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このサイトに登録されている「陸軍士官学校」の出身高校別有名人の数:205:人
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北海道札幌南高等学校の出身者
1 | 村中孝次 旭川市の出身 | Wikipedia |
村中 孝次(むらなか たかじ[注釈 1]、1903年10月3日 - 1937年8月19日)は、日本の陸軍軍人で皇道派、国家社会主義者。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 旭川市の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1903年生まれの人 | ||
2 | 小原重孝 | Wikipedia |
小原 重孝(おばら しげたか、1899年10月24日 - 1971年7月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。小原 重厚と表記する文献も有る。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月24日生まれの人  1899年生まれの人 | ||
3 | 真田穣一郎 美唄市の出身 | Wikipedia |
真田 穣一郎(さなだ じょういちろう、1897年(明治30年)11月21日 - 1957年(昭和32年)8月3日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 美唄市の出身者 | ||
11月21日生まれの人  1897年生まれの人 | ||
4 | 工藤良一 | Wikipedia |
工藤 良一( くどう りょういち、1896年10月2日 - 1959年1月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月2日生まれの人  1896年生まれの人 | ||
5 | 大須賀応 札幌市の出身 | Wikipedia |
大須賀 応(おおすが ことを、1894年1月25日 - 1945年3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 札幌市の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1894年生まれの人 |
北海道旭川東高等学校の出身者
6 | 有末次 | Wikipedia |
有末 次(ありすえ やどる、1897年2月7日 - 1943年8月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
2月7日生まれの人  1897年生まれの人 | ||
7 | 有末精三 | Wikipedia |
有末 精三(ありすえ せいぞう、1895年(明治28年)5月22日 - 1992年(平成4年)2月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
5月22日生まれの人  1895年生まれの人 | ||
8 | 中永太郎 中永太郎の出身 | Wikipedia |
中 永太郎(なか えいたろう、1893年9月17日 - 1969年4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 中永太郎の出身者 | ||
9月17日生まれの人  1893年生まれの人 | ||
9 | 尾崎義春 旭川市の出身 | Wikipedia |
尾崎 義春(おざき よしはる、1890年4月20日 - 1973年9月19日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。北海道旭川市出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 旭川市の出身者 | ||
4月20日生まれの人  1890年生まれの人 |
岩手県立一関第一高等学校の出身者
10 | 相沢三郎 仙台市の出身 | Wikipedia |
相沢 三郎(あいざわ さぶろう、1889年(明治22年)9月6日 - 1936年(昭和11年)7月3日)は、日本の陸軍軍人。皇道派に属した相沢は、真崎甚三郎教育総監更迭に憤激し1935年8月12日に統制派の永田鉄山軍務局長を殺害した(相沢事件)。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 仙台市の出身者 | ||
9月6日生まれの人  1889年生まれの人 |
岩手県立遠野高等学校の出身者
11 | 小野寺信 | Wikipedia |
小野寺 信(おのでら まこと、1897年9月19日 - 1987年8月17日)は、日本の陸軍軍人、翻訳家。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9月19日生まれの人  1897年生まれの人 |
岩手県立盛岡第一高等学校の出身者
12 | 板垣征四郎 岩手町の出身 | Wikipedia |
板垣 征四郎(いたがき せいしろう、1885年(明治18年)1月21日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は正三位・勲一等・功二級。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 岩手町の出身者 | ||
1月21日生まれの人  1885年生まれの人 |
山形県立山形東高等学校の出身者
13 | 小磯國昭 宇都宮市の出身 | Wikipedia |
小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年(明治13年)3月22日 - 1950年(昭和25年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 宇都宮市の出身者 | ||
3月22日生まれの人  1880年生まれの人 | ||
14 | 瀬川章友 新庄市の出身 | Wikipedia |
瀬川 章友(せがわ のりとも、1879年(明治12年)3月6日 - 1938年(昭和13年)2月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 新庄市の出身者 | ||
3月6日生まれの人  1879年生まれの人 |
山形県立新庄北高等学校の出身者
15 | 小磯國昭 宇都宮市の出身 | Wikipedia |
小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年(明治13年)3月22日 - 1950年(昭和25年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 宇都宮市の出身者 | ||
3月22日生まれの人  1880年生まれの人 |
福島県立安積高等学校の出身者
16 | 武川寿輔 福良村の出身 | Wikipedia |
武川 壽輔(むがわ じゅすけ、1877年(明治10年)11月15日 - 1939年(昭和14年)2月12日)は、日本の陸軍軍人、教育者。最終階級は陸軍少将、兵庫県立赤穂中学校(現:兵庫県立赤穂高等学校)の初代校長。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 福良村の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1877年生まれの人 |
茨城県立水戸第一高等学校の出身者
17 | 井川省 | Wikipedia |
井川 省(いがわ せい、1913年4月14日 - 1946年)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。日本の敗戦後にベトナム独立のためにインドシナ戦争に参加して戦没。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
4月14日生まれの人  1913年生まれの人 | ||
18 | 永井八津次 | Wikipedia |
永井 八津次(ながい やつじ、1901年(明治34年)1月20日 - 1970年(昭和45年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1月20日生まれの人  1901年生まれの人 | ||
19 | 谷萩那華雄 | Wikipedia |
谷萩 那華雄(やはぎ なかお、1895年(明治28年)8月9日 - 1949年(昭和24年)7月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
8月9日生まれの人  1895年生まれの人 |
茨城県立太田第一高等学校の出身者
20 | 渡辺寧 久慈町の出身 | Wikipedia |
渡辺 寧(わたなべ やすし、1896年11月15日 - 1976年11月17日)は、電子工学者。茨城県生まれ。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 久慈町の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1896年生まれの人 | ||
21 | 沼田徳重 | Wikipedia |
沼田 徳重(ぬまた とくしげ、1887年(明治20年)7月17日 - 1939年(昭和14年)8月12日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将正四位勲一等功二級。茨城県出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月17日生まれの人  1887年生まれの人 |
栃木県立宇都宮高等学校の出身者
22 | 麦倉俊三郎 | Wikipedia |
麦倉 俊三郎(むぎくら しゅんざぶろう、1888年(明治21年)11月1日 - 1969年(昭和44年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月1日生まれの人  1888年生まれの人 | ||
23 | 西義一 | Wikipedia |
西 義一(にし よしかず、明治11年(1878年)1月1日 - 昭和16年(1941年)4月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1878年生まれの人 |
群馬県立沼田高等学校の出身者
24 | 東宮鉄男 | Wikipedia |
東宮 鉄男(とうみや かねお、正字は東宮鐵男、1892年(明治24年)8月17日 - 1937年(昭和12年)11月14日)は、日本の陸軍軍人。「満蒙開拓移民の父」とよばれる。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
8月17日生まれの人  1892年生まれの人 | ||
25 | 山崎保代 | Wikipedia |
山崎 保代(やまさき やすよ、1891年10月17日 - 1943年5月29日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争(大東亜戦争)中に、アッツ島の戦いを指揮し17日間の激しい抗戦の後戦死した。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月17日生まれの人  1891年生まれの人 | ||
