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1 | 板垣直子 | Wikipedia |
板垣 直子(いたがき なおこ、1896年11月18日 - 1977年1月21日)は、日本の文芸評論家、日本近代文学研究家。青森県北津軽郡栄村湊(現五所川原市)に平山兼吉の次女「なを」として生まれる。青森県立弘前高等女学校、日本女子大学校英文科卒、1921年、東京帝国大学の第一回女子聴講生となる。美学、哲学を聴講。美術評論家の板垣鷹穂と結婚。夏目漱石などについて多くの著述を行った。 | ||
日本女子大学出身 出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
2 | 宮沢賢治 | Wikipedia |
宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治、1896年8月27日 - 1933年9月21日)は、日本の詩人、童話作家。 | ||
岩手大学出身 出身の岩手大学の出身者 全国の岩手大学の出身者 | ||
3 | 奈良真養 大館市 | Wikipedia |
奈良 真養(なら しんよう、1896年11月30日 - 1977年11月26日)は、日本の映画俳優。 | ||
4 | 川井巌 山形市 | Wikipedia |
川井 巌(かわい いわお、1896年(明治29年)9月2日 - 1972年(昭和47年)5月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県山形市出身。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
5 | 菊池朝三 | Wikipedia |
菊池 朝三(きくち ともぞう、1896年11月22日 - 1988年1月31日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。茨城県土浦市議会議員。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
6 | 安岡正光 梁川町 | Wikipedia |
安岡 正光(やすおか まさみつ、1896年(明治29年)2月15月 - 1962年(昭和37年)4月20日)は、日本の内務・警察官僚。官選山梨県知事。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
7 | 渡辺寧 久慈町 | Wikipedia |
渡辺 寧(わたなべ やすし、1896年11月15日 - 1976年11月17日)は、電子工学者。茨城県生まれ。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
8 | 吉屋信子 | Wikipedia |
吉屋 信子(よしや のぶこ、1896年(明治29年)1月12日 - 1973年(昭和48年)7月11日)は、1920年代から1970年代前半にかけて活躍した、日本の小説家である。 | ||
9 | 畑桃作 富岡市 | Wikipedia |
畑 桃作(はた ももさく、1896年7月10日 - 1949年3月5日)は、日本の政治家。衆議院議員。 | ||
10 | 等松農夫蔵 | Wikipedia |
等松 農夫蔵(とうまつ のぶぞう、明治29年(1896年)4月25日 - 昭和55年(1980年)12月28日)は、大日本帝国海軍海軍主計少将。のち、現在の有限責任監査法人トーマツを設立した。海軍経理学校卒業。 | ||
海軍経理学校出身 出身の海軍経理学校の出身者 全国の海軍経理学校の出身者 | ||
11 | 麻生磯次 | Wikipedia |
麻生 磯次(あそう いそじ、1896年(明治29年)7月21日 - 1979年(昭和54年)9月9日)は、日本の国文学者。 | ||
学習院大学出身 出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
12 | 小野田千代太郎 | Wikipedia |
小野田 千代太郎(おのだ ちよたろう、1896年(明治29年)3月18日- 1944年(昭和19年)1月11日)は、日本の囲碁棋士。東京出身、方円社、日本棋院、棋正社などに所属、八段。院社対抗戦などで活躍し、強腕で鬼田強太郎の異名を取った。登山家としても著名。 | ||
13 | 中原和郎 湯梨浜町 | Wikipedia |
中原 和郎(なかはら わろう、1896年1月16日 - 1976年1月21日)は、日本の生化学者。医学博士。日本学士院会員。がんの生化学的研究で知られる。 | ||
コーネル大学出身 出身のコーネル大学の出身者 全国のコーネル大学の出身者 | ||
14 | 大川博 | Wikipedia |
大川 博(おおかわ ひろし、1896年(明治29年)12月30日 - 1971年(昭和46年)8月17日)は、日本の実業家、映画製作者、プロ野球オーナー。東映の事実上の創業者である。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
15 | 正邦宏 | Wikipedia |
