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このサイトに登録されている出身高校別有名人の「俳人・歌人」という職業の有名人の数:445人
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北海道札幌西高等学校の出身者
1 | 松平修文 北見市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 - )は、画家、美術評論家、歌人。歌人の王紅花は妻。 | ||
北海道札幌西高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 北見市の出身者 | ||
12月21日生まれの人  1945年生まれの人 |
北海道札幌北高等学校の出身者
2 | 五十嵐秀彦 明治学院大学へ進学 | Wikipedia |
五十嵐 秀彦(いがらし ひでひこ、1956年3月12日 - )は、俳人。北海道帯広市生まれ。札幌市在住。現代俳句協会、俳人協会会員。漫画家の田島ハルは次女。 | ||
北海道札幌北高等学校から明治学院大学への進学者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
3月12日生まれの人  1956年生まれの人 |
北海道札幌真栄高等学校の出身者
3 | 雪舟えま 札幌市 藤女子大学へ進学 | Wikipedia |
雪舟 えま(ゆきふね えま、1974年10月7日-)は、日本の小説家、歌人。漫画家の玉川重機は義弟(妹の夫)。北海道札幌市生まれ。小樽市在住。 | ||
北海道札幌真栄高等学校から藤女子大学への進学者 全国の藤女子大学の出身者 札幌市の出身者 | ||
10月7日生まれの人  1974年生まれの人 |
北海道江差高等学校の出身者
4 | 小中英之 | Wikipedia |
小中 英之(こなか ひでゆき、1937年10月8日 - 2001年8月9日)は、歌人。京都府京都市生まれ、北海道江差町育ち。 | ||
10月8日生まれの人  1937年生まれの人 |
北海道芦別高等学校の出身者
5 | 西川徹郎 芦別市 龍谷大学へ進学 | Wikipedia |
西川 徹郎(にしかわ てつろう 1947年9月29日 - )は、北海道芦別市生まれの俳人、文芸評論家。浄土真宗本願寺派正信寺住職。龍谷大学中退。本名は徹真。 | ||
北海道芦別高等学校から龍谷大学への進学者 全国の龍谷大学の出身者 芦別市の出身者 | ||
9月29日生まれの人  1947年生まれの人 |
北海道旭川北高等学校の出身者
6 | 加藤千恵 旭川市 立教大学へ進学 | Wikipedia |
加藤 千恵(かとう ちえ、1983年11月10日 - )は北海道旭川市出身の歌人、小説家。通称、ニックネームは、かとちえ。 | ||
北海道旭川北高等学校から立教大学への進学者 全国の立教大学の出身者 旭川市の出身者 | ||
11月10日生まれの人  1983年生まれの人 |
北海道北見北斗高等学校の出身者
7 | せきしろ 福島大学へ進学 | Wikipedia |
せきしろ(せきしろ、1970年11月3日 - )は北海道常呂郡出身の男性作家、俳人、コラムニスト。A型。北海道北見北斗高等学校卒業。福島大学中退。 | ||
北海道北見北斗高等学校から福島大学への進学者 全国の福島大学の出身者 | ||
11月3日生まれの人  1970年生まれの人 | ||
8 | 宇佐美福生 生田原町 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
宇佐美福生(うさみ ふくお、1921年(大正10年)6月10日-1984年(昭和59年)6月2日)は、日本の政治家・俳人・市民運動家。北海道紋別郡生田原町出身。北海道野付牛中学校(旧制)卒業。早稲田大学政経学部卒業。北海道北見市長(1967年-1975年、2期)。 | ||
北海道北見北斗高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 生田原町の出身者 | ||
6月10日生まれの人  1921年生まれの人 |
北海道室蘭栄高等学校の出身者
9 | 松木秀 札幌学院大学へ進学 | Wikipedia |
松木 秀(まつき しゅう、1972年1月14日 - )は、歌人、川柳作家。北海道登別市出身・在住。 | ||
北海道室蘭栄高等学校から札幌学院大学への進学者 全国の札幌学院大学の出身者 | ||
1月14日生まれの人  1972年生まれの人 |
北海道帯広三条高等学校の出身者
10 | 中城ふみ子 帯広市 東京家政学院大学へ進学 | Wikipedia |
中城 ふみ子(なかじょう ふみこ、1922年(大正11年)11月15日〈戸籍上は11月25日〉 - 1954年(昭和29年)8月3日)は、日本の歌人。北海道河西郡帯広町(現・帯広市)出身。本名は野江富美子。妹の野江敦子も歌人。中城は離婚した夫の姓。戦後の代表的な女性歌人の一人で、後進に大きな影響を与えた。 | ||
北海道帯広三条高等学校から東京家政学院大学への進学者 全国の東京家政学院大学の出身者 帯広市の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1922年生まれの人 |
北海道帯広農業高等学校の出身者
11 | 時田則雄 帯広市 帯広畜産大学へ進学 | Wikipedia |
時田 則雄(ときた のりお、1946年9月24日 - )は、歌人。北海道帯広市生まれ。北海道帯広農業高等学校、帯広畜産大学別科草地畜産専攻修了。歌誌『辛夷』主宰を長く務めた。野原水嶺に師事。十勝にて農業を経営しながら文芸活動を行っている農民歌人。佐佐木幸綱の男歌の影響のもとに北海道の風土を描いた、躍動的でスケールの大きな歌風が特徴。道新歌壇選者。特定非営利活動法人十勝文化会議理事。 | ||
北海道帯広農業高等学校から帯広畜産大学への進学者 全国の帯広畜産大学の出身者 帯広市の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1946年生まれの人 |
北海道札幌平岸高等学校の出身者
12 | 田中綾 北海学園大学へ進学 | Wikipedia |
田中綾(たなか あや、1970年2月11日 - )は、日本の文芸評論家、歌人。北海学園大学人文学部教授。専門は日本近現代文学(特に詩歌史)。博士(文学)(北海学園大学)。 | ||
北海道札幌平岸高等学校から北海学園大学への進学者 全国の北海学園大学の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1970年生まれの人 |
札幌光星高等学校の出身者
13 | 山名康郎 明治大学へ進学 | Wikipedia |
山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2015年6月18日)は、歌人。北海道南富良野町生まれ。 | ||
札幌光星高等学校から明治大学への進学者 全国の明治大学の出身者 | ||
12月15日生まれの人  1925年生まれの人 |
北星学園女子高等学校の出身者
14 | 阿部みどり女 | Wikipedia |
阿部 みどり女(あべ みどりじょ、1886年10月26日-1980年9月10日)は、日本の俳人。本名はミツ。北海道生まれ。父は第2代北海道庁長官・永山武四郎。 | ||
10月26日生まれの人  1886年生まれの人 |
立命館慶祥高等学校の出身者
15 | 山田航 立命館大学へ進学 | Wikipedia |
山田 航(やまだ わたる、1983年8月22日 - )は、日本の歌人。 | ||
立命館慶祥高等学校から立命館大学への進学者 全国の立命館大学の出身者 | ||
8月22日生まれの人  1983年生まれの人 |
青森県立青森高等学校の出身者
16 | 寺山修司 三沢市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)は日本の歌人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。 | ||
青森県立青森高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 三沢市の出身者 | ||
12月10日生まれの人  1935年生まれの人 |
青森県立青森工業高等学校の出身者
17 | 成田千空 | Wikipedia |
成田 千空(なりた せんくう、1921年3月31日 - 2007年11月17日)は、日本の俳人。青森県青森市出身。本名:力。青森工業学校(現・青森県立青森工業高等学校)卒業。上京し富士航空計器株式会社に就職するが、肺結核に罹患し帰郷。闘病中に句作を始める。高松玉麗らの俳句結社「松濤社」、吹田孤蓬らの青森俳句会に参加。1945年より母の実家のある五所川原市に疎開し、以後その地で農業を営みながら俳人として活動する。 | ||
3月31日生まれの人  1921年生まれの人 |
青森県立弘前高等学校の出身者
18 | 佐藤紅緑 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 紅緑(さとう こうろく、1874年(明治7年)7月6日 - 1949年(昭和24年)6月3日)は、日本の作家、俳人。 | ||
青森県立弘前高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
7月6日生まれの人  1874年生まれの人 |
青森県立八戸高等学校の出身者
19 | 梅内美華子 八戸市 同志社大学へ進学 | Wikipedia |
梅内 美華子(うめない みかこ、1970年4月28日 - )は、青森県八戸市出身の歌人。青森県立八戸高等学校、同志社大学文学部文化学科卒業。短歌結社「かりん」所属。 | ||
青森県立八戸高等学校から同志社大学への進学者 全国の同志社大学の出身者 八戸市の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1970年生まれの人 |
青森県立三本木高等学校の出身者
20 | 江渡華子 | Wikipedia未登録 |
俳人 |
東奥義塾高等学校の出身者
21 | 佐藤紅緑 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 紅緑(さとう こうろく、1874年(明治7年)7月6日 - 1949年(昭和24年)6月3日)は、日本の作家、俳人。 | ||
東奥義塾高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
7月6日生まれの人  1874年生まれの人 |
岩手県立盛岡第二高等学校の出身者
22 | 大西民子 奈良女子大学へ進学 | Wikipedia |
大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8日 - 1994年(平成6年)1月5日)は、昭和期の日本の歌人である。本名菅野民子。日常の風景をあらわした短歌で知られる。 | ||
岩手県立盛岡第二高等学校から奈良女子大学への進学者 全国の奈良女子大学の出身者 | ||
5月8日生まれの人  1924年生まれの人 |
岩手県立一関第一高等学校の出身者
23 | 加藤楸邨 | Wikipedia |
加藤 楸邨(かとう しゅうそん、1905年(明治38年)5月26日 - 1993年(平成5年)7月3日)は日本の俳人、国文学者。本名は健雄(たけお)。水原秋桜子に師事、はじめ「馬酔木」に拠ったが、苦学する中で同誌の叙情的な作風に飽き足らなくなり、人間の生活や自己の内面に深く根ざした作風を追求、石田波郷、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。戦後は戦災や社会運動への参加などを経て幅の広い作風を展開、また主宰した「寒雷」では伝統派から前衛派まで多様な俳人を育てた。 | ||
5月26日生まれの人  1905年生まれの人 |
江南義塾盛岡高等学校の出身者
24 | 石川啄木 | Wikipedia |
石川 啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)は、日本の歌人、詩人。本名は石川 一(いしかわ はじめ)。 | ||
2月20日生まれの人  1886年生まれの人 |
岩手県立盛岡第一高等学校の出身者
25 | 山口青邨 東京大学へ進学 | Wikipedia |
山口 青邨(やまぐち せいそん、1892年5月10日 - 1988年12月15日)は、岩手県出身の俳人、鉱山学者。高浜虚子に俳句を師事、工学博士として東京大学に勤めながら俳誌「夏草」を主宰した。本名は吉朗(きちろう)。初号は泥邨。 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月10日生まれの人  1892年生まれの人 | ||
26 | 石川啄木 | Wikipedia |
石川 啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)は、日本の歌人、詩人。本名は石川 一(いしかわ はじめ)。 | ||
2月20日生まれの人  1886年生まれの人 | ||
27 | 岡山不衣 | Wikipedia |
岡山 不衣(おかやま ふい、1885年(明治18年)12月9日 - 1943年(昭和18年)11月29日)は岩手県花巻市出身の俳人。岩手毎日新聞社(1933年廃刊。現在の毎日新聞とは無関係)の主筆(編集長)でもあった。生誕時の本名は伊藤儀七であったが、幼少時に養子に出たことで岡山儀七となった。 | ||
12月9日生まれの人  1885年生まれの人 | ||
28 | 金田一京助 東京大学へ進学 | Wikipedia |
金田一 京助(きんだいち きょうすけ、1882年(明治15年)5月5日 - 1971年(昭和46年)11月14日)は、日本の言語学者、民俗学者。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる。國學院大學教授を経て東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授。日本学士院会員。日本言語学会会長(二代目)。東京帝国大学より文学博士。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章・文化勲章。盛岡市名誉市民。歌人・石川啄木の親友であったことでも有名。 長男の春彦、孫の真澄や秀穂も言語学者。 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月5日生まれの人  1882年生まれの人 |
宮城県宮城第一高等学校の出身者
29 | 原阿佐緒 大和町 日本女子美術学校へ進学 | Wikipedia |
原 阿佐緒(はら あさお、女性、1888年6月1日 - 1969年2月21日)は、日本の歌人である。本名原 浅尾(はら あさお)。 | ||
宮城県宮城第一高等学校から日本女子美術学校への進学者 全国の日本女子美術学校の出身者 大和町の出身者 | ||
6月1日生まれの人  1888年生まれの人 |
宮城県仙台第一高等学校の出身者
30 | 小池光 東北大学へ進学 | Wikipedia |
小池 光(こいけ ひかる、1947年(昭和22年)6月28日 - )は、日本の歌人。学位は理学修士(東北大学)。本名は小池 比加兒。仙台文学館館長(第2代)。 | ||
宮城県仙台第一高等学校から東北大学への進学者 全国の東北大学の出身者 | ||
6月28日生まれの人  1947年生まれの人 | ||
31 | 矢田挿雲 金沢市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
矢田 挿雲(やだ そううん、1882年(明治15年)2月9日 - 1961年(昭和36年)12月13日)は、石川県金沢市出身の小説家、俳人。本名は義勝。矢田插雲とも。 | ||
宮城県仙台第一高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 金沢市の出身者 | ||
2月9日生まれの人  1882年生まれの人 | ||
32 | 大須賀乙字 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
大須賀 乙字(おおすが おつじ、1881年7月29日 - 1920年1月20日)は、日本の俳人で俳論家。福島県相馬郡中村町(現在の相馬市)生まれ。本名・績(いさお)。 | ||
宮城県仙台第一高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
7月29日生まれの人  1881年生まれの人 |
宮城県古川工業高等学校の出身者
33 | 高野ムツオ | Wikipedia |
高野ムツオ(たかの ‐、1947年7月14日 - )は、宮城県出身の俳人。本名は高野睦夫。金子兜太の「海程」所属を経て佐藤鬼房に師事、鬼房の跡を継ぎ現「小熊座」主宰。 | ||
7月14日生まれの人  1947年生まれの人 |
聖ウルスラ学院英智高等学校の出身者
34 | 高橋みずほ 東北学院大学へ進学 | Wikipedia |
髙橋 みずほ(たかはし みずほ、1957年2月12日 - )は歌人。祖父は歌人の髙橋俊人、父は植物育種学者の髙橋成人、夫は歌人の吉野裕之。 | ||
聖ウルスラ学院英智高等学校から東北学院大学への進学者 全国の東北学院大学の出身者 | ||
2月12日生まれの人  1957年生まれの人 |
秋田県立秋田高等学校の出身者
35 | 石井露月 秋田市 | Wikipedia |
石井 露月(いしい ろげつ、1873年(明治6年)5月17日) - 1928年(昭和3年)9月18日)は、日本の俳人。本名は祐治。 | ||
秋田市の出身者 | ||
5月17日生まれの人  1873年生まれの人 | ||
36 | 安藤和風 | Wikipedia |
安藤 和風(あんどう はるかぜ、慶応2年1月12日(1866年2月26日) - 昭和11年(1936年)12月26日)は、日本のジャーナリスト、マスメディア経営者、俳人、郷土史研究家。通名および俳号は「和風」をそのまま音読みして「わふう」。 | ||
1月12日生まれの人  1866年生まれの人 |
山形県立山形西高等学校の出身者
37 | 志田周子 大江町 東京女子医科大学へ進学 | Wikipedia |
志田 周子(しだ ちかこ、1910年(明治43年)10月28日 - 1962年(昭和37年))は山形県出身の女医、歌人。 | ||
山形県立山形西高等学校から東京女子医科大学への進学者 全国の東京女子医科大学の出身者 大江町の出身者 | ||
10月28日生まれの人  1910年生まれの人 |
山形県立山形南高等学校の出身者
38 | 村川透 福島大学へ進学 | Wikipedia |
村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋-(たかはし-)、旧姓:村川、1937年3月22日 - )は、日本の映画監督・音楽家。別名:山形 透。山形県村山市出身。福島大学経済学部卒業。上野国館林藩里正の血筋で、江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたる。 | ||
山形県立山形南高等学校から福島大学への進学者 全国の福島大学の出身者 | ||
3月22日生まれの人  1937年生まれの人 | ||
39 | 村川千秋 村山市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
村川 千秋(むらかわ ちあき、1933年1月1日 - )は山形県村山市出身の男性オーケストラ指揮者。江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたり、弟は映画監督の村川透。 | ||
山形県立山形南高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1933年生まれの人 |
山形県立米沢興譲館高等学校の出身者
40 | 大熊信行 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
大熊 信行(おおくま のぶゆき、1893年2月18日 - 1977年6月20日)は、経済学者、評論家、歌人。福田徳三門下。 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
2月18日生まれの人  1893年生まれの人 |
山形県立長井高等学校の出身者
41 | 芳賀秀次郎 白鷹町 山形大学へ進学 | Wikipedia |
芳賀 秀次郎(はが ひでじろう、1915年(大正4年)1月1日 - 1993年(平成5年)5月9日)は、日本の教育者。詩人。歌人。 | ||
山形県立長井高等学校から山形大学への進学者 全国の山形大学の出身者 白鷹町の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1915年生まれの人 |
日本大学山形高等学校の出身者
42 | 岡崎裕美子 日本大学へ進学 | Wikipedia |
岡崎 裕美子(おかざき ゆみこ、1976年10月12日 - )は日本の歌人。 | ||
日本大学山形高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 | ||
10月12日生まれの人  1976年生まれの人 |
福島県立橘高等学校の出身者
43 | 齋藤芳生 玉川大学へ進学 | Wikipedia |
齋藤 芳生(さいとう よしき、1977年2月20日 - )は歌人。本名は齋藤周子(さいとうちかこ)。 | ||
福島県立橘高等学校から玉川大学への進学者 全国の玉川大学の出身者 | ||
2月20日生まれの人  1977年生まれの人 |
福島県立安積高等学校の出身者
44 | 久米正雄 東京大学へ進学 | Wikipedia |
久米 正雄(くめ まさお、1891年(明治24年)11月23日 - 1952年(昭和27年)3月1日)は、日本の小説家、劇作家、俳人。俳号は三汀(さんてい)。“微苦笑”という語の発明者として有名。永井龍男は義弟(永井の妻が、久米の妻の妹)。息子の久米昭二はNHKの演芸番組のディレクターとなり、女優音羽美子と結婚した。 | ||
福島県立安積高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月23日生まれの人  1891年生まれの人 | ||
45 | 大須賀乙字 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
大須賀 乙字(おおすが おつじ、1881年7月29日 - 1920年1月20日)は、日本の俳人で俳論家。福島県相馬郡中村町(現在の相馬市)生まれ。本名・績(いさお)。 | ||
福島県立安積高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
7月29日生まれの人  1881年生まれの人 |
福島県立磐城高等学校の出身者
46 | 安住敦 | Wikipedia |
安住 敦(あずみ あつし、1907年7月1日 - 1988年7月8日)は、俳人、随筆家。前号・安住あつし。多くの人から絶大な人気を誇った。そして今もなお愛され続けている。 | ||
7月1日生まれの人  1907年生まれの人 | ||
47 | 八木沼丈夫 | Wikipedia |
八木沼 丈夫(やぎぬま たけお、1895年(明治28年) - 1944年(昭和19年)12月12日)は、日本の陸軍軍属、歌人。日中戦争(支那事変)において日本軍が本格的に宣撫官を導入するきっかけとなった人物。 | ||
1895年生まれの人 |
福島県立磐城桜が丘高等学校の出身者
48 | 高木佳子 福島大学へ進学 | Wikipedia |
高木 佳子(たかぎ よしこ、1972年11月7日 - )は日本の歌人。神奈川県生まれ。福島県いわき市在住。短歌結社「潮音」所属。 | ||
福島県立磐城桜が丘高等学校から福島大学への進学者 全国の福島大学の出身者 | ||
11月7日生まれの人  1972年生まれの人 |
福島県立福島高等学校の出身者
49 | 本田一弘 福島市 筑波大学へ進学 | Wikipedia |
本田 一弘(ほんだ かずひろ、1969年3月14日 - )は、歌人、高校教員。短歌結社竹柏会「心の花」に所属し、佐佐木幸綱に師事。現代歌人協会会員、日本文藝家協会会員。 | ||
福島県立福島高等学校から筑波大学への進学者 全国の筑波大学の出身者 福島市の出身者 | ||
3月14日生まれの人  1969年生まれの人 | ||
50 | 山本友一 | Wikipedia未登録 |
歌人、元宮中歌会始選者 | ||
51 | 加藤徳衛 | Wikipedia未登録 |
俳人、文化芸術において顕著な成績を収めた卒業生に『加藤文化芸術賞』が贈られる |
茨城県立水戸第一高等学校の出身者
52 | 日高昭二 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
日高昭二(ひだか しょうじ、1945年5月15日 - )は、日本近代文学研究者、神奈川大学名誉教授。妻は歌人の日高堯子。 | ||
茨城県立水戸第一高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1945年生まれの人 | ||
53 | 長塚節 常総市 | Wikipedia |
長塚 節(ながつか たかし、1879年(明治12年)4月3日 - 1915年(大正4年)2月8日)は、歌人、小説家。 | ||
常総市の出身者 | ||
4月3日生まれの人  1879年生まれの人 |
茨城県立古河第三高等学校の出身者
54 | 佐怒賀正美 | Wikipedia |
佐怒賀 正美(さぬか まさみ、1956年(昭和31年)- )は俳人、編集者。俳句結社「秋」主宰。 | ||
1956年生まれの人 |
茨城県立太田第一高等学校の出身者
55 | 加倉井和夫 横浜市 東京美術学校へ進学 | Wikipedia |
加倉井 和夫(かくらい かずお、1919年9月11日 - 1995年9月24日)は、日本画家。日本芸術院会員。俳人・建築家の加倉井秋を(加倉井昭夫)は兄。 | ||
茨城県立太田第一高等学校から東京美術学校への進学者 全国の東京美術学校の出身者 横浜市の出身者 | ||
9月11日生まれの人  1919年生まれの人 |
茨城県立真壁高等学校の出身者
56 | 石本隆一 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
石本 隆一(いしもと りゅういち、1930年12月10日 - 2010年3月31日)は、歌人。 | ||
茨城県立真壁高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
12月10日生まれの人  1930年生まれの人 |
栃木県立宇都宮高等学校の出身者
57 | マブソン青眼 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
マブソン青眼( - せいがん、1968年 - )は、フランス出身の俳人、比較文学者、エッセイスト、翻訳家。本名はMabesoone Laurent(マブソン ローラン)。 | ||
栃木県立宇都宮高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1968年生まれの人 | ||
58 | 村上一郎 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月24日 - 1975年(昭和50年)3月29日)は、日本の文芸評論家、歌人、小説家。日本浪曼派に共感した。 | ||