26 | 角田政之助 | Wikipedia |
角田 政之助(つのだ まさのすけ、1882年(明治15年)10月18日 - 1974年(昭和49年)1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月18日生まれの人  1882年生まれの人 |
群馬県立館林高等学校の出身者
27 | 島田豊作 館林市の出身 | Wikipedia |
島田 豊作(しまだ とよさく、1912年3月31日 - 1988年7月11日)は、日本の陸軍軍人。士候45期。最終階級は陸軍中佐。群馬県館林市出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 館林市の出身者 | ||
3月31日生まれの人  1912年生まれの人 |
千葉県立佐倉高等学校の出身者
28 | 赤井春海 佐倉市の出身 | Wikipedia |
赤井 春海(あかい はるみ、1876年6月12日 - 1954年12月14日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 佐倉市の出身者 | ||
6月12日生まれの人  1876年生まれの人 | ||
29 | 大築尚志 佐倉市の出身 | Wikipedia |
大築 尚志(おおつき たかゆき、1835年12月24日(天保6年11月5日) - 1900年(明治33年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、陸軍中将。幼名、保太郎(やすたろう)。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 佐倉市の出身者 | ||
12月24日生まれの人  1835年生まれの人 | ||
30 | 吉見精 佐倉市の出身 | Wikipedia |
吉見 精(よしみ せい、生年不明 - 1901年1月)は、日本の陸軍軍人。旧大日本帝国陸軍鉄道大隊の初代大隊長。旧佐倉藩士。千葉県出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 佐倉市の出身者 |
千葉県立成東高等学校の出身者
31 | 高品彪 | Wikipedia |
高品 彪(たかしな たけし、1891年1月25日 - 1944年7月28日)は、日本の陸軍軍人。陸士25期、陸大34期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1891年生まれの人 |
東海大学付属浦安高等学校の出身者
32 | 栗原安秀 松江市の出身 | Wikipedia |
栗原 安秀(くりはら やすひで、明治41年(1908年)11月17日 - 昭和11年(1936年)7月12日)は、日本の陸軍軍人、国家社会主義者。1936年2月26日に勃発した二・二六事件に参加した。磯部浅一に並ぶ急進派として知られる。最終階級は陸軍歩兵中尉。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 松江市の出身者 | ||
11月17日生まれの人  1908年生まれの人 | ||
33 | 中橋基明 | Wikipedia |
中橋 基明(なかはし もとあき、明治40年(1907年)9月25日 - 昭和11年(1936年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9月25日生まれの人  1907年生まれの人 |
筑波大学附属高等学校の出身者
34 | 徳川圀順 | Wikipedia |
徳川 圀順(とくがわ くにゆき、1886年(明治19年)12月13日 - 1969年(昭和44年)11月17日)は、日本の華族、政治家、陸軍軍人。水戸徳川家第13代当主。貴族院議長、日本赤十字社社長を務める。階級は陸軍歩兵少尉、爵位は侯爵、のち公爵。徳川光圀以来編纂を続けていた歴史書『大日本史』を完成させる。字は子行、号は涛山、諡号は明公。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
12月13日生まれの人  1886年生まれの人 | ||
35 | 永持源次 | Wikipedia |
永持 源次(ながもち げんじ、1884年7月23日 - 1978年8月18日)は、日本の陸軍軍人、実業家。陸軍砲工学校長。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1884年生まれの人 | ||
36 | 徳川好敏 | Wikipedia |
徳川 好敏(とくがわ よしとし、1884年(明治17年)7月24日 - 1963年(昭和38年)4月17日)は、日本の陸軍軍人、華族。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1884年生まれの人 | ||
37 | 立見豊丸 | Wikipedia |
立見 豊丸(たつみ とよまる、1880年(明治13年)1月28日 – 1942年(昭和17年)11月2日)は、大日本帝国陸軍軍人。貴族院子爵議員。陸軍政務次官。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1月28日生まれの人  1880年生まれの人 | ||
38 | 寺内寿一 | Wikipedia |
寺内 寿一(てらうち ひさいち、旧字体: 寺內壽一、1879年(明治12年)8月8日 - 1946年(昭和21年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は元帥陸軍大将。勲等は勲一等。爵位は伯爵。山口県出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
8月8日生まれの人  1879年生まれの人 |
東京都立日比谷高等学校の出身者
39 | 尾崎中和 | Wikipedia |
尾崎 中和(おざき なかかず、1919年8月9日 - 1943年12月27日)は、日本陸軍の軍人。死後、二階級特進し陸軍中佐。殉職の項目も参照。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
8月9日生まれの人  1919年生まれの人 |
40 | 西竹一 | Wikipedia |
西 竹一(にし たけいち、1902年7月12日 - 1945年3月22日)は、日本の陸軍軍人、華族(男爵)。最終階級は陸軍大佐。愛称・通称はバロン西(バロン・ニシ、Baron Nishi)。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月12日生まれの人  1902年生まれの人 | ||
41 | 村田孝生 | Wikipedia |
村田 孝生(むらた たかお/たかいき、1893年10月6日 - 1953年4月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月6日生まれの人  1893年生まれの人 | ||
42 | 三浦三郎 | Wikipedia |
三浦 三郎(みうら さぶろう、1893年3月26日 - 1974年10月17日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。関東憲兵隊司令官。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月26日生まれの人  1893年生まれの人 | ||
43 | 酒井康 | Wikipedia |
酒井 康(さかい やすし、1892年3月11日 - 1986年8月1日)は、日本の陸軍軍人。第17師団長・留守第56師団長・陸軍兵器本部企画部長等を歴任し、階級は陸軍中将勲一等に至る。東京府出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月11日生まれの人  1892年生まれの人 | ||
44 | 千田貞季 | Wikipedia |
千田貞季(せんだ さだすえ 1892年12月16日 - 1945年3月8日)は、大日本帝国陸軍の軍人。栄典は従四位勲二等功四級。士候26期。栗林忠道大将とは同期。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
12月16日生まれの人  1892年生まれの人 | ||
45 | 須藤栄之助 | Wikipedia |
須藤 栄之助(すどう えいのすけ、1891年9月24日 - 1969年1月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1891年生まれの人 | ||
46 | 田中信男 | Wikipedia |
田中 信男(たなか のぶお、1891年(明治24年)10月30日 - 1966年(昭和41年)12月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月30日生まれの人  1891年生まれの人 | ||
47 | 笠原幸雄 | Wikipedia |
笠原 幸雄(かさはら ゆきお、1889年(明治22年)11月6日 - 1988年(昭和63年)1月2日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。ロシア通の参謀として知られていた。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月6日生まれの人  1889年生まれの人 | ||
48 | 長崎守一 | Wikipedia |
長崎 守一(ながさき もりいち、1886年(明治19年)9月12日 - 1968年(昭和43年)6月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。士候21期。阿部平輔陸軍中将、冨永信政陸軍大将、石原莞爾陸軍中将とは同期。栄典は従四位勲二等功四級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9月12日生まれの人  1886年生まれの人 | ||
49 | 宇佐美興屋 | Wikipedia |
宇佐美 興屋(うさみ おきいえ、1883年1月27日 - 1970年9月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1月27日生まれの人  1883年生まれの人 | ||
50 | 山岡重厚 | Wikipedia |
山岡 重厚(やまおか しげあつ、1882年(明治15年 )11月17日 - 1954年(昭和29年 )3月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月17日生まれの人  1882年生まれの人 | ||
51 | 渋谷伊之彦 | Wikipedia |
渋谷 伊之彦(しぶや いのひこ、1881年11月14日 - 1935年12月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月14日生まれの人  1881年生まれの人 | ||
52 | 畑俊六 | Wikipedia |
畑 俊六(はた しゅんろく、1879年(明治12年)7月26日 - 1962年(昭和37年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は従二位勲一等功一級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1879年生まれの人 | ||
