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1 | 米内光政 盛岡市 | Wikipedia |
米内 光政(よない みつまさ、1880年(明治13年)3月2日 - 1948年(昭和23年)4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。第23代連合艦隊司令長官。第39-41、49-52代海軍大臣。第37代内閣総理大臣。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
2 | 八角三郎 盛岡市 | Wikipedia |
八角 三郎(やすみ さぶろう、1880年(明治13年)12月19日 - 1965年(昭和40年)1月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将、衆議院議員。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
3 | 小磯國昭 宇都宮市 | Wikipedia |
小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年(明治13年)3月22日 - 1950年(昭和25年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
4 | 小磯國昭 宇都宮市 | Wikipedia |
小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年(明治13年)3月22日 - 1950年(昭和25年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
5 | 今村信次郎 米沢市 | Wikipedia |
今村 信次郎(いまむら のぶじろう、1880年(明治13年)12月4日 - 1969年(昭和44年)9月1日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
6 | 内田信也 | Wikipedia |
内田 信也(うちだ のぶや、本名:のぶなり、1880年(明治13年)12月6日 - 1971年(昭和46年)1月7日)は日本の実業家、政治家。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
7 | 守山恒太郎 | Wikipedia |
守山 恒太郎(もりやま つねたろう、1880年4月27日 - 1912年2月12日)は、東京都出身の野球選手。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
8 | 甘露寺受長 | Wikipedia |
甘露寺 受長(かんろじ おさなが、1880年(明治23年)10月5日 - 1977年(昭和52年)6月20日)は日本の華族(伯爵)。東宮侍従・侍従次長。明治神宮宮司。学習院初等科、学習院中等科、学習院高等科を経て東京帝国大学法科卒業。法学博士。 | ||
9 | 大平賢作 | Wikipedia |
大平 賢作(おおだいら けんさく、1880年2月8日 - 1953年12月17日)は、日本の銀行家。住友銀行頭取・会長。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
10 | 建川美次 新潟市 | Wikipedia |
建川 美次(たてかわ よしつぐ、1880年(明治13年)10月3日 - 1945年(昭和20年)9月9日)は、日本の陸軍軍人、外交官。最終階級は陸軍中将。栄典は勲一等功四級。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11 | 小林順一郎 | Wikipedia |
小林 順一郎(こばやし じゅんいちろう、1880年1月3日 - 1963年11月20日)は、日本の陸軍砲兵大佐、実業家、右翼の黒幕、右翼団体三六倶楽部主宰者、大政翼賛会総務。戦後A級戦犯として逮捕された。新潟県長岡市出身。 | ||
12 | 伊原五郎兵衛 飯田市 | Wikipedia |
伊原 五郎兵衛(いはら ごろうべい、1880年10月8日 - 1952年4月3日)は、長野県飯田市出身の実業家・鉄道経営者。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
13 | 熊谷岱蔵 塩尻市 | Wikipedia |
熊谷 岱蔵(くまがい たいぞう、1880年(明治13年)7月19日 - 1962年(昭和37年)2月19日)は、内科医学者、医学博士。東北帝国大学医科大学(後の東北大学医学部)教授、総長。附属抗酸菌病研究所初代所長。興亜工業大学顧問を兼任。従二位、勲一等旭日大綬章。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
14 | 吉江喬松 塩尻市 | Wikipedia |
吉江 喬松(よしえ たかまつ、1880年9月5日 - 1940年3月26日)は、フランス文学者、詩人、作家、評論家、早稲田大学教授。号は孤雁。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
15 | 佐竹三吾 | Wikipedia |
佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日 - 1976年(昭和51年)5月24日)は、日本の鉄道官僚、政治家、実業家。貴族院議員(勅選)、法制局長官。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
