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このサイトに登録されている「出身で1876年生まれ」の有名人の数:53人
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1 | 山田純三郎 弘前市 | Wikipedia |
山田 純三郎(やまだ じゅんざぶろう、1876年(明治9年)5月18日 - 1960年(昭和35年)2月18日)は日本の革命運動家、大陸浪人。孫文の革命活動に参加した山田良政の実弟である。 | ||
東亜同文書院出身 出身の東亜同文書院の出身者 全国の東亜同文書院の出身者 | ||
2 | 相馬黒光 | Wikipedia |
相馬 黒光(そうま こっこう、1876年9月12日 - 1955年3月2日)は、夫の相馬愛蔵とともに新宿中村屋を起こした実業家、社会事業家である。旧姓は星、本名は良(りょう)。 | ||
3 | 小西正太郎 美郷町 | Wikipedia |
小西 正太郎(こにし しょうたろう、1876年 - 1956年4月26日)は、日本の洋画家。秋田県出身。 | ||
東京美術学校出身 出身の東京美術学校の出身者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
4 | 東伏見宮妃周子 | Wikipedia |
依仁親王妃周子(よりひとしんのうひ かねこ、1876年(明治9年)8月29日 - 1955年(昭和30年)3月4日)は日本の皇族。東伏見宮依仁親王の妃。 | ||
5 | 松木直亮 | Wikipedia |
松木 直亮(まつき なおすけ、1876年11月5日 - 1940年5月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
6 | 泉二新熊 龍郷町 | Wikipedia |
泉二 新熊(もとじ しんくま、1876年(明治9年)1月27日 - 1947年(昭和22年)10月25日)は、日本の裁判官、官僚、刑法学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
7 | 椎尾弁匡 | Wikipedia |
椎尾 弁匡(しいお べんきょう、1876年7月6日 - 1971年4月7日)は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶・政治家。大正大学学長や大本山増上寺法主などを歴任した。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
8 | 渋沢元治 | Wikipedia |
渋沢 元治(澁澤元治、しぶさわ もとじ、1876年10月25日 - 1975年2月22日)は、日本の電気工学者。東京帝国大学名誉教授。名古屋帝国大学初代総長(1939年 - 1946年)。渋沢栄一の甥にあたる。妻は穂積陳重と栄一の長女歌子の長女である。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
9 | 八杉貞利 | Wikipedia |
八杉 貞利(やすぎ さだとし、1876年9月16日 - 1966年2月26日)は、日本のロシア語学者。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
10 | 埴原正直 | Wikipedia |
埴原 正直(はにはら まさなお、1876年(明治9年)8月25日 - 1934年(昭和9年)12月20日)は、日本の外交官。外務次官、駐アメリカ大使、ワシントン会議全権委員。洋画家の埴原久和代は妹。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
11 | 東伏見宮妃周子 | Wikipedia |
依仁親王妃周子(よりひとしんのうひ かねこ、1876年(明治9年)8月29日 - 1955年(昭和30年)3月4日)は日本の皇族。東伏見宮依仁親王の妃。 | ||
12 | 田中穂積 長野市 | Wikipedia |
田中 穂積(たなか ほづみ、1876年(明治9年)2月17日 - 1944年(昭和19年)8月22日)は、長野県出身の財政学者、法学博士、早稲田大学第4代総長。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
13 | 新村出 | Wikipedia |
新村 出(しんむら いずる、1876年(明治9年)10月4日 - 1967年(昭和42年)8月17日)は、日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
14 | 有吉明 | Wikipedia |
有吉 明(ありよし あきら、1876年4月15日 - 1937年6月25日)は、明治、大正、昭和前期の外交官。初代中華民国大使。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
15 | 野手耐 下妻市 | Wikipedia |
野手 耐(ので たえる、1876年(明治9年)8月17日 - 1945年(昭和20年)8月6日)は、日本の朝鮮総督府・内務官僚、弁護士。官選県知事、同志社高等商業学校長。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
16 | 三宅驥一 | Wikipedia |
三宅 驥一(みやけ きいち、1876年11月11日 - 1964年3月30日)は、兵庫県出身の植物学者。理学博士(東京帝国大学)。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
17 | 本庄繁 | Wikipedia |
本庄 繁(ほんじょう しげる、1876年(明治9年)5月10日 - 1945年(昭和20年)11月20日)は、日本の陸軍軍人。第10師団長・関東軍司令官・侍従武官長を歴任し階級は陸軍大将正三位勲一等功一級男爵に至る。軍を退いてからは軍事保護院総裁や枢密顧問官を務める。長男一雄は陸軍主計中佐。娘は山口一太郎陸軍大尉に嫁ぐ。本庄は書を心得、剣華と号す。渾名は「たくわん石」。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
18 | 永田秀次郎 三原郡緑町(現南あわじ市) | Wikipedia |
