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このサイトに登録されている「出身で1908年生まれ」の有名人の数:149人
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1 | 佐貫亦男 横手市 | Wikipedia |
佐貫亦男(さぬきまたお、1908年(明治41年)1月1日-1997年(平成9年)6月28日 )は日本の航空宇宙評論家、エッセイスト。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
2 | 平田冨太郎 横手市 | Wikipedia |
平田 冨太郎(ひらた とみたろう、1908年5月22日-1995年3月20日)は、日本の社会学者。早稲田大学名誉教授。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
3 | 上原敏 大館市 | Wikipedia |
上原 敏(うえはら びん、本名:松本力治(まつもと りきじ)、1908年8月26日 - 1944年7月29日)は、秋田県出身の歌手。「妻恋道中」「裏町人生」のヒットを持つ戦前に活躍した流行歌手。最終学歴は専修大学卒業。 | ||
専修大学出身 出身の専修大学の出身者 全国の専修大学の出身者 | ||
4 | 佐藤源治 | Wikipedia |
佐藤 源治(さとう げんじ、1908年(明治41年) - 1995年(平成7年)6月9日)は、日本の教育者、民俗学者。朝日村名誉村民(現・鶴岡市名誉市民)。栄典は従四位・勲四等・旭日小綬章。 | ||
広島大学出身 出身の広島大学の出身者 全国の広島大学の出身者 | ||
5 | 佐々木康 横手市 | Wikipedia |
佐々木 康(ささき やすし、1908年1月25日 - 1993年9月13日)は、昭和期の映画監督。法政大学本科国文科中退。松竹、東映、東映テレビプロダクションに属した。早撮りの名人として知られ、松竹時代は歌謡映画、東映時代は時代劇映画、東映テレビ時代はテレビ時代劇のヒット作を連発する。映画作品168本、テレビ作品500本弱を撮った、典型的なプログラムピクチャーの監督である。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
6 | 佐藤源治 | Wikipedia |
佐藤 源治(さとう げんじ、1908年(明治41年) - 1995年(平成7年)6月9日)は、日本の教育者、民俗学者。朝日村名誉村民(現・鶴岡市名誉市民)。栄典は従四位・勲四等・旭日小綬章。 | ||
広島大学出身 出身の広島大学の出身者 全国の広島大学の出身者 | ||
7 | 吉井忠 | Wikipedia |
吉井 忠(よしい ただし、1908年7月25日 - 1999年8月5日)は、日本の洋画家。 | ||
8 | 五来重 日立市 | Wikipedia |
五来 重(ごらい しげる、1908年(明治41年)3月7日 - 1993年12月11日)は、日本の民俗学者。 | ||
高野山大学出身 出身の高野山大学の出身者 全国の高野山大学の出身者 | ||
9 | 郡司信夫 | Wikipedia |
郡司 信夫(ぐんじ のぶお、1908年10月1日 - 1999年2月11日)は、栃木県出身のボクシング評論家。 | ||
大正大学出身 出身の大正大学の出身者 全国の大正大学の出身者 | ||
10 | 森喜作 | Wikipedia |
森 喜作(もり きさく、1908年10月4日 - 1977年10月23日)は、群馬県桐生市出身の農学者である。群馬県立桐生高等学校、京都大学農学部卒業。森産業株式会社社長。歴史学者の羽仁五郎は叔父。衆議院議員で元内閣総理大臣の森喜朗と血縁関係はない。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
11 | 柳沢騰市 | Wikipedia |
柳沢 騰市(やなぎさわ とういち、1908年6月23日 - 没年不明)は、群馬県出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手、遊撃手)。 | ||
12 | おのちゅうこう | Wikipedia |
おの ちゅうこう(1908年2月2日 - 1990年6月25日)は、日本の児童文学作家、詩人。 | ||
群馬大学出身 出身の群馬大学の出身者 全国の群馬大学の出身者 | ||
13 | 佐藤次郎 | Wikipedia |
佐藤 次郎(さとう じろう, 1908年(明治41年)1月5日 - 1934年(昭和9年)4月5日)は、日本の男子テニス選手。1930年代前半にグランドスラムシングルスベスト4、ウィンブルドン選手権ダブルス準優勝、全豪オープン混合ダブルス準優勝など国際的に活躍したが、現役中に26歳で自ら命を断った。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
14 | 山村新治郎 (10代目) | Wikipedia |
10代目山村 新治郎(やまむら しんじろう、明治41年(1908年)3月2日 - 昭和39年(1964年)10月2日)は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員。予算委員長、議院運営委員長、自由民主党の国会対策委員長等の要職を歴任し、池田内閣において行政管理庁長官を務めた。他に佐原造船社長、山村産業社長、会長も務めた。 | ||
15 | 尾本信平 大多喜町 | Wikipedia |
尾本 信平(おもと しんぺい、明治41年(1908年)10月17日 - 平成11年(1999年)4月19日)は、三井金属(現・三井金属鉱業)元社長・元会長・元名誉相談役。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
16 | 栗原安秀 松江市 | Wikipedia |
栗原 安秀(くりはら やすひで、明治41年(1908年)11月17日 - 昭和11年(1936年)7月12日)は、日本の陸軍軍人、国家社会主義者。1936年2月26日に勃発した二・二六事件に参加した。磯部浅一に並ぶ急進派として知られる。最終階級は陸軍歩兵中尉。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
17 | 沢村貞子 | Wikipedia |
沢村 貞子(さわむら さだこ、旧字体:澤村、1908年11月11日 - 1996年8月16日)は、日本の女優、随筆家。本名は大橋 貞子(おおはし ていこ)。 | ||
日本女子大学出身 出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