16 | 大島正徳 海老名市 | Wikipedia |
大島 正徳(おおしま まさのり、1880年11月11日 - 1947年4月21日)は、日本の哲学者、教育家。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
17 | 山川均 倉敷市 | Wikipedia |
山川 均(やまかわ ひとし、1880年(明治13年)12月20日 - 1958年(昭和33年)3月23日)は、在野の経済学者で、社会主義者・社会運動家・思想家・評論家。労農派マルクス主義の指導的理論家であった。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
18 | 本城藤造 鳥取市 | Wikipedia |
本城 藤造(ほんじょう とうぞう、明治13年(1880年) - 昭和7年(1932年))は、日本の政治家。第34代鳥取県議会議長。元鳥取県気高郡大和村長。農業。 | ||
19 | 鮎川義介 | Wikipedia |
鮎川 義介(あゆかわ よしすけ〈通称、あいかわ ぎすけ〉 、 1880年〈明治13年〉11月6日 – 1967年〈昭和42年〉2月13日)は、日本の実業家、政治家。日産コンツェルン創始者。満州重工業開発株式会社総裁、貴族院議員、帝国石油株式会社社長、石油資源開発株式会社社長、参議院議員などを歴任した。 | ||
山口大学出身 出身の山口大学の出身者 全国の山口大学の出身者 | ||
20 | 永野修身 | Wikipedia |
永野 修身(ながの おさみ、1880年(明治13年)6月15日 - 1947年(昭和22年)1月5日)は、日本の海軍軍人、教育者。海軍兵学校28期、海軍大学校甲種8期。最終階級および栄典は元帥海軍大将従二位勲一等功五級。第24代連合艦隊司令長官。第38代海軍大臣。第16代軍令部総長。海軍三長官全てを経験した唯一の軍人。A級戦犯の容疑で東京裁判中に巣鴨プリズンにて病死。千葉工業大学の創設者。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
21 | 杉山元 北九州市 | Wikipedia |
杉山 元 (すぎやま げん/はじめ、1880年(明治13年)1月1日 - 1945年(昭和20年)9月12日)は、大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣、教育総監、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。 | ||
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22 | 菊竹六鼓 うきは市 | Wikipedia |
菊竹 六鼓(きくたけ ろっこ、男性、1880年1月25日 - 1937年7月21日)は、福岡県出身のジャーナリスト。五・一五事件に際し、福岡日日新聞の紙上で軍部批判・憲政擁護の論陣を張ったことで知られる。六鼓(六皷)[註 1]は号で、本名は淳(すなお)。兄に政治家の菊竹博之がいる。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
23 | 苫米地義三 旧藤坂村 | Wikipedia |
苫米地 義三(とまべち ぎぞう、明治13年(1880年)12月25日 - 昭和34年(1959年)6月29日)は日本の政治家。衆議院議員(1946年-1952年、当選3回)、参議院議員(1953年-1959年、当選1回)。青森県上北郡藤坂村出身。(三本木市を経て現十和田市)関東管領上杉憲政の末裔、山内上杉流苫米地家の一族で古くは中臣鎌足まで遡ることができる日本の名門家系。旧制札幌中学校、東京高等工業学校応用化学科卒(明治36年)。日本進歩党、民主党、国民民主党(党首)、改進党、日本民主党、自由民主党に所属。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
24 | 安東昌喬 | Wikipedia |
安東 昌喬(あんどう まさたか、1880年5月28日 - 1956年4月7日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
25 | 布施現之助 小樽市 | Wikipedia |
布施 現之助(ふせ げんのすけ、1880年1月24日 - 1946年12月12日)は、解剖学者。医学博士。専攻は神経解剖学。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
26 | 井上柳梧 | Wikipedia |
井上 柳梧(いのうえ りゅうご、1880年9月21日 - 1962年3月6日)は、日本の蚕糸学者。上田蚕糸専門学校の第2代校長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
27 | 立見豊丸 | Wikipedia |
立見 豊丸(たつみ とよまる、1880年(明治13年)1月28日 – 1942年(昭和17年)11月2日)は、大日本帝国陸軍軍人。貴族院子爵議員。陸軍政務次官。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
28 | 三矢宮松 | Wikipedia |
三矢 宮松(みつや みやまつ、1880年(明治13年)10月23日 - 1959年(昭和34年)1月10日)は、日本の内務官僚、宮内官僚。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