栃木県立宇都宮高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1920年生まれの人 | ||
59 | 笹川臨風 東京大学へ進学 | Wikipedia |
笹川 臨風(ささかわ りんぷう、1870年9月2日(明治3年8月7日) - 1949年(昭和24年)4月13日)は、日本の歴史家、評論家、俳人。本名は種郎(たねお)。 | ||
栃木県立宇都宮高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月2日生まれの人  1870年生まれの人 |
群馬県立高崎高等学校の出身者
60 | 土屋文明 高崎市(旧群馬郡群馬町) 日本医科大学へ進学 | Wikipedia |
土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) - 1990年(平成2年)12月8日)は、日本の歌人・国文学者。 | ||
群馬県立高崎高等学校から日本医科大学への進学者 全国の日本医科大学の出身者 高崎市(旧群馬郡群馬町)の出身者 | ||
9月18日生まれの人  1890年生まれの人 |
群馬県立高崎商業高等学校の出身者
61 | 吉野秀雄 高崎市 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
吉野 秀雄(よしの ひでお、1902年(明治35年)7月3日 - 1967年(昭和42年)7月13日)は、近代日本の歌人、書家、文人墨客。号は艸心。多病に苦しみながら独自の詠風で境涯の歌を詠んだ。 | ||
群馬県立高崎商業高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 高崎市の出身者 | ||
7月3日生まれの人  1902年生まれの人 |
群馬県立桐生女子高等学校の出身者
62 | 阿部知代 桐生市 上智大学へ進学 | Wikipedia |
阿部 知代(あべ ちよ、1963年7月23日 - )は、フジテレビの元アナウンサーで報道局の社員。俳人。群馬県桐生市出身。身長168cm。 | ||
群馬県立桐生女子高等学校から上智大学への進学者 全国の上智大学の出身者 桐生市の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1963年生まれの人 |
群馬県立沼田高等学校の出身者
63 | 林桂 新潟大学へ進学 | Wikipedia |
林 桂(はやし けい、1953年4月8日 - )は、俳人。本名・政美。群馬県利根郡生。新潟大学法文学部卒。中学時代より作句、高校時代「歯車」「寒雷」に入会。高柳重信選の『俳句研究』50句競作に登場し注目される。1978年、澤好摩、夏石番矢らと「未定」創刊。1998年、「吟遊」創刊に参加。2001年、水野眞由美らと「鬣TATEGAMI」創刊。 | ||
群馬県立沼田高等学校から新潟大学への進学者 全国の新潟大学の出身者 | ||
4月8日生まれの人  1953年生まれの人 |
群馬県立館林高等学校の出身者
64 | 前山巨峰 | Wikipedia未登録 |
俳人。太平洋戦争で右手を失うが長谷川かな女に俳句を習い戦後に句集「蟇」を出版した。 |
群馬県立渋川高等学校の出身者
65 | 木暮剛平 渋川市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
木暮 剛平(こぐれ ごうへい、1924年9月19日 - 2008年12月14日)は、電通社長・会長を経て電通相談役。日本広告業協会理事長・日本広告業協会会長として広告代理店業界の発展に尽力。 経済同友会副代表幹事、経済団体連合会理事、東京商工会議所議員などを歴任。 通商産業省(現在の経済産業省)情報処理振興審議会会長として行政運営の円滑化にも手腕を発揮した。 また、 60歳を過ぎて始めた俳句だったが、 俳人としても知られ、「万象」同人。国際俳句交流協会会長を務めた。 2008年12月14日、肺炎のため死去。 | ||
群馬県立渋川高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 渋川市の出身者 | ||
9月19日生まれの人  1924年生まれの人 |
群馬県立渋川青翠高等学校の出身者
66 | 桂夏丸 東吾妻町 | Wikipedia |
桂 夏丸(かつら なつまる、本名:阿部 清彦(あべ きよひこ)、1984年8月15日 - )は、群馬県吾妻郡吾妻町(現・東吾妻町)出身、落語芸術協会所属の噺家、俳人。出囃子は『箱根八里』。 | ||
東吾妻町の出身者 | ||
8月15日生まれの人  1984年生まれの人 |
群馬県立藤岡北高等学校の出身者
67 | 清水一憲 平成国際大学へ進学 | Wikipedia |
清水 一憲(しみず かずのり、1977年7月26日 - )は、群馬県藤岡市出身の文人、歌人、NPO研究者(活動家)、会社役員、政策プランナー、まちづくりコンサルタント、イベントプロデューサーである。多数のNPO法人役員を兼職しており、中央省庁や地方自治体の公職にも委嘱されている。 | ||
群馬県立藤岡北高等学校から平成国際大学への進学者 全国の平成国際大学の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1977年生まれの人 |
埼玉県立浦和高等学校の出身者
68 | 加藤克巳 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、歌人。 | ||
埼玉県立浦和高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 | ||
6月30日生まれの人  1915年生まれの人 |
埼玉県立浦和第一女子高等学校の出身者
69 | 鎌倉佐弓 埼玉大学へ進学 | Wikipedia |
鎌倉 佐弓(かまくら さゆみ、1953年1月24日 - )は、高知県生まれの俳人。本名、乾佐弓。埼玉県富士見市在住。 | ||
埼玉県立浦和第一女子高等学校から埼玉大学への進学者 全国の埼玉大学の出身者 | ||
1月24日生まれの人  1953年生まれの人 |
埼玉県立浦和西高等学校の出身者
70 | 沖ななも 古河市 | Wikipedia |
沖 ななも(おき ななも、1945年9月24日 - )は歌人。歌誌「熾」代表。本名、中村眞理子。 | ||
古河市の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1945年生まれの人 |
埼玉県立熊谷高等学校の出身者
71 | 金子兜太 比企郡小川町 東京大学へ進学 | Wikipedia |
金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 - )は、埼玉県出身の俳人。加藤楸邨に師事、「寒雷」所属を経て「海程」を創刊、主宰。戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論・実作両面で中心的な役割を果たし、その後も後進を育てつつ第一線で活動している。上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任。現代俳句協会名誉会長、日本芸術院会員、文化功労者。小林一茶、種田山頭火の研究家としても知られる。 | ||
埼玉県立熊谷高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 比企郡小川町の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1919年生まれの人 |
埼玉県立不動岡高等学校の出身者
72 | 小島慶三 羽生市 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11日 - 2008年(平成20年)8月30日)は、日本のエコノミスト、思想家、教育者、実業家、官僚、政治家、俳人。参議院議員(1期)。 | ||
埼玉県立不動岡高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 羽生市の出身者 | ||
3月11日生まれの人  1917年生まれの人 |
埼玉県立春日部高等学校の出身者
73 | 秋尾敏 吉川市 埼玉大学へ進学 | Wikipedia |
秋尾 敏(あきお びん、1950年 - )は、埼玉県吉川市出身の俳人、俳論家。本名は河合章男。埼玉県立春日部高等学校、埼玉大学教育学部卒業、 図書館情報大学大学院博士前期課程 、筑波大学大学院博士後期課程修了、博士(情報学)。父は俳句結社「軸」を主宰した河合凱夫。1991年、第11回現代俳句評論賞受賞。1992年「軸」同人。1999年、凱夫の死去に伴い「軸」主宰を継承。元・大妻女子大学社会情報学部非常勤講師、日本女子大学家政学部非常勤講師、メディア教育開発センター客員助教授。 | ||
埼玉県立春日部高等学校から埼玉大学への進学者 全国の埼玉大学の出身者 | ||
1950年生まれの人 | ||
74 | 豊田三郎 草加市(旧・南埼玉郡川柳村) 東京大学へ進学 | Wikipedia |
豊田 三郎(とよだ さぶろう、1907年(明治40年)2月12日 - 1959年(昭和34年)11月18日)は、日本の小説家。本姓は森村。妻は歌人の森村浅香、作家の森村桂は長女。 | ||
埼玉県立春日部高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 草加市(旧・南埼玉郡川柳村)の出身者 | ||
2月12日生まれの人  1907年生まれの人 |
埼玉県立小川高等学校の出身者
75 | 魚住陽子 | Wikipedia |
魚住 陽子(うおずみ ようこ、本名: 加藤陽子、1951年10月23日 - )は、日本の小説家。埼玉県出身。埼玉県立小川高等学校卒業。書店、出版社に勤務するかたわら同人誌で詩を書く。池袋コミュニティ・カレッジの小説講座に通い、同人誌『こみゅにてぃ』に小説を発表。1989年「静かな家」で芥川賞候補、「奇術師の家」で第1回朝日新人文学賞受賞、1991年「別々の皿」で芥川賞候補、「公園」で三島由紀夫賞候補、93年「流れる家」で芥川賞候補。1996年『動く箱』で野間文芸新人賞候補。個人誌「花眼」を発行している。また、近年は俳人としても活動している。 | ||
10月23日生まれの人  1951年生まれの人 |
慶應義塾志木高等学校の出身者
76 | 三田完 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
三田 完(みた かん、1956年3月18日 - )は、日本の小説家、俳人。 | ||
慶應義塾志木高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
3月18日生まれの人  1956年生まれの人 |
千葉県立千葉女子高等学校の出身者
77 | 日高堯子 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
日高 堯子(ひたか たかこ、1945年6月29日 - )は、日本の歌人。歌誌「かりん」編集委員。同人誌「鱧と水仙」同人。 | ||
千葉県立千葉女子高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
6月29日生まれの人  1945年生まれの人 |
千葉県立安房高等学校の出身者
78 | 松本典子 伊勢崎市 | Wikipedia |
松本 典子(まつもと のりこ、1970年2月6日 - )は、歌人。千葉県鴨川市出身。 | ||
伊勢崎市の出身者 | ||
2月6日生まれの人  1970年生まれの人 |
千葉県立木更津高等学校の出身者
79 | 坂口弘 富津市 東京海洋大学へ進学 | Wikipedia |
坂口 弘(さかぐち ひろし、1946年11月12日 - )は、日本の新左翼活動家、元連合赤軍中央委員会書記長(連合赤軍のナンバー3)、歌人。確定死刑囚。 | ||
千葉県立木更津高等学校から東京海洋大学への進学者 全国の東京海洋大学の出身者 富津市の出身者 | ||
11月12日生まれの人  1946年生まれの人 |
千葉県立小金高等学校の出身者
80 | 中田剛 松戸市 甲南大学へ進学 | Wikipedia |
hensati:67 1957年8月15日生まれ。俳人。著書に句集『珠樹』(花神社)、句文集『中田剛集』(邑書林)、『俳句実作入門講座4』(共著・角川書店)、『鑑賞女性俳句の世界6』(共著・角川学芸出版)、『現代俳句大事典』(共著・三省堂)他多数。NHK文化センター(京都)講師。 | ||
千葉県立小金高等学校から甲南大学への進学者 全国の甲南大学の出身者 松戸市の出身者 | ||
8月15日生まれの人  1957年生まれの人 |
千葉県立佐倉高等学校の出身者
81 | 香取秀真 佐倉市 東京芸術大学へ進学 | Wikipedia |
香取 秀真(かとり ほつま、1874年1月1日 - 1954年1月31日)は日本の鋳金工芸作家、歌人である。学問としての金工史を確立し、研究者としても優れた。日本における美術の工芸家として初の文化勲章を受章。東京美術学校(現在の東京藝術大学)教授、芸術院会員。 帝室博物館(現在の東京国立博物館)技芸員、国宝保存会常務委員、文化財審議会専門委員などを歴任。秀真は雅号で、本名は秀治郎。金工の人間国宝である香取正彦は長男。 | ||
千葉県立佐倉高等学校から東京芸術大学への進学者 全国の東京芸術大学の出身者 佐倉市の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1874年生まれの人 |
千葉県立我孫子高等学校の出身者
82 | 田中拓也 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
田中 拓也(たなか たくや、1971年12月22日 - )は、歌人。短歌結社竹柏会「心の花」所属。現代歌人協会会員。日本歌人クラブ会員。茨城県歌人協会会員。千葉県柏市生まれ。現在、茨城県水戸市在住。全国高校生短歌大会審査員。 | ||
千葉県立我孫子高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 | ||
12月22日生まれの人  1971年生まれの人 |
千葉県立多古高等学校の出身者
83 | 秋葉四郎 千葉大学へ進学 | Wikipedia |
秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18日 - )は、日本の歌人、文芸評論家、随筆家、教育者、文学博士。短歌結社「歩道」編集長、日本歌人クラブ顧問(前会長)。千葉県出身。 | ||
千葉県立多古高等学校から千葉大学への進学者 全国の千葉大学の出身者 | ||
5月18日生まれの人  1937年生まれの人 |
銚子市立銚子高等学校の出身者
84 | 野平匡邦 成田市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
野平 匡邦(のひら まさくに、1947年7月25日 - )は、日本の政治家、官僚。弁護士。2期にわたって千葉県銚子市長を務めた。空手道東大拳法会7段、全日本空手道連盟3段。趣味は西洋の伝統芸術鑑賞、合唱など。父は外科医で俳人の野平藤雄。銚子市出身。 | ||
銚子市立銚子高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 成田市の出身者 | ||
7月25日生まれの人  1947年生まれの人 |
船橋市立船橋高等学校の出身者
85 | 吉田悦花 | Wikipedia |
吉田悦花(よしだ えつか、2月26日 - )は、日本の作家、随筆家。俳号・吉田悦花、俳人。江戸ソバリエ。俳句サイト「吉田悦花のわん句にゃん句」主宰。東京都千代田区のNPO法人神田雑学大学理事長(2010年~)・博士。会社役員。 | ||
2月26日生まれの人   |
敬愛学園高等学校の出身者
86 | 田谷鋭 | Wikipedia |
田谷 鋭(たや えい、1917年12月15日 - 2013年11月6日)は、歌人。 | ||
12月15日生まれの人  1917年生まれの人 |
成田高等学校の出身者
87 | 三橋鷹女 | Wikipedia |
三橋 鷹女(みつはし たかじょ、1899年12月24日 - 1972年4月7日)は、千葉県出身の俳人。本名・たか子。幼名・文子。旧号・東文恵。原石鼎、小野蕪子に師事。戦後、新興俳句系の「俳句評論」等に関わる。昭和期に活躍した代表的な女性俳人として中村汀女・星野立子・橋本多佳子とともに四Tと呼ばれた。 | ||
12月24日生まれの人  1899年生まれの人 |
筑波大学附属高等学校の出身者
88 | 井辻朱美 新宿区 東京大学へ進学 | Wikipedia |
井辻 朱美(いつじ あけみ、1955年12月12日 - )は日本の翻訳家、ファンタジー小説家、歌人。東京大学理学部生物学科卒・同大学院人文系研究科比較文学比較文化専攻修了。白百合女子大学文学部児童文化学科教授。 | ||
筑波大学附属高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 新宿区の出身者 | ||
12月12日生まれの人  1955年生まれの人 | ||
89 | 小野茂樹 渋谷区 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 1970年5月7日)は、東京都渋谷区出身の歌人。 | ||
筑波大学附属高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 渋谷区の出身者 | ||
12月15日生まれの人  1936年生まれの人 |
東京学芸大学附属高等学校の出身者
90 | 内藤明 東京工芸大学へ進学 | Wikipedia |
内藤 明(ないとう あきら、1954年8月10日 - )は、日本の国文学者、万葉学者、歌人。早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授。 宮中「歌会始の儀」選者。 | ||
東京学芸大学附属高等学校から東京工芸大学への進学者 全国の東京工芸大学の出身者 | ||
8月10日生まれの人  1954年生まれの人 |
東京都立日比谷高等学校の出身者
91 | 田中章義 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
田中 章義(たなか あきよし、1970年4月19日 - )は、日本の歌人・作家。静岡県静岡市出身・在住。慶應義塾大学総合政策学部卒業。所属事務所は三桂[3]。 | ||
東京都立日比谷高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
4月19日生まれの人  1970年生まれの人 | ||
92 | 大口玲子 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
大口 玲子(おおぐち りょうこ、1969年11月17日 - )は日本の歌人。歌誌「心の花」所属。宮崎県宮崎市在住。本名、宮下玲子。 | ||
東京都立日比谷高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
11月17日生まれの人  1969年生まれの人 | ||
93 | 氷上英廣 | Wikipedia |
氷上 英廣(ひがみ ひでひろ、1911年4月10日 - 1986年9月16日)は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。ドイツ文学、比較文学、比較文化専攻。妻は南原繁の長女で歌人であった待子。 | ||
4月10日生まれの人  1911年生まれの人 | ||
94 | 柴生田稔 | Wikipedia |
柴生田 稔(しぼうた みのる、1904年6月26日 - 1991年8月20日)は、日本の歌人、国文学者。 | ||
6月26日生まれの人  1904年生まれの人 | ||
95 | 五島茂 | Wikipedia |
五島 茂(ごとう しげる、1900年12月5日 - 2003年12月19日)は、日本の歌人、経済史学者。 | ||
12月5日生まれの人  1900年生まれの人 | ||
96 | 内田誠 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
内田 誠(うちだ まこと、1893年3月10日 - 1955年8月13日)は、日本の随筆家、俳人。 | ||
東京都立日比谷高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
3月10日生まれの人  1893年生まれの人 | ||
97 | 横山白虹 | Wikipedia |
横山 白虹(よこやま はっこう、1889年(明治22年)11月8日 - 1983年(昭和58年)11月18日)は、俳人、医師。本名は健夫(たけお)。 本籍地は山口県大津郡深川町(現・長門市)。 | ||
11月8日生まれの人  1889年生まれの人 | ||
98 | 吉井勇 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日 - 1960年(昭和35年)11月19日)は、大正・昭和期の歌人、脚本家である。爵位は伯爵。 | ||
東京都立日比谷高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1886年生まれの人 | ||
99 | 土岐善麿 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
土岐 善麿(とき ぜんまろ、1885年(明治18年)6月8日 - 1980年(昭和55年)4月15日)は、日本の歌人・国語学者。 | ||
東京都立日比谷高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
6月8日生まれの人  1885年生まれの人 |
100 | 川端龍子 和歌山市 | Wikipedia |
川端 龍子(かわばた りゅうし、1885年(明治18年)6月6日 - 1966年(昭和41年)4月10日)は、戦前の日本画家、俳人。弟(異母弟)は「ホトトギス」の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も「ホトトギス」同人であった。本名は昇太郎。 | ||
和歌山市の出身者 | ||
6月6日生まれの人  1885年生まれの人 | ||
101 | 岡麓 | Wikipedia |
岡 麓(おか ふもと、1877年(明治10年)3月3日 - 1951年(昭和26年)9月7日)は、歌人、書家。東京生まれ。本名・三郎。 | ||
3月3日生まれの人  1877年生まれの人 | ||
102 | 尾上柴舟 津山市 二松學舍大学へ進学 | Wikipedia |
尾上 柴舟(おのえ さいしゅう/しばふね 1876年(明治9年)8月20日 - 1957年(昭和32年)1月13日)は、日本の詩人、歌人、書家、国文学者。 | ||
東京都立日比谷高等学校から二松學舍大学への進学者 全国の二松學舍大学の出身者 津山市の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1876年生まれの人 | ||
103 | 金子薫園 | Wikipedia |
金子 薫園(かねこ くんえん、1876年11月30日 - 1951年3月30日)は、日本の歌人。 | ||
11月30日生まれの人  1876年生まれの人 | ||
104 | 武島羽衣 | Wikipedia |
武島 羽衣(たけしま はごろも、明治5年11月3日(1872年12月3日) - 昭和42年(1967年)2月3日)は日本の詩人、国文学者、作詞家。宮内省御歌所寄人。本名・武島 又次郎。 | ||
11月3日生まれの人  1872年生まれの人 |
東京都立戸山高等学校の出身者
105 | 柳澤桂子 | Wikipedia |
柳澤 桂子(やなぎさわ けいこ、1938年1月12日 - )は、東京出身の生命科学者、サイエンスライター、エッセイスト、歌人。夫は柳沢嘉一郎。 | ||
1月12日生まれの人  1938年生まれの人 | ||
106 | 川田順 東京大学へ進学 | Wikipedia |
川田 順(かわだ じゅん、1882年(明治15年)1月15日 - 1966年(昭和41年)1月22日)は、歌人、実業家。住友総本社常務理事。漢学者川田甕江の三男。女優・歌手の佐良直美は従曾孫娘。 | ||
東京都立戸山高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月15日生まれの人  1882年生まれの人 |
東京都立新宿高等学校の出身者
107 | 田川飛旅子 | Wikipedia |
田川 飛旅子(たがわ ひりょし、1914年8月28日 - 1999年4月25日)は、東京出身の俳人・工学者。本名・博。東京府豊多摩郡渋谷町(現渋谷区)生まれ。1933年に日本メソジスト協会中央会堂にて洗礼を受けた。府立六中(現東京都立新宿高等学校)、一高を経て1940年に東京帝国大学工学部卒。卒業と同時に古川電池に入社し電池製作所に配属。戦後に同技師長、役員として勤務。工学者としては『電池及蓄電池』(1953年)の著書があり、1961年に東京大学から博士号を受けている。 | ||
8月28日生まれの人  1914年生まれの人 |
東京都立白鴎高等学校の出身者
108 | 沼波輝枝 | Wikipedia |
沼波 輝枝(ぬなみ てるえ、本名:沼波 華子(ぬなみ はなこ)、1923年12月31日 - 2013年4月1日)は日本の女優、声優。テアトル・エコーに所属していた。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鴎高等学校)卒業。東京都出身。身長162cm。体重50kg。父は国文学者の沼波瓊音。姉は歌人の沼波万里子 | ||
12月31日生まれの人  1923年生まれの人 | ||
109 | 葛原妙子 | Wikipedia |
葛原 妙子(くずはら たえこ、1907年(明治40年)2月5日 - 1985年(昭和60年)9月2日)は、歌人、潮音社友、日本歌人クラブ会員、女人短歌会会員。現代歌人協会発起人。南日本新聞歌壇選者。現代短歌女流賞選考委員。 | ||
2月5日生まれの人  1907年生まれの人 |
東京都立両国高等学校の出身者
110 | 小高賢 | Wikipedia |
小高 賢(こだか けん、1944年7月13日 - 2014年2月10日)は、日本の編集者、歌人。本名・鷲尾賢也。 | ||
7月13日生まれの人  1944年生まれの人 | ||
111 | 久保田万太郎 浅草 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
久保田 万太郎(くぼた まんたろう、1889年(明治22年)11月7日 - 1963年(昭和38年)5月6日)は、浅草生まれの大正から昭和にかけて活躍した俳人、小説家、劇作家。生粋の江戸っ子として伝統的な江戸言葉を駆使して滅びゆく下町の人情を描いた。俳人としては岡本松浜、松根東洋城に師事、戦後に俳誌「春燈」を主宰し文人俳句の代表作家として知られる。俳句の別号に暮雨、傘雨。別の筆名に千野菊次郎。文化勲章受章者。贈従三位勲一等瑞宝章(没時叙位叙勲)。 | ||
東京都立両国高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
11月7日生まれの人  1889年生まれの人 | ||
112 | 川端龍子 和歌山市 | Wikipedia |
