学教授、日本美術家連盟理事。 | ||
奈良県立奈良高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 奈良市の出身者 | ||
1月24日生まれの人  1943年生まれの人 |
和歌山県立耐久高等学校の出身者
390 | 長谷川利行 京都市 | Wikipedia |
長谷川 利行(はせがわ としゆき 明治24年(1891年)7月9日? - 昭和15年(1940年)10月12日)は京都府出身の洋画家、歌人。名の読みは「りこう」とも。 | ||
京都市の出身者 | ||
7月9日生まれの人  1891年生まれの人 |
和歌山県立新宮高等学校の出身者
391 | 村井正誠 大垣市 | Wikipedia |
村井 正誠(むらい まさなり、1905年3月29日 - 1999年2月5日)は、昭和 - 平成時代の洋画家。岐阜県大垣市出身。 | ||
大垣市の出身者 | ||
3月29日生まれの人  1905年生まれの人 | ||
392 | 石垣栄太郎 太地町 | Wikipedia |
石垣 栄太郎(いしがき えいたろう、1893年12月1日 - 1958年1月23日[1])は、日本の洋画家。 | ||
太地町の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1893年生まれの人 |
高野山高等学校の出身者
393 | 天野こうゆう 倉敷市 高野山大学へ進学 | Wikipedia |
天野 こうゆう(あまの - (高雄)、1968年-)は、岡山県倉敷市の日本の高野山真言宗の僧。高蔵寺住職、本山布教師、画家、造形作家、ラジオパーソナリティ。 | ||
高野山高等学校から高野山大学への進学者 全国の高野山大学の出身者 倉敷市の出身者 | ||
1968年生まれの人 |
和歌山県立桐蔭高等学校の出身者
394 | ヘンリー・ユズル・スギモト | Wikipedia |
ヘンリー・ユズル・スギモト(Henry Yuzuru Sugimoto 日本名:杉本謙、1900年3月12日 – 1990年5月8日)は日本出身の画家、絵画教師及び第二次世界大戦における日系人の強制収容の経験者である。1952年にアメリカの市民権を取得した[1]。 | ||
3月12日生まれの人  1900年生まれの人 |
鳥取県立倉吉東高等学校の出身者
395 | 伊藤宝城 岩手医科大学へ進学 | Wikipedia |
伊藤 宝城(いとう ほうじょう、1909年 - 1961年)は日本の医師、詩人、版画家、彫刻家。本名:伊藤博。俳号は鉄庵。別名、ジョージ・ウーラン。戦後日本の抽象彫刻の先駆者の一人である。 | ||
鳥取県立倉吉東高等学校から岩手医科大学への進学者 全国の岩手医科大学の出身者 | ||
1909年生まれの人 | ||
396 | 前田寛治 北栄町 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
前田 寛治(まえた かんじ、1896年10月1日 - 1930年4月16日)は日本の洋画家。人物写実画の名手として知られ、33歳という若さで早逝し10年に満たない短い活動期間であったが、彼の古典的構図でのフォーヴィスム的筆致が「前寛ばり」という流行語を生むなど当時の芸術家に多大な影響を与えた。 なお、名字の読みは「まえた」である。 | ||
鳥取県立倉吉東高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 北栄町の出身者 | ||
10月1日生まれの人  1896年生まれの人 |
島根県立浜田高等学校の出身者
397 | 石本正 浜田市 京都市立芸術大学へ進学 | Wikipedia |
石本 正(いしもと しょう(本名読み:ただし)、1920年7月3日 - 2015年9月26日)は、日本画家。創画会会員、京都市立芸術大学名誉教授、京都造形芸術大学教授。 | ||
島根県立浜田高等学校から京都市立芸術大学への進学者 全国の京都市立芸術大学の出身者 浜田市の出身者 | ||
7月3日生まれの人  1920年生まれの人 | ||
398 | 橋本明治 浜田市 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
橋本 明治(はしもと めいじ、1904年8月5日 - 1991年3月25日)は、日本画家、日本芸術院会員、文化勲章受章者。 | ||
島根県立浜田高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 浜田市の出身者 | ||
8月5日生まれの人  1904年生まれの人 |
島根県立大東高等学校の出身者
399 | 野々村直通 雲南市 広島大学へ進学 | Wikipedia |
野々村 直通(ののむら なおみち、1951年12月14日 - )は、島根県出身の教育評論家・画家。吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。 | ||
島根県立大東高等学校から広島大学への進学者 全国の広島大学の出身者 雲南市の出身者 | ||
12月14日生まれの人  1951年生まれの人 |
岡山県立岡山朝日高等学校の出身者
400 | 満谷国四郎 総社市 | Wikipedia |
満谷 国四郎(みつたに くにしろう、(1874年(明治7年)11月10日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の洋画家である。十五老とも称した。 | ||
総社市の出身者 | ||
11月10日生まれの人  1874年生まれの人 |
岡山県立西大寺高等学校の出身者
401 | 赤木曠児郎 岡山大学へ進学 | Wikipedia |
赤木 曠児郎(あかぎ こうじろう、1934年(昭和9年) - )は、日本の洋画家。 | ||
岡山県立西大寺高等学校から岡山大学への進学者 全国の岡山大学の出身者 | ||
1934年生まれの人 |
岡山県立玉野高等学校の出身者
402 | 多賀公人 玉野市 青山学院大学へ進学 | Wikipedia |
多賀 公人(たが きみと、1963年4月17日 - )は、元瀬戸内海放送高松本社報道制作ユニット所属のアナウンサー・プロデューサー。著作家。父は画家の多賀栄一。 | ||
岡山県立玉野高等学校から青山学院大学への進学者 全国の青山学院大学の出身者 玉野市の出身者 | ||
4月17日生まれの人  1963年生まれの人 |
岡山県立倉敷青陵高等学校の出身者