53 | 本城嘉守 | Wikipedia |
本城 嘉守(ほんじょう よしもり、1877年(明治10年) - 1960年(昭和35年))は、日本の陸軍軍人、政治家。初代徳山市長(現・周南市)。父に本城宣馬。徳山七士の一人本城清は祖父にあたる。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1877年生まれの人 | ||
54 | 木原清 | Wikipedia |
木原 清(きはら きよし、1876年(明治9年)4月25日 - 1940年(昭和15年)9月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
4月25日生まれの人  1876年生まれの人 | ||
55 | 阿部信行 金沢市の出身 | Wikipedia |
阿部 信行(あべ のぶゆき、1875年(明治8年)11月24日 - 1953年(昭和28年)9月7日)は、日本の陸軍軍人、政治家。 陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期(恩賜)、陸軍大将。位階は正二位。勲等は勲一等。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月24日生まれの人  1875年生まれの人 | ||
56 | 石井常造 | Wikipedia |
石井 常造(いしい つねぞう、1875年(明治8年)1月2日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人、生気研究者。基隆要塞司令官を務めた陸軍少将で、また生気自強療法を唱え生気の医療への応用を図った。従四位勳三等功四級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1月2日生まれの人  1875年生まれの人 | ||
57 | 南次郎 豊後高田市の出身 | Wikipedia |
南 次郎(みなみ じろう、1874年(明治7年)8月10日 - 1955年(昭和30年)12月5日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正二位勲一等功四級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 豊後高田市の出身者 | ||
8月10日生まれの人  1874年生まれの人 | ||
58 | 磯村年 | Wikipedia |
磯村 年(いそむら とし、明治5年9月(1872年10月頃) - 1961年(昭和36年)9月12日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1872年生まれの人 | ||
59 | 安満欽一 | Wikipedia |
安満 欽一(やすみつ きんいち、1871年4月2日(明治4年2月13日) - 1960年10月24日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
4月2日生まれの人  1871年生まれの人 |
60 | 千田嘉平 | Wikipedia |
千田 嘉平(せんだ かへい、1871年10月12日(明治4年8月28日)- 1943年(昭和18年)2月18日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。陸軍少将、貴族院男爵議員。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月12日生まれの人  1871年生まれの人 | ||
61 | 阿南惟晟 | Wikipedia |
阿南 惟晟(あなみ これあきら)は日本の軍人。太平洋戦争末期の陸軍大臣・阿南惟幾の次男。1941年東京府立第一中学校を卒業した後に[要出典]陸軍士官学校に入学。同校の56期卒業生。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
62 | 山中三郎 | Wikipedia未登録 |
陸軍少将 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 |
東京都立戸山高等学校の出身者
63 | 西尾常三郎 | Wikipedia |
西尾 常三郎(にしお つねさぶろう、大正5年(1916年)7月2日 - 昭和19年(1944年)11月13日)は、大日本帝国陸軍軍人。陸軍少佐だったが特別攻撃隊に志願、富嶽隊隊長として特攻、戦死。二階級特進により大佐となる。正七位、勲三等、功二級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月2日生まれの人  1916年生まれの人 | ||
64 | 緒方景俊 | Wikipedia |
緒方 景俊(おがた かげとし、1913年(大正2年)9月1日 - 1982年(昭和57年)12月26日)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官、第8代航空幕僚長。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9月1日生まれの人  1913年生まれの人 | ||
65 | 野中四郎 | Wikipedia |
野中 四郎(のなか しろう、1903年(明治36年)10月27日 - 1936年(昭和11年)2月29日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月27日生まれの人  1903年生まれの人 | ||
66 | 松村知勝 | Wikipedia |
松村 知勝(まつむら ともかつ、1899年(明治32年)10月13日 - 1979年(昭和54年)5月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月13日生まれの人  1899年生まれの人 | ||
67 | 本郷義夫 | Wikipedia |
本郷 義夫(ほんごう よしお、1892年3月20日 - 1962年6月28日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1892年生まれの人 | ||
68 | 吉本貞一 | Wikipedia |
吉本 貞一(よしもと ていいち、1887年3月23日 - 1945年9月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月23日生まれの人  1887年生まれの人 | ||
69 | 渡久雄 | Wikipedia |
渡 久雄(わたり ひさお、1885年(明治18年)10月7日 - 1939年(昭和14年)1月2日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月7日生まれの人  1885年生まれの人 | ||
70 | 東條英機 | Wikipedia |
東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。現在の百科事典や教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い[注 3]。軍人および政治家として関東軍参謀長(第10代)、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第50-52代)、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第64代)、外務大臣(第66代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第25代)、軍需大臣(初代)などを歴任した。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月30日生まれの人  1884年生まれの人 | ||
71 | 谷寿夫 | Wikipedia |
谷 寿夫(たに ひさお、1882年(明治15年)12月23日 - 1947年(昭和22年)4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
12月23日生まれの人  1882年生まれの人 | ||
72 | 武田功 | Wikipedia未登録 |
陸軍大佐、第六方面軍参謀、関東軍参謀(第二課長) | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
73 | 古谷清 | Wikipedia未登録 |
陸軍中将、航空本部長 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 |
麻布高等学校の出身者
74 | 渡辺正夫 | Wikipedia未登録 |
日本ケンタッキー・フライド・チキン社長 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 |
成城高等学校の出身者
75 | 瀬谷啓 | Wikipedia |
瀬谷 啓(せや ひらく、明治22年(1889年)10月3日 - 昭和29年(1954年)5月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1889年生まれの人 | ||
76 | 矢野機 | Wikipedia |
矢野 機(やの はかる、1887年3月27日 - 1992年2月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月27日生まれの人  1887年生まれの人 | ||
77 | 塚田攻 | Wikipedia |
塚田 攻(つかだ おさむ、1886年7月14日 - 1942年12月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月14日生まれの人  1886年生まれの人 | ||
78 | 蓮沼蕃 | Wikipedia |
蓮沼 蕃(はすぬま しげる、1883年3月26日 - 1954年2月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、勲等は勲一等功二級。石川県出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月26日生まれの人  1883年生まれの人 | ||
79 | 山田乙三 | Wikipedia |
山田 乙三(やまだ おとぞう、1881年(明治14年)11月6日 - 1965年(昭和40年)7月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月6日生まれの人  1881年生まれの人 |
80 | 乃木保典 | Wikipedia |
乃木 保典(のぎ やすすけ、1881年(明治14年)12月16日 - 1904年(明治37年)11月30日)は、明治期の日本の陸軍軍人で陸軍大将・乃木希典、静子夫妻の次男。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
12月16日生まれの人  1881年生まれの人 | ||
81 | 寺内寿一 | Wikipedia |