川端 龍子(かわばた りゅうし、1885年(明治18年)6月6日 - 1966年(昭和41年)4月10日)は、戦前の日本画家、俳人。弟(異母弟)は「ホトトギス」の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も「ホトトギス」同人であった。本名は昇太郎。 | ||
和歌山市の出身者 | ||
6月6日生まれの人  1885年生まれの人 |
東京都立小山台高等学校の出身者
113 | 平井照敏 東京大学へ進学 | Wikipedia |
平井 照敏(ひらい しょうびん、1931年(昭和6年)3月31日 - 2003年(平成15年)9月13日)は、俳人、フランス文学者。本名・てるとし。東京都生まれ。1954年(昭和29年)東京大学文学部仏文科卒業、同大学院比較文学比較文化修士課程入学。1959年(昭和34年)詩集『エヴァの家族』を刊行、詩人として活動を始め、またフランス詩の研究も行う。青山学院短期大学に勤務しのち教授。 | ||
東京都立小山台高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
3月31日生まれの人  1931年生まれの人 |
東京都立駒場高等学校の出身者
114 | 蒔田さくら子 | Wikipedia |
蒔田 さくら子(まきた さくらこ、1929年1月11日 - )は歌人。本名・浜高家さくら子。東京都豊島区目白生まれ。 | ||
1月11日生まれの人  1929年生まれの人 | ||
115 | 及川貞 | Wikipedia |
及川 貞(おいかわ てい、1899年(明治32年)5月30日 - 1993年(昭和61年)11月13日)は日本の女流俳人。旧姓は野並(のなみ)。 | ||
5月30日生まれの人  1899年生まれの人 |
東京都立豊多摩高等学校の出身者
116 | 辺見じゅん 富山市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆみ、旧姓:角川、邊見)、1939年7月26日 - 2011年9月21日)は、日本の歌人・ノンフィクション作家。 | ||
東京都立豊多摩高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 富山市の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1939年生まれの人 |
東京都立北園高等学校の出身者
117 | 高柳重信 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
高柳 重信(たかやなぎ しげのぶ、1923年1月9日 - 1983年7月8日)は俳人。本名は高柳重信(しげのぶ)、俳人としては「じゅうしん」を自称した。3行ないし4行書きの多行書きの俳句を提唱、実践し、金子兜太らとともに「前衛俳句」の旗手となった。歌人の高柳蕗子は実子。俳人中村苑子と事実婚(内縁関係)にあった。 | ||
東京都立北園高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1月9日生まれの人  1923年生まれの人 |
女子学院高等学校の出身者
118 | 吉行和子 東京府 | Wikipedia |
吉行 和子(よしゆき かずこ、本名 同じ、1935年8月9日 - )は、東京府(現:東京都)出身の女優、エッセイスト、俳人。 | ||
東京府の出身者 | ||
8月9日生まれの人  1935年生まれの人 |
麻布高等学校の出身者
119 | 小沢昭一 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長。俳号は小沢 変哲。劇団「しゃぼん玉座」主宰。見世物学会顧問。 | ||
麻布高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月6日生まれの人  1929年生まれの人 |
120 | 神吉拓郎 成城大学へ進学 | Wikipedia |
神吉 拓郎(かんき たくろう、1928年(昭和3年)9月11日 - 1994年(平成6年)6月28日)は、日本の小説家、俳人、随筆家。 | ||
麻布高等学校から成城大学への進学者 全国の成城大学の出身者 | ||
9月11日生まれの人  1928年生まれの人 | ||
121 | 出澤三太 | Wikipedia |
出澤 三太(でざわ さんた、1917年12月25日 - 1985年5月17日)は、俳人。筆名は出澤珊太郎。作家星新一の異母兄。 | ||
12月25日生まれの人  1917年生まれの人 | ||
122 | 荻原井泉水 東京大学へ進学 | Wikipedia |
荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、1884年(明治17年)6月16日 - 1976年(昭和51年)5月20日)は、日本の俳人。本名・幾太郎のち藤吉。 | ||
麻布高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
6月16日生まれの人  1884年生まれの人 |
慶應義塾女子高等学校の出身者
123 | 河路由佳 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
河路 由佳(かわじ ゆか、1959年8月 - )は、日本の日本語教育学者、歌人。専門は日本語教育学、日本語教育史。東京外国語大学国際日本学研究院教授。博士(学術)(一橋大学)。 | ||
慶應義塾女子高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
1959年生まれの人 |
芝高等学校の出身者
124 | 大松達知 上智大学へ進学 | Wikipedia |
大松 達知(おおまつ たつはる、1970年12月30日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」選者・編集委員・О先生賞選考委員。歌誌「COCOON」発行人。現代歌人協会会員。高野公彦に師事。 | ||
芝高等学校から上智大学への進学者 全国の上智大学の出身者 | ||
12月30日生まれの人  1970年生まれの人 |
正則高等学校の出身者
125 | 荻原井泉水 東京大学へ進学 | Wikipedia |
荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、1884年(明治17年)6月16日 - 1976年(昭和51年)5月20日)は、日本の俳人。本名・幾太郎のち藤吉。 | ||
正則高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
6月16日生まれの人  1884年生まれの人 |
東洋英和女学院高等部の出身者
126 | 柳原白蓮 豊島区 東洋英和女学校へ進学 | Wikipedia |
柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人。本名は宮崎燁子(みやざきあきこ)、旧姓:柳原(やなぎわら)、北小路(きたこうじ)、伊藤(いとう)。大正三美人の1人。白蓮事件で知られる。 | ||
東洋英和女学院高等部から 東洋英和女学校への進学者 全国の 東洋英和女学校の出身者 豊島区の出身者 | ||
10月15日生まれの人  1885年生まれの人 | ||
127 | 片山廣子 | Wikipedia |
片山 広子(片山 廣子、かたやま ひろこ、1878年(明治11年)2月10日 - 1957年(昭和32年)3月19日)は、日本の歌人、随筆家、アイルランド文学翻訳家(松村みね子名義)。 | ||
2月10日生まれの人  1878年生まれの人 |
山脇学園高等学校の出身者
128 | 森岡貞香 松江市 | Wikipedia |
森岡 貞香(もりおか さだか、女性、1916年3月4日 - 2009年1月30日)は、歌人。 | ||
松江市の出身者 | ||
3月4日生まれの人  1916年生まれの人 |
海城高等学校の出身者
129 | 染野太朗 | Wikipedia |
染野 太朗(そめの たろう、1977年10月21日 - )は、歌人。茨城県出身、埼玉県に育つ。 | ||
10月21日生まれの人  1977年生まれの人 |
学習院女子高等科の出身者
130 | 森村桂 学習院大学へ進学 | Wikipedia |
森村 桂(もりむら かつら、1940年1月3日 - 2004年9月27日、本姓:三宅)は、日本の作家。父は作家の豊田三郎、母は歌人の森村浅香。 | ||
学習院女子高等科から学習院大学への進学者 全国の学習院大学の出身者 | ||
1月3日生まれの人  1940年生まれの人 | ||
131 | 柳原白蓮 豊島区 東洋英和女学校へ進学 | Wikipedia |
柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人。本名は宮崎燁子(みやざきあきこ)、旧姓:柳原(やなぎわら)、北小路(きたこうじ)、伊藤(いとう)。大正三美人の1人。白蓮事件で知られる。 | ||
学習院女子高等科から 東洋英和女学校への進学者 全国の 東洋英和女学校の出身者 豊島区の出身者 | ||
10月15日生まれの人  1885年生まれの人 | ||
132 | 下田歌子 恵那市(現在の岩村町) 二松學舍大学へ進学 | Wikipedia |
下田 歌子(しもだ うたこ、出生名:平尾 鉐(ひらお・せき)、安政元年8月9日(1854年9月30日) - 昭和11年(1936年)10月8日)は、日本の明治から大正期にかけて活躍した教育者・歌人。女子教育の先覚者。美濃国恵那郡岩村(現在の岐阜県恵那市)出身。 | ||
学習院女子高等科から二松學舍大学への進学者 全国の二松學舍大学の出身者 恵那市(現在の岩村町)の出身者 | ||
8月9日生まれの人  1854年生まれの人 |
成女高等学校の出身者
133 | 原田琴子 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
郁文館高等学校の出身者
134 | 石原純 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
石原 純(いしわら あつし(じゅん)、1881年1月15日 - 1947年1月19日)は、日本の理論物理学者・科学啓蒙家・歌人。 | ||
郁文館高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
1月15日生まれの人  1881年生まれの人 |
京華高等学校の出身者
135 | 小島政二郎 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
小島 政二郎(こじま まさじろう、1894年(明治27年)1月31日 - 1994年(平成6年)3月24日)は、日本の小説家、随筆家、俳人。俳号は燕子楼。 | ||
京華高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1月31日生まれの人  1894年生まれの人 | ||
136 | 三井甲之 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
三井甲之(みつい こうし、1883年(明治16年)10月16日 - 1953年(昭和28年)4月3日)は、日本の文学者、歌人、右翼思想家。本名は甲之助。 | ||
京華高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
10月16日生まれの人  1883年生まれの人 |
京華商業高等学校の出身者
137 | 伊藤源之助 | Wikipedia |
伊藤 源之助(いとう げんのすけ、1909年6月 - 1986年12月20日)は、歌人。 | ||
1909年生まれの人 |
駒込高等学校の出身者
138 | 中西悟堂 駒澤大学へ進学 | Wikipedia |
中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人。文化功労者。天台宗僧侶。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 | ||
駒込高等学校から駒澤大学への進学者 全国の駒澤大学の出身者 | ||
11月16日生まれの人  1895年生まれの人 |
東洋大学京北高等学校の出身者
139 | 飯田蛇笏 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
飯田 蛇笏(いいだ だこつ、1885年(明治18年)4月26日 - 1962年(昭和37年)10月3日)は、山梨県出身の俳人。本名、飯田武治(いいだ たけはる)。別号に山廬(さんろ)。高浜虚子に師事、山梨の山村で暮らしつつ格調の高い句を作り、村上鬼城などとともに大正時代における「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍した。俳誌「雲母」を主宰。四男の飯田龍太も高名な俳人である。 | ||
東洋大学京北高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月26日生まれの人  1885年生まれの人 |
獨協高等学校の出身者
140 | 筑紫磐井 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
筑紫 磐井(つくし ばんせい、1950年1月14日 - )は東京都出身の俳人、評論家、文部科学官僚。俳誌「豈」発行人。本名は國谷実。 | ||
獨協高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
1月14日生まれの人  1950年生まれの人 | ||
141 | 水原秋桜子 千代田区 東京大学へ進学 | Wikipedia |
水原 秋桜子(みずはら しゅうおうし、1892年(明治25年)10月9日 - 1981年(昭和56年)7月17日)は、日本の俳人、医師・医学博士。秋櫻子とも表記する。本名は水原豊(みずはら ゆたか)。松根東洋城、ついで高浜虚子に師事。短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだが、「客観写生」の理念に飽き足らなくなり同誌を離反、俳壇に反ホトトギスを旗印とする新興俳句運動が起こるきっかけを作った。「馬酔木」主宰。別号に喜雨亭。 | ||
獨協高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 千代田区の出身者 | ||
10月9日生まれの人  1892年生まれの人 | ||
142 | 巌谷小波 | Wikipedia |
巖谷 小波(いわや さざなみ、1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9月5日)は、明治から大正にかけての作家、児童文学者、俳人。本名は季雄(すえお)。別号に漣山人(さざなみ さんじん)、楽天居、隔恋坊、大江小波がある。 | ||
7月4日生まれの人  1870年生まれの人 | ||
143 | 大町桂月 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
大町 桂月(おおまち けいげつ、1869年3月6日(明治2年1月24日)- 1925年(大正14年)6月10日)は高知県出身で、近代日本の詩人、歌人、随筆家、評論家。本名:大町芳衛(よしえ)。 | ||
獨協高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
3月6日生まれの人  1869年生まれの人 |
日本大学豊山高等学校の出身者
144 | 窪田章一郎 | Wikipedia |
窪田 章一郎(くぼた しょういちろう、1908年8月1日 - 2001年4月15日)は、歌人。窪田空穂の長男として東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)南榎町に生まれる。旧制私立豊山中学校(日本大学豊山高等学校)四年修了後、早稲田大学文学部国文科卒。1943年、武川忠一らが創設した早稲田大学短歌会に指導役として参加。そこから発展した歌誌『まひる野』を創刊主宰した。早稲田大学講師、教授、名誉教授を歴任。国文学者としては西行研究の第一人者であった。 | ||
8月1日生まれの人  1908年生まれの人 |
上野学園高等学校の出身者
145 | 高橋淡路女 | Wikipedia未登録 |
俳人 |
攻玉社高等学校の出身者
146 | 吉井勇 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日 - 1960年(昭和35年)11月19日)は、大正・昭和期の歌人、脚本家である。爵位は伯爵。 | ||
攻玉社高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1886年生まれの人 | ||
147 | 隅田葉吉 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
東京学園高等学校の出身者
148 | 安藤和風 | Wikipedia |
安藤 和風(あんどう はるかぜ、慶応2年1月12日(1866年2月26日) - 昭和11年(1936年)12月26日)は、日本のジャーナリスト、マスメディア経営者、俳人、郷土史研究家。通名および俳号は「和風」をそのまま音読みして「わふう」。 | ||
1月12日生まれの人  1866年生まれの人 |
恵泉女学園高等学校の出身者
149 | 林あまり 成蹊大学へ進学 | Wikipedia |
林 あまり(はやし あまり、女性、1963年1月10日 - )は、日本の歌人、エッセイスト、作詞家である。本名、真理子。 | ||
恵泉女学園高等学校から成蹊大学への進学者 全国の成蹊大学の出身者 | ||
1月10日生まれの人  1963年生まれの人 |
駒場東邦高等学校の出身者
150 | 松村正直 東京大学へ進学 | Wikipedia |
松村 正直(まつむら まさなお、1970年9月3日 - )は、歌人。東京都町田市出身。京都市在住。歌誌「塔」編集長。妻の川本千栄も歌人。 | ||
駒場東邦高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月3日生まれの人  1970年生まれの人 |
世田谷学園高等学校の出身者
151 | 中西悟堂 駒澤大学へ進学 | Wikipedia |
中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人。文化功労者。天台宗僧侶。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 | ||
世田谷学園高等学校から駒澤大学への進学者 全国の駒澤大学の出身者 | ||
11月16日生まれの人  1895年生まれの人 |
日本学園高等学校の出身者
152 | 柏原啓一 東京大学へ進学 | Wikipedia |
柏原 啓一(かしわばら けいいち、1935年5月1日 - )は、日本の哲学研究者、東北大学名誉教授。俳人として柏原眠雨。 | ||
日本学園高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月1日生まれの人  1935年生まれの人 | ||
153 | 吉井勇 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日 - 1960年(昭和35年)11月19日)は、大正・昭和期の歌人、脚本家である。爵位は伯爵。 | ||
日本学園高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1886年生まれの人 | ||
154 | 菅礼之助 湯沢市 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
菅 礼之助(すが れいのすけ、1883年11月25日 - 1971年2月18日)は、日本の実業家、俳人。秋田県生まれ。旧制秋田中学、日本中学(現:日本学園)、東京高等商業学校(現:一橋大学)出身。古河鉱業(現古河機械金属)を経て、石炭庁長官、同和鉱業(現DOWAホールディングス)会長、昭和鉱業(現昭和KDE)会長、東京電力会長、経済団体連合会(現日本経済団体連合会)評議会議長等を務めた。1970年勲一等瑞宝章、1971年従三位勲一等。第九代、十代、十三代如水会理事長。初代日本相撲協会運営審議会会長。俳人としては裸馬と号し、俳誌「同人」を主宰した。 | ||
日本学園高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 湯沢市の出身者 | ||
11月25日生まれの人  1883年生まれの人 | ||
155 | 嶋田青峰 志摩市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
嶋田 青峰(しまだ せいほう、1882年3月8日 - 1944年5月31日)は、日本の俳人・翻訳家・新聞記者・教員。三重県答志郡[注 1]的矢村(現在の三重県志摩市磯部町的矢)出身。本名は賢平。姓の「しまだ」は「嶋田」と書くのが正式であるが、一般に「島田」の表記も用いられる。俳号の青峰は、故郷の山・青峰山(あおのみねさん、標高336m)に由来する。 | ||
日本学園高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 志摩市の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1882年生まれの人 | ||
156 | 佐佐木信綱 鈴鹿市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。正三位勲六等文学博士。 | ||
日本学園高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 鈴鹿市の出身者 | ||
7月8日生まれの人  1872年生まれの人 |
青山学院高等部の出身者
157 | 西東三鬼 津山市 日本歯科大学へ進学 | Wikipedia |
西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日)は、岡山県出身の俳人。医師として勤める傍ら30代で俳句をはじめ、伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍。戦後は「天狼」「雷光」などに参加し「断崖」を主宰。本名・斎藤敬直(さいとう けいちょく)。 | ||
青山学院高等部から日本歯科大学への進学者 全国の日本歯科大学の出身者 津山市の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1900年生まれの人 |
実践学園高等学校の出身者
158 | 三橋敏雄 | Wikipedia |
三橋 敏雄(みつはし としお、1920年11月8日 - 2001年12月1日)は、俳人。東京都八王子市出身。実家は絹織物業であったが、家業が傾き進学を諦め、書籍取次の東京堂(現トーハン)で働きながら実践商業学校(現実践学園中学・高等学校)夜間部を卒業。1943年召集を受け横須賀海兵団に入団。戦後は1972年まで運輸省所属の練習船事務長として日本丸、海王丸などに勤務した。 | ||
11月8日生まれの人  1920年生まれの人 |
國學院大學久我山高等学校の出身者
159 | 角川春樹 富山市 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年1月8日 - )は、日本の実業家、映画監督、映画プロデューサー、俳人、冒険家。角川春樹事務所会長兼社長、幻戯書房会長。「河」主宰。 | ||
國學院大學久我山高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 富山市の出身者 | ||
1月8日生まれの人  1942年生まれの人 |
日本大学第二高等学校の出身者
160 | ねじめ正一 直木賞 青山学院大学へ進学 | Wikipedia |
ねじめ 正一(ねじめ しょういち、1948年6月16日 - )は、日本の詩人、小説家。本名は禰寝 正一(読みは同じ)。東京都杉並区生まれ。杉並区立杉並第四小学校→杉並区立高円寺中学校→日本大学第二高等学校卒業。青山学院大学経済学部中退。父は俳人のねじめ正也。長男は俳優のねじめ宗吾(ねじめ そうご、本名:禰寝宗吾、1975年5月4日 - )。長女は脚本家の祢寝彩木(ねじめ さえき、1979年2月11日 - )。 | ||
日本大学第二高等学校から青山学院大学への進学者 全国の青山学院大学の出身者 | ||
6月16日生まれの人  1948年生まれの人 |
学習院高等科の出身者
161 | 入江相政 港区 東京大学へ進学 | Wikipedia |
入江 相政(いりえ すけまさ、1905年(明治38年)6月29日 - 1985年(昭和60年)9月29日)は、日本の官僚、歌人・随筆家である。昭和天皇の侍従・侍従長を長く務めた。従二位勲一等旭日大綬章、勲一等瑞宝章、紺綬褒章・賞杯。 | ||
学習院高等科から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 港区の出身者 | ||
6月29日生まれの人  1905年生まれの人 |
豊南高等学校の出身者
162 | 磯貝碧蹄館 | Wikipedia |
磯貝 碧蹄館(いそがい へきていかん、1924年3月19日 - 2013年3月24日)は、俳人・書家。 | ||
3月19日生まれの人  1924年生まれの人 |
立教池袋高等学校の出身者
163 | 安住敦 | Wikipedia |
安住 敦(あずみ あつし、1907年7月1日 - 1988年7月8日)は、俳人、随筆家。前号・安住あつし。多くの人から絶大な人気を誇った。そして今もなお愛され続けている。 | ||
7月1日生まれの人  1907年生まれの人 |
開成高等学校の出身者
164 | 山口優夢 東京大学へ進学 | Wikipedia |
山口 優夢(やまぐち ゆうむ、1985年 - )は、日本の俳人、新聞記者。東京都に生まれる。2002年より開成高校の句会「紫雁会」に参加。2003年、第6回俳句甲子園にて団体優勝し、自句「小鳥来る三億年の地層かな」が最優秀句に選ばれる。その後東京大学に進学し、東大俳句会に所属。大学では理学部地球惑星環境学科で火星の地質を研究していた。2005年、龍谷大学青春俳句大賞大学生部門最優秀賞を受賞。2007年、第四回鬼貫青春俳句大賞優秀賞受賞。 | ||
開成高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1985年生まれの人 | ||
165 | 池内友次郎 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
池内 友次郎(いけのうち ともじろう、1906年10月21日 - 1991年3月9日)は日本の作曲家・音楽教育家・俳人。 | ||
開成高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
10月21日生まれの人  1906年生まれの人 | ||
166 | 和達清夫 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
和達 清夫(わだち きよお、1902年(明治35年)9月8日 - 1995年(平成7年)1月5日)は、愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。地震のエネルギーを現すマグニチュードは、和達の研究がヒントになって作られたものである。また深発地震を発見したことでも知られ、和達-ベニオフ帯に和達の名が今も残っている。子に物理学者・和達三樹がいる。 | ||