正邦 宏(まさくに ひろし、1896年4月25日 - 1928年6月1日)は、日本の俳優である[4][5][6][7]。本名金子 政國(かねこ まさくに)[8]。伊庭孝門下の新劇の舞台俳優から、時代劇も含めた映画俳優に転向、「和製ロイド」(ハロルド・ロイド)として人気を博したが、早世した[8]。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
16 | 高木永二 神戸市 | Wikipedia |
高木 永二(たかぎ えいじ、1896年12月28日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[4][5][6][7]。本名高木 英二。『大地は微笑む』の主演、『新版大岡政談』、『織田信長』の助演で知られる。 | ||
17 | 小西得郎 | Wikipedia |
小西 得郎(こにし とくろう、1896年7月10日 - 1977年6月9日)は、昭和期のプロ野球監督、野球解説者。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
18 | 蜂須賀年子 | Wikipedia |
蜂須賀 年子(はちすか としこ、1896年12月 - 1970年12月29日)は、東京都出身のデザイナー。教育者。父は蜂須賀正韶。母は筆子。外祖父は徳川慶喜。 | ||
19 | 犬養健 | Wikipedia |
犬養 健(いぬかい たける、1896年(明治29年)7月28日 - 1960年(昭和35年)8月28日)は、日本の政治家、小説家。正三位勲一等。首相在任中に暗殺された犬養毅の三男にあたる。法務大臣(第2代・第3代)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
20 | 松隈秀雄 | Wikipedia |
松隈 秀雄(まつくま ひでお、1896年6月10日 - 1989年9月30日)は、日本の大蔵官僚。大蔵次官、日本専売公社総裁。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
21 | 木村健二郎 弘前市 | Wikipedia |
木村 健二郎(きむら けんじろう、1896年5月12日 - 1988年10月12日)は、日本の分析化学者。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
22 | 坂西志保 | Wikipedia |
坂西 志保(さかにし しほ、1896年(明治29年)12月6日 - 1976年(昭和51年)1月14日)は、学者、評論家。なお、名についてしおとする資料もある。 坂西志保自身の英文署名には「Shio」、日本語署名には「志保」を用いており「しほ」はその読みである。戸籍には「シホ」とある。「志保」は聖書の「地の塩」による。因みに、志保の誕生した頃の聖書の当時の表記は「塩(しほ)」であるが、その後聖書翻訳の改訂があり「しお」と表記される。 | ||
東京女子大学出身 出身の東京女子大学の出身者 全国の東京女子大学の出身者 | ||
23 | 佐藤芳男 新潟市 | Wikipedia |
佐藤 芳男(さとう よしお、1896年9月 - 1967年8月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
24 | 宇田新太郎 入善町 | Wikipedia |
宇田 新太郎(うだ しんたろう、1896年(明治29年)6月1日 - 1976年(昭和51年)8月18日)は、日本の工学者。元東北帝国大学教授。専門は無線工学で、八木・宇田アンテナの発明者として知られる。 | ||
東北帝国大学出身 出身の東北帝国大学の出身者 全国の東北帝国大学の出身者 | ||
25 | 谷口輝子 高岡市 | Wikipedia |
谷口 輝子(たにぐち てるこ、1896年3月7日 - 1988年4月24日)は日本の宗教家。生長の家創始者谷口雅春の妻で、生長の家白鳩会初代総裁。富山県高岡市出身。富山県立高岡高等女学校卒業。旧姓江守。 | ||
26 | 森島守人 金沢市 | Wikipedia |
森島 守人(もりしま もりと、1896年2月16日 - 1975年2月17日)は日本の外交官、政治家。衆議院議員(3期)。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
27 | 木内曽益 | Wikipedia |
木内 曽益(木内 曾益、きうち つねのり、1896年1月22日 - 1976年6月30日)は、日本の検察官。血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件で主任検事を務め、戦後東京地方検察庁検事正、最高検察庁次長検事などを歴任した。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
28 | 宮入近治 | Wikipedia |
宮入 近治(みやいり ちかじ、1896年 - 1963年6月24日)は日本の実業家、生物学者。 | ||
千葉大学出身 出身の千葉大学の出身者 全国の千葉大学の出身者 | ||