29 | 佐竹三吾 | Wikipedia |
佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日 - 1976年(昭和51年)5月24日)は、日本の鉄道官僚、政治家、実業家。貴族院議員(勅選)、法制局長官。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
30 | 塩野季彦 | Wikipedia |
塩野 季彦(しおの すえひこ、明治13年(1880年)1月1日 - 昭和24年(1949年)1月7日)は、日本の司法官僚、政治家。司法大臣である。思想検事の主流として活動し、「塩野閥」などと言われた派閥を形作っていたことで知られている。(特捜検察と公安検察の対立参照。) | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
31 | 藤田尚徳 | Wikipedia |
藤田 尚徳(ふじた ひさのり、1880年(明治13年)10月30日 - 1970年(昭和45年)7月23日)は、日本の海軍軍人、神職、侍従長。軍人としての最終階級は海軍大将。 | ||
32 | 長島毅 | Wikipedia |
長島 毅(ながしま はたす、1880年(明治13年)6月8日 - 1948年(昭和23年)3月18日)は、日本の裁判官。大審院長を務めた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
33 | 三宅恒方 | Wikipedia |
三宅 恒方(みやけ つねかた、1880年5月21日 - 1921年2月2日)は、日本の昆虫学者、理学博士。 | ||
34 | 武林無想庵 札幌市 | Wikipedia |
武林 無想庵(たけばやし むそうあん、1880年2月23日 - 1962年3月27日)は、日本の小説家、翻訳家。本名は磐雄(いわお)、のちに盛一(せいいち)。 | ||
35 | 中村伝治 | Wikipedia |
中村伝治 (なかむら でんじ、1880年(明治13年) - 1968年(昭和43年))は、日本の建築家。 横河工務所(後の横河建築設計事務所)の代表作を多くてがけ、後に横河民輔から横河工務所を受け継ぐ。 その他では建築界へのメートル法の導入、工業品規格統一(戦前のJES)のための調査、戦前の建築士法制定運動に尽力する。学会では建築設計資料集成の刊行に携わる。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
36 | 藤浪剛一 | Wikipedia |
藤浪 剛一(ふじなみ ごういち、1880年6月7日 - 1942年11月29日)は、日本の医学者、放射線科医。父は医師の藤浪万得、兄は病理学者の藤浪鑑。妻は青鞜社発起人の一人でもある小説家の物集和子。 | ||
37 | 工藤十三雄 | Wikipedia |
工藤 十三雄(くどう とさお、1880年(明治13年)5月16日 – 1950年(昭和25年)12月17日)は、衆議院議員(政友本党→立憲政友会)、ジャーナリスト。 | ||
38 | 須田實 | Wikipedia |
須田 實(すだ みのる、1880年(明治13年)10月30日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
39 | 内田信也 | Wikipedia |
内田 信也(うちだ のぶや、本名:のぶなり、1880年(明治13年)12月6日 - 1971年(昭和46年)1月7日)は日本の実業家、政治家。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
40 | 畑歓三 | Wikipedia |
畑 歓三(はた かんぞう、1880年8月16日 - 1957年1月31日)は、日本の教育者。関西学院文学部教授などを歴任した。 | ||
41 | 藤田尚徳 | Wikipedia |
藤田 尚徳(ふじた ひさのり、1880年(明治13年)10月30日 - 1970年(昭和45年)7月23日)は、日本の海軍軍人、神職、侍従長。軍人としての最終階級は海軍大将。 | ||
42 | 伊藤平治郎 | Wikipedia |
伊藤 平治郎(いとう へいじろう、1880年(明治13年)5月18日 - 1941年(昭和16年)1月三重県三重郡富洲原町(現在の四日市市富洲原地区)富田一色出身の政治家・実業家・歌人。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
43 | 末次信正 | Wikipedia |
末次 信正(すえつぐ のぶまさ、1880年(明治13年)6月30日[注 1] - 1944年(昭和19年)12月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将、従二位・勲一等。第1次近衛内閣の内務大臣。坊の岬沖海戦で戦死した末次信義海軍中佐は長男。 | ||
44 | 森安三郎 | Wikipedia |
森 安三郎(もり やすさぶろう、1880年 - 1952年9月25日)は、日本の外交官。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
45 | 中野太三郎 | Wikipedia |
中野 太三郎(なかの たさぶろう、1880年(明治13年)12月 - 1941年(昭和16年)11月10日)は、朝鮮総督府官僚、実業家。玄洋社員。 |