開成高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
9月8日生まれの人  1902年生まれの人 | ||
167 | 小穴隆一 函館市 | Wikipedia |
小穴 隆一(おあな りゅういち、1894年11月28日 - 1966年4月24日)は、日本の洋画家、随筆家、俳人。俳号は一游亭。 | ||
函館市の出身者 | ||
11月28日生まれの人  1894年生まれの人 | ||
168 | 松宮寒骨 | Wikipedia |
松宮 寒骨(まつみや かんこつ、1883年(明治16年)- 1968年(昭和43年)は、石川県出身の日本の俳人。広告研究家。本名および広告学では松宮三郎名義。 | ||
1883年生まれの人 | ||
169 | 斎藤茂吉 東京大学へ進学 | Wikipedia |
斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年(明治15年)5月14日 - 1953年(昭和28年)2月25日)は、日本の歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。 | ||
開成高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月14日生まれの人  1882年生まれの人 |
淑徳高等学校の出身者
170 | 鈴木しづ子 | Wikipedia |
鈴木 しづ子(すずき しづこ、1919年6月9日 - 没年不明)は日本の俳人。本名は鎮子。 | ||
6月9日生まれの人  1919年生まれの人 |
武蔵高等学校の出身者
171 | 有馬朗人 大阪市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
有馬 朗人(ありま あきと、1930年9月13日 - )は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。勲等は旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授、財団法人日本科学技術振興財団会長、科学技術館館長、武蔵学園学園長、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長(初代)。文化勲章受章者。 | ||
武蔵高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 大阪市の出身者 | ||
9月13日生まれの人  1930年生まれの人 |
早稲田大学高等学院の出身者
172 | 嶋田洋一 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
嶋田 洋一(しまだ よういち、1913年 - 1979年)は日本の俳人。東京府東京市生まれ。父の嶋田青峰、叔父の嶋田的浦も俳人である。 | ||
早稲田大学高等学院から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1913年生まれの人 | ||
173 | 稲森宗太郎 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
稲森 宗太郎(いなもり そうたろう、1901年(明治34年)7月12日 - 1930年(昭和5年)4月15日)は、三重県名張市出身の歌人。 | ||
早稲田大学高等学院から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
7月12日生まれの人  1901年生まれの人 | ||
174 | 吉井勇 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日 - 1960年(昭和35年)11月19日)は、大正・昭和期の歌人、脚本家である。爵位は伯爵。 | ||
早稲田大学高等学院から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1886年生まれの人 | ||
175 | 水野葉舟 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
水野 葉舟(みずの ようしゅう、1883年4月9日 - 1947年2月2日)は日本の詩人、歌人、小説家、心霊現象研究者。東京生まれ、本名は盈太郎(みちたろう)。 | ||
早稲田大学高等学院から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月9日生まれの人  1883年生まれの人 | ||
176 | 種田山頭火 防府市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
種田 山頭火(たねだ さんとうか、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、戦前日本の俳人。よく山頭火と呼ばれる。自由律俳句で著名。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。本名・種田正一。 | ||
早稲田大学高等学院から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 防府市の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1882年生まれの人 | ||
177 | 会津八一 新潟市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
会津 八一(あいづ やいち、會津八一、1881年(明治14年)8月1日 - 1956年(昭和31年)11月21日)は、日本の歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人、渾斎。1951年に新潟市名誉市民。 | ||
早稲田大学高等学院から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 新潟市の出身者 | ||
8月1日生まれの人  1881年生まれの人 |
成蹊高等学校の出身者
178 | 佐佐木幸綱 千代田区 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
佐佐木 幸綱(ささき ゆきつな、1938年10月8日 - )は、日本の歌人、国文学者、日本芸術院会員。「心の花」主宰・編集長。現代歌人協会理事長。早稲田大学名誉教授。祖父の文化勲章受章者の佐佐木信綱、父の佐佐木治綱も歌人である。 本名は佐々木幸綱で、祖父、父に倣って「佐佐木」を称する。 | ||
成蹊高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 千代田区の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1938年生まれの人 | ||
179 | 前田透 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
前田 透(まえだ とおる、大正3年(1914年)9月16日 - 昭和59年(1984年)1月13日)は、歌人。 | ||
成蹊高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
9月16日生まれの人  1914年生まれの人 |
日本大学第三高等学校の出身者
180 | 伊藤平治郎 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
伊藤 平治郎(いとう へいじろう、1880年(明治13年)5月18日 - 1941年(昭和16年)1月三重県三重郡富洲原町(現在の四日市市富洲原地区)富田一色出身の政治家・実業家・歌人。 | ||
日本大学第三高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
5月18日生まれの人  1880年生まれの人 |
早稲田実業学校の出身者
181 | 村野次郎 | Wikipedia |
村野 次郎(むらの じろう、1894年3月19日 - 1979年7月16日)は歌人。 | ||
3月19日生まれの人  1894年生まれの人 |
桐朋高等学校の出身者
182 | 平山雄一 | Wikipedia |
平山 雄一(ひらやま ゆういち、1953年1月10日 - )は、日本のポピュラー音楽評論家、俳人。 | ||
1月10日生まれの人  1953年生まれの人 |
神奈川県立横浜翠嵐高等学校の出身者
183 | 水原紫苑 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
水原 紫苑(みずはら しおん、1959年2月10日- )は、日本の歌人。 | ||
神奈川県立横浜翠嵐高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
2月10日生まれの人  1959年生まれの人 | ||
184 | 復本一郎 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
復本 一郎(ふくもと いちろう、1943年9月5日 - )は、日本の国文学者、俳人。神奈川大学名誉教授。専門は近世・近代の俳文学。俳号は復本鬼ヶ城(おにがじょう)。 | ||
神奈川県立横浜翠嵐高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
9月5日生まれの人  1943年生まれの人 |
神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校の出身者
185 | 吉野裕之 九州大学へ進学 | Wikipedia |
吉野 裕之(よしの ひろゆき、1961年8月1日 - )はプログラムオフィサー、歌人、俳人。堂号は空蝉庵。歌人の髙橋みずほは妻。同じく歌人の髙橋俊人は妻の祖父。 | ||
神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校から九州大学への進学者 全国の九州大学の出身者 | ||
8月1日生まれの人  1961年生まれの人 |
神奈川県立希望ヶ丘高等学校の出身者
186 | 倉橋羊村 横浜市 青山学院大学へ進学 | Wikipedia |
倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年(昭和9年)4月28日 - )は、日本の俳人。俳誌「波」主宰。本名は倉橋裕(くらはし ゆたか)。 | ||
神奈川県立希望ヶ丘高等学校から青山学院大学への進学者 全国の青山学院大学の出身者 横浜市の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1931年生まれの人 | ||
187 | 大野林火 横浜市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
大野 林火(おおの りんか、1904年3月25日 - 1982年8月21日)は、俳人。本名は大野正(おおの まさし)。神奈川県横浜市生まれ。旧制県立横浜第一中学校、旧制第四高等学校を経て、1927年東京帝國大学経済学部を卒業。大学卒業後は日本光機工業に入社。1930年に会社を辞めて県立商工実習学校教諭となる。中学時代より鈴木三重吉や佐藤春夫の抒情詩に傾倒。俳句は中学時代の1920年、親友の荻野清(のち俳文学者となる)の父から手ほどきを受け、1921年、荻野の勧めをうけて「石楠」に入会、臼田亞浪に師事する。 | ||
神奈川県立希望ヶ丘高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 横浜市の出身者 | ||
3月25日生まれの人  1904年生まれの人 |
神奈川県立柏陽高等学校の出身者
188 | 石川美南 横浜市 東京外国語大学へ進学 | Wikipedia |
石川 美南(いしかわ みな、1980年5月7日 - )は、歌人。神奈川県横浜市出身。 | ||
神奈川県立柏陽高等学校から東京外国語大学への進学者 全国の東京外国語大学の出身者 横浜市の出身者 | ||
5月7日生まれの人  1980年生まれの人 |
横浜市立桜丘高等学校の出身者
189 | 千葉聡 横浜市 東京学芸大学へ進学 | Wikipedia |
千葉 聡(ちば さとし、1968年9月4日 - )は、日本の歌人、高校教諭。短歌同人誌「かばん」所属。 | ||
横浜市立桜丘高等学校から東京学芸大学への進学者 全国の東京学芸大学の出身者 横浜市の出身者 | ||
9月4日生まれの人  1968年生まれの人 |
横浜市立戸塚高等学校の出身者
190 | 千葉聡 横浜市 東京学芸大学へ進学 | Wikipedia |
千葉 聡(ちば さとし、1968年9月4日 - )は、日本の歌人、高校教諭。短歌同人誌「かばん」所属。 | ||
横浜市立戸塚高等学校から東京学芸大学への進学者 全国の東京学芸大学の出身者 横浜市の出身者 | ||
9月4日生まれの人  1968年生まれの人 |
横浜市立横浜商業高等学校の出身者
191 | 望月明 横浜市 | Wikipedia |
望月 明(もちづき あきら、1934年(昭和9年)7月18日~2016年(平成28年)8月25日)は、俳人。神奈川県横浜市南区高砂町生まれ。在家得度、法名は、「徹心明道」(みょうどう)。 | ||
横浜市の出身者 | ||
7月18日生まれの人  1934年生まれの人 |
神奈川県立川崎高等学校の出身者
192 | 小嵐九八郎 能代市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
小嵐 九八郎(こあらし くはちろう、1944年7月31日 - )は、秋田県能代市出身の小説家、歌人。 本名、工藤永人。 | ||
神奈川県立川崎高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 能代市の出身者 | ||
7月31日生まれの人  1944年生まれの人 |
神奈川県立横須賀高等学校の出身者
193 | 島田章三 横須賀市 東京藝術大学へ進学 | Wikipedia |
島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2016年11月26日)は、日本の洋画家、版画家、日本藝術院会員、愛知県立芸術大学名誉教授。兄は歌人の島田修二。 | ||
神奈川県立横須賀高等学校から東京藝術大学への進学者 全国の東京藝術大学の出身者 横須賀市の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1933年生まれの人 | ||
194 | 島田修二 横須賀市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19日 - 平成17年(2004年)9月12日)は、日本の歌人。宮中歌会始選者も務めた。洋画家で文化功労者の島田章三は実弟。 | ||
神奈川県立横須賀高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 横須賀市の出身者 | ||
8月19日生まれの人  1928年生まれの人 |
神奈川県立平塚農業高等学校の出身者
195 | 前田夕暮 秦野市 二松學舍大学へ進学 | Wikipedia |
前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。 | ||
神奈川県立平塚農業高等学校から二松學舍大学への進学者 全国の二松學舍大学の出身者 秦野市の出身者 | ||
7月27日生まれの人  1883年生まれの人 |
神奈川県立湘南高等学校の出身者
196 | 大野道夫 | Wikipedia |
大野 道夫(おおの みちお、1956年 - )は日本の歌人、社会学者。竹柏会「心の花」編集委員。大正大学人間学部教授。曾祖父は佐佐木信綱。佐佐木幸綱は母の従兄弟にあたる。 | ||
1956年生まれの人 |
神奈川県立平塚農業高等学校初声分校の出身者
197 | 前田夕暮 秦野市 二松學舍大学へ進学 | Wikipedia |
前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。 | ||
神奈川県立平塚農業高等学校初声分校から二松學舍大学への進学者 全国の二松學舍大学の出身者 秦野市の出身者 | ||
7月27日生まれの人  1883年生まれの人 |
神奈川県立秦野高等学校の出身者
198 | 前田夕暮 秦野市 二松學舍大学へ進学 | Wikipedia |
前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。 | ||
神奈川県立秦野高等学校から二松學舍大学への進学者 全国の二松學舍大学の出身者 秦野市の出身者 | ||
7月27日生まれの人  1883年生まれの人 |
神奈川県立厚木高等学校の出身者
199 | 倉橋羊村 横浜市 青山学院大学へ進学 | Wikipedia |
倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年(昭和9年)4月28日 - )は、日本の俳人。俳誌「波」主宰。本名は倉橋裕(くらはし ゆたか)。 | ||
神奈川県立厚木高等学校から青山学院大学への進学者 全国の青山学院大学の出身者 横浜市の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1931年生まれの人 |
200 | 一ノ関忠人 | Wikipedia未登録 |
歌人 | ||
201 | 木内怜子( | Wikipedia未登録 |
俳人・俳誌「海原」主宰 | ||
202 | 山下知津子( | Wikipedia未登録 |
俳人・俳句同人誌「麟」代表、NGO「北朝鮮難民救援基金」監事 | ||
203 | リクター香子(翻訳家、詩人・ | Wikipedia未登録 |
翻訳家、詩人・俳人 |
浅野高等学校の出身者
204 | 秋元近史 明治大学へ進学 | Wikipedia |
秋元 近史(あきもと ちかし、1932年 - 1982年)は日本テレビ放送網の元ディレクター・プロデューサー。井原高忠の下で日本テレビ草創期からバラエティ番組作りに関わり、『シャボン玉ホリデー』などの演出を手がけた。父は俳人の秋元不死男、叔母は劇作家の秋元松代。 | ||
浅野高等学校から明治大学への進学者 全国の明治大学の出身者 | ||
1932年生まれの人 |
横浜高等学校の出身者
205 | 北大路翼 | Wikipedia |
北大路 翼(きたおおじ つばさ、1978年5月14日 - )は、横浜市出身の俳人。小学生5年生のとき、種田山頭火を知り自由律俳句を制作。横浜高校にて担任教諭であった今井聖に出会い有季定型の句に開眼。1996年、今井主宰の「街」創刊入会。誌誌「ERECTION」参加、週刊誌にて成年向け漫画の原作を執筆。20代半ば、会田誠、加藤好弘らと出会い俳人としてパフォーマンスに参加。2009年、邑書林のアンソロジー『新撰21』100句入集。 | ||
5月14日生まれの人  1978年生まれの人 |
慶應義塾高等学校の出身者
206 | 五所平之助 千代田区 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
五所 平之助(ごしょ へいのすけ、1902年1月24日 - 1981年5月1日)は、日本の映画監督、脚本家、俳人。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。本名は五所 平右衛門(ごしょ へいえもん)。俳号は五所亭。 | ||
慶應義塾高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 千代田区の出身者 | ||
1月24日生まれの人  1902年生まれの人 |
横浜隼人高等学校の出身者
207 | 千々和竜策 | Wikipedia |
千々和 竜策(ちぢわ りゅうさく、1969年5月27日 - )は日本の男性声優。東京都出身。血液型はA型。父は、歌人、詩人の千々和久幸。所属はフリー。 | ||
5月27日生まれの人  1969年生まれの人 |
中央大学附属横浜高等学校の出身者
208 | 稲垣きくの 厚木市 | Wikipedia |
稲垣 きくの(いながき きくの、1906年7月26日 - 1987年10月30日)は、日本の俳人、茶道教授であり、元女優である[4][5][6][7][8][9]。女優時代の芸名は若葉 信子(わかば のぶこ)、旧芸名露原 桔梗(つゆはら ききょう)[4][5][6][7][8][9]、出生名は野口 キクノ(のぐち きくの)[4]、俳優の宮島啓夫との婚姻時には、本名を宮島 公子(みやじま きみこ)とした[6]。 | ||
厚木市の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1906年生まれの人 |
新潟県立新潟高等学校の出身者
209 | 佐藤真由美 上智大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 真由美(さとう まゆみ、1973年(昭和48年) - )は、歌人、女性誌編集者。 | ||
新潟県立新潟高等学校から上智大学への進学者 全国の上智大学の出身者 | ||
1973年生まれの人 | ||
210 | 会津八一 新潟市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
会津 八一(あいづ やいち、會津八一、1881年(明治14年)8月1日 - 1956年(昭和31年)11月21日)は、日本の歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人、渾斎。1951年に新潟市名誉市民。 | ||
新潟県立新潟高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 新潟市の出身者 | ||
8月1日生まれの人  1881年生まれの人 |
新潟県立長岡高等学校の出身者
211 | 宮柊二 魚沼市(旧・北魚沼郡堀之内町) | Wikipedia |
宮 柊二(みや しゅうじ、1912年(大正元年)8月23日 - 1986年(昭和61年)12月11日)は、昭和時代に活躍した歌人。本名は宮肇(はじめ)。 | ||
魚沼市(旧・北魚沼郡堀之内町)の出身者 | ||
8月23日生まれの人  1912年生まれの人 | ||
212 | 高野素十 取手市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
高野 素十(たかの すじゅう、1893年3月3日 - 1976年10月4日)は、茨城県出身の俳人、医師(医学博士)。高浜虚子に師事。虚子の唱えた「客観写生」を忠実に実践、簡潔で即物的な写生句で頭角を現し、山口誓子、阿波野青畝、水原秋桜子とともに「ホトトギスの四S」と称された。「芹」主宰。本名は高野与巳(よしみ)。 | ||
新潟県立長岡高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 取手市の出身者 | ||
3月3日生まれの人  1893年生まれの人 | ||
213 | 堀口大學 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
堀口 大學(ほりぐち だいがく、新字体:堀口 大学、1892年(明治25年)1月8日 - 1981年(昭和56年)3月15日)は、明治から昭和にかけての詩人、歌人、フランス文学者。訳詩書は三百点を超え、日本の近代詩に多大な影響を与えた。雅号は十三日月。葉山町名誉町民。 | ||
新潟県立長岡高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1月8日生まれの人  1892年生まれの人 |
新潟県立高田高等学校の出身者
214 | 相馬御風 糸魚川市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)は日本の詩人・歌人・評論家。本名は昌治(しょうじ)。新潟県糸魚川市出身。早稲田大学文学部哲学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。 | ||
新潟県立高田高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 糸魚川市の出身者 | ||
7月10日生まれの人  1883年生まれの人 |
富山県立富山高等学校の出身者
215 | 高崎正秀 富山市 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - 1982年3月2日)は、富山県生まれの国文学者、万葉学者、歌人。國學院大學名誉教授。國學院大學栃木短期大学名誉学長。文学博士。 | ||
富山県立富山高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 富山市の出身者 | ||
10月16日生まれの人  1901年生まれの人 |
富山県立富山中部高等学校の出身者
216 | 角川源義 富山市 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月9日 - 1975年(昭和50年)10月27日)は、日本の実業家、国文学者、俳人。角川書店(現・KADOKAWA)の創立者。俳号は源義(げんぎ)、水羊(すいよう)。 | ||
富山県立富山中部高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 富山市の出身者 | ||
10月9日生まれの人  1917年生まれの人 |
富山県立南砺福野高等学校の出身者
217 | 高島裕 立命館大学へ進学 | Wikipedia |
高島 裕(たかしま ゆたか、1967年9月28日 - )は歌人。 | ||
富山県立南砺福野高等学校から立命館大学への進学者 全国の立命館大学の出身者 | ||
9月28日生まれの人  1967年生まれの人 |
石川県立金沢泉丘高等学校の出身者
218 | 喜多昭夫 金沢市 金沢大学へ進学 | Wikipedia |
喜多 昭夫(きた あきお、1963年1月10日 - )は歌人、俳人、文芸評論家。石川県文芸協会事務局長、石川県歌人協会幹事、つばさ短歌会主宰。 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校から金沢大学への進学者 全国の金沢大学の出身者 金沢市の出身者 | ||
1月10日生まれの人  1963年生まれの人 | ||
219 | 加藤楸邨 | Wikipedia |
加藤 楸邨(かとう しゅうそん、1905年(明治38年)5月26日 - 1993年(平成5年)7月3日)は日本の俳人、国文学者。本名は健雄(たけお)。水原秋桜子に師事、はじめ「馬酔木」に拠ったが、苦学する中で同誌の叙情的な作風に飽き足らなくなり、人間の生活や自己の内面に深く根ざした作風を追求、石田波郷、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。戦後は戦災や社会運動への参加などを経て幅の広い作風を展開、また主宰した「寒雷」では伝統派から前衛派まで多様な俳人を育てた。 | ||
5月26日生まれの人  1905年生まれの人 |
