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このサイトに登録されている出身高校別有名人の「思想家」という職業の有名人の数:77人
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北海道札幌月寒高等学校の出身者
1 | 朝松健 東洋大学へ進学 | Wikipedia |
朝松 健(あさまつ けん、1956年4月10日 - )は、北海道札幌市生まれの小説家、怪奇小説家。本名、松井克弘。ペンネームの由来は作家アーサー・マッケンから。妻は魔女思想家の松尾未来。 | ||
北海道札幌月寒高等学校から東洋大学への進学者 全国の東洋大学の出身者 | ||
4月10日生まれの人  1956年生まれの人 |
北海道小樽潮陵高等学校の出身者
2 | 向坂逸郎 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
向坂 逸郎(さきさか いつろう、1897年2月6日 - 1985年1月22日)は、日本のマルクス経済学者・社会主義思想家。九州大学教授・社会主義協会代表を歴任。 | ||
北海道小樽潮陵高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
2月6日生まれの人  1897年生まれの人 |
北海道札幌旭丘高等学校の出身者
3 | 寺島実郎 沼田町 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
寺島 実郎(てらしま じつろう、1947年8月11日 - )は、日本の評論家、全体知の思想家。多摩大学学長・教授、立命館大学国際関係学部客員教授、帝塚山大学特別客員教授、立命館アジア太平洋大学国際経営学部客員教員、一般財団法人日本総合研究所会長。 | ||
北海道札幌旭丘高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 沼田町の出身者 | ||
8月11日生まれの人  1947年生まれの人 |
宮城県仙台第一高等学校の出身者
4 | 吉野作造 東京大学へ進学 | Wikipedia |
吉野 作造(よしの さくぞう 1878年(明治11年)1月29日 - 1933年(昭和8年)3月18日)は、大正時代を中心に活躍した日本の政治学者、思想家である。東京帝国大学で教壇に立ち、大正デモクラシーの立役者となった。初名は「作蔵」、1917年5月「作造」に改名。号は「古川学人」。弟は商工官僚・政治家の吉野信次。 | ||
宮城県仙台第一高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月29日生まれの人  1878年生まれの人 |
福島県立安積高等学校の出身者
5 | 高山樗牛 鶴岡市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、 1871年2月28日(明治4年1月10日) - 1902年(明治35年)12月24日)は明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。文学博士。明治30年代の言論を先導した。本名は林次郎。 | ||
福島県立安積高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 鶴岡市の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1871年生まれの人 |
茨城県立水戸第一高等学校の出身者
6 | 佐々木中 青森市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
佐々木 中(ささき あたる、1973年8月2日 - )は、日本の思想家、作家。京都精華大学人文学部教員。専攻は哲学、現代思想、理論宗教学。 | ||
茨城県立水戸第一高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 青森市の出身者 | ||
8月2日生まれの人  1973年生まれの人 | ||
7 | 橘孝三郎 | Wikipedia |
橘 孝三郎(たちばな こうざぶろう、1893年(明治26年)3月18日 ‐ 1974年(昭和49年)3月30日)は日本の政治運動家、農本主義思想家。農本ファシストであり、超国家主義者でもあった。 | ||
3月18日生まれの人  1893年生まれの人 |
茨城県立土浦第一高等学校の出身者
8 | 下山千秋 | Wikipedia未登録 |
作家、思想家、「天国の記録」、「街のルンペン」 |
群馬県立桐生高等学校の出身者
9 | 大野明男 東京大学へ進学 | Wikipedia |
大野 明男(おおの あきお、1930年(昭和5年)9月12日 - )は、日本の思想家、社会運動家。社会評論家。 | ||
群馬県立桐生高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月12日生まれの人  1930年生まれの人 |
埼玉県立熊谷高等学校の出身者
10 | 松本健一 東京大学へ進学 | Wikipedia |
松本 健一(まつもと けんいち、1946年1月22日 - 2014年11月27日)は、日本の評論家、思想家、作家、歴史家、思想史家。麗澤大学経済学部教授。 | ||
埼玉県立熊谷高等学校から 東京大学への進学者 全国の 東京大学の出身者 | ||
1月22日生まれの人  1946年生まれの人 |
埼玉県立不動岡高等学校の出身者