寺内 寿一(てらうち ひさいち、旧字体: 寺內壽一、1879年(明治12年)8月8日 - 1946年(昭和21年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は元帥陸軍大将。勲等は勲一等。爵位は伯爵。山口県出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
8月8日生まれの人  1879年生まれの人 | ||
82 | 松井石根 名古屋市の出身 | Wikipedia |
松井 石根(まつい いわね、明治11年(1878年)7月27日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。荒尾精の信奉者として、「日中提携」「アジア保全」の運動に生涯をかけたが、ポツダム宣言受諾後、「南京事件」の責任を問われて極東国際軍事裁判(東京裁判)にて死刑判決(B級戦犯)を受け、処刑された。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 名古屋市の出身者 | ||
7月27日生まれの人  1878年生まれの人 | ||
83 | 厚東篤太郎 | Wikipedia |
厚東 篤太郎(こうとう とくたろう、1878年7月22日 - 1958年9月18日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月22日生まれの人  1878年生まれの人 | ||
84 | 林仙之 | Wikipedia |
林 仙之(はやし なりゆき、1877年1月5日 - 1944年5月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1877年生まれの人 | ||
85 | 松木直亮 | Wikipedia |
松木 直亮(まつき なおすけ、1876年11月5日 - 1940年5月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月5日生まれの人  1876年生まれの人 | ||
86 | 緒方勝一 | Wikipedia |
緒方 勝一(おがた しょういち、1875年1月25日 - 1960年12月28日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1875年生まれの人 | ||
87 | 福田彦助 | Wikipedia |
福田 彦助(ふくだ ひこすけ、1875年11月5日 - 1959年7月30日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月5日生まれの人  1875年生まれの人 | ||
88 | 南次郎 豊後高田市の出身 | Wikipedia |
南 次郎(みなみ じろう、1874年(明治7年)8月10日 - 1955年(昭和30年)12月5日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正二位勲一等功四級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 豊後高田市の出身者 | ||
8月10日生まれの人  1874年生まれの人 | ||
89 | 久邇宮邦彦王 | Wikipedia |
久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年(明治6年)7月23日 - 1929年(昭和4年)1月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人。階級及び位階勲等は軍事参議官、陸軍大将、大勲位、功四級。贈元帥、贈大勲位菊花章頸飾。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1873年生まれの人 | ||
90 | 金谷範三 豊後高田市の出身 | Wikipedia |
金谷 範三(かなや はんぞう、1873年4月24日 - 1933年6月6日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 豊後高田市の出身者 | ||
4月24日生まれの人  1873年生まれの人 | ||
91 | 菱刈隆 | Wikipedia |
菱刈 隆(ひしかり たか、1871年12月27日(明治4年11月16日) - 1952年(昭和27年)7月31日)は、日本陸軍の軍人、外交官。最終階級は陸軍大将。栄典は勲一等功五級。幼名、幸吉。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
12月27日生まれの人  1871年生まれの人 | ||
92 | 国司伍七 | Wikipedia |
国司 伍七(くにし ごしち、1870年6月24日(明治3年5月26日) - 1939年10月25日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
6月24日生まれの人  1870年生まれの人 | ||
93 | 鈴木孝雄 | Wikipedia |
鈴木 孝雄(すずき たかお、明治2年10月29日(1869年12月2日) - 1964年(昭和39年)1月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は勲一等功三級。砲兵監・第14師団長・陸軍技術本部長・軍事参議官を歴任。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月29日生まれの人  1869年生まれの人 | ||
94 | 宇垣一成 | Wikipedia |
宇垣 一成(うがき かずしげ、慶応4年6月21日(1868年8月9日) - 昭和31年(1956年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
6月21日生まれの人  1868年生まれの人 | ||
95 | 蔡鍔 | Wikipedia |
蔡 鍔(さい がく)は、清末民初の軍人。中華民国の初代雲南都督。袁世凱による帝制実施を阻止するため、護国戦争を発動したことでも知られる。原名は艮寅、字は松坡。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
96 | 許崇智 | Wikipedia |
許 崇智(きょ すうち)は清末民初の軍人・政治家。主に初期の中国国民党における有力な軍指揮官であった。字は汝為。祖父と父は福建省で通判をつとめ、一族の許応騤は、清末の閩浙総督である。親族には、堂兄(父方の従兄)で軍人・政治家の許崇灝、堂弟(父方の従弟)で国立中山大学校長などをつとめた教育者の許崇清などがいる。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
97 | 藍天蔚 | Wikipedia |
藍 天蔚(らん てんい)は清末民初の軍人。北洋系に属し、同時に革命派の士官として知られる。字は秀豪。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
98 | 盧金山 | Wikipedia |
盧 金山(ろ きんざん)は清末民初の軍人。北洋系の軍人で、後に北京政府、直隷派に属した。字は貢庭。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 |
京華高等学校の出身者
99 | 赤松貞雄 | Wikipedia |
赤松 貞雄(あかまつ さだお、明治33年(1900年)5月21日 - 昭和57年(1982年)8月16日)は、日本の陸軍軍人。東條英機大将の、陸相秘書官・首相秘書官として知られる。階級は陸軍大佐。小松崎力雄陸軍少将は兄。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
5月21日生まれの人  1900年生まれの人 |
100 | 那須弓雄 | Wikipedia |
那須 弓雄(なす ゆみお、1892年6月27日 - 1942年10月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
6月27日生まれの人  1892年生まれの人 | ||
101 | 安江仙弘 | Wikipedia |
安江 仙弘(やすえ のりひろ、1888年1月12日 - 1950年8月14日)は、日本陸軍の軍人、最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1月12日生まれの人  1888年生まれの人 |
東洋大学京北高等学校の出身者
102 | 鈴木貞一 芝山町の出身 | Wikipedia |
鈴木 貞一(すずき ていいち、1888年(明治21年)12月16日 - 1989年(平成元年)7月15日)は、日本の軍人、陸軍中将。千葉県出身。通称「背広を着た軍人」。「三奸四愚」と呼ばれた東條英機側近三奸の一人とされる。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 芝山町の出身者 | ||
12月16日生まれの人  1888年生まれの人 |
日本学園高等学校の出身者
103 | 磯田三郎 | Wikipedia |
磯田 三郎(いそだ さぶろう、1892年2月28日 - 1979年10月26日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1892年生まれの人 | ||
104 | 荒木貞夫 | Wikipedia |
荒木 貞夫(あらき さだお、1877年(明治10年)5月26日 - 1966年(昭和41年)11月2日)は、日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
5月26日生まれの人  1877年生まれの人 |
学習院高等科の出身者
105 | 三笠宮崇仁親王 | Wikipedia |
三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう、1915年(大正4年)12月2日 - 2016年(平成28年)10月27日)は、日本の皇族、歴史学者(専攻は古代オリエント史)、陸軍軍人(最終階級は陸軍少佐)。大正天皇と貞明皇后の第四皇男子。昭和天皇の弟、今上天皇の叔父にあたる。御称号は澄宮(すみのみや)。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。勲等は大勲位。称号は東京芸術大学名誉客員教授。お印は若杉(わかすぎ)。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
12月2日生まれの人  1915年生まれの人 | ||
106 | 竹田恒徳 | Wikipedia |
竹田 恒徳(たけだ つねよし、1909年(明治42年)3月4日 - 1992年(平成4年)5月11日)は、日本の旧皇族(竹田宮第2代)、陸軍軍人。1947年(昭和22年)10月に皇籍離脱し、竹田恒徳と名乗る。皇籍離脱前は竹田宮恒徳王(たけだのみや つねよしおう)。陸軍少将竹田宮恒久王の第1王子で、母は明治天皇の第6皇女常宮昌子内親王、昭和天皇の従弟にあたる。最終階級は陸軍中佐。勲等は大勲位。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月4日生まれの人  1909年生まれの人 | ||
107 | 秩父宮雍仁親王 | Wikipedia |
秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう、1902年(明治35年)6月25日 - 1953年(昭和28年)1月4日)は、日本の皇族。大正天皇と貞明皇后(同日の誕生日であった)の第二皇子。昭和天皇の弟宮、今上天皇の叔父にあたる。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
6月25日生まれの人  1902年生まれの人 | ||
108 | 山階芳麿 | Wikipedia |
山階 芳麿(やましな よしまろ、1900年(明治33年)7月5日 - 1989年(平成元年)1月28日)は、日本の元皇族。旧名、芳麿王。山階宮菊麿王と同妃範子(先妻)の第二王子。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月5日生まれの人  1900年生まれの人 | ||
109 | 小松輝久 | Wikipedia |
小松 輝久(こまつ てるひさ、1888年(明治21年)8月12日 - 1970年(昭和45年)11月5日)は、北白川宮家出身の華族、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。皇族時代は(北白川宮)輝久王(てるひさおう)という。従二位勲一等侯爵。墓所は東京都文京区にある護国寺。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
8月12日生まれの人  1888年生まれの人 | ||
110 | 北白川宮成久王 | Wikipedia |
北白川宮成久王(きたしらかわのみや なるひさおう、1887年(明治20年)4月18日 - 1923年(大正12年)4月1日)は日本の皇族である。階級は陸軍大佐。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
4月18日生まれの人  1887年生まれの人 | ||
111 | 朝香宮鳩彦王 | Wikipedia |
朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887年(明治20年)10月20日 - 1981年(昭和56年)4月12日)は日本の皇族、陸軍軍人。久邇宮朝彦親王の第8王子で、朝香宮初代当主。1947年(昭和22年)10月14日に皇族の身分を離れ、朝香鳩彦と名乗る。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月20日生まれの人  1887年生まれの人 | ||
112 | 東久邇宮稔彦王 | Wikipedia |
東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、1887年(明治20年)12月3日 - 1990年(平成2年)1月20日)は、日本の皇族(旧皇族)、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)を名乗った。世界連邦建設同盟(現世界連邦運動協会)名誉会長、第2代会長。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1887年生まれの人 | ||
113 | 竹田宮恒久王 | Wikipedia |
竹田宮恒久王(たけだのみや つねひさおう、1882年(明治15年)9月22日 - 1919年(大正8年)4月23日)は日本の皇族・陸軍軍人。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9月22日生まれの人  1882年生まれの人 | ||
114 | 梨本宮守正王 | Wikipedia |
梨本宮守正王(なしもとのみや もりまさおう、1874年(明治7年)3月9日 - 1951年(昭和26年)1月1日)は、日本の皇族、陸軍軍人。官位は元帥陸軍大将。栄典は大勲位功四級。大韓帝国最後の皇太子である李王垠の岳父。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月9日生まれの人  1874年生まれの人 | ||
115 | 久邇宮邦彦王 | Wikipedia |
久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年(明治6年)7月23日 - 1929年(昭和4年)1月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人。階級及び位階勲等は軍事参議官、陸軍大将、大勲位、功四級。贈元帥、贈大勲位菊花章頸飾。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1873年生まれの人 |
神奈川県立希望ヶ丘高等学校の出身者
116 | 藤田雄蔵 | Wikipedia |
藤田 雄蔵(ふじた ゆうぞう、1898年(明治31年)2月19日 - 1939年(昭和14年)2月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
2月19日生まれの人  1898年生まれの人 |
神奈川県立横須賀高等学校の出身者
117 | 荒尾興功 | Wikipedia |
荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年3月18日 - 1974年8月22日)は、日本の陸軍軍人、官僚。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月18日生まれの人  1902年生まれの人 |
新潟県立新潟高等学校の出身者
118 | 伊藤精司 | Wikipedia |
伊藤 精司(いとう せいじ、1882年(明治15年)3月1日 - 1964年(昭和39年)6月22日)は、日本陸軍の軍人。階級は陸軍少将。武道の称号は大日本武徳会銃剣術範士、剣道教士。流派は直心影流。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1882年生まれの人 | ||
119 | 建川美次 新潟市の出身 | Wikipedia |
建川 美次(たてかわ よしつぐ、1880年(明治13年)10月3日 - 1945年(昭和20年)9月9日)は、日本の陸軍軍人、外交官。最終階級は陸軍中将。栄典は勲一等功四級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 新潟市の出身者 | ||
10月3日生まれの人  1880年生まれの人 |
新潟県立有恒高等学校の出身者
120 | 長嶺喜一 上越市の出身 | Wikipedia |
長嶺 喜一(ながみね きいち、明治28年(1895年)6月2日 - 昭和20年(1945年)11月15日)は、大正、昭和期の日本の陸軍軍人。新潟県頸城郡寺野村東山寺(現在の新潟県上越市板倉区)出身。陸士28期・陸大36期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 上越市の出身者 | ||
6月2日生まれの人  1895年生まれの人 |
新潟県立佐渡高等学校の出身者
121 | 本間雅晴 佐渡市の出身 | Wikipedia |
本間 雅晴(ほんま まさはる、1887年(明治20年)11月27日 - 1946年(昭和21年)4月3日)は、日本の陸軍軍人。陸士19期、陸大27期(優等)。最終階級は陸軍中将。栄典は従三位勲一等。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 佐渡市の出身者 | ||
11月27日生まれの人  1887年生まれの人 |
富山県立富山高等学校の出身者
122 | 安井藤治 | Wikipedia |
安井 藤治(やすい とうじ、1885年10月11日 - 1970年7月8日)は、明治-昭和の陸軍軍人、政治家。従三位勲一等。陸軍中将まで昇った後、鈴木貫太郎内閣の国務大臣(無任所)を務めた。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月11日生まれの人  1885年生まれの人 |
富山県立砺波高等学校の出身者
123 | 瀬島龍三 小矢部市の出身 | Wikipedia |
瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 小矢部市の出身者 | ||
12月9日生まれの人  1911年生まれの人 |
石川県立金沢泉丘高等学校の出身者
124 | 浦茂 金沢市の出身 | Wikipedia |
浦 茂(うら しげる、1909年2月11日 - 2001年11月18日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、実業家である。航空自衛隊では第5代航空幕僚長を務めた。最終階級は中佐(旧陸軍)、航空幕僚長たる空将(空自)。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 金沢市の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1909年生まれの人 | ||
125 | 佐藤賢了 | Wikipedia |
佐藤 賢了(さとう けんりょう、1895年(明治28年)6月1日 - 1975年(昭和50年)2月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
6月1日生まれの人  1895年生まれの人 | ||
126 | 下村定 | Wikipedia |
下村 定(しもむら さだむ、1887年(明治20年)9月23日 - 1968年(昭和43年)3月25日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1887年生まれの人 | ||
127 | 中村孝太郎 | Wikipedia |
中村 孝太郎(なかむら こうたろう、1881年8月28日‐1947年8月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。林内閣の陸軍大臣。石川県出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
8月28日生まれの人  1881年生まれの人 |
山梨県立甲府第一高等学校の出身者
128 | 堀内一雄 | Wikipedia |
堀内 一雄(ほりうち かずお、1893年9月 - 1985年12月11日)は、日本の実業家、政治家、陸軍軍人。衆議院議員(5期)。父は堀内良平、息子は堀内光雄。最終階級は歩兵少佐、満州国陸軍少将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1893年生まれの人 |
山梨県立日川高等学校の出身者
129 | 山崎保代 | Wikipedia |
山崎 保代(やまさき やすよ、1891年10月17日 - 1943年5月29日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争(大東亜戦争)中に、アッツ島の戦いを指揮し17日間の激しい抗戦の後戦死した。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月17日生まれの人  1891年生まれの人 | ||
130 | 水上源蔵 | Wikipedia |