403 | 松井えり菜 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
松井 えり菜(まつい えりな、1984年1月8日 - )は日本の画家、現代美術家。大きなサイズで描かれる個性的な自画像や、ウーパールーパーをモチーフとした作品で知られる。平成24年度文化庁新進芸術家海外留学制度研修員。 | ||
岡山県立倉敷青陵高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 | ||
1月8日生まれの人  1984年生まれの人 |
岡山県立高梁高等学校の出身者
404 | 清水比庵 上房郡高梁町(現・高梁市) 岡山大学へ進学 | Wikipedia |
清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日 - 1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の歌人、書家、画家、政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。晩年は「今良寛」と呼ばれた。 | ||
岡山県立高梁高等学校から岡山大学への進学者 全国の岡山大学の出身者 上房郡高梁町(現・高梁市)の出身者 | ||
2月8日生まれの人  1883年生まれの人 |
岡山県立岡山工業高等学校の出身者
405 | 国吉康雄 岡山市 | Wikipedia |
国吉 康雄(くによし やすお、1889年9月1日 - 1953年5月14日)は、日本の洋画家。岡山県岡山市中出石町(現・岡山市北区出石町一丁目)出身。 20世紀前半にアメリカ合衆国を拠点に活動した。 | ||
岡山市の出身者 | ||
9月1日生まれの人  1889年生まれの人 |
広島大学附属高等学校の出身者
406 | 村上處直 横浜国立大学へ進学 | Wikipedia |
村上 處直(むらかみ すみなお、1935年1月24日 - )は、日本の都市計画家。防災の専門家で、戦後の都市防災において、中心的役割を果たしてきた人物。防災都市計画研究所名誉所長。 | ||
広島大学附属高等学校から横浜国立大学への進学者 全国の横浜国立大学の出身者 | ||
1月24日生まれの人  1935年生まれの人 |
広島県立福山誠之館高等学校の出身者
407 | 徳永豊 | Wikipedia |
徳永 豊(とくなが ゆたか、1895年5月1日 - 1976年1月4日)は、日本の政治家、弁護士、画家。第7代福山市長(4期)。 | ||
5月1日生まれの人  1895年生まれの人 |
広島県立日彰館高等学校の出身者
408 | 奥田元宋 三次市 | Wikipedia |
奥田 元宋(おくだ げんそう、1912年(明治45年)6月7日 - 2003年(平成15年)2月15日)は、日本画家、日本芸術院会員。「元宋の赤」といわれる独特な赤色が特徴。本名は奧田 嚴三(おくだ げんぞう)。妻の奥田小由女は人形作家、日本芸術院会員。 | ||
三次市の出身者 | ||
6月7日生まれの人  1912年生まれの人 |
広島県立忠海高等学校の出身者
409 | 平山郁夫 瀬戸田町 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 2009年12月2日)は日本画家、教育者。日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京藝術大学学長を務めた。文化勲章受章者。称号は広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市名誉市民。子に古代生物学者の平山廉(早稲田大学教授)。妻は平山美知子(公益財団法人 平山郁夫シルクロード美術館館長)。 | ||
広島県立忠海高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 瀬戸田町の出身者 | ||
6月15日生まれの人  1930年生まれの人 |
修道高等学校の出身者
410 | 平山郁夫 瀬戸田町 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 2009年12月2日)は日本画家、教育者。日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京藝術大学学長を務めた。文化勲章受章者。称号は広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市名誉市民。子に古代生物学者の平山廉(早稲田大学教授)。妻は平山美知子(公益財団法人 平山郁夫シルクロード美術館館長)。 | ||
修道高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 瀬戸田町の出身者 | ||
6月15日生まれの人  1930年生まれの人 | ||
411 | 田中万吉 | Wikipedia |
田中 万吉(たなか まんきち、1895年4月1日 - 1945年10月15日)は日本の洋画家。 | ||
4月1日生まれの人  1895年生まれの人 | ||
412 | 本多錦吉郎 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
本多 錦吉郎(ほんだ きんきちろう、嘉永3年12月2日(1851年1月3日) - 大正10年(1921年)5月26日)は、明治初期からの洋画家。画家としては寡作であったが、多くの著書を書き、画塾で後進を育てた。趣味で始めた造園もプロ級だった。号は契山。 | ||
修道高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
12月2日生まれの人  1851年生まれの人 |
崇徳学園の出身者
413 | 岩井壽照 | Wikipedia |
岩井 壽照(いわい よしてる、1949年〈昭和24年〉 - )は、日本の画家、日本美術家連盟会員。 | ||
1949年生まれの人 | ||
414 | 大歳克衛 | Wikipedia |
大歳 克衛(おおとし かつえ、1929年(昭和4年)4月16日 - 2014年(平成26年)6月8日)は、広島県出身の洋画家である。広島市立大学名誉教授、尾道市立大学名誉教授。中国文化賞を受賞。 | ||
4月16日生まれの人  1929年生まれの人 | ||
415 | 山中雪人 | Wikipedia |