11 | 小島慶三 羽生市 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11日 - 2008年(平成20年)8月30日)は、日本のエコノミスト、思想家、教育者、実業家、官僚、政治家、俳人。参議院議員(1期)。 | ||
埼玉県立不動岡高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 羽生市の出身者 | ||
3月11日生まれの人  1917年生まれの人 |
千葉県立千葉高等学校の出身者
12 | 太田竜 ユジノサハリンスク市 東京理科大学へ進学 | Wikipedia |
太田 龍(太田 竜、おおた りゅう、1930年8月16日 - 2009年5月19日)は、日本の革命思想家である。 | ||
千葉県立千葉高等学校から東京理科大学への進学者 全国の東京理科大学の出身者 | ||
8月16日生まれの人  1930年生まれの人 |
千葉県立佐倉高等学校の出身者
13 | 西村茂樹 佐倉市 | Wikipedia |
西村 茂樹(にしむら しげき、1828年4月26日(文政11年3月13日) - 1902年(明治35年)8月18日)は明治時代の日本の啓蒙思想家、教育者。文学博士。道徳振興団体「日本弘道会」創設者。号は泊翁。 | ||
佐倉市の出身者 | ||
4月26日生まれの人  1828年生まれの人 |
お茶の水女子大学附属高等学校の出身者
14 | 平塚雷鳥 | Wikipedia |
平塚 らいてう(ひらつか らいちょう、本名:平塚 明(ひらつか はる)、1886年(明治19年)2月10日 - 1971年(昭和46年)5月24日)は、日本の思想家、評論家、作家、フェミニスト、戦前と戦後に亘(わた)る女性解放運動家。戦後は主に反戦・平和運動に参加した。日本女子大学校(現:日本女子大学)家政学部卒。 | ||
2月10日生まれの人  1886年生まれの人 |
東京都立日比谷高等学校の出身者
15 | 内田樹 首都大学東京へ進学 | Wikipedia |
内田 樹(うちだ たつる、1950年9月30日 - )は、日本の哲学研究者、コラムニスト、思想家、倫理学者、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。京都精華大学人文学部客員教授。合気道凱風館館長。 | ||
東京都立日比谷高等学校から首都大学東京への進学者 全国の首都大学東京の出身者 | ||
9月30日生まれの人  1950年生まれの人 | ||
16 | 筧泰彦 東京大学へ進学 | Wikipedia |
筧 泰彦(かけひ やすひこ、1908年 - 2000年1月11日)は、日本の思想史学者・倫理学者・国体学者・神道思想家。 | ||
東京都立日比谷高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1908年生まれの人 | ||
17 | 筧克彦 東京大学へ進学 | Wikipedia |
筧 克彦(かけい かつひこ、1872年12月28日(明治5年11月28日) - 1961年(昭和36年)2月27日)は、日本の法学者、神道思想家。専門は公法学、法哲学(法理学)、憲法学。 | ||
東京都立日比谷高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
12月28日生まれの人  1872年生まれの人 |
東京都立戸山高等学校の出身者
18 | 仲小路彰 | Wikipedia |
仲小路 彰(なかしょうじ あきら、1901年2月26日 - 1984年9月1日)は、日本の思想家、哲学者、歴史哲学者。 | ||
2月26日生まれの人  1901年生まれの人 | ||
19 | 田邊元 | Wikipedia |
田辺 元(たなべ はじめ、1885年2月3日 - 1962年4月29日)は、日本の哲学者。旧字体で表記した場合は田邊 元となる。西田幾多郎とともに京都学派を代表する思想家。元京都大学教授、京都大学名誉教授。1947年帝国学士院会員、1950年文化勲章受章。 | ||
2月3日生まれの人  1885年生まれの人 |
東京都立新宿高等学校の出身者
20 | 小野二郎 東京大学へ進学 | Wikipedia |
小野 二郎(おの じろう、1929年8月18日 - 1982年4月26日)は、日本の英文学者、思想家。 | ||
東京都立新宿高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
8月18日生まれの人  1929年生まれの人 |
東京都立小石川高等学校の出身者
21 | 西尾幹二 東京大学へ進学 | Wikipedia |
西尾 幹二(にしお かんじ、1935年(昭和10年)7月20日 - )は、日本のドイツ文学者、思想家、評論家。学位は文学博士(東京大学)。電気通信大学名誉教授。 | ||
東京都立小石川高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月20日生まれの人  1935年生まれの人 |
東京都立両国高等学校の出身者
22 | 大野明男 東京大学へ進学 | Wikipedia |
大野 明男(おおの あきお、1930年(昭和5年)9月12日 - )は、日本の思想家、社会運動家。社会評論家。 | ||
東京都立両国高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月12日生まれの人  1930年生まれの人 | ||
23 | 河合栄治郎 東京大学へ進学 | Wikipedia |
河合 栄治郎(かわい えいじろう、1891年2月13日 - 1944年2月15日)は、日本の社会思想家、経済学者。第二次世界大戦前夜における、著名な自由主義知識人の一人。 | ||