220 | 大橋八郎 高岡市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
大橋 八郎(おおはし はちろう、1885年12月19日 - 1968年6月4日)は、日本の政治家、逓信官僚、俳人。岡田内閣の法制局長官、林内閣の内閣書記官長、社団法人日本放送協会第4代会長、日本電信電話公社第2代総裁。現在の富山県高岡市出身。 | ||
石川県立金沢泉丘高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 高岡市の出身者 | ||
12月19日生まれの人  1885年生まれの人 |
石川県立七尾高等学校の出身者
221 | 三井修 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
三井 修(みつい おさむ、1948年7月21日 -)は、日本の歌人。 | ||
石川県立七尾高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
7月21日生まれの人  1948年生まれの人 |
福井県立藤島高等学校の出身者
222 | 俵万智 門真市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
俵 万智(たわら まち、1962年12月31日 - )は、日本の歌人。本名、同じ。結社「心の花」所属。所属事務所は東京コンサーツ。父は希土類磁石の研究者の俵好夫。 | ||
福井県立藤島高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
12月31日生まれの人  1962年生まれの人 | ||
223 | 多田裕計 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
多田 裕計(ただ ゆうけい、1912年8月18日 - 1980年7月8日)は、日本の小説家・俳人。福井県福井市出身。 | ||
福井県立藤島高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
8月18日生まれの人  1912年生まれの人 | ||
224 | 皆吉爽雨 | Wikipedia |
皆吉 爽雨(みなよし そうう、1902年2月7日 - 1983年6月29日)は、福井県出身の俳人。本名・大太郎。福井市上宝永町に生まれ、丸岡町、三国町に育つ。福井中学校(現福井県立藤島高等学校)卒業。1919年、住友電気工業に入社。「ホトトギス」に投句し高浜虚子に師事する。1922年、「山茶花」創刊に参加。1936年、「山茶花」選者。1945年に上京、1946年に「雪解」を創刊・主宰。1967年、句集『三露』などの功績より第1回蛇笏賞受賞。1979年、勲四等旭日章受章。俳人協会副会長を務めた。 | ||
2月7日生まれの人  1902年生まれの人 | ||
225 | 吉田正俊 | Wikipedia |
吉田 正俊(よしだ まさとし、1902年4月30日 - 1993年6月23日)は、歌人、実業家。 | ||
4月30日生まれの人  1902年生まれの人 |
福井県立三国高等学校の出身者
226 | 森田愛子 坂井市 | Wikipedia |
森田 愛子(もりた あいこ、1917年11月18日 - 1947年4月1日)は、福井県坂井市三国町出身の俳人。高浜虚子の名作「虹」のヒロインとしても著名である。 | ||
坂井市の出身者 | ||
11月18日生まれの人  1917年生まれの人 |
山梨県立甲府第一高等学校の出身者
227 | 飯田龍太 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10日 - 2007年(平成19年)2月25日)は、山梨県出身の俳人。飯田蛇笏の四男で、蛇笏を継ぎ俳誌「雲母」を主宰。戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した。 | ||
山梨県立甲府第一高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 | ||
7月10日生まれの人  1920年生まれの人 | ||
228 | 飯田蛇笏 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
飯田 蛇笏(いいだ だこつ、1885年(明治18年)4月26日 - 1962年(昭和37年)10月3日)は、山梨県出身の俳人。本名、飯田武治(いいだ たけはる)。別号に山廬(さんろ)。高浜虚子に師事、山梨の山村で暮らしつつ格調の高い句を作り、村上鬼城などとともに大正時代における「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍した。俳誌「雲母」を主宰。四男の飯田龍太も高名な俳人である。 | ||
山梨県立甲府第一高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月26日生まれの人  1885年生まれの人 | ||
229 | 三井甲之 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
三井甲之(みつい こうし、1883年(明治16年)10月16日 - 1953年(昭和28年)4月3日)は、日本の文学者、歌人、右翼思想家。本名は甲之助。 | ||
山梨県立甲府第一高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
10月16日生まれの人  1883年生まれの人 |
山梨県立甲府南高等学校の出身者
230 | 松野志保 東京大学へ進学 | Wikipedia |
松野 志保(まつの しほ、1973年2月10日 - )は、歌人。山梨県出身。 | ||
山梨県立甲府南高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月10日生まれの人  1973年生まれの人 |
山梨県立農林高等学校の出身者
231 | 金子健造 南アルプス市 | Wikipedia |
金子 健造(かねこ けんぞう、1915年9月8日 - 1988年7月14日)は、昭和時代日本の歌人。 | ||
南アルプス市の出身者 | ||
9月8日生まれの人  1915年生まれの人 |
山梨英和高等学校の出身者
232 | 秋山佐和子 山梨市 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )は、歌人、近代日本文学研究者。現代歌人協会理事。日本歌人クラブ中央幹事。 | ||
山梨英和高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 山梨市の出身者 | ||
6月15日生まれの人  1947年生まれの人 |
長野県立須坂東高等学校の出身者
233 | 成沢未来 小布施町 | Wikipedia |
成沢 未来(なるさわ みらい、1986年4月23日 - )は、日本の歌人、エッセイスト日本歌人クラブ会員、「白夜」短歌会同人。 | ||
小布施町の出身者 | ||
4月23日生まれの人  1986年生まれの人 |
長野県立上田高等学校の出身者
234 | 唐沢隆三 北海道大学へ進学 | Wikipedia |
唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2011年5月6日)は、社会運動研究者・俳人・自由律俳句研究者・作家。「唐沢柳三」の筆名も使用する。石川三四郎に師事する。 | ||
長野県立上田高等学校から北海道大学への進学者 全国の北海道大学の出身者 | ||
5月4日生まれの人  1918年生まれの人 |
長野県立岡谷東高等学校の出身者
235 | 野村千春 岡谷市 | Wikipedia |
野村 千春(のむら ちはる、1908年(明治41年)4月6日 - 2000年(平成12年)2月12日)は、長野県岡谷市出身の洋画家である。夫は児童文学者、歌人の巽聖歌。結婚後、東京都日野市に居住し、創作活動を行なった。 | ||
岡谷市の出身者 | ||
4月6日生まれの人  1908年生まれの人 |
長野県立岡谷南高等学校の出身者
236 | 伊藤郁男 諏訪市 | Wikipedia |
伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 - )は日本の政治家、俳人。元民社党参議院議員(1期)。長男は作家・ミュージシャンのいとうせいこう。 | ||
諏訪市の出身者 | ||
9月11日生まれの人  1930年生まれの人 |
長野県立諏訪二葉高等学校の出身者
237 | 今井邦子 | Wikipedia |
今井 邦子(いまい くにこ、明治23年(1890年)5月31日 - 昭和23年(1948年)7月15日、旧姓山田、本名くにえ)は、徳島市出身の「アララギ」の歌人、小説家。後に短歌誌「明日香」を創刊した。元通産省事務次官の両角良彦は甥にあたる。 | ||
5月31日生まれの人  1890年生まれの人 |
長野県立飯田高等学校の出身者
238 | 奥村晃作 飯田市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は、歌人。歌誌「コスモス」選者。 | ||
長野県立飯田高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
6月14日生まれの人  1936年生まれの人 |
長野県立松本蟻ヶ崎高等学校の出身者
239 | 北沢郁子 | Wikipedia |
北沢 郁子(きたざわ いくこ、1923年8月22日- )は、歌人。 | ||
8月22日生まれの人  1923年生まれの人 |
長野県立松本深志高等学校の出身者
240 | 小澤實 成城大学へ進学 | Wikipedia |
小澤 實(おざわ みのる、1956年8月29日 - )は、日本の俳人、俳文学者。大学時代より「鷹」に所属し藤田湘子に師事。2000年に俳誌「澤」を創刊・主宰。本名・実。 | ||
長野県立松本深志高等学校から成城大学への進学者 全国の成城大学の出身者 | ||
8月29日生まれの人  1956年生まれの人 | ||
241 | 藤岡改造 松本市 | Wikipedia |
藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は、日本の作家、俳人。 長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て旧制二松學舍専門学校卒。新制高等学校移行後の母校国語教師となった。号は筑邨(ちくそん)。学校で飼っていた犬クロの世話役をしていた体験から、『職員会議に出た犬クロ』を執筆。ベストセラーとなり、2003年「さよなら、クロ」として映画化された。「信毎俳壇」「俳句四季」の選者。俳人協会評議員。 | ||
松本市の出身者 | ||
10月11日生まれの人  1923年生まれの人 | ||
242 | 斎藤瀏 陸軍士官学校へ進学 | Wikipedia |
斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年4月16日 - 1953年7月5日)は、日本の陸軍軍人、歌人。最終階級は陸軍少将。長女の斎藤史は同じく歌人。 | ||
長野県立松本深志高等学校から陸軍士官学校への進学者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1879年生まれの人 | ||
243 | 窪田空穂 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
窪田 空穂(くぼた うつぼ、1877年(明治10年)6月8日 - 1967年(昭和42年)4月12日)は、日本の歌人、国文学者。日本芸術院会員。本名は窪田 通治。息子に、同じく歌人の窪田章一郎がいる。 | ||
長野県立松本深志高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
6月8日生まれの人  1877年生まれの人 |
岐阜県立中津高等学校の出身者
244 | 大島史洋 中津川市 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
大島 史洋(おおしま しよう、1944年7月24日 - )は、歌人。本名読み、ふみひろ。岐阜県中津川市出身。歌誌「未来」選者・運営委員長。歌人としての実作活動のみならず、「未来」誌の編集実務を取り仕切る編集者としても活躍。マガジンハウスで「鳩よ!」などの編集長を務めた大島一洋は兄。 | ||
岐阜県立中津高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 中津川市の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1944年生まれの人 |
静岡県立静岡高等学校の出身者
245 | 恩田侑布子 静岡市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
恩田 侑布子(おんだ ゆうこ、1956年9月17日 - )は、俳人。静岡県静岡市出身。 | ||
静岡県立静岡高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 静岡市の出身者 | ||
9月17日生まれの人  1956年生まれの人 | ||
246 | 海野厚 静岡市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
海野 厚(うんの あつし、1896年8月12日 - 1925年5月20日)は、童謡作家、俳人。本名は厚一(こういち)。俳号は長頸子(ちょうけいし)。 | ||
静岡県立静岡高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 静岡市の出身者 | ||
8月12日生まれの人  1896年生まれの人 |
静岡県立清水東高等学校の出身者
247 | 江國滋 蒲原町 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997年8月10日)は、東京出身の演芸評論家、エッセイスト、俳人。俳号は滋酔郎。 | ||
静岡県立清水東高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
8月14日生まれの人  1934年生まれの人 |
静岡県立浜松北高等学校の出身者
248 | 有馬朗人 大阪市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
有馬 朗人(ありま あきと、1930年9月13日 - )は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。勲等は旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授、財団法人日本科学技術振興財団会長、科学技術館館長、武蔵学園学園長、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長(初代)。文化勲章受章者。 | ||
静岡県立浜松北高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 大阪市の出身者 | ||
9月13日生まれの人  1930年生まれの人 |
静岡県立浜松西高等学校の出身者
249 | 村木道彦 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
静岡県立沼津東高等学校の出身者
250 | 大岡博 静岡市 | Wikipedia |
大岡 博(おおおか ひろし、1907年3月9日 - 1981年10月1日)は、日本の歌人。 | ||
静岡市の出身者 | ||
3月9日生まれの人  1907年生まれの人 |
静岡県立三島北高等学校の出身者
251 | 冨士眞奈美 | Wikipedia |
冨士 眞奈美(ふじ まなみ、本名;岩崎 真奈美、1938年1月15日 - )は、女優・随筆家・俳人。血液型はA型。アンテーヌ所属。 | ||
1月15日生まれの人  1938年生まれの人 |
静岡県立富士高等学校の出身者
252 | 上田五千石 上智大学へ進学 | Wikipedia |
上田 五千石(うえだ ごせんごく、1933年10月24日 - 1997年9月2日)は、東京都出身の俳人。秋元不死男に師事。「畦」創刊主宰。本名は明男。 | ||
静岡県立富士高等学校から上智大学への進学者 全国の上智大学の出身者 | ||
10月24日生まれの人  1933年生まれの人 |
静岡県立磐田北高等学校の出身者
253 | 河合佳代子 | Wikipedia未登録 |
俳人 |
静岡県立藤枝東高等学校の出身者
254 | 村越化石 藤枝市 | Wikipedia |
村越 化石(むらこし かせき、1922年12月17日 - 2014年3月8日)は、静岡県出身の俳人。本名・英彦(ひでひこ)。ハンセン病とその後遺症と闘いながら句作を続け「魂の俳人」と呼ばれた。 | ||
藤枝市の出身者 | ||
12月17日生まれの人  1922年生まれの人 |
静岡県立下田高等学校の出身者
255 | 車谷弘 | Wikipedia |
車谷 弘(くるまたに ひろし、1906年8月28日 - 1978年4月16日)は、日本の編集者、随筆家。文藝春秋社に勤め、戦後菊池寛が同社を解散した際、佐佐木茂索、鷲尾洋三らとともに文藝春秋新社を設立し、『文藝春秋』、『オール讀物』の編集長などを歴任、同社専務となった。小説を書くほか俳句をし、渡辺水巴、久保田万太郎に師事した。『銀座百点』の編集に携わり、向田邦子に連載を勧めた。その他、内田百閒の『ノラや』などの装丁を担当したこともある。1977年、『わが俳句交遊記』で芸術選奨文部大臣賞受賞。 | ||
8月28日生まれの人  1906年生まれの人 |
愛知教育大学附属高等学校の出身者
256 | 加藤治郎 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
加藤 治郎(かとう じろう、1959年11月15日 - )は、日本の歌人。歌誌「未来」選者。 | ||
愛知教育大学附属高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1959年生まれの人 |
愛知県立旭丘高等学校の出身者
257 | 小島ゆかり | Wikipedia |
小島 ゆかり(こじま ゆかり、1956年9月1日 - )は、歌人である。本名:横井ゆかり。 | ||
9月1日生まれの人  1956年生まれの人 | ||
258 | 伊藤敬子 同志社大学へ進学 | Wikipedia |
伊藤 敬子(いとう けいこ、1935年5月3日 - )は、名古屋市東区生まれ、名東区在住の俳人。本名、敬子(たかこ)。 | ||
愛知県立旭丘高等学校から同志社大学への進学者 全国の同志社大学の出身者 | ||
5月3日生まれの人  1935年生まれの人 | ||
259 | 岡井隆 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 - )は、日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。 | ||
愛知県立旭丘高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1928年生まれの人 |
260 | 沼波瓊音 名古屋市 | Wikipedia |
沼波 瓊音(ぬなみ けいおん、1877年10月1日 - 1927年7月19日)は、明治・大正期の国文学者・俳人・右翼。本名は武夫(たけお)。名古屋市出身。 | ||
名古屋市の出身者 | ||
10月1日生まれの人  1877年生まれの人 | ||
261 | 吉澤義則 | Wikipedia |
吉澤 義則(よしざわ よしのり、1876年8月22日 - 1954年11月5日)は、日本の国語学者、国文学者、歌人。 | ||
8月22日生まれの人  1876年生まれの人 | ||
262 | 笹川臨風 東京大学へ進学 | Wikipedia |
笹川 臨風(ささかわ りんぷう、1870年9月2日(明治3年8月7日) - 1949年(昭和24年)4月13日)は、日本の歴史家、評論家、俳人。本名は種郎(たねお)。 | ||
愛知県立旭丘高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月2日生まれの人  1870年生まれの人 | ||
263 | 浅野梨郷 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
名古屋市立向陽高等学校の出身者
264 | 春日井建 南山大学へ進学 | Wikipedia |
春日井 建(かすがい けん、1938年12月20日 - 2004年5月22日)は、日本の歌人。父・春日井瀇、母・春日井政子はともに太田水穂に師事した歌人であり、建も実質「潮音」系と云える。作家・ゲームデザイナーの小太刀右京は大甥にあたる。 | ||
名古屋市立向陽高等学校から南山大学への進学者 全国の南山大学の出身者 | ||
12月20日生まれの人  1938年生まれの人 |
名古屋市立桜台高等学校の出身者
265 | 穂村弘 札幌市 上智大学へ進学 | Wikipedia |
穂村 弘(ほむら ひろし、1962年5月21日 - )は、日本の歌人。北海道札幌市生まれ。歌誌「かばん」所属。 | ||
名古屋市立桜台高等学校から 上智大学への進学者 全国の 上智大学の出身者 札幌市の出身者 | ||
5月21日生まれの人  1962年生まれの人 |
愛知県立春日井商業高等学校の出身者
266 | 大塚寅彦 愛知県立大学へ進学 | Wikipedia |
大塚 寅彦(おおつか とらひこ、1961年5月17日 - )は、日本の歌人。2004年より中部短歌会主幹、歌誌「短歌」編集発行人。 | ||
愛知県立春日井商業高等学校から愛知県立大学への進学者 全国の愛知県立大学の出身者 | ||
5月17日生まれの人  1961年生まれの人 |
愛知県立瀬戸高等学校の出身者
267 | 永井陽子 東洋大学へ進学 | Wikipedia |
永井 陽子(ながい ようこ、1951年4月11日 - 2000年1月26日)は日本の歌人。歌集に『樟の木のうた』、『ふしぎな楽器』、『モーツァルトの電話帳』、『小さなヴァイオリンが欲しくて』など。音楽に関連した言葉と「柔らかな音色」の作品が特徴的。 | ||
愛知県立瀬戸高等学校から東洋大学への進学者 全国の東洋大学の出身者 | ||
4月11日生まれの人  1951年生まれの人 |
愛知県立岡崎北高等学校の出身者
268 | 加藤孝男 中京大学へ進学 | Wikipedia |
加藤 孝男(かとう たかお、1960年11月20日 - )は、日本の歌人、身体哲学研究者。東海学園大学教授。歌誌「まひる野」所属。 | ||
愛知県立岡崎北高等学校から中京大学への進学者 全国の中京大学の出身者 | ||
11月20日生まれの人  1960年生まれの人 |
愛知県立時習館高等学校の出身者
269 | 富安風生 豊川市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
富安 風生(とみやす ふうせい、1885年(明治18年)4月16日 - 1979年(昭和54年)2月22日)は、愛知県出身の俳人。本名は謙次。高浜虚子に師事。逓信省に勤めながら俳誌「若葉」を主宰。温和な作風で知られた。 | ||
愛知県立時習館高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 豊川市の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1885年生まれの人 |
滝高等学校の出身者
270 | 小川双々子 | Wikipedia |
小川 双々子(おがわ そうそうし、本名:小川二郎 (おがわ じろう)、 1922年9月13日 - 2006年1月17日)は、俳人。 | ||
9月13日生まれの人  1922年生まれの人 |
三重県立四日市高等学校の出身者
271 | 平田佐矩 立教大学へ進学 | Wikipedia |
平田 佐矩(ひらた すけのり、1895年(明治28年)9月26日 - 1965年(昭和40年)12月6日)は、富田一色平田家の4代目当主。平田紡績の4代目社長。2代目平田佐次郎の3男。三重県四日市市出身の政治家でもあり富洲原町会議員を経て第11代四日市市長となった。実業家(平田紡績社長)に加えて趣味として和歌や短歌を創作する歌人・俳句を創作する俳人などの文芸活動をする文化人でもある。四日市コンビナートを誘致して四日市市(四日市港周辺の臨海部)を重工業化させた功労者である反面、四日市ぜんそくを発生させた四日市公害の責任者でもある。 | ||
三重県立四日市高等学校から立教大学への進学者 全国の立教大学の出身者 | ||
9月26日生まれの人  1895年生まれの人 |
三重県立四日市商業高等学校の出身者
272 | 平田佐貞 | Wikipedia |
平田 佐貞(ひらた すけさだ、1909年(明治42年)5月 - 1938年(昭和13年)10月)は、日本の俳人・彫刻家・陸軍軍人。 | ||
1909年生まれの人 |
三重県立津高等学校の出身者
273 | 長谷川素逝 京都帝国大学へ進学 | Wikipedia |
長谷川 素逝(はせがわ そせい、1907年(明治40年)2月2日 - 1946年(昭和21年)10月10日)は、日本の俳人。本名・直次郎。 | ||
三重県立津高等学校から京都帝国大学への進学者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
2月2日生まれの人  1907年生まれの人 | ||
274 | 稲森宗太郎 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
稲森 宗太郎(いなもり そうたろう、1901年(明治34年)7月12日 - 1930年(昭和5年)4月15日)は、三重県名張市出身の歌人。 | ||
三重県立津高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
7月12日生まれの人  1901年生まれの人 | ||
275 | 熊澤一衛 | Wikipedia |
熊澤 一衛(くまざわ いちえ) 1877年(明治10年)11月1日-1940年(昭和15年)2月14日は、三重県四日市市出身の大正時代~昭和時代の戦前期の実業家。歌人。伊勢電鉄社長。『校本萬葉集』刊行を支援した伊勢人である。 | ||
11月1日生まれの人  1877年生まれの人 |
三重県立上野高等学校の出身者
276 | 倉阪鬼一郎 上野市(現・伊賀市) 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 – )は、日本の小説家、評論家、俳人、翻訳家。 | ||
三重県立上野高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 上野市(現・伊賀市)の出身者 | ||
1月28日生まれの人  1960年生まれの人 | ||
277 | 李正子 | Wikipedia |
李 正子(이정자、1947年3月3日 - )は、三重県伊賀市出身の在日コリアン二世の女性歌人である。未来短歌会所属。最終学歴は三重県立上野高等学校卒業。 | ||
3月3日生まれの人  1947年生まれの人 | ||
278 | 横光利一 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