水上 源蔵(みなかみ / みずかみ げんぞう、1888年(明治21年)9月26日 - 1944年(昭和19年)8月4日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9月26日生まれの人  1888年生まれの人 |
長野県立長野高等学校の出身者
131 | 今井武夫 長野市の出身 | Wikipedia |
今井 武夫(いまい たけお、1898年2月23日 - 1982年6月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 長野市の出身者 | ||
2月23日生まれの人  1898年生まれの人 | ||
132 | 栗林忠道 長野市の出身 | Wikipedia |
栗林 忠道(くりばやし ただみち、1891年〈明治24年〉7月7日 ‐ 1945年〈昭和20年〉3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。位階勲等は従四位勲一等(旭日大綬章)。長野県埴科郡西条村(現:長野市松代町)出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 長野市の出身者 | ||
7月7日生まれの人  1891年生まれの人 |
長野県立上田高等学校の出身者
133 | 田中弥 | Wikipedia |
田中 弥(たなか わたる、1900年10月13日 - 1936年10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月13日生まれの人  1900年生まれの人 |
長野県立松本深志高等学校の出身者
134 | 小岩井光夫 | Wikipedia |
小岩井 光夫(こいわい みつお、1910年(明治43年)5月22日 - 1959年(昭和34年)2月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
5月22日生まれの人  1910年生まれの人 | ||
135 | 柳田元三 塩尻市の出身 | Wikipedia |
柳田 元三(やなぎた げんぞう、1893年1月3日 - 1952年10月7日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 塩尻市の出身者 | ||
1月3日生まれの人  1893年生まれの人 | ||
136 | 細見惟雄 松本市の出身 | Wikipedia |
細見 惟雄(ほそみ これお、1892年(明治25年)4月9日 - 1963年(昭和38年)8月10日)は、日本陸軍の軍人。陸士25期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 松本市の出身者 | ||
4月9日生まれの人  1892年生まれの人 | ||
137 | 丸山政男 | Wikipedia |
丸山 政男(まるやま まさお、1889年9月13日 - 1957年11月11日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9月13日生まれの人  1889年生まれの人 | ||
138 | 板花義一 安曇野市の出身 | Wikipedia |
板花 義一(いたはな ぎいち、1889年1月29日 - 1961年10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 安曇野市の出身者 | ||
1月29日生まれの人  1889年生まれの人 | ||
139 | 斎藤瀏 | Wikipedia |
斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年4月16日 - 1953年7月5日)は、日本の陸軍軍人、歌人。最終階級は陸軍少将。長女の斎藤史は同じく歌人。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1879年生まれの人 |
140 | 小松慶也 塩尻市の出身 | Wikipedia |
小松 慶也(こまつ けいや、1878年2月3日 - 1939年6月16日)は、明治の陸軍騎兵大尉。1910年にアルゼンチンへ移民し、牧場主となった。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 塩尻市の出身者 | ||
2月3日生まれの人  1878年生まれの人 |
長野県立大町岳陽高等学校の出身者
141 | 平林盛人 安曇野市の出身 | Wikipedia |
平林 盛人(ひらばやし もりと、1887年11月10日 - 1969年5月21日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 安曇野市の出身者 | ||
11月10日生まれの人  1887年生まれの人 |
岐阜県立岐阜高等学校の出身者
142 | 宮崎繁三郎 岐阜市の出身 | Wikipedia |
宮崎 繁三郎(みやざき しげさぶろう、明治25年(1892年)1月4日 - 昭和40年(1965年)8月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 岐阜市の出身者 | ||
1月4日生まれの人  1892年生まれの人 |
岐阜県立大垣北高等学校の出身者
143 | 井田正孝 | Wikipedia |
井田 正孝(いだ まさたか、1912年10月5日 - 2004年2月6日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍中佐。後に旧姓・岩田に復した。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月5日生まれの人  1912年生まれの人 |
静岡県立浜松北高等学校の出身者
144 | 河合滋 | Wikipedia |
河合 滋(かわい しげる、1922年(大正11年)7月28日 - 2006年(平成18年)8月20日)は日本の実業家、元河合楽器製作所社長・会長。静岡県出身。同社創業者の河合小市は養父、現・同社社長の河合弘隆は息子。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月28日生まれの人  1922年生まれの人 |
愛知県立明和高等学校の出身者
145 | 堀栄三 五條市の出身 | Wikipedia |
堀 栄三(ほり えいぞう、1913年(大正2年)10月16日 - 1995年(平成7年)6月5日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 五條市の出身者 | ||
10月16日生まれの人  1913年生まれの人 | ||
146 | 飯沼守 | Wikipedia |
飯沼 守(いいぬま まもる、1888年11月25日 - 1978年3月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月25日生まれの人  1888年生まれの人 |
愛知県立岡崎高等学校の出身者
147 | 酒井鎬次 | Wikipedia |
酒井 鎬次(さかい こうじ、明治18年(1885年)11月4日 - 昭和48年(1973年)3月2日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。鎬次を「たかつぐ」と読む文献もあり、注意を要する。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月4日生まれの人  1885年生まれの人 |
愛知県立時習館高等学校の出身者
148 | 宮崎周一 飯田市の出身 | Wikipedia |
宮崎 周一(みやざき しゅういち、1895年(明治28年)2月6日 - 1969年(昭和44年)10月16日)は、昭和期の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵科は歩兵。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 飯田市の出身者 | ||
2月6日生まれの人  1895年生まれの人 | ||
149 | 桜井省三 名古屋市の出身 | Wikipedia |
桜井 省三(さくらい しょうぞう、1889年6月27日 - 1985年7月7日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 名古屋市の出身者 | ||
6月27日生まれの人  1889年生まれの人 |
三重県立四日市高等学校の出身者
150 | 水谷一生 | Wikipedia |
水谷 一生(みずたに かずお、1899年(明治32年)4月22日 - 1949年(昭和24年)11月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
4月22日生まれの人  1899年生まれの人 |
三重県立津高等学校の出身者
151 | 甘粕正彦 仙台市の出身 | Wikipedia |
甘粕 正彦(あまかす まさひこ、1891年(明治24年)1月26日 - 1945年(昭和20年)8月20日)は、日本の陸軍軍人。陸軍憲兵大尉時代に甘粕事件を起こしたことで有名(無政府主義者大杉栄らの殺害)。短期の服役後、日本を離れて満州に渡り、関東軍の特務工作を行い、満州国建設に一役買う。満洲映画協会理事長を務め、終戦直後、服毒自殺した。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 仙台市の出身者 | ||
1月26日生まれの人  1891年生まれの人 |
滋賀県立膳所高等学校の出身者
152 | 山内正文 | Wikipedia |
山内 正文(やまうち まさふみ、1891年10月8日 - 1944年8月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・秋山。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1891年生まれの人 |
滋賀県立彦根東高等学校の出身者
153 | 北野憲造 | Wikipedia |
北野 憲造(きたの けんぞう、1889年(明治22年)8月24日 - 1960年(昭和35年)7月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
8月24日生まれの人  1889年生まれの人 |
京都府立洛北高等学校の出身者
154 | 久邇宮邦彦王 | Wikipedia |
久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年(明治6年)7月23日 - 1929年(昭和4年)1月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人。階級及び位階勲等は軍事参議官、陸軍大将、大勲位、功四級。贈元帥、贈大勲位菊花章頸飾。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1873年生まれの人 |
京都府立園部高等学校の出身者
155 | 畑中健二 | Wikipedia |
畑中 健二(はたなか けんじ、1912年3月28日(明治45年) - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月28日生まれの人  1912年生まれの人 |
大阪府立市岡高等学校の出身者
156 | 影佐禎昭 福山市の出身 | Wikipedia |