東京都立両国高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月13日生まれの人  1891年生まれの人 |
東京都立第一商業高等学校の出身者
24 | 奥山治 | Wikipedia |
奥山 治(おくやま おさむ、1918年(大正7年)1月31日 - 2000年(平成12年)3月18日)は東京都・青ヶ島村の村長を五期17年3か月間務めた人物。生涯において玄米自然食(マクロビオティック)の普及に務めた。東洋哲学の思想家。 | ||
1月31日生まれの人  1918年生まれの人 |
麻布高等学校の出身者
25 | 亀井眞樹 横浜市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
亀井 眞樹(かめい まさき、1961年11月12日 - )は、日本の医師、統合医療評論家、臨床思想家。神奈川県横浜市出身。 | ||
麻布高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 横浜市の出身者 | ||
11月12日生まれの人  1961年生まれの人 |
明治学院高等学校の出身者
26 | 李光洙 明治学院大学へ進学 | Wikipedia |
李 光洙(イ・グァンス、1892年3月5日 - 1950年10月25日)は朝鮮の文学者、思想家である。「朝鮮近代文学の祖」とも言われる。号は「春園」(チュンウォン、춘원)。創氏改名時の日本名は香山光郎(かやま・みつろう)。 | ||
明治学院高等学校から明治学院大学への進学者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
3月5日生まれの人  1892年生まれの人 |
郁文館高等学校の出身者
27 | 河合栄治郎 東京大学へ進学 | Wikipedia |
河合 栄治郎(かわい えいじろう、1891年2月13日 - 1944年2月15日)は、日本の社会思想家、経済学者。第二次世界大戦前夜における、著名な自由主義知識人の一人。 | ||
郁文館高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月13日生まれの人  1891年生まれの人 |
京華高等学校の出身者
28 | 三井甲之 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
三井甲之(みつい こうし、1883年(明治16年)10月16日 - 1953年(昭和28年)4月3日)は、日本の文学者、歌人、右翼思想家。本名は甲之助。 | ||
京華高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
10月16日生まれの人  1883年生まれの人 |
攻玉社高等学校の出身者
29 | 片山潜 久米南町 岡山大学へ進学 | Wikipedia |
片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年12月3日) - 1933年(昭和8年)11月5日)は、日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。号は深甫。 | ||
攻玉社高等学校から岡山大学への進学者 全国の岡山大学の出身者 久米南町の出身者 | ||
12月26日生まれの人  1859年生まれの人 |
国士舘高等学校の出身者
30 | 徳富蘇峰 益城町 | Wikipedia |
徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 | ||
益城町の出身者 | ||
3月14日生まれの人  1863年生まれの人 |
日本学園高等学校の出身者
31 | 高山樗牛 鶴岡市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、 1871年2月28日(明治4年1月10日) - 1902年(明治35年)12月24日)は明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。文学博士。明治30年代の言論を先導した。本名は林次郎。 | ||
日本学園高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 鶴岡市の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1871年生まれの人 |
学習院高等科の出身者
32 | 柳宗悦 東京帝國大学へ進学 | Wikipedia |
柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889年(明治22年)3月21日 - 1961年(昭和36年)5月3日)は、民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。名前はしばしばそうえつと有職読みされ、欧文においてもSoetsuと表記される。 | ||
学習院高等科から東京帝國大学への進学者 全国の東京帝國大学の出身者 | ||
3月21日生まれの人  1889年生まれの人 |
順天高等学校の出身者
33 | 大杉栄 丸亀市 東京外国語大学へ進学 | Wikipedia |
大杉 栄(おおすぎ さかえ、大杉榮、1885年(明治18年)1月17日 - 1923年(大正12年)9月16日)は、思想家、作家、ジャーナリスト、社会運動家。 | ||
順天高等学校から東京外国語大学への進学者 全国の東京外国語大学の出身者 丸亀市の出身者 | ||
1月17日生まれの人  1885年生まれの人 |
開成高等学校の出身者