29 | 大池眞 山形村 | Wikipedia |
大池 眞(おおいけ まこと、1896年1月5日 - 1990年7月5日)は、日本の官僚。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
30 | 大下宇陀児 箕輪町 | Wikipedia |
大下 宇陀児(おおした うだる、1896年(明治29年)11月15日 - 1966年(昭和41年)8月11日)は日本の探偵小説作家。本名、木下龍夫。別名、XYZ。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
31 | 吉田正 池田町 | Wikipedia |
吉田 正(よしだ ただし、1896年10月20日 - 1969年8月19日)は、日本の政治家。実業家。 | ||
愛知大学出身 出身の愛知大学の出身者 全国の愛知大学の出身者 | ||
32 | 海野厚 静岡市 | Wikipedia |
海野 厚(うんの あつし、1896年8月12日 - 1925年5月20日)は、童謡作家、俳人。本名は厚一(こういち)。俳号は長頸子(ちょうけいし)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
33 | 芹沢光治良 沼津市 | Wikipedia |
芹沢 光治良(せりざわ こうじろう、1896年(明治29年)5月4日 - 1993年(平成5年)3月23日)は日本の小説家。静岡県沼津市名誉市民。 晩年には、「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」との信念に拠り、"神シリーズ"と呼ばれる、神を題材にした一連の作品で独特な神秘的世界を描いた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
34 | 岡部金治郎 | Wikipedia |
岡部 金治郎(おかべ きんじろう、1896年3月27日 - 1984年4月8日)は、日本の工学者。専門は電子工学。マグネトロンを実用的なマイクロ波源とする分割陽極マグネトロンを発明した。大阪帝国大学、近畿大学などで教授を歴任。文化勲章の受章者。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
35 | 加藤謙一 弘前市 | Wikipedia |
加藤 謙一(かとう けんいち、1896年5月28日 - 1975年6月30日)は昭和期の雑誌編集者。戦前は『少年倶楽部』の編集長を務め、戦後は独力で起こした学童社から『漫画少年』を編集・刊行し、多くの漫画家を世に送り出した。 | ||
36 | 横田喜三郎 | Wikipedia |
横田 喜三郎(よこた きさぶろう、1896年(明治29年)8月6日 - 1993年(平成5年)2月17日)は、日本の国際法学者、第3代最高裁判所長官。学位は法学博士(東京帝国大学)。栄典は従二位・勲一等・文化勲章・文化功労者・紺綬褒章・江南市名誉市民など。国務大臣を務めた猪口邦子は孫にあたる。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
37 | 片岡恒一 四日市市 | Wikipedia |
片岡 恒一(かたおか つねかず、1896年(明治29年)4月19日 - 1952年(昭和27年)4月7日)は、三重県三重郡富洲原町(現在の四日市市富洲原地区)富田一色出身の衆議院議員。地方議員(三重県議会議員・四日市市議会議員)。三重郡富洲原町の教育者。 | ||
早稲田大学出身 出身の 早稲田大学の出身者 全国の 早稲田大学の出身者 | ||
38 | 桃井直美 | Wikipedia |
桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10日 - 1966年(昭和41年)1月9日)は日本の政治家、内務官僚。官選岐阜県知事、公選高知県知事。旧姓・公文。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
39 | 福田敬太郎 | Wikipedia |
福田 敬太郎(ふくだ けいたろう、1896年 - 1980年1月15日)は、大阪府出身の日本の商学者、経済学者である。商学博士、神戸大学名誉教授、神戸大学学長(第3代、在任:1959年12月16日 - 1963年12月15日)、教授、名古屋学院大学初代学長。商学を体系化した。弟子は荒川祐吉。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
40 | 横山エンタツ 三田市 | Wikipedia |
横山 エンタツ(よこやま エンタツ、1896年(明治29年)4月22日 - 1971年(昭和46年)3月21日)は、大正・昭和期の漫才師・俳優である。本名:石田 正見(いしだ まさみ)。花菱アチャコとのコンビ(エンタツ・アチャコ)で、「万才」に代わり、「しゃべくり漫才」を発明。今につながる漫才ブームを作った。現在の(全国的に流布した)漫才スタイルの元祖である。漫才作家秋田實の良き相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。吉本新喜劇初期の出演者でもある。 | ||