18 | 植草甚一 | Wikipedia |
植草 甚一(うえくさ じんいち、1908年(明治41年)8月8日 - 1979年(昭和54年)12月2日)は、欧米文学、ジャズ、映画の評論家。通称“J・J氏”。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
19 | 肥沼信次 | Wikipedia |
肥沼 信次(こえぬま のぶつぐ、1908年10月9日 - 1946年3月8日)は、日本の医学者。第二次世界大戦後のドイツで医療活動に尽力した。 | ||
日本医科大学出身 出身の日本医科大学の出身者 全国の日本医科大学の出身者 | ||
20 | 佐久間妙子 | Wikipedia |
佐久間 妙子(さくま たえこ、1908年3月11日 - 不明)は、日本の女優。本名、西島 静子。 | ||
21 | 松井明 | Wikipedia |
松井明(まつい あきら 1908年(明治40年) - 1994年(平成6年)4月29日)は日本の外交官。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
22 | 夏目伸六 新宿区 | Wikipedia |
夏目 伸六(なつめ しんろく、1908年12月17日 - 1975年2月11日)は、日本の随筆家。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
23 | 万年東一 | Wikipedia |
万年 東一(まんねん とういち、1908年9月10日 - 1985年3月28日)は、日本の右翼活動家、愚連隊の首領、総会屋。右翼団体大日本一誠会初代会長。全日本女子プロレス初代会長。山形県飽海郡松嶺町出身。 | ||
24 | 田中一村 栃木市 | Wikipedia |
田中一村(たなか いっそん、1908年7月22日 - 1977年9月11日)は、日本画家である。奄美大島の自然を愛し、その植物や鳥を鋭い観察と画力で力強くも繊細な花鳥画に描いた。本名は田中孝。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
25 | 長岡輝子 | Wikipedia |
長岡 輝子(ながおか てるこ、1908年〈明治41年〉1月5日 - 2010年〈平成22年〉10月18日)は、日本の女優・演出家。本名、篠原 輝子(しのはら てるこ)。岩手県盛岡市出身。 | ||
26 | 今城誼子 | Wikipedia |
今城 誼子(いまき よしこ、1908年(明治41年) - 1993年(平成5年)2月12日)は、1971年まで香淳皇后付の女官を務めた人物。今城定政子爵の女子。 | ||
27 | 杉浦茂 | Wikipedia |
杉浦 茂(すぎうら しげる、1908年(明治41年)4月3日[注釈 1] - 2000年(平成12年)4月23日)は、日本の漫画家である。東京府東京市本郷区湯島新花町(現在の東京都文京区湯島二丁目)生まれ。戦前はユーモア漫画や教育漫画を多く描いたが、戦後に手掛けた多くの独特でナンセンスなギャグ漫画は熱狂的な人気を呼び、平成まで執筆活動を続けた。 | ||
28 | 井口基成 | Wikipedia |
井口 基成(いぐち もとなり、1908年5月17日 - 1983年9月29日)は日本のピアニスト・ピアノ教育家。妹の井口愛子(後に佐藤愛子)と、前妻の井口秋子もピアニスト・ピアノ教育家という音楽一族。 | ||
東京音楽学校出身 出身の東京音楽学校の出身者 全国の東京音楽学校の出身者 | ||
29 | 十朱久雄 | Wikipedia |
十朱 久雄(とあけ ひさお、1908年9月8日 - 1985年12月18日)は、日本の俳優。本名は小倉 久雄。東京府東京市日本橋区小網町(現・東京都中央区日本橋小網町)出身。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
30 | 脇田和 | Wikipedia |
脇田 和(わきた かず、男性、1908年(明治41年)6月7日 - 2005年(平成17年)11月27日)は昭和期に活躍した日本の洋画家。新制作協会創立会員。童話的で温かな印象を受ける作風が特徴。実子は洋画家の脇田愛二郎。 | ||
青山学院大学出身 出身の青山学院大学の出身者 全国の青山学院大学の出身者 | ||
31 | 戸田春子 | Wikipedia |
戸田 春子(とだ はるこ、1908年5月28日 - 没年不詳)は、日本の女優。 | ||
32 | 稲葉幸夫 新冠町 | Wikipedia |
稲葉 幸夫(いなば ゆきお、1908年9月4日 - 2001年10月7日)は、日本の騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会所属)、調教師(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会所属)。騎手としてロツクパークによる第1回横浜農林省賞典四歳呼馬(現・皐月賞)優勝など通算174勝。また調教師としては騎手兼業であった戦前期から顕著な成績を残し、八大競走13勝を含む通算1451勝を挙げた。特に牝馬の管理に長けたため「牝馬作りの名人」、「牝馬の稲葉」と称され、史上初の牝馬三冠トレーナーともなっている。1981年、黄綬褒章を受章。2004年、調教師顕彰者に選出され、中央競馬の殿堂入りした。 | ||
33 | 清水将夫 | Wikipedia |
清水 将夫(しみず まさお、旧字:淸水將夫。1908年10月5日 - 1975年10月5日)は、日本の俳優。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
34 | 日影丈吉 | Wikipedia |
日影 丈吉(ひかげ じょうきち、1908年(明治41年)6月12日) - 1991年(平成3年)9月22日)は、日本の小説家、推理作家、翻訳家。東京都出身。本名は片岡十一。幻想的な作風で、代表作として長篇小説「真赤な子犬」「内部の真実」「応家の人々」、短篇小説「猫の泉」「吸血鬼」、探偵右京慎策の活躍するハイカラ右京シリーズなど。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
35 | 馬場啓之助 | Wikipedia |
馬場 啓之助(ばば けいのすけ、1908年11月23日 - 1988年11月)は、経済史学者、一橋大学名誉教授。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
36 | 大川一司 | Wikipedia |