34 | 辻潤 | Wikipedia |
辻 潤(つじ じゅん、1884年10月4日 - 1944年11月24日?)は、日本の翻訳家、思想家である。日本におけるダダイスムの中心的人物の一人とされる。画家、詩人の辻まことは長男である。 | ||
10月4日生まれの人  1884年生まれの人 |
神奈川県立湘南高等学校の出身者
35 | 安岡直 | Wikipedia |
安岡 直(やすおか すなお、1963年 - 2015年)は、日本の哲学者。北海道生まれの男性。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科博士課程退学。秀明大学教授を歴任。『表現者』に連載を持っていた。著書に『日本はなぜ自滅したのか』(秀明出版会、2010年)。 | ||
1963年生まれの人 |
神奈川県立海老名高等学校の出身者
36 | 山口揚平 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
山口 揚平(やまぐち ようへい、1975年6月3日 -)は、日本のコンサルタント、思想家、ファンダメンタル投資家、作家、企業家。ブルー・マーリン・パートナーズ株式会社代表取締役。個人投資家応援サイト「シェアーズ」代表。慶應義塾高校講師。専門は貨幣論・情報化社会論。 | ||
神奈川県立海老名高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
6月3日生まれの人  1975年生まれの人 |
新潟県立新発田高等学校の出身者
37 | 大杉栄 丸亀市 東京外国語大学へ進学 | Wikipedia |
大杉 栄(おおすぎ さかえ、大杉榮、1885年(明治18年)1月17日 - 1923年(大正12年)9月16日)は、思想家、作家、ジャーナリスト、社会運動家。 | ||
新潟県立新発田高等学校から東京外国語大学への進学者 全国の東京外国語大学の出身者 丸亀市の出身者 | ||
1月17日生まれの人  1885年生まれの人 |
新潟県立佐渡高等学校の出身者
38 | 北昤吉 佐渡市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
北 昤吉(きた れいきち、1885年7月21日 - 1961年8月5日)は、日本の思想家・評論家・政治家・教育者。鴨湖、光永、禮華と号す。北一輝の実弟。 | ||
新潟県立佐渡高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 佐渡市の出身者 | ||
7月21日生まれの人  1885年生まれの人 | ||
39 | 北一輝 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件を引き起こした皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議にかけられ、死刑判決を受け刑死した。 | ||
新潟県立佐渡高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月3日生まれの人  1883年生まれの人 |
山梨県立甲府第一高等学校の出身者
40 | 中沢新一 東京大学へ進学 | Wikipedia |
中沢 新一(なかざわ しんいち、1950年5月28日 - )は、日本の人類学者、思想家、宗教学者。元中央大学総合政策学部教授。明治大学特任教授/野生の科学研究所所長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。 | ||
山梨県立甲府第一高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月28日生まれの人  1950年生まれの人 | ||
41 | 三井甲之 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
三井甲之(みつい こうし、1883年(明治16年)10月16日 - 1953年(昭和28年)4月3日)は、日本の文学者、歌人、右翼思想家。本名は甲之助。 | ||
山梨県立甲府第一高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
10月16日生まれの人  1883年生まれの人 |
長野県立松本深志高等学校の出身者
42 | 上原良司 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
上原 良司(うえはら りょうじ、1922年9月27日 - 1945年5月11日)は、大日本帝国陸軍軍人。 陸軍特別攻撃隊第56振武隊員。 | ||
長野県立松本深志高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
9月27日生まれの人  1922年生まれの人 | ||
43 | 唐木順三 信州大学へ進学 | Wikipedia |
唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月13日 - 1980年(昭和55年)5月27日)は、日本の評論家、哲学者、思想家。 | ||
長野県立松本深志高等学校から信州大学への進学者 全国の信州大学の出身者 | ||
2月13日生まれの人  1904年生まれの人 | ||
44 | 旧制松本中学校以前 飯沼正明 | Wikipedia未登録 |
パイロット上原良司太平洋戦争期の思想家金井為一郎牧師小松慶也陸軍騎兵大尉塩沢幸一海軍大将島村信政海軍大佐清水光美海軍中将細見惟雄陸軍中将丸山政男陸軍中将板花義一陸軍中将柳田元三陸軍中将小岩井光夫陸軍少佐 |