41 | 鹿島守之助 たつの市 | Wikipedia |
鹿島 守之助(かじま もりのすけ、明治29年(1896年)2月2日 - 昭和50年(1975年)12月3日は、日本の外交官、実業家、政治家、外交史研究家。法学博士。鹿島建設会長。鹿島建設「中興の祖」。参議院議員を18年間務める。第1次岸内閣の国務大臣北海道開発庁長官。文化功労者。戦前よりアジアの地域統合「パン・アジア」(汎アジア)を提唱し、生涯にわたりその思想のもとに行動する。旧姓永富(ながとみ)。 | ||
東京帝国大学出身 出身の 東京帝国大学の出身者 全国の 東京帝国大学の出身者 | ||
42 | 猪口敏平 鳥取市 | Wikipedia |
猪口 敏平(いのぐち としひら、1896年(明治29年)8月11日 - 1944年(昭和19年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦武蔵最後の艦長として知られる。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
43 | 前田寛治 北栄町 | Wikipedia |
前田 寛治(まえた かんじ、1896年10月1日 - 1930年4月16日)は日本の洋画家。人物写実画の名手として知られ、33歳という若さで早逝し10年に満たない短い活動期間であったが、彼の古典的構図でのフォーヴィスム的筆致が「前寛ばり」という流行語を生むなど当時の芸術家に多大な影響を与えた。 なお、名字の読みは「まえた」である。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
44 | 岸信介 田布施町 | Wikipedia |
岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣(第56・57代)などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
45 | 竹内俊一 | Wikipedia |
竹内 俊一(たけうち しゅんいち、1896年1月17日 - 1976年10月26日)は日本の実業家。三菱石油(現JXTGホールディングス)社長・会長や、石油連盟会長を務めた。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
46 | 福田邦三 | Wikipedia |
福田 邦三(ふくだ くにぞう、1896年12月20日 - 1988年10月17日)は日本の生理学者である。旧名川村邦三。東京大学名誉教授、山梨大学名誉教授でもあった。実兄は川村清一と川村多実二。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
47 | 蔵内数太 | Wikipedia |
蔵内 数太(くらうち かずた、1896年8月1日 - 1988年7月6日)は、日本の社会学者。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
48 | 岸信介 田布施町 | Wikipedia |
岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣(第56・57代)などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
49 | 細迫兼光 山陽小野田市 | Wikipedia |
細迫 兼光(ほそさこ かねみつ、1896年11月28日 - 1972年2月11日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。弁護士。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
50 | 松田伊三雄 | Wikipedia |
松田 伊三雄(まつだ いさお、1896年3月10日 - 1972年6月23日)は、日本の実業家。元三越社長。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
51 | 有沢広巳 | Wikipedia |
有沢 広巳(ありさわ ひろみ、有澤 廣巳、1896年2月16日 - 1988年3月7日)は、日本の統計学者、経済学者。法政大学元総長。 東京大学名誉教授、法政大学名誉教授。統計学が専門分野で実証に徹した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
52 | 政岡壹實 | Wikipedia |
政岡 壹實(新字体:壱実。まさおか かつたね、1896年(明治29年)1月19日 - 1973年(昭和48年)7月9日)は、日本の武道家。段位は全日本剣道連盟居合道範士九段、剣道範士七段。居合の流派は無双直伝英信流。 | ||
53 | 土居明夫 | Wikipedia |
土居 明夫(どい あきお、1896年(明治29年)6月30日 - 1976年(昭和51年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