大川 一司(おおかわ かずし、1908年11月16日 - 1993年11月13日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。文化功労者。1950年日本農学賞受賞。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
37 | 神田坤六 新潟市 | Wikipedia |
神田 坤六(かんだ こんろく、1908年12月10日 - 2005年5月20日)は元群馬県知事。新潟県中蒲原郡横越村(現新潟市) 出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
38 | 小池勇二郎 | Wikipedia |
小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1908年(明治41年)5月20日 - 1977年(昭和52年)12月7日)は、日本の通信技術者、通信工学者、電気工学者、電子工学者、工学博士。元松下電器産業東京研究所所長、元松下電器産業中央研究所所長、元株式会社松下電器東京研究所取締役社長、元松下技研株式会社取締役社長、テレビジョン学会名誉会員、東北大学名誉教授。 | ||
東北帝国大学出身 出身の東北帝国大学の出身者 全国の東北帝国大学の出身者 | ||
39 | 小林孝平 長岡市 | Wikipedia |
小林 孝平(こばやし こうへい、1908年7月15日 - 1991年4月13日)は日本の官僚、政治家。参議院議員(2期)、新潟県長岡市長(5期18年)。勲二等瑞宝章。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
40 | 夏目忠雄 | Wikipedia |
夏目 忠雄(なつめ ただお、1908年9月8日 - 1997年9月30日)は、参議院議員(2期)。長野市長(3期)。長野県議会議員。松本高等学校文科甲類、東京帝国大学法学部卒業。 | ||
信州大学出身 出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
41 | 野村千春 岡谷市 | Wikipedia |
野村 千春(のむら ちはる、1908年(明治41年)4月6日 - 2000年(平成12年)2月12日)は、長野県岡谷市出身の洋画家である。夫は児童文学者、歌人の巽聖歌。結婚後、東京都日野市に居住し、創作活動を行なった。 | ||
42 | 井出多米夫 静岡市 | Wikipedia |
井出 多米夫(いで ためお, 1908年11月27日 - 1998年8月17日 )は、静岡県清水市(現:静岡市)出身のサッカー選手、サッカー指導者。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
43 | 勝間田清一 | Wikipedia |
勝間田 清一(かつまた せいいち、1908年2月11日 - 1989年12月14日)は、日本の政治家。日本社会党委員長、政審会長、国対委員長、衆議院副議長を歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
44 | 瀬木三雄 名古屋市 | Wikipedia |
瀬木 三雄(せぎ みつお、1908年 - 1982年)は日本の医学博士。名古屋市生まれ。東京大学医学部卒業。旧厚生省の初代母子衛生課長として母子健康手帳を創設し、東北大学医学部にて公衆衛生学教室を主宰。癌統計学の第一人者として知られ、いわゆる「瀬木の帽子」(胎児の基底顆粒細胞集団)の発見者でもある。1971年に退官。瀬木学園(現 愛知みずほ大学等)理事長、学長、高校長を歴任。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
45 | 尾鍋輝彦 | Wikipedia |
尾鍋 輝彦(おなべ てるひこ、1908年(明治41年)8月15日 - 1997年(平成9年)3月21日)は、日本の西洋史学者。 愛知県出身。1933年東京帝国大学文学部西洋史学科卒、お茶の水女子大学教授、73年定年退官、名誉教授。没後正四位。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
46 | 本多秋五 | Wikipedia |
本多 秋五(ほんだしゅうご、1908年(明治41年)9月22日 - 2001年(平成13年)1月13日)は、愛知県西加茂郡(現:豊田市)出身の文芸評論家である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
47 | 三木澄子 長崎市 | Wikipedia |
三木 澄子(みき すみこ、1908年1月2日 - 1988年4月16日)は、日本の児童文学作家。本名同じ。三木は旧姓。 | ||
48 | 嶋崎重和 奈良市 | Wikipedia |
嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月9日 - 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の海軍軍人。空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃で第二次攻撃隊長を務めた。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
49 | 松野幸泰 瑞穂市 | Wikipedia |
松野 幸泰(まつの ゆきやす、1908年(明治41年)10月13日 - 2006年(平成18年)5月22日)は、日本の政治家。岐阜県知事、自由民主党衆議院議員。孫は自民党衆議院議員の棚橋泰文。妻は43年間穂積村・町長(現:瑞穂市)を務めた松野友。子に元岐阜県議会議員松野幸昭と前瑞穂市長の松野幸信がいる。 | ||
50 | 嶋崎重和 奈良市 | Wikipedia |
嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月9日 - 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の海軍軍人。空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃で第二次攻撃隊長を務めた。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
51 | 城戸久 | Wikipedia |
城戸久(きど ひさし、1908年6月16日 - 1979年10月30日)は、日本の建築学者。名古屋工業大学名誉教授。日本建築史の専門家として、多くの城の再建に携わったことで知られる。 | ||
名古屋工業大学出身 出身の名古屋工業大学の出身者 全国の名古屋工業大学の出身者 | ||