山中 雪人(やまなか ゆきと、1920年2月12日 - 2003年6月5日)は、広島県出身の日本画家。宗教画を得意とする。日本美術院同人。元広島市立大学教授。妻は日本画家の水谷愛子。 | ||
2月12日生まれの人  1920年生まれの人 |
山口県立岩国高等学校の出身者
416 | 宇野千代 岩国市 | Wikipedia |
宇野 千代(うの ちよ、1897年(明治30年)11月28日 - 1996年(平成8年)6月10日)は、大正・昭和・平成にかけて活躍した日本の小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持った。作家の尾崎士郎、梶井基次郎、画家の東郷青児、北原武夫など、多くの著名人との恋愛・結婚遍歴を持ち、その波乱に富んだ生涯はさまざまな作品の中で描かれている。 | ||
岩国市の出身者 | ||
11月28日生まれの人  1897年生まれの人 | ||
417 | 末川博 京都市 京都帝国大学へ進学 | Wikipedia |
末川 博(すえかわ ひろし、1892年(明治25年)11月20日 - 1977年(昭和52年)2月16日)は、日本の民法学者。日本学士院会員。立命館大学名誉総長。京都帝国大学教授、戦後に立命館大学学長・学校法人立命館総長を歴任。立命館では末川を名誉総長として顕彰している。長男は立命館大学名誉教授で歴史学者の末川清。清の妻は日本画家・橋本関雪の孫娘。勲四等瑞宝章(1942年)、従四位(1945年)。 | ||
山口県立岩国高等学校から 京都帝国大学への進学者 全国の 京都帝国大学の出身者 京都市の出身者 | ||
11月20日生まれの人  1892年生まれの人 |
山口県立防府高等学校の出身者
418 | 藤田三保子 宇部市 | Wikipedia |
藤田 三保子(ふじた みほこ、1952年10月31日 - )は日本の女優・シャンソン歌手・画家。山口県宇部市出身。山口県立防府高等学校卒業。 | ||
宇部市の出身者 | ||
10月31日生まれの人  1952年生まれの人 | ||
419 | 戸田勝 防府市 関西学院大学へ進学 | Wikipedia未登録 |
1951年2月28日生まれ。画家。全日本DM大賞日本郵便特別賞、同郵務局長賞、同金賞各一回受賞。POPクリエイティブアワードコンテスト金賞2回、銀賞7回。日本パッケージデザイン展銀賞。NHK放映「山頭火今週の一句」3年間描く。ルーブル分館アートポスター収蔵。他多数。 | ||
山口県立防府高等学校から関西学院大学への進学者 全国の関西学院大学の出身者 防府市の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1951年生まれの人 |
山口県立宇部工業高等学校の出身者
420 | 安野光雅 津和野町 山口大学へ進学 | Wikipedia |
安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - )は、日本の画家、装幀家、絵本作家、元美術教員。島根県鹿足郡津和野町出身。現在は東京都小金井市在住。文化功労者。 | ||
山口県立宇部工業高等学校から山口大学への進学者 全国の山口大学の出身者 津和野町の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1926年生まれの人 |
山口県立下関南高等学校の出身者
421 | 香月泰男 長門市 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
香月 泰男(かづき やすお、1911年10月25日 - 1974年3月8日)は、山口県大津郡三隅町(現・長門市)出身の画家。 | ||
山口県立下関南高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 長門市の出身者 | ||
10月25日生まれの人  1911年生まれの人 |
宇部鴻城高等学校の出身者
422 | 馬場良治 宇部市 東京藝術大学へ進学 | Wikipedia |
馬場 良治(ばば りょうじ、1949年(昭和24年) - )は、日本画家で、重要文化財復元の第一人者。日本美術院の院友である。 | ||
宇部鴻城高等学校から東京藝術大学への進学者 全国の東京藝術大学の出身者 宇部市の出身者 | ||
1949年生まれの人 |
徳島県立城南高等学校の出身者
423 | 伊原宇三郎 徳島市 | Wikipedia |
伊原 宇三郎(いはら うさぶろう、1894年10月26日 - 1976年1月5日)は、日本の美術家。徳島県徳島市出身。国内外で活躍した洋画家。古典主義風の重量感のある裸婦像など,数多くの人物画を制作した。またパブロ・ピカソに傾倒し、著書を著して日本にピカソブームを巻き起こした。 | ||
徳島市の出身者 | ||
10月26日生まれの人  1894年生まれの人 |
徳島市立高等学校の出身者
424 | 長尾弘子 徳島市 | Wikipedia |
長尾 弘子(ながお ひろこ、1930年5月6日 - )は、日本画家。徳島県徳島市出身。徳島市立高等女学校(現徳島市立高等学校)卒業。 | ||
徳島市の出身者 | ||
5月6日生まれの人  1930年生まれの人 |
香川県立高松工芸高等学校の出身者
425 | 山下菊二 | Wikipedia |
山下 菊二(やました きくじ 1919年10月8日 - 1986年11月23日)は日本の画家。 | ||
10月8日生まれの人  1919年生まれの人 | ||
426 | 広島晃甫 徳島市 東京藝術大学へ進学 | Wikipedia |
広島 晃甫(ひろしま こうほ、本名:広島新太郎、1889年(明治22年)11月23日 - 1951年(昭和26年)12月16日)は、徳島県徳島市出身の日本画家。香川県立工芸学校(現香川県立高松工芸高等学校)、東京美術学校日本画科(現東京藝術大学)卒業。 | ||
香川県立高松工芸高等学校から東京藝術大学への進学者 全国の東京藝術大学の出身者 徳島市の出身者 | ||
11月23日生まれの人  1889年生まれの人 |
香川県立丸亀高等学校の出身者
427 | 猪熊弦一郎 高松市 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
猪熊 弦一郎(いのくま げんいちろう、1902年12月14日 - 1993年5月17日)は、昭和期の洋画家。新制作協会創立会員。 | ||
香川県立丸亀高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 高松市の出身者 | ||