影佐 禎昭(かげさ さだあき、明治26年(1893年)3月7日 - 昭和23年(1948年)9月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 福山市の出身者 | ||
3月7日生まれの人  1893年生まれの人 |
大阪府立今宮高等学校の出身者
157 | 石井卓雄 福山市の出身 | Wikipedia |
石井 卓雄(いしい たくお、1919年12月3日 - 1950年5月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。日本の敗戦後にベトナム独立のためにベトナム独立戦争に参加して戦没。グエン・ソン将軍の軍政顧問。クァンガイ軍政学校教官。トゥイホア陸軍中学教官。ベトナム独立戦争時には、「花谷」「チャン・チ・ズン(陳志勇)」「トン」を名乗った。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 福山市の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1919年生まれの人 |
大阪府立北野高等学校の出身者
158 | 植田謙吉 | Wikipedia |
植田 謙吉(うえだ けんきち、1875年(明治8年)3月8日 - 1962年(昭和37年)9月11日)は、日本の陸軍軍人。陸士10期、陸大21期。陸軍大将正三位勲一等功三級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1875年生まれの人 |
大阪府立茨木高等学校の出身者
159 | 小畑信良 | Wikipedia |
小畑 信良(おばた のぶよし、1897年(明治30年)3月29日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。兄に小畑英良。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月29日生まれの人  1897年生まれの人 |
兵庫県立神戸高等学校の出身者
160 | 四方諒二 神戸市の出身 | Wikipedia |
四方 諒二(しかた りょうじ、明治29年(1896年)4月28日 - 昭和52年(1977年)12月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 神戸市の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1896年生まれの人 | ||
161 | 酒井隆 東広島市の出身 | Wikipedia |
酒井 隆(さかい たかし、1887年10月18日 - 1946年9月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争勃発時に第23軍司令官として香港を攻略した。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 東広島市の出身者 | ||
10月18日生まれの人  1887年生まれの人 |
兵庫県立洲本高等学校の出身者
162 | 儀我誠也 | Wikipedia |
儀我 誠也(ぎが せいや、1888年11月11日 - 1938年1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月11日生まれの人  1888年生まれの人 |
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者
163 | 樋口季一郎 南あわじ市の出身 | Wikipedia |
樋口 季一郎(ひぐち きいちろう、1888年8月20日 - 1970年10月11日)は、日本の陸軍軍人。兵庫県淡路島出身。最終階級は陸軍中将。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団師団長等を歴任し、最終役職は第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 南あわじ市の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1888年生まれの人 | ||
164 | 磯谷廉介 | Wikipedia |
磯谷 廉介(いそがい れんすけ、1886年9月3日 - 1967年6月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争期に日本占領下の香港で総督を務めた。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9月3日生まれの人  1886年生まれの人 | ||
165 | 河本大作 佐用町の出身 | Wikipedia |
河本 大作(こうもと だいさく、1883年(明治16年)1月24日 - 1955年(昭和30年)8月25日)は、昭和初期に活動した日本の陸軍軍人。張作霖爆殺事件の首謀者として知られる。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 佐用町の出身者 | ||
1月24日生まれの人  1883年生まれの人 | ||
166 | 安藤紀三郎 | Wikipedia |
安藤 紀三郎(あんどう きさぶろう、1879年2月11日 - 1954年5月10日)は、日本の政治家、陸軍軍人。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1879年生まれの人 | ||
167 | 本庄繁 | Wikipedia |
本庄 繁(ほんじょう しげる、1876年(明治9年)5月10日 - 1945年(昭和20年)11月20日)は、日本の陸軍軍人。第10師団長・関東軍司令官・侍従武官長を歴任し階級は陸軍大将正三位勲一等功一級男爵に至る。軍を退いてからは軍事保護院総裁や枢密顧問官を務める。長男一雄は陸軍主計中佐。娘は山口一太郎陸軍大尉に嫁ぐ。本庄は書を心得、剣華と号す。渾名は「たくわん石」。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
5月10日生まれの人  1876年生まれの人 |
兵庫県立龍野高等学校の出身者
168 | 田中静壱 | Wikipedia |
田中 静壱(たなか しずいち、1887年(明治20年)10月1日 - 1945年(昭和20年)8月24日)は、日本の陸軍軍人。官位は陸軍大将、従三位、勲一等瑞宝章、功三級金鵄勲章。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月1日生まれの人  1887年生まれの人 | ||
169 | 藤江恵輔 | Wikipedia |
藤江 恵輔(ふじえ けいすけ、1885年(明治18年)11月8日 - 1969年(昭和44年)2月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1885年生まれの人 |
鳥取県立鳥取西高等学校の出身者
170 | 岡田資 | Wikipedia |
岡田 資(おかだ たすく、1890年4月14日 - 1949年9月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
4月14日生まれの人  1890年生まれの人 | ||
171 | 西尾寿造 鳥取市の出身 | Wikipedia |
西尾 寿造(にしお としぞう、明治14年(1881年)10月31日 − 昭和35年(1960年)10月26日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功一級。初代支那派遣軍総司令官。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 鳥取市の出身者 | ||
10月31日生まれの人  1881年生まれの人 |
島根県立松江北高等学校の出身者
172 | 田中隆吉 安来市の出身 | Wikipedia |
田中 隆吉(たなか りゅうきち、1893年(明治26年)7月9日 - 1972年(昭和47年)6月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 安来市の出身者 | ||
7月9日生まれの人  1893年生まれの人 |
岡山県立岡山朝日高等学校の出身者
173 | 額田坦 | Wikipedia |
額田 坦(ぬかた ひろし、1895年9月5日 - 1976年9月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9月5日生まれの人  1895年生まれの人 | ||
174 | 谷寿夫 | Wikipedia |
谷 寿夫(たに ひさお、1882年(明治15年)12月23日 - 1947年(昭和22年)4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
12月23日生まれの人  1882年生まれの人 |
岡山県立津山高等学校の出身者
175 | 花谷正 津山市の出身 | Wikipedia |
花谷 正(はなや ただし、1894年(明治27年)1月5日 - 1957年(昭和32年)8月28日)は、日本の陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 津山市の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1894年生まれの人 |
金光学園高等学校の出身者
176 | 立花芳夫 | Wikipedia |
立花 芳夫(たちばな よしお、1890年(明治23年)2月24日 - 1947年(昭和22年)9月24日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。愛媛県出身。陸軍士官学校卒業(25期)。兵科は歩兵科。功四級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
2月24日生まれの人  1890年生まれの人 |
広島大学附属高等学校の出身者
177 | 山口信夫 庄原市の出身 | Wikipedia |
山口 信夫(やまぐち のぶお、1924年12月23日 - 2010年9月14日)は、日本の実業家。第17代日本商工会議所会頭、元旭化成代表取締役会長・代表取締役名誉会長。2007年旭日大綬章。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 庄原市の出身者 | ||
12月23日生まれの人  1924年生まれの人 |
広島県立福山誠之館高等学校の出身者
178 | 木村茂 福山市の出身 | Wikipedia |
木村 茂(きむら しげる、明治6年(1873年)2月11日 - 1972年8月25日)は、日本の陸軍軍人。歩兵将校の後主計に転じ、陸軍被服本廠長・第1師団経理部長・陸軍経理学校長を歴任する。階級は陸軍主計総監。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 福山市の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1873年生まれの人 | ||
179 | 藤井包総 | Wikipedia |