52 | 増田四郎 山添村 | Wikipedia |
増田 四郎(ますだ しろう、1908年(明治41年)10月2日 - 1997年(平成9年)6月22日)は、日本の歴史学者。一橋大学名誉教授。専門は西洋史、西洋経済史。西洋社会・経済史の変遷を、実証研究と、比較社会史・地域史の方法論を用いて研究した。日本学術振興会会長、国立大学協会副会長、日本学士院会員等を歴任。文化勲章受章者。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
53 | 西田善一 大津市 | Wikipedia |
西田 善一(にしだ ぜんいち、1908年8月1日 - 1981年4月25日)は、滋賀県の政治家、実業家、第19代大津市長。高等商業学校卒業後、実業家として活躍し、その後大津市議会議員、滋賀県議会議員、大津市長等を歴任した。大津市長として総合開発計画、市庁舎の移転建設、町村合併、びわこ大博覧会などの大事業を行った。その後も各種役職を務め、1981年に大津市名誉市民に選ばれた。 | ||
滋賀大学出身 出身の滋賀大学の出身者 全国の滋賀大学の出身者 | ||
54 | マキノ雅弘 | Wikipedia |
マキノ 雅弘(マキノ まさひろ、1908年2月29日 - 1993年10月29日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、録音技師、俳優、実業家である。本名は牧野 正唯(まきの まさちか)である。 | ||
55 | 藤井滋司 | Wikipedia |
藤井 滋司(ふじい しげじ、1908年 - 1970年)は、日本の脚本家。松竹下加茂撮影所の脚本部に所属しながら、トーキー黎明期の京都にかつて存在した会社組織を超えた脚本家集団「鳴滝組」に参加、映画史に名を残す。 | ||
56 | 宮川一夫 京都市 | Wikipedia |
宮川 一夫(みやがわ かずお、1908年2月25日 - 1999年8月7日)は日本映画界を代表する映画カメラマンである。主に京都太秦、大映映画の時代劇における陰影ある斬新な撮影で稲垣浩、溝口健二や黒澤明らが監督する作品のカメラマンとして世界に知られる。本名は、宮川一雄。 | ||
57 | 土井忠雄 | Wikipedia |
土井 忠雄(どい ただお、1908年 - 1994年)は、日本の仏教学者、真宗学者。京都女子大学名誉教授。浄土真宗本願寺派勧学。広島県生まれ。 | ||
龍谷大学出身 出身の龍谷大学の出身者 全国の龍谷大学の出身者 | ||
58 | 桝嘉一 京都市 | Wikipedia |
桝 嘉一(ます かいち、1908年3月8日 - 1981年12月18日)は、京都府京都市出身のプロ野球選手(外野手)・監督。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
59 | 森野米三 | Wikipedia |
森野 米三(もりの よねぞう、1908年8月31日 - 1995年10月24日)は、物理化学者。東京大学名誉教授。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
60 | 岡本理一 | Wikipedia |
岡本 理一(おかもと りいち、1908年 - 1992年)は、日本の経営学者・商学者。専門は、中小企業経営論。元・旭川大学学長。元・札幌大学学長。小樽商科大学名誉教授。 | ||
小樽商科大学出身 出身の小樽商科大学の出身者 全国の小樽商科大学の出身者 | ||
61 | 斎藤才三 | Wikipedia |
斎藤 才三(さいとう さいぞう、 1908年9月24日 - 2004年)は大阪府出身の経営者、サッカー選手。 | ||
関西学院大学出身 出身の関西学院大学の出身者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
62 | 曽我廼家明蝶 | Wikipedia |
曽我廼家 明蝶(そがのや めいちょう、本名:北村 弘一(きたむら ひろかず)、1908年6月3日 - 1999年4月13日)は、日本の俳優。夫人は女優の黒木ひかる。兵庫県明石市出身。旧字体「曾我廼家明蝶」。 | ||
明治学院大学出身 出身の明治学院大学の出身者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
63 | 廣慶太郎 | Wikipedia |
廣 慶太郎(ひろ けいたろう、1908年12月7日 - 1998年10月20日 )は、日本の経済人・経営者。 | ||
立命館大学出身 出身の立命館大学の出身者 全国の立命館大学の出身者 | ||
64 | 東山魁夷 神戸市(神奈川県横浜市生まれ) | Wikipedia |
東山 魁夷(ひがしやま かいい、1908年(明治41年)7月8日 - 1999年(平成11年)5月6日)は、日本の画家、著述家。昭和を代表する日本画家の一人といわれる。文化勲章受章者。千葉県市川市名誉市民。本名は東山 新吉(ひがしやま しんきち)。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
65 | 島秀之助 神戸市 | Wikipedia |
島 秀之助(しま ひでのすけ、1908年6月21日 - 1995年12月26日)は、兵庫県神戸市生まれのプロ野球選手・監督・審判員。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
66 | 家本秀太郎 | Wikipedia |
家本 秀太郎(いえもと ひでたろう 1908年 - 1979年)は経済学者。神戸大学経済学部名誉教授。正四位勲三等瑞宝章。産業連関表で有名な米国経済学者のワシリー・レオンチェフの主著「アメリカ経済の構造」を訳した。クララオンラインの創業者である家本賢太郎は孫。 | ||
神戸大学出身 出身の神戸大学の出身者 全国の神戸大学の出身者 | ||
67 | 初音麗子 神戸市 | Wikipedia |
初音 礼子(はつね れいこ、本名:小南艶子、旧姓:武藤、1908年1月7日 - 1987年4月15日)は、日本の元宝塚歌劇団雪組主演男役クラス・雪組組長の女優。兵庫県神戸市出身。旧芸名=初音麗子。愛称はキューピーさん、ムーヤン。 | ||
68 | 石破二朗 八頭町 | Wikipedia |
石破 二朗(いしば じろう、1908年(明治41年)7月29日 - 1981年(昭和56年)9月16日)は、日本の内務・建設官僚、政治家。正三位勲一等。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
69 | 永井隆 松江市 | Wikipedia |