横光 利一(よこみつ りいち、1898年(明治31年)3月17日 - 1947年(昭和22年)12月30日)は、日本の小説家・俳人・評論家である。本名は横光利一(としかず)。 | ||
三重県立上野高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
3月17日生まれの人  1898年生まれの人 |
三重県立松阪高等学校の出身者
279 | 大辻隆弘 龍谷大学へ進学 | Wikipedia |
大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )は、歌人、高校教諭(国語科)。現代歌人協会会員、現代歌人集会理事長、日本文藝家協会会員、中部日本歌人会副委員長、三重県歌人クラブ委員長、『未来』選者、同人誌「レ・パピエ・シアン・Ⅱ」代表。 元皇學館大学講師。現津西高校国語科教諭。 | ||
三重県立松阪高等学校から龍谷大学への進学者 全国の龍谷大学の出身者 | ||
8月25日生まれの人  1960年生まれの人 |
三重県立松阪工業高等学校の出身者
280 | 前川辰男 四日市市 | Wikipedia |
前川辰男(まえかわ たつお、1920年(大正9年)- )は、三重県の地方議員。四日市市議会議員を7期務める。昭和56年5月15日から ~昭和57年5月18日まで四日市市議会議長を務める。三重県四日市市(塩浜地区)出身。高花平(新興住宅団地)連合自治会長。一志郡(久居市)生まれ。日本社会党所属。四日市ぜんそくで四日市コンビナート企業と九鬼喜久男四日市市長を糾弾して、塩浜地区の公害患者の味方となり公害対策に貢献した。環境運動家。日本自然保護協会会員。ナチュラリスト。俳人や本の執筆者として活躍した文化人である。 | ||
四日市市の出身者 | ||
1920年生まれの人 |
三重県立宇治山田高等学校の出身者
281 | 山田みづえ | Wikipedia |
山田 みづえ(やまだ みづえ、1926年7月12日 - 2013年5月18日)は、日本の俳人。宮城県仙台市生まれ。国語学者・山田孝雄の次女。兄に山田忠雄、山田俊雄らがいる。宇治山田高等女学校(現・三重県立宇治山田高等学校)卒。1957年、石田波郷に師事。俳誌「鶴」を経て、1979年に「木語」を創刊、主宰。同誌は2004年に終刊。門下に石田郷子、本郷をさむなどがいる。1968年、「梶の花」50句で第14回角川俳句賞、1976年、句集『木語』にて第15回俳人協会賞受賞。他の句集に『忘』『木語』『手甲』『草譜』『昧爽』『中今』などがある。2013年5月18日、老衰の為に他界。86歳没。 | ||
7月12日生まれの人  1926年生まれの人 | ||
282 | 嶋田的浦 志摩市 東京外国語大学へ進学 | Wikipedia |
嶋田 的浦(しまだ てきほ、1893年1月22日 - 1950年4月11日)は日本の俳人。本名は襄。三重県志摩郡的矢村大字的矢(現在の志摩市磯部町的矢)出身。的浦の号は、故郷・的矢が小さな港(浦)を成していることにちなんでいる。 | ||
三重県立宇治山田高等学校から東京外国語大学への進学者 全国の東京外国語大学の出身者 志摩市の出身者 | ||
1月22日生まれの人  1893年生まれの人 |
滋賀県立八日市高等学校の出身者
283 | 塚本邦雄 東近江市 滋賀大学へ進学 | Wikipedia |
塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人、詩人、評論家、小説家。 | ||
滋賀県立八日市高等学校から滋賀大学への進学者 全国の滋賀大学の出身者 東近江市の出身者 | ||
8月7日生まれの人  1920年生まれの人 |
滋賀県立八日市南高等学校の出身者
284 | 塚本邦雄 東近江市 滋賀大学へ進学 | Wikipedia |
塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人、詩人、評論家、小説家。 | ||
滋賀県立八日市南高等学校から滋賀大学への進学者 全国の滋賀大学の出身者 東近江市の出身者 | ||
8月7日生まれの人  1920年生まれの人 |
京都府立洛北高等学校の出身者
285 | 麻田駒之助 | Wikipedia |
麻田 駒之助(あさだ こまのすけ、明治2年10月14日(1869年11月17日) - 昭和23年(1948年)11月24日)は、日本の出版者、中央公論社の初期の社長。『ホトトギス』の俳人で俳号を椎花。 | ||
10月14日生まれの人  1869年生まれの人 |
京都府立嵯峨野高等学校の出身者
286 | 永田和宏 京都大学へ進学 | Wikipedia |
永田 和宏(ながた かずひろ、1947年5月12日 -)は、日本の歌人、細胞生物学者、京都産業大学教授、京都大学名誉教授。短歌結社「塔」前主宰。夫人は歌人の河野裕子。長男永田淳、長女永田紅も歌人。滋賀県出身。 | ||
京都府立嵯峨野高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
5月12日生まれの人  1947年生まれの人 |
洛星高等学校の出身者
287 | 鵜飼康東 一橋大学へ進学 | Wikipedia |
鵜飼 康東(うかい やすはる、1946年6月20日 - )は、日本の経済学者、歌人。関西大学名誉教授。President, The Society of Socionetwork Strategies。現代歌人協会会員。日本文藝家協会会員。滋賀県出身。 | ||
洛星高等学校から一橋大学への進学者 全国の一橋大学の出身者 | ||
6月20日生まれの人  1946年生まれの人 |
京都女子高等学校の出身者
288 | 河野裕子 京都女子大学へ進学 | Wikipedia |
河野 裕子(かわの ゆうこ、1946年7月24日 - 2010年8月12日)は、日本の歌人。「塔」選者。夫は歌人の永田和宏。長男永田淳、長女永田紅も歌人。 | ||
京都女子高等学校から京都女子大学への進学者 全国の京都女子大学の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1946年生まれの人 |
同志社高等学校の出身者
289 | 永田紅 京都大学へ進学 | Wikipedia |
永田 紅(ながた こう、1975年5月31日 - )は、日本の生化学研究者、歌人。京都大学助教。滋賀県出身。 | ||
同志社高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
5月31日生まれの人  1975年生まれの人 | ||
290 | 北小路功光 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
北小路 功光(きたこうじ いさみつ、1901年(明治34年)4月23日 - 1989年(平成元年)2月27日)は昭和時代の歌人。元子爵。父は子爵・北小路資武(すけたけ)。母は歌人として知られる柳原白蓮(柳原燁子)。昭和天皇は又従兄弟。 | ||
同志社高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
4月23日生まれの人  1901年生まれの人 |
立命館高等学校の出身者
291 | 中原中也 山口市 日本大学へ進学 | Wikipedia |
中原 中也(なかはら ちゅうや、1907年(明治40年)4月29日 - 1937年(昭和12年)10月22日)は、日本の詩人、歌人、翻訳家。旧姓は柏村。夭折したが350篇以上もの詩を残し、一部は、中也自身が編纂した詩集『山羊の歌』、『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』を出版するなど、フランス人作家の翻訳もしている(他に少量だがアンドレ・ジイドほか)。日本大学予科、中央大学予科などを経て東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部修了。 | ||
立命館高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 山口市の出身者 | ||
4月29日生まれの人  1907年生まれの人 |
大阪教育大学附属高等学校池田校舎の出身者
292 | 光森裕樹 宝塚市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
光森 裕樹(みつもり ゆうき、1979年5月26日 - )は日本の歌人。 | ||
大阪教育大学附属高等学校池田校舎から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 宝塚市の出身者 | ||
5月26日生まれの人  1979年生まれの人 |
大阪府立清水谷高等学校の出身者
293 | 塚本青史 | Wikipedia |
塚本 靑史(つかもと せいし、1949年4月9日 - )は、日本の歴史小説作家。岡山県倉敷市生まれ。父は歌人の塚本邦雄。 | ||
4月9日生まれの人  1949年生まれの人 | ||
294 | 大橋敦子 | Wikipedia |
大橋 敦子(おおはし あつこ、1924年4月18日 - 2014年2月21日)は、俳人。 | ||
4月18日生まれの人  1924年生まれの人 | ||
295 | 山口波津女 | Wikipedia未登録 |
俳人。浅井啼魚の長女で山口誓子の妻 |
大阪府立天王寺高等学校の出身者
296 | 和達清夫 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
和達 清夫(わだち きよお、1902年(明治35年)9月8日 - 1995年(平成7年)1月5日)は、愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。地震のエネルギーを現すマグニチュードは、和達の研究がヒントになって作られたものである。また深発地震を発見したことでも知られ、和達-ベニオフ帯に和達の名が今も残っている。子に物理学者・和達三樹がいる。 | ||
大阪府立天王寺高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
9月8日生まれの人  1902年生まれの人 | ||
297 | 折口信夫 大阪市 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 | ||
大阪府立天王寺高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 大阪市の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1887年生まれの人 |
大阪府立住吉高等学校の出身者
298 | 西垣脩 愛媛大学へ進学 | Wikipedia |
西垣 脩(にしがき しゅう、1919年5月19日 - 1978年8月1日)は俳人、国文学者。 | ||
大阪府立住吉高等学校から愛媛大学への進学者 全国の愛媛大学の出身者 | ||
5月19日生まれの人  1919年生まれの人 |
大阪府立北野高等学校の出身者
299 | 辰巳泰子 京都府立大学女子短期大学へ進学 | Wikipedia |
辰巳 泰子(たつみ やすこ、1966年1月10日 - )は、歌人。 | ||
大阪府立北野高等学校から京都府立大学女子短期大学への進学者 全国の京都府立大学女子短期大学の出身者 | ||
1月10日生まれの人  1966年生まれの人 |
300 | 田中裕明 大阪市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
田中 裕明(たなか ひろあき、1959年10月11日 - 2004年12月30日)は、大阪府出身の俳人。波多野爽波に師事、「青」に拠ったのち、「ゆう」を創刊・主宰。1983年に角川俳句賞を史上最年少の22歳で受賞。俳句の伝統をふまえた瑞々しい句風で、俳壇のニューウェーブとして活躍したが、白血病により早世した。 | ||
大阪府立北野高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 大阪市の出身者 | ||
10月11日生まれの人  1959年生まれの人 | ||
301 | 道浦母都子 和歌山市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
道浦 母都子(みちうら もとこ、1947年9月9日 - )は、歌人。『未来』選者。 | ||
大阪府立北野高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 和歌山市の出身者 | ||
9月9日生まれの人  1947年生まれの人 | ||
302 | 脇田晴子 神戸大学へ進学 | Wikipedia |
脇田 晴子(わきた はるこ、1934年3月9日 - 2016年9月27日 )は、日本の歴史学者。滋賀県立大学名誉教授。文学博士(京都大学、1969年)(学位論文「中世商工業座の構造」)。兵庫県西宮市生まれ。父は俳人の麻野恵三(微笑子)、夫は歴史学者の脇田修。子は経済学者の脇田成。 | ||
大阪府立北野高等学校から神戸大学への進学者 全国の神戸大学の出身者 | ||
3月9日生まれの人  1934年生まれの人 |
大阪府立大手前高等学校の出身者
303 | 桂信子 | Wikipedia |
桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004年12月16日)は、大阪市出身の俳人。日野草城に師事。「旗艦」「青玄」などを経て「草苑」を創刊・主宰。本名は丹羽信子(にわのぶこ)。 | ||
11月1日生まれの人  1914年生まれの人 |
大阪府立泉陽高等学校の出身者
304 | 与謝野晶子 | Wikipedia |
与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。 | ||
12月7日生まれの人  1878年生まれの人 |
大阪府立桜塚高等学校の出身者
305 | 宇多喜代子 武庫川女子大学へ進学 | Wikipedia |
宇多 喜代子(うだ きよこ、1935年(昭和10年)10月15日 - )は俳人。現代俳句協会特別顧問。 | ||
大阪府立桜塚高等学校から武庫川女子大学への進学者 全国の武庫川女子大学の出身者 | ||
10月15日生まれの人  1935年生まれの人 |
大阪府立池田高等学校の出身者
306 | 藤原龍一郎 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
藤原 龍一郎(ふじわら りゅういちろう、1952年1月18日 - )は、歌人、俳人。福岡県出身。歌誌「短歌人」編集人。 | ||
大阪府立池田高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1月18日生まれの人  1952年生まれの人 |
大阪府立八尾高等学校の出身者
307 | 今中楓溪 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
大阪星光学院高等学校の出身者
308 | 黒瀬珂瀾 豊中市 大阪大学へ進学 | Wikipedia |
黒瀬 珂瀾(くろせ からん、1977年7月22日 - )は歌人。 | ||
大阪星光学院高等学校から大阪大学への進学者 全国の大阪大学の出身者 豊中市の出身者 | ||
7月22日生まれの人  1977年生まれの人 |
梅花高等学校の出身者
309 | 石上露子 富田林市 | Wikipedia |
石上 露子(いそのかみ つゆこ、1882年(明治15年)6月11日 - 1959年(昭和34年)10月8日)は、日本の作家、歌人。大阪府富田林市出身。 雅号はゆふちどり。新詩社の社友となり、「明星」等に短歌、詩、小説等を発表した。本名杉山 孝(すぎやま たか)。代表作は「小板橋」。 | ||
富田林市の出身者 | ||
6月11日生まれの人  1882年生まれの人 | ||
310 | 山川登美子 小浜市 梅花学園へ進学 | Wikipedia |
山川登美子(やまかわ とみこ、1879年(明治12年)7月19日 - 1909年(明治42年)4月15日)は、歌人である。本名・とみ。 | ||
梅花高等学校から梅花学園への進学者 全国の梅花学園の出身者 小浜市の出身者 | ||
7月19日生まれの人  1879年生まれの人 |
高槻高等学校の出身者
311 | 攝津幸彦 関西学院大学へ進学 | Wikipedia |
攝津 幸彦(せっつ ゆきひこ、1947年1月28日 - 1996年10月13日)は、俳人。兵庫県養父郡八鹿町に生まれる。母良子は桂信子主宰の「草苑」の幹部同人であった。高槻中学校・高等学校を経て、関西学院大学卒業。高校時代より叔父の影響でジャズを聞くようになり頻繁にジャズ喫茶に通った。大学では在学中は映画研究会に所属。また伊丹啓子(「青玄」主幹伊丹三樹彦の娘)を知り「関学俳句会」創立、機関誌「あばんせ」を創刊。また学生俳句会のつながりで、他大学の坪内稔典、澤好摩らと交流、大学を超えた同人誌「日時計」創刊に参加する。1970年、広告会社の東京旭通信社(現・アサツー ディ・ケイ)に入社し上京。1972年田中資子と結婚。1974年、大本善幸、坪内稔典らと「黄金海岸」創刊。1974年、「鳥子幻影」で俳句研究「第二回五十句競作」にて佳作第一席となり、編集長高柳重信に見出され一躍注目される。1980年、俳誌「豈」創刊に仁平勝らとともに参加。同誌は遅刊で知られたものの、前衛俳句の一大拠点となった。1992年より肝炎で入退院を繰り返し、1996年順天堂病院にて死去。享年49。 | ||
高槻高等学校から関西学院大学への進学者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
1月28日生まれの人  1947年生まれの人 | ||
312 | 茨木和生 大阪市立大学へ進学 | Wikipedia |
茨木 和生(いばらき かずお、1939年1月11日 - )は、奈良県出身の俳人。本名は和男。奈良県郡山町(現・大和郡山市)生まれ。大阪市立大学文学部卒業後、私立高槻中学校・高等学校教諭(古文担当)を長く勤めた。 | ||
高槻高等学校から大阪市立大学への進学者 全国の大阪市立大学の出身者 | ||
1月11日生まれの人  1939年生まれの人 | ||
313 | 島田牙城 | Wikipedia未登録 |
俳人 |
兵庫県立兵庫工業高等学校の出身者
314 | 永田耕衣 | Wikipedia |
永田 耕衣(ながた こうい、1900年(明治33年)2月21日 - 1997年(平成9年)8月25日)は、俳人。本名軍二(ぐんじ)。別号、田荷軒主人。禅的思想に導かれた独自の俳句理念に基づき句作。また諸芸に通じ書画にも個性を発揮、90歳を超えた最晩年に至るまで旺盛な創作活動を行った。 | ||
2月21日生まれの人  1900年生まれの人 |
兵庫県立洲本高等学校の出身者
315 | 直原玉青 赤磐郡山方村(旧吉井町、現・赤磐市) | Wikipedia |
直原 玉青(じきはら ぎょくせい、1904年8月1日 - 2005年9月30日)は、日本の画家、禅僧、俳人。 | ||
赤磐郡山方村(旧吉井町、現・赤磐市)の出身者 | ||
8月1日生まれの人  1904年生まれの人 | ||
316 | 高田蝶衣 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
高田 蝶衣(たかだ ちょうい、1886年1月30日 - 1930年9月23日)は、兵庫県津名郡釜口村字里(現:淡路市釜口字里)出身の俳人。旧制洲本中学校卒。中学の教頭・大谷繞石の影響で俳句をはじめ「ホトトギス」に投句、同人誌「落葉」を主宰。1904年、早稲田大学政経科入学。1906年、高浜虚子の 「俳諧散心句会」に参加し指導を受ける。同年、肋膜炎のため大学を中退し帰郷。故郷で小学校の教諭となるが、病のため続かず俳句を主とし「ホトトギス」「懸葵」に投句した。1908年に句集『島舟』(俳書堂)を出版。河東碧梧桐門とも交流があった。1917年に神戸湊川神社の主典となったが、やはり病の悪化のため1919年に帰郷している。1930年、淡路島で死去。46歳。代表句に「この国の表裏をつくり山眠る」などがあり、清新な叙情性のある句風であった。没後1933年に『蝶衣句稿 青垣山』、1941年に『蝶衣俳句全集』が刊行されている。 | ||
兵庫県立洲本高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1月30日生まれの人  1886年生まれの人 |
兵庫県立津名高等学校の出身者
317 | 中谷仁美 | Wikipedia未登録 |
俳人 |
兵庫県立尼崎稲園高等学校の出身者
318 | 見目誠 学習院大学へ進学 | Wikipedia |
見目 誠(けんもく まこと、1952年8月27日 - 2013年7月14日)は、日本の翻訳家、俳人、詩歌研究家。埼玉県生まれ。1976年学習院大学文学部卒。同大学院仏文科博士課程単位取得退学。その後高校教諭をしながら、文筆・翻訳活動を行った。日本フランス語フランス文学会、日本翻訳家協会、俳人協会、国際俳句交流協会会員。「馬酔木」、「関西文学」同人。 | ||
兵庫県立尼崎稲園高等学校から学習院大学への進学者 全国の学習院大学の出身者 | ||
8月27日生まれの人  1952年生まれの人 |
兵庫県立西宮北高等学校の出身者
319 | 佐藤弓生 関西学院大学へ進学 | Wikipedia |
佐藤 弓生(さとう ゆみお、女性、1964年2月15日 - )は、日本の歌人、翻訳家。石川県金沢市生まれ。関西学院大学社会学部卒業。夫は作家・評論家の高原英理。井辻朱美の影響により作歌を始め、1998年より歌誌「かばん」所属。 | ||
兵庫県立西宮北高等学校から関西学院大学への進学者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
2月15日生まれの人  1964年生まれの人 |
兵庫県立宝塚高等学校の出身者
320 | 小林恭二 西宮市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
小林 恭二(こばやし きょうじ、1957年11月9日 - )は 日本の小説家、俳人。メタ・フィクション的なユーモアに富んだ作風で知られる。専修大学文学部教授。 | ||
兵庫県立宝塚高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 西宮市の出身者 | ||
11月9日生まれの人  1957年生まれの人 |
兵庫県立伊丹高等学校の出身者
321 | 伊丹公子 | Wikipedia |
伊丹 公子(いたみ きみこ、1925年4月22日 - 2014年12月15日)は、日本の俳人、詩人。本名・岩田きみ子。俳人の伊丹三樹彦は夫、同じく俳人の伊丹啓子は長女。 | ||
4月22日生まれの人  1925年生まれの人 |
兵庫県立姫路西高等学校の出身者
322 | 五十嵐播水 姫路市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
五十嵐 播水(いがらし ばんすい、1899年1月10日 - 2000年4月23日)は兵庫県出身の俳人、内科医。本名は久雄(ひさお)。姫路市鍛冶町に生まれる。野里尋常小学校、姫路中学校を経て1923年に京都帝国大学(京都大学)医学部を卒業。卒業後に松尾内科勤務を経て、神戸市立中央市民病院に勤務。同病院の副院長・院長を1959年まで務める。1961年に神戸市生田区で五十嵐内科を開業、1993年まで医師として務めた。 | ||
兵庫県立姫路西高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 姫路市の出身者 | ||
1月10日生まれの人  1899年生まれの人 | ||
323 | 永田秀次郎 三原郡緑町(現南あわじ市) 京都大学へ進学 | Wikipedia |
永田 秀次郎(ながた ひでじろう、1876年(明治9年)7月23日 - 1943年(昭和18年)9月17日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の官僚、政治家、俳人、随筆家。第18代官選三重県知事、第8代・第14代東京市長、第4代拓殖大学総長、貴族院勅選議員。広田内閣の拓務大臣、阿部内閣の鉄道大臣を歴任。俳名・筆名は永田 青嵐(ながた せいらん)で出版した著書も多い。 | ||
兵庫県立姫路西高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 三原郡緑町(現南あわじ市)の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1876年生まれの人 |
兵庫県立姫路東高等学校の出身者
324 | 初井しづ枝 姫路市 大阪薬科大学へ進学 | Wikipedia |
初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月29日 - 1976年(昭和51年)2月15日)は、日本の歌人。兵庫県姫路市出身。 | ||
兵庫県立姫路東高等学校から大阪薬科大学への進学者 全国の大阪薬科大学の出身者 姫路市の出身者 | ||
10月29日生まれの人  1900年生まれの人 |
兵庫県立福崎高等学校の出身者
325 | 岸上大作 神崎郡福崎町 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10月21日 - 1960年(昭和35年)12月5日)は、日本の歌人。兵庫県神崎郡田原村井ノ口(現・福崎町西田原)出身。 | ||
兵庫県立福崎高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 神崎郡福崎町の出身者 | ||
10月21日生まれの人  1939年生まれの人 |
姫路市立飾磨高等学校の出身者
326 | 車谷長吉 飾磨市 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
車谷 長吉(くるまたに ちょうきつ、1945年7月1日 - 2015年5月17日)は日本の作家、随筆家、俳人。本名、車谷 嘉彦(くるまたに よしひこ)。兵庫県飾磨市(現・姫路市飾磨区)出身。筆名の「長吉」は唐代の詩人李賀にちなむ。妻は詩人の高橋順子。 | ||
姫路市立飾磨高等学校から 慶應義塾大学への進学者 全国の 慶應義塾大学の出身者 飾磨市の出身者 | ||
7月1日生まれの人  1945年生まれの人 |
兵庫県立龍野高等学校の出身者
327 | 赤尾兜子 姫路市 大阪外語専門学校へ進学 | Wikipedia |
赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28日 - 1981年(昭和56年)3月17日)は、日本の俳人。本名は赤尾俊郎。 | ||
兵庫県立龍野高等学校から大阪外語専門学校への進学者 全国の大阪外語専門学校の出身者 姫路市の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1925年生まれの人 | ||
328 | 三木露風 たつの市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
三木 露風(みき ろふう、1889年(明治22年)6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。 | ||
兵庫県立龍野高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 たつの市の出身者 | ||
6月23日生まれの人  1889年生まれの人 |
甲南高等学校の出身者
329 | 稲畑廣太郎 甲南大学へ進学 | Wikipedia |