54 | 赤松要 | Wikipedia |
赤松 要(あかまつ かなめ、1896年8月7日 - 1974年12月20日)は日本の経済学者。一橋大学名誉教授。日本における経済政策学の第一人者で、雁行形態論(後小島清や山澤逸平らにより発展)等を提唱したことで知られる。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
55 | 青木大吉 唐津市 | Wikipedia |
青木 大吉(あおき だいきち、1896年7月2日 - 1994年1月12日)は、日本の公認会計士、税理士。大日本帝国海軍の軍人(最終階級は主計大佐)で、第二次世界大戦後は民間の会計士となり、東京虎ノ門、福岡(「第一公認会計士事務所」)、佐世保に事務所を開く。等松農夫蔵と現在のデロイト トウシュ トーマツの日本のもととなる監査法人事務所を創立した。日本の原価計算の祖と呼ばれる。 | ||
海軍経理学校出身 出身の海軍経理学校の出身者 全国の海軍経理学校の出身者 | ||
56 | 松田千秋 | Wikipedia |
松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月29日 - 1995年(平成7年)11月6日)は、日本の海軍軍人。海兵44期。戦艦「大和」第3代艦長。最終階級は海軍少将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
57 | 河野傳 | Wikipedia |
河野 傳(河野 伝)(こうの つとう、1896年(明治29年) - 1963年(昭和38年)10月24日)は、日本の建築家、技術者、経営者。宮崎県出身。 | ||
京都工芸繊維大学出身 出身の京都工芸繊維大学の出身者 全国の京都工芸繊維大学の出身者 | ||
58 | 後藤勇吉 延岡市 | Wikipedia |
後藤 勇吉(ごとう ゆうきち、1896年(明治29年)11月12日 - 1928年(昭和3年)2月29日)は、日本の航空黎明期の民間パイロット。一等操縦士・一等飛行士免許取得、航空機による旅客輸送、日本一周飛行などにおいて日本初を成し遂げた。太平洋横断無着陸飛行計画の訓練中に墜落死した。 | ||
59 | 上村伸一 | Wikipedia |
上村 伸一(かみむら しんいち、1896年 - 1983年)は、日本の外交官。東京帝国大学法科(現在の東京大学法学部)卒業。外務省東亜局第一課長。駐イギリス日本大使館臨時代理大使、ドイツ公使などを歴任。著書多数。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
60 | 工藤良一 | Wikipedia |
工藤 良一( くどう りょういち、1896年10月2日 - 1959年1月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
61 | 諸井貫一 | Wikipedia |
諸井 貫一(もろい かんいち、1896年1月11日 - 1968年5月21日)は、東京府(現東京都)生まれの実業家。セメント製造事業の開拓を手掛けた諸井恒平(渋沢栄一とは親類関係に当たる)の長男で、東諸井家12代当主。秩父セメント(現太平洋セメント)社長、秩父鉄道会長、埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)会長、日本煉瓦製造会社会長を歴任し、経済団体連合会(経団連)の創設など日本の近代化に深く貢献した。従三位勲一等。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
62 | 渋沢敬三 | Wikipedia |
渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896年(明治29年)8月25日 - 1963年(昭和38年)10月25日)は、日本の財界人、民俗学者、第16代日本銀行総裁、大蔵大臣(幣原内閣)、旧子爵。祖父は渋沢栄一。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
63 | 岩崎隆弥 | Wikipedia |
岩崎 隆弥(いわさき たかや、1896年11月2日 - 1983年6月2日)は、日本の実業家。三菱財閥のオーナー・岩崎家の一員で、三菱合資会社社長を務めた岩崎久弥の次男。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
64 | 槇山次郎 | Wikipedia |
槇山 次郎(まきやま じろう、1896年10月16日 - 1986年12月5日)は、日本の古生物学者、地質学者、貝類学者。日本貝類学会名誉会長。日本古生物学会元会長、日本地質学会元会長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
65 | 濱尾四郎 | Wikipedia |
濱尾 四郎(はまお しろう、1896年4月24日 - 1935年10月29日)は、日本の検事、弁護士、探偵小説家。子爵。貴族院議員。戦後の版では「浜尾四郎」表記が一般的である。作家活動は実働足かけ6年に過ぎず、作品量は長短20篇に及ぶだけだが、戦前派作家として逸することのできない足跡を残している。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