12月14日生まれの人  1902年生まれの人 |
香川県立観音寺第一高等学校の出身者
428 | 岩倉壽 観音寺市 京都市立芸術大学へ進学 | Wikipedia |
岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - )は、日本画家。日本藝術院会員。日展常務理事。京都市立芸術大学名誉教授。 | ||
香川県立観音寺第一高等学校から京都市立芸術大学への進学者 全国の京都市立芸術大学の出身者 観音寺市の出身者 | ||
6月30日生まれの人  1936年生まれの人 | ||
429 | 田中岑 観音寺市 日本大学へ進学 | Wikipedia |
田中 岑(たなか たかし、1921年4月4日 - 2014年4月12日)は、日本の洋画家。春陽会会員。 | ||
香川県立観音寺第一高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 観音寺市の出身者 | ||
4月4日生まれの人  1921年生まれの人 |
尽誠学園高等学校の出身者
430 | たいぞう 観音寺市 | Wikipedia |
たいぞう(1974年1月12日 - )は、日本のお笑いタレント、画家。本名、横山 泰三(よこやま たいぞう)。よしもとクリエイティブエージェンシーに所属している。香川県観音寺市出身。 | ||
観音寺市の出身者 | ||
1月12日生まれの人  1974年生まれの人 |
愛媛県立新居浜工業高等学校の出身者
431 | 守谷史男 | Wikipedia |
守谷 史男(もりや ふみお、1938年4月8日 - )は日本の画家。行動美術協会会員、大阪芸術大学教授。大阪府茨木市在住。放送作家の守谷武己は実子。 | ||
4月8日生まれの人  1938年生まれの人 |
愛媛県立西条高等学校の出身者
432 | 村上和彦 | Wikipedia |
村上 和彦 (むらかみ かずひこ、男性、1944年 - )は、日本の劇画家。愛媛県西条市出身。東京都杉並区在住。村上劇画プロ代表。 | ||
1944年生まれの人 |
愛媛県立今治西高等学校の出身者
433 | MAYA MAXX 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
MAYA MAXX(マヤマックス、1961年 - )は日本の画家、イラストレーター、絵本作家。愛媛県今治市出身。早稲田大学教育学部卒業。 | ||
愛媛県立今治西高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1961年生まれの人 | ||
434 | 智内兄助 今治市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
智内兄助(ちない きょうすけ、1948年 - )は愛媛県今治市(旧越智郡波方町)出身の洋画家である。 愛媛県立今治西高等学校、東京芸術大学大学院油画科修了。6人兄弟の末子。 | ||
愛媛県立今治西高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 今治市の出身者 | ||
1948年生まれの人 | ||
435 | 丹下健三 今治市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
丹下 健三(たんげ けんぞう、1913年(大正2年)9月4日 - 2005年(平成17年)3月22日)は日本の建築家、都市計画家。一級建築士(登録番号第15182号)。 | ||
愛媛県立今治西高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 今治市の出身者 | ||
9月4日生まれの人  1913年生まれの人 |
愛媛県立松山東高等学校の出身者
436 | 香川元太郎 | Wikipedia |
香川 元太郎(かがわ げんたろう、1959年 - )は、日本画家、イラストレーター、絵本作家。 | ||
1959年生まれの人 | ||
437 | 寺坂公雄 | Wikipedia |
寺坂 公雄(てらさか ただお、1933年9月6日 - )は、日本の洋画家、日本藝術院会員。 | ||
9月6日生まれの人  1933年生まれの人 | ||
438 | 重松鶴之助 | Wikipedia |
重松 鶴之助(しげまつ つるのすけ、1903年 - 1938年11月30日)は、日本の画家で、左翼運動家。愛媛県松山市生まれ。 | ||
1903年生まれの人 | ||
439 | 伊丹万作 | Wikipedia |
伊丹 万作(いたみ まんさく、1900年1月2日 - 1946年9月21日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優、エッセイスト、挿絵画家。本名は池内 義豊(いけうち よしとよ)。 | ||
1月2日生まれの人  1900年生まれの人 |
愛媛県立松山南高等学校砥部分校の出身者
440 | オーガフミヒロ | Wikipedia |
オーガ フミヒロ(本名:大鋸 史浩(おおが ふみひろ)、1971年3月15日 - )は、日本の画家。 | ||
3月15日生まれの人  1971年生まれの人 |
愛媛県立松山北高等学校の出身者
441 | 田中修 松山市 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
田中 修(たなか おさむ、1903年 - 1985年)は、日本の画家。 | ||
愛媛県立松山北高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 松山市の出身者 | ||
1903年生まれの人 |
愛媛県立宇和島東高等学校の出身者
442 | 浜田泰介 宇和島市 京都市立芸術大学へ進学 | Wikipedia |
浜田泰介(はまだたいすけ、1932年3月28日 - )は愛媛県宇和島市出身の画家。 | ||
愛媛県立宇和島東高等学校から京都市立芸術大学への進学者 全国の京都市立芸術大学の出身者 宇和島市の出身者 | ||
3月28日生まれの人  1932年生まれの人 |
高知県立高知西高等学校の出身者
443 | 楠瀬康璽 | Wikipedia |
楠瀬 康璽(くすのせ こうじ、1942年 - )は、高知県高知市出身の植物モチーフを得意とする日本の水彩画家、イラストレーター。本名は、楠瀬 浩二(くすのせ こうじ)。 | ||
1942年生まれの人 |
土佐高等学校の出身者
444 | 向井隆豊 宝塚市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
向井 隆豊(むかい りゅうほう、1950年9月19日 - )は、日本の画家。 | ||
土佐高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 宝塚市の出身者 | ||
9月19日生まれの人  1950年生まれの人 |
福岡県立東筑高等学校の出身者
445 | 中村琢二 佐渡市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
中村 琢二(なかむら たくじ、1897年4月1日 - 1988年1月31日)は、日本の洋画家である。日本芸術院会員。 | ||
福岡県立東筑高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 佐渡市の出身者 | ||
4月1日生まれの人  1897年生まれの人 | ||
446 | 尾中蘆山 | Wikipedia |
尾中 蘆山(おなか ろざん、1893年(明治26年)‐1963年(昭和38年))は大正時代から昭和時代の日本画家。 | ||
1893年生まれの人 |
福岡県立修猷館高等学校の出身者
447 | 矢野眞 | Wikipedia |
矢野 眞(やの まこと 1932年 - 2012年11月3日)は、福岡県出身の画家。 | ||
1932年生まれの人 | ||
448 | 寺田竹雄 | Wikipedia |
寺田 竹雄(てらだ たけお、1908年4月27日 - 1993年9月10日)は、洋画家。日本芸術院会員。 | ||
4月27日生まれの人  1908年生まれの人 | ||
449 | 伊藤研之 | Wikipedia |
伊藤 研之(いとう けんし、1907年4月6日 - 1978年9月17日)は、日本の洋画家。二科会福岡支部長。福岡文化連盟初代理事長。 | ||
4月6日生まれの人  1907年生まれの人 | ||
450 | 中村琢二 佐渡市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
中村 琢二(なかむら たくじ、1897年4月1日 - 1988年1月31日)は、日本の洋画家である。日本芸術院会員。 | ||
福岡県立修猷館高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 佐渡市の出身者 | ||
4月1日生まれの人  1897年生まれの人 | ||
451 | 中村研一 宗像市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
中村 研一(なかむら けんいち、1895年(明治28年)5月14日 - 1967年(昭和42年)8月28日)は、日本の洋画家。日本芸術院会員。 | ||
福岡県立修猷館高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 宗像市の出身者 | ||
5月14日生まれの人  1895年生まれの人 | ||
452 | 児島善三郎 福岡市 長崎大学へ進学 | Wikipedia |
児島 善三郎(こじま ぜんざぶろう、1893年2月13日 - 1962年3月22日)は、日本の洋画家である。 | ||
福岡県立修猷館高等学校から長崎大学への進学者 全国の長崎大学の出身者 | ||
2月13日生まれの人  1893年生まれの人 | ||
453 | 和田三造 朝来市 | Wikipedia |
和田 三造(わだ さんぞう、1883年(明治16年)3月3日 - 1967年(昭和42年)8月22日)は、明治・大正・昭和期の日本の洋画家、版画家。帝国美術院会員。1953年(昭和28年)、大映映画『地獄門』で、色彩デザイン及び衣裳デザインを担当し、この作品で、1954年(昭和29年)の第27回アカデミー賞で衣裳デザイン賞を受賞。 | ||
朝来市の出身者 | ||
3月3日生まれの人  1883年生まれの人 | ||
454 | 水上泰生 | Wikipedia |
水上 泰生(みずかみ たいせい、1877年10月24日 - 1951年2月21日)は、日本の日本画家。 | ||
10月24日生まれの人  1877年生まれの人 | ||
455 | 吉田博 東京農業大学へ進学 | Wikipedia |
吉田 博(よしだ ひろし、1876年(明治9年)9月19日 - 1950年(昭和25年)4月5日)は、日本の洋画家、版画家。自然と写実そして詩情を重視した作風で、明治、大正、昭和にかけて風景画家の第一人者として活躍した。 | ||
福岡県立修猷館高等学校から東京農業大学への進学者 全国の東京農業大学の出身者 | ||
9月19日生まれの人  1876年生まれの人 |
福岡県立朝倉高等学校の出身者
456 | 大内田茂士 | Wikipedia |
大内田 茂士(おおうちだ しげし、1913年9月24日 - 1994年2月1日)は、洋画家、日本芸術院会員。 | ||
9月24日生まれの人  1913年生まれの人 |
福岡県立明善高等学校の出身者
457 | 松本英一郎 | Wikipedia |
松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 - 2001年6月17日)は、日本の洋画家である。 | ||
7月8日生まれの人  1932年生まれの人 | ||
458 | 藤田吉香 久留米市 九州大学へ進学 | Wikipedia |
藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)- 1999年(平成11年5月25日))は、福岡県久留米市櫛原町生まれの洋画家。 | ||
福岡県立明善高等学校から九州大学への進学者 全国の九州大学の出身者 久留米市の出身者 | ||
2月16日生まれの人  1929年生まれの人 | ||
459 | 古賀春江 大正大学へ進学 | Wikipedia |
古賀 春江(こが はるえ、1895年6月18日 - 1933年9月10日)は大正から昭和初期に活躍した日本の男性洋画家である。日本の初期のシュルレアリスムの代表的な画家として知られる。本名は亀雄(よしお)。後に僧籍に入り「古賀良昌(りょうしょう)」と改名した。「春江」はあくまでも通称である。 | ||
福岡県立明善高等学校から大正大学への進学者 全国の大正大学の出身者 | ||
6月18日生まれの人  1895年生まれの人 |