稲畑 廣太郎(いなはた こうたろう、1957年5月20日 - )は、俳人。稲畑汀子の息子で、高濱虚子の曾孫にあたる人物。兵庫県芦屋市生まれ。1982年甲南大学経済学部を卒業。幼少時より母汀子について俳句に親しんでいたが、大学卒業後、合資会社ホトトギス社入社により本格的に俳句を志す。1988年「ホトトギス」同人、同誌編集長。2000年虚子記念文学館理事、2001年日本伝統俳句協会常務理事。2005年「ホトトギス」雑詠選者及び副主宰。2013年10月、汀子より引継ぎ「ホトトギス」主宰に就任。クラシック音楽の愛好家で俳句にも音楽を詠み込んだ句がある。句集に『廣太郎句集』『半分』『八文の六』、著書に『曽祖父虚子の一句』。 | ||
甲南高等学校から甲南大学への進学者 全国の甲南大学の出身者 | ||
5月20日生まれの人  1957年生まれの人 |
淳心学院高等学校の出身者
330 | 夏石番矢 東京大学へ進学 | Wikipedia |
俳句「足とめて見るは梅雨のうなる川」(1970年) | ||
淳心学院高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1970年生まれの人 |
灘高等学校の出身者
331 | 西村我尼吾 九州大学へ進学 | Wikipedia |
西村 我尼吾(にしむら がにあ、1952年4月16日)は、日本の俳人。本名・西村英俊。1952年大阪府生まれ。灘高校、東京大学法学部卒。通商産業省に入省。山口青邨に師事。東大学生俳句会「原生林」編集長。東大ホトトギス会幹事。1978年対馬康子と結婚。1981年より2年間米国イェール大学大学院に留学、修士。 | ||
灘高等学校から九州大学への進学者 全国の九州大学の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1952年生まれの人 | ||
332 | 楠本憲吉 慶應義塾大学へ進学 | Wikipedia |
楠本 憲吉(くすもと けんきち、1921年12月19日 - 1988年12月17日)は、俳人、随筆家。大阪府生まれ。実家は料亭・なだ万。灘中学校 (旧制)の同級に遠藤周作がいる。慶應義塾大学法学部卒、さらに学士入学で仏文科卒。在学中、1945年より句作を始め「慶大俳句」を組織し、日野草城に師事。のち草城の「青玄」無鑑査同人となる。俳誌「野の会」を主宰、俳句作家連盟会長、現代俳句協会顧問、東横学園女子短期大学客員教授を歴任。一般向けの随筆も多く、女性論、家族論、手紙、食事、酒など話題が豊富で洒脱な語り口ゆえ、テレビにもしばしば出演した。 | ||
灘高等学校から慶應義塾大学への進学者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
12月19日生まれの人  1921年生まれの人 |
小林聖心女子学院高等学校の出身者
333 | 稲畑汀子 | Wikipedia |
稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年1月8日 - )は、神奈川県出身の俳人。高浜年尾の娘で高浜虚子の孫。「ホトトギス」主宰を経て現名誉主宰、日本伝統俳句協会会長。 | ||
1月8日生まれの人  1931年生まれの人 |
神戸女学院高等学部の出身者
334 | 江戸雪 神戸女学院大学へ進学 | Wikipedia |
江戸 雪(えど ゆき、1966年12月12日 - )は日本の歌人。本名同じ。「塔」短歌会所属(「選者」2015年より)。大阪府大阪市在住。現代歌人協会会員。 | ||
神戸女学院高等学部から神戸女学院大学への進学者 全国の神戸女学院大学の出身者 | ||
12月12日生まれの人  1966年生まれの人 |
奈良県立奈良高等学校の出身者
335 | 前登志夫 下市町 同志社大学へ進学 | Wikipedia |
前 登志夫(まえ としお、1926年(大正15年)1月1日 - 2008年(平成20年)4月5日)は、日本の歌人。本名、前 登志晃(まえ としあき)。日本芸術院会員。短歌結社「山繭の会」主宰。 | ||
奈良県立奈良高等学校から同志社大学への進学者 全国の同志社大学の出身者 下市町の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1926年生まれの人 |
奈良県立畝傍高等学校の出身者
336 | 大峯顕 京都大学へ進学 | Wikipedia |
大峯 顕(おおみね あきら、1929年7月1日 - )は、日本の哲学者、浄土真宗僧侶、俳人。大阪大学名誉教授、元龍谷大学教授。専立寺前住職。学者としての専攻は宗教哲学。中期フィヒテ研究・西田幾多郎研究で知られる。俳号は大峯あきら。 | ||
奈良県立畝傍高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
7月1日生まれの人  1929年生まれの人 | ||
337 | 森一郎 東京教育大学へ進学 | Wikipedia |
森 一郎(もり いちろう、1923年 - 1991年)は、日本の英語教師、俳人。奈良県立畝傍中学、東京文理科大学卒業。奈良女子高等師範学校附属高等女学校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)英語科教諭、東京都立日比谷高等学校英語科教諭、関西学院大学教授、奈良産業大学教授、中央ゼミナール講師を歴任。 | ||
奈良県立畝傍高等学校から東京教育大学への進学者 全国の東京教育大学の出身者 | ||
1923年生まれの人 | ||
338 | 阿波野青畝 高取町 | Wikipedia |
阿波野青畝(あわの せいほ、1899年(明治32年)2月10日 - 1992年(平成4年)12月22日)は奈良県出身の俳人。本名は敏雄。旧姓・橋本。原田浜人、高浜虚子に師事。昭和初期に山口誓子、高野素十、水原秋桜子ととも「ホトトギスの四S」と称された。「かつらぎ」主宰。 | ||
高取町の出身者 | ||
2月10日生まれの人  1899年生まれの人 | ||
339 | 松村又一 明日香村 | Wikipedia |
松村 又一(まつむら またいち、、1898年(明治31年)3月25日 - 1992年(平成2年)9月30日)は昭和期の作詞家、民謡作家。妻は歌人の松村君代。独特の作風から土の詩人と評される。 | ||
明日香村の出身者 | ||
3月25日生まれの人  1898年生まれの人 |
奈良県立五條高等学校の出身者
340 | 藤岡長和 五條市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
藤岡 長和(ふじおか ながかず、1888年(明治21年)5月13日 - 1966年3月6日)は、奈良県宇智郡北宇智村近内(現五條市)出身の内務官僚、俳人(俳号:玉骨)。奈良県宇智郡北宇智村初代村長の藤岡長二郎の長男。 | ||
奈良県立五條高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 五條市の出身者 | ||
5月13日生まれの人  1888年生まれの人 |
東大寺学園高等学校の出身者
341 | 櫟原聰 大和郡山市 | Wikipedia |
櫟原 聰(いちはら さとし、1953年6月1日 - )は歌人、東大寺学園中学校・高等学校前教頭。奈良県大和郡山市出身。奈良市在住。「ヤママユ」「木霊」「京大短歌」所属。「ヤママユ」編集委員。前登志夫に師事。日本ペンクラブ・現代歌人協会・現代歌人集会理事。萬葉学会・上代文学会・萬葉語学文学研究会・古代談話会・歌謡研究会所属。 | ||
大和郡山市の出身者 | ||
6月1日生まれの人  1953年生まれの人 |
奈良学園高等学校の出身者
342 | 中村安伸 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
中村 安伸(なかむら やすのぶ、1971年 - )は、俳人。奈良県生まれ。妻はフィギュアスケートなどを取材するライターの青嶋ひろの。10歳の頃より祖父の影響で俳句をはじめる。奈良学園高等学校、早稲田大学商学部卒業。1995年、超結社句会「もののふ会」に参加。翌年より金子兜太の『海程』に投句。2004年、『―俳句空間―豈』同人となり、歴史的仮名遣いに転向。2008年、高山れおならとともにウェブサイト『―俳句空間―豈weekly』立ち上げ。また2009年から榮猿丸、青山茂根とともにウェブ俳句同人誌『haiku&me』を立ち上げる。2010年、第3回芝不器男俳句新人賞にて対馬康子奨励賞受賞。 | ||
奈良学園高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1971年生まれの人 |
和歌山県立耐久高等学校の出身者
343 | 長谷川利行 京都市 | Wikipedia |
長谷川 利行(はせがわ としゆき 明治24年(1891年)7月9日? - 昭和15年(1940年)10月12日)は京都府出身の洋画家、歌人。名の読みは「りこう」とも。 | ||
京都市の出身者 | ||
7月9日生まれの人  1891年生まれの人 |
和歌山県立桐蔭高等学校の出身者
344 | 下村宏 東京大学へ進学 | Wikipedia |
下村 宏(しもむら ひろし、1875年(明治8年)5月11日 - 1957年(昭和32年)12月9日)は、明治・大正・昭和の官僚、新聞経営者、政治家、歌人。号は海南(かいなん)。 | ||
和歌山県立桐蔭高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月11日生まれの人  1875年生まれの人 | ||
345 | 杉村楚人冠 | Wikipedia |
杉村 楚人冠(すぎむら そじんかん、明治5年7月25日(1872年8月28日) - 昭和20年(1945年)10月3日)は、新聞記者、随筆家、俳人である。本名は杉村 廣太郎(すぎむら こうたろう)。別号は縦横、紀伊縦横生、四角八面生、涙骨など多数。 | ||
7月25日生まれの人  1872年生まれの人 |
鳥取県立鳥取西高等学校の出身者
346 | 尾崎放哉 鳥取市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名: 尾崎 秀雄(おざき ひでお)、1885年(明治18年)1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)は、日本の俳人。種田山頭火らと並び、自由律俳句の最も著名な俳人の一人である。鳥取県鳥取市出身。 | ||
鳥取県立鳥取西高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月20日生まれの人  1885年生まれの人 |
鳥取県立倉吉農業高等学校の出身者
347 | 佐賀省三 境港市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
佐賀 省三(さが しょうぞう、明治38年(1905年)5月8日 - 没年不明)は日本の俳人、政治家。元境港市議会議員。号榎村。佐賀家の12代目。 | ||
鳥取県立倉吉農業高等学校から 早稲田大学への進学者 全国の 早稲田大学の出身者 境港市の出身者 | ||
5月8日生まれの人  1905年生まれの人 |
島根県立松江北高等学校の出身者
348 | 小原うめ女 | Wikipedia未登録 |
俳人 |
岡山県立岡山朝日高等学校の出身者
349 | 中塚一碧楼 倉敷市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
中塚一碧楼(なかつか いっぺきろう、1887年(明治20年)9月24日 - 1946年(昭和21年)12月31日)は、日本の俳人。本名・直三(なおぞう)。俳号は他に一碧(いっぺき)。 | ||
岡山県立岡山朝日高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1887年生まれの人 |
岡山県立和気閑谷高等学校の出身者
350 | 三木露風 たつの市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
三木 露風(みき ろふう、1889年(明治22年)6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。 | ||
岡山県立和気閑谷高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 たつの市の出身者 | ||
6月23日生まれの人  1889年生まれの人 |
岡山県立高梁高等学校の出身者
351 | 清水比庵 上房郡高梁町(現・高梁市) 岡山大学へ進学 | Wikipedia |
清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日 - 1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の歌人、書家、画家、政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。晩年は「今良寛」と呼ばれた。 | ||
岡山県立高梁高等学校から岡山大学への進学者 全国の岡山大学の出身者 上房郡高梁町(現・高梁市)の出身者 | ||
2月8日生まれの人  1883年生まれの人 |
岡山県立津山高等学校の出身者
352 | 西東三鬼 津山市 日本歯科大学へ進学 | Wikipedia |
西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日)は、岡山県出身の俳人。医師として勤める傍ら30代で俳句をはじめ、伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍。戦後は「天狼」「雷光」などに参加し「断崖」を主宰。本名・斎藤敬直(さいとう けいちょく)。 | ||
岡山県立津山高等学校から日本歯科大学への進学者 全国の日本歯科大学の出身者 津山市の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1900年生まれの人 | ||
353 | 大谷是空 | Wikipedia未登録 |
元旧制津山中学校教諭・俳人 |
広島大学附属高等学校の出身者
354 | 岡山巌 | Wikipedia未登録 |
歌人、医師 |
広島県立広島観音高等学校の出身者
355 | 近藤芳美 慶尚南道 東京工業大学へ進学 | Wikipedia |
近藤 芳美(こんどう よしみ、男性、1913年5月5日 - 2006年6月21日)は、日本の歌人である。 | ||
広島県立広島観音高等学校から東京工業大学への進学者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
5月5日生まれの人  1913年生まれの人 |
広島県立広島国泰寺高等学校の出身者
356 | 扇畑忠雄 | Wikipedia |
扇畑 忠雄(おうぎはた ただお、1911年 - 2005年7月16日)は歌人、国文学者。東北大学名誉教授。現中華人民共和国の旅順出身。広島一中、広島高校、京都帝国大学文学部国文学科卒。 | ||
1911年生まれの人 |
広島県立広島皆実高等学校の出身者
357 | 嶋田青峰 志摩市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
嶋田 青峰(しまだ せいほう、1882年3月8日 - 1944年5月31日)は、日本の俳人・翻訳家・新聞記者・教員。三重県答志郡[注 1]的矢村(現在の三重県志摩市磯部町的矢)出身。本名は賢平。姓の「しまだ」は「嶋田」と書くのが正式であるが、一般に「島田」の表記も用いられる。俳号の青峰は、故郷の山・青峰山(あおのみねさん、標高336m)に由来する。 | ||
広島県立広島皆実高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 志摩市の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1882年生まれの人 |
広島県立尾道商業高等学校の出身者
358 | 鷹羽狩行 中央大学へ進学 | Wikipedia |
鷹羽 狩行(たかは しゅぎょう、1930年(昭和5年)10月5日 - )は、山形県出身の俳人、日本藝術院会員。山口誓子に師事、「狩」を創刊・主宰。本名・髙橋行雄。 | ||
広島県立尾道商業高等学校から中央大学への進学者 全国の中央大学の出身者 | ||
10月5日生まれの人  1930年生まれの人 |
広島県立三次高等学校の出身者
359 | 桑原正紀 三次市 國學院大學へ進学 | Wikipedia |
桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )は歌人。 | ||
広島県立三次高等学校から國學院大學への進学者 全国の國學院大學の出身者 三次市の出身者 | ||
8月12日生まれの人  1948年生まれの人 |
360 | 中村憲吉 東京大学へ進学 | Wikipedia |
中村 憲吉(なかむら けんきち、1889年5月14日 - 1934年5月5日)は、歌人。 | ||
広島県立三次高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月14日生まれの人  1889年生まれの人 |
広島県立府中高等学校の出身者
361 | 木下夕爾 名古屋市立大学へ進学 | Wikipedia |
木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年10月27日 - 1965年8月4日)は、日本の詩人、俳人。本名・優二。広島県福山市御幸町に生まれる。広島県立府中中学(現・広島県立府中高等学校)を卒業後、1933年にいったんは第一早稲田高等学院文科(仏文科)に入学するが、家業を継ぐために転学。1938年に名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学)を卒業し、広島で実家の薬局を営む。以後終生郷里を離れなかった。この間堀口大学に傾倒し影響を受けており、13歳のときには堀口の詩誌「若草」で特選を取っている。1940年、第一詩集『田舎の食卓』を刊行、第6回文芸汎論賞を受賞。1949年に誌誌「木靴」を創刊・主宰。以後の詩集に『生まれた家』(1940年)『笛を吹くひと』(1958年)など。日本詩人クラブ、日本現代詩人会に所属。 | ||
広島県立府中高等学校から名古屋市立大学への進学者 全国の名古屋市立大学の出身者 | ||
10月27日生まれの人  1914年生まれの人 |
修道高等学校の出身者
362 | 檜山哲彦 | Wikipedia |
檜山哲彦(ひやま てつひこ、1952年3月25日 - )は、日本のドイツ文学者、俳人、東京藝術大学教授。 | ||
3月25日生まれの人  1952年生まれの人 | ||
363 | 小野茂樹 | Wikipedia |
小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 1970年5月7日)は、東京都渋谷区出身の歌人。 | ||
12月15日生まれの人  1936年生まれの人 |
山口県立防府高等学校の出身者
364 | 藤田三保子 宇部市 | Wikipedia |
藤田 三保子(ふじた みほこ、1952年10月31日 - )は日本の女優・シャンソン歌手・画家。山口県宇部市出身。山口県立防府高等学校卒業。 | ||
宇部市の出身者 | ||
10月31日生まれの人  1952年生まれの人 |
山口県立山口高等学校の出身者
365 | 島田幸典 京都大学へ進学 | Wikipedia |
島田 幸典(しまだ ゆきのり、1972年5月27日 - )は、日本の政治学者、歌人。京都大学大学院法学研究科教授。専門は比較政治学、比較国制史。 | ||
山口県立山口高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
5月27日生まれの人  1972年生まれの人 | ||
366 | 中原中也 山口市 日本大学へ進学 | Wikipedia |
中原 中也(なかはら ちゅうや、1907年(明治40年)4月29日 - 1937年(昭和12年)10月22日)は、日本の詩人、歌人、翻訳家。旧姓は柏村。夭折したが350篇以上もの詩を残し、一部は、中也自身が編纂した詩集『山羊の歌』、『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』を出版するなど、フランス人作家の翻訳もしている(他に少量だがアンドレ・ジイドほか)。日本大学予科、中央大学予科などを経て東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部修了。 | ||
山口県立山口高等学校から日本大学への進学者 全国の日本大学の出身者 山口市の出身者 | ||
4月29日生まれの人  1907年生まれの人 | ||
367 | 種田山頭火 防府市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
種田 山頭火(たねだ さんとうか、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、戦前日本の俳人。よく山頭火と呼ばれる。自由律俳句で著名。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。本名・種田正一。 | ||
山口県立山口高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 防府市の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1882年生まれの人 |
山口県立宇部工業高等学校の出身者
368 | 古川薫 山口大学へ進学 | Wikipedia |
古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - )は、日本の小説家。妻は歌人の森重香代子。 | ||
山口県立宇部工業高等学校から山口大学への進学者 全国の山口大学の出身者 | ||
6月5日生まれの人  1925年生まれの人 |
山口県立小野田高等学校の出身者
369 | 兼崎地橙孫 山口市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
兼崎 地橙孫(かねざき ぢとうそん、1890年(明治23年)3月27日 - 1957年(昭和32年)9月3日)は、山口県出身の日本の俳人、書家、弁護士。本名は理蔵。 | ||
山口県立小野田高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
3月27日生まれの人  1890年生まれの人 |
徳島県立城東高等学校の出身者
370 | 大高翔 阿南市 立教大学へ進学 | Wikipedia |
大高 翔(おおたか しょう、1977年7月13日 - )は日本の女性俳人。「藍花」所属。徳島県阿南市出身。徳島県立城東高等学校、立教大学文学部卒業。大高翔はペンネーム。 | ||
徳島県立城東高等学校から立教大学への進学者 全国の立教大学の出身者 阿南市の出身者 | ||
7月13日生まれの人  1977年生まれの人 |
徳島県立城南高等学校の出身者
371 | 村崎凡人 松茂町 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
村崎 凡人(むらさき ただひと、1914年(大正3年)1月12日 - 1989年(平成1年)5月10日)は、日本の国文学者、歌人、教育者。徳島文理大学等を経営する村崎学園理事長。 | ||
徳島県立城南高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1月12日生まれの人  1914年生まれの人 |
徳島市立高等学校の出身者
372 | 紀野恵 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
紀野 恵(きの めぐみ、1965年3月17日 - )は、歌人である。「未来」「七曜」所属。岡井隆、柏原千恵子に師事。 | ||
徳島市立高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
3月17日生まれの人  1965年生まれの人 |
香川県立小豆島高等学校の出身者
373 | 草壁焔太 東京大学へ進学 | Wikipedia |
草壁 焔太(くさかべ えんた、1938年3月13日 - )は五行歌人、詩人。本名、三好清明。関東州大連市生まれ。五行歌の創始者として知られている[4]。 | ||
香川県立小豆島高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
3月13日生まれの人  1938年生まれの人 |
香川県立高松高等学校の出身者
374 | 坂井修一 松山市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
坂井 修一(さかい しゅういち、1958年11月1日 - )は日本の歌人、情報理工学者、東京大学教授。愛媛県出身。 | ||
香川県立高松高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 松山市の出身者 | ||
11月1日生まれの人  1958年生まれの人 | ||
375 | 対馬康子 高松市 日本女子大学へ進学 | Wikipedia |
対馬 康子(つしま やすこ、1953年10月22日 - )は、俳人。香川県高松市に生まれる。小学校高学年より詩に興味を持ちはじめ、高松高校時代は文芸部に所属。1972年日本女子大学国文学科に入学、文芸部に入部し同人誌に詩や短文を執筆。東大学生俳句会と文芸部との合同ハイキングで西村我尼吾と出会い俳句を作り始める。 | ||
香川県立高松高等学校から日本女子大学への進学者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
10月22日生まれの人  1953年生まれの人 |
香川県立丸亀高等学校の出身者
376 | 中河與一 | Wikipedia |
中河与一 (なかがわ よいち, 1897年(明治30年)2月28日 - 1994年(平成6年)12月12日) は、香川県生まれの小説家・歌人である。横光利一、川端康成と共に、新感覚派として活躍した。正字で中河與一と表記される場合もある。中河哀秋という筆名も持つ。 | ||
2月28日生まれの人  1897年生まれの人 |
香川県立多度津高等学校の出身者
377 | 香川進 神戸大学へ進学 | Wikipedia |
香川進(かがわ すすむ、1910年7月15日-1998年10月13日)は、歌人。 | ||
香川県立多度津高等学校から神戸大学への進学者 全国の神戸大学の出身者 | ||
7月15日生まれの人  1910年生まれの人 |
愛媛県立三島高等学校の出身者
378 | 山上次郎 | Wikipedia |
山上 次郎(やまがみ じろう、1913年(大正2年)1月1日- 2010年(平成22年))は、日本の歌人・文筆家。別名「童馬堂人」。 | ||
1月1日生まれの人  1913年生まれの人 |
愛媛県立今治西高等学校の出身者
379 | 木原実 | Wikipedia |
木原 実(きはら みのる、1916年3月1日 - 2010年1月18日)は、日本の歌人、詩人、政治家。 | ||
3月1日生まれの人  1916年生まれの人 |
愛媛県立松山東高等学校の出身者
380 | 神野紗希 | Wikipedia |