66 | 亀井凱夫 | Wikipedia |
亀井 凱夫(かめい よしお、1896年(明治29年)3月21日 - 1944年(昭和19年)8月10日)は、日本の海軍軍人で戦闘機搭乗員。津和野藩主・亀井氏の一族で、戸籍上は亀井貫一郎 の義兄となるが血縁上は実弟。革新官僚の毛里英於菟は義弟。吉良俊一に続き空母への着艦を成功させ、また夜間における空母着艦を成し遂げた。太平洋戦争において航空隊司令として歴戦し戦死。最終階級は海軍少将である。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
67 | 四方諒二 神戸市 | Wikipedia |
四方 諒二(しかた りょうじ、明治29年(1896年)4月28日 - 昭和52年(1977年)12月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
68 | 小島秀雄 神戸市 | Wikipedia |
小島 秀雄(こじま ひでお、1896年4月5日 - 1982年3月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。3度に及ぶドイツ駐在歴があり、戦後には日独友好にも尽力した。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
69 | 本田喜代治 姫路市 | Wikipedia |
本田 喜代治(ほんだ きよじ、1896年10月15日 - 1972年10月22日)は、日本の社会学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
70 | 大中寅二 | Wikipedia |
大中 寅二(おおなか とらじ、1896年(明治29年)4月19日 - 1982年(昭和57年)6月29日)は日本の作曲家、オルガニスト。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
71 | 濱口雄彦 | Wikipedia |
濱口 雄彦(はまぐち たけひこ 1896年8月24日 - 1976年10月5日)は、元東京銀行頭取。(社)日本陶磁協会 第3代理事長。東京府出身。濱口雄幸の長男。弟に濱口巌根。長女・幸は船後正道(中小企業金融公庫総裁、環境事務次官、大蔵官僚)に、次女・淑は正田巌(日銀監事)に嫁いだ。 | ||
72 | 山田作之助 | Wikipedia |
山田 作之助(やまだ さくのすけ、1896年(明治29年)4月22日 - 1995年(平成7年)5月20日)は、日本の会社役員、弁護士、裁判官。昭和セメント、肥後製糸各監査役。神戸弁護士会長[3]。最高裁判事[3]。衆議院議員山田喜之助の三男。 | ||
73 | 重宗務 | Wikipedia |
重宗 和伸(しげむね かずのぶ、1896年7月27日 - 1971年12月4日)は、日本の映画監督、映画プロデューサーである。本名の重宗務での活動も多い。 | ||
74 | 正木ひろし | Wikipedia |
正木 ひろし(まさき ひろし、 1896年(明治29年)9月29日 - 1975年(昭和50年)12月6日)は、日本の弁護士である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
75 | 野村兼太郎 | Wikipedia |
野村 兼太郎(のむら かねたろう、1896年3月20日 - 1960年6月22日)は、日本の経済学者。経済学博士、経済思想史研究者(江戸時代・経世論)、日本学士院会員。国文学研究資料館設立発起人。他、東洋貨幣協会名誉会員、社会経済史学会を創立し代表理事等を歴任。 | ||
76 | 上村伸一 | Wikipedia |
上村 伸一(かみむら しんいち、1896年 - 1983年)は、日本の外交官。東京帝国大学法科(現在の東京大学法学部)卒業。外務省東亜局第一課長。駐イギリス日本大使館臨時代理大使、ドイツ公使などを歴任。著書多数。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
77 | 佐々木味津三 | Wikipedia |
佐々木 味津三(ささき みつぞう、明治29年(1896年)3月18日 - 昭和9年(1934年)2月6日)は、日本の小説家。佐佐木 味津三と表記されることもある。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
78 | 加藤謙一 弘前市 | Wikipedia |
加藤 謙一(かとう けんいち、1896年5月28日 - 1975年6月30日)は昭和期の雑誌編集者。戦前は『少年倶楽部』の編集長を務め、戦後は独力で起こした学童社から『漫画少年』を編集・刊行し、多くの漫画家を世に送り出した。 | ||
79 | 長崎惣之助 | Wikipedia |