460 | 高島野十郎 久留米市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
髙島 野十郎(たかしま やじゅうろう、1890年(明治23年)8月6日 - 1975年(昭和50年)9月17日)は、大正 - 昭和の画家。独学で絵の道に入り、透徹した精神性でひたすら写実を追求。終生家族を持たず、画壇とも一切関わらず隠者のような孤高の人生を送った。本名彌壽(やじゅ)、字は光雄。 | ||
福岡県立明善高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 久留米市の出身者 | ||
8月6日生まれの人  1890年生まれの人 | ||
461 | 青木繁 久留米市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
青木 繁(あおき しげる、1882年(明治15年)7月13日 - 1911年(明治44年)3月25日)は日本の洋画家。 | ||
福岡県立明善高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 久留米市の出身者 | ||
7月13日生まれの人  1882年生まれの人 | ||
462 | 坂本繁二郎 久留米市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
坂本 繁二郎(さかもと はんじろう、 1882年3月2日 - 1969年7月14日)は、明治後期~昭和期の洋画家である。 | ||
福岡県立明善高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 久留米市の出身者 | ||
3月2日生まれの人  1882年生まれの人 |
福岡県立三池高等学校の出身者
463 | 大津英敏 熊本県熊本市生まれ、大牟田市出身 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋画家。日本芸術院会員、多摩美術大学名誉教授、独立美術協会会員。 | ||
福岡県立三池高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 熊本県熊本市生まれ、大牟田市出身の出身者 | ||
1943年生まれの人 |
福岡県立嘉穂高等学校の出身者
464 | 野見山暁治 飯塚市 東京藝術大学へ進学 | Wikipedia |
野見山 暁治(のみやま ぎょうじ、1920年12月17日 - )は、日本の洋画家。文化勲章受章者。 | ||
福岡県立嘉穂高等学校から東京藝術大学への進学者 全国の東京藝術大学の出身者 飯塚市の出身者 | ||
12月17日生まれの人  1920年生まれの人 |
福岡雙葉高等学校の出身者
465 | まさごろ 福岡市 日本大学へ進学 | Wikipedia |
まさごろ(本名:津田 まさごろ、1962年6月7日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、画家、詩人。 | ||
福岡雙葉高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 | ||
6月7日生まれの人  1962年生まれの人 |
西日本短期大学附属高等学校の出身者
466 | 新庄剛志 福岡市 | Wikipedia |
新庄 剛志(しんじょう つよし、1972年1月28日 - )は、長崎県下県郡美津島町(現:対馬市)生まれ、福岡県福岡市南区出身の元プロ野球選手(外野手・内野手[注 1]、右投右打)、タレント、実業家、クリエイター(商品プロデューサー、画家など)、地方競馬全国協会 (NAR) の馬主。元妻はタレントの大河内志保。紺綬褒章受章(2007年)。愛称は「プリンス」など(こちらを参照)。 | ||
1月28日生まれの人  1972年生まれの人 |
佐賀県立唐津西高等学校の出身者
467 | 中島潔 | Wikipedia |
中島 潔(なかしま きよし、1943年4月26日 - )は日本画家、絵本作家、イラストレーター。郷愁を誘う童画や、儚げな女性画を得意とする。「風の画家」として知られる。 | ||
4月26日生まれの人  1943年生まれの人 |
長崎県立諫早高等学校の出身者
468 | 林田重正 諌早市 | Wikipedia |
林田 重正 (はやしだ しげまさ、1918年10月1日 - 1997年1月4日)は、長崎県諌早市出身の画家。 | ||
諌早市の出身者 | ||
10月1日生まれの人  1918年生まれの人 |
長崎県立大村高等学校の出身者
469 | 荒木十畝 | Wikipedia |
荒木 十畝(あらき じっぽ、1872年10月5日(明治5年9月3日) - 1944年(昭和19年)9月11日)は、日本画家。長崎県大村生まれ。本名・朝長悌二郎。 | ||
10月5日生まれの人  1872年生まれの人 |
長崎県立壱岐高等学校の出身者
470 | 長岡秀星 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
長岡 秀星(ながおか しゅうせい、1936年11月26日 - 2015年6月23日)は、日本のイラストレーター・画家。宇宙やSFをイメージした作風で国際的に活躍し、レコードジャケットのアートワークを多数手掛けたことで知られる。本名は長岡 秀三(ながおか しゅうぞう)。 | ||
長崎県立壱岐高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 | ||
11月26日生まれの人  1936年生まれの人 |
長崎市立長崎商業高等学校の出身者
471 | 山田正孝 | Wikipedia |
山田 正孝(やまだ まさたか、1908年〈明治41年〉4月11日 - 1995年〈平成7年〉10月16日)は、日本の画家。長崎市出身。1933年、大阪美術学校卒業。1937年、長崎市立商業学校に勤務。東光会展、日展に多数の入選入賞。東光会審査員、東光会長崎支部長、長崎県美術協会副会長。長崎洋画家クラブ、長崎市民美術展、長崎県民美術展創設に携わり長崎県美術協会審査員および事務局長等歴任。長崎県文化功労者表彰、長崎市文化功労者表彰を受ける。1994年、画集「自画自賛」(87ページ)出版。長崎県美術界の育ての親的存在。 | ||
4月11日生まれの人  1908年生まれの人 |
長崎日本大学高等学校の出身者
472 | 馬場由起子 | Wikipedia |