愛知県立旭丘高等学校の出身者
45 | 矢部史郎 | Wikipedia |
矢部史郎(やぶ しろう、1971年6月16日 - )は、日本の思想家、政治活動家。愛知県春日井市在住。 | ||
6月16日生まれの人  1971年生まれの人 | ||
46 | 米本昌平 京都大学へ進学 | Wikipedia |
米本 昌平(よねもと しょうへい、1946年7月12日 - )は、日本の思想家。東京大学先端科学技術研究センター特任教授、総合研究大学院大学教授。専門は、科学史・科学論、生命倫理、地球環境問題。 | ||
愛知県立旭丘高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
7月12日生まれの人  1946年生まれの人 | ||
47 | 三宅雪嶺 | Wikipedia |
三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日(万延元年5月19日) - 1945年(昭和20年)11月26日)は、日本の哲学者、評論家。加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。本名は雄二郎 | ||
7月7日生まれの人  1860年生まれの人 |
愛知県立岡崎高等学校の出身者
48 | 近藤孝太郎 岡崎市 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
近藤 孝太郎(こんどう こうたろう、1897年3月20日 - 1949年11月6日)は、日本の思想家、社会運動家、著述家。出版物には翻訳書も含まれている。大正期から昭和20年代前半にかけて、郷里岡崎市の様々な文化活動を牽引した。 | ||
愛知県立岡崎高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 岡崎市の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1897年生まれの人 |
東海高等学校の出身者
49 | 黒川紀章 東京大学へ進学 | Wikipedia |
黒川 紀章(くろかわ きしょう、本名:くろかわ のりあき、1934年4月8日 - 2007年10月12日)は、日本の建築家(一級建築士)、思想家、実業家、政治活動家。株式会社黒川紀章建築都市設計事務所代表取締役社長を務めた。日本芸術院会員。1986年に建築界のノーベル賞と言われるフランス建築アカデミーのゴールドメダルを受賞した。 | ||
東海高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
4月8日生まれの人  1934年生まれの人 |
京都府立洛北高等学校の出身者
50 | 林達夫 京都大学へ進学 | Wikipedia |
林 達夫(はやし たつお、1896年11月20日 - 1984年4月25日)は、日本の思想家、評論家。西洋精神史、文化史、文明史にわたる著作が多い。 | ||
京都府立洛北高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
11月20日生まれの人  1896年生まれの人 |
同志社高等学校の出身者
51 | 山川均 倉敷市 同志社大学へ進学 | Wikipedia |
山川 均(やまかわ ひとし、1880年(明治13年)12月20日 - 1958年(昭和33年)3月23日)は、在野の経済学者で、社会主義者・社会運動家・思想家・評論家。労農派マルクス主義の指導的理論家であった。 | ||
同志社高等学校から同志社大学への進学者 全国の同志社大学の出身者 倉敷市の出身者 | ||
12月20日生まれの人  1880年生まれの人 | ||
52 | 柏井園 高知市 同志社大学へ進学 | Wikipedia |
柏井 園(かしわい えん、1870年7月22日(明治3年6月24日) - 1920年(大正9年)6月25日)は、日本のキリスト教伝道者、キリスト教史学者、キリスト教思想家、文明評論家である。大正時代の日本基督教会の指導者であった。 | ||
同志社高等学校から同志社大学への進学者 全国の同志社大学の出身者 高知市の出身者 | ||
7月22日生まれの人  1870年生まれの人 |
大阪府立泉陽高等学校の出身者
53 | 与謝野晶子 | Wikipedia |
与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。 | ||
12月7日生まれの人  1878年生まれの人 |
大阪府立四條畷高等学校の出身者
54 | 安岡正篤 大阪市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年(明治31年)2月13日 - 1983年(昭和58年)12月13日)は陽明学者・思想家。 | ||
大阪府立四條畷高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 大阪市の出身者 | ||
2月13日生まれの人  1898年生まれの人 |
上宮高等学校の出身者
55 | 千坂恭二 大阪市 | Wikipedia |
千坂 恭二(ちさか きょうじ。1950年3月18日 - )は、日本の評論家、在野の思想家。 | ||
大阪市の出身者 | ||
3月18日生まれの人  1950年生まれの人 |
桃山学院高等学校の出身者
56 | 生田長江 渋谷区 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
生田 長江(いくた ちょうこう、1882年(明治15年)4月21日 - 1936年(昭和11年)1月11日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、小説家。 | ||