永井 隆(ながい たかし、1908年(明治41年)2月3日 - 1951年(昭和26年)5月1日)は、日本の医学博士、随筆家。『長崎の鐘』や『この子を残して』等の著書がある。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
70 | 中川秀恭 | Wikipedia |
中川 秀恭(なかがわ ひでやす、1908年(明治41年)1月1日 - 2009年(平成21年)4月26日)は、日本の哲学者、文学博士、Ph.D.(イェール大学)。日本各地の大学の学長・理事長を歴任した。 | ||
立教大学出身 出身の立教大学の出身者 全国の立教大学の出身者 | ||
71 | 可児藤吉 勝央町 | Wikipedia |
可児 藤吉(かに とうきち、1908年1月1日 - 1944年7月18日)は日本の先駆的な群集生態学者。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
72 | 高橋浩之 高田郡川根村 | Wikipedia |
高橋 浩之(たかはし ひろゆき、1908年3月2日 - 1962年1月23日)は、日本の農林省官僚、農林技官。コシヒカリ生みの親。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
73 | 杉田屋守 | Wikipedia |
杉田屋 守(すぎたや まもる、1908年4月15日 - 1972年5月11日)は、アメリカ合衆国ハワイ準州(Territory of Hawaii)生まれのプロ野球選手(外野手)・監督。ハワイ移民の日系2世。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
74 | 宮本顕治 | Wikipedia |
宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年(明治41年)10月17日 - 2007年(平成19年)7月18日)は、日本の政治家、文芸評論家。通称ミヤケン。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
75 | 水原義明 | Wikipedia |
水原 義明(みずはら よしあき 1908年 - 1945年10月31日)は、日本の元アマチュア野球選手。香川県出身。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
76 | 石井英一 三豊市 | Wikipedia |
石井 英一(いしい えいいち、1908年1月12日 - 1989年12月10日)は、日本の官僚、実業家。元運輸省資材局長。元東洋電機製造社長。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
77 | 石川孝一 観音寺市 | Wikipedia |
石川 孝一(いしかわ こういち、1908年2月18日 - 1978年8月24日 )は、日本の実業家。元神鋼商事社長。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
78 | 田中隆造 | Wikipedia |
田中 隆造(たなか たかぞう、1908年5月4日 - 1989年3月3日)は、日本の実業家。元阪神電気鉄道社長。元阪神タイガースオーナー。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
79 | 倉田貞美 三豊市 | Wikipedia |
倉田 貞美 (くらた さだよし、1908年12月1日 - 1994年5月5日)は、日本の教育者、中国文学者。博士(文学)。元香川大学学長。香川大学名誉教授。 | ||
筑波大学出身 出身の筑波大学の出身者 全国の筑波大学の出身者 | ||
80 | 田坂輝敬 今治市 | Wikipedia |
田坂輝敬(たさか てるよし、1908年(明治41年)5月27日 - 1977年(昭和52年)1月18日)は新日本製鐵株式會社の第三代目の社長。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
81 | 古谷綱武 | Wikipedia |
古谷綱武(ふるや つなたけ、1908年5月5日 - 1984年2月12日)は、日本の文芸評論家。 | ||
82 | 田岡典夫 | Wikipedia |
田岡 典夫(たおか のりお、1908年9月1日 - 1982年4月7日)は高知県出身の小説家。 | ||
83 | 田岡典夫 | Wikipedia |
田岡 典夫(たおか のりお、1908年9月1日 - 1982年4月7日)は高知県出身の小説家。 | ||
84 | 花村仁八郎 | Wikipedia |
花村 仁八郎(はなむら にはちろう、1908年3月30日 - 1997年1月4日)は、日本の財界人。 | ||
山口大学出身 出身の山口大学の出身者 全国の山口大学の出身者 | ||
85 | 伊馬春部 | Wikipedia |
伊馬 春部(いま はるべ、1908年(明治41年)5月30日 - 1984年(昭和59年)3月17日)は日本の作家、劇作家。本名は高崎英雄。旧筆名は伊馬鵜平。戦前から戦後にかけてユーモア小説やラジオドラマなどの分野で活躍。釈迢空門下の歌人としても知られる。 | ||
86 | 今里広記 | Wikipedia |
今里 広記 (いまざと ひろき、1908年(明治40年)11月27日 - 1985年(昭和60年)5月30日)は、日本の実業家、財界人。長崎県出身。広範な交友と人脈から、財界におけるまとめ役として「財界官房長官」「財界幹事長」の異名を取った。 | ||
87 | 平田敬一郎 雲仙市 | Wikipedia |
平田 敬一郎(ひらた けいいちろう、1908年9月5日 - 1992年5月22日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
88 | 宗武志 | Wikipedia |
宗 武志(そう たけゆき、1908年2月16日 - 1985年4月22日)は、日本の英語学者、詩人。爵位は伯爵。旧姓は黒田(くろだ)。麗澤大学名誉教授。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
89 | 山田正孝 | Wikipedia |
山田 正孝(やまだ まさたか、1908年〈明治41年〉4月11日 - 1995年〈平成7年〉10月16日)は、日本の画家。長崎市出身。1933年、大阪美術学校卒業。1937年、長崎市立商業学校に勤務。東光会展、日展に多数の入選入賞。東光会審査員、東光会長崎支部長、長崎県美術協会副会長。長崎洋画家クラブ、長崎市民美術展、長崎県民美術展創設に携わり長崎県美術協会審査員および事務局長等歴任。長崎県文化功労者表彰、長崎市文化功労者表彰を受ける。1994年、画集「自画自賛」(87ページ)出版。長崎県美術界の育ての親的存在。 | ||