馬場 由起子(ばば ゆきこ、1968年 - )は、日本の版画家である。長崎県出身。主にリトグラフを制作。自分のなかにあるぼんやりしたものをどうにかしてかたちにしたい時、一番身近な方法は絵を描く行為であるという。 | ||
1968年生まれの人 |
熊本県立熊本高等学校の出身者
473 | 渡邉貴介 | Wikipedia |
渡邉 貴介(わたなべ たかすけ、1943年(昭和18年)1月2日 - 2001年(平成13年)8月18日)は、日本の観光計画、リゾート計画、都市計画、地域計画、国土計画の専門家で、都市計画家、観光学者。東京工業大学大学院情報理工学研究科教授。工学博士。 | ||
1月2日生まれの人  1943年生まれの人 | ||
474 | 野田英夫 | Wikipedia |
野田 英夫(のだ ひでお、1908年7月15日 - 1939年1月12日)は、洋画家。アメリカ合衆国生まれの日系人。 | ||
7月15日生まれの人  1908年生まれの人 | ||
475 | 牛島憲之 熊本市 | Wikipedia |
牛島 憲之(うしじま のりゆき、1900年8月29日 - 1997年9月16日)は、洋画家。熊本県熊本市二本木町生まれ。 | ||
熊本市の出身者 | ||
8月29日生まれの人  1900年生まれの人 |
熊本県立鹿本高等学校の出身者
476 | 富田至誠 鹿本郡来民町(現・山鹿市) 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
富田 至誠(とみた しせい、1897年(明治30年)3月6日 - 1949年(昭和24年)5月31日)は、日本の洋画家であり、美術教師。熊本県出身。 | ||
熊本県立鹿本高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 鹿本郡来民町(現・山鹿市)の出身者 | ||
3月6日生まれの人  1897年生まれの人 |
熊本県立人吉高等学校の出身者
477 | 恒松正敏 東京藝術大学へ進学 | Wikipedia |
恒松 正敏(つねまつ まさとし、1952年8月3日 - )は、日本のミュージシャン、画家。1978年から1980年までフリクションのギタリストとして在籍。以降は、自身のバンドや画家としての活動に力を置いている。 熊本県人吉市出身。 | ||
熊本県立人吉高等学校から東京藝術大学への進学者 全国の東京藝術大学の出身者 | ||
8月3日生まれの人  1952年生まれの人 |
熊本県立天草高等学校の出身者
478 | 真珠子 苓北町 | Wikipedia |
真珠子(しんじゅこ、1976年 - )は、熊本県天草郡苓北町出身の画家、イラストレーター、映像作家、美術家。 | ||
苓北町の出身者 | ||
1976年生まれの人 | ||
479 | 鶴田一郎 本渡市(現・天草市) 多摩美術大学へ進学 | Wikipedia |
鶴田 一郎(つるた いちろう、1954年4月13日 - )は日本のグラフィックデザイナー・画家。独特のタッチで描かれた日本女性の美人画で有名であり、かつてノエビアのCMで長く起用されたことでも知られる。近年は美人画のみならず、現代の鶴田流琳派をテーマに「雪」「月」「花」「海を渡る」などの大作にも挑んでいる。 | ||
熊本県立天草高等学校から多摩美術大学への進学者 全国の多摩美術大学の出身者 本渡市(現・天草市)の出身者 | ||
4月13日生まれの人  1954年生まれの人 |
熊本県立大津高等学校の出身者
480 | 坂本善三 小国町 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
坂本 善三(さかもと ぜんぞう、1911年3月15日 - 1987年10月14日)は、日本の洋画家。 | ||
熊本県立大津高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 小国町の出身者 | ||
3月15日生まれの人  1911年生まれの人 |
熊本県立御船高等学校の出身者
481 | 浜田知明 御船町 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
浜田 知明(はまだ ちめい、1917年(大正6年)12月23日- )は、日本の版画家・彫刻家。日本の版画家が国際的に注目されはじめたのは1950年代からであるが、浜田は、棟方志功、浜口陽三、駒井哲郎らと並び、第二次大戦後の日本を代表する版画家の一人に数えられる。 | ||
熊本県立御船高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 御船町の出身者 | ||
12月23日生まれの人  1917年生まれの人 | ||
482 | 井手宣通 御船町 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
井手 宣通(いで のぶみち、1912年(明治45年)2月1日 - 1993年(平成5年)2月1日)は、日本の洋画家。熊本県上益城郡御船町出身。 | ||
熊本県立御船高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 御船町の出身者 | ||
2月1日生まれの人  1912年生まれの人 |
大分県立大分上野丘高等学校の出身者
483 | 高山辰雄 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
高山 辰雄(たかやま たつお、1912年(明治45年)6月26日 - 2007年(平成19年)9月14日)は、日本画家。文化勲章受章者。脚本家の高山由紀子は長女。 | ||
大分県立大分上野丘高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
6月26日生まれの人  1912年生まれの人 | ||
484 | 佐藤敬 大分郡 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
佐藤 敬(さとう けい、1906年(明治39年)10月28日 - 1978年(昭和53年)5月8日)は、日本の洋画家。新制作協会の創立メンバー。妻は声楽家の佐藤美子。 | ||
大分県立大分上野丘高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
10月28日生まれの人  1906年生まれの人 | ||
485 | 福田平八郎 京都市立芸術大学へ進学 | Wikipedia |