桃山学院高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 渋谷区の出身者 | ||
4月21日生まれの人  1882年生まれの人 |
兵庫県立姫路西高等学校の出身者
57 | 和辻哲郎 姫路市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。日本倫理学会会員。 | ||
兵庫県立姫路西高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 姫路市の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1889年生まれの人 |
甲陽学院高等学校の出身者
58 | 伊賀駒吉郎 | Wikipedia |
伊賀 駒吉郎(いが こまきちろう、1869年7月23日〈明治2年〉 - 1946年〈昭和21年〉3月3日)は、日本の思想家、教育者、心理学者、宗教学者。関西教育界の第一人者であり、特に、女子教育で定評があった。当時、菊池寛、三土忠造とともに、香川県出身の代表的な三人として並べられることもあった。甲陽学院中学校・高等学校創立者。 | ||
7月23日生まれの人  1869年生まれの人 |
灘高等学校の出身者
59 | 亀井眞樹 横浜市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
亀井 眞樹(かめい まさき、1961年11月12日 - )は、日本の医師、統合医療評論家、臨床思想家。神奈川県横浜市出身。 | ||
灘高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 横浜市の出身者 | ||
11月12日生まれの人  1961年生まれの人 |
60 | 和田秀樹 東京大学へ進学 | Wikipedia |
和田 秀樹(わだ ひでき、1960年(昭和35年)6月7日 - )は、大阪府出身の受験アドバイザー、評論家(教育・医療、政治・経済)、精神科医(川崎幸病院精神科顧問)、教育思想家(受験競争重視思想)、臨床心理士、国際医療福祉大学大学院教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)、映画監督、小説家、管理栄養士。 | ||
灘高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
6月7日生まれの人  1960年生まれの人 |
奈良県立奈良高等学校の出身者
61 | 松岡幹夫 創価大学へ進学 | Wikipedia |
松岡 幹夫(まつおか みきお 1962年2月16日 - )は、日本の仏教思想家。専門は、社会哲学、日蓮研究。東日本国際大学教授。同大学東洋思想研究所所長。 | ||
奈良県立奈良高等学校から創価大学への進学者 全国の創価大学の出身者 | ||
2月16日生まれの人  1962年生まれの人 |
鳥取県立倉吉東高等学校の出身者
62 | 福本和夫 北栄町 東京大学へ進学 | Wikipedia |
福本 和夫(ふくもと かずお、1894年(明治27年)7月4日 - 1983年(昭和58年)11月16日)は、日本の経済学者・科学技術史家・思想史家・文化史家。 | ||
鳥取県立倉吉東高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 北栄町の出身者 | ||
7月4日生まれの人  1894年生まれの人 |
岡山県立高梁高等学校の出身者
63 | 中島重 高梁市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
法学者・社会学者・キリスト教思想家 | ||
岡山県立高梁高等学校から 東京帝国大学への進学者 全国の 東京帝国大学の出身者 高梁市の出身者 |
岡山県立津山高等学校の出身者
64 | 田岡嶺雲 高知市 東京海洋大学へ進学 | Wikipedia |
田岡 嶺雲(たおか れいうん、明治3年10月28日(1870年11月21日) - 大正元年(1912年)9月7日)は、近代日本の文芸評論・思想家。本名は佐代治。 | ||
岡山県立津山高等学校から東京海洋大学への進学者 全国の東京海洋大学の出身者 高知市の出身者 | ||
10月28日生まれの人  1870年生まれの人 |
岡山県立勝間田高等学校の出身者
65 | 片山潜 久米南町 岡山大学へ進学 | Wikipedia |
片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年12月3日) - 1933年(昭和8年)11月5日)は、日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。号は深甫。 | ||
岡山県立勝間田高等学校から岡山大学への進学者 全国の岡山大学の出身者 久米南町の出身者 | ||
12月26日生まれの人  1859年生まれの人 |
広島大学附属高等学校の出身者
66 | 富永秀一 福山市 中央大学へ進学 | Wikipedia |
富永 秀一(とみなが しゅういち、1967年8月27日 - )は、愛知県豊明市在住の環境ジャーナリスト、環境思想家、講演講師。広島県福山市出身。血液型O型。広島大学附属中学校・高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。豊明市議会議員。 | ||
広島大学附属高等学校から中央大学への進学者 全国の中央大学の出身者 福山市の出身者 | ||