90 | 原仙作 | Wikipedia |
原 仙作(はら せんさく、1908年9月14日 - 1974年7月9日 )は英文学者、英語教師・旺文社編集顧問。 | ||
長崎大学出身 出身の長崎大学の出身者 全国の長崎大学の出身者 | ||
91 | 中村地平 | Wikipedia |
中村 地平(なかむら ちへい、1908年(明治41年)2月7日 - 1963年(昭和38年)2月26日)は宮崎県出身の小説家、銀行家。宮崎県立図書館長、宮崎相互銀行(現宮崎太陽銀行)社長。自らが憧れた南方の風土で培われた南方文学を提唱した。筆名であり、本名は中村治兵衛。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
92 | 四元義隆 | Wikipedia |
四元 義隆(よつもと よしたか、明治41年(1908年)3月8日 - 平成16年(2004年)6月28日)は日本の右翼、実業家。元三幸建設工業社長・会長。政界の指南役。血盟団のメンバーの一人。別名「一匹狼の非利権右翼」。 | ||
東京帝国大学出身 出身の 東京帝国大学の出身者 全国の 東京帝国大学の出身者 | ||
93 | 八島太郎 南大隅町(長男はハリウッド俳優のマコ岩松) | Wikipedia |
八島 太郎(やしま たろう、1908年9月21日 - 1994年6月30日)は、日本とアメリカとで活躍した日本人画家、絵本作家である。本名 : 岩松 淳(いわまつ じゅん)。鹿児島県肝属郡小根占村出身。作家の伊佐千尋、俳優のマコ岩松は息子。 | ||
94 | 尾高邦雄 | Wikipedia |
尾高 邦雄(おだか くにお、1908年10月17日 - 1993年9月11日)は、日本の社会学者。東京大学文学部名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
95 | 勝田守一 | Wikipedia |
勝田 守一(かつた しゅいち、1908年11月10日 - 1969年7月30日)は、日本の教育学者。東京大学教育学部の同僚であった宮原誠一(社会教育学)、宗像誠也と並んで「3M(スリー・エム)」と称される。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
96 | 宗像誠也 | Wikipedia |
宗像 誠也(むなかた せいや、1908年4月9日 - 1970年6月22日)は日本の教育学者、東京大学名誉教授。同僚の勝田守一(教育学)、宮原誠一(社会教育学)と並び、「東大教育の3M(スリー・エム)」と称された。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
97 | 伊部恭之助 新宿区 | Wikipedia |
伊部 恭之助(いべ きょうのすけ、1908年7月28日 - 2001年4月16日)は、日本の実業家。住友銀行頭取・会長。関西経済同友会代表幹事、日仏クラブ世話人。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
98 | 中川恭四郎 | Wikipedia |
平沼 恭四郎(ひらぬま きょうしろう、1908年(明治41年)1月16日 - 1991年(平成3年)1月19日)は、三明商事創立者、大協石油取締役などを務めた実業家。無窮会理事長。衆議院議員平沼赳夫の実父で、元首相平沼騏一郎は義父。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
99 | 井深大 日光市 | Wikipedia |
井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日 - 1997年(平成9年)12月19日)は、日本の電子技術者および実業家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
100 | 高津春繁 神戸市 | Wikipedia |
高津 春繁(こうづ はるしげ、1908年1月19日 - 1973年5月4日)は、日本の言語学者、比較言語学研究者、古代ギリシア文学研究者。文学博士(東京大学)。東京大学文学部教授、武蔵大学人文学部教授、人文学部長(初代)を歴任。東京大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
101 | 竹内悌三 | Wikipedia |
竹内 悌三(たけうち ていぞう、1908年11月6日 - 1946年4月12日)は、東京府(現在の東京都)出身のサッカー選手。照明デザイナーの石井幹子は娘。 | ||
102 | 植草甚一 | Wikipedia |
植草 甚一(うえくさ じんいち、1908年(明治41年)8月8日 - 1979年(昭和54年)12月2日)は、欧米文学、ジャズ、映画の評論家。通称“J・J氏”。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
103 | 上村健太郎 | Wikipedia |
上村 健太郎(うえむら けんたろう、1908年(明治41年)7月18日 - 1981年(昭和56年)8月4日)は、兵庫県出身の旧内務官僚、航空自衛官である。初代航空幕僚長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
104 | 高木昇 | Wikipedia |
高木 昇(たかぎ のぼる、1908年6月19日 - 2005年5月28日)は、日本の電子工学者。東京大学名誉教授。東京工科大学名誉学長。工学博士(東京帝国大学、1942年)。理事(財団法人電子文化研究所、1964年)。東京大学宇宙航空研究所初代所長(1964年-1969年)。科学技術庁宇宙開発推進本部長(1965年-1967年)。東京生まれ。 | ||
東京工科大学出身 出身の東京工科大学の出身者 全国の東京工科大学の出身者 | ||
105 | 大森寛 | Wikipedia |
大森 寛(おおもり かん、1908年(明治41年) - 2002年(平成14年)6月18日)は、青森県出身の旧内務省官僚及び陸上自衛官。東京帝国大学昭和5年度卒業。第4代陸上幕僚長。息子に大森義夫(内閣情報調査室長)、大森敬治(防衛施設庁長官、内閣官房副長官補、駐オマーン大使)。旧姓・石岡。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
106 | 鈴木英 | Wikipedia |