長崎 惣之助(ながさき そうのすけ、明治29年(1896年)6月25日 - 昭和37年(1962年)11月7日)は、日本の鉄道官僚。第3代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1951年-1955年)。 | ||
80 | 青山民吉 | Wikipedia |
青山 民吉(あおやま たみきち、1896年 - 1953年11月30日、正字では靑山)は、日本の美術評論家、美学者、工芸研究者、装丁家、書店経営者。麻布中学校、第四高等学校 (旧制)一部法科独法、京都帝国大学文学部美学科卒。東西の美術に精通し、画集の出版等による紹介を行う。柳宗悦らによる民藝運動の同伴者となり、工藝美術の定義に関して啓発活動を行った[3]。また、有島生馬らによる一水會運動にも協力した。装丁家・美術評論家の青山二郎は弟。 | ||
81 | 永井叔 | Wikipedia |
永井 叔(ながい よし、1896年1月29日 - 1977年)は、日本の詩人。「大空詩人」と称してバイオリンまたはマンドリンを奏でながら自作の歌・童謡・讃美歌などを歌って喜捨を求める行乞の生活を送った。 | ||
82 | 山本親雄 | Wikipedia |
山本 親雄(やまもと ちかお、1896年(明治29年)10月13日 - 1980年(昭和55年)11月4日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
83 | 鈴木龍二 | Wikipedia |
鈴木 龍二(すずき りゅうじ、1896年3月15日 - 1986年3月30日)は、日本の新聞記者、プロ野球球団経営者・プロ野球機構運営者。日本野球連盟会長、セントラル・リーグ第3代会長。「鈴木 竜二」とも表記。 | ||
84 | 林達夫 | Wikipedia |
林 達夫(はやし たつお、1896年11月20日 - 1984年4月25日)は、日本の思想家、評論家。西洋精神史、文化史、文明史にわたる著作が多い。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
85 | 村山槐多 | Wikipedia |
村山 槐多(むらやま かいた、1896年9月15日 - 1919年2月20日)は、日本の洋画家、詩人。 | ||
86 | 武田孟 広島市 | Wikipedia |
武田 孟(たけだ つとむ、1896年(明治29年)2月2日 - 1990年(平成2年)10月25日)は、日本の教育者。元明治大学野球部長、明大学長・総長。札幌大学学長。日米大学野球選手権大会の創設など学生野球の普及、発展に長年尽力した。広島県広島市出身。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
87 | 谷川昇 志和村 | Wikipedia |
谷川 昇(たにかわ のぼる、1896年5月27日 - 1955年2月28日)は、日本の内務官僚、元政治家(衆議院議員)。広島カープの「カープ」名付け親。正五位勲四等受章。 | ||
88 | 鈴木剛 広島市 | Wikipedia |
鈴木 剛(すずき こう、1896年7月25日 - 1986年12月16日)は、住友銀行頭取。大阪テレビ放送社長、朝日放送社長、ホテルプラザ社長を歴任した実業家。住友グループの社長会である白水会の名付け親でもある。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
89 | 里見甫 能代市 | Wikipedia |
里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 - 1965年3月21日)は、ジャーナリスト、実業家。関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた。中国名李鳴。 | ||
90 | 林武 | Wikipedia |
林 武(はやし たけし、1896年(明治29年)12月10日 - 1975年(昭和50年)6月23日)は、東京都出身の日本の洋画家。本名は武臣(たけおみ)といった。大正末期から洋画家として活動を始め戦後には原色を多用し絵具を盛り上げた手法で女性や花、風景などを描き人気を得た。晩年には国語問題審議会の会長も務めている。なお、孫に元衆議院議員の林潤がいる。 | ||
91 | 岡田源三郎 | Wikipedia |
岡田 源三郎(おかだ げんざぶろう 1896年3月25日 - 1977年10月26日)は、東京都 出身の野球選手・指導者(名古屋金鯱軍監督。明治大学硬式野球部監督)。 | ||
92 | 牧野信一 小田原市 | Wikipedia |
牧野 信一(まきの しんいち、1896年(明治29年)11月12日 - 1936年(昭和11年)3月24日)は、日本の小説家。神奈川県足柄下郡小田原町(現:小田原市)出身。自然主義的な私小説の傍流としてみなされることが多く、17年間の作家生活の中で珠玉の短編十数編を残して早逝したマイナー・ポエトといわれている。「ギリシャ牧野」とも呼ばれた中期の幻想的な作品で新境地を拓いたが、最後は小田原の生家で悲劇的な縊死自殺を遂げた。享年39歳[3]。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |