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このサイトに登録されている「東京都出身で1903年生まれ」の有名人の数:48人
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1 | 原弘 飯田市 | Wikipedia |
原 弘(はら ひろむ、1903年6月22日 - 1986年3月26日)は昭和期の日本を代表するグラフィックデザイナーの一人。 | ||
2 | 石垣綾子 | Wikipedia |
石垣 綾子(いしがき あやこ、1903年9月21日 - 1996年11月12日)は、日本の評論家、社会運動家。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
3 | 森茉莉 | Wikipedia |
森 茉莉(もり まり、1903年(明治36年)1月7日 - 1987年(昭和62年)6月6日)は、日本の小説家、エッセイスト。翻訳も行っている。 | ||
4 | 磯村英一 | Wikipedia |
磯村 英一(いそむら えいいち、1903年1月10日 - 1997年4月5日)は、日本の都市社会学研究者。 | ||
東洋大学出身 東京都出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 | ||
5 | 加瀬俊一 | Wikipedia |
加瀬 俊一(かせ としかず、1903年(明治36年)1月12日 - 2004年(平成16年)5月21日)は、日本の外交官、外交評論家。第二次世界大戦前後に活躍し、国際連合加盟後初の国連大使や外務省顧問、内閣総理大臣顧問などを歴任した。外交評論家の加瀬英明は息子。 | ||
一橋大学出身 東京都出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
6 | 横田豊秋 | Wikipedia |
横田 豊秋(よこた とよあき、1903年8月27日 - 1936年8月28日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優である。本名同じ。撮影助手、撮影技師、助監督、監督、脚本家を経て、映画スターになった稀有な人材である。脚本家・俳優としての名は宇留木 浩(うるき ひろし)である。 | ||
7 | 玉井操 | Wikipedia |
玉井 操 (たまい みさお、1903年12月16日 - 1978年12月23日)は、日本の実業家、サッカー選手。玉井商船社長 (2代目)、日本船主協会副会長、日本サッカー協会副会長などを歴任した。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
8 | 香淳皇后 | Wikipedia |
香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年(明治36年)3月6日 - 2000年(平成12年)6月16日)は、昭和天皇の皇后。今上天皇の実母。名は良子(ながこ)、久邇宮家出身で、皇后となる以前の身位は女王。 | ||
9 | 近藤真柄 | Wikipedia |
近藤 真柄(こんどう まがら、別名・筆名: 堺真柄・近藤真柄、旧姓戸籍名: 堺マガラ、最初の結婚改姓戸籍名: 高瀬マガラ、第2の結婚改姓戸籍名: 近藤マガラ、女性、1903年1月30日 - 1983年3月18日)は、社会主義者、婦人運動家、フェミニスト。 | ||
10 | 清川玉枝 | Wikipedia |
清川 玉枝(きよかわ たまえ、1903年5月24日 - 1969年1月21日)は、日本の女優。 | ||
11 | 田中彰治 | Wikipedia |
田中 彰治(たなか しょうじ、1903年6月18日 - 1975年11月28日)は日本の政治家。元衆議院議員(自由民主党・7期)。政界の爆弾男として鳴らし時の政権でさえ無視できないほどの影響力を誇ったが、黒い霧事件で失脚した。 | ||
12 | 入江啓四郎 | Wikipedia |
入江 啓四郎(いりえ けいしろう、1903年4月20日 - 1978年8月13日)は、日本の国際法学者。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
13 | 繪島千歌子 | Wikipedia |
繪島 千歌子(えじま ちかこ、1903年2月8日 - 没年不詳)は、日本の女優である[4][5][6]。新漢字表記絵島 千歌子、本名・旧芸名東 八重子(あずま やえこ)[4][6]。 | ||
14 | 蜂須賀正氏 熱海市 | Wikipedia |
蜂須賀 正氏(はちすか まさうじ、1903年2月15日 - 1953年5月14日)は、日本の鳥類学者、華族(侯爵)、貴族院議員、探検家、飛行家。絶滅鳥ドードー研究の権威として知られた他、沖縄本島と宮古島との間に引かれた生物地理学上の線である蜂須賀線に名をとどめている。 | ||
ケンブリッジ大学モードリン・カレッジ出身 東京都出身のケンブリッジ大学モードリン・カレッジの出身者 全国のケンブリッジ大学モードリン・カレッジの出身者 | ||
15 | 竹内良一 | Wikipedia |
竹内 良一(たけうち りょういち、1903年11月13日 - 1959年1月18日)は、日本の俳優。本名は外松 良一(とまつ りょういち)。旧芸名は竹内 良作(たけうち りょうさく)。実妹は舞台女優の竹内京子。 | ||
16 | 澤蘭子 仙台市 | Wikipedia |
澤 蘭子(さわ らんこ、1903年7月25日 - 2003年1月11日)は、日本の女優である[4][5][6][7][8][9]。新漢字表記沢 蘭子[4][5][6][8]。出生名澤 靜子(さわ しずこ)、松本四良との婚姻時の本名は松本 静子(まつもと しずこ)[7]、死去時の本名は澤 志づ子(さわ しづこ)、旧芸名泉 らん子(いずみ らんこ)、泉 蘭子(いずみ らんこ)[4]、澤 らん子(さわ らんこ)[4][5]。帝国キネマ演芸が製作・配給して大ヒットとなったサイレント映画『籠の鳥』(1924年)のヒロインとして知られる。 | ||
17 | 松田壽男 | Wikipedia |
松田 壽男(まつだ ひさお、1903年11月15日- 1982年3月10日)は、東洋史学者。 | ||
東京帝国大学出身 東京都出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
18 | 佐野一彦 | Wikipedia |
佐野 一彦(さの かずひこ、1903年12月19日 - 1997年1月10日)は、日本の哲学者、民俗学者。東京府出身。旧制神戸商業大学(現神戸大学)元教授、愛知県立芸術大学元教授。 | ||
一橋大学出身 東京都出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
19 | 吉沢一郎 | Wikipedia |
吉沢一郎(よしざわ いちろう、1903年 – 1998年1月22日)は、日本の登山家。一橋大学山岳部出身。1977年、吉沢が総指揮を取った日本登山隊はK2登頂を試みて成功し、これが世界で2番目のK2登頂成功例となった。 | ||
明治大学出身 東京都出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
20 | 石垣綾子 | Wikipedia |
石垣 綾子(いしがき あやこ、1903年9月21日 - 1996年11月12日)は、日本の評論家、社会運動家。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
21 | 下村三郎 | Wikipedia |
下村 三郎(しもむら かずお、1903年1月2日 - 1980年8月4日)は日本の裁判官。弁護士。最高裁判所判事。東京都出身。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
22 | 正田英三郎 館林市 | Wikipedia |
正田 英三郎(しょうだ ひでさぶろう、1903年9月21日 - 1999年6月18日)は日本の実業家。群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。 | ||
一橋大学出身 東京都出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
23 | 岸本英夫 | Wikipedia |
岸本 英夫(きしもと ひでお、1903年6月27日 - 1964年1月25日)は、日本の宗教学者。東京大学図書館の館長、東京大学教授などを歴任。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
24 | 芳賀檀 | Wikipedia |
芳賀 檀(はが まゆみ、1903年7月6日 - 1991年8月15日)は、日本の評論家、ドイツ文学者。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
25 | 諸井三郎 | Wikipedia |
諸井 三郎(もろい さぶろう、1903年8月7日 - 1977年3月24日)は、日本の作曲家。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
26 | 中島健蔵 千代田区 | Wikipedia |
中島 健蔵(なかじま けんぞう、1903年(明治36年)2月21日 - 1979年(昭和54年)6月11日)は、フランス文学者、文芸評論家。ヴァレリーやボードレールなどを翻訳紹介する一方、当時まだ無名だった宮澤賢治の作品に光を当て、戦後はいわゆる進歩的知識人の一人として反戦平和運動に貢献すると共に、日本文芸家協会の再建や著作権保護、日中の文化交流に尽力した。中国切手の世界的なコレクターとしても有名である。 | ||
信州大学出身 東京都出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
27 | 正木千冬 | Wikipedia |
正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月10日 - 1982年(昭和57年)4月6日)は、日本の経済学者、官僚、ジャーナリスト、政治家(鎌倉市長)。 | ||
28 | 石田英一郎 | Wikipedia |
石田 英一郎(いしだ えいいちろう、1903年6月30日 - 1968年11月9日)は、日本の文化人類学者・民族学者。元男爵。 | ||
京都帝国大学出身 東京都出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
29 | 神西清 | Wikipedia |
神西 清(じんざい きよし、1903年11月15日 - 1957年3月11日)は、日本のロシア文学者、翻訳家、小説家、文芸評論家。 | ||
東京外国語大学出身 東京都出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
30 | 竹山道雄 | Wikipedia |
竹山 道雄(たけやま みちお、1903年7月17日 - 1984年6月15日)は、日本の評論家、ドイツ文学者、小説家。日本芸術院会員。第一高等学校教授、東京大学教養学部教授などを歴任した。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
31 | 川喜多長政 | Wikipedia |
川喜多 長政(かわきた ながまさ、1903年4月30日 - 1981年5月24日)は、映画製作者、輸入業者。国際的映画人として、とくにアジアでは絶大な信用を有した。妻で長政以上の国際的知名度を持つ「日本映画の母」かしこ、娘の和子(伊丹十三の最初の妻)とともに「川喜多家の三人」として記憶される。 | ||
32 | 野中四郎 | Wikipedia |
野中 四郎(のなか しろう、1903年(明治36年)10月27日 - 1936年(昭和11年)2月29日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
陸軍士官学校出身 東京都出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
33 | 曾禰益 | Wikipedia |
曾禰 益(新字体:曽祢 益、そね えき、1903年12月5日 - 1980年4月25日)は、日本の官僚・政治家。正三位勲一等。妻は東急グループの創業者である五島慶太の長女・春子である。 | ||
34 | 加瀬俊一 | Wikipedia |
加瀬 俊一(かせ としかず、1903年(明治36年)1月12日 - 2004年(平成16年)5月21日)は、日本の外交官、外交評論家。第二次世界大戦前後に活躍し、国際連合加盟後初の国連大使や外務省顧問、内閣総理大臣顧問などを歴任した。外交評論家の加瀬英明は息子。 | ||
一橋大学出身 東京都出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
35 | 鈴木松雄 | Wikipedia |
鈴木 松雄(すずき まつお、1903年(明治36年) - 1978年(昭和53年)9月6日)は、日本の実業家、工学者。東京工業大学電気工学科教授。工学博士(東京帝国大学)。昭和電線電䌫(現・昭和電線ホールディングス)社長・会長・相談役やCQ出版社長、多摩電気工業(現・KOA (企業))社長などを歴任した。 | ||
36 | 畑良一 | Wikipedia |
畑良一(はた りょういち 1903年 - 1969年9月27日)は、野崎産業(現 JFE商事)元会長。 | ||
37 | 柳川真文 | Wikipedia |
柳川 真文(やながわ まふみ 1903年3月21日 - 1985年12月6日)は、日本の検察官。大阪高等検察庁検事長、法務総裁官房長。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
38 | 田中於菟弥 | Wikipedia |
田中 於菟弥(田中 於兎弥、たなか おとや、1903年9月24日 - 1989年7月12日)は、インド文学者。 | ||
39 | 藤岡由夫 | Wikipedia |
藤岡 由夫(ふじおか よしお、1903年3月6日 - 1976年3月13日)は、日本の物理学者。 | ||
40 | 佐藤昌 | Wikipedia |
佐藤 昌(さとう あきら、1903年10月2日 - 2003年7月19日)は、日本の造園家。都市計画家。官庁造園技師として日本国内や戦前の満州で多くの公園緑地計画と都市の計画設計に携わる。ほか都市計画研究所主宰、音楽評論の分野でも活躍。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
41 | 岩崎昶 | Wikipedia |
岩崎 昶(いわさき あきら、1903年11月18日 - 1981年9月16日)は映画評論家で映画製作者。啓蒙的批評家の一人であり左翼陣営の戦闘的映画人と目される。スポーツマンで良き家庭人であったという。 | ||
42 | 黒井明 | Wikipedia |
黒井 明(くろい あきら、1903年(明治36年)5月27日 - 1933年(昭和8年)3月10日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。水上機機長としての不時着水時の行動で責任感の鑑と称えられた。のちに殉職し最終階級は海軍少佐。 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
43 | 宇佐美毅 | Wikipedia |
宇佐美 毅(うさみ たけし、1903年(明治36年)12月9日 - 1991年(平成3年)1月19日)は、日本の官僚。第2代宮内庁長官。従二位勲一等旭日大綬章。 | ||
東京学芸大学出身 東京都出身の東京学芸大学の出身者 全国の東京学芸大学の出身者 | ||
44 | 池田潔 | Wikipedia |
池田 潔(いけだ きよし、1903年10月4日 - 1990年3月14日)は、日本のイギリス文学者、評論家、随筆家である。 | ||
静岡県立大学出身 東京都出身の静岡県立大学の出身者 全国の静岡県立大学の出身者 | ||
45 | 齊藤金作 | Wikipedia |
齊藤 金作(さいとう きんさく、1903年2月6日 - 1969年11月25日)は、日本の刑法学者。従四位勲三等旭日中綬章。埼玉県出身。 | ||
46 | サトウハチロー 新宿区 | Wikipedia |
サトウ ハチロー(1903年(明治36年)5月23日 - 1973年(昭和48年)11月13日)は、日本の詩人、童謡作詞家、作家。本名は佐藤 八郎(さとう はちろう)。多くの別名を用いており、陸奥速男、山野三郎、玉川映二、星野貞志、清水操六、清水士郎、清水洋一郎、並木せんざ、江川真夫、熱田房夫、倉仲佳人、倉仲房雄、などがある。旧制早稲田中学校(現早稲田中学校・高等学校)中退。作家の佐藤愛子は異母妹にあたる。 | ||
47 | 古川緑波 | Wikipedia |
古川 ロッパ(ふるかわ ろっぱ 、古川 緑波とも、1903年(明治36年)8月13日 - 1961年(昭和36年) 1月16日)は、1930年代の日本の代表的コメディアン。編集者、エッセイストとしても活動した。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
48 | 中野好夫 | Wikipedia |
中野 好夫(なかの よしお、1903年(明治36年)8月2日 - 1985年(昭和60年)2月20日)は、日本の英文学者、評論家。英米文学翻訳者の泰斗であり、訳文の闊達さでも知られている。 |