神野 紗希(こうの さき、1983年6月4日 - )は、俳人。愛媛県松山市に生まれる。松山東高等学校時代に放送部に所属、俳句甲子園を取材したことをきっかけに俳句を始めた。2001年、第四回俳句甲子園にて団体優勝、「カンバスの余白八月十五日」が最優秀句に選ばれる。2002年、第一回芝不器男俳句新人賞にて坪内稔典奨励賞を受賞。同年、句集『星の地図』を刊行。2004年4月よりNHK『俳句王国』司会を担当(2010年3月まで)。現代俳句協会幹事(2016年)。 | ||
6月4日生まれの人  1983年生まれの人 | ||
381 | 中村草田男 東京大学へ進学 | Wikipedia |
中村 草田男(なかむら くさたお、1901年(明治34年)7月24日 - 1983年(昭和58年)8月5日)は、愛媛県出身の俳人。本名清一郎(せいいちろう)。東京大学国文科卒。高浜虚子に師事、「ホトトギス」で客観写生を学びつつ、ニーチェなどの西洋思想から影響を受け、生活や人間性に根ざした句を模索。石田波郷、加藤楸邨らとともに人間探求派と呼ばれた。「萬緑」を創刊・主宰。戦後は第二芸術論争をはじめとして様々な俳句論争で主導的な役割をもった。 | ||
愛媛県立松山東高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1901年生まれの人 | ||
382 | 松根東洋城 | Wikipedia |
松根 東洋城(まつね とうようじょう、1878年2月25日 - 1964年10月28日)は俳人。本名は豊次郎で俳号はこれをもじったもの。夏目漱石の門下生。 | ||
2月25日生まれの人  1878年生まれの人 | ||
383 | 寒川鼠骨 | Wikipedia |
寒川 鼠骨(さむかわ そこつ、1875年(明治8年)11月3日 - 1954年(昭和29年)8月18日)は、正岡子規門下の俳人。病床の子規に侍り、遺族を見守り、遺墨・遺構の保存に尽くした。 | ||
11月3日生まれの人  1875年生まれの人 | ||
384 | 高浜虚子 東北大学へ進学 | Wikipedia |
高浜 虚子(たかはま きょし、旧字体: 高濱 虛子、1874年〈明治7年〉2月22日 - 1959年〈昭和34年〉4月8日)は明治・大正・昭和の三代にわたる俳人・小説家。本名は高浜 清(たかはま きよし、旧字体: 高濱 淸)。 | ||
愛媛県立松山東高等学校から東北大学への進学者 全国の東北大学の出身者 | ||
2月22日生まれの人  1874年生まれの人 | ||
385 | 河東碧梧桐 東北大学へ進学 | Wikipedia |
河東碧梧桐(かわひがし へきごとう、1873年(明治6年)2月26日 - 1937年(昭和12年)2月1日)は、日本の俳人・随筆家。本名は秉五郎(へいごろう)。 | ||
愛媛県立松山東高等学校から東北大学への進学者 全国の東北大学の出身者 | ||
2月26日生まれの人  1873年生まれの人 | ||
386 | 五百木良三 | Wikipedia |
五百木 良三(いおき りょうぞう、明治3年12月14日(1871年2月3日) - 昭和12年(1937年)6月14日)は、日本の国粋主義者。俳号は飄亭。 | ||
2月3日生まれの人  1871年生まれの人 | ||
387 | 勝田主計 東京大学へ進学 | Wikipedia |
勝田 主計(しょうだ かずえ、明治2年旧暦9月15日(1869年10月19日)- 昭和23年(1948年)10月10日)は日本の大蔵官僚、政治家。同郷の俳人・正岡子規や海軍軍人・秋山真之の友人だった。 | ||
愛媛県立松山東高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
10月19日生まれの人  1869年生まれの人 | ||
388 | 柳原極堂 | Wikipedia |
柳原 極堂(やなぎはら きょくどう、慶応3年2月11日(1867年3月16日)- 昭和32年(1957年)10月7日)は愛媛県出身の俳人である。 | ||
2月11日生まれの人  1867年生まれの人 | ||
389 | 正岡子規 東京大学へ進学 | Wikipedia |
正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 | ||
愛媛県立松山東高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
10月14日生まれの人  1867年生まれの人 | ||
390 | 加藤恒忠 | Wikipedia |
加藤 恒忠(かとう つねただ、安政6年1月22日(1859年2月24日) - 大正12年(1923年)3月26日)は、日本の外交官、政治家。旧姓は大原。号は拓川。衆議院議員、貴族院勅選議員、松山市長、錦鶏間祗候。三男忠三郎は阪急電鉄の車掌、阪急百貨店の職員で、俳人正岡子規の妹リツの養子となり正岡家の祭祀を嗣いだ。 | ||
1月22日生まれの人  1859年生まれの人 | ||
391 | 内藤鳴雪 | Wikipedia |
内藤鳴雪(ないとう めいせつ、1847年5月29日(弘化4年4月15日) - 1926年(大正15年)2月20日)は、幕末の伊予松山藩の武士、明治期の官吏、明治・大正期の俳人。幼名助之進、元服して師克(もろかつ)、のち素行(もとゆき)。俳号の『鳴雪』は、『何事も成行きに任す』の、当て字という。 | ||
5月29日生まれの人  1847年生まれの人 | ||
392 | 河東可全 | Wikipedia未登録 |
俳人、新聞記者、碧梧桐の兄 | ||
393 | 村上霽月 | Wikipedia未登録 |
俳人、実業家 | ||
394 | 竹村黄塔 | Wikipedia未登録 |
俳人、教育者、河東碧梧桐の兄 |
愛媛県立松山南高等学校の出身者
395 | 今井つる女 | Wikipedia |
今井 つる女(いまい つるじょ、1897年6月16日 - 1992年8月19日)は、俳人。本名は今井鶴(旧姓・池内)。父は高濱虚子の兄池内政夫で、つる女は虚子の姪にあたる。愛媛県松山市生まれ。愛媛県立松山高等女学校(現・愛媛県立松山南高等学校)卒。今井五郎と結婚後上京、1920年ころより句作をはじめ、「ホトトギス」夫人句会に参加。1930年、星野立子の「玉藻」創刊に参加。1940年「ホトトギス」同人。1945年愛媛県波止浜町(現今治市)に疎開ししばらく同地に住む。1953年『愛媛新聞』婦人俳壇を創設。1955年の上京以後も30年にわたって同選者を務める。1987年より日本伝統俳句協会顧問。1992年死去、95歳。句集に『姪の宿』『花野』『かへりみる』など。娘の今井千鶴子も俳人で『愛媛新聞』婦人俳壇選者を引き継いでいる。 | ||
6月16日生まれの人  1897年生まれの人 |
愛媛県立松山工業高等学校の出身者
396 | 高野公彦 大洲市 東京教育大学へ進学 | Wikipedia |
高野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )は日本の歌人。歌誌「コスモス」編集人、選者。本名は、日賀志康彦。 | ||
愛媛県立松山工業高等学校から東京教育大学への進学者 全国の東京教育大学の出身者 大洲市の出身者 | ||
12月10日生まれの人  1941年生まれの人 |
愛媛県立大洲高等学校の出身者
397 | 村上護 愛媛大学へ進学 | Wikipedia |
村上 護(むらかみ まもる、1941年11月28日 - 2013年6月29日)は、日本の文芸評論家、俳人。 | ||
愛媛県立大洲高等学校から愛媛大学への進学者 全国の愛媛大学の出身者 | ||
11月28日生まれの人  1941年生まれの人 | ||
398 | 西村兵太郎 | Wikipedia |
西村 兵太郎(にしむら ひょうたろう、1884年(明治17年)3月30日 - 1935年(昭和10年)9月13日)は、日本の政治家。愛媛県長浜町(現大洲市)町長を21年、愛媛県議会議員を16年務めた。愛媛の水産界に大きな影響を与えたとして、水産業界の父とも言われている。 | ||
3月30日生まれの人  1884年生まれの人 |
愛媛県立川之石高等学校の出身者
399 | 坪内稔典 立命館大学へ進学 | Wikipedia |
坪内 稔典(つぼうち としのり、俳号ではねんてん、1944年4月22日 - )は、日本の俳人。京都教育大学名誉教授。「船団の会」代表。研究者としての専門は日本近代文学で、特に正岡子規に関する著作・論考が多い。 | ||
愛媛県立川之石高等学校から立命館大学への進学者 全国の立命館大学の出身者 | ||
4月22日生まれの人  1944年生まれの人 |
愛媛県立宇和島東高等学校の出身者
400 | 夏井いつき 京都女子大学へ進学 | Wikipedia |
夏井 いつき(なつい いつき、1957年(昭和32年)5月13日 - )は日本の俳人・エッセイスト。 | ||
愛媛県立宇和島東高等学校から京都女子大学への進学者 全国の京都女子大学の出身者 | ||
5月13日生まれの人  1957年生まれの人 | ||
401 | 芝不器男 松野町 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
芝 不器男(しば ふきお、1903年(明治36年)4月18日 - 1930年(昭和5年)2月24日)は、愛媛県出身の俳人。「天の川」の代表作家として活躍、「ホトトギス」でも四S以降の新人として注目されたが、句歴四年、26歳で夭折した。 | ||
愛媛県立宇和島東高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 松野町の出身者 | ||
4月18日生まれの人  1903年生まれの人 | ||
402 | 富澤赤黄男 八幡浜市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
富澤 赤黄男(とみざわ かきお、1902年7月14日 - 1962年3月7日)は愛媛県出身の俳人。本名富澤正三(とみざわ しょうぞう)。新興俳句の担い手として、現代詩の一分野としてのモダニズム俳句を追求した。代表句に「蝶墜ちて大音響の結氷期」がある。 | ||
愛媛県立宇和島東高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 八幡浜市の出身者 | ||
7月14日生まれの人  1902年生まれの人 |
高知県立高知追手前高等学校の出身者
403 | 弘瀬公美 桃山学院大学へ進学 | Wikipedia未登録 |
1966年9月20日生れ。川柳句集『瞳の宇宙』詩集『未来への贈り物』フリーライター。詩人。俳人。 | ||
高知県立高知追手前高等学校から桃山学院大学への進学者 全国の桃山学院大学の出身者 | ||
9月20日生まれの人  1966年生まれの人 | ||
404 | 寺田寅彦 東京大学へ進学 | Wikipedia |
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦(大正11年から使用)、寅日子、牛頓(“ニュートン”)、藪柑子(“やぶこうじ”)の筆名でも知られる。高知県出身(出生地は東京市)。 | ||
高知県立高知追手前高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月28日生まれの人  1878年生まれの人 |
高知県立高知工業高等学校の出身者
405 | 松田ひろむ | Wikipedia |
松田 ひろむ(まつだ ひろむ、1938年8月25日-)は俳人。本名は英孝(ひでたか)。現代俳句評論賞、新俳句人連盟賞、第一回雑草賞受賞。「鴎座」代表。 | ||
8月25日生まれの人  1938年生まれの人 |
高知県立中村高等学校の出身者
406 | 北見志保子 | Wikipedia未登録 |
昭和時代の女流歌人。北原白秋、古泉千樫に師事) |
高知学芸高等学校の出身者
407 | 谷岡亜紀 高知市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
谷岡 亜紀(たにおか あき、男性、1959年11月19日 - )は、歌人。 | ||
高知学芸高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 高知市の出身者 | ||
11月19日生まれの人  1959年生まれの人 |
土佐高等学校の出身者
408 | 西岡瑠璃子 | Wikipedia |
西岡 瑠璃子(にしおか るりこ、1934年7月22日 - )は、日本の政治家、歌人。元日本社会党参議院議員(1期)。 | ||
7月22日生まれの人  1934年生まれの人 |
福岡県立育徳館高等学校の出身者
409 | 石田比呂志 | Wikipedia |
石田 比呂志(いしだ ひろし、1930年10月27日 - 2011年2月24日)は、歌人。福岡県出身。本名は裕志。 | ||
10月27日生まれの人  1930年生まれの人 | ||
410 | 水野葉舟 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
水野 葉舟(みずの ようしゅう、1883年4月9日 - 1947年2月2日)は日本の詩人、歌人、小説家、心霊現象研究者。東京生まれ、本名は盈太郎(みちたろう)。 | ||
福岡県立育徳館高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月9日生まれの人  1883年生まれの人 |
福岡県立小倉西高等学校の出身者
411 | 斎藤史 旭川市(東京都生まれ) | Wikipedia |
斎藤 史(齋藤史、さいとう ふみ、1909年(明治42年)2月14日 - 2002年(平成14年)5月26日)は、日本の歌人。東京都四谷生まれ。福岡県立小倉高等女学校(現・福岡県立小倉西高等学校)卒業。 | ||
旭川市(東京都生まれ)の出身者 | ||
2月14日生まれの人  1909年生まれの人 |
福岡県立東筑高等学校の出身者
412 | 千々和久幸 明治大学へ進学 | Wikipedia |
千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )は、歌人、詩人。 | ||
福岡県立東筑高等学校から明治大学への進学者 全国の明治大学の出身者 | ||
3月14日生まれの人  1937年生まれの人 | ||
413 | 大庭将 | Wikipedia |
歌人 |
福岡県立筑紫丘高等学校の出身者
414 | 田中濯 福岡市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
田中 濯(1976年 - )は、歌人。福岡県福岡市出身。 | ||
福岡県立筑紫丘高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 | ||
1976年生まれの人 | ||
415 | 松村由利子 西南学院大学へ進学 | Wikipedia |
松村 由利子(まつむら ゆりこ、1960年9月14日 - )は、日本の歌人。 | ||
福岡県立筑紫丘高等学校から西南学院大学への進学者 全国の西南学院大学の出身者 | ||
9月14日生まれの人  1960年生まれの人 |
福岡県立修猷館高等学校の出身者
416 | 来嶋靖生 | Wikipedia |
来嶋 靖生(きじま やすお、1931年8月28日 - )は、日本の歌人、編集者。 | ||
8月28日生まれの人  1931年生まれの人 | ||
417 | 広渡敬雄 | Wikipedia未登録 |
俳人第58回角川俳句賞(2012年) |
福岡県立朝倉高等学校の出身者
418 | 緒方久一郎 | Wikipedia未登録 |
俳人 | ||
419 | 上野嘉弥太 | Wikipedia未登録 |
俳人 |
福岡県立伝習館高等学校の出身者
420 | 北原白秋 南関町 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。 | ||
福岡県立伝習館高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 南関町の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1885年生まれの人 |
福岡県立鞍手高等学校の出身者
421 | 野見山朱鳥 | Wikipedia |
野見山 朱鳥(のみやま あすか、1917年(大正6年)4月30日 - 1970年(昭和45年)2月26日)は福岡県出身の俳人。高浜虚子に師事、「菜殻火」主宰。本名は正男(まさお)。 | ||
4月30日生まれの人  1917年生まれの人 | ||
422 | 伊馬春部 | Wikipedia |
伊馬 春部(いま はるべ、1908年(明治41年)5月30日 - 1984年(昭和59年)3月17日)は日本の作家、劇作家。本名は高崎英雄。旧筆名は伊馬鵜平。戦前から戦後にかけてユーモア小説やラジオドラマなどの分野で活躍。釈迢空門下の歌人としても知られる。 | ||
5月30日生まれの人  1908年生まれの人 |
福岡市立福翔高等学校の出身者
423 | 真鍋呉夫 | Wikipedia |
真鍋 呉夫(まなべ くれお、1920年1月25日 - 2012年6月5日)は日本の作家・文筆家・俳人。 | ||
1月25日生まれの人  1920年生まれの人 |
久留米大学附設高等学校の出身者
424 | 中沢直人 福岡市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
中沢 直人(なかざわ なおと、1969年11月22日 - )は、日本の歌人、憲法学者。専門は英米法、憲法。成蹊大学法学部法律学科教授。本名、安部圭介。 | ||
久留米大学附設高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月22日生まれの人  1969年生まれの人 |
佐賀県立佐賀西高等学校の出身者
425 | 高田保馬 | Wikipedia未登録 |
高田 保馬(たかた やすま、1883年(明治16年)12月27日 - 1972年(昭和47年)2月2日)は日本の経済学者、社会学者。文学博士。歌人。文化功労者。京都大学名誉教授。大阪大学名誉教授。 | ||
12月27日生まれの人  1883年生まれの人 |
佐賀県立武雄高等学校の出身者
426 | 笹井宏之 | Wikipedia |
笹井 宏之(ささい ひろゆき、1982年8月1日 - 2009年1月24日)は、歌人。歌誌「未来」所属。本名、筒井宏之。実父の筒井孝司は碗琴奏者。 | ||
8月1日生まれの人  1982年生まれの人 |
長崎市立長崎商業高等学校の出身者
427 | 清水崑 | Wikipedia |
清水 崑(しみず こん、本名:清水 幸雄、1912年9月22日 - 1974年3月27日)は昭和の漫画家。長崎県長崎市出身。妻は歌人の清水恒子、その姉は俳人の石橋秀野(山本健吉夫人)。 | ||
9月22日生まれの人  1912年生まれの人 |
海星高等学校の出身者
428 | 竹山広 | Wikipedia |
竹山 広(たけやま ひろし、1920年(大正9年)2月29日 - 2010年(平成22年)3月30日)は、日本の歌人。本名は竹山 廣(たけやま ひろし)。 | ||
2月29日生まれの人  1920年生まれの人 |
熊本県立熊本高等学校の出身者
429 | 長谷川櫂 小川町(現・宇城市) 東京大学へ進学 | Wikipedia |
長谷川 櫂(はせがわ かい、1954年2月20日 - )は、日本の俳人。『俳句の宇宙』で1990年度サントリー学芸賞。元読売新聞社文化部記者。 | ||
熊本県立熊本高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 小川町(現・宇城市)の出身者 | ||
2月20日生まれの人  1954年生まれの人 | ||
430 | 正木ゆう子 熊本市 | Wikipedia |
正木 ゆう子(まさき ゆうこ、1952年6月22日 - )は、日本の俳人。熊本県熊本市生まれ。本姓・笠原。熊本県立熊本高等学校、お茶の水女子大学卒業。大学時代の1973年、兄正木浩一に誘われて「沖」入会、能村登四郎に師事。また福永耕二、坂巻純子に親しむ。大学卒業後は広告会社に務め、1977年結婚。1986年、第一句集『水晶体』を私家版で刊行。 | ||
熊本市の出身者 | ||
6月22日生まれの人  1952年生まれの人 | ||
431 | 谷川健一 水俣市 東京大学へ進学 | Wikipedia |
谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2013年8月24日、満92歳没)は、日本の民俗学者、地名学者、作家、歌人。日本地名研究所所長。 | ||
熊本県立熊本高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 水俣市の出身者 | ||
7月28日生まれの人  1921年生まれの人 | ||
432 | 有働亨 | Wikipedia |
有働 亨(うどう とおる、1920年9月3日 - 2010年6月30日)は、俳人。 | ||
9月3日生まれの人  1920年生まれの人 | ||
433 | 木下順二 東京大学へ進学 | Wikipedia |
木下 順二(きのした じゅんじ、1914年(大正3年)8月2日 - 2006年(平成18年)10月30日)は、日本の劇作家、評論家。代表作に『夕鶴』がある。日本劇作家協会顧問。伯父は佐々醒雪(俳人、国文学者)。著名な進歩的文化人であった。 | ||
熊本県立熊本高等学校から東京大学への進学者 全国の東京大学の出身者 | ||
8月2日生まれの人  1914年生まれの人 | ||
434 | 大久保武雄 熊本市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
大久保 武雄(おおくぼ たけお、1903年11月24日 - 1996年10月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。俳人でもあり、俳号は大久保橙青(おおくぼ とうせい)と言う。勲一等瑞宝章。 | ||
熊本県立熊本高等学校から 東京帝国大学への進学者 全国の 東京帝国大学の出身者 熊本市の出身者 | ||
11月24日生まれの人  1903年生まれの人 |
熊本県立第一高等学校の出身者
435 | 浜名理香 熊本市 熊本大学へ進学 | Wikipedia |
浜名 理香(はまな りか、1963年〈昭和38年〉6月11日 − )は、日本の歌人。熊本市出身で、短歌結社「石流」を主宰。 | ||
熊本県立第一高等学校から熊本大学への進学者 全国の熊本大学の出身者 熊本市の出身者 | ||
6月11日生まれの人  1963年生まれの人 | ||
436 | 安永蕗子 熊本市 熊本大学へ進学 | Wikipedia |
安永 蕗子(やすなが ふきこ、1920年(大正9年)2月19日 - 2012年(平成24年)3月17日)は、熊本県熊本市御徒町(現・中央区安政町)出身の歌人・宮中歌会始選者。熊本県熊本市名誉市民。「春炎」の号を持つ書家でもあり、毎日書道展名誉会員。ノンフィクション作家の永畑道子は妹。 | ||
熊本県立第一高等学校から熊本大学への進学者 全国の熊本大学の出身者 熊本市の出身者 | ||
2月19日生まれの人  1920年生まれの人 | ||
437 | 中村汀女 熊本市 | Wikipedia |
中村 汀女(なかむら ていじょ、1900年(明治33年)4月11日 - 1988年(昭和63年)9月20日)は、俳人。本名、破魔子(はまこ)。星野立子・橋本多佳子・三橋鷹女とともに4Tと呼ばれた、昭和を代表する女流俳人。 | ||
熊本市の出身者 | ||
4月11日生まれの人  1900年生まれの人 |
熊本県立熊本農業高等学校の出身者
438 | 宮部寸七翁 熊本市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
宮部 寸七翁(みやべ すなお、1887年1月12日 - 1926年1月30日)は、日本のジャーナリスト、俳人。 | ||
熊本県立熊本農業高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 熊本市の出身者 | ||
1月12日生まれの人  1887年生まれの人 |
熊本県立八代高等学校の出身者
439 | 木場君代 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
大分県立中津北高等学校の出身者
440 | 松下竜一 中津市 | Wikipedia |
松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月15日 - 2004年(平成16年)6月17日 )は、日本の小説家、歌人。大分県中津市出身。大分県立中津北高等学校卒業。主要な作品は、記録文学。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。 | ||
中津市の出身者 | ||
2月15日生まれの人  1937年生まれの人 |
宮崎県立宮崎大宮高等学校の出身者
441 | 吉川宏志 日向市 京都大学へ進学 | Wikipedia |
吉川 宏志(よしかわ ひろし、1969年1月15日 - )は、日本の歌人。塔短歌会主宰。夫人は歌人の前田康子 。 | ||
宮崎県立宮崎大宮高等学校から京都大学への進学者 全国の京都大学の出身者 日向市の出身者 | ||
1月15日生まれの人  1969年生まれの人 | ||
442 | 伊藤一彦 宮崎市 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
伊藤 一彦(いとう かずひこ、1943年9月12日 - )は、歌人。宮崎県立看護大学客員教授、宮崎県立図書館名誉館長。「心の花」所属。「現代短歌・南の会」代表。 | ||
宮崎県立宮崎大宮高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 宮崎市の出身者 | ||
9月12日生まれの人  1943年生まれの人 |
宮崎県立延岡高等学校の出身者
443 | 若山牧水 日向市(旧東郷町(誕生時は、東郷村)) 早稲田大学へ進学 | Wikipedia |
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 | ||
宮崎県立延岡高等学校から早稲田大学への進学者 全国の早稲田大学の出身者 日向市(旧東郷町(誕生時は、東郷村))の出身者 | ||
8月24日生まれの人  1885年生まれの人 |
鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者
444 | 安田尚義 高鍋町 | Wikipedia |
安田 尚義(やすだ なおよし、 1884年4月19日 - 1974年12月24日 )は、日本の歌人・歴史学者。 | ||
高鍋町の出身者 | ||
4月19日生まれの人  1884年生まれの人 |
鹿児島県立甲南高等学校の出身者
445 | 篠原鳳作 鹿児島市 東京帝国大学へ進学 | Wikipedia |
篠原鳳作(しのはら ほうさく、1906年1月7日 - 1936年9月11日)は、鹿児島県出身の俳人。本名は篠原国堅(くにかた)。旧号は未踏、雲彦。1906年(明治39年)、鹿児島市で生まれる。鹿児島県立第二鹿児島中学校(16回卒=大正12年)を経て、1929年東京帝国大学法学部卒。病弱のため都会での就職を避け郷里で句作に没頭。1931年より教諭として沖縄県立宮古中学校に赴任、1934年に結婚を期に母校の鹿児島二中に転任した。 | ||
鹿児島県立甲南高等学校から東京帝国大学への進学者 全国の東京帝国大学の出身者 鹿児島市の出身者 | ||
1月7日生まれの人  1906年生まれの人 |