鈴木 英(すずき すぐる、1908年(明治41年) 4月1日 - 1985年(昭和60年)9月18日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。太平洋戦争において軍令部作戦課員などを務め、戦後は海上自衛隊に入隊。最終階級は日本海軍では海軍中佐、海自では海将。父は鈴木孝雄陸軍大将で、その次男。妻は岡田啓介首相の娘、喜美子。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
107 | 山地八郎 | Wikipedia |
山地八郎(やまじ はちろう 1908年10月1日 - 1999年6月9日)は、日本の元商工・通産官僚。長崎県南高来郡口之津町出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
108 | 軽部弥生一 | Wikipedia |
軽部弥生一(かるべ やよいち、1908年 - 1989年7月2日)は、日本の官僚。福井県出身。 | ||
109 | 細川泉一郎 | Wikipedia |
細川 泉一郎(ほそかわ せんいちろう 1908年8月22日 - 2000年5月1日)は、元日本国有鉄道常務、技師。元日本車輌製造副社長。 | ||
110 | 松本重雄 | Wikipedia |
松本重雄(まつもと しげお 1908年4月15日 - 1992年11月14日)は、日本銀行の理事。 | ||
111 | 有坂秀世 | Wikipedia |
有坂 秀世(ありさか ひでよ、1908年(明治41年)9月5日 - 1952年(昭和27年)3月13日)は、日本の言語学者、日本語学者。日本語の音韻史や音韻論に関して業績を遺した。上代特殊仮名遣に関する有坂の法則で知られる。父は軍人の有坂鉊蔵。 | ||
112 | 筧泰彦 | Wikipedia |
筧 泰彦(かけひ やすひこ、1908年 - 2000年1月11日)は、日本の思想史学者・倫理学者・国体学者・神道思想家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
113 | 原島鮮 | Wikipedia |
原島 鮮(はらしま あきら、1908年(明治41年) 2月18日 - 1986年(昭和61年) 12月26日)は、日本の物理学者、教育者。東京帝国大学理学博士、東京工業大学名誉教授。分かりやすい教科書執筆に定評があり、物性論や統計力学、特に表面張力の研究に取り組んだ[3][4]。旧制第一高等学校、九州帝国大学、東京工業大学、国際基督教大学、東京神学大学で教授を歴任し、東京女子大学では学長を務めた。実子に原島文雄がいる[3]。クリスチャンであり、温厚な人柄で知られた[4]。 | ||
114 | 大林清 | Wikipedia |
大林清(おおばやし きよし、1908年4月25日 - 1999年10月27日)は東京出身の作家。 | ||
115 | 田岡典夫 | Wikipedia |
田岡 典夫(たおか のりお、1908年9月1日 - 1982年4月7日)は高知県出身の小説家。 | ||
116 | 岩倉具方 | Wikipedia |
岩倉 具方(いわくら ともかた、1908年1月17日 - 1937年10月14日)は洋画家。公爵岩倉具張の三男。母方の祖父は西郷従道。 | ||
117 | 松田文雄 | Wikipedia |
松田 文雄(まつだ ふみお、1908年3月9日 - 1971年7月9日)は、日本の洋画家。一水会会員。 | ||
118 | 吉田精一 | Wikipedia |
吉田 精一(よしだ せいいち、1908年〈明治41年〉11月12日 - 1984年〈昭和59年〉6月9日)は、日本の国文学者。近代文学専攻。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
119 | 吉村順三 | Wikipedia |
吉村 順三(よしむら じゅんぞう、1908年9月7日 - 1997年4月11日)は日本の建築家。皇居新宮殿の建設に関わった。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
120 | 宮城音弥 | Wikipedia |
宮城 音弥(みやぎ おとや、1908年3月8日 - 2005年11月26日)は、日本の心理学者。東京工業大学名誉教授。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
121 | 東郷正延 | Wikipedia |
東郷正延(とうごう まさのぶ、1908年7月13日- 2002年2月13日)は、日本のロシア語学者。 | ||
122 | 日野開三郎 | Wikipedia |
日野 開三郎(ひの かいさぶろう、1908年5月11日 - 1989年9月29日)は、昭和期の東洋史学者。愛媛県伊予郡(現在の伊予市)出身。 | ||
123 | 平田陽一郎 | Wikipedia |
平田 陽一郎(ひらた よういちろう、1908年11月1日 - 1988年10月10日)は、日本のジャーナリスト、実業家。 | ||
124 | 江頭豊 | Wikipedia |
江頭 豊(えがしら ゆたか、1908年(明治41年)1月16日 - 2006年(平成18年)9月24日)は、日本の実業家。チッソ株式会社の社長(1964年12月 - 1971年7月)として水俣病問題の対応にあたった。皇太子徳仁親王妃雅子の母方の祖父。学位は法学士(東京帝国大学)。 | ||
信州大学出身 出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
125 | 松田道雄 | Wikipedia |
松田 道雄(まつだ みちお、1908年10月26日 - 1998年6月1日)は日本の医師・育児評論家・歴史家。著述家・マジック研究家の松田道弘は息子。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
126 | 野田英夫 | Wikipedia |
野田 英夫(のだ ひでお、1908年7月15日 - 1939年1月12日)は、洋画家。アメリカ合衆国生まれの日系人。 | ||
127 | 井上義海 | Wikipedia |
井上 義海(いのうえ よしみ、1908年(明治41年)3月26日 - 2000年(平成12年)4月22日)は、広島県出身の官僚、実業家。大蔵省印刷局長、神戸製鋼所社長などを務めた。 | ||
128 | 高橋敏雄 | Wikipedia |
高橋 敏雄(たかはし としお、明治41年(1908年)1月13日 - 不明)は、広島県広島市出身の実業家・経営者である。萬国製針二代目社長・会長を歴任。父は萬国製針創業者の高橋誠太郎。 | ||
129 | 茂田井武 | Wikipedia |