藤井 包總(ふじい かねすけ、1850年2月25日(嘉永3年1月14日) - 1925年(大正14年)12月5日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍中将。貴族院男爵議員。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
2月25日生まれの人  1850年生まれの人 |
広島県立忠海高等学校の出身者
180 | 後勝 三原市の出身 | Wikipedia |
後 勝(うしろ まさる、1914年 - )は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 三原市の出身者 | ||
1914年生まれの人 |
山口県立防府高等学校の出身者
181 | 豊嶋房太郎 | Wikipedia |
豊嶋 房太郎(てしま ふさたろう、1889年1月5日 - 1979年4月9日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
1月5日生まれの人  1889年生まれの人 |
徳島県立城南高等学校の出身者
182 | 阿南惟幾 | Wikipedia |
阿南 惟幾(あなみ これちか)は、1887年(明治20年)2月21日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
2月21日生まれの人  1887年生まれの人 |
香川県立丸亀高等学校の出身者
183 | 原田熊吉 | Wikipedia |
原田 熊吉(はらだ くまきち、1888年8月8日 - 1947年5月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。香川県生まれ、大阪府出身。陸士22期、陸大28期。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
8月8日生まれの人  1888年生まれの人 |
香川県立観音寺第一高等学校の出身者
184 | 片桐茂 | Wikipedia |
片桐 茂(かたぎり しげる、1892年(明治25年)3月18日 - 1944年(昭和19年)4月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
3月18日生まれの人  1892年生まれの人 | ||
185 | 斎藤弥平太 三豊市の出身 | Wikipedia |
斎藤 弥平太(さいとう やへいた、1885年(明治18年)9月28日 - 没年不詳(1953年(昭和28年)9月28日、戦時死亡宣告))は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 三豊市の出身者 | ||
9月28日生まれの人  1885年生まれの人 |
愛媛県立西条高等学校の出身者
186 | 田坂専一 | Wikipedia |
田坂 専一(たさか せんいち、1892年11月8日 - 1979年12月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1892年生まれの人 |
愛媛県立今治西高等学校の出身者
187 | 渡辺正夫 | Wikipedia |
渡辺 正夫(わたなべ まさお、1888年10月10日 - 1950年10月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
10月10日生まれの人  1888年生まれの人 |
高知県立高知小津高等学校の出身者
188 | 土居明夫 | Wikipedia |
土居 明夫(どい あきお、1896年(明治29年)6月30日 - 1976年(昭和51年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
6月30日生まれの人  1896年生まれの人 | ||
189 | 山本健児 | Wikipedia |
山本 健児(やまもと けんじ、1895年(明治28年)9月20日 - 1975年(昭和50年)9月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
9月20日生まれの人  1895年生まれの人 | ||
190 | 久野村桃代 | Wikipedia |
久野村 桃代(くのむら とうだい、1893年12月22日 - 1979年11月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
12月22日生まれの人  1893年生まれの人 | ||
191 | 沢田茂 高知市の出身 | Wikipedia |
沢田 茂(さわだ しげる、1887年(明治20年)3月29日 - 1980年(昭和55年)12月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 高知市の出身者 | ||
3月29日生まれの人  1887年生まれの人 | ||
192 | 山下奉文 大豊町の出身 | Wikipedia |
山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、位階勲等は従三位勲一等功三級。高知県長岡郡大杉村(現大豊町)出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 大豊町の出身者 | ||
11月8日生まれの人  1885年生まれの人 |
福岡県立育徳館高等学校の出身者
193 | 杉山元 北九州市の出身 | Wikipedia |
杉山 元 (すぎやま げん/はじめ、1880年(明治13年)1月1日 - 1945年(昭和20年)9月12日)は、大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣、教育総監、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 北九州市の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1880年生まれの人 |
福岡県立東筑高等学校の出身者
194 | 松井太久郎 | Wikipedia |
松井 太久郎(まつい たくろう、1887年12月3日 - 1969年6月10日)は、日本陸軍の軍人。陸士22期、陸大29期。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1887年生まれの人 |
福岡県立明善高等学校の出身者
195 | 諫山春樹 | Wikipedia |
諫山 春樹(いさやま はるき、1894年2月11日 - 1990年6月12日)は、日本の陸軍軍人。福岡県出身。陸軍中将。第17代台湾軍参謀長、その後第10方面軍参謀長。1945年10月25日、国民政府代表との降服式典に台湾総督安藤利吉とともに台湾総督府(日本)代表として出席し、任を終える。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1894年生まれの人 |
福岡県立伝習館高等学校の出身者
196 | 横山静雄 | Wikipedia |
横山 静雄(よこやま しずお、1890年12月1日 - 1961年1月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
12月1日生まれの人  1890年生まれの人 | ||
197 | 黒田重徳 | Wikipedia |
黒田 重徳(くろだ しげのり、1887年10月25日 - 1964年4月30日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校卒の出身者 | ||
10月25日生まれの人  1887年生まれの人 |
長崎県立大村高等学校の出身者
198 | 福田雅太郎 | Wikipedia |
福田 雅太郎(ふくだ まさたろう、1866年7月7日(慶応2年5月25日) - 1932年6月1日)は、日本陸軍の軍人。陸士旧9期、陸大9期。栄典は従三位勲一等功三級、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・コマンダー(KCMG)[要出典]。最終階級は陸軍大将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
7月7日生まれの人  1866年生まれの人 |
熊本県立御船高等学校の出身者
199 | 西住小次郎 | Wikipedia |
西住 小次郎(にしずみ こじろう、1914年〈大正3年〉1月13日 - 1938年〈昭和13年〉5月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸士46期。最終階級は陸軍歩兵大尉。勲五等功四級。熊本県上益城郡甲佐町仁田子出身。 | ||
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1月13日生まれの人  1914年生まれの人 |
大分県立宇佐高等学校の出身者
200 | 草地貞吾 宇佐市の出身 | Wikipedia |
草地 貞吾(くさち ていご、1904年5月28日 - 2001年11月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 宇佐市の出身者 | ||
5月28日生まれの人  1904年生まれの人 |
鹿児島県立鶴丸高等学校の出身者
201 | 野田毅 錦江町の出身 | Wikipedia |
野田 毅(のだ つよし、1912年 - 1948年1月28日)は、日本の陸軍軍人。敗戦時の階級は陸軍少佐。南京攻略戦の際に実施されたとされる「百人斬り競争」実行の容疑者として逮捕・処刑された。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 錦江町の出身者 | ||
1912年生まれの人 | ||
202 | 牧野四郎 日置市の出身 | Wikipedia |
牧野 四郎(まきの しろう、1893年4月18日 - 1945年8月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 日置市の出身者 | ||
4月18日生まれの人  1893年生まれの人 | ||
203 | 牛島満 鹿児島市の出身 | Wikipedia |
牛島 満(うしじま みつる、1887年(明治20年)7月31日 - 1945年(昭和20年)6月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将(中将から、戦死により即日大将に親任される)。鹿児島県鹿児島市出身。 | ||
全国の陸軍士官学校の出身者 鹿児島市の出身者 | ||
7月31日生まれの人  1887年生まれの人 |
鹿児島県立甲南高等学校の出身者
204 | 和田勁 | Wikipedia |
満州国軍陸軍中将 | ||
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沖縄県立首里高等学校の出身者
205 | 親泊朝省 | Wikipedia |
親泊 朝省(おやどまり ちょうせい、1903年(明治36年)9月18日 - 1945年(昭和20年)9月3日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大佐。沖縄県出身。大本営陸軍部報道部部長、内閣情報局情報官。 | ||
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9月18日生まれの人  1903年生まれの人 |