福田 平八郎(ふくだ へいはちろう、1892年2月28日 - 1974年3月22日)は、大分県出身の日本画家。 | ||
大分県立大分上野丘高等学校から京都市立芸術大学への進学者 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1892年生まれの人 |
大分県立芸術緑丘高等学校の出身者
486 | 池永康晟 | Wikipedia |
池永 康晟(いけなが やすなり、1965年10月3日 - )は、日本画家。大分県津久見市生まれ。 | ||
10月3日生まれの人  1965年生まれの人 |
大分県立別府鶴見丘高等学校の出身者
487 | 矢玉四郎 千葉大学へ進学 | Wikipedia |
矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - )は、日本の児童文学作家、画家。 | ||
大分県立別府鶴見丘高等学校から千葉大学への進学者 全国の千葉大学の出身者 | ||
2月3日生まれの人  1944年生まれの人 |
宮崎県立宮崎大宮高等学校の出身者
488 | 瑛九 宮崎市 | Wikipedia |
瑛九(えいきゅう、1911年4月28日 - 1960年3月10日)は、日本の画家、版画家、写真家。前衛的な作品、抽象的な作品(抽象絵画)が多い。本名、杉田秀夫。QEiとも自署した。浦和画家として有名。 | ||
宮崎市の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1911年生まれの人 |
宮崎県立妻高等学校の出身者
489 | 弥勒祐徳 西都市 | Wikipedia |
弥勒 祐徳(みろく すけのり、1919年2月20日 - )は、宮崎県内で活動する日本の画家。西都市生まれ、在住。『弥勒祐徳展』というポスターを見て、弥勒菩薩と祐徳稲荷のことかと勘違いする人もいる[要出典]ほど珍しい名前だが、本名である。宮崎県立都農高等学校講師、宮崎県美術協会理事。息子はテレビ宮崎役員の弥勒猛。 | ||
西都市の出身者 | ||
2月20日生まれの人  1919年生まれの人 |
鹿児島県立甲南高等学校の出身者
490 | 八島太郎 南大隅町(長男はハリウッド俳優のマコ岩松) | Wikipedia |
八島 太郎(やしま たろう、1908年9月21日 - 1994年6月30日)は、日本とアメリカとで活躍した日本人画家、絵本作家である。本名 : 岩松 淳(いわまつ じゅん)。鹿児島県肝属郡小根占村出身。作家の伊佐千尋、俳優のマコ岩松は息子。 | ||
南大隅町(長男はハリウッド俳優のマコ岩松)の出身者 | ||
9月21日生まれの人  1908年生まれの人 |
鹿児島県立鹿児島中央高等学校の出身者
491 | 桑水流みき 鹿児島市 久留米大学へ進学 | Wikipedia |
桑水流みき(くわずる みき、英語: Miki Kuwazuru、1969年〈昭和44年〉7月3日 - )は、日本の洋画家。鹿児島県鹿児島市出身。福岡県在住。女性。 | ||
鹿児島県立鹿児島中央高等学校から久留米大学への進学者 全国の久留米大学の出身者 鹿児島市の出身者 | ||
7月3日生まれの人  1969年生まれの人 |
鹿児島県立大口高等学校の出身者
492 | 榎木孝明 伊佐市菱刈町|菱刈 武蔵野美術大学へ進学 | Wikipedia |
榎木 孝明(えのき たかあき、1956年1月5日 - )は、日本の俳優、水彩画家。鹿児島県伊佐郡菱刈町(現:伊佐市)出身。 | ||
鹿児島県立大口高等学校から武蔵野美術大学への進学者 全国の武蔵野美術大学の出身者 伊佐市菱刈町|菱刈の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1956年生まれの人 |
鹿児島県立志布志高等学校の出身者
493 | 海老原喜之助 鹿児島市 日本大学へ進学 | Wikipedia |
海老原 喜之助(えびはら きのすけ 1904年9月13日~1970年9月19日)は、日本の洋画家。鹿児島県出身。大正末期から昭和にかけてフランスと日本で活躍。「エビハラ・ブルー」と呼ばれた鮮やかな青の色彩を多用し、馬をモチーフにした作品を数多く制作した。1970年、パリで客死。今では郷里の鹿児島市立美術館、児玉美術館を始め各地の美術館に多数作品が収蔵されている。 | ||
鹿児島県立志布志高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 鹿児島市の出身者 | ||
9月13日生まれの人  1904年生まれの人 | ||
494 | 吉井淳二 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
吉井 淳二(よしい じゅんじ、1904年(明治37年)3月6日 - 2004年(平成16年)11月23日)は、日本の洋画家。鹿児島県曽於郡末吉町(現曽於市)出身。 | ||
鹿児島県立志布志高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
3月6日生まれの人  1904年生まれの人 |
鹿児島県立鹿児島南高等学校の出身者
495 | 長渕剛 鹿児島市 九州産業大学へ進学 | Wikipedia |
長渕 剛(ながぶち つよし、1956年9月7日 - )は、日本のシンガーソングライター・俳優・詩人・画家。本名は同じ。デビュー時の芸名は名の読みが(ごう)。Office REN(オフィス・レン)所属。妻は志穂美悦子。長女は文音。長男はWA航RU。次男は長渕蓮。 | ||
鹿児島県立鹿児島南高等学校から九州産業大学への進学者 全国の九州産業大学の出身者 鹿児島市の出身者 | ||
9月7日生まれの人  1956年生まれの人 |
沖縄県立首里高等学校の出身者
496 | 山里永吉 | Wikipedia |
山里 永吉(やまざと えいきち 1902年8月18日 - 1989年5月5日)は、沖縄の画家、作家。 沖縄県生まれ。日本美術学校中退。田河水泡、村山知義と交わる。『マヴォ』同人。1927年沖縄に帰り、脚本や新聞小説を執筆。戦後は琉球博物館長、琉球芸能連盟会長。脚本に「首里城明渡し」などがある。 | ||
8月18日生まれの人  1902年生まれの人 |
沖縄県立那覇高等学校の出身者
497 | 伊佐千尋 | Wikipedia |
伊佐 千尋(いさ ちひろ、1929年6月27日 - )は、日本のノンフィクション作家。画家・八島太郎の息子で、マコ岩松は異母弟。 | ||
6月27日生まれの人  1929年生まれの人 |