永田 秀次郎(ながた ひでじろう、1876年(明治9年)7月23日 - 1943年(昭和18年)9月17日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の官僚、政治家、俳人、随筆家。第18代官選三重県知事、第8代・第14代東京市長、第4代拓殖大学総長、貴族院勅選議員。広田内閣の拓務大臣、阿部内閣の鉄道大臣を歴任。俳名・筆名は永田 青嵐(ながた せいらん)で出版した著書も多い。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
19 | 近松秋江 | Wikipedia |
近松 秋江(ちかまつ しゅうこう、1876年(明治9年)5月4日 - 1944年(昭和19年)4月23日)は、日本の小説家、評論家。岡山県生まれ。本名は徳田丑太郎。17歳のとき、浩司と改名。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
20 | 小川郷太郎 里庄町 | Wikipedia |
小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1876年(明治9年)6月9日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、大正・昭和期の日本の財政学者、政治家。京都帝国大学教授、拓殖大学学監、衆議院議員、商工大臣、鉄道大臣などを歴任。従三位勲一等法学博士。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
21 | 永井潜 竹原市 | Wikipedia |
永井 潜(ながい ひそむ、1876年11月14日 - 1957年5月17日)は日本の医学者、生理学者。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
22 | 小野義一 | Wikipedia |
小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 – 1950年(昭和25年)5月25日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員、東京市助役。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
23 | 伊波普猷 那覇市 | Wikipedia |
伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 - 1947年(昭和22年)8月13日)は、沖縄県那覇市出身の民俗学者、言語学者、沖縄学の父として知られる。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
24 | 八杉貞利 | Wikipedia |
八杉 貞利(やすぎ さだとし、1876年9月16日 - 1966年2月26日)は、日本のロシア語学者。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
25 | 小川郷太郎 里庄町 | Wikipedia |
小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1876年(明治9年)6月9日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、大正・昭和期の日本の財政学者、政治家。京都帝国大学教授、拓殖大学学監、衆議院議員、商工大臣、鉄道大臣などを歴任。従三位勲一等法学博士。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
26 | 小野義一 | Wikipedia |
小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 – 1950年(昭和25年)5月25日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員、東京市助役。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
27 | 井上匡四郎 | Wikipedia |
井上 匡四郎(いのうえ ただしろう、1876年4月30日 - 1959年3月18日)は、日本の工学者、政治家。工学博士、貴族院議員、子爵。 | ||
28 | 児玉秀雄 佐倉市 | Wikipedia |
兒玉 秀雄[注 1](児玉秀雄、こだま ひでお、明治9年(1876年)7月19日 - 昭和22年(1947年)4月7日)は、日本の政治家、貴族院議員、官僚、伯爵。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
29 | 松岡均平 | Wikipedia |
松岡 均平(まつおか きんぺい、1876年11月28日 - 1960年6月10日)は、法学博士。男爵・松岡康毅の長男。男爵、貴族院議員。東京帝国大学法科教授。 | ||
30 | 赤司鷹一郎 | Wikipedia |
赤司 鷹一郎(あかし たかいちろう、1876年(明治9年)5月10日 – 1933年(昭和8年)11月7日)は、文部官僚、教育者。錦鶏間祗候。 | ||
31 | 天沼俊一 | Wikipedia |
天沼 俊一(あまぬま しゅんいち、1876年8月31日 - 1947年9月1日)は、日本の建築史家。京都大学名誉教授。古建築の調査に従事した。東京出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
32 | 渋沢元治 | Wikipedia |
渋沢 元治(澁澤元治、しぶさわ もとじ、1876年10月25日 - 1975年2月22日)は、日本の電気工学者。東京帝国大学名誉教授。名古屋帝国大学初代総長(1939年 - 1946年)。渋沢栄一の甥にあたる。妻は穂積陳重と栄一の長女歌子の長女である。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
33 | 尾上柴舟 津山市 | Wikipedia |
尾上 柴舟(おのえ さいしゅう/しばふね 1876年(明治9年)8月20日 - 1957年(昭和32年)1月13日)は、日本の詩人、歌人、書家、国文学者。 | ||
二松學舍大学出身 出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