茂田井 武(もたい たけし、1908年9月29日 - 1956年11月2日)は、昭和時代に活躍した日本の童画家。 | ||
130 | 柳致環 | Wikipedia |
柳致環(りゅうちかん、1908年陰暦7月14日‐1967年2月13日)は、朝鮮の詩人。号は青馬。柳は死と虚無を前にして人間の存在と意味を探し求めた。「詩人になった動機はなんだと問われたら、ためらうことなく恋愛であると答える」と述べた柳の詩は、恋愛の末に結婚した妻、権在順に宛てた恋文であった。 | ||
131 | 窪田章一郎 | Wikipedia |
窪田 章一郎(くぼた しょういちろう、1908年8月1日 - 2001年4月15日)は、歌人。窪田空穂の長男として東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)南榎町に生まれる。旧制私立豊山中学校(日本大学豊山高等学校)四年修了後、早稲田大学文学部国文科卒。1943年、武川忠一らが創設した早稲田大学短歌会に指導役として参加。そこから発展した歌誌『まひる野』を創刊主宰した。早稲田大学講師、教授、名誉教授を歴任。国文学者としては西行研究の第一人者であった。 | ||
132 | 永野鎮雄 | Wikipedia |
永野 鎮雄(ながの ちんゆう、1908年7月 - 1982年12月7日)は、日本の僧侶、参議院議員(1期)。広島県出身。戦後、政財界で活躍した永野一族の一人。 | ||
133 | 藤田明 | Wikipedia |
藤田 明(ふじた あきら、1908年1月1日 - 2001年5月29日)は、日本の水泳・水球選手。ロサンゼルス五輪(1932年)水球日本代表選手主将兼コーチ。元日本水泳連盟会長。実業家、元日本ゼオン専務、関東ゴム社長。早稲田大学商学部卒業。広島県広島市出身。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
134 | 清宮博 広島市 | Wikipedia |
清宮 博(せいみや ひろし、1908年8月6日 - 1976年4月27日)は電気工学者、実業家。元富士通社長、会長。日本のコンピューターパイオニアの一人。旧姓根岸。 | ||
135 | 植田敏郎 広島市 | Wikipedia |
植田 敏郎(うえだ としろう、1908年1月17日 - 1992年10月21日)は、ドイツ文学者、翻訳家。 | ||
136 | 藤田良雄 | Wikipedia |
藤田 良雄(ふじた よしお、1908年9月28日 - 2013年1月9日)は、日本の天文学者。東京大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
137 | 安松京三 | Wikipedia |
安松 京三(やすまつ けいぞう、1908年(明治41年)3月1日 - 1983年(昭和58年)1月25日)は、日本の昆虫学者。九州大学名誉教授。日本における天敵による害虫防除の草分け。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
138 | 寺田竹雄 | Wikipedia |
寺田 竹雄(てらだ たけお、1908年4月27日 - 1993年9月10日)は、洋画家。日本芸術院会員。 | ||
139 | 大沼康 | Wikipedia |
大沼 康(おおぬま こう、1908年(明治41年)4月8日 - 1959年(昭和34年)1月12日)は、日本の政治家である。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
140 | 大池唯雄 | Wikipedia |
大池 唯雄(おおいけ ただお、1908年10月30日 - 1970年5月27日 )は、日本の作家。本名は小池忠雄(こいけ ただお)。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
141 | 梅沢純夫 | Wikipedia |
梅澤 純夫(うめざわ すみお、1908年11月22日 - 2000年3月30日)は、日本の有機合成化学者。専門は抗生物質。慶應義塾大学名誉教授。 | ||
142 | 高橋外喜雄 | Wikipedia |
高橋 外喜雄(たかはし ときお 1908年 - 1944年11月18日)は、日本の元アマチュア野球選手。東京都出身。 | ||
143 | 井深大 日光市 | Wikipedia |
井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日 - 1997年(平成9年)12月19日)は、日本の電子技術者および実業家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
144 | 植草甚一 | Wikipedia |
植草 甚一(うえくさ じんいち、1908年(明治41年)8月8日 - 1979年(昭和54年)12月2日)は、欧米文学、ジャズ、映画の評論家。通称“J・J氏”。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
145 | 田岡典夫 | Wikipedia |
田岡 典夫(たおか のりお、1908年9月1日 - 1982年4月7日)は高知県出身の小説家。 | ||
146 | 藤田明 | Wikipedia |
藤田 明(ふじた あきら、1908年1月1日 - 2001年5月29日)は、日本の水泳・水球選手。ロサンゼルス五輪(1932年)水球日本代表選手主将兼コーチ。元日本水泳連盟会長。実業家、元日本ゼオン専務、関東ゴム社長。早稲田大学商学部卒業。広島県広島市出身。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
147 | 佐藤次郎 | Wikipedia |
佐藤 次郎(さとう じろう, 1908年(明治41年)1月5日 - 1934年(昭和9年)4月5日)は、日本の男子テニス選手。1930年代前半にグランドスラムシングルスベスト4、ウィンブルドン選手権ダブルス準優勝、全豪オープン混合ダブルス準優勝など国際的に活躍したが、現役中に26歳で自ら命を断った。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
148 | 亀井文夫 | Wikipedia |
亀井 文夫(かめい ふみお、1908年4月1日-1987年2月27日)は、日本の映画監督。 | ||
149 | 木下繁 | Wikipedia |
木下 繁(きのした しげる、1908年4月25日 - 1988年8月4日)は、日本の彫刻家。日本芸術院会員。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 |