8月27日生まれの人  1967年生まれの人 |
広島県立広島商業高等学校の出身者
67 | 藤本万次郎 | Wikipedia |
藤本 万次郎(ふじもと まんじろう、1898年2月 - 1984年)は、日本の実業家、政治家、思想家。 | ||
1898年生まれの人 |
広島県立福山誠之館高等学校の出身者
68 | 森戸辰男 福山市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
森戸 辰男(もりと たつお、1888年(明治21年)12月23日 - 1984年(昭和59年)5月28日)は、日本の学者、社会思想家、教育者(初代広島大学学長・名誉教授)、政治家(衆議院議員、文部大臣)。広島県広島市、福山市名誉市民。文化功労者(1971年)、勲一等旭日大綬章(1974年)。 | ||
広島県立福山誠之館高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 福山市の出身者 | ||
12月23日生まれの人  1888年生まれの人 |
修道高等学校の出身者
69 | 頼山陽 | Wikipedia |
頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日(1832年10月16日))は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。贈正四位。 | ||
12月27日生まれの人  1781年生まれの人 |
香川県立丸亀高等学校の出身者
70 | 岸田秀 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
岸田 秀(きしだ しゅう 1933年12月25日-)は、日本の心理学者、精神分析学者、思想家、エッセイスト、和光大学名誉教授。主著に『ものぐさ精神分析』。翻訳書も多数著している。新しい歴史教科書をつくる会の賛同者として、産経新聞にコメントを寄せたことがある。妻の由美は、文化人類学者の船曳建夫の実姉。 | ||
香川県立丸亀高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
12月25日生まれの人  1933年生まれの人 |
高知県立高知追手前高等学校の出身者
71 | 西内雅 広島大学へ進学 | Wikipedia |
西内 雅(にしうち ただし、1903年 - 1993年)は日本の歴史学者。 | ||
高知県立高知追手前高等学校から広島大学への進学者 全国の広島大学の出身者 | ||
1903年生まれの人 |
高知県立中村高等学校の出身者
72 | 幸徳秋水 四万十市 | Wikipedia |
幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、1871年11月5日(明治4年9月23日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。 | ||
四万十市の出身者 | ||
11月5日生まれの人  1871年生まれの人 |
福岡県立育徳館高等学校の出身者
73 | 堺利彦 みやこ町 | Wikipedia |
堺 利彦(さかい としひこ、明治3年11月25日(1871年1月15日) - 昭和8年(1933年)1月23日)は、日本の社会主義者・思想家・歴史家・著述家・小説家。号は枯川、別名は、貝塚渋六。 | ||
みやこ町の出身者 | ||
11月25日生まれの人  1871年生まれの人 |
福岡県立小倉高等学校の出身者
74 | 向坂逸郎 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
向坂 逸郎(さきさか いつろう、1897年2月6日 - 1985年1月22日)は、日本のマルクス経済学者・社会主義思想家。九州大学教授・社会主義協会代表を歴任。 | ||
福岡県立小倉高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
2月6日生まれの人  1897年生まれの人 |
福岡県立修猷館高等学校の出身者
75 | 中村天風 | Wikipedia |
中村 天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日 - 1968年12月1日)は日本の思想家、実業家。日本初のヨーガ行者で、天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は中村三郎(なかむらさぶろう)。 | ||
7月30日生まれの人  1876年生まれの人 |
熊本県立八代高等学校の出身者
76 | 蓑田胸喜 氷川町 東京大学へ進学 | Wikipedia |
蓑田 胸喜(みのだ むねき、明治27年(1894年)1月26日 - 昭和21年(1946年)1月30日)は日本の反共・右翼思想家。原理日本社主宰、国際反共連盟評議員。 | ||
熊本県立八代高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 氷川町の出身者 | ||
1月26日生まれの人  1894年生まれの人 |
大分県立杵築高等学校の出身者
77 | 佐野学 東京大学へ進学 | Wikipedia |
佐野 学(さの まなぶ 1892年2月22日 - 1953年3月9日)は日本の社会主義運動家で、昭和初期の非合法政党時代の日本共産党(第二次共産党)の中央委員長。獄中から転向声明を発表し、大きな反響を呼んだ。 | ||
大分県立杵築高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月22日生まれの人  1892年生まれの人 |