34 | 金子薫園 | Wikipedia |
金子 薫園(かねこ くんえん、1876年11月30日 - 1951年3月30日)は、日本の歌人。 | ||
35 | 木原清 | Wikipedia |
木原 清(きはら きよし、1876年(明治9年)4月25日 - 1940年(昭和15年)9月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
36 | 児玉秀雄 佐倉市 | Wikipedia |
兒玉 秀雄[注 1](児玉秀雄、こだま ひでお、明治9年(1876年)7月19日 - 昭和22年(1947年)4月7日)は、日本の政治家、貴族院議員、官僚、伯爵。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
37 | 赤井春海 佐倉市 | Wikipedia |
赤井 春海(あかい はるみ、1876年6月12日 - 1954年12月14日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
38 | 吉澤義則 | Wikipedia |
吉澤 義則(よしざわ よしのり、1876年8月22日 - 1954年11月5日)は、日本の国語学者、国文学者、歌人。 | ||
39 | 大角岑生 稲沢市 | Wikipedia |
大角 岑生(おおすみ みねお、明治9年(1876年)5月1日 - 昭和16年(1941年)2月5日)は、大正から昭和にかけての日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍大将。男爵。愛知県出身で本籍は高知県。 | ||
40 | 加茂正雄 | Wikipedia |
加茂 正雄(かも まさお、1876年(明治9年)8月15日 - 1960年(昭和35年)8月29日)は日本の工学者。東京帝国大学名誉教授。 | ||
41 | 杉浦非水 | Wikipedia |
杉浦 非水(すぎうら ひすい、1876年5月15日 - 1965年8月18日)は、近代日本のグラフィックデザイナー。本名、杉浦朝武(すぎうら つとむ)。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
42 | 四竈孝輔 | Wikipedia |
四竈 孝輔(しかま こうすけ、1876年10月26日 - 1937年12月12日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。宮城県仙台市出身。 | ||
43 | 山内静夫 | Wikipedia |
山内 静夫(やまのうち しずお、1876年(明治9年)8月3日 – 1961年(昭和36年)6月6日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。満洲電信電話株式会社総裁。旧名は岱亮。 | ||
44 | 山本英輔 | Wikipedia |
山本英輔(やまもと えいすけ、1876年(明治9年)5月15日 - 1962年(昭和37年)7月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。鹿児島県出身。山本権兵衛元内閣総理大臣の甥(権兵衛の兄吉蔵の息子)にあたり、「封じ袴の大将」と呼ばれた。 | ||
45 | 大角岑生 稲沢市 | Wikipedia |
大角 岑生(おおすみ みねお、明治9年(1876年)5月1日 - 昭和16年(1941年)2月5日)は、大正から昭和にかけての日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍大将。男爵。愛知県出身で本籍は高知県。 | ||
46 | 江藤栄吉 | Wikipedia |
江藤 栄吉(えとう えいきち、1876年(明治9年)12月 - 1928年(昭和3年)4月27日)は、広島県出身の教育者、政治家。衆議院議員。 | ||
47 | 真崎甚三郎 | Wikipedia |
眞崎 甚三郎(まさき じんざぶろう、1876年(明治9年)11月27日 - 1956年(昭和31年)8月31日)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期。最終階級は陸軍大将。栄典は正三位勲三等功四級。 | ||
48 | 原口初太郎 | Wikipedia |
原口 初太郎(はらぐち はつたろう、明治9年(1876年)1月29日 - 昭和24年(1949年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。衆議院議員、貴族院議員。 | ||
49 | 吉田博 | Wikipedia |
吉田 博(よしだ ひろし、1876年(明治9年)9月19日 - 1950年(昭和25年)4月5日)は、日本の洋画家、版画家。自然と写実そして詩情を重視した作風で、明治、大正、昭和にかけて風景画家の第一人者として活躍した。 | ||
東京農業大学出身 出身の東京農業大学の出身者 全国の東京農業大学の出身者 | ||
50 | 中村天風 | Wikipedia |
中村 天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日 - 1968年12月1日)は日本の思想家、実業家。日本初のヨーガ行者で、天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は中村三郎(なかむらさぶろう)。 | ||
51 | 埴原正直 | Wikipedia |
埴原 正直(はにはら まさなお、1876年(明治9年)8月25日 - 1934年(昭和9年)12月20日)は、日本の外交官。外務次官、駐アメリカ大使、ワシントン会議全権委員。洋画家の埴原久和代は妹。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
52 | 津村秀松 | Wikipedia |
津村 秀松(つむら ひでまつ、1876年6月 - 1939年12月23日[1])は日本の経済学者、実業家。神戸高等商業学校(現・神戸大学)教授、大阪鐵工所(現・日立造船)取締役会長等を歴任した。 | ||
53 | 千崎如幻 | Wikipedia |
千崎 如幻 (せんざき にょげん、1876年10月5日? - 1958年5月7日)は、サハリン出身の日本の臨済宗の僧侶、20世紀初期にアメリカに禅を広めた。義弟に彫刻家の工藤敬三(旧名:千崎敬蔵)がいる。 |